東京高等裁判所 昭和57年(ネ)281号 判決 1988年3月11日
目 次
表題、事件番号及び事件名、当事者の住所及び氏名、主文…二五七一
事実 <略>
第一節 当事者の申立 <略>
当事者目録 <略>
別表第一 <略>
別表第二 <略>
別表第三 <略>
正誤表 <略>
第二節 一審原告もしくは同承継人らの主張 <略>
第三節 一審被告もしくは同承継人らの主張 <略>
(被告吉富の主張)
(被告武田の主張)
(被告住友、同稲畑の主張)
(被告小野の主張)
(被告科研の主張)
(被告国の主張)
(被告医師・同承継人、医療機関経営者及び医療機関設置者としての被告国の主張)
理由
第一節 クロロキン製剤とその副作用としての眼障害
第二節 原告患者らのク網膜症罹患
第三節 内外文献からみたクロロキン製剤による眼障害についての医学的知見
第四節 クロロキン製剤の有効性と有用性
第五節 被告製薬会社の責任
第六節 被告国の責任(医療機関設置者としての責任を除く。)
第七節 被告医師及び同医療機関経営者の責任
第八節 損害
第九節 消滅時効の抗弁に対する判断
第一〇節 仮執行の原状回復の申立てについて
第一一節 結び
個別損害認定一覧表等について <略>
第二一九号事件控訴人・第三四三号事件被控訴人・第三四四号事件被申立人(第一審原告) 横沢軍四郎 ほか二五八名
第二一九号事件被控訴人・第三四三号事件控訴人・第三四四号事件申立人(第一審被告) 国
代理人 鎌田寛 横山匡輝 澤山喜昭 喜多剛久 ほか九名
第二一九号事件被控訴人・第一八四号ほか事件控訴人(第一審被告) 吉富製薬株式会社 ほか二二名
主文
一 一審原告もしくは同訴訟承継人ら及び一審被告もしくは同訴訟承継人らの各控訴並びに一審原告もしくは同訴訟承継人らの当審における新請求に基づき、原判決を次のとおり変更する。
1 別表第一の「対応一審被告・訴訟承継人」欄記載の各一審被告もしくは同訴訟承継人は、各自、同表の「一審原告・訴訟承継人」欄記載の各一審原告もしくは同訴訟承継人に対し、同表の「認容金額(円)」欄記載の各金員及び同表の「認容金額内訳(円)」欄記載の各金員に対する同表の「遅延損害金起算日」欄記載の各日(括弧内各列の年月日は、「対応一審被告・訴訟承継人」欄内各列の一審被告・訴訟承継人に対応する。)から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。
2 一審原告もしくは同訴訟承継人らの各請求は、右1項で認容した部分を除き、すべてこれを棄却する。
3 訴訟費用中、民事訴訟法一九八条二項の申立てに関するものを除き、一、二審を通じて全訴訟費用を一〇〇分し、その六〇を別表第二の「一審原告・訴訟承継人」欄記載の一審原告もしくは同訴訟承継人らの連帯負担とし、その三五を一審被告吉富製薬株式会社、同武田薬品工業株式会社、同小野薬品工業株式会社、同住友科学工業株式会社、同稲畑産業株式会社、同科研薬化工株式会社らの連帯負担とし、その五を一審被告三屋タミ子、同谷藤和広、同社会福祉法人国際親善病院、同亡松谷太郎訴訟承継人(負担割合は、松谷トシヱ二分の一、松谷正已六分の一、吉岡孝子六分の一、松谷章司六分の一とする。)、同国らの負担とする。
4 別表第一の「一審原告・訴訟承継人」欄記載の各一審原告もしくは同訴訟承継人は、右1項の各金員(遅延損害金を含む。)につき、その二分の一を限度として、同表の「対応一審被告・訴訟承継人」欄記載の各一審被告もしくは同訴訟承継人のうちいずれか一の者に対し、仮に執行することができる。
二 一審被告国の民事訴訟法一九八条二項の申立てに基づき、
1 別表第三の「氏名」欄記載の各一審原告もしくは同訴訟承継人は、一審被告国に対し、それぞれ同表の「金額(円)」欄記載の各金員及びこれに対する昭和五七年二月三日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。
2 一審被告国の一審原告山村伊都子、同山村千惠、同山村章に対する右申立ては棄却する。
3 右申立てに関する訴訟費用は、一審原告山村伊都子、同山村千惠、同山村章に関する部分を除き、別表第三記載の一審原告もしくは同訴訟承継人らの連帯負担とする。
4 右申立てに関する訴訟費用中、一審原告山村伊都子、同山村千惠、同山村章に関する部分は一審被告国の負担とする。
5 一審被告国は、右1項につき仮に執行することができる。
事 実<省略>
理由
(この判決理由中で挙示する書証の成立関係は、事実摘示において引用した一審及び当審訴訟記録中の書証目録認否欄掲記の当事者間につき、「認」とだけ記載されたものは、成立に関し右掲記の当事者間に争いがない(その余の当事者間にあつては<証拠略>により成立が認められる。)ものであるが、同欄に成立に争いのある趣旨の記載があるものまたは同欄に成立の認否について何ら記載がないものは、いずれも全当事者間において、その成立が<証拠略>により認められるものである。)
第一節クロロキン製剤とその副作用としての眼障害
第一クロロキン製剤
一 クロロキンとクロロキン製剤
クロロキンは、一九三四(昭和九)年頃、ドイツのバイエル・イー・ゲー染料工業株式会社医薬品部エルバーフエルト研究所のアンデルザークらによつて合成に成功した化学物質で、原告ら主張の化学構造式をもつ七クロル四アミノキノリン誘導体の一種であり、第二次世界大戦中にアメリカにおいて抗マラリア剤として再発見され、アメリカ、西ドイツで医薬品として開発されたものであること、クロロキンの塩基部に、リン酸、コンドロイチン硫酸、オロチン酸等のいずれか一つを結合させた化合物として、リン酸クロロキン、コンドロイチン硫酸クロロキン、オロチン酸クロロキン等があり、これら化合物を含有する製剤、すなわちクロロキン製剤が医薬品として使用されてきたこと、クロロキン製剤は、第二次世界大戦後西ドイツ及びアメリカにおいて抗マラリア剤以外にエリテマトーデス、慢性関節リウマチ等の慢性疾患治療薬としても使用され(西ドイツでは、ドイツ・バイエル社がリン酸クロロキン、商品名レゾヒンを一九四九年(昭和二四年)に抗マラリア剤として発売し、一九五五年(昭和三〇年)エリテマトーデスがその適応に加えられ、またアメリカでは、スターリング社がリン酸クロロキン、商品名アラーレンにつき、一九四六年(昭和二一年)八月一五日抗マラリア剤としてFDAの承認を得た後、一九五七年(昭和三二年)一〇月二日リウマチ様関節炎、エリテマトーデスの治療薬としてFDAの承認を得た。)、我国では、さらに右各適応のみならず、腎炎、てんかんにも効能がある医薬品として使用されていたこと、以上の事実は原告らと被告製薬会社及び同国との間において争いがなく、その余の当事者間においては、<証拠略>によりこれを認めることができる。
二 我国におけるクロロキン製剤の製造、発売の経緯
1 厚生大臣は、昭和三〇年三月一五日リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠を第二改正国民医薬品集(旧法二条八号、九号)に収載して公布した(同法三〇条一項)。
そして、厚生大臣は、昭和三六年四月一日リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠を第七改正日本薬局方に収載し、さらに昭和四六年四月一日これを第八改正日本薬局方に収載し、いずれも公示した(現行法四〇条)。
2 被告吉富は、
(一) 昭和三〇年五月厚生大臣に対し、国民医薬品集収載医薬品リン酸クロロキン錠(一錠中リン酸クロロキン二五〇ミリグラム含有)を医薬品輸入販売業登録品目に追加する(登録の変更)申請をし、同年六月二日厚生大臣のその旨の登録を受け(旧法二六条一項、二八条)、
(二) 昭和三四年九月厚生大臣に対し、燐酸クロロキン錠エレストール(一錠中リン酸クロロキン四〇ミリグラム、アセチルサルチル酸二〇〇ミリグラム、プレドニゾロン〇・〇七五ミリグラム含有)の製造許可申請をし、同年一一月九日厚生大臣からその許可を得(旧法二六条三項)、
(三) さらに、昭和三四年一二月厚生大臣に対し、燐酸クロロキン錠レゾヒンII(一錠中リン酸クロロキン一〇〇ミリグラム含有)を医薬品製造業登録品目に追加する(登録の変更)申請をし、昭和三五年一一月二五日厚生大臣のその旨の登録を受けた(旧法二六条一項)。
3 被告住友は、昭和三六年頃厚生大臣に対し、燐酸クロロキン錠キニロン(一錠中リン酸クロロキン一二五ミリグラム含有)を医薬品製造業登録品目に追加する(登録の変更)申請をし、同年二月六日厚生大臣のその旨の登録を受けた(旧法二六条一項)。
4 被告小野は、
(一) 昭和三五年九月一〇日厚生大臣に対し、急性・慢性腎炎、ネフローゼ、ネフローゼ症候群、リウマチ性関節炎を各効能とするオロチン酸クロロキン錠キドラ(一錠中オロチン酸クロロキン一〇〇ミリグラム含有)の製造許可申請をし、同年一二月一六日厚生大臣から慢性腎炎のみを効能とするその製造の許可を得(旧法二六条三項)、
(二) その後厚生大臣に対し、昭和三六年五月一五日妊娠腎、リウマチ性関節炎、昭和三八年八月一〇日気管支喘息、エリテマトーデス等、昭和三九年四月二四日てんかんの各効能追加申請をし、厚生大臣から昭和三六年一一月六日、昭和三八年一二月一三日及び昭和三九年一一月一三日にそれぞれ各申請にかかる右効能追加の承認を得た(現行法一四条二項、同法附則五条)。
5 被告科研は、
(一) 昭和三六年一二月九日厚生大臣に対し、腎炎、ネフローゼを効能としてコンドロイチン硫酸クロロキン錠(一錠中コンドロイチン硫酸クロロキン一〇〇ミリグラム含有)の製造承認の申請をし、昭和三七年三月三一日厚生大臣の承認を得(現行法一四条一項)、
(二) その後昭和三七年九月一三日厚生大臣に対し、関節ロイマチスの効能追加申請をし、同年一二月一三日厚生大臣の承認を得た(現行法一四条二項)。
6 リン酸クロロキン、オロチン酸クロロキン及びコンドロイチン硫酸クロロキンの各化学構造式、分子量、クロロキン含有量は、次の表のとおりである。
<表 省略>
(以上1から6までの事実は、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、その余の当事者間においては、<証拠略>によりこれを認めることができる。)
7 かくして、
(一) 被告吉富は、昭和三〇年九月以降レゾヒンIをドイツ・バイエル社から輸入し、昭和三五年一月以降同社から輸入したリン酸クロロキンの原末を使用してエレストールの製造を、また同年一二月以降同様のリン酸クロロキン原末を使用してレゾヒンIIの製造をそれぞれ開始し、これら製剤をいずれもすべて被告武田に売り渡し、被告武田が右各日時以降国内においてこれらを一手に販売してきた。
レゾヒンIの適応は、発売当初はマラリアと急性・慢性エリテマトーデス(後に亜急性・慢性エリテマトーデスに変更)とされていたが、昭和三三年八月慢性関節リウマチ、腎炎等が、昭和三六年四月にはてんかんがその適応に加えられ、エレストールは、リウマチ熱(急性関節リウマチ)、リウマチ様関節炎が適応とされていた。またレゾヒンIIの適応は、マラリア、亜急性・慢性エリテマトーデス、慢性関節リウマチ、腎炎等であつたが、その後てんかんも適応に加えられた。
(二) 被告住友は、昭和三六年一二月キニロンの製造を開始し、これをすべて被告稲畑に売り渡し、被告稲畑がこれを一手に国内で販売してきたが、キニロンの適応は、急性・慢性リウマチ様関節炎、亜急性・慢性エリテマトーデス、腎炎等とされていた。
(三) 被告小野は、昭和三六年一月からその製造したキドラを前記4の各疾患を適応とする医薬品として販売してきたし、被告科研は、昭和三八年三月からその製造したCQCを前記5の各疾患を適応とする医薬品として販売してきたものである。(右の各事実は、原告らと被告製薬会社との間で争いがなく、その余の当事者間においては、<証拠略>によりこれを認めることができる。)
第二クロロキンの薬理作用
一 吸収と排せつ及び蓄積
<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
クロロキンの体内への吸収は速やかで殆ど完全であり、他方、体外への排せつは緩徐である。その結果相当な割合のクロロキンが器官や組織に沈着し、その量は投与量が増加すると急激に増加する。
ヒトにクロロキンを長期にわたって投与した場合、投与中止後五年を経てもクロロキンはなおその体内に残存し得る。
動物実験の結果によれば、クロロキンは眼のメラニン含有組織にきわめて高濃度に、かつ、長期にわたつて蓄積されるが、このことはクロロキンとメラニン色素との著しい親和性を示唆している。また、ク網膜症患者の眼球を検査した結果、ヒトにおいてもその網膜中にクロロキンが蓄積していることが確認されている。
二 文献
なお、次の各文献等には、それぞれ次の記述があるほか、右一のとおり認めるに十分な記述がなされている。
1 レープら(<証拠略>、一九四六年・昭和二一年、外国文献66)
クロロキンの薬理作用につき、キナクリンとの比較において、各種の実験動物及びヒトでの広範な実験により、種々の研究機関が研究した結果の概略の報告であり、クロロキンの吸収と排せつ等については、「新しい抗マラリア剤、クロロキン(SN七六一八)の活性」と題したうえ、次のとおりであるとしている。
クロロキンは、胃腸管から完全に、あるいは殆ど完全に吸収される。吸収の速度はキナクリンよりいくらか速く、排せつは緩徐であるがキナクリンよりわずかに速い。
相当な量のクロロキンが器官や組織に沈着し、その量は薬剤の服用量に比例する。クロロキンは有核の細胞、特に肝臓、肺臓の細胞に集中し、これらの器官では血漿中での濃度の二〇〇ないし五〇〇倍の濃度で含有されている。また、白血球中にも相当の割合で集中する。
クロロキンはキナクリンと同様体内で代謝されるが、投与薬剤のごく一部しか排出物中では発見されない。
クロロキンは諸器官に局在することが明らかで、その排せつと減滅の率は緩徐であるから、投与が中止されたときの体内からの消失も緩やかである。
2 ルービンら(<証拠略>、一九六三年・昭和三八年、外国文献30)
著者らは、二年半から八年にわたつてクロロキンを投与された八人のク網膜症患者について研究を行い、最後の薬剤摂取から五年を経た患者の血液や尿中に少量のクロロキンが検出されたことを報告し、このことはクロロキンが以前知られていた程度以上に高度に組織中に残存することを示していると述べている。
また、クロロキンは組織への結合度が大きく、投与中止後の身体からの消失が緩慢であり、ある患者については最後のクロロキン摂取から四か月を経た時点でも、一日一〇ミリグラムのクロロキンとその代謝物が尿から排せつされていたと報告している。
またクロロキンの投与量とその吸収は直線的関係を示さず、投与量が増加すると、組織での沈着は急激に増加するとして、シユミツトらの報告(ラツトに投与するクロロキンの量を約三倍にすると、肝臓と脾臓でのクロロキンの沈着は二〇倍以上になる旨の報告)を引用している。
3 ベルンシユタインら(<証拠略>、一九六三年・昭和三八年、外国文献35)
著者らは、ラビツトとラツトを用いた動物実験の結果、クロロキンが有色動物の眼の虹彩と脈絡膜にきわめて高濃度に、かつ、長期にわたつて蓄積される旨報告している。
すなわち、有色ラビツトにクロロキンを一日体重一キログラム当たり五ミリグラムの割合で筋注し(これはリン酸クロロキンのヒトに対する一日の平均経口投与量である二五〇ミリグラムないし五〇〇ミリグラムに相当するという。)、その六三日後、もはや他の体組織中にはクロロキンが検出されなくなつたときでも、虹彩や脈絡膜にはクロロキンが高濃度に存在していたし、有色ラツトに対しクロロキンを飲み水に入れて少なくとも六か月間投与した後の虹彩におけるクロロキンの濃度は、肝臓のそれの八〇倍以上であつた等の実験結果を報告し、白色種においてはそのような結果がみられなかつたことから、クロロキンがメラニン色素と強い親和性を有し、これと結合することによつてメラニン含有組織に特に高濃度で蓄積するのではないかと推定している。
4 ウエツターホルムら(<証拠略>、一九六四年・昭和三九年、外国文献40)
著者らは、自験したク網膜症疾患者がたまたま死亡した後その両眼を摘出したが、網膜に広く分布する蛍光を発する沈着物を認め、網膜中のクロロキンの存在を推定し、また網膜均等質中のクロロキン蛍光定量分析を行つて右の推定に沿う結果を得た旨報告している。
5 小森谷武美ら(<証拠略>、昭和四八年、日本文献105)
著者らは、クロロキンの副作用とクロロキンをマラリア予防薬として使用する際の注意事項とについて総括的に述べ、クロロキンの吸収、分布及び排せつについて、クロロキンは服用後速やかに吸収され、三〇分後には作用を現す、ヒトに対して一定量のクロロキンを朝、昼、夕と約四ないし五時間ごとに三回分服用させた場合の一日当たりのクロロキンの排せつ量は、尿中に三六・九パーセント、糞便中五・九パーセント、計四二・八パーセントであり、服用量の過半量は組織内滲透により体内にとどまり、蓄積作用が大なることを示している等と述べている。
6 山岸直矢・永田誠(<証拠略>、昭和五四年)
著者らは、臨床的にク網膜症が疑われた患者(世帯番号84の患者亡中谷清子である――<証拠略>)の死後、遺族から右眼の眼球の提供を受け、ホルマリン液中に保存された眼球について、眼球内組織のクロロキン量を測定し、また組織の蛍光顕微鏡観察を行つた結果について報告している。
すなわち、クロロキンの組織濃度は虹彩が最も高く、脈絡膜(ただし、網膜色素上皮を含む、以下同じ。)、毛様体がこれに次ぐが、これは外国文献35(前記3の文献)の動物実験の結果と同じであり、眼内クロロキンは最も高い濃度で虹彩に存在すること及び眼内の色素の最も多く分布する部分にクロロキンが多く存在することが分かつたとし、さらに、眼球半分に含まれるクロロキンの総量は脈絡膜四六・三マイクログラム、虹彩一九・三マイクログラム、毛様体一八・七マイクログラム、網膜四・〇マイクログラムであり、保存中に一度も交換しなかつたホルマリン液中にも三〇・四マイクログラムが測定されたとし、次にクロロキンの眼色素への吸着についての従来の報告を引用して、このようにクロロキンが眼色素特にメラニン顆粒に吸着され、しかも解離遊出されにくいために、換言すれば、クロロキンの生物学的半減期が長いために、長期にわたる大量の服用によつて眼内組織内で高い濃度で存在するようになり、網膜症の発症しやすい状態になると考えられる、と述べている。
組織の蛍光顕微鏡観察の結果については、網膜外層及び網膜色素上皮に強い蛍光を認めたとし、網膜色素上皮にみられる蛍光は正常眼においても認められるものでリポフシン(網膜の脂褐色色素)であると考えられるが、網膜内の蛍光は正常眼では認められないものであり、これは網膜色素上皮から網膜外層に移動した色素に一致して認められたと報告している(なお、著者らは、クロロキンの局在性を蛍光顕微鏡の下に観察することはリポフシンの強い蛍光性のため今のところ困難であるとし、外国文献40(前記4の文献)に言及して、右文献は網膜中の点状の蛍光をクロロキンの沈着であるとしているが、これは今回の観察結果より明らかなように網膜中に移動したリポフシンによる蛍光であろうと述べている。)。
その他、著者らは、人眼八例について摘出直後にクロロキン測定を行つたローウイルらの報告(一九六八年・昭和四三年)、ク網膜症患者のホルマリン固定後の眼球を含む全身組織のクロロキン量を測定した山田栄一らの報告(昭和五三年)にも言及し、また、今回の眼内クロロキンの定量結果及び臨床所見から本症例はク網膜症であることが確認されたと述べている。
7 マクチユスニイら(<証拠略>、一九六七年・昭和四二年)
著者らは、毎日三一〇ミリグラムのクロロキンを一四日間ヒト(八名)に経口投与してその中止後の代謝の結果を測定し、投与中止後九一日目までに尿中に平均約五六パーセントが排せつされたが、尿中からこれ以上の量の回収はないようであるとし、これに糞便中の推定排せつ量約一〇パーセントを加えると服用量の約三分の二は排せつされたであろうこと、残余の部分についても測定不可能な形で排せつされている可能性があること等を述べている。
なお、右<証拠略>によれば、クロロキン製剤をアメリカにおいて製造、販売していたスターリング社のウインスロツプ研究所における研究報告は、クロロキンの投与期間が短く総投与量の少ない投与実験において、尿中排せつ物として投与量の五六パーセントを確認し得たとの結果が得られたことから、残余の部分は排せつされた可能性が大きいと推定していることが認められるけれども、それだけでは、クロロキンの排せつが緩徐であるとの前記認定を覆すに足りない。
第三クロロキンによる眼障害
クロロキンの服作用として、体重減少、倦怠感、肩凝り、胃腸障害、肝障害、筋障害(筋力低下)、神経障害、血液の顆粒球減少症、苔癬様皮膚炎、光線過敏症、毛髪色素異常、その他難聴、妊娠中服用の先天性異常児の出産等のほか、眼障害を生ずることがある。
クロロキンの眼障害には、大別して角膜障害と網膜障害とがある。この眼障害の発生率は、クロロキン製剤の種類、すなわちリン酸クロロキン、オロチン酸クロロキン、コンドロイチン硫酸クロロキン等によつて差異はないといわれている。
角膜障害(ク角膜症)は、クロロキンが角膜上皮下に結晶状に沈下し、角膜のびまん性点状混濁、中央下部に融合集中する線上混濁、濃厚不規則な緑黄曲線混濁などとして現れる障害で、一説では、涙の中に分泌されたクロロキンが角膜上皮に吸収され、沈着するものと考えられている。その発生率は、報告者によつて異なるが、クロロキン服用者のうち、三〇・八パーセント、三三・三パーセントあるいは四一パーセントなどに認められると報告されている。しかし、角膜障害は、可逆性で、クロロキンの投与を中止することによつて後遺症を残すことなく消失する。
(右の事実は、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、その余の当事者間においては、<証拠略>によりこれを認めることができる。)
そして<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
ク網膜症の自覚症状としては、暈輪(発光体の周囲に色のついた輪がみえる。)や虹視(裸電灯の周囲に虹がみえる)あるいは霧視(眼がかすむ。)等が主なものであるが、自覚症状を訴えないことの方が多い。そして、これらの自覚症状のうち暈輪は、充血性緑内障の顕著な症状であるため、ク角膜症は、緑内障と誤診される可能性があり、現にそのように誤診されて治療を受けていた例も報告されている。
第四クロロキン網膜症(ク網膜症)
一 主要な特徴的症状
ク網膜症の主要な特徴的症状が次のようなものであることは、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、その余の当事者間においては、<証拠略>によりこれを認めることができる。
すなわち、ごく初期には、眼底の黄斑部中心窩反射の消失、黄斑部の浮腫、混濁、色素の不規則化(配列の乱れ、粗[米造]感)が現れ、さらに進行すると、黄斑部中心窩付近に色素が沈着し、その周辺部が脱色素化して逆にやや明るくなり、またさらにその周辺に色素沈着が取り囲む、いわゆる「ブルズ・アイ」と呼ばれるドーナツ様の変性を示すようになる。さらに網膜変性が進行すると、網膜全体が汚く混濁し、網膜血管は狭細化し、乳頭が蒼白化して萎縮像を示し、最も進行した場合、色素変性が網膜全体に及ぶ。眼底の変性にほぼ対応して、暗点と視野狭窄によつて視野欠損が発生する。視野変化は、まず傍中心暗点として現れ、この暗点が進行すると輪状暗点を形成する。視野変化のもう一つの型は、周辺視野の狭窄をもたらすが、この場合中心視力は最後まで比較的よく保たれる。他に色素異常や夜盲が発生する例もある。
結局、ク網膜症の主要な特徴は、黄斑部の障害、網膜血管の狭細化、これによつて引き起こされる暗点と視野狭窄による視野の欠損である。
二 ク網膜症の症状
ところで、右一の事実と<証拠略>を総合すると、次の1から6までの事実を認めることができる。
1 総説
ク網膜症の症状は、個人差が大きく、また機械的にその進行の段階を区分することもできないが、全体としては、かなり特徴的な症状を呈する疾患であるということができる。
その症状の推移について一応初期、中期、末期に分けてみると以下のとおりであるが、あくまでも典型的な症例を前提としての区分であり、各症例が機械的にこれに当てはめられるものではない。
また、視力、視野等の症状の進行についても、緩やかに進行する症例もあれば、変化の早い症例もあり、また一症例についてみても、必ずしも一定の速度で進行して行くわけではなく、長く変化がなかつた後急激に病状が進行する場合もあることは、過去の各症例の報告の検討によつて明らかに認められるところである。
病変は基本的には両側性であり、かつ対称性の変化を示すことが多いが、左眼と右眼で症状の程度や進行、型が異なる場合(例えば、視力についてかなり左右差がある場合、あるいは左右眼で視野異常の型が異なる場合)がある。
2 両眼所見といわゆるブルズ・アイ
ごく初期には、黄斑部の浮腫、混濁、色素配列の乱れ、粗[米造]感、中心窩反射の消失等がみられることが多い。
この時期の眼底所見と視力、視野との関係についてみると、眼底所見に異常があつても視力、視野は正常な場合があり、また視力、視野の異常が眼底所見に先立つて起こる場合もある。
さらに進行すると、黄斑部中心窩付近は色素沈着のため暗く(暗赤色を呈する。)、それを囲んで輪状に脱色素による明るい部分があり、さらにその周囲を色素沈着が取り囲む特徴ある所見(これを「ブルズ・アイ」あるいは「ドーナツ状眼底」等と呼ぶ。)を呈することが多い。これは、後記のようにク網膜症のみにみられる所見ではないが、この症状を呈する疾患が比較的まれであり、かつ、いずれもク網膜症との鑑別が可能であることから、他の症状と併せみることによつて、ク網膜症診断の有力な根拠となるものである。
なお、蛍光眼底撮影を行うと、眼底に内眼的所見の認められない時期でも黄斑部の暗黒部を取り巻いて輪状に蛍光漏出像を認めるといわれている。
しかし、ブルズ・アイ所見を示さず、黄斑部全体にびまん性の変性がみられることもある。
一般にブルズ・アイの時期まで(この時期を一応初期と考える。)は視力は良好であるが、視野では程度の差こそあれ、輪状暗点を認めることが多い。
さらに症状が進めば(一応中期とする。)、変性は黄斑部から周囲に広がつて行く。ク網膜症では下方の網膜がより侵されやすいため、視野では上側の欠損の方が先に現れることが多い。この時期に中心窩が侵されれば視力は急激に悪化する。
この時期になると、網膜のみならず、乳頭や血管にも病変が認められる。すなわち、乳頭は萎縮、褪色し、血管、特に動脈は狭細化することが多い。
末期では、変性は網膜全体に及び、網膜が汚く白茶けた感じとなる。乳頭の萎縮、褪色も高度となり蒼白化し、血管も極端に狭細となる。
以上は、黄斑部に病変が初発した場合の典型的な眼底所見の経過であるが、他に網膜周辺部に病変が初発する場合があり、その場合は、周辺部網膜が変性し、血管が狭細化する等の症状が最初に現れる。
ク網膜症の眼底所見のうち、動脈の狭細化については、投薬原疾患である腎炎等に基づく高血圧症からも同様の症状が現れてくるので注意を要する。しかしながら、血管の変化は、ク網膜症の場合むしろ二次的なものであり、他の症状と併せみることによつて、後記のとおり視力、視野の障害がどの疾患に基づくものであるかは十分鑑別が可能である。
なお、動脈の狭細化がク網膜症によるものか否かを鑑別する方法として、ク網膜症末期の狭細化は壁反射の亢進がなく、また一様に細くなるものであつて、管径不同を伴わないとの意見もあるが、同時に鞘状化や不規則な分節の狭窄がク網膜症の血管狭細化の特徴であるとの意見や、動脈の狭細化は血管走行全般に起こるが、時に局部的狭細もみられるとの意見もあり、動脈狭細の形状のみからこれがいずれの疾患によるものかを判別することは困難であつて、前記のように他症状との総合的判断が必要といえる。
色素斑や出血は、ク網膜症にはあまりみられない症状であるが、まれにはこれが存在することもある。
色素斑については、後極部と周辺部の間にはわずかではあるが網膜色素変性様の黒色色素斑を血管上に認めたとの報告あるいは本症における色素斑発生に言及する文献がある(一一例中五例には色素沈着が認められている。)。
また出血についても、四例中二例について、黄斑部または乳頭周辺部(特に黄斑の脱色素部)に多数の微小血管瘤様の小出血点の出現(網膜末梢血管障害によるものであろうという。)を認めたとの報告があり、ク網膜症においても血管の狭細化が顕著であることから、出血をみることもまれにあるといえる。しかし、これは投薬原疾患による高血圧症による特徴的な出血とは区別が可能である。
3 視力
初期には視力は比較的良好であることが多い。
中期になると多くは視力が低下し、〇・一以下となることが多いが、例外的に、中心窩付近がわずかでも健在であれば、比較的良好な中心視力が残存する場合がある。これは、視力がもつぱら中心窩付近の機能に依存していることに由来する。
末期になれば視力はさらに悪化し、失明することもある。しかし、きわめて例外的に、変性が眼底全体に広がつているにもかかわらず、中心窩付近のみ健在な場合には、中心視力が良好なことがある。
以上のとおり、ク網膜症の視力分布には幅があり、個人差が大きい。中心視力のみが中期、時には末期まで良好なことがあるのは、本症では黄斑部の傍中心部または周辺部が比較的障害されやすく、中心窩が侵されにくいためであるといわれている。しかし、このように中心視力の良好な場合でも、前記のように長年月の経過の後に中心窩が侵され、失明に近い状態に陥ることがまれではないので、予後は楽観できない。また、中心視力のみ残存していてもその部分の視野が極端に狭い(二ないし三度以内のものが多い。)ので、個々の文字は判読できても読書は困難となる等、生活上には支障が大きい。
4 視野
視野には、ほぼ眼底の変性に対応して欠損部分(暗点)が病症の進行につれて広がつて行く。
この視野異常の型としては、大別して輪状暗点型あるいは傍中心暗点型と周辺視野狭窄型がみられるようであるが、同一症例でこの双方がみられることもあり、機械的な分類にはなじまない。
黄斑部に病変が初発する場合の典型的な視野症状の経過をみると、初期の段階でも殆ど視野欠損があり、傍中心暗点ないし輪状暗点を認めるが、中期にはこの暗点が周辺部に拡大し、前記のとおり、上方の視野欠損の方が先に出やすいけれども、末期には暗点の拡大の結果、三日月形の視野が周辺に残存するだけの状態になつたり、あるいは中心視野のみがわずかに残存するだけの状態になつたりすることが多く、周辺視野のわずかな残存があつても、この部分の視力は非常に低いので、物をみることは困難となる。
5 その他の他覚的症状
(一) 網膜電位図(ERG)
ク網膜症においては、早期からERGの変化を認めることが多いので、診断に当たつての重要な検査法といえる。
a波、b波の減弱、律動様小波の消失、b波頂点延長等の症状がしばしば認められ、また、反応全体が病変の進行に伴い徐々に悪化し、最終的には消失してしまうことが多い。
(二) 暗順応
ク網膜症においては暗順応の障害は、比較的遅く現れるが、中期以降になるとかなりの異常を認める例も多く、特に第二次曲線の異常を認めることが多い。
かなり進行したク網膜症で、ERGの変化が強いのに光覚が良好であるとし、これを網膜色素変性症との重要な鑑別点であるとする見解があり、確かに一般論としてはそのようにいえるであろうが、ク網膜症においては、網膜色素変性症に比べて暗順応の障害の現れるのが一般的に遅いということはできるものの、そのかなり進行した状態でも光覚が良好であるとは必ずしもいえない。
(三) 色覚
ク網膜症では、中心窩が比較的末期まで障害されにくい関係上、色覚は比較的遅くまで侵されにくい。しかし、末期となれば、殆どの症例で何らかの色覚異常が認められる。
6 自覚症状
ク網膜症の自覚症状について山本覚次らは、「自覚症状の初発するものは視力障害であるが、……少し薄暗い場所、または逆光線の場合に増強してくる視力障害で眼科術語でいうと低照度視力の障害を自覚し、次いで又は同時に視野の狭窄又は欠損を訴え、やや進行したものでは夜間の行動の不自由を主訴とするようになる。」としている。
過去の日本の報告例においては、初診時の主訴として夜盲を訴えるものが最も多く、視野異常、視力障害がこれに次いでいる。
同症の患者一〇七名に対するアンケート調査の結果(回答率七五・七パーセント……八一名であり、そのうち本人が死亡しているもの、調査表の記入が不十分であつたもの六名を除いた七五名についての分析)では、視力低下、視野異常以外の自覚的眼症状(全一〇種の項目について調査)について、五〇パーセント以上が羞明、夜盲、眼精疲労、光視を、三〇パーセント以上が霧視、虹視、飛蚊、調節力障害を、二〇パーセント以上が複視をそれぞれ訴えており、患者一人当たり平均自覚症状数は四・八種類である(既に消失した症状も含む。)。
また、七八・七パーセント(五九名)が何らかの色覚の異常を訴えている。
三 ク網膜症の発症率
ク網膜症の発症する率は、報告者によつて異なるが、クロロキン製剤服用者のうち一パーセント、二パーセント、一五・四パーセント、一六パーセントなどに認められる旨の各報告がある事実は、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、その余の当事者間においては、<証拠略>によりこれを認めることができる。
右の事実と<証拠略>によれば、さらに次の事実を認めることができる。
すなわち、昭和四七、八年頃での我国におけるク網膜症の発症率については、クロロキン製剤の長期服用者中の〇・五パーセントであるとの報告もないわけではないが、右の長期服用者中の一パーセント前後とみるべきものであること、比較的短期間の服用でも発症しないと断定できないが、昭和四七、八年頃の研究結果に基づく限り、二、三週間ないしは数週間程度の使用例からは発症しておらず、仮に発症の可能性があるとみても、右程度の期間の服用による発症の蓋然性は、長期服用の場合の発症率一パーセント前後よりはるかに低いものであることが認められる。(きわめてわずかの量のきわめて短期間の服用によつてもク網膜症の発症をみるかどうかについては、次に述べる。)
四 クロロキン製剤の服用量、服用期間とク網膜症の発症との関係及び服用後同症発症までの期間
<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
外国においては、既に早くからクロロキン製剤による治療に伴う眼障害の発生が指摘されていたが、我国においても、昭和三二年には、アルヴイングらの昭和二三年の報告を引用した蔭山らの報告が、慢性エリテマトーデスについてのクロロキン治療における視力障害について言及しており、ク網膜症の発症それ自体についても昭和三七年に中野らによる報告が現れたのをはじめとして、その後にわたりクロロキン治療による眼障害についての国内報告が相次いだ。しかし、そのいわゆる服用量や服用期間とク網膜症の発症との相関関係については、正確にはわかつていないが、次のとおり報告する文献がある。
(一) 杉山尚ら(<証拠略>、昭和四一年、日本文献42)
クロロキン製剤を長期継続して服用した三七例のリウマチ性疾患患者の副作用について調査した結果、網膜障害の発生と服用期間及び年齢などには一定の相関関係はない、また、服用期間が短かければ可逆的である、としている。
(二) 荒木保子ら(<証拠略>、昭和四三年、日本文献59)
国内における従来のク網膜症の報告(総患者数一四名)をまとめた結果によると、総服用量については一二グラムから一、四三〇グラムまで幅があるが、一〇〇グラム前後ないしそれ以下でも三例が発症している。投与期間は、二か月から六年三か月までの幅があるが、一年二か月以下の投与で四例が発症している。服用開始から発症までの期間も三か月から七年までと幅があるが、六か月以下で三例が発症している。
著者らは、投与量及び期間と発症時期及び障害の軽重についての規則性は判然とせず、個人差が大きいようであると述べている。
(三) 伊藤昭一(<証拠略>、昭和四六年、日本文献92)
学会報告であるが、その中で著者は、体重当たり同程度のクロロキンを摂取した場合に、子供は大人に比して比較的短期間内(一年以内)に少量の総摂取量で、ク網膜症をきたすことがあるから、子供にクロロキンを投与する際には十分な注意を要することを米村(金沢大)が指摘した、と述べている。
(四) 中村三彦(<証拠略>、昭和四七年、日本文献96)
ク網膜症三例について報告し、クロロキン投与開始時から発症までの期間は一定せず、一例では投与終了後約二年目に視力障害を自覚した、と述べている。
(五) 四日剛太郎ら(<証拠略>、昭和四七年、日本文献98)
ク網膜症三例について報告しているが、第一例は一二歳の女子で、クロロキンを一日二五〇ミリグラム、一四〇日間、総量三五グラム服用して発症しており、著者らは、小児ではこの例のように少量のクロロキンでもク網膜症が早期に起こり得ることを指摘している。
また、第三例はクロロキンを一日六〇〇ミリグラム、半年間、総量一〇八グラム服用して発症した例である。
(六) 谷道之(<証拠略>、昭和四七年、日本文献103)
自験したク網膜症の症例の中に、クロロキン服用中止後、八か月目に初めてク網膜症が出現した症例のあつたことを報告し、また、従来の報告例を検討し、投与期間、総投与量とク網膜症の重症度、さらには機能障害の重症度との間には、必ずしも密接な関連性は認められない旨述べている。
(七) 小森谷武美ら(<証拠略>、昭和四八年、日本文献105)
クロロキンの副作用とマラリア予防薬として使用する際の注意事項とを述べたものであるが、著者らは、服用後ク網膜症発症までの期間は不定で、ほぼ三か月ないし一年以上、発症までの投与量も不定で、ほぼ三〇グラムないし一〇〇グラム以上であるとし、問題になるような副作用はマラリアの予防に用いる量(一月に約二グラム)をはるかに超える量(一日二五〇ミリグラムないし七五〇ミリグラムを毎日、一月に七・五ないし二二・四グラム)を連用した場合に起こつている、と述べている。一方、例えば総量五五グラムのリン酸クロロキンを二、三か月以内に服用すれば重い眼症状等が起こることが予想されるとして、クロロキンの服用には十分な注意を要すると警告している。
(八) 普天間稔(<証拠略>、昭和四九年、日本文献106)
順天堂大学における一〇年間の症例の分析、国内報告例の分析及び厚生省の特別研究におけるアンケート調査の結果に基づいて、ク網膜症発症までの服用期間は教室例では一年二か月ないし六年(平均四・二年)、報告例(アンケート調査を含む)では三か月ないし一〇年(平均三・四年)であり、服用量は教室例では二五〇グラムないし六五〇グラム(平均四五〇グラム)、報告例(アンケート調査を含む)では一八グラムないし一四三〇グラム(平均五〇〇グラム)である、と報告している。
著者は、結論として服用期間や量と発症率との間に一定の傾向は認められなかつた、ドース・レスポンス関係も成り立たないことがわかつた、としている。
(九) 渡辺郁緒(<証拠略>、昭和四九年、日本文献108)
国内における過去の報告例の分析であるが、発症までの服用期間については、若年者(一〇代以下)では短い傾向があるとし、また全症例の約四パーセント(四例)が一年未満に発症していることに注目すべきである、としている。さらに、報告例には非常に進行した症例も多いので、初期変化は報告例に示されているより早い時期であることは当然である、と述べ、投与量と発症までの期間との間には明確な関係はない、としている。グラフによると総服用量一〇〇グラム(クロロキン塩基に換算)未満で五、六例の発症をみているようである。
(一〇) 石川哲ら(<証拠略>、昭和五〇年、日本文献109)
中毒性眼疾患全般について述べたものであるが、最近の外国文献(ウオルシユら、一九六九年)を引用し、ク網膜症の発症には投与期間と量が大きく関係しているとし、報告例によると、投与期間では一年以内のもの九パーセント、二年以内のもの一八パーセント、六年ないし七年のもの四六パーセント、となつており、また総投与量では一〇〇グラム以下のもの四パーセント、五〇〇グラムないし六〇〇グラムのもの三三パーセントとなつていて、期間と量に応じた発症率の差がある、と述べている。
そして、前記(九)の渡辺の報告と右報告との相違(渡辺は国内報告例では過半数が四年以内に、約四パーセントが一年以内に発症しているとし、また投与量と発症までの期間との間に相関関係はない、としている。)を指摘し、その原因については人種差も問題になるのかも知れない、と述べている。
(一一) 上田泰ら(昭和四七年度厚生省特別研究――<証拠略>――一二六、一二七ページ)
クロロキンを使用した糸球体腎炎患者九五六例について副作用を調査したもので、クロロキンの使用量及び服用期間とク網膜症の発現ひん度との間に明らかな関連は認められない、としている。
(一二) 中島章ら(昭和四八年度厚生省特別研究――<証拠略>――一六三ないし一七三ページ)
以前に実施したアンケートにおいて薬剤による視覚系への副作用を経験したと報告した国内眼科医会会員八二四名を対象にアンケート調査を行つた結果の報告であり、ク網膜症については医師数四九名(回収率二三パーセント)、症例数七五例の回答に基づいている。
服用期間、服用量と発症との間に明確な関係はないとしており、統計表によると、服用期間一年未満で一〇例(一五・六パーセント)が服用量一〇〇グラム未満で四例(一三・八パーセント)が発症している(服用期間の判明しているもの六四例、服用量の判明しているもの二九例)。
また、そこには、「短期間(数週間)使用例からは発症していない。」あるいは「短期間(二――三週間)使用での発症はみられず、それ以上の期間使用したものに発症がみられるが、使用期間と発現頻度との間に直線的な関連は認められない。」とも述べられている。
(一三) 仁田正雄「眼科学」改訂第二版(昭和五二年、<証拠略>)
ク網膜症について、クロロキンの投与量一〇〇グラム、内服期間一年を超えると危険であるというが、ドース・レスポンスは判然としていないから、それ以下の量、期間でも安心はできない、と述べている。
(一四) ベーケら(一九七四年・昭和四九年・<証拠略>)
ク網膜症について、一日二五〇ミリグラム以上のクロロキンを何年も服用した患者は危険があるようであるとしながらも、時折り比較的短期間の投与及び少量の投与でもクロロキンによる障害がみられることがあり、機能低下を伴つた網膜症が発症するような普遍的、かつ、規則的な「危険」用量は提示することができない、と述べている。
(一五) シヤーベルら(一九六五年・昭和四〇年、<証拠略>)
著者らは、慢性関節リウマチ等の疾患について、クロロキン服用群四〇八例と非服用群三三三例の眼症状を比較し、服用群中二例のみに黄斑部色素沈着を認めたが、視力、視野については正常であつてク網膜症とは思われないと報告し、ク網膜症の発現は過剰投与と関連し、一日二〇〇ミリグラムないし三〇〇ミリグラムの投与で発現した従来の報告例については、これをクロロキンに対する特異体質――おそらく組織中の濃度増加により発現する――によるものであろう、としている。
(一六) コーガン(一九六五年・昭和四〇年、<証拠略>)
右(一五)の文献を引用し、ク網膜症はクロロキン一日二五〇ミリグラムを超えない投与量では、発症はまれであるかあるいはないとみてよいであろう、と述べている。
(一七) ベーケら(一九六七年・昭和四二年、<証拠略>)
自験した一七一例のクロロキン服用患者についての検討の結果の報告である。病的所見を有する患者数は一一名であつたが、著者は、ク網膜症の概念を典型的視野欠損、眼底変化及びERG所見の併存しているものだけに限定すべきだとの見地から診断を行い、右のうち一例のみをク網膜症と診断した。
著者は、一日二五〇ミリグラムを超え、長期間(数か月ないし数年)投与するのでない限り、比較的まれにしか発症しない眼障害のために、有用なクロロキン治療を打ち切らせるべきでない、としている。
(一八) マツケンジー(一九七〇年・昭和四五年、<証拠略>)
著者は、自験例及び従来の報告例におけるクロロキンの服用量を引いて、「一日体重一ポンド当たり二ミリグラムのリン酸クロロキンの服用では、危険は殆どあるいは全くない」としながらも、「閾値は、その水準を超えると網膜症の危険が増大するので超えるべきでない上限である。……この限界以下では、危険はほとんどあるいは全くない。私はこの障害閾値を最適用量ではなく、むしろ一週間でさえも超えるべきでない最高限度と考えている。」と述べている。
(一九) NND(一九七一年版・昭和四六年版、<証拠略>)
薬剤ハンドブツクのうち、抗リウマチ剤についての部分である。
リン酸クロロキンについては、慢性関節リウマチに使用して効果の認められる場合は、重篤な副作用のない限り、通常一年間続けてよいとし、眼底に変化がみられたら、直ちに投薬を中止すべきであるとする。
また、一日使用量二五〇ミリグラムを超えることは推奨できないとし、これより少ない用量で網膜損傷の起こつたこともある、としている。
(二〇) 矢野良一(昭和四八年、<証拠略>)
著者が医師会主催の昭和四六年度の医学講座において行つた講演の記録であり、慢性関節リウマチに対し、クロロキンを一日三〇〇ミリグラム以下、半年使用一か月休薬を繰り返し数年使用してよい、としている。
(二一) アメリカ・リウマチ協会編「リウマチ入門」第七版(一九七三年・昭和四八年、<証拠略>)
慢性関節リウマチについて、全身及び関節にしつような苦痛が続く患者の場合には、医師は、一日当たり一錠のクロロキンまたはヒドロキシクロロキン(それぞれ二五〇ミリグラムと二〇〇ミリグラム)を処方してよいが、その量を超えてはならないとし、また、その効果を評価するのに少なくとも四ないし六週間は必要である、としている。そして、この使用量では眼への合併症はまれであるとしながらも、三ないし六か月ごとの十分な眼科的検査が必須である、と述べている。
(二二) ジンら(一九七五年・昭和五〇年、<証拠略>)
キノリン類及びフエノチアジン類の網膜色素上皮に対する毒作用について一般的に記述したもので、クロロキンについては、総投与量三〇〇グラム未満の患者については網膜症例の報告は殆どないし、総投与量が一〇〇グラム未満の患者についてはただ一件の症例が報告されているにすぎない、としている。
(二三) ロロ(一九七五年・昭和五〇年、<証拠略>)
医薬品の副作用についての解説中、抗マラリア剤についての部分であつて、一日二五〇ミリグラム未満の投与ではク網膜症の発症は報告されていないとし、一九六四年から一九七一年までの間の四〇〇症例を観察したある研究では三八例のク網膜症がみられたが、治療期間一年、総服用量一〇〇グラム以下での発症例はなかつた、としている。
(二四) ユルマンら(一九七六年・昭和五一年、<証拠略>)
著者らは、クロロキン療法を受けたことがある慢性関節リウマチ患者二七〇例について検査を行つたが、ク網膜症患者はそのうち大量投与を受けた七四歳の婦人一例のみであつたとして、年間一〇か月、一日二五〇ミリグラムの用量を超えず、患者が五〇歳以下で網膜に影響する何らかの疾患を患つていなければ、クロロキンが網膜障害を引き起こす危険性は、長期治療においてすら僅少ないし皆無であろう、としている。
一方、著者は、黄斑部のわずかな変性は黄斑症という概念に含まれ、ク網膜症とは区別すべきものと考えているが、視力の減退を伴つた黄斑症のひん度は服用量一〇〇グラム以下の群で二パーセント、六〇〇グラム以上の群では一七パーセントであつて、服用量の増加に伴つて増加し、総計二〇例であつたこと、これらのうち一五例について悪い方の眼の中心視力は〇・六以下であつたことを報告している。
(二五) WHO「国際旅行者へのマラリアの危険に関する情報」(一九七六年・昭和五一年、<証拠略>)
ク網膜症発症の危険は、クロロキンの総服用量が塩基として一〇〇グラムを超えた場合に生じるものと考えられている、と述べている。
(二六) サムズ(一九七六年・昭和五一年、<証拠略>)
著者は、一般に、クロロキンの投与期間が一年以下で、総投与量が一〇〇グラム以下の場合には、ク網膜症発症の危険は極小か存在さえしないだろうとし、二、三の例外を除き、報告例の大部分は、総量約三〇〇グラム以上のクロロキンを三年以上にわたつて投与されたものである、としている。
(二七) マークスら(一九七九年・昭和五四年、<証拠略>)
著者らは、クロロキン治療を受けている二二二例のリウマチ性疾患患者を観察し、このうち二二名の患者はク網膜症と考えられ投与を中止されたが、そのうち一名に視力、視野の低下をみたのみであつたこと、この患者は一日平均六〇〇ミリグラム、総服用量九九〇グラムの大量投与を受けていたことを報告し、クロロキン治療による眼障害の危険性は低い、としている。
ところで右の各文献中には、クロロキンの服用量について安全限界値が存在することを示すかのような記載をしているものもあるけれども、そのうちのあるものは、結局いずれも自験した限られた症例の観察に基づいて安全量を設定しているにすぎず、右の安全量が普遍的な妥当性をもつことについての確たる根拠を示しているわけではなく、また、あるものは、ク網膜症の概念を後記の今日多数の医師によつて採用されている共通の見解より狭く解釈している嫌いがあるとの批判を免れず、さらにあるものは、安全量設定について特にその根拠を示していないし、なかには眼科医の手になるものではない等、必ずしも安全量を合理的な根拠をもつて提示したものとは評価し難いのである。
さらに、ある文献は、総投与量一〇〇グラム未満の患者についての症例報告が一件しか発見できなかつたことを、あるものは四〇〇症例を観察したある研究において服用期間一年、総服用量一〇〇グラム以下での発症がなかつたことをそれぞれ報告しているが、積極的に安全量を提示したものではないとみられるし、なかには、自験例では大量投与を受けた一名のみにク網膜症の発症をみたことを報告し、クロロキンによる眼障害の危険性はないとしているにすぎないものもあるが、これもむしろクロロキン使用の際の危険量を示したものであつて、右の量以下での使用が安全であることを示すものとはいい難く、このような趣旨の文献は、右に個別に掲げたもののほかにも少なくないし、一定の短い観察期間だけから、将来にわたつても発症の可能性がないとすることは、以上の各文献を総合してみる限り、到底できないのである。
なお、<証拠略>によれば、一、二例(例えば前記の小児の例)を除き、ク網膜症の発症までには、一年を越え約八年にもわたる服用が続けられている例、その服用量もレゾヒン一日二五〇ミリグラムから五〇〇ミリグラム、クロロキン一日三〇〇ミリグラムから九〇〇ミリグラム、エレストール一日六錠、キドラ一日六錠、CQC一日九錠から一二錠という例が多いと報告するもののあることが認められる。
しかしながら、そのような例があるからといつて、右のような長期間、大量の場合でなければ、クロロキン製剤の服用によるク網膜症の発症はない、ともいいきれない。
他方また、<証拠略>によれば、文献中には、キドラ、オロチン酸クロロキン、リン酸クロロキン、クロロキン・オロテートを一日一錠から三錠、一日当たり二五〇ミリグラムないし五〇〇ミリグラム服用した多くの事例について、投与及び観察期間の最短は二日間から一年二か月にわたつていることについて報告しているものがあること、そして同時に右文献中においてはク網膜症の発症をみたとの報告はなされていないことが認められる。
しかし、右の事実も未だクロロキン製剤は、これを長期間、大量に服用することがなければ、ク網膜症の発症を招来するものではないことの証左とするに足りないものである。
次に、<証拠略>によれば、外国文献中にはクロロキン製剤の服用期間一年以下、服用量一〇〇グラム以下の服用では、ク網膜症の発症はないか、殆どなく、また、一日体重一ポンド当たり、二ミリグラム以下の投与ではク網膜症発症の危険は殆どあるいは全くないし、一日五〇〇ミリグラムの用量レベルでク網膜症を発症した例はあるが服用の総量は九〇グラムが最少であること、二ないし三年間のクロロキン製剤の服用でク網膜症を発症した例はあるが、七か月未満のクロロキン製剤の服用でク網膜症を発症した例はないこと、クロロキン製剤は、一日二五〇ミリグラムを超えず、かつ、長期にわたつて服用するのでない限り、ク網膜症発症の危険はないこと、クロロキン製剤の服用量一日量一〇〇ミリグラムないし三〇〇ミリグラムでク網膜症を発症した少数の例は特異体質であろうこと、クロロキン製剤を三年間にわたつて総量三〇〇グラムを服用したことによりク網膜症を発症した例があること、クロロキン製剤は、塩基一〇〇グラム以上の投与によりク網膜症を発症する危険性があること、クロロキン一日量二五〇ミリグラムの服用ならば、ク網膜症の発症はないかきわめてまれであること、クロロキン製剤は一日量二五〇ミリグラムの服用でも、何年もの服用においては注意を要すること、一年から二年を超えてクロロキン製剤の大量投与をすると永久的網膜損傷を生ずること、ク網膜症はクロロキン製剤の高用量による長期治療で発症すること、ク網膜症の大部分は、一日五〇〇ミリグラム以上のクロロキン製剤の服用で発症しており、その一日二五〇ミリグラムの服用では発症していないし、その投与期間については、七か月より短かければ発症していない、また、クロロキン製剤の一年間未満、線投与量一〇〇グラムの投与では、ク網膜症は発症しないようであること、一月から四か月間のクロロキン製剤の投与でク網膜症の発症をみていない例があること、四年間のクロロキン製剤の投与でク網膜症の発症をみていない例があること、クロロキン塩基〇・五グラム一日一回七七日間の投与、同一日二回各〇・一グラムあるいは〇・二グラムの七七日間投与、一日一回〇・五グラムの一年間投与ではク網膜症の発症をみなかつたこと、一日〇・二五グラム一〇か月間すなわち年間七〇グラムから七五グラムのクロロキン製剤の投与ならば、ク網膜症の発症は僅少か皆無であること、クロロキン製剤の投与は、少量長期間の投与より大量短期間の投与の方が危険性は大きく、体重一ポンド当たり二ミリグラムを超えてはいけないこと、アラーレン一日二五〇ミリグラムを八か月から三年間にわたつて投与したがク網膜症の発症をみていない例があること、クロロキン〇・五グラム週三回を六か月間にわたつて投与したが発症しなかつた例があること、クロロキン一日当たり二〇〇ミリグラムから三〇〇ミリグラムを一六週から二年間にわたり投与したが、ク網膜症の発症をみていない例があること、クロロキン一日一ないし三回にわたり各〇・二五グラムを六か月間にわたり投与したが、ク網膜症の発症しなかつた例があること等がそれぞれ報告されていることが認められる。
しかし、右の事実は、外国における事例に関するものであるから、人種の差異や個人差の存在を考慮すれば、我国の場合も外国における右の事例の場合と同様であるとはいいきれないものである。したがつて右の事実から、クロロキン製剤は、これを長期間(例えば一年以上にわたり)、大量(例えば塩基に換算して一〇〇グラム以上)を服用することがなければ、ク網膜症の発症をみることはないとすることはできず、かえつて、前記認定のとおり、我国での報告からすれば、昭和四七、八年頃においては、二、三週間ないし数週間程度の間のクロロキン製剤の服用例からはク網膜症の発症はないものと一応み得るにすぎないし、また、マラリアの治療のため程度の短期間少量のクロロキン製剤の服用によつては、ク網膜症の発症をみないということができるにとどまるものであり、いわゆるドース・レスポンスは明らかではないものの、クロロキン製剤の服用期間が長くなればなる程、またその服用が総量として多量になればなる程、ク網膜症発症の蓋然性は高くなる、と一般的にみることまでが否定されるわけではないといえよう。
そこで、次に、前記のとおり、クロロキンが第二次世界大戦中にアメリカにおいて抗マラリア剤として再発見され、アメリカ、西ドイツで医薬品として開発されたものであること、西ドイツでは、ドイツ・バイエル社がリン酸クロロキン、商品名レゾヒンを一九四九年(昭和二四年)に抗マラリア剤として発売したこと、またアメリカでは、スターリング社がリン酸クロロキン、商品名アラーレンにつき、一九四六年(昭和二一年)八月一五日抗マラリア剤としてFDAの承認を得たこと、我国でも、リン酸クロロキンが抗マラリアの効能がある医薬品として使用されてきたことにかんがみ、錠剤型のクロロキン製剤がマラリアの治療ないし予防のためにどの程度投与されるものかの点についてみると、<証拠略>によれば、レゾヒンは、抗マラリア剤として使用する場合には、成人第一日六錠、第二日四錠の計一〇錠を二ないし三回に分服し、小児は年齢に応じ適宜減量するものであり、マラリア再発患者は一日四錠の服用によつて発作を抑制することができ、予防には、一週間二錠宛毎週一定の曜日に服用するが、初めて服用する場合には、最初の一週間のみ倍量の四錠を服用するものであることが認められる。
さらに、<証拠略>によれば、英、米においては、マラリア治療のためには、リン酸クロロキンを成人につき初回用量一グラム、以後一日五〇〇ミリグラム、抑制のためには、同剤を成人につき一週一回五〇〇ミリグラム同一曜日に服用し、あるいはマラリアの治療のためにはリン酸クロロキンを三日間で総量二・五グラム(塩基一・五グラム)を投与する建前であることが認められる。
また、<証拠略>によれば、我国においても、昭和三〇年から昭和四六年にかけて、リン酸クロロキンの常用量は、一回〇・二五グラム、一日〇・五グラムであるとされ、抗マラリア薬として第一日一・五グラム、第二日一・〇グラムを、またその予防には一週〇・五グラム宛服用することとされていることが認められる。
以上によれば、抗マラリア薬として、クロロキン製剤は、マラリア治療に関する限り、きわめて短期間、少量にすぎないものであることが明らかである。しかし、<証拠略>によれば、マラリア予防のためにではあつても、マラリア流行地に一年間滞在すると、週一回〇・五グラムのリン酸クロロキンを服用するとして、一年間では計二六グラムとなるから、二年間の滞在ならば、結局総量五二グラムを服用することになり、手放しで安心できるものではなく、マラリア予防のため、きわめて長期にわたり規則的にクロロキンを服用する場合には、網膜症の危険を伴うこと、昭和五一年のW・H・O「国際旅行者へのマラリアの危険に関する情報」には、先に述べた、「右の危険は、クロロキンの総服用量が塩基として一〇〇グラムを超えた場合に生ずるものと考えられており、この量は、その一日量にもよるが、成人の継続的予防においては、二年半ないし三年半の服用量にほぼ相当する。」と記載されていることが認められるのであつて、右によれば、マラリア予防のためのクロロキン製剤の服用については、それがマラリア治療の場合のようにきわめて短期間、少量にとどまると限つたものではないところから、常にク網膜症発症の危険がない、とはいいきれないものであることがわかる。
以上までに述べたところと<証拠略>を総合すると、クロロキンの服用量の多寡及び服用期間の長短とク網膜症の発症との間には相関関係の有無が明らかでなく、せいぜいマラリアの治療のための短期間、少量の服用によつてはク網膜症は発症せず、したがつて右の程度であれば安全であるといえるのみであつて、それ以外の場合、例えば総量で大量の服用となる場合すなわち一日量では少量であつても長期連用にわたる場合、あるいは短期間ではあつても一日量として大量を服用するような場合の安全限界値は明らかでないこと、しかし、服用量において塩基一〇〇グラムを超え、かつ、その服用期間が一年を超えた場合にはク網膜症発症の危険性は著しく高いとみられていること、特に我国では外国に比較すると少量の服用で発症している例が多く、その原因については人種差も問題となり得ること、また、小児は成人より少量、短期間の服用でク網膜症が発症する可能性があること、服用後発症までの期間は一定せず、服用開始後一年未満で発症する例がある一方、服用を中止してから数年を経て発症する例もあり、個人差が大きく、短期間の少数例の観察だけからたやすく結論を得ることは困難であること、これを要するに、結局クロロキン製剤は、一日量もしくは総量において大量を服用した場合、特に長期にわたり服用を続けた場合には、ク網膜症発症についてのきわめて高度の蓋然性があること、マラリア治療程度の一日量少量、短期間の服用にとどまるのであれば、ク網膜症発症の危険性はないが、一日量少量でも長期間の投与であれば(例えばマラリア予防のための投与)危険性がないとはいいきれず、また、短期間でも大量の投与(一日量として大量の場合と総量において大量に達する場合がある。)となる場合には、これまた危険性がないとはいいきれず、具体的には個人差や人種差、生活環境の差等も考慮に入れられなければならないことが認められる。
五 ク網膜症の発見法
<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
後記のように、ク網膜症は、少なくともある程度病変が進行したものでは不可逆的であり、かつ、現在においても有効な治療方法が確立されていないため、眼底所見、視力、視野等に明らかな異常がみられるようになる前にこれを発見するための眼科的検査方法が早くから研究され始め、ERG(網膜電位図)やEOG(眼球電位図)等の光刺激に関連して起こる電気現象の検査、各種の色覚検査、蛍光眼底撮影、赤色光使用による網膜感度の測定等、種々の検査法が内外多数の研究者によつて試みられてきたが、いずれの方法も未だ十分な成果を収めておらず、今なおク網膜症の早期発見、すなわち視力低下等の自覚症状が発現する前に網膜変性を発見することは、非常に困難であるとされている。
六 ク角膜症とク網膜症との関係
<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
ク角膜症とク網膜症との関係については、前者が後者の前駆症状であるというような関係はなく、前者と後者の発症の間に相関関係があるとされていない。しかしながら、ク網膜症とク角膜症が同一の患者に併存することはク網膜症の早期段階においても進行した段階においてもあり得る(ただし、ク角膜症の発症率はク網膜症のそれよりはるかに高く、クロロキン投与患者のほぼ三〇パーセントから四〇パーセントに認められると報告されており、また、きわめて少量、かつ、短期間の服用により発症が可能であり、一〇六例のリウマチ患者を観察した木村千仭らの報告によると、五グラム以下の服用で一五・八パーセントの患者に、四週以下の服用で二二・七パーセントの患者にそれぞれ角膜障害が認められたという。)。とすれば、ク角膜症発症の段階でクロロキン製剤の使用を中止することは、ク角膜症の予防のための端緒をつかむという観点において、全く無意味であるとはいいきれないから、ク網膜症の早期発見のための検眼等も、その限度で、無意味なこととは考えられない。したがつて、多くの文献において著者が眼の定期的検査を推奨していることには留意すべきものがないわけではなく、ク網膜症の診断を下すに当たり、その患者に以前にク角膜症が存在した事実を、病変とクロロキン製剤との関係を推認させる一つの資料とみることができなくはない。また、眼底検査は後記の各網膜疾患とク網膜症の鑑別及び認定について重要である。
七 ク網膜症の病理及び発症機序
ク網膜症は、進行すると失明もしくは失明に近い状態となり、クロロキン服用中止後半年以上経過した後に発症した例や一度ク網膜症に罹患するとクロロキンの服用を中止しても進行する旨の報告もあること、原因として、一説では、クロロキンが眼のメラニン系に長期にわたり特異的に蓄積し、溶出が緩慢であること、クロロキンが網膜色素細胞のメラニン色素に親和性を有し、そこでの蛋白合成を阻害することによるといわれていることは、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、その余の当事者間においては、<証拠略>によりこれを認めることができる。
右の事実に<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
動物実験では、クロロキンの投与により、まず色素上皮細胞の著しい腫脹及び網膜内層への移動と細胞内に多くの層状構造物や油滴状顆粒の出現がみられ、次いで杆体、錐体の変性をきたす。網膜内層の変化は外層に比し軽度で時期も遅い。なお、有色種の方が無色種より網膜変性を起こしやすく、起こす時期も早い。
ヒトの網膜の剖検では、色素が網膜外層へ移動し、外顆粒層、外網状層に色素含有細胞の蓄積がみられ、杆体、錐体が変性している。
外網膜症の発症の機序については、クロロキンがメラニンと著しい親和性を有することから、クロロキン服用により第一にクロロキンが網膜色素上皮のメラニンと結合して色素上皮細胞の代謝を阻害し、その結果、続いて杆体、錐体も破壊されるとの説、クロロキンはメラニンと結合し、生体内特に網膜色素上皮で、紫外線あるいは近紫外線の存在下において、チオール基を持つ酵素群と反応しその活性を低下させることにより、細胞変性をきたすとの説等があるが、一方、クロロキンとメラニンとの結合はク網膜症の第一次的原因ではなく、むしろクロロキンの蛋白合成阻害あるいは種々の酵素、核酸反応阻害等の作用が重要であるとする説、第一次的な変性部位についても、網膜色素上皮ではなく、視細胞であるとする説等も存在し、未だ定説が確立するにはいたつていない。
八 ク網膜症の予後
<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
ク網膜症の予後については、まれには視力、視野にやや改善をみたとの報告あるいは視力にやや改善をみた(ただし、視野は全例において悪化している。)との報告もみられるが、多数の例においては予後は非常に悪く、特に、やや視力等に改善をみたとの右報告の例も長期観察の結果によるものではなく、その後の症状の推移については改善の方向に向かうよりもむしろ不可逆であつてその速度こそいろいろではあつても悪化の方向に向かう進行性のものである。
特に、ホツブスとカルナンは、その昭和三三年の論文(外国文献5)において、エリテマトーデスの治療に関わるクロロキン投与の際の眼症状の一時的でない状態に注意を向け、また、シユテルンベルグの報告(外国文献8)、ホツブス、ソルズビー、フリードマンの論文(外国文献10)及びフルドの書簡(外国文献11)は、既に昭和三四年当時ク網膜症が不可逆的な疾患であることを示唆している。この不可逆性の原因については、クロロキンが組織中に高濃度で、しかも長期にわたつて存在することとの関係が示唆され、ただ、病変のごく初期で自覚症状のまだない段階においては投薬中止により病変が消失したとの報告もあるが、一方右の段階で投薬を中止しても病症が進行したとの報告もあり、投薬を中止すれば病症が改善するものとはいいきれず、ましてその明確な段階を特定することはできない。いずれにしても、前記のとおりク網膜症の早期発見が非常に困難であり、かつ、前記のようにマラリア治療の場合を除き、安全限界値を提示することが不可能であるうえ、明らかな他覚、自覚症状の現れた段階では既に病変は不可逆的であり、しかも病症は進行性であることからすれば、たとえ定期的な眼検査を行つていても、病変の進行を阻止し、あるいは改善することができるとは限らないものとせざるを得ない。
また、病変の進行の経過については個人差があり、一定の傾向はないが、六年以上の経過観察を行つた六例について、服用中止後六年以上の後一二眼中七眼で中心視力が急激に低下したこと、視野についても半数以上の例でこれとほぼ時期を同じくして中心の残存視野が失われ、輪状暗点から巨大な中心暗点に移行したことも報告され、このことにつき「従来、クロロキンに侵されにくく、2~3度と小さいながらも視野を残し、視力も保たれると考えられていた中心窩の錐体も、六年以上を経過した後、ついには、抵抗性を失い、失明状態に陥る傾向が見られた。」として、中心視力の残存しているク網膜症患者の予後も楽観はできないとの意見が述べられているほか、ある報告においては、長期経過観察を行つた一一例中六例で投薬中止後も病症の進行、悪化が認められたこと、またブルズ・アイの時期を超えて、なお投薬の続けられた症例では、例外なく投薬中止後も病症が進行したことが報告され、この時期を超えて投薬が続けられると、投薬を中止しても変性の進行性が強く、しばしば失明にいたる程予後は不良となるとして、網膜症の早期発見の重要性がいわれている。要するにク網膜症は、投薬中止後もその速度に程度の差はあるとしても長期にわたつて進行する、不可逆性の、重症例では失明にいたることさえまれではない重篤な眼障害である。
九 ク網膜症の治療法
ク網膜症に対する有効な治療法が現在でも知られていないことは原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、その余の当事者間においては、<証拠略>によりこれを認めることができる。
右事実と<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
ク網膜症の治療については、早くも一九六三年(昭和三八年)にルービンらが塩化アンモニウムの投与(クロロキンの体内からの排せつの促進)及びブリテイツシユ・アンチルイサイト(BAL)の投与(クロロキンを組織結合から分離させる目的)を提案しており、その後末梢血管拡張剤の使用等も試みられているが、その効果には疑問があり、結局現在もなお有効な治療法は知られいない。これはいつたん破壊された視細胞(杆体、錐体)、神経節細胞、双極細胞等の網膜の神経細胞の再生が困難であることに起因するものと考えられている。
第二節原告患者らのク網膜症罹患
第一ク網膜症と類似疾患との鑑別
一 総説
原告患者らがク網膜症に罹患した事実については、被告微風会が対応する原告岩崎春喜(世帯番号42)の罹患事実を認めているのを唯一の例外として、その余の被告らは、その対応するすべての原告患者らにつきク網膜症罹患の事実を争つており、時としては、網膜色素変性症、腎性網膜症その他の病名を挙げて、原告患者らの眼障害が右の疾患によるものと主張し、ク網膜症とこれらの疾患との鑑別の必要性を強調し、また、原告患者らがク網膜症に罹患していると認められる場合であつても、同時にこれらの他種疾患が競合していることもあるとして、眼障害に対するこれら疾患の寄与の割合を考慮することの必要性を主張している。
そこで、以下、視覚に障害をきたす主要な他の疾患につき、その病像とク網膜症の病像との主な相違点及び両者の鑑別について検討することとする。
二 網膜色素変性症
1 概説
<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
内外の文献によつて、ク網膜症と病像が酷似していて、これと最もまぎらわしい疾患とされているのが、網膜色素変性症である。同症は遺伝性の疾患であり、劣性遺伝によるものが多いが、まれには優性遺伝によるものもある。
身長わい小、難聴、ろうあ、精神薄弱、肥満、性器発育不全等等のほか遺伝性・変性疾患を合併していることが少なくない(一説によれば、同症の患者の約半数は身長がわい小であるという。)
発症のひん度については、日本においては三、四〇〇人から八、〇〇〇人に一人ないしそれ以下といわれている。
初発症状で、しかも特徴的な症状は夜盲であり、一〇歳頃に自覚するものが多い。
視野は、最初は輪状暗点を示すことが多く、次いでこれが内外方へ拡大し、高度の求心性視野狭窄となる。しかし、中心視力は比較的長く良好に保たれることが多い。
ERGには初期から異常が現れ、ある程度病状が進行すると消失する。
眼底所見では、乳頭は黄色萎縮を示し(視神経萎縮)、動脈は細く、赤道部は緑色調や青色調等を帯び、周辺部にかけて多数の骨小体様の黒色色素斑が表在性に現れ、血管に付着しているものがみられるのを特徴とする。
このような網膜の変性は赤道部に初発し、やがて周辺部や中心部へ進展して行くのが通常である。
色素斑の発生のない無色素性の場合もあるが、これも長い経過中には徐々に色素の発生をみることが多い。
組織学的には、変性は杆体と色素上皮に始まり、やがて錐体と脈絡膜に及ぶ。
症状の進行は一般にきわめて緩徐であり、約三〇ないし四〇年の経過をもつて進行することが多い。しかし、進行度には個人差があつて一概にはいえず、四〇ないし五〇歳代で失明またはこれに近い重篤な視覚障害をきたす例が多いが、なかには晩年まで比較的良好な視機能を保持する例もある。
2 文献
ク網膜症と網膜色素変性症との差異、鑑別について、次の各文献等には、それぞれ次の要旨の記述があるほか、右1のとおり認めるに十分な記述がなされている。
すなわち、
(一) オークンらは、ク網膜症は網膜色素変性症に比し、
(1) 暗点がより中心性である、
(2) 暗順応はク網膜症では後期に侵される、
(3) ERGでは錐体の喪失の方が杆体のそれより大きい、
(4) 周辺に色素変性が出るのが非常に遅い、
と述べている。
(二) ウエツターホルムら(外国文献40)は、色素顆粒の存在部位が異なり、網膜色素変性症では色素顆粒は血管の周囲や内膜層に集積する傾向があるのに対し、ク網膜症においては外網膜層にとどまる傾向があるとしている。
(三) ベルンシユタイン(外国文献43)は、ク網膜症でも色素斑がみられることはあるが、網膜色素変性症に特有な、大きくまたは広範囲な骨小体様の色素斑はク網膜症ではみられず、また組織学的にもク網膜症では色素移動は内顆粒層を超えて広がつてはおらず、血管周囲の色素蓄積もないことを指摘している。
(四) 武尾喜久代ら(日本文献18)は、前記のオークンらの所説を引用し、また、自験例においてクロロキンによる角膜混濁があつたことを一つの鑑別のよりどころにしたと述べている。
(五) 吉川太刀夫(日本文献84)は、ク網膜症では網膜に骨小体様の色素沈着をきたしたという報告はないとしつつも、ベルンシユタインが昭和四三年の文献において発病後五、六年するとク網膜症でも骨小体様の色素沈着が起こつてくる可能性があると述べているとしている。
(六) 柳沢仍子ら(日本文献85)は、進行したク網膜症は網膜色素変性症にかなり近い所見を呈するが、前者では骨小体様の色素斑がみられることはないとする(自験例でもごま塩状の異常色素沈着は認めたという。)。
(七) 中島章ら(日本文献102)は、ク網膜症でも網膜、特に黄斑部に色素斑が現れるが、網膜色素変性症のように血管に沿つてはつきりした色素斑を形成することはない、という。
(八) 窪田靖夫(<証拠略>)は、網膜色素変性症では初期においても黄斑部の輪状混濁やブルズ・アイは決してみられないとし、またク網膜症の末期でも網膜色素変性症との鑑別は困難ではない、すなわち、ク網膜症では骨小体様の色素出現はなく、色素出現はあつても、後極部に淡褐色の色素が不規則にわずかに出現するのみである、という。
また、ク網膜症でしばしば認められるa、b波減弱、律動様小波消失、b波頂点延長等のタイプのERGは網膜色素変性症ではきわめてまれであること、ク網膜症ではかなり進んだ段階にいたるまで光覚が比較的良く保たれているのに、網膜色素変性症では初期から光覚が高度に侵されることが多いことを指摘している。
(九) 小沢哲磨ら(<証拠略>)は、ク網膜症では、ERG反応が強く侵されているにもかかわらず、暗順応の機能が比較的よいことを指摘し、この点が網膜色素変性症との鑑別に有用である、という。
また、無色素性網膜色素変性症の患者がクロロキンを服用しク網膜症を合併するにいたつた自験例について述べ、一般に網膜色素変性症では、黄斑部は最後まで障害されることは少なく、高度の視野狭窄になつても視力は比較的良好に保たれているのに、本症例では、まだ骨小体状の色素が多数には集合してない病期にあるにもかかわらず、黄斑部の異常が著しく、これに対応してクロロキン内服後視力が低下していることを指摘し、「本症例の場合のように(ク網膜症が)網膜色素変性症と合併した場合においても、その鑑別は、異なつた臨床単位のものとして分離が可能なように思われる。」と結んでいる。
3 結論
右1、2の各事実と<証拠略>によれば、ク網膜症と網膜色素変性症の鑑別については、次のとおり認めることができる。
眼底所見は、初期においては相当に異なるが、かなり進行した症例では、両者は類似した所見を呈することもある。その場合、網膜色素変性症の特徴である骨小体様の色素斑が多数出現し、血管に付着しているものがみられるとの病像がク網膜症では通常みられないことが、両者を識別する大きな鑑別点となる。
組織学的にみると、網膜色素変性症ではより外層にとどまる傾向があり、内顆粒層を超えての色素移動はない。
その他の所見では、ERGにつき、ク網膜症においてしばしば認められるa、b波減弱、律動様小波消失、b波頂点延長等の所見は網膜色素変性症ではきわめてまれであること、ク網膜症ではかなり進んだ段階(この段階ではERGは強く侵されることが多い。)になるまで光覚(暗順応)は比較的良好であるが、網膜色素変性症では早期に光覚が強く侵されることが重要な相違点である。
その他、症状の一般的経過、進行、遺伝性・変性疾患との合併の有無、発病の時期、初発症状、クロロキン内服と症状の関係等の総合判断も必要である。
また、無色素性の網膜色素変性症との鑑別も、色素斑以外の点の鑑別により可能である。
なお、オークンらは、前記のとおり、ク網膜症では暗点がより中心性であるとの点を鑑別点として挙げているが、この点については、前記のようにク網膜症においても周辺視野狭窄を視野異常の主症状とすることがあり得るので、これを鑑別点として掲げるのは妥当ではなく、他の文献も視野の点には殆ど触れていない。
三 ブルズ・アイを呈する他疾患
<証拠略>によると、次の事実を認めることができる。
ブルズ・アイはク網膜症のみにみられる症状ではなく、他の多くの眼疾患においてもみられることがある(ボネは、「この概念は、しばしば、黄斑部色素上皮のびまん性疾患の初期段階を捕らえるものにすぎない。」という。)。
したがつて、ブルズ・アイが眼底に認められたというだけでは、ク網膜症の診断を下すことはできない。
ブルズ・アイが認められたことが報告されている他の疾患には、スターガルト病、錐体ジストロフイー等の遺伝性疾患が多いが、老人性黄斑部変性、眼底黄斑症等の後天性の網膜変性症でもみられることがある。遺伝性疾患の場合には、家族にも何らかの眼障害が認められることが多い。
しかしながら、これらの眼疾患とク網膜症とは、ブルズ・アイがみられることがあるという点を除いては臨床像が明らかに異なるので、他の所見を加えて判断すれば鑑別は困難ではない。
したがつて、前記のごとく、ブルズ・アイが認められたということだけからク網膜症との診断を下すことはできないが、同様に、ブルズ・アイが認められたということだけからク網膜症以外の疾患であるとの診断を下すこともできない筋合であつて、他の所見と併せて総合的に判断する必要がある。
四 高血圧に関係する網膜症
<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 総説
高血圧に関係ある眼底病変は、高血圧性網膜症、動脈硬化性網膜症、腎性網膜症(以上はいずれも慢性腎炎にみられ得るものである。)、全身性エリテマトーデスに起因する網膜症等種々のものがあり、その概念についても未だ十分な見解の統一をみていない。
要するに、高血圧に関係する網膜症を、本態性高血圧に起因するものと、各種の疾患(例えば腎炎)を原因とする二次性高血圧に起因するものとに分けているのが現状であり、その病像は程度の差こそあれかなり似かよつたところがある。
(これらの疾患のうち、被告らによつて本件原告患者らの眼障害の原因である旨具体的に主張されているのは、腎性網膜症及び(悪性)高血圧性網膜症であるが、腎性網膜症の主張が大部分であり、高血圧性網膜症のみの主張は多くはない。また「腎性ないし高血圧性網膜症」という包括的主張も多いので、一応慢性腎炎においてみられ得る網膜症の主要なものである右の三疾患の病像について検討する。なお、エリテマトーデスに起因する網膜症については、特定の原告患者らについての具体的主張はない。)
2 高血圧性網膜症と悪性高血圧性網膜症
前者は次に掲げるキース・ワグナー分類のIIIないしIV群、次に掲げるシヤイエ分類の高血圧性変化三ないし四度、硬化性変化二ないし四度に相当するものであり、後者はこれに乳頭浮腫の加わつたもの(キース・ワグナー分類のIV群相当)である。
自覚症状は初期には殆どなく、眼底検査で偶然に発見されることが多い。ただし、黄斑部に病変が初発すれば最初から視力障害を訴える。後期では眼底所見は広汎となり、これに伴つて種種の視力障害を訴える。
悪性高血圧性網膜症は比較的若年者、中年者に多くみられ、高齢者にはまれである。その予後はきわめて悪く、一年内に八〇ないし一〇〇パーセントが死亡するという。
キース・ワグナー分類
群別
眼底所見
I
網膜動脈に軽度の狭細(または硬化)を認める。
II
網膜動脈に中等度ないし著明なる硬化を認め、特に動脈血柱反射の増強と動、静脈交差現象を特徴とする。
III
網膜の浮腫・綿屑状白斑及び出血を特徴とする血管れん縮性網膜炎が、動脈のれん縮並びに硬化所見に加わる。
IV
III群の所見に加えて視束乳頭に明らかな(計測可能の)浮腫が加わる。
シヤイエ分類
硬化性変化
高血圧性変化
一度
動脈血柱反射が増強している。
軽度の動静脈交差現象がみられる。
網膜動脈系に軽度のびまん性狭細化をみるが口径不同は明らかでない。
動脈の第二分岐以下では時に高度の狭細化もありうる。
二度
動脈血柱反射の高度増強があり、動静脈交差現象は中等度となる。
網膜動脈のびまん性狭窄は軽度または高度。
これに加えて明白な限局性狭細も加わつて、口径不同を示す。
三度
銅線動脈、すなわち血柱反射増強に加え、色調と輝きも変化して銅線状となる。動静脈交差現象は高度となる。
動脈の狭細と口径不同はさらに著明(高度)となつて、糸のようにみえる。
網膜面に出血と白斑のいずれか一方あるいは両方が現れる。(注意)
四度
血柱の外観は銀線状(銀線動脈)ときには白線状になる。
第三度の所見に加えて、種々な程度の乳頭浮腫がみられる。
注意 通常出血と白斑の両方が現れた場合を三度とする。ただし、動脈の狭細が著しいときは出血のみでも三度と判定する。
なお、高血圧症における高血圧性眼底の発見ひん度は一般にきわめて高く、血圧亢進者の大多数(八〇ないし九〇パーセント)にみられるが、その大半はほぼキース・ワグナー分類のIないしII群に相当するものであつて、この眼底を高血圧性眼底と呼んでいる。
すなわち、高血圧があり、血管系の変化(硬化、狭細、口径不同、側線)があり、網膜面に出血、硬性白斑及び静脈〔枝〕閉塞に基づく軟性白斑等を認めても、動脈の著しい狭細、網膜浮腫、典型的な綿花状白斑を認めない眼底を高血圧性眼底と呼び、その全身状態も、安静を守れば血圧は下降するものであり、健康状態は良好である。
一般的にキース・ワグナー分類のI・II群を良性群、III・IV群を悪性群として大別するが、良性群と悪性群、またIII群とIV群の鑑別は比較的容易であり、I群とII群の鑑別は比較的困難である(しかし、大局的にみればいずれも良性群なので、予後の判定にさほど差支えはない。)といわれている。
ところで、右の悪性群に属する網膜症のうち通常の高血圧性網膜症の眼底所見は次の特徴を有する。
3 通常の高血圧性網膜症
動脈枝に種々の硬化所見や細動脈の狭細化が生じており、口径不同、動静脈交差現象、反射増強、迂曲等がみられる。静脈系には、怒張、口径不同(部分的拡張)等がみられる、
進行してくると、網膜は少しく浮腫状となり、これに伴つて乳頭像がわずかに不明瞭となり、網膜のところどころに灰白色の斑状部が現れ、あるいは乳頭の周囲に放線状の細い線がみえてきたり、血管の輪廓が不明瞭になつてきたりする。
出血は、一般的に後極、特に乳頭周囲に多く、当初は表在性状・火炎状で主要血管に近く現れる。しかし、後には円形・点状で深在性を示し、また眼底のどの部分にもみられるようになる(組織学的には、前者は毛細血管性――表在性の出血であるが、後者は神経繊維層より外層((深層))の出血であり、吸収が悪く、したがつて組織障害を起こしやすく、視力に対する予後がよくない。)。
各種出血は位置によつて視力に影響を与える。すなわち、出血が黄斑部を避けている場合には、視力に何ら障害を与えないことが多い(本人には何ら自覚症状がないが、他疾患の診断等のために眼底を検査すると小出血を発見することはしばしばあるという。)。
白斑も特徴的所見である。血圧亢進の重症型では軟性の綿花状白斑(白い綿をちぎつて置いた感じのする白斑で、組織学的には神経繊維の節細胞状肥厚であるという。)が現れ、特に乳頭――黄斑部を中心として多い。一般に表在性であり、出血を伴うこともある。
硬性白斑(円形または不正形で、大きさはさまざまであり、光つていて境界が鮮明である。病理学的には、出血や浮腫、滲出物の吸収した跡にグリア組織が増殖したもの、類脂肪含有の蛋白質または脂肪顆粒細胞の集団等によるものであるという。)も認められる。多くは深く網膜にはまりこんでみられ、血管の下に位置する。眼底後極部に多いが、時には周辺まで広く分散してみられる。黄斑部では特有な形状を示し、星芒状白斑(黄斑部に中心窩反射を中心に白線が放射状に並んでいるもので、特に後記の腎性網膜症に多くみられる。)と呼ばれる。
以上、高血圧性網膜症では動脈の著名な硬化性変化・狭細化、綿花状白斑、出血等の症状がみられ、特徴的な眼底所見を呈するのであるが、これらの症状はいずれも本症のみに限られた特有の所見ではないから、診断にあたつては総合的に症状を判断する必要がある。また、前記悪性群に属する網膜症のうち悪性高血圧性網膜症の眼底所見には次の特徴がある。
4 悪性高血圧性網膜症
眼底所見は3の高血圧性網膜症の所見に加えて乳頭浮腫が加わる。周囲の網膜浮腫も一般に著明で、著しいときは網膜が剥離している。
その他の所見は3の高血圧性網膜症に準ずるが、病像の及ぶ範囲はしばしば限られており、乳頭とその付近の所見のみが顕著な症例がまれでない。若年に発病した悪性高血圧の初期では特にそうである。
しかし、詳細に観察すれば、細動脈系の著しい狭細化、多数の綿花状白斑、大小さまざまで多数に現れる硬性白斑(乳頭周囲の輪状配列、黄斑部の星芒状白斑)等の所見が認められる。出血斑も時には広範、かつ、多数にみられ、閉塞した細動脈の付近に放線状に配列していることもある。
5 動脈硬化性網膜症
同症は、血圧亢進が久しく持続し、網膜動脈系に硬化が発生して数年を経た患者に発生する網膜症である。
眼底所見は以下のとおりである。
網膜血管系に著しい硬化を認め、口径不同、銅線もしくは銀線動脈、白鞘形成、動静脈交差現象が明白であり、細血管枝は硬化して迂曲を示す。
視神経乳頭は、境界が多少明瞭を欠くときもあるが、それ以外の変化はなく、後期には多少の萎縮を伴う。いずれにせよ網膜及び乳頭に浮腫を全く認めない。
特徴となる硬性小白斑は、主として眼底の後極部に現れ、円形・境界明白で散在性(時に輪状あるいは星状)に配列する。まれにはやや大きい白斑もみられる。
出血斑も、散在性で小さく、主要血管との関係は一定していない。表在性のこともあり、深在性のこともある。
以上のように、動脈硬化性網膜症は、網膜動脈には著しい硬化所見と出血、白斑を認めるが、網膜浮腫、綿花状白斑(軟性白斑)乳頭浮腫を全く欠き、網膜動脈系に広範で著しい痙縮像が認められない網膜症であり、また、しばしば片眼性である(症例の四五パーセントに及ぶという。)。
その発症については、網膜静脈枝閉塞症の陳旧化した場合や、高血圧性網膜症が血圧の降下後本症の病像へ変化したものと考えられる場合が多く、高血圧→網膜動脈硬化に続いて徐々に本症が発症する場合は比較的まれであろうといわれている。
本態性高血圧症例の眼底検査によつて偶然発見された場合には、本症はキース・ワグナー分類II群に分類されるが、ある患者に高血圧性網膜症を認めて経過を観察中、次第に本症に移行した場合には、キース・ワグナー分類III群として取り扱われるという。
なお、本症は、これに続発して網膜前出血、網膜静脈血栓、網膜動脈塞栓等の大出血や血流遮断が起こると視力に大きな影響があるが、そうでない限り自覚症状もないことが多い。
6 腎性網膜症
本症は、腎性高血圧に伴う高血圧性網膜症の一種(特殊例)とみてよいものであり、窒素血症に血圧亢進が加わつているときに起きる。眼底病変がかなり特徴的で通常の高血圧性網膜症と若干の相違を示す。
その眼底所見はきわめて特徴的なものであつて、乳頭の強い浮腫混濁、星芒状白斑及び多数の綿花状白斑の存在並びに出血が認められる。成書にも、例えば、「その特徴は、乳頭浮腫が強く、その浮腫は混濁し、網膜の微小血管の走行などが不明瞭となり、綿花様白斑の数が多く、乳頭周囲や眼底後極に密集して現れやすい。」旨、「両眼性に起こり、乳頭には混濁・浮腫・腫脹を認め、乳頭周囲の網膜にも浮腫混濁があり、後極部の網膜は全体として薄く灰色を帯びて正常の網膜に見られる生き生きとしたつやを失い、びまん性の混濁の中に出血や綿花様白斑を認め、血管系には細動脈硬化性の諸変化がある。黄斑部には中心窩を取り巻いて星芒状白斑を生ずることがしばしばあり、極期には動脈は極端に細く、網膜は暗くしばしば暗青緑色調を帯びて混濁肥厚し、網膜剥離をみることもある。要するに細動脈硬化を伴つた視神経網膜炎の所見で、特に動脈が異常に狭小なのが最初から目立つている。視力障害は必ず伴つており乳頭浮腫の有無が判定の鍵である。」旨、「本症は原則として両眼が侵される。本症の特徴は乳頭炎と網膜の浮腫であり、それに星芒状白斑、綿屑様白斑、出血斑、血管変化が加わる。乳頭は発赤し混濁しており、混濁が高度の場合には乳頭上の血管の分岐すら分からないことがある。一般に乳頭の境界は不鮮明である。黄斑部に中心窩反射を中心に白線が放射状に並んでいる。一般には小出血と混在して綿屑状白斑が散在していることもしばしばである。血管は一般に動脈硬化が高度であつて細小となり、銅線状あるいは銀線状を呈し、またしばしば交差現象が見られる。静脈は怒張していることが多い。常に刷毛状の小出血が白斑、主として綿屑状白斑と混在している。」旨等が記述されている。
自覚症状としては、出血、白斑の状態により視力、視野の障害を訴え(この点は高血圧性網膜症と同じ。)、網膜剥離を起こした場合には相当大きな視野欠損が起こる。
慢性腎炎に明白、かつ、高度の網膜症が発症したときは、腎炎が末期に入つたことを示し、その後の生存期間の平均は四・〇ないし四・三か月であるといわれ、悪性高血圧性網膜症の平均生存期間が一三か月であるのと対比すれば、はるかに短い。
慢性腎炎では、その久しい経過中、反復して眼底を検査しても遂に眼底が正常である例は約一〇パーセントにすぎないといわれ、大半の例ではある時期に眼底に何らかの病変を認める。
しかしながら、管理のよい慢性腎炎はある程度の高血圧はあつても眼底は長く高血圧性眼底(キース・ワグナー分類のIないしII群)の状態にとどまり、細動脈硬化性の変化はそう著明でないことが多く、したがつて視力、視野等の異常を示すことはない。
7 全身性エリテマトーデスに起因する網膜症
同症は、全身性エリテマトーデスによる高血圧症に基づく場合と、血圧は正常であつても全身性エリテマトーデス自体により発症する場合とがある。
前者は要するに高血圧性の網膜症の一種であり、また、後者は細動脈の閉塞による出血を特徴とするものであつて、その眼底所見は出血を特徴とするかなり特異な症状を持続的に呈する。
8 ク網膜症との鑑別
要するに、右3ないし7の各網膜疾患はいずれもク網膜症とは異なる特徴的な眼底所見を示すものであり、一回限りの眼底検査によつては鑑別し得ない場合であつても、繰り返し検査を行い、症状の経過を観察することにより、右各疾患とク網膜症との鑑別は比較的容易に行うことができる。すなわち、病理学的にはク網膜症が色素上皮層、視細胞等の網膜外層の変性疾患であるのに対し、高血圧性の網膜症はいずれも血管性の症変であつて、侵される部位も態様と異なつている。そこで、高血圧性の網膜症では出血、白斑及び乳頭浮腫が継続して広範に現れることが多いのに対し、ク網膜症では出血や白斑等が認められるのはまれであつて、これらがみられても比較的一過性であり、症状全体の推移の中で小さな部分を占めるにすぎない。その上、血管性の病変では病変の現れる部位が限定されないが、ク網膜症は病変が黄斑部に初発して周辺部へ広がつて行くものが多い等、病変の現れる部位に規則や特徴がある。
なお、前記のように慢性腎炎の大半の症例には、その長い症状の経過中、何らかの眼底変化が現れることがあるというのであるから、これによる網膜動脈の幾分の狭細化及び硬化現象がままみられるのは当然のことである。しかしながら、症状が高血圧性眼底の段階にとどまつている限り視力、視野等に殆ど影響はなく、それが腎性網膜症または(悪性)高血圧性網膜症に進行し、重篤な眼障害を呈するようになつた場合には、右各網膜症の基本となる腎障害はいずれも非常に予後が悪く、特に腎性網膜症の場合は人工透析等を早急に行わない限り四か月程度で死亡することが多い(ただし、人工透析を行つても必ず症状の回復をみるとは限らず、なお悪化することも多い。)ので、この点からもク網膜症との鑑別は可能である。
第二ク網膜症の認定基準
一 ク網膜症の診断基準と診断方法
<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
ク網膜症の診断のためには、従来のク網膜症の報告例とおおむね矛盾しないような形の網膜の変性があること及びクロロキン製剤の服用歴があることの二点をもつて医学上は十分とされている。
ク網膜症は、変性疾患の一つであつて、変性疾患は、細菌等による感染症の場合等と異なり、その原因を厳密な意味で科学的に確定することは必ずしも容易とはいえない。しかしながら、クロロキンによる網膜変性は、網膜変性疾患一般の中でもかなり際立つた特徴を有しているので、病変部の状態だけでなくクロロキン製剤服用後における眼障害の発症とその症状経過、所見の推移等を加味して全体的に判断すると、高い蓋然性をもつてク網膜症の診断を下すことが可能である。
ク網膜症の診断のためには、まず、網膜の変性を確認することが必要である。その手段として各種の検査を行うが、基本的に必要なのは、視力、視野、眼底の検査であり、眼底検査に異常があり、視野検査においてそれに対応した箇所に暗点が証明されれば、網膜の変性を確認することができる。さらに、眼底所見を記録するために眼底写真を撮影したり、補助的な検査としてERG測定、場合により色覚検査等を行うこともある(これらの検査の中ではERG測定が比較的重要である。)が、いずれもあくまで網膜の変性とそれがク網膜症の特徴を有するものであるか否かとを確認するための手段であり、それらの検査の一つでも欠けば、正確な診断が不可能になるというようなものではなく、順天堂大学においても、ク網膜症の診断のために視力、視野及び眼底の検査並びにERG測定は行つているが、蛍光眼底撮影や暗順応検査はあまり実施していない。
診断にあたつては、特に眼底所見が重要であり、「クロロキン網膜症の診断は、もしある程度以上病変が進行したものであれば、特異な臨床像を見ることにより、多くの場合、むしろ容易である。……診断の根拠は、主として眼底所見によるものである。従来記載されている所見に類似したものであり、いずれも病変が進行したものである。これらの症例の診断は極めて容易であるといえる。いずれもクロロキン製剤を3~5年のかなり長期間服用し続けている。」と説明する文献及びク網膜症でのみ発現する特異な症状はないが、全体像として把握すると、ク網膜症と、他の変性症の鑑別は可能であつて、網膜色素変性症と合併した場合においても、その鑑別は、異なつたクリニカル・エンテイテイ(臨床単位)のものとして分離が可能なように思われる、旨説明する文献がある。
ク網膜症の診断は、特殊な技術、経験を要するものではなく、ク網膜症についてのある程度の知識があれば、通常の眼科医にも可能なものである。もちろん、網膜変性に対応する眼底所見が従来の報告例と大きくかけ離れているものであれば、診断は比較的困難となるが、反面このことのみでク網膜症を否定することもむずかしい。また、クロロキン製剤服用以前に何らかの眼障害があつたことが証明された場合は、右疾患と網膜変性との因果関係が問題になるが、逆に、服用前に眼が正常であつたことが明確であるば、その事実によつて、ク網膜症の診断の確度は非常に高くなるといえる。
遺伝関係については、家族に遺伝性の網膜変性疾患があること等が証明された場合、診断は慎重になされるべきではあろうが、家族に遺伝性疾患があつても必ずしも本人にもそれが発生するとは限らないので、この事実のみからク網膜症を否定することはできない。
以上のように認められるところ、<証拠略>には、その「クロロキン網膜症の診断」の項に、眼底の精密な検査以外に蛍光眼底撮影、定量視野の測定、ERG測定、暗順応検査、色覚検査等の実施が不可欠であるかのような記述があるけれども、これを、同一の著者によつてほぼ時期を同じくして書かれた<証拠略>の記述と対比してみると、<証拠略>の右記述は、結局右のような各種検査がク網膜症の早期診断に有効であることを強調しているものにすぎず、相当程度に進行した網膜変性をク網膜症と診断するについても右の諸検査の実施が不可欠であるとする趣旨ではないものと認められる。このことは、右記述の前段において著者の引用している文献がすべてク網膜症の早期診断に関するものであることからも明らかである。
二 ク網膜症罹患の認定とその資料
1 クロロキン製剤の服用事実の認定
既に述べたように、クロロキンの服用量及び服用期間とク網膜症の発症との相関関係については明らかでないものがあり、原則的にはその安全限界値を提示することができない。したがつて、ある患者についてク網膜症との認定を下すにつき、その前提として要求される同人のクロロキン製剤の服用歴としては、ある程度の期間にわたつてある程度の量のクロロキン製剤の服用があつたことをもつて足りるというべきである。(もちろん、それが例えば前記のようにマラリアの治療のための二、三日の服用といつた極端に短い期間の服用であり、かつ、その服用量も数グラムといつたような少量の、要するにきわめて短期間、かつ、少量の服用にとどまるときは別であり、二、三週間ないし数週間程度の服用例での発症はないか、あるとしてもその発症率は著しく低いものとみられる。反面服用期間が長期にわたる程、また、服用量が多くなる程その発症の蓋然性は高くなつていくものといえる。)。そして、右服用事実の証明については、投薬した医師がカルテに基づき作成した投薬期間及び量を明示した投薬証明書または右医師の証言が最良の証拠資料であることはいうまでもないが、種々の事情からこれが得られない場合もままあり得るのであつて、そのような場合、クロロキン製剤の購入先の薬局または薬店の証明書、本人の服用の記憶、その記憶に誤りのないことを裏づける種々の補助証拠その他右服用の事実をうかがわせる間接証拠による証明もゆるされることはいうまでもなく、ただ、証拠価値の評価の問題が残るにすぎない。
2 医師の診断書の証拠評価
ところで、原告患者らのク網膜症罹患の事実の有無の判断に当つては、その証明は高度の蓋然性あるをもつて足り、一〇〇パーセントの科学的厳密さによる証明を要しないものと解するのが相当である。その判断の最も有力な資料となるのは、眼科専門医による診断であるが、診断書の証拠価値を吟味する際には、次の点について留意する必要がある。
(一) 診断書の文言
本件において原告患者らのク網膜症罹患の事実を証明するため原告らの提出した診断書のうちには、診断結果の記載として、「クロロキン網膜症の疑い」または「クロロキン網膜症が最も疑われる」等、断定を避けた表現によるものがあるが、このことのみによつて直ちにその診断の確度が低いということはできない。なぜならば、前記のようにク網膜症のような変性疾患の場合には、その診断は、科学的に厳密な意味で一〇〇パーセントの確実性をもつて下すことはできず、臨床的には蓋然性が高いということをもつて満足せざるを得ないところから、一応、診断医が断定を避けて「疑い」等の文言を付する場合のあることが考えられ、また、<証拠略>によれば、医師は、通常、右のような意味合いで「疑い」等の文言を使用することが多く、その文言に必ずしも否定的なニユアンスはないことが認められるからである。
(二) 診断書の記載内容
原告ら提出の診断書中には、視力、視野、眼底所見の症状の推移の記載があるもののほかに、症状の詳細な記載のないものや判断の根拠が明示されていないものもある。しかし、後者のような診断書であつても、そのことのみによつて価値が低いものと一概に論定することはできない。
けだし、<証拠略>によれば、一般に眼科医その他医師の作成する診断書には、診断結果の根拠の記載のないものも多く存在するが、責任ある眼科医であれば、通常、右のような診断を下す前提として、その臨床経験と医学上の知見に加えて、網膜変性を確認するために必要な各種の検査を行い、また、内科の既往歴にも留意して、各種の先天性、後天性の網膜疾患、特に投薬原疾患に起因する網膜疾患等の鑑別診断を行つていることが認められるからである。したがつて、症状の推移等について詳細な記載のある診断書の場合には、当該診断を行つた医師(以下「診断医」ともいう。)が右の検査や鑑別を現実に行つて診断したものであることの確実性はきわめて高いが、そうでない診断書の場合にも検査の方法についての記載や他疾患との鑑別についての記載がないからといつて、当該診断書の患者について診断医がそれらを行わなかつたということはできず、むしろ特段の反対証拠のない限り、診断医は、それらを行つたうえで診断書の作成にいたつているものと推認するのが相当である。
第三原告患者らのク網膜症罹患の有無に関する当裁判所の認定
原告患者ら(死亡した患者を含む。)がそれぞれその主張の原疾患を有していたことは当事者に争いがなく、上来認定判示したところ及び本判決理由末尾添付の別紙個別損害認定一覧表掲記の各証拠を総合して考察すると、原告患者ら各人につき同表中の各事実、すなわち、原告患者らは、それぞれ同表記載のとおり、原疾患治療の目的で各病院または診療所からクロロキン製剤の投与(処方)を受け、あるいは薬局から直接購入して、これを服用したところ、視力の低下及び視野の欠損等の眼障害が発現するにいたつたが、その後の病状の経過及び現在の病状は同表記載のとおりであること、右の原告患者ら各人は、いずれも同表記載のクロロキン製剤の服用に起因してク網膜症に罹患したものであることが認められる(なお、前記のように原告らと被告微風会との間では原告岩崎春喜のク網膜症罹患の事実について争いがない。)。
当事者の主張中、以上の認定に反する部分は、すべて、右認定の事実に照らして採用しない。なお、右の主張中主要なものについては、これを採用しない理由を同表の「付加説明」欄に判示した。また、原告らの中には、原告患者らがク網膜症以外にも、クロロキン製剤の服用により、例えば白血球減少症、クロロキン難聴等の疾患に罹つた旨を主張する者もあるが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。また、原告土生清水、同土生智恵子、同土生清文及び同土生節子の本訴各請求中被告小野に対する部分は、その前提を欠くことに帰するので、その余の争点につき判断するまでもなく失当として排斥を免れないものである。
第三節内外文献からみたクロロキン製剤による眼障害についての医学的知見
第一外国における医学的知見
一 <証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
1 クロロキンがマラリアの治療に用いられる量以上に長期大量に使用されることにより眼に対する副作用が起こることは、既に一九四八年(昭和二三年)の段階で知られていた。エリテマトーデス、リウマチ様関節炎等の治療にクロロキンを用いるとき、クロロキンのこれら疾患に対する有効量がマラリアに対する一般的な使用量を超えて多くなり、かつ、長期にわたつて投与が必要となる。それゆえ、右疾患の治療にクロロキンを使用する場合の問題点は、主として慢性的な毒性に関する問題と認識され、そして右疾患にクロロキンが用いられるからには、眼に対する重篤な副作用が現れても不思議ではないと考えられていた。
2 かくして、早くも一九五七年(昭和三二年)には、証明はできなかつたものの、クロロキンが重篤な眼底変化(視野の重篤な狭窄)を引き起こすことが懸念され(外国文献3)、同じ年にクロロキン治療を受けた患者の網膜変性の症例(ただし、著者はクロロキンを中止しても網膜変性が改善されなかつたので、クロロキンをその原因から除いているが、後日それはク網膜症と確認された。)が報告されている(同)。そして一九五八年(昭和三三年)には、クロロキンと角膜症の因果関係が医学的に確立し、その治療の期間中は注意深い眼科的監視が必要と考えられるにいたつていた(同5ないし7)。
3 一九五九年(昭和三四年)になつて、クロロキン服用者に不可逆性の網膜障害が発症した旨の、あるいは不可逆性を示唆する網膜変性が予見される旨の各報告がなされ(同8、9及び10)、かつ、クロロキン治療を受けた患者に現れた網膜症がクロロキン化合物によつて惹起されたと結論づけたホツブスらの論文が「ランセツト」誌上に発表された。
右のホツブスらの論文は、クロロキンと網膜症との間の因果関係を初めて認めたものである。確かに、ホツブスらは、右時点で動物実験においてクロロキンによる網膜症の発現に成功しなかつたし、症例がごくわずかなゆえに特異体質も一役買つているかも知れないと述べているが、それまでの文献と関連づけてみると、右論文は、既に同年の時点で、少なくともクロロキン化合物と網膜症との間の医学的因果関係を殆ど疑いない程度に証明した論文であり、医学、薬学に携わる者、クロロキン製剤を製造、販売する者等にとつては決して無視することのできない重要な論文であつた。また、この時点で既に、不必要な長期治療を戒める意見も出ており、定期的眼検査によるコントロールの必要性を述べたものもあつた。
4 これを文献についてみると、次の各文献等には、それぞれ次の要旨の記述があるほか、右1ないし3のとおり認定するに十分な記述がなされている。
(一) ベルリーナーらは、一九四八年(昭和二三年)の論文において、既に次の旨を報告している。
いくつかの四―アミノキノリン化合物の毒性の研究報告で、毒性効果のうち最も目立つたのは、その一つ(SN七六一八)を服用した三二人のうち一八人に眼の症状(眼がおかしい、重く感ずる、視野がぼんやりしている、うち一人は朦視を訴える。)が現れたことで、これは、投与量を一日四〇〇ミリグラムに増加すると現れた(なお、右のSN七六一八は、アメリカの抗マラリア研究調整委員会が抗マラリア剤の開発研究で、各種の化学物質の中から選定した物質であり後日クロロキンと命名された。)。
(二) 一九四八年(昭和二三年)五月に発行された「マラリアのシンポジウム」を特集する「ザ・ジヤーナル・オブ・クリニカル・インヴエステイゲーシヨン」誌中の論文において、アルヴイングらは、米国陸軍軍医団の参加を得たうえ、二〇人からなる収容者ボランテイアの二つのグループにつき、抗マラリア剤である七―クロロ―四―アミノキノリン(SN七六一八)、すなわちクロロキンが重篤な毒性を惹起することなくマラリア抑制剤として長期間投与し得るか否かを確認する目的で行つた研究の報告をしている。右報告の要旨は、次のとおりである。
従来、クロロキン塩基量は、マラリア治療用として三日間で一・五グラム、抑制用として一週当たり〇・三グラムが適量とされている。そこで、囚人各二〇人のグループを二つ作り、一年間一つのグループには七七日間毎日クロロキン塩素〇・三グラム(七七日間合計二三・一グラム)、その後一週間に一回同塩基〇・五グラムを投与し、他のグループには週同塩基〇・五グラムを投与して観察したところ、前者の半数に視覚症状(近くの物から遠くの物に素早く焦点を移すのに難渋する。)、視力障害等が現れたが、投与量を週〇・五グラムに減量すると視覚症状は消失した。後者のグループでは視覚症状が時折りみられたにすぎない。したがつて、この研究の条件下では、クロロキンは、前記の適量が投与されているときは安全な抗マラリア剤である。
(三) ゴールドマンは、一九五七年(昭和三二年)に発表した論文において、皮膚疾患治療にも使用されるようになつたクロロキン製剤についてみてきた過去四年間の同薬剤に対する諸反応を振り返り、次の要旨の報告をしている。
慢性、かつ、難治性の皮膚病に用いられる他の化学療法剤と比較すると、クロロキンは比較的毒性が低い化学物質であると信じられてきたし、実際クロロキン製剤が過去一〇年間マラリア抑制計画に使用されてきたが、マラリア治療計画の多くは短期間であつて皮膚科的疾患の場合とは全く異なることを忘れてはならない。皮膚科医にとつての問題点は、主として慢性的な毒性に関する問題である。
著者らが得たクロロキンに対する薬物反応の一つのグループ(小さな、もしくは不快な反応のグループ)のうち最もやつかいな徴候は眼症状であるが、これはどの例でも完全に消失した。亜急性エリテマトーデス患者二名では最初クロロキンが重篤な眼底変化を引き起こすことが懸念されたが、これは証明できなかつた。この患者の双方ともに視野の重篤な狭窄が引き起こされた。
結論として、クロロキンは、実際の皮膚科治療で一般に使用されているが、その長期にわたる治療経過にもかかわらず比較的毒性は低い。
そして著者は、右の報告中で、次の記述をしている。
熱帯医学の分野で働く多くの人々は、現代の皮膚科学的治療において、クロロキンがよく用いられていることに気付いていない。円盤状紅斑性狼瘡の治療に、この薬剤が初めて効を奏し(Goldman等、一九五三)、以後、我々は他の皮膚科医同様、クロロキンを何の関連もない皮膚病に使用してきた。現在クロロキンは、いわゆる亜急性紅斑性狼瘡とか、円盤状紅斑性狼瘡、酒[査皮]、局所性強皮症、日光皮膚炎、顔面リンパ球増多症の治療計画には、日常的に、座瘡にはしばしば、サルコイドーシスには時々使用されている。一日の投与量は、二五〇~七五〇ミリグラムの範囲である。大抵の場合、この治療計画は何週~何か月という期間にまたがつて続けられる。播種性円盤状紅斑性狼瘡のいくつかの症例においては、毎日二五〇~五〇〇ミリグラムのクロロキンを三年間にわたつて、その間時折りの短い休止期間しかおかずに服用してきたという例もある。したがつて、我々がみてきた過去四年間のこの薬剤に対する諸反応を振り返つてみることは時宜を得たことだと思う。
慢性、かつ、難治性の皮膚病に用いられる他の化学療法剤と比較すると、クロロキンは比較的毒性の低い化合物であると信じられてきた。実際、何百万個ものクロロキンの錠剤が、過去一〇年間にマラリア抑制計画に使用されてきた。しかしながら、マラリア治療計画の多くは短期間であつて皮膚科的疾患の場合とは全く異なる、ということを忘れてはいけない。したがつて、皮膚科医にとつての問題点は、主として慢性的な毒性に関する問題である。
皮膚科においては、クロロキンが広く使用されているにもかかわらず、種々の皮膚症状が軽減する実際のメカニズムについては、殆ど知られていない。クロロキンは、ヘキソキナーゼと黄色酵素の代謝活性を阻害する(Rothman、一九五五、私信)、そして、皮膚科学の殆どの研究は日光から皮膚を保護することに関心を寄せている。Cole, Hughes Schmidtによつてなされた準備的な皮膚分析研究によれば(私信、一九五三)、クロロキンは経口投与後、組織に永く存続すること、しかも皮膚での濃度は、血漿濃度を大きく超えているを示した。亜急性紅斑性狼瘡のある患者では、病変部位での濃度は、彼女の正常の皮膚に比べて高いとはいえなかつた。
我々の得た症例では、クロロキンに対する薬物反応をその重症度の順に次のようにわけられるだろう。
すなわち、
(1) 小さな、もしくは不快な反応―食思不振、体重減少、神経過敏(イライラ)、悪心、嘔吐や調節困難
(2) 中等度反応―一時的な斑点状丘疹反応と毛髪色素欠乏症
(3) 重症反応(稀)―重篤な薬物反応(苔癬型、表皮剥離型)、肝障害、それに造血に関する反応―特に白血球減少症
一般に我々の症例は、マラリア計画(Findlay、一九五一)において観察されたものや、文献で報告された、慢性毒性の研究とよく類似している(Alvingら、一九四八・Fithzhugh、一九四八)。我々のみた反応の殆どは、グループ一に属している。多くは服用を停止せずとも単に量を減らすだけで消失するものである。このグループに属するが、あまり一般的でない反応が円盤状紅斑性狼瘡の患者に、鼻の病変部位上にラジウム板を使つた後に発現した。すなわち、クロロキン(五〇〇ミリグラム)のたつた二回の投与後に患者は、疲労、発熱、食思不振、虚脱及び病変部位発赤を訴えた。この反応は服薬が中止されると二四時間以内に消え、その部位は蒼白になつた。クロロキン治療は続行されなかつたが、代わりにハイドロキシクロロキン(ブラキニール)四〇〇ミリグラム錠を二錠/日で投与したところ、うまく受けつけられた。
グループ一で最もやつかいな徴候は眼症状であるが、これはどの例でも完全に消失した。いわゆる亜急性紅斑性狼瘡の二人の患者では最初、重篤な眼底変化を引き起こすことが懸念されたが、これは証明できなかつた。この患者の双方ともに視野の重篤な狭窄が引き起こされた。また、ある患者は、急性の播種性紅斑性狼瘡で死亡した。眼球が取り出され切片が作られたが、視野障害の明らかな原因をみつけることはできなかつた。視野検査は現在、長期にわたつて毎日一定量を服用している患者に対してなされている。
この研究の最初の頃、我々はクロロキンを受けつけない患者の治療を行うため、ハイドロキシクロロキンを用いた。ハイドロキシクロロキンは、クロロキンよりも容易に許容されたが、同程度の臨床的な効果を維持するには、より多量の薬剤が必要であつた。我々の症例中には、ハイドロキシクロロキンを受け入れることができないのに、クロロキンを受け入れることができる、という患者はたつた二人しかいなかつた。
ひん度において、グループ一の症状に次いで多いのは薬物発疹であつた。斑点状丘疹薬物反応は、より重篤な苔癬及び表皮剥離の型に比べて、より多く認められた。薬物過敏であるこのグループの中では二種の薬剤による、あらゆる種類の反応がみられた。すなわち、クロロキンの再開に伴う発疹の再発、あるいは非再発、ハイドロキシクロロキンによる即時的再発、あるいは非再発である。
(四) 一九五七年(昭和三二年)キヤンビアギーは、全身性エリテマトーデス患者を約一年間観察し経過を知る機会を得、エリテマトーデス患者に発生することが報告されている眼障害のうちのいろいろな症状が観察されてきたが、著者が知る限りではこれまでに報告されていない眼底変化を示した一例について要旨次のように報告している。
患者(三七歳の女性)は、リン酸クロロキンを二五〇ミリグラム一日二回投与されていたところ、一九五五年(昭和三〇年)三月になるとあらゆる物が暗くみえると訴え、同月八日眼検査の結果、わずかな表在性の角膜混濁及び虹彩の下半分に両眼性びまん性の萎縮または形成不全があつた。クロロキンは、眼障害の原因であるかも知れないという疑いで中止された。同年六月再入院し、ヒドロキシクロロキン(プラキニール)が漸増投与され、同月末両側黄斑部に乳頭よりやや小さめの黒点が出現し、その黒点の中央に早期萎縮と思われる小さな白色部分が現れ、七月一七日萎縮範囲は拡大し、濃い色素縁で囲まれた。右眼下部耳側四分の一の赤道近くに綿花様滲出斑が現れ、左眼底下方周辺部には網膜表層に位置する小さな色素顆粒がみられた。同じく左眼乳頭から二乳頭径下の下鼻側に小さな色素斑が存在した。九月再検査時に黄斑部萎縮は拡大し、以前同様の色素縁がみられ、両側中心窩に小さな赤い部分が認められた。綿花様滲出斑は消失していた。視力は右眼20/40、左眼20/70で、視野は中心、周辺ともに一〇度まで狭窄していた。
しかし、著者は、クロロキンを中止しても改善しなかつたので、右の網膜病変の原因要素としてクロロキンは除外することができると思う、と述べている。
ところが後日―一九六四年(昭和三九年)―右症例がク網膜症であることが病理学的に確認された。
(五) 一九五八年(昭和三三年)六月、「ランセツト」誌上に発表されたホツズスとカルナンの「クロロキン治療の合併症」と題する論文において、著者らは、次のように述べている。
最近になつて、特にエリテマトーデス等の疾患の治療に使用されるクロロキンの奏効性が大量の実験的使用を促し、ために眼症状がそれ以前に増して現れるような傾向にある。著者は、クロロキンの服用からもたらされる最も油断のならない、そして一時的でない状態に注意を向けた(その出現は投薬の期間も量もかなり個体差がある)。それは、充血性の緑内障を思わせるような暈輪と角膜上皮層に特徴的な沈着物とを伴つた視力障害である。
クロロキンの投薬を受けた三〇人の患者を調べた。うち二八人(数週間から二年間にわたる治療期間中か、それが終わつた直後に調べた人の数)のうち、一九人は、眼がかすんだり、もやがかかつたようになる(うち四例)、眼がかすんだり、光線の周りに色のついたリングが出現する(うち三例)、等の症状を訴えた。細隙灯顕微鏡で調べたところ、右二八人のうち二二人に角膜変化がみられた。
右の論文中にはまた次の記述もある。
クロロキン治療の間、これら変化が徐々に進行するのがみられたし、治療を中止したときもつとゆつくりとした変化の消退がいくつかの例にみられた。このことはそれらの変化がクロロキン治療の結果として起こつたということを確実ならしめるものである。これらの進行に必要な時間と使用量との関係は、まだ明らかではない。というのは、一つには広域から集められた患者を規則正しく観察することが不可能であるし、もう一つには、(私たちはそう確信するが)この薬に対する個人的な反応が非常にさまざまであるためである。それゆえ、これらの変化の正確な性格、持続性、そして薬剤量と投与期間との関係は、これら変化が惹起されることが予想される化合物の範囲についても同様にまだ明らかではない。そしてこれらの疑問に対する答を引き出すために、さらに研究がなされている。しかし我々が観察中の少なくとも一例は、それら変化によつて次第に視力を失つて行くかも知れないことを示唆している。この理由から、これら評価が定まつていない非常に貴重な薬剤で治療する間は、注意深い眼科的監視が必要であることを指摘することが賢明であると我々は思うのである。
(六) 一九五八年(昭和三三年)七月のカルキンズの「クロロキン(アラーレン)治療中にみられた角膜上皮の変化」と題する論文において、著者は、種々の診断名でクロロキン治療を受けている七つの臨床例を報告し、ある型の視覚障害(「眼の上に薄膜があるようだ」「眼の上のかすみ」「日光の下でのまぶしさ」「光の周りの暈輪」など)がすべての症例において存在し、そしてすべてに両側性の角膜上皮変性が現れているが、中止された症例では自覚症状も客観的な角膜の変化も顕著に改善し、完全にきれいになつており、ずつと続けられている一症例では角膜の変化は非常にゆつくりではあるが進行している、といい、次のとおり記述している。
一九四八年以来、種々の臨床例の治療のためクロロキンが使われたときに発生した視覚症状の訴えが繰り返し報告されている。
眼の副作用はいろいろの方法で述べられてきた。二〇人のボランテイアからなる二つのグループにおけるこの薬の長期使用の研究でAlving等は、大量投与が視覚障害、頭痛、毛髪の脱色、心電図の変化、体重減少を起こすことをみつけた。視覚障害のある患者達のくわしい検査は報告されなかつた。Conan等は、アメーバ性膿瘍のためにその薬を服用した患者らにおいて、治療をはじめた一週間以内に調節の障害が認められることを述べた。この論文では眼についての訴えは、それ以上に評価されていない。ベルリーナーらが三二人のボランテイアのうち一八人が一日当たり四〇〇ミリグラムのクロロキンを毎日服用したとき、視覚症状が出ることを示したのを引用している。その訴えは「朦視」、「眼の重圧感」から、「眼がどうもおかしい」までいろいろある。眼のくわしい生体顕微鏡やその他の検査は何も報告されていない。その薬を、自動車を運転したり、飛行機を操縦したりする人に投与する前に、さらに一段の調査がなされるべきだと勧告された。Rehfussらは、一節で二燐酸クロロキンの毒性について、調節の障害に言及しているが、くわしくない。クロロキン二燐酸(アラーレン)をアメーバ赤痢に使つた報告で、Shokhoffは調節の障害だけを述べている。Patelは、肝臓のアメーバ性膿瘍にこの薬剤を服用した少数の一連の患者における調節の変化を報告している。アメーバ症でクロロキンを与えられた五〇人の患者を分析してWeiser等は、大抵の患者が朦視を訴えるのをみつけた。Wilkinsonは、肝臓アメーバ症の五二人の患者にクロロキンを与え、他の副作用とともに、くわしくではないが朦視に言及した。クロロキンを使つた肝臓アメーバ症の治療においてConanは一人の患者で眼の調節障害の副作用があることを述べた。特に興味のあることは、カルナンのScottあての個人的な手紙で、一人の患者のレンズの混濁について言及していることである。その患者の年令や治療の前後の生体顕微鏡の所見やその他の特別な眼の変化は引用されなかつた。
この薬剤使用の副作用に対する特別の論及や、多くの他の人々の言及は、多様な眼の副作用のどれについても説明できる特別な眼の変化の真の性質を確定することができなかつた。
この薬剤は、いろいろな投与量で与えられ、少しでも多くの量を与えられたものは症状や徴候をより早く現した。二五〇ミリグラムを日に三回から四回投与された人々は暈輪を示すようになり、四週間から六週間ではつきりとした角膜上皮の沈着物をもつようになつたが、一方、より少ない投与量を受けた人々は、より遅く症状や徴候を示した。
クロロキン治療は一例を除いてすべての症例で中止された。症例一以外のすべての症例において、これを書いているときには自覚症状や客観的な角腺の変化も顕著に改善し、完全にきれいになつていた。クロロキンがずつと続けられている症例一では、角膜の変化は非常にゆつくりではあるが進行している。自覚症状は前より顕著になつており、今や弱い光においてさえいくらか実際の視力の低下が認められるまでになつている。―(中略)―
さまざまな疾病にクロロキンが明らかに広汎に臨床的に役立つことから、許容投与量でそれを使うことに過度に警戒を引き起こそうとは思つていない。むしろ患者がこの重要な治療薬の使用を継続する一方で、角膜の変化をコントロールする方法を発達させる目的でこの薬剤を服用する患者の角膜変性の特殊な調査や角膜上のこの物質の確認を促進することが、注意深く点検されてきた上記諸知見を公表する意図なのである。
この薬剤が投与された対象たる疾病の性質は明らかに一因たる問題ではない。なぜならば、上記にみた七例ではいくつかの診断名が述べられているからである。現在、できるものなら角膜の沈着物や上皮の変化の性質を決定すべく研究が行われている。クロロキン及び他剤投与中の同様の医療施設における患者調査が、生体顕微鏡や他の眼科機能検査が行われなければならない。肝機能調査は治療開始前及び開始後の患者から得られよう。――(中略)――
まとめ―クロロキン(アラーレン)の治療的使用に伴う両側性の角膜上皮変性の七例を詳細に記述した。
視野の障害が訴えられており、それはいつも両側性である。屋内で検査されたときには、中心視力は実質的に影響を受けていないけれども、主な訴えは明るいライトの下でみつめる物のまわりにかすみがあるということと、夜間における光の散乱(暈輪)に関係したことであつた。
さまざまな病気に対して、いろいろな量のクロロキンが使われた。より多くの投与を受けた人々は、比較的少ない投与量を受けた人々よりも早く症状を現した。すべてにではないが、いくつかの症例においてクロロキンが唯一の使われた薬剤であつた。
検査は全患者のそれぞれの角膜の上皮と、多分上皮下の部分にびまん性のかすみを示した。変化がより進んでいたいくつかの例においては、密度が局所的に増大し、中心では頂点をもつている曲線状スポークを形成しており、まれな異栄養的変化に類似している。間質はこれらの症例では侵されてはいない。虹彩炎の治療にこの薬剤を服用している患者以外は、他の眼科的疾患がある証拠はなかつた。角膜の変化の早期の確認のために、生体顕微鏡が必要である。進行した症例は、肉眼的にみることができる。
すべての患者は、クロロキンを中止すれば、非常に改善を示すか、あるいは完全に症状がなくなるかした。その薬剤をとり続けた一人の患者は、自覚症状が強くなり、客観的な角膜の変化も明らかに増大した。
(七) 一九五八年(昭和三三年)一二月の論文で、ゼラーは、ぼやけた視覚をもたらす角膜上皮の変化(角膜上皮に不連続な混濁化を示す。)が関節炎やエリテマトーデスのためリン酸クロロキン(アラーレン)を服用した一〇人の患者に起こつた旨を報告し、この変化は、薬剤治療の中止で可逆的であるようである、すべての患者が視覚上で不満を訴えていたわけではないが、すべての患者は生体顕微鏡で角膜異常を示していた、旨述べるほか、次のとおり記述している。
角膜の混濁の密度は明らかに服用した薬剤の量に関係しているとは思われない。三年間、一日一〇〇〇ミリグラム服用していた患者は、九か月一日二五〇ミリグラム服用していた患者よりも変化が少なかつた。
同じ角膜変化を示した二二例の患者が、ホツブスとカルナンによつて報告されていた。彼らの症例の大部分では、角膜の異常は薬剤治療を中止すると回復した。我々の症例も治療中止後二~四か月で同じ幸福な結果を示した。しかしホツズスとカルナンは視力が治療中止後ですら低下し続ける一つの症例を報じている。
(八) 一九五九年(昭和三四年)になつて、一九五八年(昭和三三年)四月二六日のロサンゼルス皮膚科学会とメトロポリタン皮膚科学会ロサンゼルス支部との合同会議でのシユテルンベルグらの報告が現れた。右の報告においては、円盤性エリテマトーデスの患者(三二歳の女性)に一九五三年(昭和三一年)三月クロロキン二五〇ミリグラム毎日二錠を投与しはじめたところ、臨床的には確実によくなつたが、一九五四年(昭和三一年)六月髪の基部二分の一インチが明るいハチミツ色になつたので、クロロキン投与を中止されたところ、エリテマトーデスが再燃したため再びクロロキンが投与されると、一九五八年(昭和三三年)一月二三日、患者の視力不明瞭がわかり、クロロキンは一日一錠まで減らされ、同年二月二六日完全に投与は中止された。そして、眼底検査の結果、両眼に黄斑の変性があることがわかり、中央視の能力を減少させていたとされ、網膜の病変と失明がまず永久的らしい旨述べられている。
また、A・フレツチヤー・ホール博士は、右の会議において、一時的な視力のかすみはクロロキンの投与に普通にみられるものではあるが、この事件の場合の病変はおそらくは永久的なものである。クロロキンの連続投与が断続的投与よりも効果的であるという証拠はない、と述べ、「また実際、たいていのクロロキンの反応は蓄積効果によるものであるとシヨルツ博士は感じておられます。彼の意見によれば、この症例のように一年を越える連続的な投与はすすめられないとのことです。私もその点では彼の発言に同感です。」ともいつている。そして、シユテルンベルグ博士も、右の会議において、網膜の病変と失明がまず永久的であるらしいことと、またこのケースでは有効であつた薬剤の継続使用ができないため、実にやつかいな患者である、Dr. Hillyerは彼女の目はステロイドによつて幾分改善するかも知れないと感じているが、事実はそうではない、とも附言している。
(九) 一九五九年(昭和三四年)ホツブスとカルナンは三〇人の患者を観察して、次の要旨の報告をしている。
抗マラリア剤で治療した場合角膜変化が発生する患者の割合は不明であるが、二つの型で現れる、第一は、一時的な浮腫が急性の重い朦視を生ずる型で、これは敏感な患者に毒作用として発現し、第二は、もつと持続的な形で視力に影響を与える不透明な物質の角膜上皮下の潜行性沈着物によつて特徴づけられる型である、クロロキンの場合は少なくとも角膜変化が普通規則的な形で発現するようにみえるが、単純な角膜薄えいとして存在するのかも知れない、その後(この報告書が準備されて以降)の観察によつて、これら薬剤の大量投与治療を受けた患者に高い割合で角膜変化が発生することが確認された。この観察は、さらにまた網膜変性さえも予見されること、そのうちいくつかは重篤な永久的視覚障害を結果することを示唆している。
また、右報告には、次のような記述もなされている。
クロロキンをいろいろな投与量で、また異なつた指示で与えられた三〇人程の患者をいままで診察してきた…二三人は紅斑性狼瘡にかかつていた…四人は光線性皮膚炎の治療中であり、一人はクロルプロマジンによる光線過敏症…一人は苔癬様粃糠疹、一人は肝吸虫の治療中であつた。そして彼らのうち二人を除いた全員について、数週間から二年間続いた治療の治療期間中、引き続きないしはその直後に診察した。研究の初期で彼らは少なくとも何らかの視覚症状を訴えていたという意味で、ある程度、彼らは選別されていたのである。
クロロキン治療中にこの変化は徐々に進行し、さらに治療を中止したときにはいくつかの症例でみられるように、徐々に退化していくことがクロロキン投与の結果、その変化が起こることを確かなものとした。
それらの進行に必要な時間及び用いられる量との関係はまだはつきりしない。なぜなら、一つには広い地域から集められたこれら患者をすべて定期的に観察することが不可能であるからであり、また一つには確かに薬に対する個々人の反応が大層異なるからでもある。現在までに観察したうちで最も早く現れた角膜変化は、治療が一日三〇〇ミリグラムの投与量ではじめられた後、わずか三週間で出現した。しかもこの変化はもつと長い間、もつと高い投与量で治療された他のいくつかの例よりも顕著なものであつた。一例では一日量六〇〇ミリグラムを二年間連続投与した後にも角膜変化がみられなかつた。
角膜変化の存続―眼の変化の存続と、これが視力に与え得る永久的な影響が考えられるが、まだ確かではない…最も早い変化は一日三〇〇ミリグラムのクロロキンをほぼ三週間投与した後にみられ、この薬の投与を中止した後も角膜変化が持続してみられた。最も長い期間は、今までのところ二年である。この後者の患者は治療期間を通じて、視覚障害に全く気がつかなかつたし、視力は損なわれていない。沈着物の吸着に対する疑問は純粋に学問的興味であるかも知れないが、最初の引用された例では、角膜の他覚症状は治療中止後二年半経た現在では、ごくわずかであるが存在し、彼女はまだ裸電球がわずかにぼやけてみえるのを感じている。我々はこの障害が時が経つにつれて段々少なくなり、今は全くわずかにすぎない角膜沈着が完全に消えることを期待したい。どの時点でも、Snellen視力表による視力検査では彼女の場合、角膜沈着による視力低下は認められなくて、実際このような視力低下は他の症例では一例のみにみられたが、その症例の視力は六/六から六/一二に下がつていた。しかし視力の永久的低下が起こらないと憶断することは明らかに不可能である。特に治療が長びくならば益々そうである。
(一〇) 一九五九年(昭和三四年)一〇月、ホツブスらは、「ランセツト」に掲載の論文で、要旨次のように述べている。
マラリアの抑制または治療に用いられる量では、クロロキン及びその誘導体の中毒作用はごくわずかで、その有用性を損なうものではなかつた。一方、大量使用ではより重篤な副作用の起こることがクロロキン使用の当初から知られていた(アルビングら、一九四八年・昭和二三年、外国文献2)。エリテマトーデス、リウマチ様関節炎でもその有効量は一般にマラリアに対する一般使用量を超えて多く、かつ、より長期にわたつて投与されるので、中毒作用が報告されても驚くに当たらない。
最近著者らは、少なくともある症例では明らかに不可逆性の視覚障害をきたす、きわめて重大な特徴をもつ変性を認めた。これらの患者もまたエリテマトーデス及びリウマチ様関節炎のためクロロキン化合物の治療を受けていた。
これら症例(著者らが観察した三つの症例)における眼障害の重要な共通した特徴は、黄斑部障害、網膜血管の狭窄化とそれが引き起こす暗点及び視野欠損である。症例1(及び第四例―一九五八年(昭和三三年)五月王立医学会の皮膚科領域で検討されたもので、夜盲症、暗点、視野欠損、網膜変性の発症については、症例1ときわめて似ているが、その状態はさらに重篤で、事実上失明している。)の網膜色素沈着は、動脈の狭細化、網膜浮腫ではじまり、周辺及び中心部の色素沈着へと進展する網膜症のより進行した段階をよく示すものかも知れない。我々はこの障害が永久的なものかどうかは分からないが、今日までの経過は自然寛解はありそうもないことを示唆している。
これら三症例の網膜変化は、クロロキン化合物による治療後、それぞれ三年六か月、二年九か月、三年目に発症している。その重症度は使用量とある程度の関連性を示している。すべて使用量は一日一〇〇ミリグラムないし六〇〇ミリグラムであつた。薬剤中止後症状の改善は今のところなかつたが、障害の進行は止まつた。それゆえ、これら変性が基礎疾患の経過に起因することはありそうもなく、特にこれが(症例1)治療中止により著明に再発していることから尚更である。我々はこの状態を薬剤投与の結果であるとする方が妥当だと考える。
特異体質がキニーネの場合と同様、合成抗マラリア剤による網膜反応に一役買つているかも知れない。侵されるのはごくわずかの症例にすぎないから。
合成抗マラリア剤による視覚障害についての公表された記述では、我々の患者にみられたような特徴をもつ症例をみたことがない。しかしシユテルンベルグら(一九五九年・昭和三四年外国文献3)によつて報告された症例は、同じ型のものであろう。ゴールドマンら(一九五七年・昭和三二年外国文献3)により報告された長期クロロキン治療後の重篤な視野欠損は同じような機序を示唆するものである。
硫酸クロロキンでウサギに網膜変性を作ろうとする我々の試みは不成功であつた。この否定的事実は、他の薬剤の非中毒量一回静注でウサギに実験的に起こされる網膜障害について知られていることと対比して評価する必要がある。したがつて、クロロキンは、ピペリジエチルクロロフエノチアジン(この物質は、精神病治療を受けている患者に色素沈着を伴う網膜障害を起こすが、動物に対してはそのような作用がないことが知られている。)に類似した発現をすると思われる。臨床所見は、クロロキン及びピペリジエチルクロロフエノチアジンのヒトの網膜に対する影響は血管痙縮に基づくものであることを示唆している。このことは我々の否定的な実験(右動物実験)結果を説明するものである。
以上の根拠により、ここに述べた網膜症は、クロロキン化合物により惹起されたものである。クロロキンによつて発生することが知られている角膜変化は、他の合成抗マラリア剤でも起こるので、これらはまた関節炎やエリテマトーデスの治療に必要量投与されると、いずれにせよ網膜変性を惹起する可能性がある。これに代わる毒性の少ないものがないので、抗マラリア剤によるこれら疾患の治療が中止されることはありそうもない。にもかかわらずこのような治療は不必要に続けないことが賢明であるようである。使用期間を短くし、定期的な眼科検査を行つてコントロールすべきである。
(一一) 一九五九年(昭和三四年)一〇月右の「ランセツト」誌上には、右(一〇)の論文の読後同誌に寄稿したフルドの書簡が掲載されているが、同書簡には、要旨次のように述べられている。
数年以上観察され続け、そして一八か月以上の長期間、大量のクロロキンを与えられた一〇〇名以上の患者のうち、ホツブスらによつて述べられたものに匹敵する眼に重大な併発症をもつ一例を経験した。
二年半にわたり硫酸クロロキンの投与を受けた婦人の両眼に乳頭の蒼白と中等度の動脈狭窄(部分的な視神経の萎縮)が確認された。両黄斑部にはつきりとした円板状の変性があり、両眼に中心性絶対暗点があつた。クロロキン中止後六か月になつても眼はよくならず、本が読めないし、対象物のそばでないと何もはつきりみることができない。
「ランセツト」の論文を読み終え、おそらくは不可逆的な眼の変化は、二年半にわたる抗マラリア剤クロロキン治療による直接の結果であることを少しも疑わない。
リウマチ様関節炎やエリテマトーデス等のクロロキン治療は、むやみに長引くべきでないというホツブスと共同研究者らの意見に完全に同意する。私はこれらは一八か月間の治療を上限と考える。活動性リウマチ関節炎の殆どの患者がクロロキンから受けた利益は、これまで報告された副作用に疑いなく勝つているが、長期間の抗マラリア剤治療を受けたすべての患者を監視することが望ましく思われる。
二 <証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
一九六一年、一九六二年(昭和三六年、同三七年)の当時、数は少ないがクロロキン治療に伴う網膜症の症例報告が相次いで公表されており、しかもクロロキンと網膜症との間の因果関係を否定した見解もしくはこれに批判的な見解は見当たらなかつた。この時期では、未だ動物実験での網膜症の発現はみられておらず(それに成功した報告は、一九六四年に発表されている。)、クロロキンによる網膜症の発生機序に関する医学的知見も確立されてはいない(今日もなお同じである。)が、多くの文献において、その著者らは、エリテマトーデスやリウマチ様関節炎のクロロキン治療によつて網膜症の発症する可能性を疑つていない。(殆どの者がホツブスらの前記昭和四三年一〇月の論文を引用したり、これを自己の症例と対比検討したりしている。)。そして、ク網膜症の不可逆性、進行性、その治療方法のないことについても、しばしば言及し、不可逆性の変性を生ずる前に網膜症を発見する眼科的検査方法を提案したり、クロロキン治療中の眼科的検査、監視の必要性、あるいは不必要な長期投与は避けるべきこと等を述べていた。
一九六三年、一九六四年(昭和三八年、同三九年)に入つても、ク網膜症の報告が発表されているが、この頃になると、殆どクロロキンと網膜症との間に因果関係の存在することを当然の前提とし、その早期発見方法についての研究報告、ク網膜症の医学的知見の要約等に関する研究報告、ク網膜症のひん度、期間、投与量との関係に関する文献、ク網膜症の発症機序に関する研究、ク網膜症についての病理学的所見及びクロロキンの胎児に及ぼす影響についての研究などが公にされている。のみならず、ク網膜症の危険と対比して、クロロキンをリウマチ様関節炎の治療に用いることに疑問を提起する文献すら発表されている。
三 文献
これを文献についてみると、次の各文献等には、それぞれ次の要旨の記述があるほか、右二のとおり認定するに十分な記述がなされている。
1 ホツブスは、一九六一年(昭和三六年)、その論文において、要旨次のとおり述べている。
すなわち、クロロキンは角膜変化に対し明らかに責任があり、その発生率は、約三三・三パーセントであるが、網膜障害は、角膜変化よりもはるかに低いひん度で起こることは明らかである。角膜の変化と異なり網膜の変化は大多数の場合、その変化が検出された段階では不可逆的であると思われるから、網膜の変化の発生率が低いことは幸運である。以前報告した四例の網膜症(動脈の狭窄、浮腫、数例では色素障害)が再確認され、殆ど不可逆的であることがわかつた。暗順応測定は、初期段階で網膜症検出に有効であることが証明されなかつた。
角膜沈着物の治療は不必要であるように思われ、網膜症状の治療は殆ど効果がなかつたようである。しかし、これらの薬剤を大量投与せねばならない場合、治療期間は限定されねばならず、もし長期治療が必須であれば数週間の投与中止期間を設けて治療を中断すべきであると忠告できるように思われる、としている。
2 ワルターは、一九六一年(昭和三六年)、その論文(外国文献13)において、エリテマトーデスで一二か月以上クロロキン治療を受けた患者(五五歳の男)に、網膜血管は狭く、両黄斑を囲む細かい色素沈着物の集りがあつて、両眼の視野にはつきりした傍中心性輪状絶対暗点が認められた旨を報告し、眼の症状は軽減されず、暗点は恒在的で、かつ、絶対暗点である、といつている。
3 レベロは、一九六一年(昭和三六年)の論文(外国文献14)において、エリテマトーデスでクロロキン治療を受けた患者の四例に、クロロキンによつて(情況証拠はクロロキンのせいであると思われる。)網膜症があつた旨報告し、この型の網膜症には、永久、かつ、重篤な視覚損傷の危険を伴うという立場から、抗マラリア剤治療を受けている患者に対し完全な眼科的監視が要請される、とする。
4 リチヤーズは、一九六一年(昭和三六年)の論文(外国文献15)において、著者らは、長期間(二年半)リン酸クロロキンを服用したリウマチ様関節炎の患者にホツブスらの報告(外国文献10)と同様の変化を観察したという。そして、視野欠損、中心視力の低下、角膜沈着物及び著明な動脈狭窄と黄斑の浮腫からなる網膜症で、視野欠損は明らかに永続的であり、長期リン酸クロロキン治療を受けている患者は、特に重点的に細隙灯で、また検眼鏡検査や視野検査を含む定期的眼検査を受けるべきである、としている。
5 エルズワースは、一九六一年(昭和三六年)の論文(外国文献16)において、クロロキンで長期治療中の患者に永久的な網膜変化とこれに伴う著しい視覚障害が発生したという証拠をさらに追加する目的でこの報告をするとし、文献を再調査すると、クロロキン治療によると思われる網膜変化の報告(すなわち、外国文献4、8、10及び11の六例の報告)がみられるが、ここに追加して、クロロキン治療の結果、網膜の障害を伴つた三症例(リウマチ患者二例、エリテマトーデス患者一例)を報告するといい、これら網膜の変化は長期クロロキン治療を受けたリウマチ様関節炎、エリテマトーデス患者らに起こつたという理由で、我々は、この薬剤が原因作用物としてかかわつているに違いないと考える。永続的な網膜変化をもたらす可能性は、全身性疾患のためクロロキンを処方するすべての医師によつて、その治療効果より重要視されるべきである、と述べている。
6 ウイルソンは、一九六一年(昭和三六年)の論文(外国文献17)において、エリテマトーデスで長期(約六年)クロロキン治療を受けた患者に網膜症(脈絡膜血管がはつきりみられ、網膜動脈はまつすぐで細く、乳頭は蒼白で、黄斑浮腫があり、両眼底に不規則なまだら模様の色素沈着物もあつた。)が生じた旨報告し、要旨次のように述べている。
視野はひどく狭まり、眼底像は網膜色素変性症に似ていて、変化は永久的である。エリテマトーデス、リウマチ様関節炎の治療でのクロロキンの投与量は、マラリアに用いられる量を超過することがしばしばであり、またずつと長期間連用される。それゆえに、その毒作用がしばしば報告されるのは驚くべきことではない。右症例で、薬の中止は、この二年間、視覚の改善をもたらさなかつた。この間、皮膚の状態は症度が変化した。そのことが視覚障害はエリテマトーデスのせいでないことを示した。長期間の治療の後、症状が比較的突然にはじまることは、網膜効果がたまたまの例にしか起こらない特異体質によるものであることを暗示する。
7 リードは、一九六二年(昭和三七年)の論文(外国文献18)において、リウマチ様関節炎患者に一年間にわたり一日二五〇ミリグラムのクロロキンを投与した後に、両網膜の乳頭及び黄斑部は正常であつたが、中心部に暗点が出現した旨報告し、マラリアの治療のための投与量は、抑制のための週二五〇ミリグラムから急性発病の治療のための三日間で一五〇〇ミリグラムまでにわたつている、毒作用はこれらの投与量では、めつたに起こらない、リウマチ様関節炎、エリテマトーデス等の治療では一日五〇〇ミリグラムにいたるはるかに大量に何か月とか何年もの長期間投与される、毒作用が起こることは意外ではない、と述べ、長期のクロロキン治療によつて起こるかも知れない視覚障害に関する文献(外国文献5、10等)を総覧した後、クロロキンの長期投与を処方するすべての医師は、重篤な永久的視力喪失の可能性に気づくべきである、と警告している。
8 サツクスは、一九六二年(昭和三七年)の論文(外国文献19)において、リン酸クロロキン投与による視覚障害が文献に記録されてきたが、ごく最近では、脈絡・網膜症を含んでいる、過去二年間に、我々はさらに四人の患者を診たが、そのうち三人は、我々がクロロキンにより起こると信じている一つの型の脈絡・網膜症を発現し、他の一人はクロロキンにより発生するのと同様の症状を発現した、クロロキンを処方されているリウマチ患者の数の多さを考えると、この重大な合併症の可能性を警告することは適切であるように思える、三人の患者は、クロロキンの投与中止にもかかわらず重篤な進行性の病変を示した、効果的治療法は知られていない、と述べている。
9 ヘンキントは、一九六二年(昭和三七年)の論文(外国文献20)において、抗マラリア剤であるクロロキンまたはヒドロキシクロロキン治療を少なくとも二か月間受けた三八人の患者の四二パーセントに眼症状、四四パーセントに角膜感度の低下、八四パーセントに角膜上皮沈着、三九パーセントに水晶体混濁、二〇パーセントに眼底障害、八パーセントに視野欠損等があつた、なお、ヒドロキシクロロキンを服用した二人の患者には、眼の異常や症状はなかつた、眼底障害は、黄斑部に主にみられ、非特異的性状の不規則な色素沈着性まだらから成る、黄斑障害がある二人の患者は、中心視野が狭くなつていたが、予期された中心性とか中心周擁型の暗点はなかつた、と報告している。
10 マイヤーは、一九六二年(昭和三七年)の論文(外国文献21)において、クロロキンがリウマチの治療において抗マラリア治療よりもはるかに大量に、かつ、はるかに長期間用いられていることから、我々は、これまで殆ど知られておらず、よく理解されていなくて、しかももし早くみつけなければ永久の著しい視力喪失が起こり得る潜在的危険のあるいくつかの網膜変化をみはじめている、ここに報告する患者にみられた検眼鏡的像は、ホツブスら(外国文献10)の報告した第一症例と色素沈着を除いて同じであつた、結論として、長期クロロキン治療を受ける者は、だれでもその治療期間中、定期的な検眼鏡的検査と周辺及び中心視野の測定を受けることが勧められる、としている。
11 オルムロツドは、一九六二年(昭和三七年)の論文(外国文献22)において、クロロキンの使用の結果発生する角膜変化は、今はよく知られている。クロロキンによる網膜変化は、幸いにしてずつと少ないものであるが、重篤な視覚障害を伴う不可逆的変化にいたるので、やはり非常に重要である、しかもそのための効果的治療法は、今のところ全くない、我々は、過去一八か月間にみた二つの新しい網膜損傷症例を報告する、網膜変化は、発生すると永久的であるように思われるので、最も早期の徴候に備えて監視が継続されねばならない、としている。
12 アーデンは、一九六二年(昭和三七年)の論文(外国文献23)において、クロロキンによる網膜症の発病は突然である、患者は種々の眼障害を自覚することもある、もし薬が急性段階で中止されれば、わずかな機能回復があるかも知れないが、非常に無視できない網膜障害が起こり、しかも不可逆的である。我々の患者の一例は、投薬中止後、数年たつてもなお視機能が徐々に低下している、その合併症がまれであることとクロロキンには一般的に認められた価値があることから、この副作用が重篤であるにもかかわらず、その継続使用が正当化されている、眼障害がはじまる前に何か電気生理学的異常が見つけられるか否かを決めることは検討の価値がある、そのためにはEOGの方がERGより役立つかも知れない、と述べている。
13 ジヤンセンは、一九七二年(昭和三七年)の論文(外国文献24)において、ニバキン(硫酸クロロキン)による治療で発生した網膜症二例を報告するとし、我々はホツブス(外国文献10)やフルド(同11)の症例と併せて右二症例を検討すると、臨床像が十分確立しているかどうかについて若干の疑いが残つているものの、これら両者に共通の症状が数多く存在しているようであり、これは病歴と併せて、クロロキンが網膜症を誘発した可能性を強く示唆している、これらの例における予後は好ましくないとみなさなければならず、改善は殆どみられなかつた、このようにクロロキン化合物による長期間治療は、ひどく危険を伴い、我々の意見では、可能な限り避けるべきである、それでもこの治療がある程度長引きそうな場合、眼底と視野に特に注意を払つて、定期的な眼の検査をすることが得策であるように思う、と述べている。
14 スミスは、一九六二年(昭和三七年)の論文(外国文献25)において、長期間にわたつてクロロキン治療を受けた患者では、角膜の変化は普通のことであり、角膜障害は、薬の使用を中止すると幸いにも病変は可逆的に回復するということがわかつている、しかしながらクロロキンによる網膜障害はまれにしか起こらないけれども、不可逆的であることが判明している、このような繁用薬に対する後者の反応に促されて、障害の検眼鏡検査の類似性を実証する眼底写真を添えて三つの症例を追加報告する、いずれも両側性の黄斑部変性である、これら障害は、検眼鏡検査的には全く同様であり、同心円的色素沈着部位を伴い、「ドーナツ」または「金的」に似ている、網膜変化は不可逆的である、クロロキン治療を受けているいかなる患者も、眼症状の最も早期徴候段階で、速やかに眼科的に診断されるべきである、角膜変化が現れただけでも臨床的注意は必須である、もし眼底変化が認められるなら、この薬は中止されるべきである、としている。
15 サタラインは、一九六二年(昭和三七年)の論文(外国文献26)において、クロロキン治療(リン酸クロロキン毎日五〇〇ミリグラム投与)を受けたエリテマトーデス患者(四〇歳の男性)に、ほんの一五か月間で視覚障害(眼底鏡的変化はないが、ひどい視野欠損)が生じたことを報告し、この眼障害の原因はわからない、ク網膜症の初期の相を表しているかも知れない、長期クロロキン治療を受ける患者は、網膜変化だけでなく、視野欠損についても定期的にチエツクされるべきことが提案される、と述べている。
16 ペンナーは、一九六二年(昭和三七年)の論文(外国文献27)において、クロロキン治療に伴う両側性黄斑部変性の一つの症例を報告し、クロロキンの皮膚病やリウマチへの使用は、この薬の使用範囲を拡げ、そしてマラリア抑制に対して処方される投与量よりはるかに過度に投与されるようになつた、クロロキンの潜在的毒性、特に眼に対する毒性に関心が増加してきたのは、クロロキン使用の拡大と時を同じくしている、クロロキンに因果関係があると疑われている眼に対する副作用として、調節障害、角膜障害、網膜障害がある、結論として、抗マラリア剤は、将来大いに使用される非常に有益な薬剤であるといえるであろう、可逆、不可逆的な毒性のゆえに、患者はこの薬を使う間は、眼科医に診てもらうべきである、不可逆的眼底の変化をもたらす薬の毒性に関する文献中の諸症例を再検討してみると、時間的要素が最も重要であるように思える、同一患者を同一薬による長期投与にさらさないような治療方法が考慮さるべきである、不都合な毒性が、いまだに報告されているので、年余にわたる治療が必要なら、ある抗マラリア剤から他の抗マラリア剤へ断続的に切り換えることが適切かも知れない、としている。
<証拠略>によれば、NND、PDRは、「公定書」に準ずる書であり、NNDは、アメリカで入手できる単味の薬品のうち、アメリカ医師会が評価したものを収載した権威ある最新情報の提供を狙いとし、アメリカで発売されている薬品が同国でどのように評価されているかを知ることができる書物であること、PDRは、一応アメリカの効能書集で臨床医が十分な新薬情報を得るようになることを目的としていること、SEDは、アメリカ、イギリス、ヨーロツパ等の第一次刊行物を基礎に作られ、図書作成上オランダ保健省の協力を得て一九五五年(昭和三〇年)以降発行されている書物であること、右三者は、製薬会社が新薬開発の過程で参照すべき情報資料の一つであつて、製薬会社の安全性担当者が一般に繁用していること、NNDは、大学病院、臨床研修指定病院で常備すべき書物であつて、一般病院でも常備するのが望ましいとされており、PDRはすべての小病院、診療所にも常備すべきであるといわれていること、またSEDは、副作用等に関し大学病院、臨床研修指定病院には常備し、一般病院、小病院、診療所にも常備することが望ましいとされている書物であることが認められる。
2 また、<証拠略>によれば、遅くとも昭和三七年以降厚生省当局はNNDを各国の薬局方とともに、日本薬局方と並ぶ公的資料と考え、その旨関係業者に公表してきたこと、さらに、厚生省薬務局長が昭和四四年一二月二三日の通知を発した際、参考とした資料中に、PDR(ただし一九六八年(昭和四三年)と一九六九年(同四四年)の各版)及びSED(ただし一九六四年(昭和三九年)版)が含まれていたことが認められる。
3 次に<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
NNDの一九四八年(昭和二三年)版から一九六〇年(昭和三五年)版までには、リン酸クロロキンの副作用として「軽い頭痛、掻痒症、視力障害、胃腸障害が起こる。投薬が長期になれば霧視とピント合せの困難が観察される場合がある。どの反応も重大でなく、いずれも可逆性である。」と記載されていた。その一九六一年(昭和三六年)版及び一九六二年(昭和三七年)版には、「調節障害による一時的な霧視が観察されている。角膜上皮の浮腫や混濁のような角膜の病変は、暈輪や霧視のような自覚症状を伴うものも細隙灯検査で見つかつている。投薬開始後数週間から数年後に始まるこれら病変は可逆性と考えられていた。しかしそういつた病変がいつたん発生したら、各症例につき投薬の中止による利益と、投薬の継続から生ずるかも知れない治療上の効果とを比較考量せねばならない。
何人かの患者では、長期療法が網膜細動脈の狭細化、網膜浮腫、黄斑部変性、暗点視、視野欠損で特徴づけられる、不可逆的らしい網膜損傷とも関係づけられている。白血球減少症、重篤な皮膚発疹、角膜または網膜の病変は、投薬中止の指標である。」旨記載され、そして一九六四年(昭和三九年)版にも同旨の記載がある。
なお、一九六五年(昭和四一年)版には、「数か月または数年のクロロキンによる治療の後に時々起こる網膜変化と視覚障害は、より重篤なものである。これらの副作用は早期に発見すれば時として可逆的であるが、通常不可逆的であり、治療中止後に進行することもあり、またあるいは失明に至るかも知れない。したがつて、クロロキンの大量長期投与により期待される利益とその危険とを慎重に比較考量しなければならない。もしかかる治療を行うことにした場合には、眼科的評価を繰り返し行うことが必須である。サリチル酸剤が十分に奏効する慢性関節リウマチ患者には、本剤を使用してはならない。」とある。
4 <証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
PDRには、リン酸クロロキン(アラーレン)につき、一九四八年(昭和二三年)版から一九五五年(昭和三〇年)版までにおいては特に副作用の記載がなく、一九五八年(昭和三三年)版に、視力障害等の副作用が記載されているが、これは投与中止あるいは減量によりしばしば一過性であるか軽減するとされていた。
その一九六一年(昭和三六年)版には、トリテイス錠(リン酸クロロキン一二五ミリグラム、サイシルアミド三〇〇ミリグラム、アスコルビン酸五〇ミリグラム)につき、注意として、「網膜症の徴候に備えて定期的な眼検査をすべきである。角膜浮腫とか不透明化の徴候があれば投薬を中止せよ。不必要な投薬を長期化しない。」と記載されている。そしてその一九六三年(昭和三八年)版になると、リン酸クロロキンについて、その副作用として「角膜変化として一時的な浮腫あるいは不透明な上皮の沈着物が、自覚症状(暈輪、ピント合せ困難、霧視)を伴うかあるいは伴わずに何人かの患者の生体顕微鏡(細隙灯)検査で記録されている。夜盲症の症状と暗点視野を伴う網膜変化(血管狭細、黄斑部病変、乳頭の蒼白、色素沈着)はまれにしか起こらないが、多くは不可逆的であると報告されている。数例では、網膜変化なしで視野欠損が出現した。
長期治療が予想されるときは、開始時及び定期的に眼検査(細隙灯、眼底、視野)をすることが勧められる。角膜変化が発生したなら(それは可逆的と考えられる。)、治療を継続して得られるかも知れない利益と投薬を中止した方が得策かどうかが比較考量されるべきである。」と記載されるにいたり、以後の版では、網膜症の病像がさらに具体的になり、また予防の眼検査の期間とか、投薬中止の指標(例えば、何らかの視野狭窄やあるいは網膜変化を暗示する視覚症状が発生したならば、即時中止するなど)等がより詳細に記載されるようになつた。
5 <証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
SEDの一九五八年(昭和三三年)版には、クロロキンの副作用としての眼障害に関しては、「嘔気、めまい、頭痛と視覚損傷が皮膚炎と同じ位(一二五人の患者の三五パーセント)しばしば起こつた。」と書かれている程度であるが、一九六〇年(昭和三五年)版のクロロキン硫酸塩、二リン酸クロロキンの眼の項に次のような記載がなされた。
「クロロキンによる視覚異常で最も普通に記述されるものは、霧視と調節の速度低下であり、薬の中止によつて可逆的である。リウマチ性の痛みのためにクロロキンを投薬した後、両眼性眼内転筋麻痺の四例があつた。薬の中止の結果三週間以内に回復した。
エリテマトーデスのためにクロロキンで(継続して数年)治療していた三二歳の女性において、おそらくクロロキンによる(確かではないが)両眼性の黄斑部変性となつた。別の報告では、黄斑部の病変や狭細化した血管によつて起こされた暗点視と視野欠損を記述している。一人の患者では網膜色素沈着が進行した。薬を中止しても現在までのところ、これに引き続いて改善されるということはないが、病変は進展を中止した。」
その注にはホツブスらの論文(外国文献5、10など)が引用されている。
そして、一九六三年(昭和三八年)版には、眼に対する副作用として、「様々の型の視覚障害が、たいていは長期投薬の後に報告されている。」としたうえ、調節障害、角膜変化、網膜変化に分類して詳述している。網膜変化に関する部分を要約すると次のとおりである。
網膜変化(しばしば不可逆的である。)も報告されている。暗点を伴う網膜変化が報告された(外国文献18、22)。三例とも網膜障害は永久的と思われた。
網膜変化、視野狭窄、黄斑部変性と痙攣性の網膜血管がクロロキンで治療中のエリテマトーデスの四人にあつた(外国文献14)。別の症例では、三ないし六年間のクロロキン使用後に視力が減退し、中心視力は完全に失われた。眼底変化は中心窩とその周囲でみられた。完全な視力喪失を伴う永続性の網膜変化もまた報告されている。皮膚疾患で二年半クロロキン投薬後、四二歳の女性に両眼性の黄斑部変性が進行した。両眼性の傍中心、中心暗点が検出された。数年後黄斑部の病理は本質的に変化のないまま残つた(外国文献27)。
視野欠如の一例においては、中心視力の減退、角膜沈着物と著しい細動脈狭細や黄斑部の浮腫からなる網膜症が、リウマチ様関節炎のためリン酸クロロキンを二年半投薬後進行した(外国文献16)。
クロロキン誘発性の網膜障害の三例を追加する。典型的な網膜変化は、周辺部と黄斑部での色素変化を伴う狭細化した細動脈である。全例にみられた視野変化は傍中心暗点かあるいは輪状暗点であり、これは周辺部にまで拡大しており中心視力を幾分損失している。全身性疾患のためにクロロキンを処方する医師は、永久的な網膜変化を引き起こす可能性があることを、治療上の利益と比較衡量しなければならない(外国文献16)。
視力喪失は永久的と思われるので、クロロキン誘導体による長期治療中の患者は、細隙灯、検眼鏡と視野の検査に特別な重点をおいて定期的眼検査を受けるべきである(外国文献15)。
6 <証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
「ハンドブツク・オブ・ポイゾニング」の一九六三年(昭和三八年)(第四版)のキニーネ、キナクリン、クロロキンの項には、その病理学的所見として「肝臓、腎臓、脳、視神経における変性がある。」とし、その臨床所見の慢性中毒の欄には、「クロロキンは、…角膜の病変からくる霧視、水晶体混濁、そして黄斑部変性を含む網膜障害を引き起こす。」と記載されている。
そして、その一九六六年(昭和四一年)の第五版には、右の記載のうえ、さらに「網膜の障害は、普通不可逆的である。胎児の障害も報告されている。」旨の記載が加わり、また、「仮性同色性色覚検査板は、網膜症の早期検出のための予検(スクリーニングテスト)として使用することができる。」と記載されている。
7 <証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
「グツドマン・ギルマン」薬理書の一九六五年(昭和四〇年)の第三版には、次のような記述がある。
クロロキンは、リウマチ様関節炎、円盤状エリテマトーデスの治療には、一般にマラリア予防あるいは治療に用いられる量よりさらに大量の投与が必要であり、かかる大量投与での毒性についての適切な考慮もまた必要である。
ヒトでは、クロロキンはキナクリンより毒性は少なく、より耐薬性がある。急性マラリア発作の治療に用いられる投与量では、軽度の、しかも一過性の視力障害等を起こすことがある。マラリア以外の疾患に長期間治療する場合、クロロキンを数か月ないし数年にもわたり、一日二五〇ミリグラムから七五〇ミリグラムを投与することがある。このような長期治療では、それほどひん発するものではないが、網膜症が起こることが知られている。
クロロキンは、妊娠中で胎児異常を起こす危険のあるときは、マラリアとかアメーバ性肝炎の予防あるいは治療のように正当な理由のない限りは投与してはならない。
8 <証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
「ケミカル・アブストラクト」の一九六〇年(昭和三五年)八月二五日号には、「リウマチ関節炎に対するキノリン治療によつて起こる視力障害及び眼変化」として、ドイツのマルクスらの症例報告が次のとおり要約して掲載され、かつ、ホツブスらの外国文献5及び10が引用されている。
「リウマチに抗マラリア剤(クロロキン、アモデイアキン及びメパクリン)を用いて長期の治療を受けた二四名の患者で、これら抗マラリア剤あるいはそれらの代謝物質が眼組織に沈着することが証拠づけられた。…投薬中止六か月後に角膜沈着が減少するのが何人かの患者で認められた。キノリン塩基かアクリジン誘導体あるいはそれらの代謝物質が酸性ムコ多糖体と合体して眼組織に可逆性の複合体を形成する可能性が示唆された。」
第二我国における医学的知見
一 <証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
我国では昭和三七年九月に初めてク網膜症の症例報告がなされ、以来我国でも、昭和四〇年末までに合計十数例が報告されたり、文献に記されたりし、しかも主要な外国文献が引用、紹介され、なかには既にク網膜症の早期発見方法に関する論文等も公にされており、また、昭和四一年以降もク網膜症に関する多数の論文が発表されている。
二 文献
そこで文献についてみると、次の各文献等には、それぞれ次の要旨の記述があるほか、右一のとおり認めるに十分な記述がなされている。
1 昭和三二年五月に発表された、慢性エリテマトーデス二〇例に対しレゾヒンを投与した治療報告論文において、蔭山高市らは、クロロキンの副作用についてアルヴイングらの報告(外国文献2)等の概要を紹介して、視力障害が認められたと報告されている旨記し、結論で、副作用については文献上も重篤なものは知られておらず、我々も経験しなかつたが、殆ど全例において睡眠障害を認めたと述べている。
著者らは、また、右のアルヴイングらの報告の紹介に続いて、「Resochinの投与方法について末だ確定されていないのが現状である。」とし、ゴールドマン、ベルトリツチ、フイン、ピルスパリイ、ヴイラノーヴア、テイース、タイ、プツレーガー、シユヴアルツらの投与方法を述べ、「以上の如く投与量及び投与期間についてはアテブリンと同じくいかなる方法がもつとも適当であるかはつきりしたことがわかつていない……」と記述している。
2 慶大の中野彊は、昭和三七年九月二三日の第四一一回東京眼科集談会(第一三八回千葉眼科集談会合同)において、慢性円板状エリテマトーデスの治療でレゾヒンを昭和三七年二月まで約六年間内服した患者(五五歳の男子)の両眼眼底に動脈の狭細、黄斑部に暗赤色の混濁とその周囲に色素沈着があり、視野は両眼とも明瞭な輪状暗点、暗順応の障害を認めたと報告し、本症例は、クロロキン製剤の長期内服による中毒症状と考えられ、従来報告されているク網膜症の症例と思われると述べた。
同集談会において、東大の佐藤清祐も慢性円板状エリテマトーデスでレゾヒン二〇〇ミリグラムないし六〇〇ミリグラム、平均三〇〇ミリグラムの内服を続けていた三四歳の女子にみられた網膜症(眼底症状として乳頭蒼白、黄斑部浮腫、網膜全体の汚わい灰白色変性、網膜細動脈の狭細が特有であり、視野では輪状暗点と周辺狭窄が認められた。)を追加報告した。
そして、中野らは、前記症例につき論文を発表したが、その要旨は次のとおりである。
近来、諸種の膠原病の治療に副腎皮質モルモン療法が優れた効果を示している。一方、抗マラリア剤もある種の膠原病、特に慢性型エリテマトーデス、リウマチ様関節炎の治療に用いられ、しかも長期連用されることが少なくない。しかし、抗マラリア剤が副作用として中毒症状を呈することは、従来から注目せられてきたところである。
クロロキン療法中にみられる眼病変として、従来、角膜変化と眼底変化が報告されている(外国文献5、10、12)。本邦では、まだ眼底変化の報告例はないようである。
本症例(前記報告例)の患者は、慢性エリテマトーデスに罹患しているが、エリテマトーデスにおいて本症例のごとく両側黄斑部の変性所見を主とした眼底変化は、従来報告されていないようである。また、眼底所見、視野及び暗順応検査所見等から、本例はクロロキン内服によつて起こつた眼底変化と考えられる。
自覚的並びに他覚的に本症の改善をみた例はない。多くは不可逆性変化と考えられている。
本剤の長期連用には十分本症の発症に注意すべきものと考える。
3 金沢大の米村大蔵らは、昭和三六年一二月一〇日開催の第一七〇回金沢眼科集談会で、クロロキン製剤(レゾヒン)を内服させた患者三例において、視力、視野、角膜所見及び眼底所見に何ら特記すべき変化を呈しないのに、ERGに変化が認められたとし、レゾヒン投与に際しERGは、視力、視野、光覚、眼底及び角膜所見の変化に先立ち、変化を呈し得ることが明らかになつた旨報告した。
これは、クロロキン製剤によつて角膜変化や網膜変化が起こることを当然の前提とした報告すなわち網膜症の早期発見に関する報告とみられる。
4 永田誠らは、昭和三七年一一月二五日に開かれた京大眼科同窓会第一三回総会において、慢性ロイマチス性関節炎のため約二年前からレゾヒン一日に二五〇ミリグラムから五〇〇ミリグラムを内服していた五〇歳の男子の視野が、両眼ともに中等度に狭窄し、眼底には視神経乳頭の混濁と、やや著明な動脈狭窄を認め、網膜は全般的に混濁萎縮し、あたかも無色素性網膜色素変性症に類似し、二か月後視野狭窄はさらに進行した旨の症例報告をした(日本文献4)。
5 三重大の金子和正らは、昭和三八年三月一七日に開かれた第二二〇回東海眼科学会及び同年五月二六日の京都眼科学会で、慢性リウマチ性多発性関節炎治療中の二八歳の女子患者にレゾヒンによつて起こつた(レゾヒン総量一五六・六グラムを使用開始後五か月を経て)と思われる角膜障害の一例を報告し、この症例を基礎に論文(日本文献5)を発表した。
右論文中には、合成抗マラリア剤であるリン酸クロロキン製剤、特にレゾヒンによる長期間治療中眼科領域にみられる副作用としては、主に網膜障害と角膜障害が知られ、外国では多数の症例報告があり、特に角膜障害に関しては外国文献に詳細な記載があり、我国でも次に触れる大木の報告がみられる旨の記載がある。
6 「臨床眼科」第一七巻三号(昭和三八年三月、日本文献8)は、昭和三七年一一月大阪で開催された日本臨床眼科学会の特集号であり、同学会における東邦大の大木寿子の報告が登載されている。クロロキン(レゾヒン)で治療を受けた二名に網膜変性が、一名に角膜変性がそれぞれ認められた旨の詳細な症例報告が行われているが、その要旨は以下のとおりである。
レゾヒンは最近ではリウマチ、エリテマトーデス、腎炎等、いわゆる膠原病に対する抗炎症剤としての有効性が認められ、広く治療に応用されるようになつた。しかし、その有効性が認められるとともに、副作用として二、三の特殊な症状が眼に現れることが知られるようになり、かつ、多くの報告がなされ、最近ではメーヤー、ペンマー等がクロロキンの副作用を可逆的な角膜の変化及び不可逆的な網膜の変化に分け、後者を防ぐためには、常に眼科的観察を必要とすることを報告している。
クロロキンは、諸種皮膚疾患、寄生虫疾患等に投与して効果を認められているが、内服の形式で、相当長期間、時に数年にも及び投与して奏効するのであり、その間には種々の副作用の起こることが報告されている。重要な変化として、網膜の変化が挙げられる。最近クロロキン長期投与で網膜黄斑部に、おそらく中毒性変化と思われる病巣を生じ、特異な視野の変化をきたすことが、外国文献7、10、11、12、21、22、25等その他多くの人々によつて、次々と報告され、我国でも二、三の報告例をみている。そして、網膜変化や、その変化をきたすメカニズムが段々明らかになつてきた。網膜変化の主なものは、動脈狭細、色素沈着等であり、ホツブスにより網膜動脈の狭細が強調されているが、私の症例でも、二例とも、網膜動脈狭細が認められており、さらに黄斑部の変性様病巣及び色素沈着が著明に認められた。
網膜変化の初期症状としては、夜盲及び視力障害があるが、無症状に経過するものもあるので、特に眼科的観察が必要である。
クロロキンは、安定な抗炎症剤であるが、長期間の使用で初めてその目的を達し得るものである。したがつて、その経過中においては、クロロキンの薬理学的性質上、副作用がみられることは、また当然である。さらに、その変化は可逆的または不可逆的な変化であるといわれるゆえ、何らかの方法により、この不可逆的変化を早期に発見しなければならぬ。この目的のため、私は、クロロキン投与により生じたと思われる症例を観察し、一方においては、病理学的あるいは生理学的に検討してみた結果、症例群においては(例えばブタゾリジンの副作用下における等)ある種の眼底疾患、または角膜における変化が完全に修復していないときにクロロキンが投与されると、比較的早期にクロロキンの副作用が生ずるように観察された。また網膜における変化が、動物において、種属的に異なつても、電気生理学的に多少の変化をきたすことを認め、これらから不可逆的変化の早期発見を引き出し得る可能性のあることを確信するものである。
なお、同学会において、京大の上野一也が前記日本文献4の症例を追加報告した。
7 金沢大の島薗安雄らは、第三二回北陸神経精神科集談会(昭和三七年の後半に開催されたものと思われる。)において、最近、難治性のてんかんに対してリン酸クロロキン(レゾヒン)がしばしば用いられるようになつたが、投与が長期間にわたる際には角膜のみならず網膜の変化も現れることが知られているので、我々は六例のリン酸クロロキン服用者について網膜電位図を反復記録した結果、三例に変化を認めた旨報告した(なお、網膜電位図に変化が現れても、それ自体だけでは有害といえない、回復の可能性、機能障害についてさらにくわしく検討したいと思う、との追加報告もしている。)
8 岩手医大の新津重章は、昭和三七年九月三〇日の第一一四回岩手眼科集談会で、慢性腎炎の治療のためキドラを服用した二名の患者に角膜症がみられたことを報告した(日本文献10)。
9 いずれも雑誌「臨床皮膚泌尿器科」の第一七巻二号(昭和三八年二月発行)に「クロロキン網膜症の予防」と題して外国文献23(アーデン)の要旨が紹介されている。また、その第一七巻四号(昭和三八年四月発行)には、「トリアムシノロン局所注射による円板状紅斑性狼瘡の治療」と題してスミスとローウエルの文献が紹介され、「慢性円板状紅斑性狼瘡は一般に合成マラリア剤によつて治療されている。これによると皮膚変色が著しいことがあり、重篤な眼症状を残すこともある。」と記載されている。さらに、その第一八巻三号(昭和三九年三月発行)に「皮膚病治療剤としての抗マラリア剤」と題するラーブの文献紹介があり、「クロロキンは初め考えられていた程無害ではない。もちろんクロロキンは以前使われたアテブリンよりは無害であるが、それでも眼及び血液の変化をきたすことがある。それゆえ長期の大量投与に当たつては副作用に留意しなければならない。近来作られたクロロキン誘導体(ニバキン、プラキノール、アモデイアキンその他)はクロロキンに抵抗性の皮膚疾患に有効であるが、副作用についてはクロロキンと同様である。」と記されている。次に、第一八巻七号(昭和三九年七月発行)には、「日光に対する保護」と題する注釈文献が紹介されており、「クロロキンは紫外線発ガンにある程度阻止的に作用するようであるが、これの長期服用は重篤な眼障害を起こすことがある。」と記載されている。
なお右の第一七巻二号と第一八巻三号にはいずれもキドラの、また第一八巻三号にはレゾヒン、エレストールの広告が後記のとおり掲載されている。
10 熊本大の田中留志男は、昭和三九年六月二八日の第三四回九州眼科集談会等で、ネフローゼ型腎炎のため入院治療中クロロキン製剤(キドラ)約一〇〇グラムを服用していた三八歳の男子患者に両眼とも角膜に黄味がかつた灰白色のびまん性の顆粒状の沈着物様混濁を認めた旨報告し、クロロキン製剤の長期内服者については、患者の訴えに注意しながら観察する必要があると考えると述べた。
なお岡村良一は、「当教室外来ではクロロキン製剤による眼障害例の経験はない。整形外科領域での報告によるとレゾヒンによる眼障害はあるが、キドラにはないといわれている。」と追加意見を述べている(日本文献11)。
田中は、右症例につき論文(同20)を発表したが、その要旨は以下のとおりである。
クロロキン製剤を長期間使用することによつて生ずる眼科的な副作用は角膜障害と網膜障害が知られている。前者について、外国では外国文献6、12等の詳細な報告があり、我国においても日本文献8、6等がある。このクロロキンとオロトン酸との合成剤、クロロキンデイオロテート(キドラ)による角膜障害について最近新津が二例報告している(日本文献10)が、私もキドラによると思われる角膜障害の一例を経験した。同じクロロキン製剤の副作用として網膜障害があり、夜盲、視野の異常が挙げられているが、本例では暗順応検査は行つていないが、視野の異常はみられず、また眼底にも全く変化はなかつた。
11 名古屋市大の大矢徳治らはリウマチ様関節炎でクロロキン(キドラ、レゾヒン、エレストール、CQC)投与中に発病した角膜障害の一例を報告した。
12 金沢大の倉知与志、米村大蔵らは、昭和三九年一〇月頃第三〇回日本中部眼科学会において、次のような報告をした。
クロロキンによる眼障害は、一九四八年以来しばしば報告されている。角膜の変化は、クロロキン内服中止後は消失あるいは著しく改善されるので、著しい視力障害を残すことはない。一方、長期間にわたり大量に摂取されたクロロキンは、網膜の不可逆的な変化をきたすことが報告されている(外国文献4、10、12、16、21、27、40、42及び62等)。我国における本症の報告は少ないので、我々の三例(いずれもク網膜症)の経験をまとめて報告する。
実験的にク網膜症を作る試みをホツブスらはウサギを用いて(外国文献10)、オークンら(同62)はラツトを用いて行つたが、いずれも成功しなかつた。クロロキンが網膜症をきたす機序の詳細は、なお不明のようである。
ク網膜症の早期診断のため、目下試みられているのは、暗点及び眼圧の検査、ERG、暗順応閾値測定、EOG、色覚検査などである。
黄斑の混濁、モトリング、輪状暗点及びERG所見、特に律動様小波の消失が、本症診断上有用と思われる。
クロロキンは、種々の膠原病及びてんかんなどに対する有効性のゆえに、しばしば長期にわたつて連用されているが、網膜症を惹起する危険がある。ゆえにクロロキン内服者は、眼科的検査をひんぱんに受け、本症の発生予防、あるいは早期発見に努めるべきである。
右報告後の討論で、千葉大の窪田靖夫は、「クロロキン網膜症の二例についてその眼底写真とERGを供覧する。第一例においては律動様小波の著明な減弱を認めたが、第二例において律動様小波は明瞭に認められた。クロロキン網膜症において律動様小波は必ずしも常に消失するとは言えない。」と述べている。
米村らは、右三例のク網膜症の症例報告を第一八三回金沢眼科集談会でも行つている(うち一症例は第一八一回当集談会で報告済みという。)。そして同会の席上、「クロロキンの網膜障害は、主として網膜のどの部位に起こるのでしようか。」との秋谷鎮雄の質問に対し、米村は、「我々はクロロキン網膜症の患者剖検例あるいは動物実験例を持たないので、我々自身の意見を述べることはできない。」と答えている。
また米村らは、昭和三九年一〇月一一日に開催された第一八回北陸医学会総会眼科分科会、第一八四回金沢眼科集談会においても、前記三症例の報告を行つたが、その席上で松田直也は、「クロロキン網膜症の予防、並びに早期診断法はいかん。」と質問し、米村らは、予防法としては、「クロロキン投与をやめる。」、早期発見法としては、(1)視野中央の輪状暗点、(2)黄斑部のモトリング・グラニユラリテイ、(3)ERG所見、(4)初期には中心視力が比較的よく保たれていること等が早期診断に役立つと思われる、と答え、倉知与志は、次のような追加意見を述べている。すなわち「本剤を連用しながら、その副作用を完全に予防するという方法は、現在のところ、遺憾ながらないのではあるまいか。したがつて、予防としては、余り長期にわたり連用しないこと、更にはこのようなものを使用しないことになるかと思う。やむをえず連用するときは必ず一~二か月に一回は眼科的検査を行うことが大切である。そして、多少怪しいと思われる症状が出たら即座に本剤を中止せらるべきである。」
13 昭和三九年一二月発行の「眼科」には、庄司義治が、「眼科薬用異変」と題して、「長年、慢性腎炎を患つている患者であるが両眼の虹輪視及び朦視を主訴として来院、所見として、眼圧は正常、眼底正常なるも、角膜内皮の浮腫、デスメ膜の皺があり、これは、内服薬の副作用によるものではないかと考え、内科医の緊密なる協力のもとに種々検討した処、キドラであることが判つた。」との例を紹介している。
14 昭和三八年一一月二七・二八日に開かれた第九回防衛衛生学会において、緒方鐘らは次のような報告を行つた。
クロロキン及びその誘導体は、抗マラリア剤としてのみならず、最近ではエリテマトーデス、リウマチ様関節炎、腎炎等いわゆる膠原病の治療にも広く応用されるようになつてきた。しかしその有効性とともに長期投与による副作用として眼症状、主に網膜障害及び角膜障害が知られるようになつた。今回私どもの外来でエリテマトーデスのレゾヒンによる治療経過中に網膜障害を認めた患者について、その視野及び暗順応について時間的変化を観察した。その結果初診時の視野及び暗順応の異常はレゾヒン中止とともに日を追つて回復する傾向が認められた。ク網膜症は、可逆性変化、不可逆性変化のいずれとも未だ確認されていない。しかし本症では視野並びに暗順応においてその可逆性が認められたが、これが決定は今後の経過観察にまつほかない。
15 日本内科学会の第一九回中国四国地方会(昭和四〇年六月以前に開催)で、岡山大平木内科の大村郁郎らは、気管支ぜん息に対するクロロキン療法の結果を報告するとともに、「副作用は、投与例の九・八パーセントに認められ、消化器症状、神経症状、眼症状などが主なものであつた。またクロロキンによつて起こるといわれる網膜症については、自覚症状は全く認めないが、眼底に変性のある三名についてその原因を検討中である。」旨報告した。なお、同人らは昭和三九年一一月二〇日開催の第一四回日本アレルギー学会総会においても同旨の報告を行つている。
また、右の内科学会中国四国地方会において、中電病院の三谷登らは、リン酸クロロキン長期使用の慢性関節リウマチ患者に網膜障害を認め、「文献からみても、リン酸クロロキン長期連用例には約三パーセントに不可逆的網膜障害が発生するといわれ、われわれの症例は二年五か月連用した後、特有の網膜障害を発生しており、長期連用時には定期的な眼科的検査が必要なことを強調する。」と報告した。
この報告に対し、岡山大平木内科の守谷欣明は、「本症のごとく高血圧症を合併し眼底に変化を伴う場合、クロロキン網膜症と診断しうる根拠、又はクロロキン網膜症の特徴といつたものがあれば教えて下さい。私達は気管支ぜん息患者にクロロキンの長期療法を行つているが、現在までに数十例中三例に網膜変性を認めたため投薬を中止してその経過を観察している。」旨質問と事情説明をし、中電病院の野村盛三が「リン酸クロロキンによる眼底所見の特徴は、(1)細動脈狭細化著明、(2)網膜が汚なくなり、(3)斑点は浮腫・蒼白となるようである。」と答えている。
16 東大の武尾喜久代らは、昭和四〇年の第四二九回東京眼科集談会で、慢性腎炎の治療のため、二年間にわたりキドラを約二五〇ミリグラム内服した患者(二六歳の男子)に角膜混濁及び網膜症が生じ、内服中止後も網膜症は進行し高度の視野狭窄をきたした旨報告し、同症例に関する論文も発表したが、同論文中に「本症例は二年間キドラを内服している。キドラは従来のクロロキン製剤より胃腸障害等の副作用を少なくしてあり、本剤による眼障害はまだみられていなかつたが、やはり他のクロロキン製剤と同じく発現することが分かつたので、その使用には特に注意を要する。また障害の早期発見には定期的に検診を行い、角膜等に変化がみられたら直ちに中止しなければならないと思う。」と記している。
なお、右症例では、投薬中止三か月後から自覚症状が発現しており、その後進行し続けて失明同様になつている。
17 熊本大の徳田久弥らは、昭和四〇年一月一五日の第四三三回熊本眼科集談会で、「クロロキンの長期連用によつて起こる角膜症に網膜障害を併発することはすでに報告されているが、最近、角膜症を合併しない、定型的なク網膜症の一例を経験した。患者は五〇歳の男子で、慢性賢炎の軽快後自分でキドラの内服を始め、三年間の内服後、いわゆるク網膜症を起こした。」と報告し、そしてまた、「本症例は初め網膜色素変性との鑑別に迷つたが、特異な所見からク網膜症と診断した。本例で特記すべきことは、色覚が極度に侵されていることと、暗順応機能の低下がよく改善されたということである。今までの報告では全く不可逆であるとされているが、多少とも症状の改善をみているので、経過を観察して行きたい。」と追加報告し(なお、同症例は、第三五回九州眼科集談会でも報告している。)、さらに右症例につき論文をも発表した。
18 熊本大の岡村良一らは、その自験した一五例の定型的なク角膜症の症例を右の第四三三回熊本眼科集談会で報告し、論文にまとめて発表した。
19 昭和三九年度東京都眼科学会で、神戸医大の松野千代子らは、「一九五九年にホツブスらが膠原病の治療にクロロキン製剤の投与を長期にわたり受けている患者の網膜に変化を来したのを見いだして以来、二十数例の報告があるが、私達も、六年来リウマチ様関節炎を患い、その間三年四か月にわたりクロロキン製剤を内服した後視力障害を来し、両眼に黄斑部変性、網膜動脈の狭細、乳頭の萎縮像、視野の著しい狭窄、暗順応の軽度低不等定型的なク網膜症の眼症状を呈した症例を経験した。」と報告するとともに、クロロキン製剤の連用に際して定期的な眼科的検査の必要性を述べた。
そして、同会において、三宅勝が「三年前から腎炎でレゾヒン(一日二五〇ミリグラム)内服を続けていた二三歳の女子、また四年前から腎炎でキドラ内服を続けていた二二歳の男子が、いずれもク網膜症を来した。」との追加報告をした。
20 東大の井上治郎らは、昭和四〇年三月二五日の第四三二回東京眼科集談会で、「東大病院物療内科と提携し、リウマチ様関節炎患者一〇〇名の眼障害の発生ひん度を調べた。角膜障害は二九パーセントに認められた。二九名中半数以上には自覚症状がなかつたが、虹視、霧視を訴えた者もある。レゾヒンとキドラでは差がなかつたが、男女別では男の方が、年令別では高年者に角膜障害の発生が多く認められた。一~二年間の投薬期間の症例と全内服量一〇〇~三〇〇グラムの症例に角膜障害の発生ひん度が最も多く、投薬期間及び全内服量と角膜障害の発生ひん度は比例関係にはない。クロロキンは現在広く使用されているので、虹視、霧視を訴えて来た患者の中にはクロロキン角膜障害もあることを念頭に入れる必要がある。」旨の報告をし、さらに論文にして発表した。同論文中で、「また、より重篤な網膜障害もあるが、これについては追つて報告する予定である。」と述べている。その報告が日本文献38である。
21 永田誠らの、レゾヒンを連用した三例の眼科的所見を述べた論文には、「第一例は、レゾヒンを二年間連用(計四八八・八グラム)して網膜症を発症した。三例中二例において、視力、視野、光覚、角膜及び眼底に何ら特記すべき変化を呈しない時期においても、ERGの変化が認められた。ERGはクロロキン網膜中毒の早期(眼底変化が著明になる以前)発見に有用である。」との趣旨のものがある。
22 広島大の細川裕は、昭和四〇年度京都眼科学会で、慢性関節リウマチのため昭和三六年五月から約三年にわたつてエレストール(クロロキン量として計二六三グラム)の投与を受けた五六歳の男子に網膜症が発生した旨報告し、岐阜医大の加藤融も一例を追加報告した。
そして、三谷登、細川裕らは、右症例につき論文を発表した(この文献が日本文献32で、この論文が掲載発刊されたのは、昭和四一年に入つてからである。)著者らは、同論文において、「この網膜障害は現状においては不可逆的病変と考えられる。リン酸クロロキンの長期使用時には定期的の血液像及び眼科的検査が是非必要なことを強調したい。かかる不幸な症例が将来再び発生しない様に願つて本報告を記し……」と述べている。
23 昭和四〇年に刊行された雑誌「リウマチ」第六巻一号には、昭和三九年の第八回日本リウマチ学会総会のシンポジウム(クロロキン・ブタゾリン等の基礎と臨床)の講演抄録が掲載されていて、その中に「……副作用としてはこの程度(すなわち、クロロキンの適量、一日二〇〇~三〇〇ミリグラムの意)の使用量ではほとんど問題にならないが、唯一の眼症状が問題である。角膜病変三・三パーセント、網膜病変は六・七パーセントにみたが、この点は前述の佐々木、間、七川と異なるので今後十分検討すべきである。これに関してはドクター・ロザーミツチから、アメリカでは網膜病変一〇〇〇~一五〇〇例に一人となつているが、クロロキンの使用が増してくる現状では、将来多少増加するのではないかとの警告が述べられた。」旨の記載がある。右の記載は、その文面等からみて、右シンポジウムにおける各講演者の報告、意見等を要約したものと推測される。けだし、同シンポジウムの一般講演において、阪大の七川歓次らは、「副作用は五八例中一一例(一八・九パーセント)で集計報告の一四・五パーセントと類似し、胃腸障害、視覚障害(網膜に変化を認めた例はない。)、皮膚障害で、いずれも薬剤中止により消退した。」と、また、東大物療内科の佐々木智也及び間得之は、「副作用としてはいずれの群も胃腸障害が最も多い。……なお網膜症変は一例もなかつた。」とそれぞれ報告したのに対し、東北大の岡崎太郎が、「クロロキンは遅効性であるが、副作用は極めて少なく基礎的長期療法としては好適であるが、最近重篤な眼病変が警告されている。我々の調査(三〇例)における発現率は角膜病変三・三パーセント、網膜病変(早期)六・七パーセントのきん少であるが、定期的眼科受診によつて重篤化の防止に努めるべきであろう。」と報告しているからである。
24 間得之らの「慢性関節リウマチの薬物療法」(「日本臨牀」第二一巻六号、昭和三八年六月)中には、クロロキン製剤の副作用につき、「視障害(重篤なものとして角膜症、網膜症の報告もある)」として、外国文献15と25が参考文献に引用されている。
25 杉山尚ら「リウマチの薬物療法」(「診断と治療」第五三巻一号、昭和四〇年一月)中には、副作用として「(3)クロロキンによる眼障害」の項に、以下のような記載がある。
一九五九年ホツブス(外国文献10)がクロロキン療法による永久的視力障害(網膜障害)を発表して以来、同一症例が相次いで報告され、クロロキンによる重篤な眼副作用として一躍世人の注目を浴びるにいたつた。我国では昨年(昭和三九年)第八回日本リウマチ学会総会のシンポジウムで私どもの報告に対し初めてクロロキン眼障害が討論されたが、今後さらに慎重に検討さるべき重要な問題である。クロロキンの眼障害は角膜障害と網膜障害であつて、これら病像はホツブス、オークンら多数の報告者(外国文献5、6、10、12、31、50、62等)によつて詳細に記載されている。
角膜障害のひん度は高率にみられるが、薬剤の服用中止によつて比較的速やかに消失するので、臨床的意義は少ない。これに反して網膜障害は進行性で薬剤の中止によつても視力障害は改善されず、不可逆的病変として重要視されている。網膜障害の原因は不明だが、眼の色素組織における高度クロロキン沈着が化学的に証明されている。現在まで既に世界で一〇〇例以上報告されているが、その発生ひん度に関しては大体一、〇〇〇~二、〇〇〇例中一例以上には発生しないであろうと推定されている。
私どもの調査成績ではリン酸クロロキン、オロチン酸クロロキン一日二五〇~三〇〇ミリグラムずつ服用患者三〇例中角膜障害一例、網膜障害二例で、発生と服用期間、年令などには一定の関係はみられなかつた。本調査では網膜障害の発生がかなり高率であるが、これらはいずれも無自覚で眼底所見は黄斑部限局の初期病変である。現在経過追跡中であるが、既に一例では服用中止後の病変消失がみられた。永久的障害を残すものと警告された網膜障害も、その後の調査によれば初期の場合には可逆的であることが最近ワインストツク、クルーズら(外国文献47、49)によつて報告されている。上述のように私どもも一例にこれを確認したが、リウマチのクロロキン療法の存廃にかかわる重要な問題であるだけにさらに検討を重ねて報告したい。
26 「リウマチ入門」アメリカ・リウマチ協会編、日本リウマチ協会訳(昭和四〇年九月)は、現在殆ど全世界で読まれている権威ある入門書であるが、同書中には、以下のような記載がある。
リン酸クロロキンでしばしば起こる眼症状は角膜浸潤による角膜疾患で可逆的である。不可逆的な網膜疾患はまれで、薬をやめた後も進行する網膜変性と視力喪失を伴う。胃腸管の、角膜の、そしておそらく網膜の中毒は薬量と関係あるものなので、慢性関節リウマチの治療にリン酸クロロキンは毎日二五〇~五〇〇ミリグラム、硫酸ヒドロキシクロロキンは毎日二〇〇~四〇〇ミリグラムの少量が勧められる。抗マラリア剤を使用するか否かを決める場合、今までにはなかつた不可逆的な網膜疾患が起こり得るのに、あえて有用と判断できるのかという疑問が起こる。危険が大きすぎて、医療には向かないと考えている医師もいる。
27 「今日の治療指針」石山俊一ら編集(昭和三九年)中の皮膚筋炎の項には、クロロキン製剤(レゾヒン、キドラ、CQC)の副作用として、「角膜、網膜にクロロキンが沈着して弱視を来すとの報告もあるが、ごくまれである。」旨の記載がある。
28 昭和四一年に刊行された雑誌「リウマチ」第六巻三号には、昭和四〇年の第九回日本リウマチ学会総会の講演(シンポジウム「関節リウマチの治療に於ける最近の動向」)抄録が掲載されている。
同シンポジウムで、東大物療内科の間得之は、「クロロキン角膜症は投薬中止によつて消失するが、網膜症は不可逆的との報告が大多数で、そのひん度は……いずれにしても網膜症の症例は世界で既に一〇〇例を越えており、本邦では筆者の知り得た範囲でも、既に一三例が数えられ、かかる点より注意を喚起したい。」と述べている。
東北大の杉山尚、岡崎太郎も「クロロキン網膜障害はその永久的視力障害が報告されて以来一躍世界の注目を浴び、現在盛んに討論されている。我々の調査では、無自覚で眼底所見が黄斑部限局の色素異常を示す初期病変であれば可逆的である。したがつて、クロロキン療法に当たつては、定期的眼科受診を実施してその早期発見に努めるべきである。本問題はクロロキン療法の存廃にかかわる重要な問題であるだけに、今後更に広範囲な調査が必要であり、また網膜障害の診断基準の確立が重要であると考えている。」と報告している。
また、同シンポジウムで、熊本大木村千仭らは、クロロキン製剤使用の関節リウマチ患者一〇六例中、角膜障害二八例(二六・四パーセント)を認めたが、網膜障害は一例も認めなかつた、クロロキンによる角膜障害は意外に多く、本剤使用に当たつては定期的な検眼、それによる投与量及び期間の調整が必要であり、この変化は可逆的であるが、放置すれば重篤となり得るので注意せねばならない、と報告している(日本文献30と同じ)。
第四節クロロキン製剤の有効性と有用性
第一我国におけるクロロキン製剤の再評価
一 医薬品評価の実施の経緯と再評価の方法及び判定基準
<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
1 厚生大臣から医薬品の有効性、安全性に関する再検討につき、かねて意見を求められていた薬効問題懇談会の昭和四六年七月七日付け答申に基づき、厚生大臣は、昭和四二年一〇月以降に承認された新医薬品を除くすべての医薬品(日本薬局方収載の医薬品も含む。)について、その有効性と安全性を再検討することとなつた(ただし、再検討の対象範囲に入る医薬品であつても、関係業者が今後とも製造、販売する意思があるものとして申請した医薬品に限つた。)。
2 その再検討の具体的な方法は、専門調査会が膨大な数にのぼる再検討対象医薬品の個々について自ら前臨床試験または臨床試験を実施しその有効性を検討することは不可能なため、当該医薬品の製造業者または輸入販売業者に、まずその効能、効果につき自己評価させ、有効と認める事項を申請させ、その申請の際に製造業者らが収集整理して提出した資料に基づき専門調査会が再検討をするというものであつた。
かくして、クロロキン製剤については、厚生省薬務局長は昭和四七年七月一五日都道府県知事あてにその再評価のための資料を同年一〇月一五日までに関係業者に提出させるよう通知を発し、昭和五一年七月二三日付けの「医薬品評価結果―その九」において、再検討申請にかかるクロロキン製剤(被告吉富はエレストールにつき、また被害住友はキニロンにつき各再検討の申請をしなかつた。)の再評価判定がなされた。
3 その再評価判定は、およそ次のような基準でなされたものである。
(一) まず、各適応(効能または効果)ごとに、「有効性の判定基準」に基づいて、有効性の判定((a)有効であることが実証されたもの、(b)有効であることが推定できるもの、(c)有効と判定する根拠がないもの、の三段階の区分で判定)をし、次にその判定の結果と医薬品の有する副作用(種類、程度、ひん度、発現予測の可能性、治療の奏効性を考慮する。)等を勘案して「総合評価判定(有用性の判定)基準」に基づいて有用性の判定((a)有用性の認められるもの、(b)適応の一部について有用性が認められるもの、(c)有用性を示す根拠がないもの、の三区分の判定)をする。
(二) 「有効性の判定基準」として、(a)有効であることが実証されたもの、とは、適切な計画と十分な管理による比較試験(これは、少なくとも、対象疾患に関する経験ある医師による試験、対象疾患に関する十分な施設における試験、試験目的に沿つた患者の適切な選択、比較される群の無作為割付け、適切な評価項目の選定、評価に際しての偏りの排除、妥当な用法・用量、投与期間、適切な標準治療またはプラセボの選択、の各事項について注意が払われているものでなければならない。)の結果により有効と判定されるもの、並びに従来知られている疾患の症状及び経過を明白かつ異論なく軽減または短縮すると認められるもの(例、麻酔剤、抗がん剤、ビタミン、ホルモン等欠乏症治療剤、化学療法剤等)を意味し、(b)有効であることが推定されるもの、とは、計画管理などの点で不十分な比較試験であつても、有効とみなし得るもの(五分の四以上の委員の同意が得られたもの。)、従来知られている疾病の症状または経過を軽減または短縮すると推定されるもの(五分の四以上の同意が得られたもの。)及び有効であることが実証されたものとして全員の同意が得られなかつたが、なお三分の二以上の同意を得られたものを意味し、それ以外は、(c)有効と判定する根拠がないもの、とされた。
(三) 「総合評価判定(有用性の判定)基準」として、(a)有用性が認められるもの、とは、各適応が「有効性の判定基準」の(a)または(b)と判定され、かつ、有効性と副作用とを対比して有用(副作用が有効性を上回らない)と認められた場合を意味し、(b)適応の一部について有用性が認められるもの、とは、適応のいくつかが右有効性基準(a)または(b)と判定され、有効性と副作用とを対比して有用と認められるが、残りの適応が右有効性基準(c)と判定された場合及び各適応が有効性基準(a)または(b)と判定され、かつ、有効性と副作用とを対比して適応の一部が有用と認められる場合を意味し、(c)有用性を示す根拠のないもの、とは、各適応が右有効性基準により(c)と判定された場合、有効性と副作用とを対比して各適応が有用と認められない(副作用が有効性を上回る)場合及び右有用性の基準で(a)または(b)であつてもその投与方法、含有量または剤型からみて存在意識の認められない場合を意味していた。
二 クロロキン製剤の再評価結果
前記の昭和五一年七月二三日付け「医薬品再評価結果―その九」において、クロロキン製剤が腎炎(急性腎炎、慢性腎炎)、妊娠腎についてその尿蛋白の改善には有用性が認められるが、有効性と副作用を対比したとき副作用が上回る場合があるので、有用性は認められないと判定され、また、てんかんについては有効と判定する根拠がないとされたことは、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、その余の当時者間においては、<証拠略>によりこれを認めることができる。
ところで前記一掲記の各証拠によると、種類別にみた右再評価結果の詳細は次のとおりであることが認められる。
1 オロチン酸クロロキン(キドラ)
キドラの各適応中、慢性関節リウマチについては、有効であることが実証されたもの、慢性円板状エリテマトーデスについては、有効であることが推定できるもの、てんかんについては、有効と判定する根拠がないもの、とそれぞれ判定され、前二者の適応は有用性も認められたが、慢性腎炎及び妊娠腎については、その尿蛋白の改善につき有効性は認められるが、有効性と副作用を対比したとき、副作用が上回る場合があるので、有用性は認められないと判定された。すなわちキドラは、総合評価判定で、適応の一部について有用性が認められるものとされた。
ただし、用法及び用量につき、慢性関節リウマチに使用する場合「本剤は他の薬剤が無効な場合にのみ使用すること。オロチン酸クロロキンとして、通常成人初期一日六〇〇ミリグラムを標準として経口投与し、年齢、症状により適宜増減する。効果が現れたら(通常一~三か月後)減量し、維持量として一日二〇〇~四〇〇ミリグラムを経口投与する。なお、投与開始後三~六か月たつても効果が現れない場合は投与を中止すること。」と、又慢性円板状エリテマトーデスに使用する場合、「他の薬剤が無効な場合にのみ使用し、一~二か月以内に効果が現れない場合には投与を中止すること。オロチン酸クロロキンとして、通常成人一日二〇〇~六〇〇ミリグラムを二~四回に分割経口投与する。なお、年齢、症状により適宜増減するが、体量一キログラム当たり一日九ミリグラムを超えないことが望ましい。」と、それぞれ条件が付されている。
2 リン酸クロロキン
適応中、マラリアと慢性関節リウマチについては、有効であることが実証されたもの、慢性円板状エリテマトーデスについては、有効であることが推定できるもの、てんかんについては、有効と判定する根拠がないものと判定され、前三者の適応は有用性も認められ(なお、慢性関節リウマチと慢性円板状エリテマトーデスの用法及び用量については、キドラと同一の条件)、急性腎炎、慢性腎炎及び妊娠腎による尿蛋白の改善並びにネフローゼに有効性は認められるが、副作用が上回る場合があるので、有用性は認められないと判定された。
3 コンドロイチン硫酸クロロキン(CQC)
適応中、慢性関節リウマチについては、有効であることが実証されたもの、慢性円板状エリテマトーデスについては、有効であることが推定できるものと判定され、それぞれ有用性も認められた(ただし、その各用法及び用量はキドラと同じ条件)が、腎炎による尿蛋白の改善及びネフローゼについては、有効性は認められるものの、副作用が上回る場合があるので、有用性は認められないとされ、総合評価判定では、適応の一部について有用性が認められるものとされた。
第二外国におけるクロロキン製剤の評価
一 アメリカ及びイギリスにおける実情
<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
1 アメリカにおいては、リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠が合衆国薬局方(USP)の第一四版(一九五〇年(昭和二五年)一月七日から有効)に収載されたが、引き続き第一七版(一九六五年(昭和四〇年)九月一日から有効)、第一八版(一九七〇年(昭和四五年)九月一日から有効)及び第一九版(一九七五年(昭和五〇年)七月一日から有効)にも、抗マラリア、抗アメーバ、エリテマトーデスの治療薬として収載されてきており、FDAは、一九七一年(昭和四六年)に、国立科学院、国立研究協会の医薬品薬効研究グループの報告に基づき、リン酸クロロキン(アラーレン)がマラリアのみでなく、円板状、全身性エリテマトーデス及び関節リウマチにも有効であると結論づけた。
2 イギリスでも、同国薬局方(BP)の一九五三年(昭和二八年)―一九五五年(昭和四〇年)追補(一九五六年(昭和三一年)三月一日から有効)に、マラリア、アメーバの治療薬としてリン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠が収載されて以来、一九六三年(昭和三八年)の薬局方(一九六四年(昭和三九年)一月一日から有効)、一九六八年(昭和四三年)の薬局方(一九六九年(昭和四四年)三月三日から有効)、一九七三年(昭和四八年)の薬局方(同年一〇月一日から有効)にも、いずれもマラリアのみでなく、円板状エリテマトーデス(一九六八年(昭和四三年)の薬局方以降はエリテマトーデス)及び関節リウマチの治療薬として収載されてきた。
二 エリテマトーデス及び関節リウマチに対する有用性の国際的承認
<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、クロロキン製剤がエリテマトーデス及び関節リウマチに効果がないとするもの、あるいはその効果を疑うものはなく、エリテマトーデス及び関節リウマチに対しクロロキン製剤が有効であることは確立した見解であること、もつともク網膜症が知られるようになり、昭和三九年当時には、その重篤性に照らしクロロキン製剤の有用性に疑問を呈する者も一部に現れたが、それにもかかわらず、FDAは昭和四六年になつて前記結論を出し、今なお依然としてUSP及びBPにはリン酸クロロキンが収載され続けており、エリテマトーデス及び関節リウマチに関する限り、クロロキン製剤の有用性は国際的には一般に承認されているとみられることがそれぞれ認められる。
第三腎炎、てんかん、エリテマトーデス及びリウマチに対する有効性と有用性
一 腎炎等の腎疾患に対する有効性と有用性
1 前記のとおり、被告吉富が我国で初めてレゾヒンIの適応に腎炎を加え、同武田がこれを販売したのは昭和三三年八月以降のことである。そして、諸外国で急性、慢性腎炎、妊娠腎等をクロロキン製剤の適応として承認している国が一つもないことは、原告らと被告国との間に争いがなく、その余の当事者間においては<証拠略>によつてこれを認めることができる。また、<証拠略>によれば、クロロキン製剤が右の腎炎等に対しても効果があるとして販売され、臨床上右の腎炎等の治療薬として使用されたのは我国のみであることが認められた。
2 (一) <証拠略>によれば、次の(二)ないし(八)の各事実を認めることができる。
(二) 神戸医科大学第二内科の藤田嘉一らは、昭和三三年六月一五日開催の第三五回(内科学会)近畿地方会において、次の内容の報告をした。
抗マラリア剤クロロキンを各期腎炎患者一〇例に投与して左記のような結果を得た。
(1) 急性腎炎五例(うち男三例)には平均三~四週間服用させたが、二~三週間後に効果発現し、尿蛋白、沈渣、その他の症状も著明に改善され、なお、うち一名は特に腎機能の改善をみた。
(2) 慢性腎炎三例(うち男一例)では尿蛋白には三例とも効果が現れ、うち一例に特に著効があつたが、沈渣には三例とも著効はみられなかつた。
(3) ネフローゼ腎炎二例(うち男一例)のうち一例は尿所見が著明に改善されたが、他の一例は何ら著変をみなかつた。
(4) 副作用は胃腸障害、心悸亢進、眼の違和感等が認められたが、投薬を中止する程のことなく続行した。
これが、我国において、クロロキン製剤の腎炎に対する効果を肯定した最初の公式発表であり、その二か月後の同年八月に被告吉富がレゾヒンの適応に腎炎を加えた。
(三) 次いで辻昇三ら右の報告を行つた神戸医科大学第二内科のスタツフは、右の報告症例を中心として論文をまとめ(なお、医療機関としての被告国の被用者である日和佐一良医師も名を連ねている。)、「腎炎の薬物療法――特にクロロキン療法に就いて――」(辻昇三ら綜合臨牀第七巻第一二号、昭和三三年一二月)と題して発表したが、その要旨は、次のとおりである。
汎発性糸球体性腎炎(以下(三)においては「腎炎」という。)の発生病理については、連鎖球菌感染の際に、ある種の菌種の菌株では菌体中に催腎炎性物質を含むものがあり、この催腎炎性物質が生体内で遊離すると、その特有の二重性格、すなわち一方では生体内の毛細血管構造に定着すると同時に、他方ではその生体に対して抗原性をもつているところから、抗体の生産を促し、そこに発生してくる抗体が相当量に達すると、毛細血管に定着している抗原性物質との間に、抗原抗体結合を起こし、その結果がアレルギー性毛細血管炎となつて激発する。ここに発生した毛細血管炎の臨床像が人類腎炎である。
かように、疾患の本態についてはかなり解明されているが、さて治療法となると、二〇世紀の半ばを過ぎて、なお、我々は本世紀初頭と大して変わることがない位置にいるといわなければならない。事実、安静及び食餌療法を除くと、本質的な適確な治療法を我々は知らないといつてよい。
我々の教室では年来この難治の、特に急性期を過ぎて慢性期に移行しそうな症例の治療法を研究している。近来、リウマチ性関節炎にも奏効すると称せられているクロロキンを、同じ発症機序が予想される腎炎に使用してみた。当初大して期待していなかつたが、現在までの経験からみると予想をはるかに超えて、薬剤として最も優秀な成績を得たので、例数はまだ十分ではないが、諸家の追試を期待して、ここに報告する次第である。
我々の内科に入院中の腎炎患者一〇名に、レゾヒンもしくはアラーレン(主にレゾヒン使用)を通常一日一錠(二五〇ミリグラム)を服用させた。その結果は、使用量、効果発現日及び腎の局所炎症所見として最も信頼できる蛋白尿及び尿沈渣所見に対する効果、副作用の各方面から総括できる。急性腎炎の四例の治癒のはかばかしくない例に使用した結果いずれもきわめてよく奏効したとの印象を受けた。慢性腎炎の各例においても大なり小なり効果を認めた。ネフローゼ加味腎炎の比較的新鮮な症例の蛋白尿その他に対しては、一例で奏効し、他の一例で無効であつた。
効果の発現は主として蛋白尿及び尿沈渣の改善となつて現れるが、症例によつてはこれと同時に一般状態もよくなり、気分も爽快となりあるいは倦怠感の消失を訴えるものもあつた。クリアランス法による腎機能検査を治療前後に行つた例を述べると、慢性例二例、急性例一例において改善がみられた。
副作用については、めまい及び眼のチカチカする感じ等の神経症状等がみられたが、いずれもごく軽度であり、かつ、一過性で一~二日の休薬で消退するものが多く、したがつてクロロキンの長期療法に支障をきたすようなことはなかつた。また持続療法によつて副作用の消失する場合すらあつた。この点は既にエリテマトーデスあるいはリウマチ性関節炎の治療に際して行われている点からも安全な療法といつてよい。
次に作用機転について考えてみると、クロロキンについても、特別の研究をしているわけではないが、最も確実に効果の現れる所は尿中の蛋白及び沈渣所見の改善であるから、クロロキンの主な作用は糸球体毛細血管構造に結合してそこに起こつている治り難い炎症性反応を直接に安定(鎮静)せしめる点にあると考えている。これらの点についてはさらに電子顕微鏡検査等によつて確かめる計画である。
急性腎炎の治癒し難く慢性症に移行する憂いのあるもの及び急性腎炎後遺症として軽度の蛋白尿を残す慢性腎炎症例は最もよい適用範囲に属するとの印象を受けた。いずれにしても薬物療法の可能性のきわめて少ない腎炎の糸球体病変に奏効する薬品を得たことは腎炎の治療に対し希望を与えるものである。
(四) 辻は、また、「糸球体炎の治療に就て」(日本腎臓学会誌第二巻二号、昭和三五年四月)と題した論文において、前記一〇例にさらに三例を加えて報告し、「効果の発現は、やはり七日~一〇日前後から始まり、長期持続性により確かに糸球体に奏効するとの臨床的印象を受けた。殊に沈渣所見の改善は早期から始まる。最もよい適応症は急性期から慢性期への移行症でないかと考えている。」と述べている。また、「最近になつてクロロキン製剤の新しい型のものとしてヒドロキシクロロキンが登場したのでこれについても短期間であるが臨床的実験を行つている。まだ結論は得難いが、療法開始後三週間の成績は二、三の症例について例示(次に掲げる「ヒドロキシクロロキン治験例総括表」(省略))するとここにもやはり効果がみられるようであるが、他のクロロキン製剤との優劣はにわかに決し難い。用量は一日二錠である。」という。そして結論として、「以上病巣清浄、断食療法を含む降圧療法、副腎皮質ホルモン及びクロロキン等の抗炎症剤の併用と、従来よりの安静、食餌療法との併用によつて、腎炎の治癒をかなり促進する可能性があると考えられる。なお、治療法の目的はもちろん完治にあるが、最近の腎機能検査法の結果からみると、糸球体炎の治癒いかんは当然のことながら腎流血量およびGFRの多寡と平行する感がある。流血量及びGFRの比較的低くないものは治りやすく、かつ、病勢の停止の希望は多いが、治療上の目標を完治という線から病勢の停止という線にやや引き下げて考えてみる必要があることを痛感している。上記に書き連ねた療法も、病勢停止、患者の腎不全に至るまでの期間の延長という意味から応用を考えてみると、従前に比しての治療法の進歩があるということを確言し得るのではないであろうか。」と述べ、クロロキン製剤が右のような効果を有するのは、これら薬剤が腎糸球体基底膜に特異な親和性をもつ点にあると考える旨説明している。
(五) さらに辻らは「腎炎の治療」(総合臨牀第九巻第五号、昭和三五年五月)において、腎炎の急性期、回復期(慢性移行期―慢性期)、エリテマトーデス腎炎及び腎盂腎炎のそれぞれの治療法を述べたうえ、右回復期のクロロキン療法につき、右と同趣旨のことを記述している。
(六) 大伴清馬らは、「リン酸クロロキンによる腎炎の治療経験」(日本臨牀第一八巻第七号、昭和三五年七月)において、要旨次のとおり記述している。
最近、腎炎の発病機構より考察して、クロロキンの腎炎に対する応用が試みられるようになつた。すなわち、辻教授は一〇名の急性及び慢性腎炎患者にクロロキンを使用して相当の効果を挙げ得たことを報告している。
私どもも腎炎(急性腎炎二例、亜急性腎炎一例、慢性腎炎一一例、計一四例)にリン酸クロロキン(レゾヒン)を投与して、蛋白尿の全く消失したものが六例、減少三例、不変五例、尿沈渣中の赤血球が全く消失したもの五例、減少六例、不変二例、P・S・P、糸球体ろ過値、腎血流量については、大部分が正常値か、またはこれに近い値に改善されるのを認めたが、残留窒素の値に著変を認めない、という治療成績をみた。
本剤の腎炎に対する治効機転は、主として罹患局所である腎糸球体毛細血管構造に起こつている治癒し難い炎症性反応を直接に鎮静せしめる点にあると考えられている。この点に関しては、私どもの実験でかなりの症例に尿蛋白の減少ないしは消失、尿沈渣所見の改善、糸球体ろ過値の正常化を認めたところからして、一応首肯し得るところである。
また、蛋白尿の消失、尿沈渣の改善等の認められる時期は各例によつて異なり、わずか一四例の治療成績であるので確定的なことはいえない。
腎炎に対するクロロキンの投与は長期間、大量に行わねばならないものであるから、副作用は特に少ないものが望ましい。
本実験中に蛋白尿及び尿沈渣所見の改善を認めた数例において、クロロキン投与を中止すると数週間後再び蛋白尿、尿沈渣中の赤血球が出現するのを観察した。このことは蛋白尿、赤血球が陰性化しても、なおかつ本剤の使用を続けた方がよいことを示す。しかしクロロキン投与によつて蛋白尿、赤血球が陰性化してから、なおどの位の量、期間の継続が必要であるかは今後の研究をまたねばならない。
(七) 若林麟之助は、「糸球体腎炎尿所見におよぼす各種薬剤の影響―第一報 ルチン剤、グリチルリチン剤およびクロロキンの影響」(綜合臨牀第九巻第一一号、昭和三五年一一月)において、要旨次のとおり述べている。
腎機能検査法としては、各種薬剤によるクリアランス法、色素排せつによる機能検査法等があるが、最近は腎生検により病理組織学的にその本態を解明しようとする方向に向かつている。しかし、我々実地医家が簡単に、またどこにおいても行い得る方法としては従来の尿所見を基礎とする検査が最良と考えられる。
エリテマトーデスに効くクロロキンは同じくアレルギー性と考えられる急性腎炎に対しても何らかの効果が期待できるのではないかとの予想の下に、辻はクロロキン製剤であるレゾヒンを一〇例の本症に使用し、尿所見の改善をみたのみならず、慢性化したものにおいても蛋白尿の減少、尿沈渣の軽快をみている。かつ、その作用機転としては主に糸球体毛細血管における炎症性変化を阻止するためであろうという。
我々は五例の急性及び慢性腎炎にこれを追試してみた。その結果、五例のうち有効二例、無効一例、効果の判定できなかつたもの二例であつた。わすが五症例であるから確かなことはいえないが、クロロキンが時に有効と思われる例もある。
(八) 以上が、昭和三三年六月辻を中心とする神戸医科大学第二内科が我国で初めてクロロキンの腎炎に対する奏効性を提唱して以降昭和三五年末までに(なお、同年一二月一六日キドラの製造許可がなされている。)公表された治験論文のあらましであり、症例数は、全部合計して三八例である。
なお、被告小野が同年九月キドラの製造許可申請の際に依頼し収集したオロチン酸クロロキンの腎炎等に対する効果に関する治験成績の報告は、その頃いずれも未公表であつた。
そして、クロロキン製剤の腎炎等に対する効果を肯定する文献は、右キドラの治験成績報告のほか、昭和三六年以降昭和四〇年までに多数公表されているほか、昭和四八年までにも同旨の外国(ドイツ、フランス及びソ連邦)論文が公表されている。
結局、我国の右の各治験成績報告や論文にみられるクロロキン製剤の腎炎等に対する主たる、そして顕著な効果は、尿蛋白の改善(消失あるいは軽減)であつた。
3 そこで、次に、本件で問題とされるべき急性、慢性腎炎、ネフローゼ、ネフローゼ症候群、妊娠腎等の腎疾患といわれる蛋白尿との関係について検討する。
(一) <証拠略>によれば、次の各事実を認めることができる。
(二) 腎そのものに原発する病変としては腎炎(急性及び慢性腎炎)とネフローゼ(またはネフローゼ症候群)があるが、いずれも腎組織中の糸球体が主として侵される疾病である(それゆえ、医学上正確には、腎炎は「糸球体腎炎」という。)。なお、ネフローゼは、当初これが糸球体の病変でなく尿細管の変性であると考えられたため、そう名付けられたのであるが、その後これもまた主病変が糸球体にあることがわかつてきたものである。
なお、キドラの適応としては、前記のとおり、妊娠腎も挙げられており、原告柿山球代17は妊娠中毒症の治療のため、個別損害認定一覧表記載のとおりキドラを服用しているが、妊娠中毒症は前期妊娠中毒症と後期妊娠中毒症とに分けられ、腎臓障害を伴つてくるのは後期妊娠中毒症であつて、高血圧、蛋白尿、浮腫などがみられる。妊娠中毒症は、分娩後すみやかに症状が消失するものであるが、一か月以上たつても症状の残る妊娠中毒症後遺症も、妊娠中毒症患者の三〇~四〇パーセントにみられる。後遺症として最も多いものは高血圧で、約半数にみられ、次いで蛋白尿が約三五パーセントある。浮腫を残すことは少ない。妊娠中毒症については、食塩の制限、蛋白質を多くとることにより予防または軽減することができるといわれ、ビタミン類も十分にとり、適当な安静臥床も必要であるが、軽症の場合でも安静、食餌療法、薬物療法などが行われ、重症のときは、妊娠中絶を決意しなければならない。
急性腎炎は、溶血性連鎖状球菌その他の細菌の感染後、抗原・抗体に補体が一緒になつて免疫複合物が糸球体壁に沈着して発病するが、大多数(小児では八〇パーセント以上、成人でも約六〇パーセント前後)は安静と食餌療法で完全に治癒する。
慢性腎炎は、急性腎炎から移行するものと、原因不明のものとがあり、その臨床的病型にはいろいろな型(例えば、潜在期、進行期、ネフローゼ期、慢性腎不全期)があり、各型が相互に重なり合つたり、他の型に移行したりする。慢性腎炎は悪化すると尿毒症になり、人工腎臓、透析の助けをかりないと、ついには生命を維持できなくなる。その各症状に応じて安静、食餌療法を中心に薬物療法(対症療法)を行うのであるが、未だ慢性糸球体腎炎そのものを治癒させたり、もしくはその進行を抑制するための特効的ないしは画期的療法はない。腎炎の特徴的な症状は、蛋白尿、浮腫及び高血圧である。
ネフローゼ症候群には、腎臓が原発の一次性ネフローゼ症候群が圧倒的に多く、他の種々の原因疾患が腎臓を侵して発症する二次性ネフローゼ症候群があるが、どちらも症状は同じで、それは、高度の蛋白尿及び浮腫並びに低蛋白血症を特徴とする(原因いかんを問わず、かかる共通の症状を呈するので、ネフローゼ症候群という。)。
腎臓疾患による蛋白尿の発生機序については、まだよくわかつていない点もあるが、大体次のような要因のいずれかによるものと考えられている。
<1>糸球体からの蛋白質ろ過量の増加、<2>尿細管再吸収の低下、<3>血漿蛋白質に糸球体透過性の大きい異常蛋白質の存在、<4>尿細管及びそれ以下の尿路からの蛋白質の分泌などがそれであるが、これらの要因は単独にも、あるいは二つ以上が同時に存在することもある。
蛋白尿の程度は、原因疾患の種類、病期、軽重によつて大きく変化する。蛋白尿を左右する要因として第一に考えられるのは、糸球体からのろ過と尿細管からの再吸収量の変化(糸球体から大量の蛋白が漏れ出るため、尿細管が蛋白を完全に再吸収できないことによる。)であり、さらに血漿アルブミン量の動きも大きな影響を与えている。したがつて、蛋白尿の程度が軽くなることは、腎臓の病変の改善による場合もあるが、また血漿アルブミン量の低下や、機能廃絶の状態になつた糸球体が増加して糸球体からのろ過度が全体として減少するなど、病変の進行による場合もあるところから、臨床的には蛋白尿の程度だけからは腎臓疾患の経過や予後を判断し得ないとの見方もあつた。この考えは、つまり、蛋白尿の程度が軽くなることと糸球体の病変を治すこととはイコールではなく、それゆえ、蛋白尿は腎炎のある側面を表現するにすぎないから、蛋白尿だけを治療の対象にしてもあまり意味がないとしたのである。しかし、蛋白尿が出ている腎炎では、他に根本的に治療する方法がないので、対症療法として蛋白尿を改善する薬剤を使うことは臨床上やむをえないし、患者に対する精神的効果も無視し得ないとされ、また、蛋白尿が消失することは、急性腎炎ではこの「病気」が軽くなつたことを意味し、他の疾患でもその患者によつては「病気」の消長と密接な関係があるといわれていた。
このように、一口に腎疾患といつても、その病態はかなり複雑であり、これらについての医学的知見も時とともに変化しているが、尿所見(血尿、蛋白尿)は、血圧、浮腫と並んで腎病変の診断に当たつて留意すべき重要な指標であつた。そして腎疾患が透析を要する状態にまでいたつた者の病状は、これを軽いものということはできず、また、腎疾患について、いわゆる特効的ないしは画期的治療法の存しないことはもちろん、長期にわたる療養を必要とする場合も少なくない。この意味において、腎疾患は、これを悪性新生物の場合と対比させることの当否はともかく、難病ないしは難治性疾患といつて差支えない。
(三) そして、前記のとおり、クロロキン製剤が腎炎に効果がある旨の治験報告等が多数発表される一方、これに対しては、昭和三六、七年頃から、特に大学研究者の側からする批判的意見、さらには無効であるとの意見さえもが現れていた。
すなわち、昭和三六年の第四回日本腎臓学会総会において、糸球体腎炎三二例にプレドニソロン、クロロキン(キドラ)、ATP等を投与して臨床的諸相に及ぼす影響を検討し、さらに投与前後の組織学的変化を比較して報告(クロロキン使用例では急性糸球体腎炎二例にやや有効、三例に無効、中間期糸球体腎炎では三例に尿蛋白の減少、コレステロール値の低下を認め、やや有効であつたが、二例では無効)した東京慈恵医大上田泰らに対し、阪大中検の阿部裕は、「腎炎の治療剤の効果判定は慎重であるべきことはお説のとおりで、クロロキン、ATP等の作用が既知の生理化学の理論によるものではなさそうな点も勘案して、これら薬剤の生作用を明らかにして三剤の比較をするより、むしろ適応を決め、併用を試みることも今後の問題ではないか?」と発言し、順天堂大の大野亟二は、いずれもクロロキンオロテート(キドラ)を腎炎に使用した三つの治験報告(いずれの報告も、全部もしくは一部有効という。)に対して、「…私共も過去二年間クロロキン製剤を短きは一か月長きは六か月以上にわたつて使用したが、結果論的には効果をほぼ認め難かつた。プラシーボをおいてもつと厳密に効果をうんぬんすべきものと思う。」と述べた。
そして、右報告の一つに対し、上田泰も「糸球体腎炎の治療に薬剤を使用した際に、腎機能特に腎イクアランスの変動をいう場合は慎重を要する。」と批判し、右治験報告者の一人である市立堺病院の王子喜一は、「急性腎炎は自然治癒もあり、演者も言いましたように、問題もあり、治効の決定をもとより差し控えたい心構えであります。演題にありますように、影響をみたもので治癒ということは更に検討を要することであり、論外であると思います。…」との追加発言をした。
さらに、右三つの報告に関し、京大内科の前川孫三郎は、「キドラの治療効果は辻君らの同僚で批判的な経験を重ねていますが、今の情況では効くとも効かないとも判定出来ないのです。これは十分慎重のつもりでまだ発表の域でありませんが、そう一気に結論を急がずにおやり願いたいと思います。」と述べ、最後に、辻昇三は次のような発言をした。「クロロキン療法の効果については色々と意見の一致しない点もあるが、アテブリユルに続いて本療法に移行したきつかけは、これら薬品はいずれも小血管病変を含むいわゆる膠原病に対して使用されているものであり、毛細血管炎、殊に毛細血管外鞘炎とも考えられる腎炎に対しても効果を期待した訳である。緩徐に作用する薬品であるから、適応例に限界があるが、ステロイド療法等と併用することにより将来性を期待しているものである。」。
次に、第五回日本腎臓学会総会(昭和三七年一〇月開催)において、順天堂大の山川邦夫、大野亟二らは次の要旨の報告を行つている。
「急性腎炎三名、慢性腎炎一九名、ネフローゼ症候群一名に、投与量を原則としてクロロキン一日三〇〇ミリグラム以上六〇〇ミリグラムまで、コンドロイチン硫酸四グラム以上、使用期間は一四日から五二五日にわたつて投与した。治療成績は、<1>慢性腎一九名中、全部無効、殊に九例で蛋白排せつ量の増加等増悪の状態を示し、<2>ネフローゼ症候群一名についても全く無効、<3>急性腎炎三例では、無効一例、二例については蛋白排せつ量の減少をみたが、他の臨床検査と併せ考えると自然治癒と思えるものであつた。」
かように報告したうえ、大野は、「コンドロイチン硫酸製剤及びクロロキン製剤の腎疾患に対する有効性はまことに疑問である。慢性腎炎に対してはほとんど全部無効、急性腎炎例で使用中増悪を見た例すらあつたので、これら薬剤の臨床効果の再検討の必要がある。」と追加して述べている。
もつとも、右報告に対し、東大小児科の高津忠夫は、「クロロキン製剤が無症候性の蛋白尿に効いた例があるゆえ、私どもは無効とは思つていない。」と発言している。
右のように、昭和三六、七年の日本腎臓学会の大勢は、クロロキン製剤を用いると尿蛋白の消失あるいは減少をきたすことはある、という前提で前記の論争をしていたのである。それは要するに、蛋白尿の改善という効果が現れるのは、そもそもクロロキン製剤が腎の病変それ自体を治したからなのか、それともそうではなくて、ただ単に蛋白尿の改善を来たしただけなのか、という論争であつたものと思われる。すなわち、この頃は、まだクロロキン製剤による蛋白尿の改善イコール腎の病変の治癒か否かが論じられていたもので、そのいずれとも判定できない情況にあつたといえる。
(四) 一方、腎炎にみられる蛋白尿の成因については、炎症性破壊によつて基底膜の幅が減じて甚だしく薄くなることは、蛋白の通過を阻止する機能が減少することとなるが、この基底膜の韮薄化がアルブミン尿すなわち蛋白尿の原因である、との知見が、既に昭和三〇年代初めから電子顕微鏡の導入によつて得られており、この基礎的知見をもとにして、辻は「腎の局所炎症所見として最も信頼出来る」ものが「蛋白尿及び尿沈渣所見」であると述べていたのである。しかし、蛋白尿の成因のすべてを「基底膜の韮薄化」に一元化することができるかどうかについては問題があり、昭和五二年一二月発行の「冲中内科書」四三版(昭和四七年九月発行の五刷)は、次のように述べている。
蛋白尿の発生機序については、まだよくわかつていない点もあるが、大体次のごとき要因のいずれかによるものと考えられている。<1>糸球体からの蛋白質ろ過量の増加、<2>尿細管再吸収の低下、<3>血漿蛋白質に糸球体透過性の大きい異常蛋白質の存在、<4>尿細管およびそれ以下の尿路からの蛋白質の分泌などがそれであるが、これらの要因は単独にも、あるいは二つ以上が同時に存在することもある。腎臓疾患にみられる蛋白尿については、糸球体からの蛋白質ろ過の増加が主役を演じている場合が多いのであろうが、正常時においても糸球体ろ過液の中には三〇~五〇ミリグラム/デシリツトルの蛋白質が含まれていることからみると、一日量として五〇ミリグラム内外の蛋白質は糸球体からろ過されているのに、実際の尿中への蛋白質の排泄は正常尿できわめて微量にすぎないことは、尿細管における蛋白質再吸収の意義が大きいことを示している。血漿中に異常蛋白質があつて蛋白尿を起こしているのは、血色素尿症・骨髄腫のときのBence-Jones蛋白尿症のような特殊の場合であり、尿路からの蛋白質の分泌による蛋白尿は尿路結石・尿路の腫瘍・リウマチ様関節炎その他の前身性疾患などにみられることがある。
腎臓疾患における蛋白尿は、場合によつては殆ど認められないこともあり、軽度ないし中等度の蛋白尿を示すこともあり、またときには一日量二〇~三〇グラムあるいはそれ以上の大量の蛋白質を含有することもある。一般に蛋白尿の程度は、夜間の安静時よりも、昼間の体動時や発熱に強い傾向がある。蛋白尿の程度は、原因疾患の種類、病期、軽重によつて大きく変化するものである。蛋白尿を左右する要因として第一に考えられるのは、糸球体からのろ過と尿細管からの再吸収量の変化であり、さらに血漿アルブミン量の動きも大きな影響を与えている。したがつて蛋白尿の程度が軽くなることは、腎臓の病変の改善による場合もあるが、また血漿アルブミン量の低下や、機能廃絶の状態になつた糸球体が増加して糸球体からのろ過量が全体としては減少するなど、病機の進行による場合もあり、臨床的には蛋白尿の程度だけからは腎臓疾患の経過や予後を判断し得ないわけである。
右のような考え方によれば、「糸球体からの蛋白質ろ過量」が主役を演じている限度において、蛋白尿の改善は、腎炎における炎症沈静の結果と評価できる場合がないわけではないが、同時に「尿細管からの再吸収量の変化」や「血漿アルブミン量の動き」をも無視できず、また、「糸球体からの蛋白質ろ過量の減少」は、「血漿アルブミン量の低下や、機能廃絶の状態になつた糸球体が増加して糸球体からのろ過量が全体として減少するなど、病機の進行による場合もある」、とすれば、「臨床的には蛋白尿の程度だけからは腎臓疾患の経過や予後を判断し得ない」とするのも一応もつともということになろう。
(五) ところが、比較的最近までに得られた多くの科学的研究の成果によれば、蛋白尿の程度は、腎炎の経過や予後と深くかかわつていると考えられ、これまでにおいても、臨床の現場においては、多くの医師が経験的に蛋白尿を診ることにより腎炎の経過、予後を把握してきたものといえる。
例えば、昭和五三年頃になつてのことであるが、樋口敏夫は、二六〇名の患者の遠隔予後調査を行つてその結果を分析、検討し、蛋白尿と腎機能の関係について、治療が奏効して退院時の蛋白尿が軽微となり得たものは予後良好なのに、相当量の蛋白を遺残せねばならなかつたものは予後不良であるというように、両群は全く異なる経過をとることがわかつたとし、「やはり腎機能は蛋白尿と軌を一にして推移するものとみてよいわけである。……蛋白尿も高血圧も腎臓病の一症状、結果であつて原因ではないにしても、このように腎機能と深い関係があるのだとしたら、腎不全への進行を妨げるにはできるだけ蛋白尿を抑え、高血圧の発生を防ぐことが必要であり、吾々に残された道ではないだろうか。」と指摘し、東条静夫らも糖尿病性腎炎に関して多くの症例を分析、検討した結果、蛋白尿の程度と予後との関連について、「一般に蛋白尿の出現が腎機能の低下に関連することを考慮しても蛋白尿の出現とその量が予後に大きな影響を与えていることが示された。」とし、腎機能と予後との関係に関して、「腎組織像の悪いものが、腎機能の低下を示す率が高いことは明らかであるが、それに加え大量の蛋白尿の存在が腎機能低下に拍車をかけていると考えられる。」と述べ、さらに蛋白尿と予後について、「以上いずれも蛋白尿陽性の患者の予後が不良であることが示されているが、とくにWatkinsらの述べているごとく、大量の蛋白尿が予後不良の指標となりうることは、すでに我々の成績で強調したところである。」と指摘したうえ、まとめにおいて、「蛋白尿の有無は簡便なる指標であるが、腎機能の低下とあいまつて、予後に著明な影響を与えていることが示唆された。」とし、大量の蛋白尿は腎機能の低下を促していると考えている。
また、古川俊之らは、蛋白尿の腎疾患の予後に対する影響を研究することとなつた動機について、「蛋白尿は腎疾患の主症状の第一に挙げられる重要な特徴である。このことは蛋白尿が単に腎疾患の診断だけではなく、病態生理の成立に当つても重要な要素であることを意味している。それほどの重要性をもつにもかかわらず、蛋白尿の腎疾患の予後に対する影響を定量的に評価することは、これまで不可能であつたに等しい。もちろん経験的には専門医を含めた多くの医師が、患者の経過を心の中で測るのに蛋白尿の程度を主な手がかりにしていることは、ある種のアンケート調査でも判つている。……
ここでは以上のような医師の経験的行動が、これが教育によるものか自ら獲得したものかを問わず、全く正当なものであることを科学的な方法で証明しようとした。」
と述べたが、右の研究の結果により右の証明がなされたものとしているのである。そして、昭和五七年頃には、樋口敏夫が「…なんとかして蛋白尿を消しうれば、それだけ好転の可能性が大きくなるともいえる。本質的な問題を解明することが先決であることは論をまたないが、実際の臨床面でも蛋白尿を消す努力をすることが腎不全の進展を阻止する一助となるであろう。」と述べるにいたつたのであつて、右の医師らの経験的判断が結果として正当であつたことが、右の研究成果によつて確認され、あるいは立証されたものといえる。
(六) したがつて、前記の、「臨床的には蛋白尿の程度だけからは腎臓疾患の経過や予後を判断し得ない」とする考え方は、当時の個々の臨床に対する、学問の側からする重要な理論的警告ないしは指摘であつたというべきではあるが、臨床の現場に重点を置いたその後の調査、研究の結果は、個別的な患者についてはともかく、傾向としては、腎病変における尿蛋白の推移は、その経過や予後と無関係ではなく、かえつて重要な相関を有することを明らかにしたものといえる。
したがつて、昭和四〇年前後の当時はもとより、現在でも腎炎の治療に際して、蛋白尿の減少を目標とすることは合理的であり、腎炎の進行を抑制して腎不全に陥る時期を遅延せしめることは、腎炎の根治療法が確立していない以上、最大の治療効果の一つとみざるを得ない。
(七) また、ある時期の蛋白尿の程度と、以後の病状の進行性との関連について、まだ明確な形で立証がなされなかつた時代においても、多くの医師は経験的に両者が密接に関連することを知つており、患者の経過を予測するのに蛋白尿の程度を主な手がかりとしていたわけであり、それだからこそ、蛋白尿減少効果のある薬剤としてクロロキン製剤が注目され、その効果を判定するのに蛋白尿の改善を指標の一つとしていたものであるともみることができる。
そして、右の事情は、本件の原告患者らに対するクロロキン製剤の投与が問題となつている昭和三四年春(最も早い時期にクロロキン製剤の投与を受け始めた原告寺田貞雄60)から昭和四五年七月(最も遅い時期にクロロキン製剤の投与を受け始めた原告清水桃子9)の間における知見ないしは診断、治療法の進歩を考慮しても、さしたる径庭はなかつたのである。
4 (一) 右の認定の各事実及び<証拠略>によれば、腎疾患の治療法、特に薬物療法につき、次の事実を認めることができる。
腎炎その他の腎疾患の罹患者の数は我国において一〇〇万人前後にも達するとみられるほか、クロロキン製剤が腎疾患の治療薬剤として販売されていた当時はもとより、今日になつても、腎疾患に対する特効的、画期的な治療法及び治療薬剤は存在せず、他方腎疾患の治療のためにはステロイド剤ほかの多くの治療剤が従来から存在し、繁用されてきた。そしてクロロキン製剤の腎疾患に対する効果は、蛋白尿の改善であるとされ、同剤が腎疾患の一つの特徴的な症状である蛋白尿の軽減または消失を目的とする対症療法剤としての意義を有するのは当然と考えられたが、さらに進んで原因療法剤(腎の病変自体を直接治す働き―もちろん人体の自然的治癒を介して―をする)ないしは原因療法剤的な薬剤といいきれるかどうかにはまだ問題が残つていた(しかし、昭和四一年一月刊行の「冲中内科書」三六版は、クロロキン製剤を、ネフローゼ症候群について、「腎病変それ自体に対する治療」薬剤の一つ(補助剤あるいは脱却剤)として取り上げている。)そして、この点は、既に昭和三六年の腎臓学会でも論争点になつており、クロロキン製剤が腎病変に使われ始めたその初期の頃から、その効果を否定し、またはこれに疑問を呈し、批判する見解が公然と存在していたことは前記のとおりである。
しかし、その後における文献及び研究の結果をみる限り、臨床の現場においては、クロロキン製剤が、腎疾患における蛋白尿の改善の目的で用いられ続けていた。そして、その背景には、腎疾患における蛋白尿の改善が腎炎の改善を意味するものと臨床現場で治療に当たる医師たちによつて理解されてきたことがあり、このことと、製薬業者からの副作用に関する適切な情報の欠如に加え、長期連用を推奨するかのような後記の宣伝とが相まつて、クロロキン製剤の年間販売量は、昭和四四年当時でもなお約一万一、八〇〇キログラムに達する程の大量となつていたのである。
約言すれば、クロロキン製剤が、腎疾患の治療のために、有力な一つの治療手段たる薬剤であつたということは否定できない。しかし、同時にクロロキン製剤が目的とした蛋白尿の改善が、果たして腎疾患そのものの治癒によるものであるか否かについては批判的な見解が学界を中心として存在していたことに疑いはなく、腎疾患については、クロロキン製剤とその作用機序または薬理を共通にし、これと同程度の治療効果を挙げ得るような、そしてその反面クロロキン製剤が有していたようないわゆる安全限界値も不明確で重篤、かつ、不可逆的に副作用としての眼障害を惹起するおそれのない、もしくは使用方法いかんによつては、これに比して相対的に副作用は軽いかも知れない、そして使用経験も既にかなり蓄積されているような薬剤が後記のとおり選択可能な状況にあつたもののようである。
なお、腎炎その他の腎疾患が慢性腎不全を経て尿毒症に移行した場合には、腎臓移植を受けないとすれば、透析を受けることとならざるを得ないが、我国での透析のために必要な人口腎臓の保有台数は、昭和四一年一二月の当時は、キノル型ダイアライザーを含めてもわずかに四八台、他方我国での透析患者数は昭和四三年四月の当時で二一五名にすぎなかつた。
(二) 文献についてみると、次の各文献等には、それぞれ次の要旨の記述があるほか、右(一)の各事実を認めるに十分な記述がなされている。
(1) 石山俊次ら編集の「今日の治療指針」昭和三六年版には、「急性腎炎」「ネフローゼ症候群」の治療薬としてクロロキン製剤は取り上げられていない。その昭和三七年版に、「急性腎炎」の薬物療法として、「レゾヒン、キドラなどを用いることを推賞している人もある。蛋白尿や赤血球に対し多少好結果をみることもあるが、腎炎の経過に対して果たして有効かどうかは不明。むしろ蛋白尿だけがなかなかとれない例に試用してみる程度」とあり、「慢性腎炎」について薬物療法の多くを期待し難いが、規則的な生活を守らしめるために、投薬することがあるとして、「クロロキン量として一日二〇〇~三〇〇ミリグラムを投与する。……投与期間は年余にわたる。」と、ネフローゼ型腎炎につき、「プレドニソロン系またはACTHの無効例には、クロロキン化合物の長期投与を試みることもあり……」と書かれている。昭和三九年版の「急性腎炎」の項にクロロキン製剤の記載はなく、「慢性腎炎」の項に、蛋白尿に対する薬剤コンドロイチン、クロロキン製剤などは、「時に有効であるが大きな期待はできない。」としている。また「ネフローゼ症候群」について、ステロイド無効例にクロロキン製剤(リン酸クロロキン、オロトン酸クロロキン、コンドロイチンクロロキン)が有効なことがあり、一日二錠を投与し、有効例には長期(1/2~一年)使用する、とある。次に昭和四一年版の「急性腎炎」の項にはクロロキン製剤の記載がない。そして「慢性腎炎」の潜伏型の薬物として、「この型の尿蛋白は、あまり神経質になつて不安を抱く必要はなく放念しておいてよいが、やはり患者も医師もできることなら蛋白尿を消失させたいと願うのは当然であるので、効果は不適確であるが、血管の透過性を低下させようとの理論からビタミンCの大量、ビタミンP、アドレノクローム剤などを用い、あるいは腎炎を抗原抗体反応に類似のものだとの仮定に関連してクロロキン製剤を使用したり……いずれにしても数か月以上の相当長期に亘つて服薬せしめる。」と記述されている。なお「ネフローゼ症候群」にはクロロキン製剤の記載がない。また昭和四二年版になると、「急性腎炎」「慢性腎炎」のいずれの項にもクロロキン製剤がその治療薬として登載されていないだけでなく、急性腎炎につき「発症した腎炎に対して直接有効な薬物は知られていない。ゆえに腎炎自身の経過に直接有効な薬物療法はない。」といい、慢性腎炎の項においても、「糸球体腎炎には期待すべき薬剤はない。」としている。そして、「ネフローゼ症候群」の項では、各種薬物療法を述べた後、一番最後に、「その他」として、「リン酸クロロキン、コンドロイチン硫酸等の使用せられることもある。」と書かれている。
(2) 昭和三六年二月第一刷発刊、昭和四一年第七刷発行の学士院会員、東北大名誉教授、癌研病院長黒川利雄ら監修、東大教授中尾喜久ら編の「現代医科学大系・泌尿器疾患II」において、新潟大学教授木下康民は、糸球体腎炎の薬物療法として、サルフア剤及び抗生物質、コーチゾン及びACTH、抗ヒスタミン剤、ビタミン剤、利尿剤のほか、その他として「アテブリンはエリテマトーデスの治療効果を示すが、辻らは急性腎炎に用い、尿中蛋白量の減少、細胞成分の著減など、主として糸球体の炎症性反応が著しく抑制されることをみた。その後彼らはクロロキンを四例の急性腎炎に使用し、アテブリンに似た効果をみたが、アテブリンよりも効果が持続的である場合が多く、急性腎炎の慢性化を防止しうるといい、この物質の作用は糸球体毛細血管における炎症性反応を安定せしめるものであると考えている。」と記述している。
また、同書中において、大阪大学教授吉田常雄は、ネフローゼ症候群の治療に関し、利尿剤その他多くの薬剤とともに「その他の作用機構を有するもの」としてクロロキン、コンドロイチン硫酸、ナイトロジエン・マスタードをあげている。
(3) 昭和三九年七月刊行の日本大学教授大島研三編著の「健保診療のための処方指針」には、腎疾患治療剤としてクロロキン製剤のほかコンドロイチン硫酸、ACTH、副腎皮質ホルモン剤、降圧利尿剤、血漿増大剤、陽イオン交換樹脂製剤その他が掲げられている。
(4) 昭和四〇年七月刊行の東北大学教授中村隆ほか共著の「内科治療学」は、「腎の解剖生理の研究が大いに進んだ今日でも急性糸球体腎炎の特殊療法はない。治療の根本は安静保温および食餌の三原則につきる。」とし、薬物療法については、「急性腎炎には確実に奏効する特効薬というものは無く、本症に用いられるものはほとんど対症療法的薬物である。」と述べ、サルフア剤及び抗生物質、コーチゾン及びACTHコンドロイチン硫酸製剤及びクロロキン製剤、利尿剤を掲げている。また同書は慢性糸球体腎炎にも特殊療法はないとし、いつたん慢性腎炎に移行すれば不可逆性、かつ、進行性の転帰をとるから、慢性腎炎の治療は腎機能不全への進行をできるだけ阻止することにおかれるとして、安静と食餌療法を掲げ、薬物療法としてACTHあるいは副腎皮質ホルモン、利尿剤、降圧剤、強心剤、蛋白同化ステロイド、コンドロイチン硫酸、クロロキン製剤を挙げている。
(5) 昭和四一年四月発行の東大名誉教授熊谷洋監修、東大教授吉利和ら編「臨床薬理学大系」には、急性腎炎、慢性腎炎及びネフローゼ症候群の治療につき、浮腫に関し、次のように述べられている。
「急性糸球体腎炎は、安静ということがほとんど唯一のことであり、これにNa+制限、蛋白制限という食餌療法が加わる。」「慢性腎炎の進行性を阻止する確実な方法は今日ない。したがつてこの際の浮腫の原因療法としては、せいぜい安静と一般療法程度である。」「ネフローゼ症候群といつても―いろいろな原因でおこるので、その原因、治療法は一定していないのは当然である。しかも、ネフローゼ症候群そのものの治療としては、蛋白尿をとめることが第一であつて、浮腫の軽快は蛋白尿をとめた結果自然におこる現象といつてよかろう。その意味で、ネフローゼ症候群の治療としては、なんといつても糖質ステロイドの投与が中心となる。」。そしてその補助療法として、食餌制限のほか、利尿剤、水銀剤、アルブミンその他血漿増大剤の併用が述べられている。
(6) 長畑一正は、「臨床医の治療法―指針と処方」(昭和四一年六月)において、腎疾患の薬物療法として、ステロイド及びACTH療法等を述べた後、「その他」で、「レゾヒン、アテブリンなどのクロロキン製剤などが用いられることもあるが、効果が少ない。」と論じている。
(7) 「冲中内科書」改定二四版昭和三一年刊行には、糸球体性腎炎の治療につき、<1>安静、保温、<2>食餌療法が挙げられているほか、<3>「薬物療法 糸球体性腎炎の炎症性変化を治癒させる薬物はないので、一般に本症、特にその初期には薬物療法は行わない。利尿剤は食餌療法により利尿の得られぬ時に初めて行うべきで、先ずカリ塩(醋酸カリウム・硝酸カリウム・精製酒石)を与え、無効の場合はジウレチン(サリチル酸ナトリウムテオブロミン)を試みる。テオブロミン剤は腎臓を刺激するので、急性腎炎には使用せぬ方がよく、特に水銀利尿剤は絶対禁忌である。
心臓衰弱・呼吸困難等がある場合には、ジギタリス剤・ウワバニン・カンフル等の強心剤が汎く用いられる(中略)」、とあり、さらに、<4>「その他 急性糸球体性腎炎は連鎖球菌感染と密接な関係があるから、現在この感染の存する時は腎臓疾患に対する治療と同時に、ペニシリンその他により感染の治療を行うべきである。スルフオンアミド剤は腎臓障害作用があるから用いない方がよい。ただし感染を治療しても腎臓疾患の経過そのものには明らかな影響は認められない。
急性腎炎が扁桃炎に続発して起つた場合は、諸症状の消退を待つてその剔除を行うとよいとされる。ただし扁桃剔除を行うと、しばしば腎炎の再然を来し、血尿の増加を見ることがあるから、急性期には行つてはならぬ。しかし扁桃剔除が急性腎炎の慢性化防止に果してどの程度に有効かについては未だ明確な結論を得ず、これを疑問視する学者も少ない。むしろ扁桃剔除は腎炎予防の意味で、しばしば扁桃炎を繰返す人で未だ腎炎を起さないものに行うべきだとする人もある。」とある。
同書は、次いで慢性(汎発性)糸球体性腎炎の治療について、次のように述べている。
「保温を充分にし、感冒に罹らないように注意し、冬期には避寒させるのが最もよい。過労を避けることも大切である。
潜伏期の患者でわずかの尿変化を示すに過ぎぬ者は、以上の注意を行うのみで特に食餌療法の必要なく、ほぼ普通の食餌を摂らせてよい。ただし過剰の食塩・蛋白質摂取はやはり避けるべきである。もちろん時々定期的に尿・血圧・血液(貧血の有無・血漿蛋白質・残余窒素等)、眼底等を検査し、進行状態を知ることが重要である。
潜伏型以外のものは、それぞれ病期症状に応じ適当な治療を加える。急性再然の場合は急性腎炎と全く同様に治療し、急性症状の消退に努めればよい。」
「1) 食餌療法(略)
2) 薬物療法 心不全に対してはジギタリスその他の強心剤を使用する。ジギタリスの量は通常の場合と同量を用いてよい。高血圧に伴う頭重、不眠等に対しては、少量のブロム剤、抱水クロラール等を用いる。
利尿剤ことに水銀利尿剤は血尿あるいは無尿を来すことがあるから、腎臓機能不全の高度の場合は禁忌とすべきである。初期には強心剤と共にジウレチン等の利尿剤を使用する。
便秘に対しては緩下剤を投与し、便通を図ることが必要である。
3) その他 肺水腫に対しては潟血を行うが、貧血の高度な時は禁忌である。」
「貧血のある時は全身衰弱、心不全、浮腫を増悪させるから、その治療は重要であるが、また極めて困難であり、鉄、肝臓製剤は通常無効である。鉄は貧血が低色素性の場合に時に若干の効を見ることあるに過ぎない。輸血は最も有効であるが、極めて徐々に行うべきである。粗忽にこれを行えば往々肺水腫を起す危険があるからである。
慢性腎炎患者が妊娠している場合は腎炎を増悪させることが多く、妊娠を継続すれば流産もしくは妊娠中毒症を起すことが少くない。従つて人口中絶を行うを原則とするが、腎炎が悪化することなく経過し正常分娩を行うこともあり得るので、患者が子供を切望する時は厳重な看視のもとに妊娠を持続させることもある。しかしこの場合でも、血圧が亢進し浮腫が増加し、あるいは他の妊娠中毒症の症候が現われた時は直ちに人口中絶を行わねばならない。」
同書は、さらに、慢性糸球体腎炎の悪性期(末期)続発性萎縮腎の治療について、次のように述べている。
「治療 一度荒廃した腎臓実質を回復させること、及び病変の進行を阻止することはほとんど不可能であるから、治療法としては腎臓を出来る限り愛護すると同時に、血圧亢進、心臓衰弱を防止するにある。
暴飲暴食を戒め、なるべく蛋白質性食品を制限する。蛋白質としては白肉と赤肉、また獣肉と魚肉のいずれを与えても差支えない。強い香味料、アルコール及び過度の喫煙等はこれを禁止する。食塩ははなはだしく制限するに及ばないが、飲料は余りに多くしてはならない。また精神及び身体の過労を避け便通を整える。温浴またはブランデーあるいは温醋酸水で全身を摩擦し、これによつて皮膚の衛生を図る。
薬剤的療法としては、本症の血圧亢進に対してヨード剤が使用される。すなわちヨウ化カリウム〇・五グラム位を一日三回食後に分服させるのであるが、効果は少い。なおサヨジンSajodin、ヨードグリジーネJodglydine、ヨードフオルタンJodfortan等も使用される。萎縮腎はヨードを排泄し難いものであるから、ヨードの投与に際してはその中毒を起さないように注意する必要がある。
血圧亢進による諸症候が著明な場合には、反復瀉血を行うと良効を見ることがある(三〇〇~五〇〇CC)。ただし貧血があれば瀉血後に輸血する。なお薬剤として用いられるものにはジウレチン、塩酸パパベリン等があり、時には両者を併用する。またアンチピリン・ルミナール及びニトログリセリン等も試用される。脳症に対しては臭素剤、アダリン等を用い、また抱水クロラールの注腸を行う。不眠症にはアンチピリン〇・二五グラム、塩酸パパベリン〇・〇三グラム、ジウレチン〇・五グラムの合剤を頓服させる。心臓機能障害が起ればジギタリス等の強心剤を単独にあるいはキサンチン剤と併用する。浮腫が強ければ利尿剤・強心剤を試みる。カレルKarell療法も往々有効である。(中略)」
(8) 昭和四一年七月刊行の「冲中内科書」三六版は、慢性腎不全及び尿毒性の治療について、次のように述べている。
「治療 慢性腎不全の治療に当つて第一に考えるべきことは腎不全の原因となつた疾患を発見してその治療を試みることである。たとえば腎実質の感染性疾患、尿路の閉塞、あるいは悪性高血圧などによつて起こつた場合には、その原因に対する治療を行うことによつて腎不全の悪化を防止し得るのみか、大幅な改善を期待し得る場合がある。しかしながら、このような可能性を発見し得る場合はむしろまれであつて、慢性腎不全の症例の大部分においては原因は不明であるか、または病変は不可逆的であつて、この場合の治療方針としてはできる限り腎不全の進行を遅くし、また腎不全によつて生じる各種の病変を緩和することを主眼とせざるを得ない。
それにしても、慢性腎不全に見られる種々の障害は体内に起こつている一種の悪循環に起因していて、その悪循環を中断することができれば回復させることができるものが多いので、この場合にも治療を行うことはかなり有効で患者の作業能力を回復させ、または延長させ得る場合がはなはだ多い。」
また、同書は、ネフローゼ症候群の治療について、次のとおり述べている。
「ネフローゼ症候群の治療を考える場合には、腎臓の病変それ自体に対する治療、腎臓の病変によつて起こる種々の症状に対する治療、腎臓の病変の間接的影響や合併症に対する治療およびより長期的な患者の指導および管理などの諸点について、それぞれ個別的に対策を樹立する必要がある。」
そしてこれに続いて、「糸球体毛細管基底膜の病変に対する治療が若し可能であれば、本症候群の治療中では最も特殊なものとなる訳であるが、現在その方法として最も大きな関心を持たれているのは副腎皮質ホルモン、ACTHであり、これらに次いでは燐酸クロロキンなどの合成剤及び網内系機能抑制剤である。」としているが、実際問題としてはリン酸クロロキンおよびその誘導体に対して、ネフローゼ症候群につき、副腎皮質ホルモンに代わり得る程の有効性を認めることは困難であつて、その補助剤あるいは脱却剤として用いられることが多いようである旨述べており、四一版にあるようなリン酸クロロキン及びその誘導体を使用する場合の「眼の網膜に特殊の極めて難治の合併症がおこり得る」ことの記述はない。
(9) 「冲中内科書」改訂四一版下巻、昭和四六年刊行も、ネフローゼ症候群の治療について、三六版と同旨の記述をしているが、同書には、そのほかに、「眼の網膜に特殊の極めて難治の合併症が起こり得ること」を念頭に置く必要がある旨書き添えられている。
(10) 昭和四二年六月発行の雑誌「内科」において、大島研三は、ネフローゼ症候群に対するステロイド療法について述べ、「ネフローゼ症候群に対するステロイド療法が開始されてから早や十年になる。」「ネフローゼ症候群の治療は今日なお本質的にはステロイド療法が中心になつている。」「ステロイド無効例に対してはそのほとんど大部分のものにクロロキン製剤投与を試みてよい。」としている。
(11) 昭和四二年六月発行の雑誌「内科」において、新潟大学教授木下康民らは、「腎炎」と題する論文の中で、「びまん性糸球体腎炎のうち急性腎炎については比較的予後のよいものも多いが、いわゆる慢性腎炎に関しては、(中略)治療法の進歩がみられるとはいえ、これのみには頼ることができず、一方これといつた薬物療法のない現在、どちらかというとそれぞれの症例により安静、保温、食事療法の結果を待つ場合が多く、積極的な治療薬剤の開発が期待される現状である。」と述べ、糸球体腎炎の薬物療法につき、急性腎炎に対しては、「現在のところ確実な治療法は発生要因の一つと考えられる溶連菌感染に対する化学療法と、浮腫、高血圧に対する療法が主体をなし、従来からの安静、保温、食事療法がその基幹となつている。」と述べ、亜急性腎炎に対しては、「確実にこれといつた有効な薬物療法はなく、まつたく予後不良な腎炎であるが、ステロイド療法をすすめる人もあり、あるいは腹膜灌流でいかほどかの延命効果のあつた例がみられるくらいである。」としている。また、亜急性腎炎に対する治療法としては扁剔のほか、コンドロイチン剤、クロロキン剤、抗プラスミン剤、グリチルリチン剤、止血剤、降圧剤、抗キニン剤、抗凝固剤、免疫抑制剤の使用に触れ、「腎炎の発症機転と進行性に関してはもまだ多くの問題点を有し、今後の研究が待たれている現在、抜本的治療法の確立がみられない現状は止むをえないことである。したがつて現在の状態は従来からの安静、保温、食事療法を基本とし、各種薬剤の併用によりわずかに効果をあげているにすぎない。その中で発症に関与すると考えられる抗原抗体反応に対し、免疫抑制剤による治療法が腎炎の今後の薬物療法にとつてせめてもの希望を抱かせるもののように考える。一方、諸種の治療によつてもその進行を停止させることができず尿毒症にいたつた患者に対しては、腎移植法の確立が一日も早く待たれるものである。」と結んでいる。
(12) 昭和四三年四月刊行の東京女子医科大学教授近藤台五郎編「最新対症処方」において、虎の門病院内科三村信英は、「慢性糸球体腎炎といわれている疾患は、その病態は多種多様であり、その概念も明確にされていないため同一疾患として治療法を一様に述べることは困難である。」としつつ、慢性糸球体腎炎の潜在期または代償期には多くの場合は薬物療法は不要であり、合併症特に感染のある場合はでき得る限り早期に抗生物質を使用するほか蛋白尿に対してクロロキン製剤およびコンドロイチン硫酸剤が使用されるが、クロロキン製剤を長期に使用するとク網膜症を起こすことがあり、注意を要するといい、尿蛋白量が多く、ネフローゼ型に近い場合にはネフローゼ症候群に準じ、副腎皮質ホルモン剤を使用する、急性増悪期には急性糸球体腎炎に準ずる、慢性糸球体腎炎進行期には、安静、食餌療法を行い、悪化させる原因の排除につとめ、例えば心不全、感染に対する治療を行う、浮腫に対しても、原則として利尿剤を使用しない、等と述べている。
(13) 昭和四三年三月初版、同四四年一月三版刊行の虎の門病院分院長兼血液科部長浅井一太郎ほか著「薬の正しい使い方」には、腎炎について、「腎炎の治療の本流をなすものは今日でもやはり安静、保温および食餌療法であつて、従来と本質的な変わりはない。したがつて、薬剤は腎炎の治療に関してはただ対症療法あるいは補助的療法としての意味しかもたないものである。しかし、このような対症療法を上手に行なうかどうかは患者の苦痛の程度を大きく左右することであるから、けつして等閑に付して良いということにはならない。安静、食餌療法は上述のように本症を治療するうえに根本的なものである。……」とし、高血圧、浮腫、感染症、蛋白尿、血尿、貧血等の症状に対し、各種の薬剤を挙げ、特に蛋白尿・血尿に対しては、アドレノクロム製剤、ルチン剤、マネトール、コンドロイチン硫酸、クロロキン製剤等が用いられるとし、ネフローゼ症候群については、浮腫、蛋白尿、高コレステロール血症、低蛋白血症の四主徴を呈する疾患をネフローゼ症候群と総称し、原因として腎炎との関連が従来から最も大きな問題となつていたことは周知の事実であり、成人のネフローゼ症候群の大部分あるいは殆ど全部は慢性腎炎の一病期と考えられるべきものであるが、慢性腎炎以外では、膠原病、代謝性疾患、中毒または感染症等が原因的関係をもつている、旨述べている。
(14) 「実地医家のための新しい薬物療法≪その薬理作用を中心に≫」(昭和四四年三月)の参考の欄には、「元来マラリア治療剤として知られていたクロロキン製剤が最近、膠原病、腎炎に対して用いられるようになつたが、蛋白尿の著しい改善が報告されている一方、かえつて使用後悪化した例も多い。我々は本剤の腎炎に対する使用に関しては、現在批判的な考えでいる。」と述べられている。
(15) 昭和四五年一二月発行の日野原重明編「私の処方」には、腎、泌尿器疾患における血尿、浮腫等に対する多くの薬剤が挙げられている。
(16) 昭和四七年九月発行の「冲中内科書」四三版には、急性糸球体腎炎の治療につき、「腎糸球体に存在する炎症性病変に直接作用して、その治癒を促進する方法はまだ発見されていない。従つて、急性糸球体腎炎を治療する場合の目標は合併症の防止・感染の除去・腎臓の負担軽減などに置かざるを得ず、また、それだけで大部分の症例は完全治癒に到達している。」と述べたうえ、臥床安静は従来から本症を治療する場合の絶対的条件であるが、急性期を過ぎれば離床させても腎炎の慢性化率には全く影響がないとし、さらに浮腫及びうつ血性循環不全の対策等について多くの薬剤を挙げている。
また、同書には、慢性糸球体腎炎の治療について、「慢性糸球体腎炎が一度おこればその自然の経過を明らかに変えることが出来る方法はまだ知られていない。従つて治療は症状を軽くし、合併症の発生を防いで生命の延長を図るなどの点に主眼を置かざるを得ない。ネフローゼ症候群がある場合の治療は他の腎疾患に同様の症状がおこつた場合となんら変わつたところはない。尿毒症の症状がある場合も同様である。」と述べられており、ネフローゼ症候群の治療については、「ネフローゼ症候群の治療を考える場合には、腎臓の病変それ自体に対する治療、腎臓の病変によつておこる種々の症状に対する治療・腎臓の病変の間接的影響や合併症に対する治療およびより長期的な患者の指導および管理などの諸点について、それぞれ個別的に対策を樹立する必要がある。」とし「腎臓の病変それ自体に対する治療」として、「ネフローゼ症候群の病態生理の中でもつとも基本的なものは、糸球体毛細管基底膜の透過性の亢進であつて、その原因はおそらく抗原抗体反応による基底膜の構造の変化にあると考えられる。従つてこの基底膜の病変に対する治療がもし可能であれば、本症候群の治療の中ではもつとも特殊的なものとなる訳である。現在その方法としてもつとも大きな関心を持たれているのは副腎皮質ホルモン、ACTHであり、これらについでは燐酸クロロキンなどの合成剤および網内系機能抑制剤である。」と述べたうえ、クロロキン製剤については、「最近抗マラリア剤として知られていた燐酸クロロキンおよびその誘導体がネフローゼ症候群に対しても有効であると報告され、ことに副腎皮質ホルモン無効例について有効な場合があるといわれて注目を惹いたのであるが、実際問題としては副腎皮質ホルモンに代わり得る程の有効性を認めることは困難であつて、その補助剤として、あるいは副腎皮質ホルモンの投与を中止する場合の脱却剤としてもちいられることが多いようである。一日量二〇〇~三〇〇ミリグラムを長期にわたつて連用することが出来る。本剤を使用する場合には眼の網膜に特殊の極めて難治の合併症がおこり得ることを念頭に置く必要がある。」としている。
(17) 昭和四七年五月刊行の東京慈恵会医科大学教授高橋忠雄、東京大学名誉教授大島良雄監修、日本大学教授有賀槐三ほか編集の「臨床内科全書」において、東条静夫は、ネフローゼ症候群の治療につき、これを対症療法と特殊療法(ACTH、副腎皮質ステロイド療法、免疫抑制療法など)に分けたうえ、対症療法としては、「まず、腎疾患治療に共通した安静保温が重要であり、この基本原則を厳守させることにより、尿蛋白減少、尿量増加、浮腫減退が多くの症例でみられ、また腎機能の保持、感染防止に必要である。」「食餌療法は蛋白質および食塩摂取量に要約される。」とし、ネフローゼ性浮腫形成の諸因子に対する対症療法について述べ、特殊療法としては、ACTH、副腎皮質ステロイドがその有する抗炎症作用及び抗原抗体反応の抑制作用を主要な作用機序として、「現在第一選択の療法としての確固たる地位を形成している。」とし、免疫抑制療法について、この療法は、ステロイド療法の初期効果の無効例及びステロイド使用の禁忌ないし重篤な副作用を示すもの、再発を繰り返すもの及び膠原病による腎障害に対して、抗体産生抑制及び抗炎症作用を期待して試みられるとして、種々の薬剤及び投与法を述べ、その他の療法として非ステロイド性抗炎症剤、グリチルリチン、ビタミンK、クロロキンおよびコンドロイチン硫酸製剤を挙げ、クロロキン及びコンドロイチン硫酸製剤は、「ステロイド漸減維持療法時から中止の時期にわたつて、再発を防止する目的、ならびにステロイド効果不十分か無効の場合の補助療法の目的で使用される。」としている。
(18) 昭和四八年一月刊行の都立豊島病院院長・東京女子医科大学教授名尾良憲編の「対症治療」には、蛋白尿につき、「一般に蛋白尿に対しては血管透過性を抑制し、抗炎症作用のあるクロロキン製剤や、非ステロイド系抗炎症例・グリチルリチン・ACTH・副腎皮質ホルモンあるいは免疫抑制剤が使用され、さらに血管強化剤としてAC―17(アドナ)などが用いられる。」としている。
(19) 昭和四八年五月発行の石山俊次ほか編「今日の治療指針」昭和四八年版において、九大内科白井洸は、慢性糸球体腎炎について、「慢性糸球体腎炎の病因や病理については、現在必ずしも明らかでないのでその定義もあいまいである。」とことわつたうえ、「慢性糸球体腎炎の自然経過は非常にさまざまであるが、一般にその経過の速さは種々異なつても不可逆性の経過をとると考えられており(症例により一見、疾病が止まつているようにみえるものもあるが)、現在では確実にその疾病を治す薬剤や治療法(人工透折を除く)はないようである。」とし、まず治療の根本は安静である、旨述べ、次いで薬物療法については、持続性蛋白尿型の疾患に対する薬剤として、糸球体毛細血管の透過性を抑制して蛋白や赤血球の漏出防止を目的とすると同時に、患者に治療されているという安心感を与える目的からのもの、毛細血管の炎症を抑制する目的のもの、抗アレルギー及び免疫抑制剤としてのもの、に分けて多くの薬剤を挙げるが、右のうち毛細血管の炎症を抑制する目的のものとしてインドメサシンとクロロキンを掲げているほか、右以外の病型として増悪型の疾患、急速に進展する型の糸球体腎炎、高血圧型の疾患、ネフローゼ症候群、腎不全型の疾患等に触れて、それぞれにつき多くの薬剤を示している。
(20) 昭和四九年五月刊行の石山俊次ほか編「今日の治療指針」昭和四九年版において、虎の門病院循環器科詫摩武英は、慢性糸球体腎炎について、「本疾患の頻度は比較的高いが、いまだ明確な臨床診断の基準がない。」と述べたうえ、治療方針は、「a腎機能がほぼ正常な群、b腎機能軽度低下群、c腎機能中等度低下群、d腎機能高度低下群(慢性腎不全)の四群に分け、それぞれの予後を考慮して、対策を立てることが便宜である。」としたうえ、右のa群について、非ステロイド系消炎剤、免疫抑制剤のほかアドナ、トランサミン、CQCをあげ、クロロキン製剤については、網膜の変化、視野、視力に関して注意を要すると付記し、b群については、薬剤の処方はa群に準ずるが、浮腫が出没し、また高血圧の例ではフルイトランを用いる。とし、c群については、利尿剤、降圧剤等の処方が記載されている。
(21) 昭和五〇年五月発行の雑誌「臨床の研究」において新潟大学教授木下康民らは、「糸球体腎炎」と題する論文中で、原発性糸球体腎炎の治療について、免疫抑制剤、抗凝固剤、非ステロイド系消炎剤、止血剤、降圧剤、扁桃剔出を挙げている。
(22) 昭和五一年五月発行の雑誌「臨床成人病」において、筑波大学教授東条静夫は、「抗蛋白尿剤の使い方」と題する論文で、多量の持続的に蛋白尿を認めるネフローゼ症候群及びこれに準ずる病態に際して蛋白尿の軽減に有効に作用すると考えられる薬として、I副腎皮質ステロイド(ACTH)、II免疫抑制剤、III非ステロイド性抗炎症剤、IV血小板凝集抑制剤を挙げ、Iは、「数多くのネフローゼ症候群における治験成績がますごとく、抗蛋白尿剤の筆頭に位するものである。」としている。
(23) 昭和五二年五月発行の吉利和ら監修「新内科学大系」には、急性腎炎の治療につき、佐藤仁によつて「現在のところ、急性腎炎に対する特別の根治療法はない。治療は対症的なものであり、安静・食事療法・薬物療法・合併症(高血圧性脳症・急性心不全・急性腎不全)の治療、病巣の除去に大別される。」、薬物療法については、「現在のところ、急性腎炎を確実に治癒せしめる薬剤は見いだされていない。しかし、理論的に、あるいは経験的に、ある程度有効と考えられている薬剤は使用してみるべきである。また本症に伴う高血圧、心不全などに対しては、適切な薬物療法を併用しなければならない。」と記述され、抗生物質、抗ヒスタミン剤、グリチルリチン剤、トランサミン、ビタミンC、クロロキン剤及びコンドロイチン硫酸剤、アドナ、レセルピン、利尿剤、副腎皮質ホルモン剤及びACTHが挙げられ、クロロキンについては、「クロロキンは糸球体の炎症性反応の抑制作用があり、またATP分解酵素抑制作用がある。クロロキン剤は網膜症を併発することがあるので、最近は使用されなくなつた。」とされている。また、同書には、慢性糸球体腎炎の治療につき、波多野道信によつて、次のように述べられている。
「慢性糸球体腎炎はいちど発症すると、完全に治癒させることは不可能である。しかし医師の協力と患者の努力により、長期間にわたり合理的な治療を行なえば、疾患の経過を大幅に好転せしめうるものであるし、ときには、少数例ではあるが臨床的に完全治癒の状態にまで導きうる。また、もしこのような状態に導き得ない場合でも、活動期から社会復帰の可能な固定期、すなわち進行しない慢性腎炎へと導くことは不可能なことではない。また不可逆性の活動期の腎炎でもそれぞれの患者に応じた合理的治療により疾患の進行を鈍らせ、合併症を予防することにより生命を著しく延長させることができる。
慢性糸球体腎炎には前述のように軽重さまざまな病態、および病型を呈するものが含まれており、その治療方針もそれに応じて異なる。」とされ、病型が潜伏期、傾眠期、固定期、進行期と分けられ、右の進行期における薬物療法については、「慢性糸球体腎炎においては、ネフローゼ症候群を除いては積極的な治療法はなく、それぞれの症状に応じた対症的な薬剤を投与し進行をおさえ、また合併症を予防することによつて生命の延長をはかることに重点がおかれている。」として、高血圧を伴つた腎炎、浮腫に対応する多数の薬剤のほか、ステロイド療法、免疫抑制療法、抗凝固療法、合成ACTH療法の詳細な記述があり、ステロイド療法については、「ステロイド剤の薬理学的作用機序は現在のところつぎのように考えられている。すなわちその第一は糸球体蛋白透過性の改善であり、第二には水、ナトリウム代謝に対する作用である。
ステロイド剤の作用機序は高度な蛋白尿と、これに伴つて起こる低蛋白血症および浮腫の改善にあることを考えるとき、本剤はこれら腎炎のうちでも蛋白尿の強い腎障害に使用されるべきである。ネフローゼ症候群を伴う、リボイドネフローゼでは最もステロイド剤に期待がもたれ、著者らの統計によれば約八六パーセントが有効であつた。またメサンギウムの増殖を主体とした病変を有し、これになんらかの膜性変化を伴つたものでは五〇パーセントに有効例がみられるが、あきらかに分葉構造を示すようになるとその三〇パーセントに効果がみられるにすぎない。また亜急性期のものでは二五パーセントに有効、膜性腎症では一二パーセントに有効であつた。また一般にメサンギウムの増殖が強いもの、基底膜の肥厚が強いものでは無効である。(中略)」ステロイド剤の「長期投与による副作用としては満月様顔貌、多毛、尋常性座瘡、皮膚線条、脱毛、色素沈着などである。これらはいずれも薬剤の投与を中止するほどのことはなく、投与中止すれば軽快するものである。また長期間大量に投与した場合にはステロイド糖尿、Cushing症候群をみることがある。そのほか骨粗鬆症を起こすことがあるので注意を要する。精神神経症状は最も注意すべき副作用で、不安、不眠を訴える程度の軽症なものが大部分であるが、なかには抑うつ性の精神症状が出現し、妄想、幻覚などが現われることがあるが、このような精神症状が出現した場合には、ただちに投与を中止する。そのほか胃潰瘍を起こす場合がまれにある。
長期間投与後、本剤を急に中止すると副腎皮質機能低下にもとづくwithdrawal症候群を起こすことがある。」等と記述されている。
さらに、同書には、原発性ネフローゼ症候群の治療につき、「本症の治療の目的は生存と腎障害からの回復であるが、再燃、再発があり、長い経過のために患者、養護者の時間的、経済的負担が大きく、医師は三者一体となつて、忍耐、治癒への確信、心身の安静をもたらせることが必要である。」とされたうえ、薬物療法については、「多様多岐に分かれているがステロイド治療が主となつて、これに種々の併用療法が行われている。腎機能のよいときでもとくに腎障害を起こさない薬物を用い、機能障害のあるときには注意しなければならない。
コルチコステロイド剤、ACTH:抗炎症性、抗体生成抑制的に作用するが真の効果機序は不明である。現在まででは最もよい治療薬剤とされ、浮腫、蛋白尿の消退、生存期間の延長、生存率および完全緩解率の改善などのよい結果がみられている。」と記述されている。
(24) 昭和五二年一〇月発行の雑誌「綜合臨牀」において、東京慈恵会医科大学の石本二見男らは、「考え方の変遷薬物療法の評価」と題する論文において、「一九五〇年、Leutchrらが初めてnephrose症候群に対する副腎皮質steroid(以下steroid)剤の劇的な効果を確認するまでは腎疾患に対する本質的な薬物療法は存在しなかつたといつてよい。それ以来、現在まで各種の腎疾患にsteroid剤を中心とする種々な薬剤が試みられてきたが、腎疾患のなかで本質的ともいえる治療法が開発されたものはnephrose症候群のみであり、また治療効果の面から薬剤の中ではsteroidが第I選択剤とされているのが現状である。したがつて腎疾患における薬物療法とその評価はnephrose症候群に対するsteroidを中心とした各種薬剤の評価とならざるを得ない。最近、糸球体腎炎の発症、進展に免疫異常や凝固線溶系の異常の関与が明らかになると共に、steroid以外にも免疫抑制剤や抗凝固剤、非steroid系消炎剤などの使用法が検討されつつあるが、これら薬剤は使用基準や治療効果の評価基準も未定であり、今後の問題となつている。」とし、ネフローゼ症候群に対するステロイド剤、免疫抑制剤、非ステロイド系消炎剤、抗凝固剤、ステロイド・ホルモン、パルス・セラピイ、免疫賦活剤等の適応とその効果について述べたうえ、まとめにおいて、「nephrose症候群に対するsteroid療法はほぼその評価が定まつたといえるが、その他の薬剤については今後さらに検討されなければならず、また従来の治療法とは異なつた視点よりする治療法の開発も求められており、これらの成果によつてはsteroid抵抗性症例の治療成績の向上と共に腎疾患全体に対する薬物療法の発展が期待される。」としている。
(25) 昭和五四年四月一二日発行の神戸大学教授藤田拓男ほか共著による「必修内科学」において、長沢俊彦は、腎疾患の治療につき、「腎疾患の治療も他の内科的腎疾患と同じく、生活指導、食事療法、薬物治療が基本となるが、腎疾患に特殊な治療法として腎不全症例に対する透析と移植治療があり、また閉塞性腎疾患と尿路結石に対して泌尿器科的治療の行われることがある。」としたうえ、生活指導、食餌療法について述べ、薬物治療については、ステロイド剤、免疫抑制剤、抗蛋白尿薬、抗凝固療法、利尿薬、降圧薬、抗生剤について述べている。
(26) 昭和五六年一〇月発行の雑誌「臨床成人病」において、東京医科歯科大学桜井俊一朗らは、「腎炎・ネフローゼのステロイド、免疫抑制療法」と題して、「各種糸球体腎炎、ネフローゼ症候群の多くは、抗原抗体複合体を介し補体、白血球、凝固系、血小板などの活性化によつて腎組織障害を生じると考えられている。そこで、腎炎の治療法として、これら免疫反応を抑制し腎炎の進展を防止する目的で、副腎皮質ステロイドや免疫抑制薬が用いられている。腎炎にはさまざまの病型があり、治療に対する反応もそれぞれ異なるため、適応を選んで治療せねばならない。また治療が長期間にわたることが多く、薬物の副作用には十分注意して薬物療法を行う必要がある。」と述べ、ステロイド療法と免疫抑制薬療法について詳述したうえ、まとめにおいて、「糸球体腎炎ならびにネフローゼ症候群の薬物療法は、免疫反応およびメデイエータの抑制を目的として行われる。微少変化ネフローゼの多くはステロイドに反応して寛解するが、頻回に再然する症例にはcyclophosphamideなどの免疫抑制薬が有効である。それに対し、急速進行性腎炎、ループス腎炎など予後不良な疾患に、ステロイド、免疫抑制薬に加えて抗凝固薬、抗血小板薬、血漿交換などの併用療法が試みられている。しかし、腎不全の原因としてもつとも多いと考えられているメサンギウム増殖性腎炎に対する有効な薬物療法はまだなく、今後さらに検討を続けていかねばならない。また薬物療法の際には、副作用の出現に注意して、投与量、投与期間を決めていく必要がある。」としている。
(27) さらに、国民医薬品集、日本薬局方の解説書等を概観すると、リン酸クロロキンの適用または応用として、腎炎、ネフローゼの記述をしているのは、南江堂昭和四〇年発行の「第七改正日本薬局方註解第一部」のみであつて、「第二改正国民医薬品集注釈」長沢佳熊昭和三四年、「第二改正国民医薬品集註解」南江堂・昭和三四年一〇月、「第七改正日本薬局方第一部解説書」広川書店・昭和三六年、「第八改正日本薬局方第一部解説書」広川書店・昭和四六年、「第八改正日本薬局方註解」南江堂・昭和四八年には記載がない。
二 てんかんに対する有効性と有用性
1 原告患者らのうち、原疾患がてんかんであつた者は亡小村晴輝20のみであり、同人がてんかん治療のためレゾヒンIIを昭和四四年二月一九日から同四八年九月中頃にかけて服用し、その結果ク網膜症に罹患したことは、後記個別損害認定一覧表記載のとおりである。また、被告吉富が、レゾヒンIの適応にてんかんを加え、同武田がこれを販売したのが昭和三五年一二月より後のことであることは、いずれも前記のとおりである。
2 <証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
てんかんは、精神科領域で甚だ数の多い、しかも歴史の古い難治性の疾患であり、その発症機序については大脳の血行障害による血管を含めた組織自体の透過性の異常亢進にあるとされているが、てんかん治療の主流は薬剤療法であり、多くの抗てんかん剤があるが、なおその根治薬は発見されていない。しかし、クロロキン製剤を、補助剤として使用するときは、かなり有効な場合が少なくない、と評価して妨げない。
しかし、前記の国民医薬品集、日本薬局方の各解説書等のいずれにも、リン酸クロロキンの適用または応用として、てんかんは明記されていない。にもかかわらず、被告吉富がレゾヒンIの適応に「てんかん」を加え、同武田がこれを販売した昭和三六年四月は、すなわち被告小野が厚生大臣に対してキドラの効能に「てんかん」の追加承認申請をした昭和三八年八月より二年二月以上も早く、中央薬事審議会の調査会が被告小野の再度の追加承認申請に対し、これを承認した昭和三九年一一月に比して三年七月も早い時点であつた。そして昭和三六年四月当時の治験報告はごく少数しかなかつた。しかし、その後の昭和三六年五月から昭和四七年の間にわたり、クロロキン製剤は、主としててんかん治療の補助薬剤として有効な場合があることが、臨床医のみならず医学者によつても、次々と論文あるいは成書に記述されることとなつた。もつとも、昭和三八年から昭和四〇年にかけての頃における抗てんかん薬としては、クロロキン製剤は附加薬として低位を占めていたにすぎず、薬剤のルーチン的主流にあつたのは、フエノバルビタール、アレビアチンであつた。
これに対してクロロキン製剤の副作用としての網膜症や眼障害については、後記和田豊治の報告書に眼症状一例が、同土屋の論文に大量投与による視覚障害一例(用量を減ずることによつて速やかに消失)が挙げられているほかは、昭和四七年刊行の新福尚武編「最新精神科治療」及び和田豊治著「臨床てんかん学」中において、触れられているにとどまり、その頃までのそれ以外の文献中には明確に記述したものがない。
3 これを文献についてみると、次の各文献等には、それぞれ次の要旨の記述があるほか、右2の事実を認定するに十分な記述がなされている。
(一) 昭和三六年四月一日発行の「脳と神経」第一三巻第四号に、弘前大学医学部神経精神科教室の和田豊治らは、「難治てんかんのレゾヒン治療」と題して、「長期間にわたり種々の抗てんかん剤を服用したにもかかわらず発作の完全なる抑制をみるにいたらなかつた難治の側頭葉てんかんで、けいれん、精神運動、ドロツプ発作等を示した二例にレゾヒンを付加投与したところ、劇的効果(両例とも発作の完全消失と同時に脳波の正常化)をもたらした」旨の発表を行つたが、著者らは、イタリアのバスケスの症例報告(一三例の小発作型てんかん児のうち一〇例に他のてんかん剤とアテブリン及びレゾヒンを併用して、きわめて効果があつたという趣旨の論文)を引用し、てんかんの患者に抗マラリア剤であるレゾヒンを使用し効果がみられたという報告は我国では皆無で、最近のイタリアの右文献しか知らないと記述している。つまり、レゾヒンがてんかんに効果がある旨の報告が我国で初めてなされたのは、和田らの右論文であり、かつ、当時イタリアの右論文以外に海外の文献にも同旨の報告等はなかつたというのである。
また、和田らは、昭和三六年四月一一日第五三回日本精神神経学会総会で、「現在まで二〇例の症例について最長六か月間、主としてレゾヒン付加の術式でその経過を観察しているが、そのうち著効のみられたもの一五例、一二例には発作の完全な消失がみられ、脳波の正常化も著しい。もちろん中には不変のものもあつた。逆に悪化例は一例もなかつた。……このようにレゾヒンがてんかんの治療にとつて効果的であるが、その使用価値の是非について我々は現在行いつつある更に多くの使用例を基にして検討を加えるつもりである。」旨報告した(精神神経学雑誌第六三巻第四号、昭和三六年三月)。
昭和三六年四月の時点の我国では、右の治験報告があるだけであつた。
(二) しかし、その後、同年五月一一日の日本小児科学会第六四回総会で、中央鉄道病院の土屋らが、「てんかん患児二〇例に抗てんかん剤とクロロキン(レゾヒン、キドラ)を併用し、全体的にみて、有効、やや有効とも各三五パーセントであつた。クロロキン単独投与の三例でも全例に脳波異常の明らかな改善と臨床所見の好転を認めている。」旨報告し(日本小児科学会雑誌第六五巻第九号、昭和三六年九月)、さらにその後、和田らは、前記報告の続報として、同年一一月一日発行の「脳と神経」第一三巻第一一号に、「難治てんかんの“Resochin”治療続報―燐酸クロロキン剤併用療法の提唱」と題して、これまでの間に試用した九〇例の治療成績をここに改めてまとめて報告するとし、「発作の完全抑制三四パーセントを含む著効例が四二パーセントであるが、その内訳はけいれん発作群が二三パーセント、小発作群が五三パーセント、精神運動群が九〇パーセントであつて、特に精神運動発作てんかんに効果が著しかつた。」と記述し、次いで「Resochinは所謂抗てんかん剤の部類に属さないで、寧ろ他剤の効果を促進する一種の補助剤といわなければならない。然し補助剤とはいつても、在来のそれとは若干趣きを異にし、より以上にてんかん現象の発現に密接な関連をもつものとみられる。このような意味において、我々はここに燐酸クロロキン剤を抗てんかん剤に付加する併用療法を提唱する次第である」旨述べている。
(三) 次いで昭和三七年には、順天堂大学医学部精神神経科教室の直居卓らが「てんかん患者に対する燐酸クロロキン剤(Reso-chin)の使用経験」と題する論文において、「てんかん患者に対する薬物療法は近時長足の進歩をとげ、バルビトウール酸誘導体、Hydantoin誘導体、Oxazolidine―二―四dione誘導体、アシル尿素などを初めとして、すぐれた抗けいれん剤が数多く出現している。しかし、てんかんのなかには、これらの抗けいれん剤の併用をもつてしても、なお十分に発作を抑制しえないものがあり、これらに対する優秀な補助的薬剤の出現が望まれていた。
一九五三年、Mendez, Arellanoらは抗マラリア剤アテブリンが小発作に対して卓効を示したと報告しているが、最近にいたり同じく抗マラリア剤であるが、構造の異なる燐酸クロロキン(Resochin)を小発作に用いて劇的な効果をえたというVazquezら(一九五九)の報告がある。わが国でも、和田ら(一九六一)が本剤を難治性の側頭葉発作などに使用しているが、きわめて良好な効果をえたとのべている。
われわれは従来の抗けいれん剤によつても発作の抑制できない各種の発作型に対してResochinを投与し、興味ある知見をえたのでここにその成績の一部を報告する。」としてうえ、てんかん患者二〇名の全症例についてレゾヒンを経口投与し(単独投与四例、併用療法一六例)た結果、臨床面では著効七例(三五パーセント)、有効二例(一〇パーセント)、不変七例(三五パーセント)、増悪四例(二〇パーセント)であり、有効群が九例(四五パーセント)、無効群が一一例(五五パーセント)の結果を得たが、「副作用については、食欲減退が三例にみられた程度で、他には自他覚的に特記すべきものはなかつたが、大発作の誘発ないし増悪を広義の副作用とみるならば、もつとも重要な点であろう。」とし、結論として、「Resochin(燐酸クロロキン)を各種の抗けいれん剤の投与によつても発作抑制の困難なてんかん患者二〇例に使用し、つぎの結果をえた。
(1) 小発作二例中二例に卓効を認め、大発作と小発作の合併した二例のうち、一例に小発作の軽減をみた。
(2) 大発作では、五例のうち一例には有効であつたが、四例では不変ないし増悪をみた。
(3) その他の発作型では、精神発作(小視症)の二例中一例、精神運動発作の一例、熱性けいれんの一例などに有効で、マイオクロニツク発作、焦点性発作その他の混合型にはほとんど効果がなかつた。
(4) 脳波検査を行なつたものは二〇例中一五例であるが、脳波的改善の認められたもの六例、Resochin投与前にみられたseizure dischargeの消失したもの一〇例中四例、徐波化の改善を認められたもの一五例中六例であり、臨床的な改善とは必ずしも一致しなかつた。
(5) 本剤の使用にあたつては、十分な脳波的検索が必要であり、発作波形を示すもののなかでも、convulsive(spike)componentの強いものには、大発作の誘発を避けるためにも他の抗けいれん剤との併用が望ましい。
(6) 二〇例中三例に食欲減退がみられた程度で、特記すべき副作用はなかつたが、小発作、マイオクロニツク発作の各一例では、本剤投与中、それまでなかつた大発作の誘発をみた。」と記述している(精神医学第四巻一一号、昭和三七年一一月)。
(四) 昭和三八年五月発行の雑誌「脳と神経」には、東京大学医学部精神医学教室の田椽修治ら及び日本医科大学精神医学教室の徳田良仁らが、「オロチン酸クロロキンのてんかん発作に対する効果」と題する論文において、「抗てんかん剤の発達は、一九一二年Hauptmannによつて発見されたバルビトウール酸誘導体に端を発してつぎつぎに有効な合成薬剤がみいだされ、現在までにおびただしい薬剤が臨床医家の応用の手にゆだねられている。」「今日なおてんかん患者の完全な治療、あるいは各種発作の完全抑制の可能な段階ではなく、あらゆる薬剤治療にも抵抗する難治例を認めることは周知の事実である。臨床医家はこれらの患者に対し、理論的に考えうる系統的薬剤の新発見に努力するとともに、一方では偶然発見された特殊な薬物に対しても関心と注目をよせるのである。
今回報告するところのキドラは、上述した抗てんかん剤の系譜のうちでは少なくとも後者に属するものであろう。
一九五三年MendezとHartleyらが、メトキン(アテブリン)によつてGiardiasisと思われる消化障害患者を治療中に、偶然にも合併症であるてんかん小発作が消失したことを報告し、一九五六年Santisoが腸寄生虫患者の意識喪失発作がアテブリンで治癒したことを報告してふたたび注意を喚起し、一九五九年Vasquezらがアテブリンに作用の類似するクロロキンをてんかん小発作患者に投与して著効を収めたと報告した。
クロロキンはアテブリンに比しきわめて副作用の少ない抗マラリア剤であつて、現在腎炎、リウマチの他、ループスエリトマトーデスなどにも抗膠原病剤として使用されている。
わが国でも和田らが最近、各種の抗てんかん剤で発作消失を認めなかつた難治性てんかんの症例に投与して、劇的な効果を認めたと報告している。
われわれも今回種々なてんかん発作を有する患者に対してキドラ(オロチン酸クロロキン)を投与して、そのてんかん発作に対する効果を観察したが、これらの患者は、従来他の薬剤に対して抵抗性を示し、発作抑制のほとんど認められなかつた難治てんかん患者を多く含んでいる。」「現今、多種多様の抗てんかん剤の出現により、臨床医家はそれを縦横に駆使することによつて、てんかん発作をかなりの程度抑制できるようになつた。
しかし、薬用量の限度もあり、ある種のてんかん患者においては、かならずしも抗てんかん剤の効果が十分期待できず、依然として発作を抑制しえないいわば難治症例として、医師を嘆ぜしめる例に遭遇する。
これらの症例に対して、新しい方法、あるいは新しい武器を求めることは治療者としての宿願でもある。
今回のキドラによる治験例は、薬剤本来の作用が、抗マラリア剤に端を発し、偶然にもてんかん発作とくに、発作などに対する効果が検討されて以来しだいに注目をあびたわけであるが、難治例に関してLennoxもすでにアテブリンの有効なことを指摘、Mendezの論文を引用している。
クロロキン使用による効果に関してはVasquezら、本邦では最近和田らの報告があり、前者は主として小発作、後者は痙攣発作、精神運動発作を主体とした症例の報告であるが、われわれは、それぞれ各種発作型の症例を増し、比較的多種類の発作型に対する、効果を相互に比較検討する機会を得たわけである。」。
「キドラ(オロチン酸クロロキン)を難治例を含むてんかん患者五四名、発作数七九に、主として従来投与してきた抗てんかん剤に付加して投与し、その効果を検討した。著効あるいは有効例は、小発作ついで大発作に多く認められた。
悪心、嘔吐などの胃腸障害のほかには、とくに重篤な副作用は認められず、長期間服用例においても特別の障害はなかつた。
以上の結果から、キドラは従来てんかんの治療に応用されてきた諸種の抗てんかん剤に対して付加薬(Zusatzmittel)として使用すれば、かなり有用性を発揮するものと思われる。」と述べている。
(五) 札幌医科大学教授中川秀三は、昭和三八年五月刊行の著書「てんかん―その臨床と治療法―」「序」の中において、
「てんかんは神経科領域では多い疾患である。
私達の外来では三六年の外来断患者一四四〇名中二五五名即ち一七・七パーセントを占めており、再来は二分の一にも及ぶ。又、新入院患者ではこの一年間に四七五名中五七名即ち一二パーセントを占めている。他の精神神経病は、分裂病三二パーセント、神経症二〇パーセントでこれに次ぎ、躁うつ病の一〇パーセントより多い。地方の市町に精神病院や綜合病院の神経精神科が開設されると未治療のてんかん患者が沢山集ることを聞いても、かくれている患者は可成多いものであろう。
これに反して、神経精神科以外の実地臨床家の本病に対する理解がまことに薄い。素人でもわかるような発作があるのに「胃腸が悪い」「脳貧血だ」「癇だろう」位で、漫然と通院させたり、てんかんとわかつても制痙剤の存在も知らなかつたりする。又、制痙剤の使い方も知らず1ヵ月与えて治つたと休薬し、又発作が起つたと紹介してくるものもある。又一剤のみ与えて副作用が著明に出ているのもあり、現在多く新薬が出ているのも知らないことが多い。考えられないようなこれらの無理解から、性格変化や痴呆が顕著に現れたり、又発作時の外傷や火傷を受けているものも少くはない。これらのことから、私達専門家として又医学教育者として、啓蒙や教育の足らなさを常日頃痛感している次第である。
たまたま数年前より金原出版社から、てんかんに関する啓蒙書の執筆を奨められていたが果し得なかつた。最近健康も回復し寸暇を得たので筆をとつてみた。執筆の今一つの理由は、外来てんかん例が一、二〇〇名を越え、興味ある症例のメモ帳も厚くなり、何らかの形でまとめてみたいと考えていたからである。
現在日本では、てんかんや脳波の秀れた研究者は数多く、専門的著書もこれからも多く出版されると思うが、私の本書における役目は唯一般医家や学生の啓蒙書としてである。従つて本書では、臨床家に実際的に役立つように、てんかんの症状、症例、治療法について出来るだけ具体的に紹介するに留め、学説、病理、脳波および実験的研究は大幅に省略した。」
と述べ、次いで、「第五章治療法」「Iあらまし」において、
「てんかんの記載は古代からあり、Hippokrates, Galenの有名な西洋医師や奈良朝以来の漢方医もその治療に心をくだいたことであろうが、合理的治療の現れる筈もなかつた。
現在においても尚本態は不明であり、従つて根治薬は発見されてはいない。唯、痙攣初め諸発作を予防し、或は発作を抑制する一連の薬物が発見されているにすぎない。併し、これだけでも、当てずつぽうの治療法しかなかつた昔からみれば偉大な進歩である。発作は脳内の何らかの刺激状態乃至機能失調によつておこるものであろうが、これを調整して発作に至らしめない薬物が見い出されてきたわけである。従つてこの制痙剤anticonvulsant或は抗発作薬は服用中は発作がおこらぬが、休薬すると再び発作がおこる性質のものである。この点、素人は錯覚を起こし易い。発作を起こすことは大脳従つて精神の荒廃を起こすので、発作を抑制して荒廃を予防して五年~一〇年と持続するうちに、脳機能の年令的発育と安定を得て自然に服薬しなくても発作がなくなり治癒に導くのがてんかんの薬物療法の原理である。
てんかんの治療の主流は薬剤療法である。よい制痙剤が数多く発見せられてきた現在、なおこの感を深くする。
薬剤療法に対して昔から色々な手術療法がある。明確な局所的器質脳疾患のある場合は勿論手術療法が必要である。終戦後脳外科の隆盛に応じて真正てんかんの手術療法が色々行われた。併し決定的なものは現れなかつた。」と述べ、現在用いられている制痙剤の主力はLuminal, Aleviatin, Minoaleviatin, Phenuron等であるとし、この中心的な主薬の代用薬及び補佐薬としてクロロキン製剤ほかをあげ、なかには主薬的役割をもつものもあるとしたうえ、これらによつて治療の幅を著しく広げることができるといい、さらに「私が神経科医になつた昭和八年当時は、てんかんの治療薬は臭素剤とLuminalしかなかつた。現在は数多くの有利な武器をもつている。患者にとつても医師にとつても福音であるといわねばならぬ。尚、将来ますます多くの薬剤が発見されていくことが期待される。
多くの薬剤をもつことは、患者一人一人の薬剤反応が異るものであるから、次々と別な薬を与えて反応を試みることが出来る。てんかんは原因においても多元性をもち、薬剤反応においても亦多様性をもつ。型の如く一病型を一剤でピタリと制痙出来るとは限らぬ。使つてみなければわからぬといつた現況である。むしろ試みに一、二剤を与え尚不充分ならば他剤を加え、又不充分ならば更に他剤を与えるか代置する。長期連用を必要とするので、副作用のこともまた考えねばならぬ。このような試行錯誤法trial and errorによつて適薬を求める努力が必要なわけである。適剤を定めるのに三か月以上かかる時がある。大発作にMinoaleviatinを混入して完全消失をみることがあり、小発作にMinoaleviatinが効かず、Phenacemideが効く場合もある。例外が多いので発作型と薬種にこだわらぬようにして適薬と適量を選ばねばならぬ。このような意味で多くの薬剤を持つことが有利であり、治療成績を挙げることが出来るのである。型の如く投薬すれば五〇パーセント~七〇パーセントの効果を挙げるに過ぎない。田椽は努力すれば八〇パーセントの効果を挙げ得るとしている。多くの薬剤を駆使しての努力が大切で、かかるキメの細い投薬によつて和田は九〇パーセント以上の効果を挙げ得ると断言している。」と述べた。
また、その「第五章治療法」の「三代用薬および補佐薬」「<4>クロロキン剤Chloroquin diphosphate, Resochin(パイエル・吉富)、およびChloroquin diorotate, Kidola(小野)、その他解熱剤Pyrictal」においては、「Atabrineの抗痙攣作用についてはMen-dezおよびArellano(一九五三)が見出しLennoxも確認している。所が副作用が強く、長期服用に適しない。ところが同じく抗マラリア剤であるクロロキン剤(Andersagらによつて一九三四年合成された)は副作用少なく、皮膚疾患や腎炎、リユーマチに有効であり、抗膠原病剤と認められた。又Atabrineと同様な抗痙攣作用については極く最近(一九五九)にVazquezも報告している。
Vazquezは難治の一〇例の小発作てんかんに他剤と併用して有効であり、異常脳波の改善も著しいと発表している。
谷ら(精神神経学雑誌六四巻)は一〇例の真正てんかん患者に用い四例に著効と脳波改善を認め、一週間以上の残有効果のあること、軽度の小脳失調様症状の他副作用がないことを報告している。和田ら(脳と神経一三巻)に大発作および精神運動発作を有するてんかん二例に、Aleviatin, Mysoline, Phenuron, Luminalを混合して与えても軽効しかなく、Resochinを加えて発作消失した経験を報じ、脳波改善の作用のあることも附加している。最近、直居、桑村(精神医学四七巻)の同様の研究がある。
最近Kidolaが長期連用に適しているので注目されて来た。
クロロキン剤ではないが、福山は最近(一九六二)、一種の解熱剤Pyrictalが熱性痙攣に、Luminalと同様有効であるというMillichapの研究を紹介している。」とした。
同書は、一般医家や学生の啓蒙書として出版され、中川はその序で、前記のとおり述べているが、その頃、被告小野は、昭和三八年八月一〇日、厚生大臣に対し、キドラの効能に「てんかん」の追加承認申請をしたところ、その際審議に当たつた中央薬事審議会の調査会は、クロロキン製剤が「てんかんに効く原理について証明する必要がある。」旨答申した。
(六) 昭和三九年五月には、中川秀三らが、「てんかん―治療の方針とコツ―」「診療」第一七巻第五号において、クロロキン製剤(レゾヒン、キドラ)を「代用薬および補佐薬」の項で取り上げ、「大発作や小発作に他剤と併用して有効なことがあり、脳波改善の作用もある。」と記述し、大発作及びけいれん重積症の治療に、他の薬剤で完全に発作が消失することが多いが、単に期間が延長したり、軽い不全型発作に変わつたという場合もあり、「かかる際にはミノアレビアチンを併用するか、ダイアモツクス、クロロキン剤、GABOBなどの補佐薬を加えてみることである。」と記している。
(七) 昭和三九年六月刊行の弘前大学教授和田豊治編集の東京大学教授秋元波留夫ほか執筆「てんかん学―臨床・基礎―」には、東京大学助教授田椽修治らが「治療の沿革」について、次のように述べたうえ、抗てんかん剤を「1元素化合物、2環状合成薬剤、3直鎖系誘導体、4特殊抗てんかん剤」に分けて説明しているが、同書には、第一六回日本医学会総会のシンポジウムで発表された「本邦てんかん薬剤治療の現況―アンケート集計成績を中心として―」と題する報告が付されており、昭和三九年二月全国の各病院に配布して得られた回答に基づき、昭和三八年から同三九年の間における我国における治療の動態を検討して次のように記述している。すなわち「一八五七年Locockがはじめて臭素剤を使用して、てんかんの近代的治療の緒をひらくまで、古代より、およそありとあらゆる治療法が試みられ、人体に投与しうるもので、てんかんに試みられなかつたものはないといつても過言ではない。すなわち草根木皮の類はもとより、中には迷信的治療もあり、たとえば寄生木は単に槲の木に固着して落ちないという理由から、Fallsucht(falling sickness)とよばれたてんかんに漫然と二〇〇〇年近くの間使用された。
その他、てんかん治療に用いられた薬物の一部を試みにあげてみると、亜鉛、鉄、ヨード加里、硝酸、吉草、ジギタリス、インデイゴ、規那、肝油、燐、阿片、ベラドンナ、大麻、銀、樟脳など多彩で、いかに人類がこの慢性難治疾患の治療に腐心してきたかは想像に難くない。
今日これら前近代的治療法の中で、幾分の合理性が認められるのは、脱水療法くらいのもので、その他は殆どその命脈を保ち得ず、現在われわれの応用に価するものはない。
このように、長い間強力な抗てんかん剤は求め得られなかつたが、臭素剤・硼素剤についで、一九一二年Luminalが、次いで一九三八年Diphenyl-hydantoinが発見され、ここにようやく抗てんかん剤の化学構造と薬理作用との間の密接な関連性が注目せられた。その後、薬剤合成技術の進歩、中枢神経領域における研究の進展、および抗けいれん剤の動物スクリーニング法の確立などにつれて、抗けいれん剤の研究も進み、Oxazolidine系以下直鎖系にいたるまで、相ついで一連の強力な新抗てんかん剤の登場をみるに至つた。
また別に、化学構造上これら一連の抗てんかん剤とは無縁な薬物の中に、抗けいれん作用を有するものも多く発見され、現在われわれの使用し得る優秀な抗てんかん剤の数は、甚だしく豊富となり、これらを巧みに使用すれば、てんかんの約八〇~九〇パーセントは臨床上発作抑制可能といわれ、往時とは比較にならぬ治効成績の向上をみている。
さて一方、現在わが国のてんかん患者総数は約三〇万と推定されるが、抗てんかん剤の使用量から推定すると、そのうち被治療患者数は僅か数万にすぎず、遺憾ながら、この目覚ましい近代医学の恩恵を、十分にうけているといえないのが現状である。その意味で抗てんかん剤の広い、正しい普及が一層強く望まれるわけである。また優秀な抗てんかん剤は多数登場したが、依然として根治的、万能薬的な薬剤はなく、その選択、使用については、ある程度専門的な知識を必要とする。」とし、治療薬剤中、その他の製剤の一つとして、「抗原虫剤であるAtabrineを、一九五三年MendezとArellanoがてんかんに使用して有効と認め、同じく抗原虫剤の、Quinolin誘導体のChloroquineを、Vasquezや和田等が有効と報告している。副作用はめまい、嘔吐などをみる。用法は一日〇・二~〇・五グラムである。」と紹介した。
また、同書の付録である前記の「本邦てんかん薬剤治療の現況―アンケート集計成績を中心として―」は、一九六三年(昭和三八年)二月に全国の各病院にアンケートを配付して回答を得た(一四五施設からの回答で、回収率五一パーセントであるが、全国の主要病院を殆ど網羅している。すなわち、大学病院神経・精神科三六、総合病院二六、精神病院六五の計一二七施設のほか、特にてんかん治療に留意していると思われた大学病院小児科六、外科一二の計一八施設がある。)ところによると、「過去一ヵ年間の受診者約二二万人中、てんかん者がおよそ三万人で、受診者中で平均一三・七パーセントをしめている。」、抗てんかん剤服用による効果を概括すると、完全抑制四一パーセント・有効三八パーセントを合算すると、ある程度までの明らかな有効はおよそ八〇パーセントとなり、残りの二〇パーセント強は不変・無効ともいい得よう、とし、「現在、てんかんの発生率は一般人口の〇・五パーセントといわれるが、たとえ〇・一五~〇・二パーセントと見積つても、薬剤治療の恩恵を受けているのが実数の1/3~1/4に過ぎなく、ここにてんかん治療の隘路が痛感される。」と述べ、また、難治例の出現率をみると、平均一二パーセントであり、しかもその分布の幅がきわめて広く、これは輝かしい効果率の反面、それを持することがいかに困難であるか、またさらには現在の抗てんかん剤そのものの欠点を暗示する所見でもあろう、と付記している。さらに、現在使用されている抗てんかん剤については、「Aleviatin, Phenobarbitalはともに一〇〇パーセント、Minoaleviatin, Mysoline, Diamoxは九〇パーセント台であるが、Diamox以下は補助的にあるいは一時的に使用され、いわゆる“routine”としての意義が少ないし、Gemonil以下は試用の域に止まるところも少なくない。なお、それらの中でDiamox, Chloro-quineは特異な抗てんかん剤といわなければならないが、GABA, GABOB, Ceremonなどと並んでかなり使用されていることが改めて注目される。」「すでに使用率二〇パーセントを割るが、ChlordiazepoxideはTranquilizerではなしに抗てんかん剤として使用されているし、少量ではあるが常用剤となつている新薬も若干みられる。」と記述し、クロロキン製剤は右のダイアモツクス、ジモニール等に比して後位にあるものの、ルーテイン、サプルメント・ルーテイン、試用を含め三九パーセントが使用している旨を報告し、副作用については、「抗てんかん剤には多かれ少なかれ副作用が伴い、歯肉増生~傾眼が多くておよそ四〇パーセント以上、次がめまい~多毛で一五~二〇パーセント台、他は軽微であるが、しかしその施設内での発生率をみると、歯肉増生・多毛のAleviatinによる副作用が高率である。」し、またその「ばらつき」も幅が広い、としている。
(八) 昭和三九年八月発行の雑誌「小児科診療」には、名古屋大学医学部小児科教室の川村正彦らが「難治性小児てんかんに対する燐酸クロロキン(キニロン)の使用経験」と題する論文中で、「てんかんに対する治療薬は従来種々のものが知られているが、これ等を使用しても、なお発作を完全に抑制し得ない難治例が三〇パーセント近く存在することは事実である。かかる難治例に対し、従来の抗痙攣剤と異なつた治療法も種々試みられており、Vazquez、和田等によつて試みられた燐酸クロロキン療法もその一つである。
我々は、名古屋大学附属病院小児科を訪れた、てんかん患児中、小発作の難治例九例(但し内一例は大発作不全型)に、住友化学より提供をうけた燐酸クロロキン(「キニロン」一錠中に一二五ミリグラム含有)を使用し、極めて良好な成績を得たので報告する。」とし、副作用については、「燐酸クロロキンを使用した九例中三例に「ふらつき」を認めた。この他の症状としては顔面潮紅、流涎、複視、及び夢遊病様症状があつたが、いずれも軽度であり、服薬の中止によつてすみやかに消失した。燐酸クロロキンの主な副作用と考えられる、悪心、嘔吐、食欲不振、腹痛、下痢などの胃腸障害は十分注意したが認められなかつた。」と述べ、「長期間種々の抗てんかん剤を用いて治療したにもかかわらず、発作の完全消失をみない難治性てんかん九例に、燐酸クロロキンの併用療法を行ない、三例に発作の完全消失を見、三例に発作回数が1/3に減少した。この成績はきわめて注目に値すると思われる。
燐酸クロロキンのてんかんに対する効果については、Vazquez、Bectorらの小発作に対する報告、和田、蔵原の各種てんかん発作型に対する治療効果、児玉の小発作に対する単独使用の報告などがある。本剤の単独投与で小発作に著効を示したとの報告もあるが、和田の報告にみられる如く、本剤はその作用機序及び、直接的な抗痙攣作用のない所から単独使用するよりも、併用療法にこそ、意味があると考えられる。我々の症例九例中六例も、従来の薬剤で多発する痙攣発作を抑制し得なかつたものが、燐酸クロロキンを使用することによつて、発作の完全消失又は著減を見たのであつて、燐酸クロロキン併用療法の臨床的意味は、従来の抗てんかん剤の有効率の上昇が期待出来る点にあると考えられる。
使用量に関しては、原則として一日五〇〇ミリグラムとし、年令によつて幾分の考慮をしたが、和田の報告によれば、成人で二〇〇ミリグラム以下、小児で五〇ミリグラム以下でも発作に対する効果があるという。Holowachは七例の難治例に本剤一二五ミリグラムを一日二回投与し、発作完全抑制二例、著明な改善二例、無効三例であつたという。
我々の症例より適量を決定することは困難であるが、二五〇ミリグラムより使用し、効果の期待出来ない時は五〇〇ミリグラム位まで使用すべきであると思われる。
効果の現われるまでの日数は、七~一四日であり、かなり速効性であると言えよう。
今日、てんかん発作の背景は、大脳の血行障害が起こり、酸素欠乏、水、電解質代謝のアンバランス、そして酸、塩基平衡異常の結果として、血管を含めた組織自体の透過性の異常亢進にあるとされている。燐酸クロロキンの発作抑制機序は、血管透過性の減退作用にあるといわれている。このことは併用薬剤のうち炭酸脱水酵素抑制剤Acetazolamide(Diamox)との併用が最も有効との報告のあることからもうなずかれる。
副作用については三例に「ふらつき」「眼症状」「流涎」「顔面潮紅」「神経症状」を認めたが、いずれも軽度であり、服薬の中止によつて直ちに消失した。
以上の結果から難治性てんかんの場合、燐酸クロロキン併用療法は一度は試みられるべきものであると考える。」とし、次いで、「我々は九例の難治性てんかんに燐酸クロロキンを使用し、次の結論を得た。
(1) 本剤は難治性の小発作に対しては発作抑制効果は極めて著しく、四例中三例に発作の完全消失、一例に有効であつた。
(2) 大発作不全型、大発作と先立発作の混合型にも有効であつた。
(3) 効果出現は服薬後七~一四日であり、かなり速効的と言える。
(4) 副作用は三例に認められ「ふらつき」「眼症状」「神経症状」であつたが、服薬中止によりすみやかに消失した。
(5) 以上の事から燐酸クロロキン併用療法は難治性てんかんに一度は試みる治療法の一つと考えられる。」と結論している。
(九) 昭和三九年一〇月二〇日刊行の慶応義塾大学教授三浦岱栄著の「精神科治療学集大成―身体療法から精神療法まで―」には、一九一七年におけるウイーンのフオン・ヤウレク教授による進行麻痺のマラリア療法の発見は、精神病治療における決定打の出現であつたのであり、痙攣療法、インシユリン衝撃療法を経て、最後に登場したのが精神障害の特殊化学療法、つまり向精神薬の相次ぐ開発と、その活発な応用ということである、とし、「以上はすべて精神障害の身体療法あるいは生理療法、生物療法として一括されよう。そしてまたここに列挙した新療法が現在もなおすべて最初の名声を保つているというのでもない。栄枯盛衰は世のつねであり、これによつてのみまた万般は進歩するのであり、医学も例外ではない。われわれは更に画期的な身体療法の出現を期待してもよいであろう。
しかし、現代の精神医学をその理論並に治療の両方面にまたがつて特徴づけているのは、単に精神医学の内科化、外科化ではなくて、再びそれ自身の固有の法則、固有の治療技術の開発という方向に向つているということである。「歴史はらせん状に進む」とは西洋の名言であり、「因果は巡るお車の如し」とは東洋の知恵であるが、精神医学のいわば再転した社会化、心理化への傾向はややもすればこれを本来の医学から再び切り離そうとする兆しがないわけでもない。」。
「もちろん、てんかんの治療には薬物療法以外の方法もあるが、それらは今日少なくとも、てんかん治療の主流をなしてはいない。たとえば外科的治療も、今日実際上、その治療の対象となるのは薬物療法が無効で、切除可能な限局性皮質焦点を有するものに限定され、したがつて通常手術の必要に迫られることは案外少なく、かつその効果も時に不確実であり、また術後は殆どすべて抗てんかん剤の投与を必要とする。また、焦点切除以外の他の試み、すなわちてんかん発作の神経興奮伝導経路を、その途中において切断する方法も、今日なおその成果を確立し得ていない。
その他、精神療法・食餌療法なども、強力な抗てんかん剤の出現した今日では、補助療法にすぎず、てんかん治療の主流は薬物療法にあり、てんかんの診断が確立した際、まず第一にこれを試みるのが常道とされている。
また、てんかんの主症状をなすけいれんは、小児の熱性けいれんをはじめとして、子癇、脳出血、伝染病、頭部外傷、中毒性疾患などの他種疾患でも出現する重篤な症状であり、抗てんかん剤療法は、ひとり精神科領域にのみ限られるものではなく、他領域においても重視される。」と述べ、その「Eてんかんepilepsy治療」「〔治療〕」中で、「現在、てんかんの治療の根本は薬物療法である。」とし、「(I)薬物療法」「(5)その他の抗てんかん薬剤」の項中において、各発作型のそれぞれについて、現在我国においても主として使用されている薬剤について記載するとともに、「以上にあげたほかにも、まだ種々な薬剤のてんかんに対する効果が報告されている。例えば、アテブリンが小発作に卓効を示したという報告があるが、同じく抗マラリア剤である燐酸クロロキン(Resochin)も抗てんかん剤として有効であり、またオロトン酸クロロキン(Kidola)にも同様な作用があるとの報告もある。」と紹介している。
その後昭和三九年二月一三日には、被告小野が再びキドラの効能に「てんかん」を追加することの承認を申請し、右の申請には、弘前大学医学部神経精神科和田豊治の「てんかんのChloroquine剤併用療法」なる報告書が添付されたが、その中には、「われわれ昨年(一九六〇)九月に、それまで極めて難治であつたてんかん三例に、Chloroquine剤を投与したところ、その二例に極めて短時日のうちに発作の完全抑制をみることができた。以来、難治例に対して在来の抗てんかん剤に本剤を付加する一種の併用療法を提唱し、且つ現在迄に追求して来た。その間にVazquezらの本剤が小発作てんかんに有効という報告にも接し得たが、何はともあれ、本治療がてんかんに或る程度有効なことは否めないものの如くである。」とし、副作用については、「少量を維持する限りでは副作用は少なかつた。極端な発作増悪の為に即刻中止したのは三例のみである。」としたうえ、胃腸症状一三、眼症状一、睡気一、発作増悪三と報告し、結論として、
「従来の抗てんかん剤での治療成績は凡そ五〇パーセント近い完全抑制を含む有効七〇パーセントで、残りの約三〇パーセントが所謂難治例に入る。かかる難治例に対して、Kidolaを付加してみたところ、完全抑制四五パーセントを含む有効七〇~七五パーセントという成績が得られた。従つて本治療の実施によつて、てんかん治療は完全抑制が、五〇パーセントから六五パーセントへ、そして全体の有効例が七〇パーセントから九〇パーセント近くに上昇するという可能性が示唆される。Kidola治療の抗てんかん作用はもとより、このことのもつ臨床的意義は極めて大きいと云わなければならない。
われわれの経験では、成人に五〇~二〇〇ミリグラム/日、小児には三〇~五〇ミリグラム/日の投与量が有効且つ安全と思われる。ただし効果発現が早いゆえ、漸増術式を臨床像とにらみ合わせて行なうのが望ましいであろう。適応症にはてんかんのあらゆる型が含まれる。」と述べられている。
さらに、右申請には、中央鉄道病院の土屋らの「小児の難治てんかんに対するクロロキン・オロテート(キドラ)の応用」と題する前記論文が添付されていたが、右論文においては、「従来の抗てんかん剤の投与で充分に奏効しなかつた小児の難治てんかん例を主体にしてクロロキン剤の効果を観察し、臨床的並に脳波的に相当の効果を認めた。特に小発作に対して有効であつた。大発作にも奏効する場合があつたが、無効例の多いことは否めない。其効果の発現は、比較的速く、数日乃至一~二週の内に見られることが多く、脳波異常も投与二~三週後に於て顕著な改善を認め得たことより、其有効性が首肯され得ようと思われる。
Vazquezらは前述の如く一三例の小発作てんかんに対し他の抗てんかん剤にアテブリン又は燐酸クロロキンを付加し、一〇例に著効を認め、脳波所見も短期間に著明に改善されることを認めた。
最近和田氏らは難治てんかんの多数例について本剤の併用療法を試み、著効四二パーセント(完全抑制三四パーセントを含む)で、精神運動発作、小発作に効果の著しいことを報告している。本剤の投与量は一〇〇~二五〇ミリグラムにて充分有効であると見られるが、乳幼児に対してはEuteric coatingの投与が困難であり、筋注或は坐薬による投与が考慮される所である。尚お再発を防止する為には一~三ヶ月間の継続投与を行つた後、減量乃至は間歇投与が試みられるべきであろう。
副作用に関しては、coating剤を使用し、且つ過量投与を避ければさして問題は無い様に思われる。
勿論本剤てんかん治療に於ては補助剤として用うべきもので、従来の抗てんかん剤療法により充分奏効せざる場合、本剤を付加することは試みる価値ある一方法と考える。クロロキン剤のてんかんに対する奏効機序については、血管透過性抑制作用、抗アセチールコリン作用、脳内酵素系に対する抑制作用等が挙げられるが、其の本態は未だ明かでない。本剤は従来の抗てんかん剤とは異質のものである故、其の奏効機序の解明が期待される所であり、この問題の検索はてんかん現象の解明にも何等かの示唆を与えるのではないかと思われる。」と述べられた後、「従来の抗てんかん剤の投与で充分に奏効しなかつた小児の難治てんかんを主とする二一例にクロロキンオロテートを試用し、次の如き結果を得た。
(1) 発作に対する結果、発作総数一九例中完全抑制六例(三一・五パーセント)、著減二例、減少三例、不変五例、増悪三例で、著減以上を有効例とみなすと有効率は四二・一パーセントであつた。発作型別では小発作に最も奏効する場合が多かつた。
(2) 脳波所見に及ぼす影響、クロロキン使用前後に脳波を検査し得た一九例中九例(四七パーセント)に著明な改善が認められ、内三例には略々正常化がもたらされた。
(3) 効果の発現は一~二週以内にみられた。投与量は一日一〇〇~二五〇ミリグラムで充分と思われ、副作用の懸念も少ない。再発は長期間歇投与により防ぎ得るように思われた。本剤は難治性の小児てんかんに対し、補助剤として使用する価値があるものと考えられる。」と結論している。
そして、被告小野の行つた右の再申請については、添付された資料が評価されて追加が承認された。
(一〇) 昭和四〇年には、前記和田豊治らが「てんかんにおけるChloroquine付加治療の問題―臨床治験を中心に―」と題する論文を発表し、東京大学、金沢大学、徳島大学、順天堂大学、東邦大学、札幌医科大学、国立仙台病院、名古屋大学、関東逓信病院、新潟大学に対して昭和三七年七月に行つたアンケート調査の結果と右和田らの自験成績とをとりまとめたうえ、「てんかんの難治例(服薬者の二〇~三〇パーセント)を主体にしたChloroquine付加治療の成績は、彼我のそれを綜合してみると、著効二〇~三〇パーセントを含むおよそ六〇パーセントに有効な結果を得ている。このことを理論的に数値化してみると、在来の抗てんかん剤治療はChloroquineを付加することによつて、発作完全抑制を含む著効は六〇~七〇パーセントに、したがつて総数の九〇パーセント近くが有効圏に入りこむという可能性が見出されたことになる。
このように、Chloroquineはてんかん発作に対し明らかに抑制的に作用するのであるが、その機序は一体どうであろうか。今日Chloroquineは、リウマチ・腎炎などいわゆる抗膠原病剤として広く臨床に使用されているが、その作用機序については種々の臆説があげられているもののほとんどが明確にされていない。それら作用機転のうち、てんかん現象に直接・間接の影響をもつと推定される因子をあげてみると、血管透過性亢進の抑制、抗ヒスタミン作用、抗アセチルコリン作用、ATPとの拮抗作用、核酸代謝および酵素系に対する作用などであろう。」としてクロロキンの作用機序を検討した後、「何れにせよChloroquineのてんかんに対する奏効機序は、他疾患に対するそれと同じく、今日のところ明確にされ得ない。しかし、本剤の作用機序を、Chloroquineを摂取する細胞の活動抑制に求めることが、もつとも妥当な考え方ではなかろうか。そのためには、本剤の脳細胞におよぼす影響を、神経生理・化学的面から追求してみることが是非とも必要になつてくるであろう。
終りに、われわれの経験ではChloroquine単独服用の効果はほとんどみられず、それが他の抗てんかん剤と併用する場合に効果が現われることが確認された。かかる意味では、Chloroquineはいわゆる抗てんかん剤の部類に属さないで、むしろ他剤の効果を促進する一種の補助剤といわねばならないであろう。しかし補助剤とはいつても、在来のそれとは若干趣きを異にし、より以上にてんかん現象に密接な関連をもつものとみられ、強いていえば特異な抗てんかん剤とでもいえるであろう。この意味において、われわれは過去三年以来、Chloroquine剤を抗てんかん剤に付加する併用療法を提唱してきている次第である。なにはともあれ、少なくとも難治例に対しては、本Chloroquine付加治療は一度は試みてしかるべきものと思われる。」と結んでいるが、副作用の点については、「これまでにChloroquineの副作用として、食欲不振・悪心・嘔吐・下痢などの胃腸障害が比較的多く、まれに頭痛・めまいおよび眼症状などの神経症状が起ることが報告されている。しかしこれらの多くは、いずれもごく軽度でかつ一過性で、減量ないし休薬で消退するものが多い。既述のアンケートの集計成績では、一四九症例中およそ1/5にあたる三一例になんらかの副作用がみられているが、その大部分は胃腸障害であり、少数例には発疹がみられている。しかしこれらは、投与量が過量にすぎた場合もあり、投与法に若干の疑義がある。
われわれが一二七例に使用した成績では、その一五例に胃腸障害を主とした副作用をみているが、発作(痙攣)の誘発ないし増悪をきたした三例を除いては、臨床使用上で支障をきたした例はほとんど認めなかつた。田椽らは五四例中一四例に副作用を認めているが、うち四〇〇ミリグラム以上招与例五例中四例にその発現をみたといい、服薬を中止したのは嘔吐をきたした一例のみであつたと述べている。直居らは二〇例中三例に軽い食欲減退を認めたのみで、特記すべきものとして、小発作二例に大発作の誘発をみたといつているが、一例は単独投与例であつた。また土屋らは二一例中、食欲不振、無月経を各一例にみており、過剰投与した一例には視覚障害をみているが、いずれも減量により消失したと報告している。ただ島薗らは、本剤を比較的大量投与した二例において三~六ヵ月後、網膜電気図(ERG)に変化を認めたといつているが、われわれも一年以上服薬した一〇例について、検索した範囲内ではかかる変化は認めえなかつた。
以上、本剤の副作用についてやや詳しく述べたが、臨床使用上支障をきたすような重篤な副作用は、少なくとも過量にすぎない限り、多くの場合出現しないといつてもよいであろう。また、他の抗てんかん剤に時にみられる血液像変化、失調、肝機能障害もみられず、かつ副作用の内容、頻度もはるかに軽度である。それに比較的少量(〇・〇五~〇・二グラム)で効果の発現がみられることは、副作用防止の点からいつても、本剤のもつ臨床上の一利点とさえいえるであろう。」としている(綜合臨牀第一四巻五号、昭和四〇年五月)。
(一一) 昭和四一年一月には、前東京大学教授秋元波留夫、日本大学教授井村恒郎、東京大学教授笠松章、慶応義塾大学名誉教授三浦岱栄、東京医科歯科大学名誉教授島崎敏樹、関東逓信病院部長田椽修治編の「日本精神医学全書」第四巻が刊行され、その「6てんかん」「7治療」中に、田椽修治らが、「その他抗原虫剤たるAtebrineを一九五三年MendezとArellanoがてんかんに使用して有効と認め、同じく抗原虫剤のquinoline誘導体、Chloroquinを、Vasquez, H. G.ら、和田らが有効と報告している。後者の本邦製剤はキドラで、副作用はめまい、嘔吐をみる、用量は一日〇・二~〇・五グラムである。」と述べ、次いで昭和四四年三月には、東京大学教授笠松章が、その著「臨床精神医学II」中の「抗てんかん剤」「その他」において、「Acetazolamide(Diamox)が抗てんかん剤としてもちいられるようになつたのは、Merlis, S.(一九五四)らの報告による。本剤は特定の発作抑制に有効であるというより、むしろ発作抑制の充分でない症例に附加使用してみると、有効なばあいがある。
そのほか附加剤としての意味をもついくつかの薬剤がある。たとえば赤痢アメーバの治療である燐酸クロロキン(Resochin)、オロチン酸クロロキン(Kidora)や、抗マラリア剤(Atebrin)などがある。」とした。
(一二) 昭和四六年四月一日刊行の東京女子医科大学講師朝倉哲彦著「てんかん神聖病」には、抗てんかん剤一覧表のうちに、クロロキン(アラレン)が記載されている。
(一三) 昭和四六年一〇月改訂刊行の「最新精神医学」において、北海道大学教授諏訪望は、「てんかんの治療の主体は薬剤療法であるが―」とし、「ある種の薬剤は、添加剤として抗てんかん剤と併用するときに、しばしば著しい効果をしめす。例えば、炭酸脱水酵素阻害剤であるDiamoxおよびDiurex, Chloroquine製剤であるResochin, Butansultam誘導体であるOspolot、トランキライザーに属するChlordiazepoxide(とくに精神症状にたいして)、さらに脳の抑制過程に関与すると考えられるγ-amino β-hydroxy-butyric acid(GABOB)、すなわちGamibetalなどである。」と述べている。
(一四) 東京慈恵会医科大学教授新福尚武は、昭和四七年九月刊行の「最新精神科治療」の「序」において、「精神科医にとつて、患者を治すことより重大なことはない。いや、精神科医のすべての努力の究極目標は、患者を治すことにおかれるべきであろう。ところが、現状はどうか。これは甚しい偏見でもあるかもしれないが―もしそうなら、まことに喜ぶべきであるが―とかく臨床から遊離し、臨床に背を向けた精神科医が多くなりつつあるのではあるまいか。そしていう。治療といつたつて、すこしも治らないではないか、治そうなどということが大それた自己欺瞞でないか、と。
たしかに、それはある程度事実である。確信をもつて、治しうると断言できる医師はひとりもいまい。考えれば考えるほど、精神科での治療状況は悲しく、切ない。しかし、それでも治療の道はある。だから、われわれは治そうと努力するし、治そうと努力するかぎり、迷い、誤る。それ以外に道を知らないからである。われわれにとつては、治療対象である患者こそ師であり、啓示者であり、批判者でもある。」と述べたが、同書の中で東京都老人総合研究所室長柄沢昭秀は、「第四部治療各論」「Dてんかん」「(5)その他の薬剤<3>」において、「<3>Chloroquine(Kidola, Resochin):おもに小発作に奏効するが、難治例にも有効の場合がある。最近クロロキンによる網膜症が報告されているので注意を要する。視力、視野、眼底検査などの眼科的チエツクを定期的に行なう必要がある。
用量 〇・一~〇・三/一日量
副作用 頭痛、めまい、嘔吐、食欲不振、発疹、網膜症」
と記している。
(一五) 東北大学教授和田豊治は、昭和四七年一〇月刊行のその著「臨床てんかん学」の「自序」において、「近年まさに日進月歩の発展をとげてきたてんかん研究であり臨床治験であるが、それがしだいに体系化されて、今ではてんかん学Epileptologyへの止揚ももはや確立したといえるであろう。事実また臨床の最近の動向をみてもとくに診療の普及そして浸透には著しいものがあるし、またその当然の結果としててんかん臨床医が数多くもとめられてきてもいる。ここにおいて神経科・精神科・小児科・内科などの領域を問わず、てんかん臨床の実際とりわけ診療の基本術式にもふれた入門的専門書もまた研究書のほかに必要ではあるまいか―これはかねてより著者に痛感されるところであつた。」とし、「第7章治療」「§9その他の抗てんかん剤」「A Chloroquine(Resochin, Kidola)」として、「Resochin(chloroquine diphosp-hate)とKidola(chloroquine diortate)とがあるが効果には大差がない。胃障害をおこすので常用の際にはcoating剤を必要とする。」。
「曽つてMendezら(一九五三)は難治欠神発作に抗マラリア剤Atabrineが有効なことを報告したことがあるが、それを追試したLennoxは有効な場合があるとしても副作用のために長期連用には不適当であるとの結論に達した。ところがQuinoline誘導体である膠原病剤chloroquineがあらわれたので著者は早速(一九六〇)それを抗てんかん剤に付加してもちいてみた。当時Vazquesらが同様の追究をしているという報告に接したのはその後のことであるが、一方そのうちに本邦に多くの本剤追試報告があらわれるようになつてきた。」
「もともと本剤による付加治療は難治例を対象としたものがほとんどであつて、効果の面をみると著効二〇パーセントをふくめて有効約五〇パーセントとなつているが、実はこの有効率は難治例をその率で有効に移動させることを意味するのであるから、その意味では本剤がもつ臨床的意義は大きいといわなければならない。適応面では欠神発作>強直発作>汎ミオクロニー発作>全汎強直―間代発作>精神運動発作の順に有効であるが、そのなかには長年児にみられるLennox症状群も少なからずふくまれている。ただし、本剤治療は乳幼児発作とくにWest症状群に無効であるし、時には悪化させることが少なくないので使用はさし控えるべきであろう。
本剤は単剤投与では無効に終わるので他抗てんかん剤との付加治療法がもつぱらとられるが、その場合に有効例では効果発現がかなり速かであつて多くは二~三日遅くても一週間以内にあらわれるし、また服用例とくに有効例では脳波像の改善に著しいものがある点が注目される。一方、本剤を使用して発作が消失した例では数ヵ月間にわたる服用後に本剤を除去しても、その後もしばらく無発作にとどまる傾向が強いといえる。このような治療経験にもとづいて著者は難治例にかぎつて本剤を二~三ヵ月にわたる短期間もちい、発作消失をみた場合にはしばらくして除去するという暫定療法を考えるにいたつたしだいであるが、この点については後述する本剤付加治療症例を参照されたい。なお、このような暫定治療に際しては前述のように本剤付加による有効例に効果発現が早くみられるので、本治療を試みても効果が早期にもたらされない場合はさらに追究する必要がないといえる。
本剤治療において注意しなければならないのは副作用の問題である。ふつうみられるのは食思不振・悪心嘔吐・下痢・便泌などであるが、そのほか頭痛・めまい・熱発・発疹さらに眼調節障害をみることがある。一方、造血機能障害のほかに不可逆的な変化として眼症状とくに角膜浸潤・網膜浮腫・網膜動脈狭小症や視野狭窄などをきわめて稀にみるが、このような意味でも眼障害や肝障害をもつ例では禁忌である。
このような副作用に留意して著者は本剤投与量を成人でもせいぜい〇・一~〇・一五グラム、小児では〇・〇三~〇・〇五グラムの小量にとどめているし、またこれまでの経験では以上の量よりましても効果にさして変化がないことが認められている。一般に本剤の上記量によつて効果がみられたならば維持量として連用し、その間に他抗てんかん剤の減量をはかるとともに二~三ヵ月程度治療するのが望ましい。
本剤がもつ抗てんかん作用の機序はまだ不明といわなければならないが、しかし関連をもつことが推定されるいくつかの因子をあげることはできる。たとえば、(1)脳血管透過性の亢進を抑制する作用、(2)抗ヒスタミン作用、(3)抗アセチルコリン作用、(4)ATPとの拮抗作用、(5)核酸代謝および酵素系への作用などである。このうちで(1)は端的にいつててんかん発射が発生する脳内異常因子そのものを是正し、その結果として発作が抑制されることがまず考えられるところであつて、それを裏づけるのはAcetozolamideと本剤との併用が一般に有効な点であろう。曽つて著者らはモルモツト脳において抗てんかん剤が組織酸素消費量におよぼす影響を検討し、Chloroquineが他剤とくらべ間脳・小脳において高い抑制値をしめすことをみているが、この所見は本剤の欠神発作に対する効果と考えあわせると興味深いものがある。一方、SteriadeらはQuinidineの抗けいれん作用を追究しててんかん発射の抑制効果を確かめ、その機序としてneuroxial niveauの低下を推定しているが、本剤投与によつて脳波が著しく正常化する所見と相まつて、本剤にQuinidine類似の作用が存在することもまた考えられるところである。」と述べ、さらに、「てんかん治療が予後におよぼす影響については少なくとも現在のてんかん学でも不明という実感は否めないところである。もつとも現行抗てんかん剤治療が実質的に普及したのはここ一〇年余にすぎないし、またてんかん者の生涯をとおして追究されはじめて真のてんかん予後がとらえられるとすれば、これは将来にむかつてたゆまず調査されなければならないてんかん学の重要な課題であろう。この点をふだん抱いている多くの感慨のなかからとくにとりあげてここに記し、あわせて現在の臨床てんかん学の盲点に今後の充実を希うものである。」といい、付録として、和田豊治が「本邦てんかん薬剤治療の現況」と題し、「筆者は我が国のてんかん治療の現況を知ろうとして、特に用意したアンケートを全国の各病院に一九六三年二月配布して回答を得た(一四五施設からの回答で、回収率五一パーセントであるが、全国の主要病院を殆んどもうらしている)が、その集計成績を述べると次のようである。なお、調査に用いたアンケートは過去一年、すなわち一九六二年を中心とした一九六二~一九六三年を対象としているので、本成績はその間の本邦における治療の動態といい得るであろう。」と述べ、「現在使用されている抗てんかん剤」について、クロロキンは三九パーセントであるとしたうえ、Aleviatin, Phenobarbitalはともに一〇〇パーセント、Minoaleviatin, Mysoline, Diamoxは九〇パーセント台であるが、「Diamox以下は補助的にあるいは一時的に使用され、いわゆる“routine”としての意義が少ないし、Gemonil以下は試用の域に止まるところも少なくない。なお、それらの中でDiamox・Chloroquineは特異な抗てんかん剤といわなければならないが、GABA, GABOB, Ceremonなどと並んでかなり使用されていることが改めて注目される。」と説明している。
(一六) 昭和四九年四月刊行の北里大学教授原俊夫ほか編「てんかんの臨床と理論」には、てんかんの薬物療法について、次のように記述されている。「てんかんとその治療についての記載は、古く西紀前五世紀(四四〇―四三〇BC)のヒポクラテスにさかのぼることができる。すなわち、ヒポクラテス全集には、神聖病(てんかん)は、ほかの疾病と同様、自然的病因による病であり、摂生法(食餌療法)によつて治癒せしめえるものと説かれている。
しかし、その後、てんかんが真の医療の対象となるまでには、長い暗黒の時代を経なければならなかつた。その間、呪術はもとより、人間・動物の生血・臓器・排泄物からさまざまな金属や薬物の処方に至るまで、その時代時代の医術のあらゆる技が施こされてきたようである。
抗てんかん薬物治療の端緒は、Charles Locockの全く偶然の経験によつて見いだされたという。すなわち、一八五七年、LocockはKBrがてんかん発作を抑制することを見いだし、報告した(Lancet.一、五二九、一八五七)。この報告はただちに、広く承認されるところとなつたようである。一八六八年には、CloustonによつてKBrのてんかん治験報告がなされ(J.Ment. Sc.,一四、三〇五、一八六八)、一八七一年頃にはQueen Square国立病院で年間二五トンの臭化物がその治療のために使用されていたという。
その後、一九一二年にHauptmannがPhenobarbitalをてんかんの治療に導入することにより、KBr時代は過去のものとなつた。そして、さらに、Diphenylhydantoin(一九三八)その他一連の抗てんかん薬の開発がPhenobarbitalに続くのである。ところで、Phenobarbitalの抗けいれん作用の発見が、KBrの経験以来続けられてきた鎮静・催眠剤のてんかんへの適用という一連の試行の結果であつたのに対して、一九三八年MerrittとPutnumによつて発表されたDiphenylhydantoinの出現は実験的、化学的研究の成果であつた。抗けいれん作用に関与する化学構造に着目しつつ、計画的に新薬を合成し、その抗けいれん作用を実験的けいれんに対する効果によつて確認するという彼らの開発手段は、その後今日に至る抗てんかん薬開発の基礎をなすものであり、その意味で、Diphenylhydantoinによつて抗てんかん薬開発の新時代が始つたと見ることができる。彼らの研究は、化学構造と抗てんかん作用の関係を証明したばかりでなく、「抗てんかん作用と鎮静効果の間に直接関係がないこと」、「動物実験による抗てんかん剤の研究の可能性」を明らかにした点できわめて重要な意味があつたと評価される。」「これまで数多くの抗てんかん剤が合成され、治験され、そして実用に供されてきた。しかし、これらの薬剤もその全てが対症療法剤の域をでないという本質的制約をもつうえ、その効果の点でも未だ満足すべき結果をあげているとはいいがたい現状である。したがつて、今もなお、より優れた新薬の出現が期待されている。」としたうえ、クロロキン製剤を、主なてんかん剤開発の歴史の中で一九五九年に位置付けるとともに、昭和四六年二月現在の我国の抗てんかん剤使用の現況について、「現在わが国で、抗てんかん剤として使用されている薬剤の種類は三〇数種類ある。」と述べたうえ、昭和四六年一一月日本てんかん研究会会員四九名に対し、アンケート調査を実施したが、その結果によれば、依然としてアレビアチン、フエノバルビタール、ミホアレビアチンが最上位を占め、クロロキン製剤も前記昭和三八年の和田による調査の際の三九パーセントにはいたらなかつたものの、これをカレントな抗てんかん薬としている者が一三パーセントに達し、メプロバメートの八パーセントを超えているとしている。
三 エリテマトーデスに対する有効性と有用性
1 エリトマトーデスに対するクロロキン製剤の有用性が国際的にも一般に承認されているものとみられることは前記のとおりである。
2 そして<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
全身性エリテマトーデス(SLE)、円板状エリテマトーデス(DLE)は、なお原因不明の疾患とされており、病因については、自己免疫説、過敏症あるいはアレルギー説、感染説、内分泌説等があり、急性、悪急性、慢性とその症状及び経過は多彩である。治療法についても、これを治癒させ得る療法は見出されておらず、いわゆる難病の一つといつて妨げない。主要治療薬としては、ステロイド剤及びACTH、免疫抑制剤、抗生物質及び抗マラリア剤であるリン酸クロロキンのほかゲルマニン、砒素剤、蒼鉛剤、ビタミンE、同B12、パントテン酸カルシウム等があつたが、ステロイド剤は最も有効なSLE治療剤とされていた。
3 これを文献についてみると、次の各文献等には、それぞれ次の要旨の記述があるほか、右2の事実を認めるに十分な記述がなされている。
(一) 徳島大学医学部皮膚泌尿器科教室講師武田克之の「皮膚疾患に対するクロロキンオロテート『キドラ』の効果」と題する論文は、
「慢性及び亜急性エリテマトーデスのQuinacrine(抗マラリア剤)と共通の構造、8-Amino-quinolineを有するPamaquine(plasmochin)がProkoptchoukaによつて始めて導入され(一九四〇)、Sarinsonその他によつて汎く追試された。かかる合成抗マラリア剤の皮膚疾患治療剤としての研究はPageがQuinacrineを慢性エリテマトーデスに用いて有効との報告(一九五一)を契機として著しく発展した。またこれと構造式が類似で皮膚の黄染、造血臓器の障害、効果の不規則など使用上の難点を除いたChloroquine diphosphate(Resochin)が合成されて、慢性亜急性エリテマトーデス(Goldman、石原、北村、石関、河村その他)、日光皮膚炎(石原)及び日光蕁麻疹、夏季水胞症をも含めて日光疹(Rogers & Fian, Pills-bury & Jacobson)、剥奪性口唇炎及び自家感作、接触、アトピー皮膚炎等(Ayres & Ayres、石原)酒[査皮](石原、榎山、Tat等)に用いて好成績が得られ、汎発性鞏皮症(Cornbleet et al, Gingsbery, Lewitus, Ayres & Ayres)、結節性動脈周囲炎(石原)等の有効例が報ぜられ、慢性湿疹(岡本、松崎)、掻痒性皮膚症(Zierz、石原、Ayres & Ayres等)に用いて症状の軽快を得てる。
燐酸クロロキンは結合織基質成分に直接作用し、腫瘍細胞の抑制のみならず線維素芽細胞の完全な発育を抑えて増殖現象を強力に抑制し、ATP分解酵素を抑制することによつてATP増加的に働き、エリテマトーデス患者におけるB2代謝の正常化作用を有し、さらにArthus現象を指標とした動物実験で著明な抗アレルギー作用を示すとの報告は、当然本剤の諸種皮膚疾患に対する応用を考えさせる。
私達は今回、小野製薬からクロロキンとOratic Acidの協力によつて、クロロキン単独より効力が増強され、副作用の減弱が期待されるChloroquine Diarotate(Kidola)の提供を受け、日光皮膚炎、エリテマトーデス、アレルギー紅斑症その他に用い、期待する効果をあげ得たので報告する。」
とし、結論において、「Chloroquine Diarotate(キドラ)を日光皮膚炎、エリテマトーデス、アレルギー紅斑その他に計三七例に投与し、
(1) 著効一〇例、有効一一例、やや効八例、無効四例で七八・四パーセントの治効を得た。
(2) 投与量は一日量三錠が最適の様に思われた。効果発現はアレルギー紅斑症(五~七日)、日光皮膚炎(七~九日)が早く、エリテマトーデス(一四~二〇日)は稍遅れる傾向にある。
(3) 副作用は、悪心、嘔吐の一例のみで、燐酸クロロキン単独投与に比して少い。
(4) 皮膚機能に対しては皮膚毛細血管増強、皮温復元時間短縮的に作用し、ヒスタミン感受性並びに酸化還元機能、光線感受性の異常亢進に対し抑制的に働き、本剤が滲出性炎症及びアレルギー紅斑に治効率の高いことを物語つている。」と述べている。
(二) 昭和三一年一一月発行の雑誌「新薬と臨床」中の名古屋大学医学部皮膚科助教授小林敏夫らによる「Resochin(Bayer)によるエリテマトーデスの治療経験」と題する論文には、
「エリテマトーデスの治療剤特に経口薬剤はコーチゾンを除いては確実な奏効を期待し得るものはない。しかしコーチゾンは本疾患の低下している副腎皮質機能に対する補充療法であつて根治療法ではなく、しかも生理的に必要と思われるホルモン量では最初の飽和量によつて得られた効果を持続することができない。従つて少くとも五〇ミリグラムから七五ミリグラムを維持として続けるので副腎皮質の萎縮とともに、単一ステロイドの連続投与による副腎皮質ホルモン相互間のアンバランスを来して、投与の中絶とともに倍旧の症状増悪を来すのが通例である。
われわれはエリテマトーデスに於いては急性全身性型の救急の場合を除いては極力コーチゾンの使用を避けており、止むを得ず速効を求める時にはACTHを用いている。ACTHも投与中は確かに有効であるが永続的効果は望み難いので患者自身の機能の低下した副腎皮質をもつと永続的に賦活する治療法を数年来検討しているが、目下のところ、発熱刺戟療法が最も確実・有効で、従来の治療法に比して段階の永続的効果を示し、長いものでは四年以上の治癒状態を続けている。発熱療法は慎重に行えば危険は全くなく、われわれは六二例の経験を有し、一例の事故も起さなかつたが、隔日に四〇度余りの発熱を約五時間宛持続させるので入院加療を要し且つ合併症を有する症例には実施できない。こうした症例にはゲルマニン、砒素剤等、蒼鉛剤を用いているが疾患の性質上、長期加療を必要とするので、何か経口投与による簡便で有効なものがあればと思つていた。Atebrinは三、四年前から相当数の症例に使用したが、見苦しい皮膚の黄染を来し、他の不快な副作用も多いので患者が嫌い長期服用を続けた症例がないせいか根治した例は未だ経験しない。」
として、レゾヒンを各型のエリテマトーデスに試用し、その結果を、
「(1) われわれが過去半年間にResochinを用いて診療した各型エリテマトーデス三一例の臨床成績を紹介した。
(2) Resochinは円板状型、播種状型を問わず比較的新しいエリテマトーデスの皮疹に対しては確かに有効であり、且つ経口投与ができるので治療法が簡便で、症型によつては推賞すべき薬剤であると思つた。
(3) 陳旧性の皮疹に対しては経口投与よりも皮疹内浸潤注射の方が有効であつた。
(4) 急性全身型や亜急性播種状型にてはCortisone, ACTH等を適当に使用した後に他の副腎皮質機能賦活剤と併用する必要がある。
(5) 副作用はAtebrinほど重篤なものは見ないが約半数の症例に多少認められた。然し適当に予防法を講ずれば連続投与に支障はない。」と報告し、副作用については、一過性毛様体障害による順応不全に相当すると思われる羞明、眼精疲労を訴えた患者を経験している、とも述べている。
(三) 昭和三四年二月発行の「日本皮膚科学会雑誌」第六九巻第二号には、東京大学医学部皮膚科教室の石原勝が、「抗マラリア剤Chloroquineの諸種皮膚疾患に対する治療効果、並びにその作用機序に就いて」と題する論文中において、「エリテマトーデス(以下E、と略記)、殊にその慢性型に抗マラリア剤が有効であることは、今日既に多くの追試報告にも確認されている。著者はその一種としてChloroquine即ちResochin(Bayer)の薬理作用に関する2、3の実験を施行し、併せてE、その他種々の皮膚疾患患者にも之を投与してその効果の有無を検討して、本剤の作用機序を種々の角度から窺つてみた。」
と述べ、著者が得た臨床並びに実験成績を総括すると、
「(1) Chloroquine(Resochin Bayer)は慢性E、日光皮膚炎、多形滲出性紅斑、結節性紅斑、結節性動脈周囲炎、皮膚淋巴球浸潤、酒[査皮]、チユーリング疱疹状皮膚炎に屡々著効を奏する他、急性湿疹、皮膚炎、剥脱性口唇炎等にもかなり有効、一方蕁麻疹、神経皮膚炎、慢性湿疹、尋常性乾癬、ジベール薔薇色粃糠疹、凍瘡その他の皮膚血行障害等には略々無効である。
(2) 亜急性E、急性湿疹、BehÇ全身症状、血沈促進、白血球減少、好酸球増多等検査異常所見が改善される程度はResochinではSteroid hormoneにかなり劣る。但しSteroidの無効な症例、例えば結節性動脈周囲炎の症例に対しResochinが著効を示すこともある。
(3) E、に於て、滲出性円板状型には一日量一錠、二五〇ミリグラム、乾燥性円板状型には二錠、五〇〇ミリグラム連用が有効である。これに対し亜急性型には一日二錠、五〇〇ミリグラム以上、時には四錠一、〇〇〇ミリグラム服用させて始めて効果がある。従つて一般的には一日量半錠、一二五ミリグラムより漸増的投与、症例に応じて副作用の生ぜぬ、然も明らかに有効な量を所謂持続量とし、潮紅の消褪し、病巣の治癒した後も慢性型では一二五ミリグラム、亜急性型では二五〇~五〇〇ミリグラム宛を長期間に亘り連用させて、再発を防止することがE、に対するResochinの理想的投与法と考える。(中略)」
「要旨
著者は今日エリテマトーデス、特にその慢性型の優れた治療剤とされているChloroquine、7-Chloro-4-(4-diethylamino-1-methylbutylaminoquinoline diphosphate、即ちResochin(Bayer)の同症に対する、及びその他各種の紅斑症、湿疹等の効果を自家経験例に就て述べ、その投与法、副作用等を詳細に検討した。今日尚不明とされているその作用機序に就ては、諸実験並びに本剤の臨床使用成績から見て対血管作用、即ち血管透過性抑制作用、抗ヒスタミン作用、抗アセチールコリン作用並びにその抗炎作用を重視すべきだと考える。」としている。
(四) 昭和三六年五月発行の雑誌「新薬と臨床」中の広島大学医学部皮膚泌尿器科教室石部知行らによる「慢性エリテマトーデスに対するResochin(バイエル)の使用経験」と題する論文には、
「一九五一年Pageが慢性エリテマトーデスに対しAtebrinを使用し良成績をおさめたが、著しい皮膚黄染等重篤な副作用が多くあることが報告され、広く用いられるに至らなかつた。一九五三年Resochin(chloroquine diphosphate)がBayerより発表され、Goldman, Cole, Preston等によつて本疾患に応用されて有効であると報告されて以来、Resochinが慢性エリテマトーデスに卓効があることが今日までに多く追試報告されている。
我々も昭和三一年より三五年に至る約四年間に亜急性の一例を含む慢性エリテマトーデスの患者六一例に対しResochinを使用し、いささかの成績を得たので報告する。」としたうえ、「Resochinの作用機序については現在全くは明らかにされていないが、病因的に有効なのではなく症候的に作用するものであるというのが諸家の意見であり、Zierz, Blaich u. Gerlachは動物実験により抗炎症作用を認め、Wiskeman u, Kochは紫外線紅斑の防禦作用、Cortisoneには及ばないがCortisone類似の作用を持つこと、光線過敏症の抑制として神村も日光皮膚炎患者で臨床実験を行つている。我々の経験からも陳旧な病巣より新しいものほど効果的であつたことは、Blaichの新しい炎症性の充血性紅斑の局所浸潤に特に奏効する炎症抑制作用を推定せしめ得るものである。その他、アミン作用による組織酵素作用抑制、LE因子産生抑制又は不活化などが挙げられているが今日なお不明な点が多いといわねばならない。」と述べ、レゾヒンが慢性エリトマトーデスにきわめて有効な薬剤であることは疑う余地がない、と評価し、投与量と投与期間に関してまだ結論は得られていないが、「先人達の治験に於いては2~3錠を初期投与して維持量一錠毎日、または週2~3錠を最適としているが、大量投与は多く副作用の関係で希望通りに行われていない。Zierzは総投与量は勿論病巣の減退傾向によつて大きな変動があるが、一般には二〇~三〇グラムで十分治療効果をあげられるとし蔭山は少なくとも三か月投与が必要としている。我々も一年以上の投与で効果を得た例もあるが、多くは投与開始後数か月で効果がみられる事より、この間に効果が見られないのは予後不良というべきであろう。」「投与量は初期二錠が好ましいが、一錠投与でも長期投与によつて充分効果をおさめ得た。また局所療法の併用は治療効果更に大になるように考えられた。」、「副作用として九例に胃腸障碍、食欲不振があり、一例に眩暈と視力障碍をみたが、アテブリンに於いてVilanova, Parmerが報告している如き重篤なものはなく文献的にも頭痛、眩暈、心悸亢進、食欲不振、悪心、嘔吐、不眠、昏睡、体重減少、神経衰弱、苔癬様皮疹等があげられているが、投与を中止する程の重篤なものは少ないとされている。眩暈と視力障碍は特異であるが、Thiesも眼の調節障碍、小林も羞明と眼精疲労の例を報告している。その他、北村は一過性蕁麻疹、急性皮膚炎、発熱、倦怠感の四例(一二例中)、蔭山は殆んど全例に睡眠障碍を認めたといつている。林の筋注では悪心、嘔吐、頭痛を訴え、石岡の局所注射では局所の軽度の発赤腫脹以外に数例に尿中ウロビリノーゲン増加、または胃腸障碍があつたが中止する程のものはなく、レゾヒンアレルギーによる中毒疹一例を報告している。我々の場合も二錠を一錠に減量したものはあつたが、投与を中止したものはなかつた。また一錠投与例が多かつたためか副作用は諸家の報告しているより少数にしか経験しなかつた。」としている。
(五) 昭和三九年版の日本大学教授石山俊次ほか編「今日の治療指針」には、エリテマトーデス(LE)について、「LEには急性型のLE disseminatusあるいはSystemic Lupus Erythematosus(SLE)、全身性(播種性)エリテマトーデスと慢性型のLE discoi-des円形エリテマトーデスの二種類があるが、慢性型は良性であり、日常の診断、治療上重要であるのはSLEである。
SLEは関節リウマチ、リウマチ熱を除いた膠原病のうちではもつとも頻度の高いものである。
(中略)
SLEの“型”により治療方針が異なる。SLEはつぎの三型に別けられる(Neustadt)
I型 ほとんど臨床症状がなく検査成績上SLEと思われるもの。特別の場合を除いて治療の対象とならず、経過観察のみでよい。
II型 慢性で症状はあまり強くないが明らかに各種の系統的症状を呈し、しばしば関節リウマチに似た症状を呈す。
III型 急激なる経過をとり、きわめて重症であり、重篤な併発症をきたし、ときに致命的なことがある。」としたうえ、「III型には副腎ステロイドが必須であり、II型の一部にも使用する。副腎ステロイド療法によりSLEの予後が改善され、明らかに延命効果が認められる。」旨を述べるほか、クロロキン療法、アスピリン、ナイトロジエンマスタード等を記載し、クロロキン療法については、一日二〇〇~三〇〇ミリグラム(一錠一〇〇ミリグラム)、維持量は一〇〇~二〇〇ミリグラムとし投与期間は年余に及ぶが、副腎ステロイドの減量に利する場合もあり、副作用として、胃腸障害、眼症状を呈する、としている。また、円板状エリテマトーデスについての治療についても、抗マラリア剤の内服について述べられ、有効率は七〇~九〇パーセントでかなり高く、発病後間もない皮疹では特に有効であるが、疾患の性質上治療中止後再発することがあるけれども、かかる際は、クロロキン療法を再び行う、副作用として、胃腸障害などのほか、近時副作用として長期服用者の顔面、硬口蓋、下腿の色素沈着並びに視力障害(目がかすむ、視野の狭窄など)が報告されており、かかる際は抗マラリア剤投与は中止する、旨が記載されている。
(六) 昭和三九年七月発行の雑誌「新薬と臨床」中の名古屋大学医学部皮膚科教室助教授小林敏夫による「皮膚科領域におけるChloroquine Chondroitin Sulfateの臨床治験」と題する論文は、「本邦において、抗マラリア剤が皮膚疾患の治療薬として使用されるようになつたのは主として戦後のことである。特に皮膚黄染の目立つquinacrine(Atebrin)に代つて、chloroquineの誘導体が私等の注意をひくようになつたのは、エリテマトーデスに対するchloroquine phosphateの治療成績をGoldman et. al.がJ・A・M・Aに発表して以来である。本邦では当時chloroquine剤は生産されていなかつたので、Resochin(Bayer), Aralen(Winthrop)等のchloroquine phosphate剤を、ここ数年来私等は汎く各種の皮膚疾患の治療に慣用してきた。しかしchloroquine phosphateは周知のように胃腸障害を主とする副作用が相当程度に認められ、gelatin coatingを施した錠剤を使用しても、神経質な婦人などでは眼精疲労、眩暈、不眠症、白髪化などを訴えて連続投与が出来ない場合がある。先にchloroquineとorotic acidの各々の特性の相乗効果と、chloroquineの副作用の軽減を狙つてchloro-quine orotateが国産されたが、今回、chloroquineのchondroitin硫酸塩の製剤であるCQC錠の提供を受けたので、興味をもつて、適応と思われる各種の皮膚疾患に試用してみた。」として、
「円板状エリテマトーデス 三例
亜急性播種状エリテマトーデス 一例
汎発性鞏皮症 二例
限局性帯状鞏皮症 一例
アレルギー性血管炎 一例
多形滲出性紅斑 二例
接触性皮膚炎 二例
女子再発性皮膚炎 二例
日光皮膚炎 一例
紅斑性丘疹性湿疹 一例
アトピー性皮膚炎 一例
チユーリング氏疱疹状皮膚炎 一例
口唇炎 二例
先天性表皮水疱症 一例
凍瘡 一例
乾癬 二例
結節性黄色腫 一例」
にそれぞれ投与した結果を、「私が少数例の試用経験のみからCQC錠の臨床価値を判定することは、いささか乱暴であるが、私の試用後の感想を述べてみると、CQC錠は無難な使い易い薬剤であるが、予期の臨床効果を認め得ない場合があつたのは投与量に問題があると思う。急性期を過ぎた内因性慢性皮膚疾患に対して維持療法として使用する場合には、成人一日量一二乃至一五錠でもよいと思うが、炎症性皮膚疾患初期投与量としては最少限現在の使用量は必要であると思う。
未だ大量投与の経験はないが上述した臨床経験から推測すると、副作用の点では相当量を使用してもあまり心配はないと思う。現在の投与(一日量九~一五錠)では長期使用に便利な維持療法剤の域を出ず、おのずから適応が限定されるようになると考えるのは私一人ではないようである。」と報告している。
(七) 昭和四〇年一月発行の雑誌「新薬と臨床」中の弘前大学医学部皮膚科教室菅原光雄らによる「CQC錠による皮膚疾患の治験」と題する論文には「クロロキン製剤は今日皮膚科領域に於いて、エリテマトーデス、特にその慢性型の治療に必須の薬剤となり、その他、光線皮膚症をはじめとする二、三の疾患の治療にも応用され、適応範囲の拡大がはかられているが、従来使用されている燐酸クロロキン、硫酸ハイドロオキシクロロキン等は胃腸障害を主とする副作用の発現により、服用の制限される場合が少くない。かかる副作用を少くし、治療効果を高めるために製剤の改良が進められているが、その一つとしてクロロキンとコンドロイチン硫酸を結合させたクロロキン・コンドロイチン硫酸塩(CQC錠――科研)が登場した。今回、著者等は本剤を二、三皮膚疾患に使用し、臨床経験を検討したので以下にその大要を報告する。」と述べられたうえ、多形日光疹ほかの合計二二例の皮膚疾患に対してCQC錠を投与した結果について、「クロロキン剤のエリテマトーデスに対する卓効は既に諸家のひとしく認める所であるので、今回の臨床実験には本症を含まない二、三の皮膚疾患二二例を対象としたが、CQC錠の有効率は七七・三パーセントで、著者等が先に報告したオロチン酸クロロキンのそれと同様のすぐれた成績となつている。
さて、本剤の成分の一つであるクロロキンの作用についてはPage以来、コーチゾン様作用、光線過敏性抑制作用、抗アデニール化合物作用などが挙げられており更に近年、抗ヒスタミン、抗炎症、血管透過性抑制、非特異的免疫或いは網内系封鎖等の諸作用が知られており、菅原もビタミンB2代謝を介してのコーチゾン様作用、血液ATPの調節作用、血清総コレステロールの正常化作用及び紫外線感受性低下作用などの存在を認めている。一方、他の成分であるコンドロイチン硫酸では硫黄代謝、チスチン代謝に関与する薬理作用、膠原線維の安定化、末梢血管拡張、副交感神経機能亢進等の諸作用が重要視されており、これら各種の作用が治癒機転のある段階に一役を演じて、上述の如き成績が得られるものと考えられるが、全例に一応の効果が認められた多形日光疹に於いて一~二か月後半数に再発をみている点、本症に対するCQC錠の奏効機序はMorbidstaticな面に求めねばならぬことが示唆される。また、アリボフラビノージスに対する効果は菅原の燐酸クロロキン剤にビタミンB2代謝正常化を認めた実験成績と照応するものである。同じく光線過敏性疾患である酒[査皮]ではAtebrinやクロロキン剤により症状の好転(但し、毛細血管拡張は消失せず)を認めた報告は数多く見られるが、今回、本剤の投与で効果の認められなかつた二例は何れもII度以上の症例であり、重症の酒[査皮]に対する本剤単独投与の効果には自ら限界があることを示すものであろう。また、アトピー性皮膚炎や自家感作性皮膚炎に於いてはクロロキンの有する抗ヒスタミン作用、抗アセチールコリン作用とコンドロイチン硫酸の解毒作用、肝保護作用等が相俟つて比較的高い治療効果が得られたものと解される。
一方、注目されることは以前に副腎皮質ステロイドを使用した汎発性鞏皮症の一例に於いて、ステロイド中止後ATP剤と併用してCQC錠を長期間投与し、相当度硬直の軽減状態を維持し得たことである。クロロキンの有するコーチゾン様作用及びコンドロイチン硫酸の主作用とされるコラーゲン線維の安定化作用などからして、難治性と考えられている汎発性鞏皮症その他の膠原病類の治療剤或いはステロイドの後療法剤として、本剤の効果は極めてすぐれた価値を有するものと期待されるが、軽度ながら、副作用の皆無でない点はさらに投与法など検討の余地があるものと考えられる。」、なお「副作用として一例に心窩部不快感、他の一例に大量投与により軽度の下痢を認めたが、何れも一過性であつた。」とされている。
(八) 昭和四〇年二月発行の雑誌「皮膚科紀要」中の京都大学医学部皮膚科教室池田忠世らによる「コンドロイチン硫酸――クロロキン(CQC錠)の使用経験」と題する論文は、「クロロキンの主な効果は、現今その抗炎症性作用ないし抗紅斑性作用に帰せられ、以前に議論された如き副腎皮質下垂体系への作用は最近では否定されている。但し、白鼡の肝臓ではクロロキンのコーチゾン非働化抑制作用が見られると云う。また、以前に有力であつた光線過敏抑制説も、最近では妥当性を欠くといわれる。その他のクロロキンの作用としては、ロイマトイド因子の凝集作用の抑制Lupus erythematosusに於ける特異な沈降作用の抑制、LE細胞形成の抑制、白血球の浸透圧の正常化、局処麻酔作用、血液の凝固抑制、筋弛緩作用などが知られている。他方、衆知の如く副作用があり、殊に眼、造血機構に対するものは稀ながら重篤であるので、クロロキンをいろいろの酸と結合させて、副作用の少ないものにせんとの努力がなされている。然し、現在の所この試みは成功せず、僅かにその可能性をアモデイアキンに期待している段階である。
クロロキンの使用される範囲は、主にその抗紅斑性作用を利用した皮膚疾患で、その他では、筋弛緩作用を利用して、先天性筋緊張症に使用されるに過ぎない。皮膚疾患として効果の報ぜられるものは、慢性紅斑性狼瘡、鞏皮症、淋巴腺様浸潤、日光性皮膚炎、酒[査皮]、湿疹群、萎縮性脱毛症、紅色苔癬、先天性表皮水疱症、環状肉芽腫、サルコイドーヂス(肉芽腫様口唇炎などを含む)、乾癬、類乾癬などがある。以上のうち、慢性紅斑性狼瘡、日光皮膚炎、淋巴腺様浸潤、酒[査皮](我々の経験では脂漏の多い酒[査皮]に有効である)に対してその効果が是認され、鞏皮症に対しても有効の可能性を検討されつつあるが、その他のものには賛否両論がある様である。尚、我々の経験では結節性痒疹に対し、極めて効果があると思われる。
重篤な副作用のおそれの無いクロロキンの使用量は一日量三〇〇ミリグラム以下と云われ、若しこの程度の量で有効な誘導体が発見されれば大きな福音である。この期待の下に、コンドロイチン硫酸とクロロキンとの結合体であるCQC錠なるものが製造された。この九錠が燐酸クロロキンの量としては略々二二〇ミリグラムに相当する。このCQC錠を提供されたので、若干の皮膚疾患に対してその治療効果を検討してみた。
使用の対象は、急性及び慢性紅斑性狼瘡、日光皮膚炎、鞏皮症、アトピー皮膚炎及び結節性痒疹である。」
と述べ、その投与成績について、「症例数に乏しく、観察も充分とは云い難く、投与量の問題もあると思われるので、はつきりした結論は差し控えるが、大体次の様なことが云えると思う。
一 円板状紅斑性狼蒼に対する効果は、CQC錠の含有量に相当する量の燐酸クロロキンの効果に優るとも劣らぬものと考えられる。
二 急性紅斑性狼蒼に対しては燐酸クロロキンの場合と同様に効果が認められなかつた。
三 日光皮膚炎に対しては燐酸クロロキンと同様に有効である。
四 アトピー皮膚炎に対し有効と思われることがあるが、卓効という程のものではない。
五 鞏皮症に対しては、扱つた症例に関する限りCQC錠も燐酸クロロキンも効果が見られなかつた。
六 結節性痒疹に対し、燐酸クロロキン六〇〇ミリグラムでは有効であつたが、燐酸クロロキン四四〇ミリグラムに相当するCQC一日量一八錠の投与では効果が得られなかつた。
七 副作用は扱つた症例に関する限り、燐酸クロロキンより少ないので燐酸クロロキンの代りに用うべきものと考える。」としている。
(九) 昭和四一年版の日本大学教授石山俊次ほか編「今日の治療指針」には、エリテマトーデス(SLE)について、「その原因は未だ十分明らかでないが、一種の自己免疫疾患であろうと考えられる。
経過は重篤急激の電撃型のものから、全身症状が比較的軽微で皮膚症状の出没する円板状エリテマトーデスとの移行型に近いものまで種々である。著明の腎症状の存在は予後の不良を示すといわれている。」としたうえ、原因療法として、誘因に対する処置、自己抗体産生細胞に対する処置、変調療法を挙げ、「原因が不明なので、適確な原因療法と称すべきものがない。」とし、感染に対する治療、ステロイドホルモン、ナイトロジエンマスタード誘導体等の投与について述べるほか、「作用機序は不明であるが、従来からエリテマトーデスに対しては抗マラリア剤が使用されている。すなわちクロロキン一日量二〇〇~三〇〇ミリグラムをかなり長期にわたり使用する。ただしクロロキンは円板状エリテマトーデスあるいは比較的慢性型のSLEには有効であるが、急性型のものをコントロールする作用はステロイドに遥かに劣る。」
と記述し、対症療法として、ステロイドホルモン等を挙げ、ステロイドホルモンは、今のところ最も有効なSLE治療剤であり、特に急性重症型をコントロールするには不可欠の薬剤である、とし、また、慢性円板状エリテマトーデス(紅斑性狼瘡)については、病型が種々に分類され、その治療法は、全身療法と局所療法があるが、前者については、抗マラリア剤内服療法、ゲルマニン静注療法、砒素剤、蒼鉛剤注射療法、ビタミン療法、慢性感染病巣治療、副腎皮質ホルモン内服療法を挙げ、抗マラリア剤内服療法として燐酸クロロキンの内服には、胃腸障害等の副作用のほか、きわめてまれに長期投与者に眼障害が認められること、この最も重篤な副作用である眼障害は、角膜障害と網膜障害とに分けられるが、「角膜障害は症候的には急性の調節障害、視野のぼやけ、夜間における光輝物周辺の有色暈、焦点困難などで、slitlampで角膜に点状、線状の白色不透明の物質を認め得る。網膜障害は症候的には、<1>夜盲、<2>視野狭窄、<3>暗点の出現、<4>物体の逆転、<5>tunnel visionなどで、眼底検査で、<1>網膜小動脈の狭窄、<2>maculaeの浮腫状、蒼白所見、<3>非血管周囲性色素沈着などが認められる。上記の副作用は網膜障害を除きいずれも投与中止により徐々に軽快、消失するが、網膜病変は軽快せず、非可逆的病疾と見做されている。長期間抗マラリア剤を投与する場合上記の各種の副作用特に眼障害に留意する必要がある。」
としている。
(一〇) 昭和五二年一一月刊行の「からだの科学」臨時増刊「難病の事典」には、島根医科大学長深瀬政市が「全身性エリテマトーデス」と題して、次のとおり記述している。すなわち、
「全身性エリトマトーデス(SLE)は今日なおその真の病因は不明であるが、一定の臨床症候群によつて特徴づけられる独立した疾患である。すなわち、皮膚粘膜、脳、心、肺、腎、時には消化器、甲状腺等の内分泌腺あるいは血液の有形成分等の諸臓器、あるいは組織のいくつかのいろいろの組み合せで侵されることが特徴で、全身性の系統的疾患である。しかし、これらの諸臓器、あるいは組織の侵される順序、その組み合せや程度は個々の患者でまちまちであり、同一の患者でも時期によつて前景に出てくる症状は必ずしも同じではない。
その経過は再燃、急性増悪を反復繰りかえしつつ慢性の経過をとるのが特徴的であるが、なかには数週間で死の転帰をとる電撃性型とよばれる劇症のものや、一〇~二〇数年の長きにわたつて再燃の認められない超慢性型、あるいは寛解型とよばれる軽症例まで種々である。抗生物質や糖質コルチコイド剤治療法が広く用いられる前までは、急性増悪期に合併症で死の転帰をとるものも多く、わずか二〇年前までは日本における本症患者の九〇パーセント以上が三年以内に死亡しているが、現在では二五パーセント以下に減少している。
したがつて、その臨床所見もきわめて多彩であるが、その一つの極に位置するものとして、discoid lupus(DLE)とよばれるものがある。これはdiscoidとよばれる特異な限局性、慢性、難治性の皮膚炎を主要症状とするもので、他の諸臓器や組織が侵される頻度も少なく、また程度も軽く、SLEのいろいろのパターンのうちでもつとも良好なものである。以前はこれはSLEと別個の疾患と考えられたが、今日では一般にはSLEの一亜型と考える人が多い。」とし、「SLE(DLEを含めて)の原因については今日なお謎に包まれたままである。現在の知見では本症の発症因子が一つなのか、あるいは多数なのか、あるいは他の全身性自己免疫性疾患と総称される一群の疾患(例えば、リウマチ関節炎、Sjö
第二には、本症患者の病状、経過に応じて、糖質コルチコイド剤その他のいわゆる免疫抑制剤、種々の抗生物質、ならびに血液透析を三主要治療法として、これらおよび症状に応じて他の薬剤(例えばサルチール酸剤その他の非ステロイド系消炎鎮痛剤、抗マラリア剤)を適宜組み合せて治療を行なうことにより、症状の寛解ならびにかなりの延命効果を期待しうる。」としている。
四 リウマチに対する有効性と有用性
1 リウマチに対するクロロキン製剤の有用性が国際的にも一般に承認されているものとみられることは前記のとおりである。
2 <証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
一九五七年(昭和三二年)の第八回国際リウマチ学会において考按された国際的なリウマチ性疾患の分類法と命名によれば、一般にリウマチといわれる疾患(広義のリウマチ)は、関節型と非関節型とに分かれ、関節型は、炎症性と変性性とに分かれ、炎症性はさらに<1>リウマチ熱(急性関節リウマチを指す。)<2>慢性関節リウマチ及び異型<3>強直性背椎炎(以上<1>、<2>、<3>を狭義のリウマチという。)と感染性関節炎に分かれるが、関節リウマチは正確には慢性関節リウマチ(リウマチ様関節炎ともいつた。)といい、内科、整形外科領域においてリウマチといつた場合は、関節リウマチをさす場合が多く、関節リウマチはリウマチ性疾患の代表的なものである(したがつて、前記のとおり、クロロキン製剤は、右の急性、慢性関節リウマチあるいはリウマチ熱及びリウマチ様関節炎を適応として輸入し、製造し、販売されてきたものということになる。)。慢性関節リウマチは、結合織を侵す全身病であるが、関節の病変が主であり、関節に炎症が起こり、一般に慢性で進行性であつて、非常に多くの型があり、患者によつても、症状、検査成績はかなり異なるもので、人口の一パーセント近くの患者をもつ国が多く、女性が男性の約三倍多く罹患し、素因は遺伝すると考えられ、地方による差もあり、我国では、北海道と東北に少ない。慢性関節リウマチの発症から進展、再燃の機序に関しては確かな学説はなく、臨床症状は多様で、臨床像は一括しては説明できない。要するに慢性関節リウマチは、原因不明の慢性の多発性関節炎であつて、病変は多くの臓器に及ぶ場合もあるが、関節が中心で、患者により、時期により、症状、経過、予後は著しく異なるが、一般に軽快と再燃を繰り返し、慢性の経過をとるが、少数例は完全に寛解する。完全寛解を示す患者は若年者で、発病後一年以内の人が多い。すべての慢性関節リウマチ患者の治療に当たつて、最も大切なことは基礎療法であり、現在のところでは、すぐれた抗リウマチ剤をいくら使用しても、基礎療法をおろそかにしたのでは、まず成功は望めない。基礎療法に含まれる重要な項目には、全身の安静、睡眠、局所の安静、精神の安静、疲労・冷え・感冒などの感染症や外傷などの誘因に対する対処等が挙げられるが、最も強調されるべきは安静であつて、適度の運動さえ忘れなければ、全身、局所の安静はどんなに強調しても強調しすぎることはない。薬物療法には金療法、クロロキン療法、免疫抑制剤療法があるほか、日本以外の国における殆どの国での第一選択の薬剤はサリチル酸剤で、基礎消炎剤としては、そのほかにもブタゾリジン、タンデリール、インドメサシンが使用され、さらにはステロイド剤、ACTH、ビタミン等が挙げられる。昭和四八年当時における欧米のリウマチ専門医の一般的な治療体系は、すべての患者に対してアスピリンを含む基礎療法を行い、大多数の患者には水治療法、運動療法、装具を含む広義の物理療法を行い、炎症症状が中等度にある場合には、ブタゾリジン、クロロキン、インドメサシンが試みられ、炎症症状が強い場合には金療法が考えられ、いずれの療法も無効なときはステロイド剤の経口投与が、また必要に応じてステロイド剤の関節内注入が行われる、というものであるが、昭和四〇年九月当時、リウマチ学は我国では独立の分科としては認められておらず、日本全体として考えた場合のリウマチ分野のレベルは諸外国に比して低い、といわざるを得ない状況であつた。ところで、関節のリウマチ性疾患を含むいわゆるリウマチは、きわめて古い昔から人を悩ましてきた疾患であるが、今日にいたるも、その原因については、諸説があつて、明らかでなく、その病像、経過も多彩である。これまで種々の治療法が研究され、試みられ、治療のための薬剤にも種々なものが存したということができ、クロロキン製剤も右の薬剤のうちの一つである。
3 これを文献についてみると、次の各文献には、それぞれ次の要旨の記述があるほか、右2の各事実を認めるに十分な記述がなされている。
(一) 昭和医科大学第一内科川上保雄の「リウマチ性疾患に対するキドラの効果」と題する論文は、「クロロキンはリウマチ性疾患に従来から使用せられており、既にある程度の効果のあることは内外諸学者により確認されている。
私どももクロロキン剤をリウマチ様関節炎其他の膠原病、或は腎炎等に使用し効果の認められることを昨年のリウマチ学会に於て発表し、且つその作用機序は明かでないが、今のところ一種の非特異的療法と考えられることを報告した。本剤はそれ自体でも此等疾患にある程度の効果があるが、又一面ステロイドホルモンの減量或は中止によるreboud phenomenの予防にも効果があるものの様である。」とし、「今回実験の対象とした患者は、リウマチ様関節炎一三名、変形性関節炎二名、他の膠原病四名で、そのうちの一名はリウマチ熱であるが関節炎を主とする再燃をしばしば繰返す例である。」と述べ、成績は、一九名中、著効三、有効一一、無効三、不明二、という割合であるが、「此等患者の約2/3はキドラ投与の前あるいは後にキドラに代つて燐酸クロロキンあるいはハイドロオキシクロロキンを使用しているが、此等との効果の優劣は明かには判定し得なかつた。」とし、「副作用は二〇パーセント余に認められたが重篤のものはなかつた。」と結んでいる。
(二) 東京大学物療内科佐々木智也、間得之、吉村隆、吉沢久嘉、吉崎正、遠山正道の論文「リウマチ様関節炎に対するChlo-roquineの使用経験」は、「抗マラリア剤(抗マ剤)がリウマチ性疾患に使用されたのは、一九五一年PageがLupus erythema-tosusにQuinacrineを用い併存する慢性滑液膜炎に好効果を認めたのが最初である。Freedman, Engeset等もリウマチ性疾患に応用している。Quinacrineは、その副作用として黄疸、皮膚炎またはCusterの報告にもある顆粒細胞減少症等の危惧により広く常用されるに至らなかつた。一九三四年に合成されたChloroquineは抗マラリア剤としての薬効と共に、先のQuinacrineに比し副作用の少ない事が認められている。Chloroquineのリウマチ性疾患、特にリウマチ様関節炎に対する効果はBagnallの一九五七年に発表した一二五例の業績及び一九五七年Torontoにおける第九回国際リウマチ会議での諸家の報告により認識されリウマチ治療薬として新たな分野を開くに至つた。」とし、続いて、昭和三四年第一五回日本医学総会「膠原病シンポジウム」で東京大学大島教授が紹介した諸外国リウマチ学者の見解においては、半数以上が抗マラリア剤を常用しているが、我国においては、九大矢野教授の下で、加藤氏がクロロキンの使用経験を発表しており、先の大島教授の報告においての昭和三三年一一月現在の我国での調査成績をみると、抗マラリア剤を使用している医療機関はわずか二・三パーセントにすぎないところ、東京大学物療内科では、昭和三三年度リウマチ様関節炎外来患者三七三例中四一例の一三・六パーセントにクロロキンを使用しているので、ここにこれらの症例でのクロロキン使用成績について第三二回日本内分泌学会及び第三回日本リウマチ協会総会に発表した成績をまとめて報告する旨を述べている。しかし、その結論については、「我々の症例は使用期間が平均二・八ヵ月であるので其の効果判定には今後の追求が必要と思う。」等とされており、「ともあれリウマチ様関節炎治療の、より本質的な進歩の過程にChloroquineの持つ意義は大きい。」と記述されてはいるものの、必ずしも結論が明確とはいえない。
(三) 昭和三三年発行の雑誌「新薬と臨床」第七巻第六号に掲載された九州大学温泉治療研究所内科加藤浩志の「リウマチ性疾患に対するクロロキンの使用経験」と題する論文は、まず、「リウマチ性疾患には極めて治療法が多く、サルチル酸誘導体に発し、ピラツオール系誘導体、更には天然及び合成副腎皮質ホルモンに至るまで幾多の変遷を重ねている。しかし副腎皮質ホルモン使用による副腎皮質の廃用性萎縮を始めとする重篤な副作用が認識されるにつれ、それらの予防と長期連用の目的でCorticoid-analgetic Compoundを初めとして、種々創意工夫が重ねられ、新しい治療分野への展開が試みられている。最近抗マラリア剤がマラリヤ以外の領域にも応用されるようになり、一九五一年Pageによるエリテマトーデスのアテブリン使用報告を契機に試用がなされ、エリテマトーデス患者の一例が、アテブリンによつてリウマチ様症状の軽快をみるに至つた偶然の観察から、Chloroquin製剤のリウマチへの応用が試みられ、良好な成果が述べられている。
Chloroquinはアテブリンの後にマラリヤ治療薬として一九三四年Andrsag, Breitner Cung等により初めて合成され、一九三八年Kikutiがマラリヤに有効なことを実証したものである。リウマチ性患者への応用は未だ日浅く、使用報告も少ないが、J. Escar-penter-Oriolは未だ変性を見ない進行性慢性関節リウマチには試むべき療法と推賞し、また近著の文献はその他脊椎炎、非リウマチ性関節炎、神経痛、靱帯疾患等広汎なリウマチ性疾患への適応を報じている。私は今回、関節リウマチをはじめ結合織炎、坐骨神経痛、変形性関節症等一連の有痛性疾患に試用の機会を得たので、知見を述べる。」としたうえ、「リウマチ性疾患に対する総合的研究の進展につれ、複雑な病態並びに治療法の難かしさが認識され、リウマチ性疾患は一躍時代の寵児となつた感がある。殊に関節リウマチははなはだ難治であるに加えて、極めて慢性の経過をとる所から、ACTH、コーチゾン等一連のホルモン剤の使用もさることながら、重篤な副作用、中止後の反撥、増悪の見られない長期使用にたえる抗リウマチ剤の出現が渇望されている。この意味においても、また私の経験した治療成績からも、クロロキンはリウマチ治療に新しい分野を与えるものと思われる。」とし、結論として、
「(1) 私は関節リウマチ六例、結合織炎三例にクロロキンの経口投与を行い、著効三例、軽快三例、不変一例の成績を得、クロロキンは抗リウマチ剤として極めて有効な薬剤であることを認めた。
(2) 頑症の結合織炎二例、変形性関節症一例、坐骨神経痛一例にクロロキン筋注を行い結合織炎一例に著効、一例軽快、変形性関節症一例に著効、坐骨神経痛一例不変の成績を得た。
(3) 著明な副作用はなく比較的長期の連用に堪えられるものと推察される。」と述べながらも、副作用の点については、「私の観察では、一例に嘔気、胃部膨満感をみとめ中止したが、他はいずれも食思減退の程度で、服用に耐えた所から更に長期投与が期待される。最初一日二錠一〇日間連用では、胃腸障害が一般にみとめられる傾向を矢野教授はみとめられたので、二錠と一錠の交互使用一〇日間とした。これによつてほとんどが副作用なく、また体格の小さい本邦人には適量と考えられるので、本投与法が用いられるべきであろう。しかも私の例で二錠一〇日後一錠を連続四八日にわたつて投与し、著効を得たことからも、副作用の発現に大きな個人差があることを知らねばならない。」と附記している。
(四) 「日本の医学の一九五九年・第一五回日本医学会総会学術集会記録・東京・一九五九年四月一日―五日第II巻」は、前記大島良雄教授の発言として、「一九五八年夏欧米四〇人のリウマチ専門学者及び日本各地大学の内科及び整形外科学教室と三〇〇ベツド以上の収容能力を有する一般病院とにアンケート法で膠原病、特にリウマチ様関節炎に対する治療方針、なかでも如何なる薬物を使用しているかを調査した」ところ、「欧米の諸学者は適度の安静とバランスのとれた食事、物理療法、サルチル酸剤特にアスピリンを基礎療法とし、その効果の不充分な場合に」は、サルチル酸に次いで、金製剤、コルチコイドあるいはACTH、抗マラリア製剤、フエニールブタゾンの順に使用しているが、我国では、昭和三三年の調査によると五〇パーセントを超える高率で常用されている関節リウマチ薬剤はサリチル酸剤八一・九パーセント、コルチコイド及びACTH七五・二パーセント、ビラツオロン製剤六八・四パーセント、ビタミン剤五〇・四パーセントとなつており、なお、「リウマチに対して物理療法は欧米では殆ど常識的に広く応用せられているのに反し、日本では驚くべき少数の利用しか回答せられなかつたことは遺憾ながら未だ日本の多くの病院におけるリウマチ治療方針が患者の運動機能の回復に重点をおいてなく、全く対症的な鎮痛、抗炎を狙つて行われていることを思わしめるものである。」と記載されている。
(五) 昭和三四年六月発行の「ドイツ医学週報」第八四巻二三号中のフライブルク大学医学部クリニクDr. N. Mü
すなわち、「慢性多発性関節炎の治療の問題は、コーチゾンおよびその誘導体の導入によつても最終的に解決せられたというわけではない。というのは、これらの物質は原因的に効くのではなく、非特異的な炎症抑制と間質機能抑制をもたらすだけであるからである。これらの物質は、局所的なリウマチ性炎症を非常によく抑制し、それによつて自然治癒の傾向をつよめるが、全身的疾患に対しては影響をおよぼさないか、およぼすとしてもわずかの範囲だけである。従来知られている抗リウマチ剤の中で、金のみが慢性リウマチ性現象に深い影響を与えることができるようにみえる。しかし、この薬剤は有害な副作用のため、徹底的な治療効果が必要な場合を超えては用い得ないことが多い。特定の、既によく知られた抗マラリア剤、ことにメバクリン(アテブリン)およびChlorochin(レゾヒン、クロロキン)の抗リウマチ作用の発見により慢性リウマチ性過程におそらく根本的に作用し、持続療法に適した新らしい薬物の一群が見出された。というのは、長年月の治療時期の後で作用の消失がおこらず、ことにChlorochinの副作用は従来の経験によれば、比較的少ない。抗マラリア剤の抗リウマチ作用については、一九五一年にはじめて、PageとBrenneckeらによつてそれぞれ別個に報告されている。前者は円板状エリテマトーデスをメバクリンで治療中に、同時に存在していた慢性関節リウマチのいちじるしい退行を観察した。また一方Brenneckeらは三八例の慢性関節リウマチ炎を抗マラリア剤プリマキン及び三つの化学的近縁の八―アミノ―キノリン誘導体で治療して、その二〇例にいちじるしい改善を確かめることができた。その後の数年間に抗マラリア剤、特にメバクリン及びChloro-chinの慢性多発性関節炎に対する良効がいろいろの面から確かめられた。比較的観察期間が短かく、作用機序がまだはつきり分つていないため、慢性多発性関節炎の治療におけるこの薬剤の意義に関する最終的結論は得られていないが、今日までに得られた好結果は、この薬剤に注目せしめるものがある。経済的にも堪えうる長期治療を、この比較的危険の少ない薬剤で行うことにより、慢性多発性関節炎によい影響を及ぼすことができるように思われる。従来の観察からすると、慢性多発性関節炎の治療には抗マラリア剤の中でChlorochinがもつとも適している。この薬剤でもつとも多くの例を経験したBagnallは、一二五例のリウマチ性疾患々者に四年間まで連続投与した。彼の症例中七〇パーセントは長期治療で良い結果が得られ、その半分は疾患の寛解がみられ、残り半分も実質的改善を示した。その他の三〇パーセントの中幾例かも自覚的改善を示した。同様の成果はさらに他の研究者たちによつてもつぎつぎに発表されている。その一部では、Chlorochinの効果は二重盲検試験によりたしかめられた。現在まで公にされた多数の症例について、Chlorochinによる慢性多発性関節炎の治療成績を一覧すれば、実質的な、他覚的にも認められる改善が症例の約七〇パーセントに期待される。さらに一〇~一五パーセントは自覚的改善を示し、これに対し約一五~二〇パーセントはChlorochin療法で影響をうけない。」
「特に重症で長年にわたる慢性の多発性関節炎の場合は、その適量をもつてしても、リウマチ過程に対するChlorochinの効果は十分でない。しかしながら他の抗リウマチ剤で効果が不十分なため、Corticosteroidで持続療法を受けている症例においても、このホルモン剤の減量または離脱を可能とする効果がChlorochinにより得られる。」
「Chlorochinは金製剤と同じように、ある期間治療を続けてからはじめて効力を示すものであるから、速効を望む場合は、治療開始期に速効性の抗リウマチ性薬剤と併用するのが目的に適したやり方である。その際、サリチル酸剤、Pyrazolon剤、Cortison誘導体の中どれを選択するかは、疾患の重篤さ、炎症性変化の度合、組織破壊およびすでに施行した療法のいかんによる。軽症の場合は、鎮痛剤で足りるが、この場合同じような副作用をもたらすものはさけるべきである。重症の場合はPrednisonまたは合成Corticosteroidを併用しなくてはならないが、これは軽快するにしたがつて次第に減量し、最後にはまつたく中止して、Chlorochinのみによる治療をつづけるのがよい。Chlorochinで治療中に病勢増悪の際は、Prednisonを再び用いるか、またはその量を増すことが必要となろう。」
(六) 昭和三五年一〇月一五日発行の雑誌「日本医事新報」一九〇三号中の東京大学教授大島良雄による「リウマチ治療とくに抗マラリア剤について――内科懇話会において――」と題する論文は、「リウマチ熱とかリウマチ様関節炎に副腎皮質ホルモンがドラマテイツクな効果を示すということが確認されてからもう一〇年近くたつております。その結果非常に効くということだけでなくてHenchが早くから注意していた、効果の限界というものもよく知られて参りましたし、又その副作用が恐ろしいということもわれわれ自身経験して痛感するようになりました。その結果としてだんだんと改良された合成ステロイド剤が出てきて、新しい適応症も開拓されたにも拘らず、一部では極端に使用を恐れているような気配もございます。
リウマチ熱に関しましては、心炎に対してステロイドホルモンがほかに比肩するものがないぐらいの効果をあらわすということが一応わかつたように思われるのでありますけれども、しかし英・米・カナダ三国の協同の研究陣によつて行われた四九七人の厳重な対照をおいた研究成績を見ましても、一二週間に三グラムコーチゾン類を使つたものと、アスピリンを使用した群との間において、結局長期の観察においては有意の差が出ていなかつた。少なくとも心炎の発生率については有意の差が見られなかつたという事実があるわけであります。しかしこれはどうも治効判定のやり方あるいは治療の後における感染防禦において不完全だつたのじやないかということが推察されるわけであります。」と述べたうえ、ドルフマンによると、一三一人の患者に試みたところ、「一、三ヵ月後でも、急性期は勿論ですが、確かにステロイドを使つた方がいいという結果が出ているようであります。結局、リウマチ熱は現在発症にA群β溶連菌感染が密接に関連するということが証明されておるわけでありますから、それに対する感染防禦をやらない限り、ただステロイドを使つただけでは不充分だということは明白であると思います。
ところがリウマチ様関節炎の方になりますと、リウマチ熱と違つて、溶連菌感染の意義というものがそれほど決定的でないわけであります。従つてこれに対してどのような再発防禦策をとつたらいいか、現在までのところわかつておらない。そこで先年来コーチゾンとアスピリンとの比較を行なつたイギリスの研究陣の成績をみますと、これも長い目でみますと、アスピリンとコーチゾンとの間に大差がないということになつております。しかし新しいステロイドを使えば多少成績も違うので、最近に出たプレドニソロンを使つた患者のアスピリン群との比較成績をみますと、二年間の経過を追つてみて、レ線学的にも関節機能の保持という点からみても、血沈の減少度という点からみても、プレドニソロンの群が有意に優つているという成績が出ておりますが、その代り副作用の方が明かにふえている。殊に二〇瓱以上使つた群においては非常に強い副作用が出ております。そこで結論は、私どもが一昨年報告したのと同様で、二〇瓱以上の連続投与はいけないということになりました。結局リウマチ様関節炎では再発防止に対する特異的な確実な手がわれわれはないわけでありますから、そこで一般的な、非特異的な方法をとらざるを得ないということになるわけであります。」とし、「昨年行われたアメリカのLockieの報告も、一〇年間のステロイド治療の成績からみて、長期のステロイド使用はいかなる利益よりもリスクの方が多いということをいつております。即ち、リウマチ様関節炎にルーチンにステロイドを使つてはいけない。厳重な適応症にだけ使つた方がいい。それから適当な治療プランを初めから立てておかなければならないということを警告しております。
それならばリウマチの炎症を、リウマチ様関節炎の患者においてコントロールするために長期間使用し得る薬として何があるかというと、現在までのところ、三〇年も前から使われていてしかも捨てることのできない金製剤と、きよう話の主題にする抗マラリア剤のほかに広く承認された手がないわけであります。そのほかにアスピリン類の効かない場合にフエニルブタゾンの少量の投与を試みておりますが、しかしその成績は英国の報告を見ましてもアスピリンと大差がないのであります。一昨年日本の関節リウマチ研究班が行つた統計でアスピリンの効果は慢性関節リウマチではあまり著明ではない。ブタゾリジンでは多少よい成績が出ている。これは日本の患者における長期投与の成績とはいえないので、患者について直接問診して得た効果でありますから、これだけでは本当に長いこと使つたときにどうなるかという批判の材料にはならないのであります。(中略)
膠原病に対する抗マラリア剤の応用は初めエリテマトーデスに対して行われた。その後リウマチ様関節炎と同じような関節炎を伴なつてくるシステマテイツクなエリテマトーデスに使つても効くということから、今度はリウマチに対する応用が行われるようになつたわけであります。一九五一年にPage,翌年になるとFre-edmanがアテブリンを使つて効いたという報告をしております。戦後わが国でも伊藤久次博士がアテブリンを使つて効果があるということを発表しておりますが、アテブリンを使うと皮膚が黄色くなつてしまつてどうも連用には工合が悪い。そのほか副作用もありますので、結局現在はアテブリン系はリウマチには使われないようになりました。一九五三年になりますと、Hayduが燐酸クロロキンを二八例の患者に使つたという報告を出しました。これは八〇パーセントに近い効果ですが、関節リウマチでこのくらいの効果というのは随分いい方であります。その後Scherbelらたくさんの報告がだんだん出て参るようになりました。」と述べ、続いて内外の報告によれば、著効以上の効果があつたとするのは平均して六七パーセントに達している、としている。そしてクロロキン製剤と金製剤とを比較し、両者はそれぞれ使用できない場合があるので、どちらが優れているともいえず、また両者ともその作用機序は未確定であるとしている。そして、結局のところ、リウマチは再燃の多い病気であつて、寛解はあるが、全治はなく、関節リウマチといつても全身病が関節に症状を現しているにすぎず、長期にわたつて使用でき、しかも強力で副作用の少ない薬の発見が望ましいのであつて、これと急性炎症抑制のステロイドとか栄養による全身強化、整形外科的な治療、あるいは物理療法といつた運動機能を保持する手段を併用することによつて、リウマチ治療方針をたてられることになる、としている。
(七) 昭和三六年五月刊行の「今日の治療指針」昭和三六年版において、順天堂大学内科助教授塩川優一は、「リウマチ様関節炎(内科)」と題し、また関西医科大学整形外科教授森益太は、「リウマチ様関節炎(外科)」と題して記述しているが、前者にあつては、副腎皮質ホルモン、サリチル酸剤、ブタゾリジン、抗マラリア剤、金療法等が、後者にあつては、副腎皮質ホルモン、ACTH、副賢皮質ホルモン、サリチル酸合剤、抗マラリア剤、等の薬剤が挙げられている。
(八) 昭和三六年八月発行の雑誌「診断と治療」中の九州大学温泉治療学研究所内科講師加藤浩志らによる「抗リウマチ剤Resochinの臨床効果並びにその作用機序」と題する論文は、まず、「“リウマチ”それは発生機転の複雑多元性、病態の種々相、ひいては難治性と多くの問題をふくむ疾患である。従つて治療対策も難解を極め、ステロイドの導入もむしろ慎重を要望されるのが現状で、重大な副作用なく、長期投与可能な原因的抗リウマチ作用を有すると思われる薬剤の出現が渇望されている。その意味において、ここ数年来欧米学者を初め諸家の関心を集めているものにResochin(Chloroquine)療法がある。
Resochinの抗リウマチ作用は、一九五一年Page, Brenneckeらの観察を契機としており、諸家の知見はResochinの抗リウマチ作用が、根本的改善を示した症例の多いことを示している。併しいずれも臨床的観察を主体としており、抗リウマチ剤としての作用機序については、文献的にも推定の域を出ず、諸家その軌を異にしている。」と述べ、さらに「リウマチの発生機序について現在における大方の見解は、何らかの感染とそれに由来する組織アレルギーとされており、それに多元的因子が協調的に作用してリウマチに至ると解釈されている。さてResochinの抗リウマチ作用について、その作用機序をリウマチ性現象に関与すると思われる酵素系の影響から究明しようとするもの、あるいはHaberlandになるChloroquineの線維芽細胞培養の抑制作用から展開をはかるもの、はたまた関節リウマチには病的な一次性過程として基礎物質の平衝障害があるとの仮定に立つて、Mucopolysaccharideへの作用を推察するなど多面的検索にもかかわらず、最終的解答は与えられていない。」としながらも、「関節リウマチの特徴の一つであり、又慎重な観察を要することは、schubweiseに再燃を繰返すことであるが、我々の成績が比較的良好であり、諸家がResochinを抗リウマチ剤として推賞するのも良好な遠隔成績にある様である。これらのことから、関節リウマチに対し保存療法の域を出ない現在、原因的な影響を与えると思われるResochin療法は、一応試みらるべき有用な治療法であろう。」と記述している。
(九) 昭和三七年四月発行の雑誌「臨床と研究」別冊中の、九州大学医学部整形外科教室塚本行男らによる「慢性多発性関節リウマチに対するキドラ(Chloroquine Diorotate)の使用経験」と題する論文は、「慢性多発性関節リウマチ(Rheumatoid Arthritis)は、慢性化してしまつたものの完全寛解例は、幸運な場合に限ると考えられ、通常はいろいろの間隔で再発再燃をくりかえし関節構成物に非可逆的な器質的な変化を進行させ、関節可動性を制限してゆくものである。それ故にこの疾患の治療は日常生活を保たせるために常に何等かの薬物なり理学療法なりによつて炎症を抑制し、疼痛をやわらげておく必要があるとともに、できる限り再発再燃を防止しておかねばならない。
そのために、持続的な使用にたえる治療薬の出現が期待されているのである。」とし、慢性多発性関節リウマチに対して、キドラを投与した一七例から考察したうえ、「多発性関節リウマチの治療上、副腎皮質ホルモンの強力な消炎作用、速効性は極めて貴重なものであるが、多くの場合その副作用を考慮せずにすむ程度の短期間に炎症の再燃を阻止し得る例は稀であり、一方副作用を顧慮して急速に減量して行けば反跳作用を示して再び増量しなければならない例も多々ある。そこで私達は多くの抗リウマチ剤即ちサリチル酸剤、ピラツオール系製剤、燐酸クロロキン等を併用すれば副腎皮質ホルモン減量の分を補い、円滑に減量、離脱に成功し、維持療法に移行しうる可能性が増大するものと考える。
即ち之らの薬剤は、副腎皮質ホルモンの減量、離脱を平滑に行うためにも又有意義であると考え副腎皮質ホルモン使用開始からすでに可及的に大量を使用する事にしている。
又、離脱後も勿論長期間にわたつて持続投与を行い、再発、再燃を防ぎ続けてゆくならば完全緩解に近い状態に迄到達させる事が出来ると信じている。
現在維持療法に使用しているのは、大体前述の三系統の薬剤であるが、之らは大なり小なり何らかの副作用を持つて居り、症例に依つては、此の三種の薬剤のすべてに副作用を示し、副腎皮質ホルモンの減量特に離脱に苦慮することがある。
しかしキドラの場合未だ一七例の小経験ではあるが殆んど副作用を見ず、持続投与を中止した症例が全くなかつたことは、キドラが貴重な持続薬剤として期待し得ることを示すものと思われる。」としたが、クロロキンは、慢性関節リウマチに対する回答ではない、との言葉に同感する、としている。
(一〇) 昭和三八年発行の日本医学会総会学術講演集第II巻には、東京大学医学部内科物理療法学教室大島良雄教授が「関節リウマチの薬物療法」と題して行つた講演において、「慢性関節リウマチの薬物療法は、本症の本態が未解明に終つている今日においては結局対症的ならざるをえない。すなわち“基礎療法”の中で鎮痛剤として広く使用されているサリチル酸剤、強力な抗炎、抗滲出を目的とする副腎皮質糖質コーチコイド、奏効に時間を要するが、比較的長期にわたる消炎、抗滲出効果を発揮し、したがつてステロイド節約の意味をも期待して併用ないし単独使用される金製剤、および抗マラリア剤、サリチル酸に不耐もしくは不応の患者に応用されるフエニルブタゾンが、従来使用されている抗リウマチ剤の中心をなしているものであり、――」と述べ、サリチル酸剤、副腎ステロイド等、金製剤、クロロキン製剤を投与した入院、通院の患者の治療成績を発表したが、結論的には、「関節リウマチの治療、とくに薬物療法のごとく消炎、鎮痛を目的とする治療法は、病期や機能障害が高度に進まぬうちに充分に行つて病変の進行を極力阻止するのがよいにきまつているものの、病変がある程度進展してからでも、徹底した治療を根気よく行ないさえすれば、運動機能の回復は案外に期待できるものであり、完全緩解とゆかないまでも、大部分の患者を独りで日常生活を行ないうる段階へと改善せしめうることを強調したい。
ただし、入院患者一〇二名中入院期間中に三名、退院後五名の死亡をみ、さらに最近通院患者の一名が心筋梗塞をおこして死亡、結局確認せる九名中の五名は心臓死、原因不明の頓死一名、肺炎、敗血症、腎炎各一名が死因となつており、外国の統計をまつまでもなく、本症の全身病としての性格がうかがわれ、全身病としての治療が本症には不可欠なことを忘れてはならないと考える。」としている。
(一一) 昭和三八年七月発行の雑誌「日本臨牀」中の東京大学医学部内科物理療法学教室間得之、橋本明の「慢性関節リウマチの薬効療法」と題する論文は、サリチル酸剤について「サリチル酸剤の抗炎症作用は、酵素作用および血管反応の抑制にあると考えられているが、抗リウマチ剤としての価値はいまなお変わりはなく、リウマチのbasic therapyにまず用いられるべきものである。」とし、毒性の低いことからすれば、アスピリンはコーチゾンよりよい薬である旨を記している。また、フエニールブタゾンについて、一般にサリチル酸剤の内服ができない場合に、これに代わるものとして使用されるが、長期持続投与についても有効であるとの報告があるとし、さらにコルチコステロイドの抗リウマチ剤としての地位はゆるがないが、アスピリン治療との比較成績からみても、また今までの数多くの使用経験からしても慢性関節リウマチに対して治癒的な効果を持つものではなく、漫然と内服を続けることに対する内外学者の警告は今に始まつたことではないと述べ、クロロキンを含む抗マラリア剤についても有効である旨の報告をするのと併せて副作用率が高いこと及び重篤な視力障害としての網膜症の報告があることを記述し、金剤による治療は、我国においても漸次治験例が重ねられつつあるとしているが、ほかにも、TTG、白金コロヂオン、胎盤製剤、トランキライザー、筋弛緩剤、その他による治療法を紹介している。
(一二) 昭和三八年二月一〇日発行の雑誌「新薬と臨床」第一二巻第二号における札幌医科大学整形外科助教授中原正雄らの「関節リウマチに対するキドラの使用経験」と題する論文は、「関節リウマチの治療に関しては、現今なお決定的な薬剤はなく、使用している薬剤はすべて病勢の緩解作用を示しているにすぎないのみか、持続的に投与すると胃腸障害をはじめ多くの副作用が出現するきらいがある。それゆえに今なお持続的に投与しても副作用が少くしかも病勢の再発再燃を阻止できる薬剤の出現が待たれている現状である。」と前おきしたうえ、男九例、女一九例の関節リウマチ患者にキドラを投与した結果を報告し、副作用について、「燐酸クロロキンの副作用に関しては、胃腸障害、頭痛など多くの文献に記載されているが、この副作用の出現は投与期間とその量にもよることはいうまでもない。
われわれはキドラ投与二八例中、胃腸障害三例、めまい一例、すなわち約一四パーセントに副作用を経験した。これらの患者のうち一例は健胃剤とともに長期投与をこころみたが、やはり思わしくないので、他の症例に対しては副作用が出現すると同時に、キドラの投与を中止した。」と述べ、続いて、「関節リウマチの薬物的治療に関して、最近は副腎皮質ホルモン剤の使用を極度に制限して、最悪の場合にのみ本剤を投与する傾向にあるようである。ことに整形外科医は副腎皮質ホルモン剤の投与は関節内注射によつて局所に施行し、できるだけ全身的な内服療法をさけている方針を堅持しているが、一般内科医によつて過剰に全身的投与をうけた後に整形外科医を訪れた患者の治療にわれわれはしばしばなやまされることが多い。そこでこのような患者に対して、われわれはいままでの治療法をできるだけ詳細に問診して、いままでに使用していない薬剤を投与することを治療の第一義としている。
わが国の関節リウマチの患者に対する使用薬物の頻度をみると、サリチル酸剤が約八二パーセント、副腎皮質ホルモン剤が約七五パーセント、ピラツオロン剤が約六八パーセント、ビタミン剤が五〇パーセントであり、サリチル酸剤の使用が最も高い値をしめしている。これはいうまでもなく関節リウマチの長期療法に対してサリチル酸剤が安価ですぐれた効果を発揮し、しかも副腎皮質ホルモン剤のような重篤な副作用があらわれないことに由来している。しかしサリチル酸剤の代表であるアスピリンは外国人より日本人において、胃障害、耳鳴りや吐気などの副作用がつよいためしばしば投与中止の止むなきにいたる場合が多い。それゆえにアスピリンにアルミニウムや尿素を分子結合させてこの副作用を排除しようとする試みもあるが、アスピリン・アルミニウムは血中濃度の上昇が低い欠点があるようである。
一方、急性の関節リウマチとか他の薬剤ではおさえられない頑固な症状がある場合には、副腎皮質ホルモン剤を使用するのが原則であるが、これはあくまでも他の薬剤による長期投与に移行するまでの一時的な処置であることはいうまでもない。いまキドラを使用する場合について考えてみると、一、副腎皮質ホルモン剤で症状をおさえてからキドラに切りかえるか、二、はじめから副腎皮質ホルモンに少量のキドラを投与して次第に副腎皮質ホルモンを減量させると同時にキドラを増量してのちキドラのみにするかの二つが考えられるが、われわれは慢性の関節リウマチを対象にしたのでほとんどキドラのみを最初から使用した。その治療効果は治療成績で述べた通り、二八例中著効七例、有効一三例、無効八例で約七〇パーセントに有効であり、キドラはサリチル酸剤やピラツオロン剤とともに関節リウマチのすぐれた長期投与剤と考えられる。
一般に副腎皮質ホルモン剤は長期投与を行つているとその薬剤の効果が減少することは周知のことであるが、このようなことはその他の薬剤についても充分に考えられることではないかと考えられる。われわれは副腎皮質ホルモン剤とサリチル酸剤の併用療法をうけていた患者に、燐酸クロロキンのみを与え著効をみた症例を経験していることから、慢性関節リウマチに対する薬物の長期持続投与にさいして、時期をみて異つた薬剤にきりかえるのもその薬剤に対する感受性の低下を防止する点で興味あることと考えており、今後このような症例の検討をすすめたいと考えている。」としている。
(一三) 昭和三八年七月刊行の日本大学教授大島研三編著による「健保診療のための処方指針」はリウマチ、膠原病治療剤として、クロロキン製剤、コンドロイチン硫酸製剤、副腎皮質ホルモン剤、スルピリン製剤、その他の製剤を掲記したうえ、「リウマチおよび膠原病諸疾患に対して今まで諸々の薬剤が報告されているが、相次ぐステロイド剤の発見により著効を認められるに至つたが同時に副作用に注意しなければならないのはもちろんである。現在膠原病においてはステロイド療法を除いては見るべきものはなく、補助的療法として抗マラリア療法・Antimetabolites療法・パラ安息香酸カリ内服療法・蛋白合成ホルモン療法があるがいずれも著効をみない。
リウマチ疾患では急性期においては一般治療として安静と保温に留意することはもちろんであるがステロイド剤の投与およびサリチル剤の併用を行なうこともある。リウマチ熱のばあい抗生物質(ペニシリン・エリスロマイシンなど)を使用する。慢性期の場合は全身症状は、むしろ軽微で関節症状が強いものが多い。このばあいは病気の性質上、関節機能低下阻止、または回復のための処置としての温泉療法など物理療法および外科的療法に依存することとなるが、本項においては省略する。薬物療法としてサリチル酸剤・ブタゾリジン・クロロキン剤・コンドロイチン剤なども効果をあげることがある。また、関節症状が一、二の関節にのみ著明であるときはステロイドホルモンの関節腔内注射がよい。」と述べている。
(一四) 昭和四〇年発行の雑誌「リウマチ」中の「第八回日本リウマチ学会総会講演抄録集・シンポジウム2・クロロキン、ブタゾリン等の基礎と臨床」には、「最後に関リの治療コースにおけるChloroquine Phenylbutazoneの占める位置について論議されたが、大方の意見は現在のところ、関リの治療は両剤、Salicylate, glold等各種の薬剤を組合せて行なうべきものという点で一致した。
いづれにしても、Steroidに対する反省がなされている今日、これらの非ステロイド抗リウマチ剤の検討と開発は今後の大きい問題であり、その使用量はわが国でも益々増大すると思われるので、この点において本シンポジウムは大きい意味があつたと思われる。」と記載されている。
(一五) 昭和四〇年一月発行の雑誌「診断と治療」中の東北大学医学部附属病院鳴子分院・東北大学医学部温泉医学研究所教授杉山尚らの「リウマチの薬物療法」と題する論文は、「抗リウマチ剤の最近の動向であるが、内外の文献を通覧してみても、リウマチの薬物療法の体系が年々特筆を要するほど急速に変遷するわけはなく、抗リウマチ剤に関する記載は徒らに重複を重ねるのみであつて、」「(1) リウマチ治療界の現状は化学療法出現以前の結核に似ていると評しても過言ではなく、もちろん的確な効果が期待できる原因療法はなくあくまでも対症療法の域を脱していない、その薬物療法においても薬剤の選択や適用方法に関して、確かに一部ではリウマチ専門家の多年の研究に基づくほぼ一致した見解が確立されているが、率直にいつて治療担当医の単なる臨床経験とか、いわゆる「好み」に委ねられている面もまだまだ多く、これも当然なことである。リウマチの薬物療法もその根底となる薬剤の作用機転、生体内代謝などの基礎的研究から再検討され、培われていかねばならない。まだ未解決な問題は山積している。(2) 昭和三八年第七回日本リウマチ学会総会(会長・慶大三方一沢教授)においてはアスピリン、昨年第八回本総会(会長・岡山大児玉俊夫教授)では多数の招待外人講師を交えて盛大にクロロキン及びフエニールブタゾンなどの抗リウマチ剤に関するシンポジウムが開催された。著者の一人杉山が司会をする機会をえた。」と前おきし、慢性関節リウマチの薬物療法について、「抗リウマチ剤においてステロイド剤が炎症抑制に最有力であつて、現在もなお王座を占めることには異論はない。しかしステロイド剤大量長期使用によるiatrogenicな副腎機能不全などの重大な副作用や、服用中止後にみられるいわゆるwithdrawal syndromeの発症に対する反省と、また実際に慢性関節リウマチの大多数においてステロイド剤以外の抗リウマチ剤にかなりの治療効果が期待できるという事実から、リウマチ治療界の現状は反動的に非ステロイド・抗リウマチ剤に最大の関心が向けられている。」「非ステロイド・抗リウマチ剤として挙げられるのはアスピリン剤、クロロキン剤(抗マラリア剤)、ピラゾリジン剤および金剤であつて、(中略)」「その外に、最近相ついで各種抗リウマチ剤が登場し、米英の雑誌にはこれらのtherapeutic trial成績が盛んに発表されている。その主なものはIndomethacinであつて、(中略)今後広く追試検討されるべき薬剤の一つである。」とするほか、イブフエナツクその他の薬剤を紹介し、それと併せて、「新薬の登場とともに最近わが国でも話題になつているのが臨床実験成績による薬物の治療効果検定であるが、この薬効検定は抗リウマチ剤に限らず、程度の差はあつても、多数の疾患の薬物で常に重要な問題である。
ことに慢性関節リウマチのように病因が不明で、長期にわたつて予期できない再燃と軽快を繰返し、安静や気象要素など、さらには心理的状態によつてさえ影響され、またその疾患の活動度に対する客観的、定量的評価(第八回日本「リ」学会総会・パネルデスカツシヨン)が困難である場合には、薬効検定は充分慎重に行なわれるべきである。」とし、「わが国でも昭和三八年一一月薬効検定が日本リウマチ協会の事業に加えられ、薬剤効果判定委員会(委員長・著者杉山)が結成された。日本人に対して有効かつ比較的安定な薬用量を決定するのが目的であつて、重要な問題であるだけに今後の活躍が期待される。」と記述されている。また、抗リウマチ剤の副作用中特に重要な問題として、消化器障害、サリチル酸耳鳴、クロロキンによる眼障害をあげ、クロロキンによる眼障害については、「一九五九年Hobbsがクロロキン療法による永久的視力障害(網膜障害)を発表して以来、同一症例が相ついで報告され、クロロキンによる重篤な眼副作用として一躍世人の注目を浴びるに至つた。わが国では昨年第八回日本「リ」学会総会のシンポジウムで私どもの報告に対して始めてクロロキンによる眼障害が討論された――」とし、「クロロキンの眼障害は角膜障害(Keratopathy)と網膜障害(Retinopathy)であつて、これら病像はHobbs, Okunら多数の報告によつて詳細に記載されている。――」「――網膜障害は進行性で薬剤の中止によつても視力障害は改善されず、非可逆的病変として重大視されている。眼底所見としては初期に黄斑部の色素異常(Depigmentation)が出現し、進行とともに網膜動脈の狭細、口径不規則などの変化を伴い、晩期には網膜周囲のびまん性Depigmentation視束萎縮がみられる。症状としては読字困難、羞明、眼華閃発、距離感のぼやけなどで、pericentral scotomaの早期出現が比較的特徴である。本病変の早期診断法として、ERG、EOG、およびcolor test(変法H―R―R、Fransworth D―一五)が問題になつている。網膜障害の原因は不明であるが、眼の色素組織における高度クロロキン沈着が化学的に証明されている。現在まで既に世界で一〇〇例以上報告されているが、その発生頻度に関してはPameyerの報告(約〇・三四パーセント)以外に正確な調査報告はなく、大体一、〇〇〇例~二、〇〇〇例中一例以上には発生しないであろうと推定されている。
要するにクロロキン療法にあたつては大量長期間服用は避け、網膜に変性所見が認められる者は除外し、三~六ヵ月ごとの定期的眼科受診によつて無自覚の初期網膜病変、視野欠損などの早期発見に努めて網膜障害の予防に万全を期すべきであろう。」としている。なお、同論文はまた、「リウマチ、とくに一生の業病である慢性関節リウマチの治療にあたつては全身療法、薬物療法、温泉および理学療法、必要に応じては外科的療法などを総合的、計画的に組合せることが大切であるが、その中心をなすものは薬物療法であり、また上述したその外の治療実施を円滑に運ぶことにも役立つている。
しかし薬物療法もはじめに述べたように、一部では確かに多年の研究と臨床経験に基づくほぼ一致した見解が確立されているが、あくまで対症療法であるから、治療方法の実際にあたつてはリウマチ専門家の間でも多少の相違は免れないし、すべてを一律に規制できないのが当然であろう。第八回日本「リ」学会総会ではクロロキン(七川ら、佐々木、間)、フエニールブタゾン、オキシフエンブタゾン(松本、Kuzell,W.C.-U.S.A.)などの臨床経験が討論された。」
「先にも述べたようにステロイド剤の乱用は厳に慎むべきであつてその重篤な副作用、離脱症状が著明な時期、万やむをえない場合でもステロイド剤内服は少量かつ短期間にとどめ、その後は効果的で副作用の少ない関節腔内注入に移行するのが原則である。実際に多数の慢性関節リウマチで、非ステロイド、抗リウマチ剤の適切な投与如何によつては充分治療効果が挙げられていることを強調しておく。
ステロイド剤の漸減ないし離脱にあたつてはまず第一に速効性で抗リウマチ効果が大であるアスピリン剤の大量を、もしこれに耐えられない場合はフエニールブタゾンなどの適量を併用して、まず諸症状の充分な鎮静に務める。その後は作用が比較的緩和、遅効性であるが副作用が少なく長期使用に耐えるクロロキン剤を基礎的長期療法として選ぶのが好適であつて、再燃、悪化などの必要に応じてはアスピリン剤の大量を間欠的に投与する。この間、補助的方法として活性VB、VC、肝庇護剤などの適当な併用を行なう。これはあくまで基本的治療形態(basic treatment)であつて、個人ごと(case by case)で多少加減されることはいうまでもない。鎮痛効果を主として期待する低量アスピリン投与も私どもはしばしば用いている。」等とも述べている。
(一六) 昭和四〇年八月発行の雑誌「リウマチ」第六巻第一号中には、東北大学温研鳴子分院岡崎太郎の慢性関節リウマチのステロイド離脱におけるクロロキンブタゾリジンについての報告が、またオーストラリアのS・ネルソンによるリウマチ性関節炎の処置に使用される薬品の薬理学と題するイブフエナツクとインドメサシンについての報告が、さらにアメリカ合衆国のN・O・ロサミツチの「インドメサシンに関する若干のスペシヤル・メタボリツク・スタデイーズ」と題する報告がそれぞれ要約して記載されており、前者において岡崎太郎は、クロロキン製剤による網膜病変について僅少ではあるが、定期的眼科受診によつて重篤化の防止に努めるべきであろうとしながら、ステロイド離脱に当たつては、まず第一に、速性であるアスピリンの大量、もし、これに堪えられない場合にはフエニールブタゾンの適量を併用して諸症状を十分に抑制するが、その後の基礎的長期療法としては遅効性ではあるが副作用のきわめて少ないクロロキンを選び、必要に応じてアスピリンの大量を間歇的に投与する、としている。
(一七) 昭和四一年刊行の日本大学外科教授石山俊次、聖路加国際病院内科医長日野原重明、東京厚生年金病院内科部長渡辺良孝編「今日の治療指針」一九六六年版中には、慢性関節リウマチの項においては、「関節、その周辺の軟部組織および広く運動器の“いたみ”と“こわばり”を主徴とする症候群をリウマチ性疾患と総称する。慢性関節リウマチ(以下慢性関節リと略記する)はその代表的疾患ではあるが、正確に診断すればその数はリウマチのうちで案外多いものではない。巷間、本症の頻度がかなり高いように思われているのは、リウマチ性疾患の多くを混入させているからである。現在本症の診断はかなり正確にできるようになり、国際的に通用するアメリカ・リウマチ協会の慢性関リ診断規準もできているので、治療にあたつては、まず本規準に従つて正確な診断をすることが肝要である。」と述べられ、薬物療法として、ステロイド療法、アスピリン剤特にその長期大量療法、ピタゾール療法、クロロキン療法、金製剤を挙げ、クロロキン製剤の副作用について、「副作用は割合少ないが、胃腸障害、発疹、頭痛、不眠などの神経症状などがあげられ、最近視障害として角膜、網膜障害が注目されている。しかし私どもは初期病変のうちならば可逆性であることを確認したので、本剤の使用にあたつては随時眼科的検診を受けることが望ましい。」とされ、リウマチ様関節炎の項において、ビタミン剤、アスピリン、ブタゾリジン、ステロイドホルモン、クロロキン、金などが薬剤として挙げられている。
(一八) 昭和四一年三月一日刊行の東京大学物療内科水島裕著の「リウマチ治療のこつ」第二版は、「第八章よく効く特殊療法」において、金療法とクロロキン療法とを取り上げ、クロロキンの内外の使用頻度は、現在でも比較的高く、二〇~五〇パーセント程度であり、使用頻度では金療法に匹敵する、――しかし、リウマチの治療に金療法が無用と考えている学者は、世界でも例外的であるのに反し、クロロキンの有用性を認めない学者はかなりいる、とし、クロロキンのしばしばみられる副作用のうち、最も重篤なものは眼の副作用であるが、二重盲検法の結果から、また、日本での研究の結果から判断しても、クロロキンはある程度の抗リウマチ効果をもつので、眼の副作用のあることを十分承知していれば、やはり有用な抗リウマチ剤の一つであろう、網膜障害は不可逆的であるので注意が必要である、しかし、初期の場合は可逆的といわれるので早期発見が望ましい、網膜障害はクロロキン療法の期間と必ずしも関係ないが、クロロキン療法を長期行つている患者は、眼科医に眼の検査を依頼すべきである、とする。
(一九) 「アメリカ・リウマチ協会編プライマー・オン・ザ・リウマチツク・デイジイージイズ」(リウマチ入門)一九六四年(昭和三九年)第六版の訳者である佐々木智也、吉沢久嘉、東威、岡崎健らは、同書の訳書(昭和四一年四月日本リウマチ協会翻訳・発行)中において、昭和四〇年九月付けで、「訳者の言葉」として、「リウマチ入門はアメリカ・リウマチ協会が国内の権威者を選んで執筆を依頼し、数年毎にアメリカ医師会雑誌JAMAの誌上を借りて発表しているものである。」「本文中にもあるごとく、前回の第五版は四万部が読まれ、最も権威ある入門書として知られている。」「リウマチ入門が屡々抜本的に改訂されているのは、リウマチ性疾患の基礎学説ならびに臨床の実務がまことに目まぐるしく変化しているからである。この入門書には数年前の教科書には記載されていなかつたような知識も収められている。本の題は入門であるが、或程度の知識・経験を持つている医学者にとつても知識の再整理に利用出来るものである。」「リウマチ学は日本では独立の分科としては未だに認められていないので、学生に対する系統的な教育も行われていない。従つて、日本全体として考えるとこの分野のレベルは諸外国に比し残念ながら低いと云わざるを得ない。日本リウマチ協会又は日本リウマチ学会は当然レベル上昇のための出版企画があつて然るべきである。勿論わが国のリウマチ協会が学会の会員に依頼してこのような本を出版することは不可能ではないと思うが、現在ほとんど全世界で読まれている権威ある入門書を訳して配布することとなつた。」と述べている。
また、同書の本文には、慢性関節リウマチについて、「慢性関節リウマチは最初に結合織を侵してくる一つの全身的疾患である。障害部は広範ではあるが主な臨床表現は関節炎症状である。経過は種々だが慢性になり易く、特徴的な変性や身体障害へと進行する傾向がある。」「既に指摘した如く、慢性関節リウマチはありふれた疾患で、女性の罹患率は男性の三倍、幼時から年配まであらゆる年齢にはじまるが、最も普通の発病年齢は四〇歳台にある。」等と記述されているほか、「慢性関節リウマチの病理学的変化は大部分非特異的なものである。」「最も特徴的な障害は、リウマチ結節あるいは皮下結節である。」「臨床的所見には反するが、慢性関節リウマチにも心臓障害があるのが普通である。」「慢性関節リウマチでは、種々の関節外障害が起こる。」「病因的機構については無数に考えられているが、免疫現象が傑出していて、他の病因論的想定は実証されるに至らないので、慢性関節リウマチの発生病理に関しては自己免疫機構に焦点が集つている。多くの免疫型式の各々についての厳密な役割には疑問が残つている。」「慢性関節リウマチの激しさ、罹患部位、進行の度合には非常に変動があるので、その特徴的臨床像を簡単に記述することは出来ない。大多数の例では、最初関節に限局することは稀で、境界のはつきりしない疼痛やこわばりと共に知らぬ間に発病し、ついで次第に腫脹、発熱、圧痛といつた型の関節疾患像が現われることが多く、最初から急に激しい多発性関節炎の起こるものは少ない(約五分の一)。」「軽快と増悪はこの疾患の登録商標の様なものであるが、少数の患者では(約五分の一)実際に炎症徴候の全くなくなつた状態の続く完全寛解に達する。もし抗炎症剤を要する場合は、疾患は軽快したのではなくて抑えられているものと考えられる。軽快は初期に起こり易いが普通は再発するものでもある。」「診断的価値のあるものではないが、ある種の変形は慢性関節リウマチに全く特徴的である。」「この複雑な疾患において病因及びその経過中に情緒的心理的因子の果す役割は尚不可解な謎である。慢性関節リウマチには、受動的で自立性が弱く闘争的でない性格の人が非常に多いのは事実であるが、疾患はどんな型の個性の人にも起こり得る。感情的刺戟があるとそれについでしばしば再燃が起こる。うつ状態は目立つた所見であるが恐らく疾患の結果起こるものであろう。愁訴の閾値は、恐ろしい疾患に冷静に対処するものから、朝のこわばりに直面しただけで感情の失調を起こすものに至るまで非常に個人差が大きい。」「慢性関節リウマチ患者の二〇~四〇パーセントは医療を求めない。こういう例の予後については資料を入手し得ない。五~六年炎症の活動性が続いている患者では良い予後は極めて少ない。完全寛解の頻度の最も高いのは、発病一年以内で、入院が必要な程活動的な疾患をもつた患者特に若い男性である。血清中リウマトイド因子をもつた患者は、血清学的陰性のものよりもその予後が悪いとの証拠がいくつかある。
よく病院の待合室にみられる光景で、ひどい機能障害のある慢性関節リウマチ患者が現われると、患者も医師もこの疾患を誇大に重大視してしまう傾向がある。入院治療を要する患者の中でさえ遠隔成績をみると、四分の一は完全に日常生活可能となり、三分の一はひどい身体障害者となり、残りは軽度の障害に止まることが明らかである。入院治療患者の約一割は臥床患者か車椅子患者となつてしまうものである。」「慢性関節リウマチの管理がかなり面倒なことになり勝ちなのは止むを得ないことであつて、患者のニードの変化に合わせて各人別に処置しなければならない。根治療法はないが、ある程度まで疾患の起こり得る経過を予知出来るのだから、これ迄放置されていた患者の状態をどの様に変えてやることが出来るかについて医師ははつきりした見通しをもたねばならない。
患者各々に特殊な計画が立てられても、全体の方針は、(1)炎症を抑圧し、(2)炎症症状を制御し、(3)機能を維持して変形を予防し、(4)機能が恢復しそうならその損傷を修復することである。対策は多面的で、医師の専門分野、医薬品、流行の治療などの何れにも支配されない様に心掛けねばならない。一週や一ヶ月だけでなくもつと長期間にわたつての実際的計画をたてて、すべて患者の為になる様に観察して行くことが医師の使命である。」などとされ、治療を一般療法と薬物療法、物理療法、整形外科療法に分けているが、薬物療法における薬剤としては、サリチル酸、フエニルブタゾン、抗マラリア剤、副腎皮質ステロイド剤、可溶性金塩等をあげたうえ、「最大許容量のサリチル酸剤、安静、物理療法をもつてしても関節炎を軽減させられない様な患者には、次にどの薬剤を与えるべきか一般に認められたものはない。もつとも頻繁に使用されるものは可溶性金塩、抗マラリア剤、副腎皮質ステロイド、フエニルブタゾンで、恐らくはこの順序で使われる。」とし、また、クロロキン製剤の副作用については、「しばしば起こる眼症状は角膜浸潤による角膜疾患で可逆的である。不可逆的な網膜疾患は稀で、薬をやめた後にも進行する網膜変性と視力消失を伴う。胃腸管の、角膜の、そして恐らく網膜の中毒は薬量と関係あるものなので、上に示された様な少量がすすめられる。抗マラリア剤を使用するか否かを決める場合、今までにはなかつた不可逆的な網膜疾患が起こり得るのに、敢えて有用と判断出来るのかという疑問が起こる。危険が大きすぎて、医療には向かないと考えている医師もいる。」と記述している。
(二〇) 昭和四一年六月発行の雑誌「リウマチ」中の論文、東北大学温研鳴子分院杉山尚、岡崎太郎「慢性関節リウマチの薬物療法における諸問題」は、クロロキンとアスピリンを対比し、その治療効果を検討しているが、副作用については、「AspirinおよびChloroquine療法における主要な副作用はAspirinによる消化器障害、サリチル酸耳鳴およびChloroquine網膜障害である。
Aspirin大量療法におけるサリチル酸耳鳴は消化器障害とは明確に区別されるべきであつて、これは治療効果に関連する血中濃度が上昇している指標であり、随伴する感音性難聴ともに可逆的であつてストマイ難聴とは全く異なるために、不利有害な副作用として避けるべきものではない。
Chloroquine網膜障害はその永久的視力障害が報告されて以来一躍世界で注目を浴び、現在盛んに討論されている。
われわれの調査によれば、無自覚で眼底所見が黄斑部限局の色素異常を示す初期病変であれば可逆的である。
したがつてChloroquine療法に当つては、定期的眼科受診を実施してその早期発見につとめるべきである。本問題はChloroquine療法の存廃にかかわる重要な問題であるだけに、今後さらに広範囲な調査が必要であり、また網膜障害の診断基準の確立が重要であると考えている。」としている。
(二一) 昭和四一年六月発行の雑誌「リウマチ」中の、東京大学物療内科間得之による「(1)慢性関節リウマチの薬物療法について」と題する論文には、アンケート調査による抗リウマチ剤の使用状況、同物療内科リウマチ外来通院患者の動向、クロロキン金塩の副作用、数種薬剤のパイロツトテスト等に関し、「全国各大学医学関係施設ならびに二〇〇床以上の一般病院の内科、整形外科七四〇科のうち、えられた二八〇回答について各薬剤の使用状況は、副腎皮質ホルモン(「副皮ホ」)は何らかの投与法により、回答全施設に使用され、サリシレート、ピラゾロン剤はひろく「副皮ホ」に先んじて、あるいは併用して投与され、クロロキン、金塩は原則としてサリシレート、ピラゾロン、あるいは「副皮ホ」と併用され、第一五回日本医学会総会において大島が発表した集計(昭三三年一一月現在)と比較して、クロロキン、金塩の使用増加が著しいが、金塩の使用は欧米に比してまだ低率である。」としているが、右アンケート調査によれば、クロロキンの使用クリニツクの数は、全回答者中六二パーセントであつたと報告しているほか、「本邦主要病院における抗リウマチ剤の使用調査では、「副皮ホ」の使用は二八〇施設すべてに行われ、サリシレートの使用も高率であるが、前者はその副作用と離脱の困難であることに充分留意すべきであり、後者は個々の症例について吸収の良否を随時検討する必要がある。フエニールブタゾンは抗リウマチ作用のつよい反面、副作用もかなりあり、低量維持に努力すべく、B. B. Brodieがその代謝速度が遅い点から隔日投与でよいのではないかと述べ、J. Smithがprolonged anti-inflammatoryeffectがあると述べていることは参考となろう。Chloroquine Keratopathyは投薬中止によつて消失するが、Retinopathyはirreveresibleとの報告が大多数で、その頻度はH. E. Hobbsらは二・九パーセント(一七〇分の五)と述べ、J. L. Smithはクロロキン使用以前のnatural courseにおけるmacular diseaseが〇・四パーセント(五〇〇分の二)であるに比して偶発的なものとするにはHobbsの数字は余りに大きすぎると述べている。他方、J. K. Pameyerはクロロキン治療をうけた一、〇〇〇人のうち三四例(〇・三四パーセント)にRetinopathyをみており、L. Sal-lman & H. N. Bernsteinは〇・一~〇・〇五パーセントであろうと推定しているが、いずれにしてもRetinopathyの症例は世界ですでに一〇〇例を越えており、本邦では筆者の知りえた範囲でも、既に一三例が数えられ、かかる点より注意を喚気したい。
金塩の使用は予期したよりも低率であるが、その有効性はすでにEmpire Rheumatism Councilの広汎なdouble blind testによつても確認されており、本剤の副作用が比較的多い難点はあるにしても、もつと広く使用されてよいと考える。
「慢関リ」の治療剤はなおほかにも多くあり、そのひとつひとつを批判するところは筆者の及ぶところではない。「慢関リ」の治療は薬物療法のみでないことは衆知の事実であり、内科的な立場にあるものは常に整形外科との緊密な連繋を怠つてはならないと考えるが、保存療法で日常生活機能の保持がかなり可能なことを筆者の立場から述べた。」といつている。
(二二) 昭和四二年三月一日発行の雑誌「薬の知識」における国立伊東温泉病院長伊藤久次の、「リウマチ治療の実際」と題する論文は、「Steroid剤は消炎効果が最大で、鎮痛効果も大、非活動性化作用も可成り大きいが、最大の弱点は非活動性化作用は一時的であり、再発再現を来たし易いことにあるが、然し炎症のために疼痛が起る場合の鎮痛効果は大である。局所的虚血や関節面不適合なら鎮痛効果は期待出来ず、むしろ温湿布など物理療法の方が有効な場合もあろうし、関節可動域制限に起因する疼痛は運動療法の方が有効である。又炎症性の疼痛でも関節の安静と運動のバランスはもちろんくずさるべきものではない。抗炎症剤を服用しているから、何をしてもよいとはいえない――」
「――真に業病ともいうべきリウマチにあつては、相当進行したものにもリウマチの炎症がまだある。瘢痕化した組織と肉芽腫性炎症は同一関節内に同時に混在し、後者がリウマチ活動性炎症の母体となるのである。以上を要するにリウマチ治療には病気が進行すればする程、炎症が消失しない限りは、薬物療法によつてコントロールされながら、物理療法、運動療法、リハビリテーシヨン等三種の治療技術が結集されなければならない。――」「特に鎮痛の効果を目安にして内服量の決定をすることなどは最も危険である。Steroid剤の副作用を避けるためには、非Steroid剤を用いるのであるが、該剤も長期投与を余儀なくされるから、胃腸障害をはじめとする副作用が可及的少ないことが望ましい。昔からあるサリチル酸剤からはじまつてビラツオロン系剤(ブタゾリジン、タンデリール、アミピロ)、最近のインドメサシン、イブフエナツク、フルフエナシン酸剤等がその目的で開発されて来ている。然しどのリウマチ患者にも新薬が必ずしも最高に有効とはいえない。要はその薬が患者個人に適合するか、どうかを見極めてから、投与することが正しいと思う。」「また私は、患者に、薬物を詳細に問いただして見ている。残念なことには前医が処方箋非公開の場合が多く、患者自身多量のSteroid剤を投与されていることを知らず、改めてその少量投与をはじめたために、反跳症状を起こし症状増悪を招いたこともある。Steroid剤投与については使用量などある点まで患者に知らせることが必要ではなかろうか。
クロロキンと金剤とは目下のところリウマチの活動性を抑制する薬物である。然しこれらは遅効性で、鎮痛効果はないから、非Steroid系の鎮痛剤を使用すべきである。最近クロロキンの副作用として鞏膜、網膜障害が注目されはじめているから眼科専門医の協力が必要である。
次にどの慢性長期患者にもあり勝ちな、うつ状態はリウマチ患者には、疼痛と再発への不安、関節変形、身体障害者化への危惧感などが、からみあつて、特に著明であり、心理的調整回復を心がけなければならないのであるが、抗うつ病剤の適用も必要であり、且有効であることを私は前に警告したことがある。」等と記述している。
(二三) 同誌「薬の知識」中の東京厚生年金病院整形外科鈴木隆之による「リウマチの薬物療法の展望」と題する論文は、「今日の抗リウマチ剤を展望して、一言で云えば、「如何にして副腎皮質ホルモン(以下ステロイドと略)の内服を避けつつ消炎・鎮痛・解熱を完全に行うか」であろう。即ちステロイドは抗リウマチ剤として第一に考える時代は去つたと云つてよかろう。それでは現在抗リウマチ剤の諸種をどう扱うかについて、個々の症状及び検査結果から判断して、それぞれに応じた薬物療法が望ましいが、強いて基本的な線を出すと次の如くになる。
先づ非ステロイド系消炎剤三種の中の一又は二種に、併せて金製剤又はクロロキン剤を用い更に必要に応じてビタミンB及びC又は総合ビタミン剤を補給することが妥当であろう。」「抗リウマチ剤と云えば、Hench, Kendallが慢性関節リウマチにステロイドの強力な作用があると報告して以来、今日まで約二〇年の間、ステロイドは決定的な抗リウマチ剤であるとの考えから次第に重大な欠点をあばかれた薬剤と変つてきたのである。
現在、抗リウマチ剤として主力をなすものは、次の薬剤である。
<1>非ステロイド消炎剤
a)サリチル酸剤
b)ピラゾール剤
c)インドメサシン
<2>金製剤
<3>クロロキン剤
<4>ステロイド
a)注入(関節内及び軟部組織)
b)内服
<5>その他
即ち種々の薬剤が用いられているという事実は決定的な薬剤が存しないことを意味する。これら薬剤には一長一短があり、臨床的には二種類以上の投薬が多く、その組合せによつて抗リウマチ作用を期しているのが現況である。勿論診断学的な正確さを前提とすることは云うまでもなく、この意味ではAmerican Rheuma-tism Associationの慢性関節リウマチの診断基準が最も参考になる。」として、「<1>非ステロイド消炎剤…リウマチの原因が多くの研究者の努力にも拘らず、本質的に解明されていない今日においては、抗リウマチ剤――特に本剤――は消炎剤そのものであり、対症療法の悲劇を持ち合せている。即ち症状に応じて、その用量を調節するのが常である。」と述べ、次いで金製剤について本剤の普及を望んでやまない、といい、「<2>クロロキン製剤…抗マラリア剤とも呼ばれる。有効性は金製剤よりやや低いとの報告が多く、内外共に五〇~六〇パーセントに有効と信じられている。私は硫酸ヒドロキシクロロキンとして、一日二〇〇~三〇〇ミリグラムを長期間投与して、一~二月で効果の出現を見ている。最も頻度の高い副作用は嘔気であり、これの予防には、就寝前に一日量を一回に内服せしめることで支障をきたさない場合が多い。時には発疹・頭痛・胃腸障害及び眼障害(角膜への沈着と網膜疾患)をきたす。本剤は排出が遅いため、副作用は投薬を中止しても進行し得ることがあるから副作用は早めに発見することを心掛けるべきであろう。特に眼症状は注意を要し検眼を受けさせることが望ましい。」と述べるほか、ステロイド剤の内服については、「消炎・鎮痛等の効果の優秀性と確実性は認めるが、離脱、副作用、禁忌疾患などに多くの問題があり、使用頻度は下降線をたどることは当然であろう。「リウマチとの戦い」は「如何に上手にステロイド内服を避けるか」にあろう。特に発熱や激痛などの急性症状が他の抗リウマチ剤内服又は処置によつて抑制出来ない時は止むを得ず必要量を用いる。」とし、「私は、<1>非ステロイド消炎剤、<2>金製剤又はクロロキン、<3>ステロイド注入の三者を抗リウマチのTriasと考えており、これにビタミンを補給し、消炎不完全と見られたら最小必要量のステロイドの内服を行うことが望ましいと考える。実際には多くの製品よりも、各種類のうち一~二剤づつに精通することの方が大切である。」と結論している。
(二四) 昭和四三年三月一日発行の雑誌「薬の知識」中の慶応義塾大学医学部内科学講師本間光夫による「リウマチ薬物療法の実際―抗炎症剤の使い方―」と題する論文は、「慢性関節リウマチの治療の目標は、危険性を最小限にして、最大限に病気をコントロールすることである。すなわち関節の炎症を減少させ、疼痛を軽減させて、関節や節肉の機能を保持しながら変形を予防、あるいは最小限にくいとめることである。そのためには基礎的保存療法がいかに重大であるかについては、今さら述べるまでもない。
しかしこの点について、日常の臨床では時間の制約があるため、しばしば等閑視されるきらいがある。」とし、まず、基礎的保存療法については、「この保存療法はすべての慢性関節リウマチ患者に対して、全経過にわたつて行なうべきものである。現在までの成績によれば、基礎的保存療法を忠実に行なうときは、慢性関節リウマチによる不具状態を確実に減少させることができる。ただこの治療法が病気の活動性を減少し、潜在的にもつているその自然経過をかえ得るかどうかはよく分つていない。」としたうえ、「その保存療法とは(一)安静、(二)精神面はもちろん社会的、環境的および経済的など可能な限りあらゆる方面において患者を支持する。ともすれば悲観的な患者に安心感を与え、希望をもたせる。(三)アスピリン療法、(四)温熱療法や装具の使用などの理学療法、(五)適度な運動(あらゆる関節について静かな体操)(六)食餌療法(とくに蛋白質、Ca、Feなどの、ミネラル、ビタミンCなど)をいう。」とし、「基礎消炎剤すなわち非ステロイド性抗炎症剤には、いろいろなものがあげられる。これらの基礎消炎剤をどのように使い分けるかということについては一定の方式がない。それは同一薬剤でも患者により効果が違つたり、副作用の出現も異なるからである。また機能障害の程度、解剖学的破壊度、罹病期間などの面からも、それぞれに適応した各種消炎剤の特長がないためである。
結局基礎的保存療法のみで、症状を十分におさえきれない場合に、これらの基礎消炎剤の効果と副作用とを、にらみ合わせて取捨選択しながら、併用する。」と述べ、クロロキン製剤については、「いくつかのキニン誘導体には抗リウマチ作用がある。クロロキンは抗マラリア剤で、慢性関節リウマチの治療剤として一九五三年にはじめられている。それ以後注意深い対照試験で、抗リウマチ作用のあることが確かめられた。
臨床的にはLE細胞陽性の慢性関節リウマチに最もよく効き、人によつては基礎療法に加えられるべき薬剤といつている。
しかし教室では保存的基礎療法や基礎消炎剤で、なお社会生活に復帰出来ない活動性の症例に使用している。とくに金製剤が使用出来ない例が最もよい適応となる。」としたうえ、クロロキン製剤の副作用については、「とくに注意すべき副作用は眼症状である。頻度の高いのは角膜の変化で、これは可逆的である。症状のないものもあるが、光のまわりに暈輪があらわれたり、虹視症や視力障害を訴える。最もこわいものは網膜症で、このものは不可逆性であり、しかも予知することが困難である。一、〇〇〇~二、〇〇〇人に一人の割合いでみられるという。
したがつて本剤投与中は、眼科医の規則正しい診察を三~六ヵ月毎に受けるようにする。また子供では少量でも致命的なことがあるので与えない方が望ましい。」としている。また、同論文は、金製剤について、「慢性関節リウマチの金療法の効果には、目をみはるものがある。最近他のいろいろなよい抗リウマチ剤が開発されているが、作用機序が不明にも拘らず、なお重要な位置を占めている。金製剤の効果は、有効率からみてもあきらかで厳重な対照試験でもその有効性は確認されている。また他の治療で得られる寛解期間が、金製剤を併用することによりもつと長くなるという特長がある。しかし病気の活動性を鎮静させるのみで、破壊された軟骨や骨を修復する動きはないし、変性あるいは強直した関節を回復させる作用ももちろんない。」と述べている。
(二五) 昭和四三年四月刊行の北海道大学教授真下啓明、東京大学吉利内科鈴木秀郎共著の「新薬ガイドブツク」は、抗リウマチ薬として非ステロイド系消炎薬、副腎皮質ステロイド製剤、重金属製剤、抗マラリア薬、免疫抑制薬をあげるとともに、その他として、「デルタ・ブタゾリジン」「オキシフエンブタゾン」「インドメサシン」「ジメチル・スロホキサイド」「レゾヒン」「オロチン酸クロロキン」「クロロキン・コンドロイチン硫酸」「アンヂニン」「ブロメライン」等が記載されているが、右の各薬剤のうち、クロロキン製剤のレゾヒンについては、抗リウマチ薬、抗マラリア薬と記載して、マラリアの治療及び予防、エリテマトーデスに有効、副作用はいずれも重篤でないとし、オロチン酸クロロキンについては、抗リウマチ薬、抗マラリア薬とし、慢性腎炎、ネフローゼ症候群、リウマチ様関節炎を適応と述べ、副作用についての詳細な説明はなく、またクロロキン・コンドロイチン硫酸については、抗リウマチ薬、抗マラリア薬で、近年リウマチ及び慢性腎炎に用いられているとし、腎炎、ネフローゼが適応と述べ、副作用についてはクロロキンにおけるほど高率ではないとし、ある程度悪心、嘔吐、胃部不快感、頭痛などがあり得る、とするのみである。
(二六) 昭和四三年九月二〇日発行の創元医学新書「リウマチ」初版の中で、九州大学医学部小児科講師小田禎一は、サリチル酸剤、フエニルブタゾン、インドメサシン、イブフエナツク、フルフエナミン、クロロキン製剤(抗マラリア剤)、金製剤(金塩)、副腎皮質ステロイド剤を治療薬として挙げ、「サリチル酸剤を充分に使つても見るべき効果がないときには、以下に述べる他の抗炎症剤を併用する。
(b) フエニルブタゾン(ブタゾリジン)二五~四〇パーセントの人に多少とも効くといわれるが、急性の痛風や強直性脊椎炎に、むしろもつとよく効くものである。」「ブタゾリジンと同系統のものにタンデリールがあり、副作用はもつと少ないといわれる。ブタゾリジンとアミノピリンの合剤であるイルガピリンは、むかし一時もてはやされたが、いろいろな欠点のために今では使われなくなつた。(c)インドメサシン 最近あらわれたかなり強力な抗炎症剤で、サリチル酸剤に代わつて広く使われはじめている。」「(d)イブフエナツク(イブナツク)作用はサリチル酸剤に似ているが、副作用がすくない点ですぐれている。」「(e)フルフエナミン酸 新しくあらわれた有望な抗炎症剤で、サリチル酸剤より作用が強いといわれている。」「(f)クロロキン製剤(抗マラリア剤) 抗マラリア剤として開発されたクロロキンが慢性関節リウマチに効くことがわかつたのはここ十数年前のことである。効果のあらわれ方はおそく、二~一〇週かかるし、効果の強さもそれほど劇的ではないが、副作用が少ない点で、併用薬として賞用されている。三ヵ月以上は使わないと効果のほどがよくわからない。」「副作用としては、胃腸障害、皮膚炎、眼の障害などがかぞえられる。眼の障害の一つとして、網膜の血管の変化があるが、これはおこつてしまうと治らないので、初期にみつけることが必要となる。」「(g)金製剤(金塩)金がなぜ効くかはわからないが、慢性関節リウマチの四〇~六〇パーセントに効くというので昔から今に至るまで、奥の手としてよく使われている。ただ、およそ半数にかなりの副作用があらわれるのが難点である。使い方はかなり面倒である。」「他の抗炎症剤がどうしても効かない活動性の慢性関節リウマチに使われる。」「金療法の効果は高く評価してよいが、重い副作用があらわれる可能性があれば、その治療上の価値は大幅に削られるであろう。金は使うべきでないという少数意見にも、それなりの理由がある。将来副作用の少ない金製剤ができればもつと広く使われるであろう。」「(h)副腎ステロイド剤 ヘンチ(Hench)らが一九四九年にコーチゾンの劇的効果を発表して、慢性関節リウマチの治療に大きな希望が与えられたが、間もなくその限界と危険が認識されるようになつた。「跛も立つて歩く」奇蹟の薬といわれたコーチゾンは、悪魔的な面を次第に発揮しはじめたのである。慢性関節リウマチ患者の死亡率が最近高くなつてきた原因は、ステロイド剤の濫用にあるといつてよい。他の薬の及びもつかない強力な抗炎症作用はそのまま致命的な副作用と結びついているのである。その作用の裏表を知りつくしながら活用すれば、ステロイドは慢性関節リウマチの治療に大いにプラスになるはずである。
他の抗炎症剤が多少とも有効で、何とか辛棒できる程度におさえられるときは、決してステロイドを使つてはならない。
他の抗炎症剤が無効で、極めて重い急性炎症がつづくときは、奥の手としてステロイドが使われる。しかし、その場合には、決して充分に使つてはならない。目標は、主な臨床症状を消すことではなく、中程度までに軽くすることである。」(傍点は原文のまま)等と記述している。
(二七) 昭和四五年一月刊行の京都薬科大学教授内藤俊一著の「臨床薬剤学」は抗リウマチ薬について、「関節、骨、筋肉、腱などの運動器官に疼痛を訴える炎症群をリウマチRheumatismと呼んでいる。原因は結核性、梅毒性、淋毒性などのほか原因の明らかでないものもあり本態不明のものが多い。
急性リウマチ関節炎の場合は発熱と同時に関節に激痛を訴える。また慢性リウマチは内分泌腺と密接な関係が認められている。
従来神経痛、痛風および尿酸症は激痛を訴える点でリウマチと共通しているため治療薬は概してこれらの諸症に共通の薬物が使用されている。そのおもなものをあげると次のようである。
1)ヘルモン、ビタミン類
2)フエニルキノリンカルボン酸
3)中枢性鎮痛薬、局所麻酔薬、ヒスタミン、コリン製剤、細菌性アレルギー薬、細胞賦活薬、解毒薬
4)生薬類(鎮痛を目的とするいわゆる鎮痛性の生薬)」とし、ACTH、イルガピリン、オキシフエンブタゾンのほかクロロキン製剤、安息香酸類似誘導体等を挙げているが、副作用については、リン酸クロロキンに関し、「しばしば悪心、めまい、下痢、皮膚症状などの副作用がある。」と記しており、眼障害についての記述はみられない。
(二八) 昭和四五年発行の「関節炎とリウマチ」第一三巻・三号のA・H・マツケンジー「クロロキンの評価」と題する論文は、クロロキン製剤の慢性関節リウマチ治療のための投与について、「クロロキンの一八年間の臨床応用の結果、リウマチ学者はなおも本剤の安全性と有効性について異なつた意見を表明している。
患者の、および研究室におくる研究で蓄積されたデータから、現在では次の二つの結論を下しうる。(一)クロロキンは有効な抗リウマチ効果をもつている。(二)クロロキンの投与を合理的安全に保証するテストされたガイドラインは存在する。多数の一見全く異なるクロロキンの諸作用についての、進歩した知識が現在明らかとなりつつある。キノリン誘導体の抗炎症作用はコーチコステロイド、フエニールブタゾン、インドメサシンの作用と質的に明らかに異なつている。
四――アミノキノリン系の抗マラリア剤は、一九五一年にPageによつて初めてリウマチ性滑膜炎を抑制すると報告され、その研究結果は一九五二年にFreedmanによつて確認された。これらの合成薬剤については、第二次世界大戦の経験によつてそのすぐれた安全性が証明された。従つて、一九五〇―五九年の一〇年間にこれらの薬の使用は結合組織の疾患の治療に広く行きわたるようになつた。マラリア予防のための毎日の服用量は関節炎の患者の治療に使用される量の一〇分の一であるということは、その当時認識されていなかつた。一九五七年と一九五九年になつて、多くの報告の最初のものとしてクロロキン療法によつて起こる中心性網膜障害が記述された。重篤な眼障害は、まれであるけれども、永続的な中心暗点は特に関節炎で動作の不自由な人にとつては苦痛である。その上、網膜病変は過剰な一日量と明らかに関係があるように思われるが、クロロキンを中止した後も進行することがありうる。
クロロキンについての見解は、その筆者の経験と見解の相異によつて間もなく分裂を示し、それはちようど二世紀前のジギタリス論争の様な状態を招来した。Annuals of Internal Medicine編集者は、本論文が目的としている二つの重大な問題に注意を集中した。すなわち“慢性関節リウマチの治療にクロロキンがどの程度効果的であるか”ということ、および“その治療による非可逆性の網膜症の危険はどれ位小さいかまたはどれ位大きいか”ということである。」としたうえ、「クロロキンに関し広汎な経験を持つているリウマチ専門医らは、数年間にわたつて低い一日量(リン酸クロロキン一日一二五~二五〇ミリグラム)で投薬している。彼らはたいへん有用であるがききめは穏やかで網膜異常の頻度は非常に低い(約一:一、〇〇〇)と報告している。特記すべきことは重大な視覚低下はまれなことである。Hollanderも、利益は顕著であるのに対して危険は受け入れられるほどに小さいという立場をとつている。
しかしながら、受け入れることができない頻度でおこる重篤な眼に対する毒性についての報告は多数ある。四つのすぐれた総説がこれらの報告を考察している。しかしながら、これらの観察は代表的なものではないかもしれない。というのは患者群は小さく、選択の誤りのため患者は全身性エリテマトーデスにかたよつている。その上、服用量は体重に関係づけて報告されていないか、上述の基準に比較して明らかに過量である。網膜障害についての多くの報告は、対照群と比較されていない研究に基づいて本剤の貧弱な効力についての印象を引用している。Rothermichは網膜毒性の発症は潜行性であるし、その早期発見が困難であるから、慢性関節リウマチの患者の治療には使用しないように勧めている。」と述べ、「クロロキンの大量投与かまたは過剰な光にさらされることが網膜症を起こすのだろうと思われる。しかしながら、クロロキンはもし毎日の投与量が低くかつ光を避けるならば、非常に長期にわたる投薬でさえきわめて安全という成績を示している。」とし、「クロロキンの安全な投与のためのガイドラインは以下の通りである。
一、リン酸クロロキンの毎日の用量の上限は一日体重一ポンドあたり二ミリグラムである。
二、標準的な方法と赤色光閾値の測定とを実施する定期的眼科検査は少なくとも年一回必要である。
三、サングラスや縮瞳剤による光の減弱化は網膜症の予防的治療となるだろう。」と結論している。
(二九) 昭和四六年刊行の“AMA DRUG EVALUATIONS”第一版には、「抗リウマチ剤」について、次のような記載がある。すなわち、「慢性関節リウマチの臨床上の主症状は、関節の朝のこわばり、運動時の疼痛、多くの関節の圧痛または腫脹、通常左右対称性の皮下結節、および血液の急性期反応物質の変化(赤沈、CRP)である。
多くの患者において、基本的な保存療法プログラムにより望ましい目標に到達しうる。このプログラムには安静期間、運動、理学療法、適正な栄養、極端な気候は避けること、感情的、心理的要因への配慮、必要があれば整形外科的補助治療およびサリチル酸塩の投与が含まれる。
しかし、完全治癒は不可能であり、どんな薬剤を用いても損傷した軟骨または骨あるいは変形したり強直した関節の可動性を修復することはできない。
症状を軽減させたり、機能低下の進行をある程度遅らせたりすることはできるが、病気の過程を本質的にかえることはできない。症状を定期的に評価し、それに適合した治療をしなければならない。
サリチル酸塩(例、アスピリン)は、もし患者が耐えられるようならば、慢性関節リウマチの選択薬剤として考えねばならない。」と述べられている。そして続いて、「もし、基本プログラムを適切に試みても、慢性関節リウマチが進行するか、あるいは全身的な発症があるときは、さらに他の抗リウマチ剤(例えば、フエニールブタゾン〔Butazolidin〕、オキシフエンブタゾン〔Tande-aril〕、インドメサシン〔Indocin〕、金塩、ある種の抗マラリア剤、副腎皮質ステロイド)の使用を考えてよい。これらの薬剤はかなりの患者に有効であろうが、すべての薬剤に好ましくない作用を伴い、時には潜在的に危険な、場合によつては致命的な反応を生ずる。」とも述べられ、抗マラリア剤については、「抗マラリア剤のクロロキン〔Aralen〕およびヒドロキシクロロキン〔Plaquenil〕を、抗リウマチ剤として使用することについては論議が続けられている。これらの薬剤は、副作用、特に非可逆的で永久失明になるかもしれない色素性網膜症をおこす性質のため、その有用性は厳しく制限される。さらに、これら薬剤は遅効性で、顕著な改善は通常三ないし六ヵ月の治療後にはじめて認められるが、排泄がゆるやかなため治療を中止した後も暫く改善は持続しよう。多くの医師は本剤による治療は一年が限度であるとしている。眼障害の大部分は、この時より後に起こるが、投薬中止後でも起こりうる。一般的に抗マラリア剤は乾癬性関節炎には使用しない。」とされているが、クロロキン及びヒドロキシクロロキンの副作用については、「網膜症、筋症、角膜症はクロロキン〔Aralen〕およびヒドロキシクロロキン〔Plaquenil〕によつて起こる最も知られている重篤な副作用である。失明に進行するかもしれない黄斑部変性を含む非可逆性網膜症は、本剤で長期治療している間における重要な危険であり、薬剤投与中止のずつと後に起こつたこともある。従つて、クロロキンまたはヒドロキシクロロキンの治療をうけている患者は、三ヶ月に一回眼科医の診断をうけるべきであり、視覚検査を治療中止後約一年間続けねばならない。下痢、そう痒症、脱毛症、子宮出血、リンパ水腫、血清病、血液疾患(例えば、白血球減少症)、筋神経症、消化管障害も報告されている(第六〇章抗マラリア剤参照のこと)。」とも述べられている。さらにリン酸クロロキンと、硫酸ヒドロキシクロロキンに関して、「本剤は、慢性関節リウマチに用いられる抗マラリア剤である。金剤より効果は少いが、もし金療法が効果がないか、禁忌であれば、試みてよい。本剤は、初期の軽度の関節炎に最もしばしば用いられ、通常サリチル酸塩または少量の副腎皮質ステロイドと併用する。症状の緩かな改善が認められる患者もあるが、効果を認められない者もある。臨床的改善は緩徐である。最高の効果が認められるまでには、三~六ヶ月必要とするが、もし六~八週の間に効果が発現しないときは、投薬を中止すべきである。緩解が認められれば、重篤な副作用のない限り、通常一年間治療を続ける。
最初の副作用には、不快、頭痛、はきけ、嘔吐および皮疹があるが、投薬を中止すると消失する。また視覚調節不全が起こるかもしれない。より重篤な眼変化として、角膜の点状混濁は、治療開始後一~三ヶ月の間に発症し、かすみ目をおこすが、投薬を中止すれば消失するものであり、また非可逆性の網膜症は、失明に進展するかも知れない黄斑部変性を含むものである。
定期的眼科的検査(たとえば視野、色覚、網膜、角膜検査)を三ヶ月間隔で、またできれば投薬中止後一年間おこなうべきである。患者には、投薬を中止しても起る可能性のある視覚変化について知らさねばならない。眼底に変化がみられたら、直ちに投薬を中止すべきである。皮膚、毛髪、眉毛の色素変化は、網膜損傷の開始を示すかも知れない。網膜症は用量に関連するようであるので、一日量二五〇ミリグラムを超えることは推奨できない。ただし、より少い用量で網膜損傷の起こつたことはある。もしこの用量で疾病のコントロールが不満足のときは、他の治療法を考慮すべきである。他の認められた副作用には、下痢、そう痒症、脱毛、子宮出血、リンパ水腫、血清病、血液疾患(例、白血球減少症)、神経筋症がある。クロロキンは、キニンに感受性のある患者および肝、腎、肺疾患あるいは乾癬の患者には禁忌である。またポルフイリン症の患者には、使用を避けるべきである。もし筋脱力や血液疾患が認められたら、投薬を中止すべきである。クロロキンと金剤またはフエニールブタゾンとの併用は、毒性が倍加されるので好ましくない。クロロキンは少量でも小児には致命的であるので、薬剤を小児の手の届かない所へ置くよう、患者に注意すべきである。
本剤の他の適用については、第六〇章抗マラリア剤、第六一章殺アメーバ剤参照のこと。」といわれ、また、副腎皮質ステロイドについては、「この一群の薬剤は、通常慢性関節リウマチの患者に投与したとき、関節破壊の進行は続くが、疼痛の緩和や炎症の改善とともに機能の明瞭な改善をもたらす。コルチコステロイドで治療をうけている患者は、通常治療していない患者にくらべより快適で、いろんな仕事ができる。しかし、薬剤使用にともなういろんな副作用のためにその有用性には限界がある。従つて本剤は、他の抗リウマチ剤が奏効しない中等度に重症で、急速に進行する慢性関節リウマチの患者や、重篤な機能障害におかされた患者あるいは眼またはかなり全身的に障害のある患者にとつておくべきである。本剤は、激症の全身疾患々者には救命的であるかもしれない。コルチコステロイドの関節内や滑液内注射は、骨関節炎や慢性関節リウマチにおかされた関節の疼痛を一時的におさえるための一般的な補助手段である。」と述べられている。
(三〇) 昭和四七年五月刊行の大島研三、林田健男監修の「治療の実際第I集」中において、東京大学物療内科水島裕は「速効性抗リウマチ剤」と題し、大阪大学整形外科助教授七川歓次は「遅効性抗リウマチ剤金製剤と抗マラリア剤」と題し、また中伊豆温泉病院院長間得之は、慢性関節リウマチ(RA)治療剤としての「抗マラリア剤」について、それぞれ左記のとおり記述している。まず、「速効性抗リウマチ剤」については、「経口投与で、しかも速効性を期待しうる抗リウマチ剤は、ステロイドホルモンといわゆる非ステロイド抗炎症剤(非ステロイド剤と略)である。両剤については、それぞれ別の筆者が解説すると思われるが、私は、最近のブームである非ステロイド剤について、簡単に、理論上の、また実際の使用上の問題点について考察する。その前に、抗リウマチ剤についての速効性、遅効性とは、あくまでも臨床的観点にたつた分類であり、遅効性抗リウマチ剤も、もし大量投与が許されれば速効性に効く可能性は残されている。遅効性である一つの大きな理由としては、薬物の蓄積に時間がかかることがあげられている。かかる意味から速効性抗リウマチ剤のうち、蓄積作用のあるPhenylbutazoneやOxyphenbutazoneは、少量投与では、その効果はやや遅効性である。
非ステロイド剤の理論上の問題点は、非ステロイド剤の作用がステロイドホルモンとは異なり、薬理学的にいつて非特異的であることがある。非特異的といつてもわかり難いが、わかりやすくいえば、少量の薬剤によつて、ある生体反応にピシヤリと効くのではないことである。それゆえ、その効果はステロイド剤に比べると決してシヤープなものではない。この理論上の問題点が、そのまま臨床的使用上の問題点につながる。つまり、非ステロイド剤の場合、どうしても多量服用させ、十分の血中濃度を得るようにしなければならない。そのため胃腸管に対する直接の副作用なども増してくる。かかる型の薬剤に共通していえることは、薬物自体の作用(ここでは抗リウマチ作用)が異なること、患者により効果も副作用も異なることがあげられる。それゆえ、実際の診療にあたつてはこのような点を考慮して、非ステロイド剤を使い分けなければならない。」とされ、「遅効性抗リウマチ剤金製剤と抗マラリア剤」については、「金療法をするうえでの抵抗となつていた、経験的で科学的根拠に乏しいという非難は、現在かなり取りのぞかれているようにみえる。注射された金化合物は食細胞に取りこまれ、ライソゾームからの酸水解酵素の逸脱を防ぐという実験成績は、慢性関節リウマチの罹患関節滑膜細胞における金コロイドの電顕所見によつても支持されるようである。
金療法の第二の欠点として副作用が強く、ときに重症なものがあるということがあげられた。私どもの経験では、その頻度は四〇パーセント前後であり、その高い比率の順に、皮疹、そう痒感、粘膜症状、蛋白尿などである。中止例が約一〇パーセントである。しかし、金化合物の生体内代謝が明らかにされてきて、用いる金剤の種類(Aurothioglucose, Aurothiomalateが普及している)、用法のくふう(週一回一〇ミリグラムの筋注から漸増し、五〇ミリグラムにとどめる)によつて副症状の発現を緩和できるようになつた。しかし、金に対する耐容性は個人差が大きく、それを調節できないので早期の軽い副症状を見つけ、金注射の中止、あるいは間隔を延ばすことにより、副症状の重篤化を防ぐ方策がとられている。金療法は遅効性であるという欠点をもつが、その慢性関節リウマチに対する効果は確認されている。」「クロロキン剤もその抗炎症作用や免疫抑制作用が実験的に証せられ、慢性関節リウマチに対する私どもの臨床経験でも、その有効率約七五パーセント、副作用約二〇パーセントであり、その使用はかなり普及している。しかし、遅効性であるため、その効果判定を三ヵ月以上服用者について行なうという不利な点のみならず、金剤ほどの著効例が少ないため」「評価がむずかしく、二重盲検によつて全くの無効をいうものさえいる。」「近時クロロキン剤の重篤な副作用として、非可逆性の網膜症の出現が一~二二パーセントの頻度に報告され、警戒されている。これは用量と期間に関連しているようである。」とされている。また、「抗マラリア剤」については、「抗マラリア剤の慢性関節リウマチ(RA)治療剤としての登場は、一九五一年、Brenneckが4-aminoquinoline誘導体をRAの患者に投与して、関節症状に対する効果をおさめたことに始まり、現在までに主としてChloroquine phosphate(Resochin)をはじめとして、クロロキン製剤が各国においてRAの治療に用いられ、その効果はほぼ五〇パーセント内外(三一~八七パーセント)という報告が多い。抗マラリア剤の有効性の確証は、double blind trialによつて得られ、RAの治療上欠くことのできないひとつの地位を有している。本邦においては、筆者が昭和三九年末に調査したところでは、主要病院二八〇科における使用は約六〇パーセントで、金製剤をはるかに凌駕していたが、最近では金製剤の使用が相当多くなつていることも否定できない。
クロロキン剤各種の効果には有意な差はないものとみられるが、いずれも速効性でないことに変わりはない。基礎療法、基礎消炎剤の投与によつて二~三ヵ月しても満足すべき効果の得られない症例に対して、金製剤を選ぶか、クロロキン剤を用いるかについては特別な基準があるわけではない。金製剤の効果は現在までの諸家の経験ではクロロキン剤にやや勝つているようであるが、金製剤を何らかの理由で使用できない例や、金製剤の副作用がクロロキン剤よりも多いことなどを考慮して、クロロキン剤を選ぶ理由が存在する。」「副作用としては、船酔い感、めまい、耳鳴、胃腸障害、頭痛、不眠などの軽度の副作用のほかに、発疹、脱毛、精神障害、neuropathy, myopathyがあげられ、さらにkeratopathy(筆者の一〇〇例のクロロキン剤使用RA患者の統計では二九パーセントで、海外諸家の報告とほぼ同率)、重篤なものとしてretinopathy(Sallmanによれば〇・〇五~〇・一パーセントと推定)がある。keratopathy, retinopathyのチエツクには患者の視力障害の訴えのほかに、三~六ヵ月ごとに眼科受診(クロロキン剤使用を明示して)が必要である。」「禁忌としては、乾癬、眼障害、肝障害、妊娠などがあげられる。」と記述されている。
(三一) 科学技術庁研究調整局刊行の「昭和四七年度特別研究促進調整費による医薬品の視覚神経系に及ぼす影響に関する特別研究」中において、順天堂大学医学部内科塩川優一は、「(9)慢性関節リウマチの薬物療法の現状(アンケート調査成績)」と題し、次のように述べている。すなわち、「最近医学の進歩に伴い、古くより治療法がないといわれていた慢性関節リウマチに対する治療手段も大きな発達を遂げた。とくに薬物療法において副腎皮質ステロイドの発見以来非ステロイド抗炎症剤(以下非ス消炎剤)の開発が進み、すでに市販されているこの種の薬の数は多数にのぼり、専門家さえ選択に迷う程である。従つて本症の治療に際しこれらの薬剤をいかに位置づけるかはリウマチ学者に課せられた急務であろう。そしてそのためには現在日本においてどのように薬物療法が行われているかの現況を調査することが必要である。
以上の趣旨に基づき、一九七二年五月神戸において日本リウマチ学会第一六回総会が開催され、「慢性関節リウマチの薬物療法」というシンポジウムが取上げられたのを機会に、全国の医療施設にアンケートを送りこの点について回答を求めた。その結果を集計しここに報告する。
すでに一九六五年、間は日本全国の大学、および医学関係施設、ならびに二〇〇床以上の一般病院の内科、整形外科、合計七四〇科に対しアンケート調査を行い、慢性関節リウマチに対する薬剤の使用状況を調査報告した。従つてその成績を今回の報告と比較することによりこの七年間の同疾患の治療法の変遷をうかがうことが可能となる。そこで今回の調査もなるべく間の報告と比較し得るように企画した。またこのシンポジウムでは金療法、および免疫抑制療法を主なテーマとしたので、この両者についてはやや詳しく調査を試みた。」とし、「本調査によれば日本の医療施設において非ス消炎剤のうちでもつとも多く使用されているのはサリチル酸剤、インドメサシン、アントラニル酸系、ピラゾロン系である。これに次いでフエニル酢酸系があり、ベンジダミン系、ブコローム系は過去において使用されたが最近減少の傾向にある。またステロイド経口投与はやや減少しているが依然広く行われ、一方ステロイド関注は最近増加してきた。とくに注目されるのは金剤の使用が増加していることで慢性関節リウマチの重要な治療手段となつてきたことが分つた。一方クロロキンは副作用が注意されたため使用は激減している。
これを施設別にみると薬効検定施設は使用薬の種類が多く、とくにサリチル酸、インドメサシン、ステロイド関注、金剤の使用が多い。薬の種類がとくに少ないのは一般施設の内科でここではステロイド関注、金剤の使用が少なく、またステロイドの経口投与を高い順位で選択する所がみられた。これは施設を訪問する患者の偏りもあるであろうが、患者が多く多忙であるために画一的な治療を行い、ステロイドを安易に投与し、また複雑な治療手段を避ける傾向があるのではないかと想像する。もしそうであればこれは日本の医療制度の問題となるであろう。
薬効検定施設の患者についての調査では、治療薬剤として非ス消炎剤、サリチル酸剤を主とし、金剤、ステロイド関注などを併用しつつ治療が行われている状況が把握された。
また活動期の症例にはステロイド内服、関注などがとくに使用される。またコントロール不良の例にはとくにピラゾロン系、ステロイド経口、関注が多く行われることが認められた。
今後とくに注目される薬剤は金剤と免疫抑制剤であろう。金剤に対しては多くの施設が将来有望という意見を有している。一方免疫抑制剤は有効であるがその使用に対する意見は一定せず、今後の経験に待つべきであろう。」と述べている。
(三二) 昭和四八年一月刊行の「昭和四六年度日本医師会医学講座」には、九州大学教授矢野良一が「慢性関節リウマチ」と題して、次のように述べている。すなわち、「およそ疾病の治療に関しては、正しい診断がなされてこそ適正な治療が行なわれるのが原則である。しかるに慢性関節リウマチrheumatoid arthritis(以下RAとする)という疾患は紀元前より存在していたにもかかわらず、しかもあらゆる研究がなされているのにその真因がつかまれていない。感染説にはじまり、アレルギー、内分泌障害、代謝異常説から現在の自己免疫説などにいたるまで、数多くの原因論があげられたが、真に納得のゆく病因論には到達していない。原因が未知であれば診断のつけようがないわけであるが、現在にいたるまでの道程をふりかえれば、経験上多くの症状、検査所見をもとにして診断がつけられ、近年は診断基準項目さえ作られるにいたつている。治療もまた経験的、理論的に考えてなされてきたわけで、多くの成功、失敗をもとにして現在にいたつている。RAの治療は、たとえば対結核菌工作をすれば結核症が治つてゆくとか、降圧剤を使えば高血圧も一応おちついてゆく、という具合にはゆかないのである。しかも全身病的要素と進行性という病状をもつているだけに一層困難である。
ここに幸いなことは、リウマチに詳しい医師は誰でも知るように、RAの病型は極めて多彩であり症状もピンからキリまであることである。欧米の統計が示すように全治ないし略治が二〇パーセントはあり、他面いかに治療を加えても進行して不具にいたるものが一〇~一五パーセント存在する、残りの六〇~七〇パーセントは再燃をくり返しつつ、または軽症のまま日常生活を送つている。本症で死亡することはきわめてまれである。さて上述の、いかに治療をほどこしても進行するという型は、真の初発時点からあくなき進行を続ける運命をもつているものであるか、あるいはそうではなくしてはじめの診断過程でつまずきがあつたために、早期治療であつたはずのものが早期でなくして手おくれの段階にあつたがためではなかつたかということも、反省してみなければならない。
RAは全身病であるから、もし関節症状とともに全身倦怠感、つかれ易い、体重減少、食思不振などが一斉に現われるならば、RAの診断は比較的容易にまたは早期につけられて、直ちに適正な治療が行なえるにちがいない。不定の全身症状が、時には半年も一年も続き、その後、手のしびれ感、前腕痛などのRAらしからぬ症状がしばらく先駆して、その後はじめて指とか膝関節にRAらしい症状がおこつてきた場合には、全身病としてのRAはすでに早くから潜行性にスタートを切つていたわけである。そうなるとこの時点ではいかなる治療をはじめても真の早期治療にはならず、病型によつては難治の方向に向うやもしれない。
要するに現在われわれのなしうることは、現在の時点でいろいろ考えられている早期診断に利するあらゆる症状にのつとつて診断に努力し、速やかに治療をほどこして進行性を未然に防ぐことである。関節痛その他関節症状を示す疾患は内科、小児科、外科、整形外科、産婦人科、皮膚科など多くの分野にみられるので、誤診されたり診断にてまどることがおこり易いことを知つておかねばならない。欧米におけるように日本の医師はもつとリウマチ疾患についての知識をもつて頂くことが望ましい。」とし、次いで、「――第二次世界大戦の終りまで欧米各国での医療関係の文献はほとんど入手できず、ことに日本ではリウマチ疾患の研究がはなはだ立ちおくれていたために、既往長年にいたるありきたりの治療を踏襲していたにすぎないといつても過言ではない。ザル曹、アスピリンの大量は日本人の胃には耐えられず、アミノピリンの大量も造血障害をおこしやすいといわれて普及せず、当時までRAの感染説が強かつた時代であつたので化学療法が行なわれ、金療法も結核に対する金療法と同じ意味で使用されていたようである。しかし金に殺菌作用があつたということは明示されていない。体の抵抗力をたかめるということに重点をおいて蛋白体療法、刺激療法が行なわれ、演者も牛乳注射、ヤトレンカゼイン、自家血液その他をかなり使用した。温泉療法を行なうにしても暗中模索の状態にあつた。
終戦とともに欧米よりリウマチ疾患に対する新薬が逐次紹介され、イルガピリン、コーチゾンは当時の花形であつたが、後者のステロイドについてはまもなく副作用の恐ろしさと複雑さが身にしみて感ぜられた。金療法の有効性が再びクローズアツプされ漸次普及するに至つたが、現在における隆昌のさまとは比較にならぬほど低調であつた。演者は中等症のRA患者の歯槽膿漏の中の白色ブドー球菌から自家ワクチンを作り、患者への皮内注射を行なうことによる自家ワクチン脱感作療法に著効をみ、一〇例に近い略治ないし軽快をみとめ、本症のアレルギー性格を確認した。その後市販されたイルガピリンその他の抗リウマチ剤の優秀さと即効性のために、脱感作療法を根気よく続ける機会を逸したが、いまだにRAの感染説がまつたく否定されていないのである。
終戦後八年を経て、従来のビタミンB1とはちがつて体内吸収後直ちに活性化されるすぐれたB1剤としてアリナミンが本邦で開発された。そしてRA患者におけるB1利用不全による血中B1欠乏症がアリナミンによつて改善されることがわれわれその他諸機関の研究によつて明らかにされ、RAの代謝異常の改善に本剤が導入され、多くの類似誘導体が本邦の多くのメーカーによつて開発され現在に至つている。RAにおけるビタミンCの欠乏も諸機関やわれわれの研究によつて示され、RA治療の基礎剤として抗炎症剤とともにB1、Cの併用が用いられている現状である。」「次の一〇年間の当初からハイピリン、ブタゾリジン、EAなどが副作用の少ない抗リウマチ剤としてあまねく使用されるに至り、ほぼ同時に抗マラリア剤のクロロキンがRAに有効な遅効剤として用いられ、レゾヒン以下多数の同剤の開発をみた。この年代の半ば頃よりRAの自己免疫論が外国で逐次台頭し、免疫抑制剤がこの理論よりすればRAに効くべきことが宣伝されたが、副作用その他の面より未だしの感である。慢性疾患のリハビリテーシヨンは欧米ではすでに早く手がつけられていたが、本邦では昭和三五年(一九六〇)より急に各方面にとりあげられ、今や一般大衆にも、耳新しい医学用語ではなくなつている。一九六六年からの第三の一〇年期に入るや、抗炎症リウマチ剤としてインドメサシンその他種々の新薬が続々開発されて現在に至つている。これら新薬と従来のサリチレート、ピラゾロン系の抗炎症剤などを用いてステロイド長期使用からの離脱ないし減量が適切に手ぎわよく行なわれるようになつたことは患者のためにも喜ばしいことである。そして現代におけるRA治療の花形は往年の金剤の再認識による治療とまでいわれている。理学療法、温泉療法の効果はいわずもがな、近時整形外科的療法も滑膜切除術をはじめ各種の治療法が行なわれている。しかし前にも述べたように、現在のあらゆる治療はRAの原因療法といわれるものではなく、消炎鎮痛剤として関節の変形、拘縮、強直の防止に役立つているものである。もちろんこれらの療法によつて全治、略治のみられていることはリウマチ学者の知るところである。」とし、非ステロイド性抗リウマチ剤としてのサリチレート、ピラゾロン、インドメサシン、ステロイド剤、金療法、クロロキン療法、免疫抑制療法、その他の薬物療法、リハビリテーシヨンを述べ、クロロキン療法については、「一日三〇〇ミリグラム以下、半年使用一ヵ月休薬をくりかえし数年用いてよい。さきに網膜障害という副作用が大きくとりあげられていたが大量を連続数年におよんだことに基因する。休薬期をおけば心配することはない。」と述べられている。
(三三) 昭和四八年五月第三版刊行の阿部裕ほか編「薬物療法の実際」には、東北大学温泉医学研究所内科杉山尚教授により、「慢性関節リウマチ」について、まず「リウマチに対するステロイド剤乱用の反省とともに、最近抗炎症剤、非ステロイド抗リウマチ剤の開発がきわめて盛んになり、臨床医療はその取捨選択に戸惑いしているといつてよい。」「しかもRAは全体として常に一進一退、再燃をくり返し慢性進行性の経過をとる反面、同一患者でも各罹患関節のリウマチ活動性は一定ではなく多彩であるから、薬剤の選択がきわめてむずかしい。これを上手に使いこなすためには、これら数多い抗リウマチ剤の特徴と性質、つまり薬理学的作用機転(たとえば抗炎症作用、抗リウマチ作用、鎮痛作用、解熱作用とその強さ)と生体内代謝(血中濃度、蛋白結合、排泄、病巣移行など)の特徴などの基礎的問題はもちろん、臨床的には正しい臨床検定による効果の確認と特徴(リウマチ活動性の抑制効果、鎮痛効果、代謝改善効果その他)、さらに副作用の把握が必要である――」「――古くから使用されている薬剤に加えて数多い抗リウマチ剤がぞくぞく開発されてはいるが、どれをとつてみても、一つだけでRAを抑制し治療に導くことはほとんど不可能である。患者それぞれのRA活動性、症状に応じて、また同一患者でも経過に応じて置換したり、併用したりして上手に使いわける以外にはない。そのためには、患者のリウマチ活動性を正しく評価すると同時に、薬剤の作用の特徴をのみこんでいることが必要であり、これが即ちキーポイントである。」と記述され、次いでステロイド剤、アスピリン製剤、フエニールブタゾン、クロロキン製剤、金製剤について述べられ、最近の新しい抗リウマチ剤であるフルフエナム酸、イブフエナツク、インドメサシン、ブコロームについて、日本リウマチ協会薬効検定委員会が検討した臨床効果を中心に付言した後、「現在わが国で広く使用され、また開発されつつある抗リウマチ剤は、その抗炎症作用、鎮痛作用、抗リウマチ作用などの薬理作用でも、また吸収と蛋白結合、組織浸透性と蓄積、排泄などの生体内代謝の面でも、それぞれの特徴をもち、同時に問題点をももつている。またRA自身が常に再然をくりかえしつつ慢性進行性の経過をとり、常にリウマチ活動性は変化するし、また同一時期でも各病巣関節の炎症の程度は種々雑多である。したがつて、その薬物療法にあたつては、どの薬剤一つをとりあげても、それ一つですべてのRAを治療できるようなものはないことがご理解いただけると思う。」とし、慢性関節リウマチ薬物療法のコツは、数多い抗リウマチ剤について、その特徴をのみこんで、これを患者のリウマチ活動性、症状に応じて合理的に使い分けるとともに、同一の患者でもその経過に応じて計画的に併用したり置換したりすることであり、一方ステロイド剤は原則として使用せず、また、多くの場合使用する必要もなく、「多くの場合、速効性で鎮痛作用のつよいアスピリン大量療法、または抗炎症作用の強い非ステロイド抗炎症剤、たとえばフエニールブタゾン、またはインドメサシン、イブフエナツク、フルフエナミンなどの新しい薬剤でまにあう。アスピリンは速効性で鎮痛作用が確実なので古今を通じて使用されるが、抗炎症、抗リウマチを目的とする場合は大量療法(一日量四グラム前後)、単に鎮痛を目的とするときは二グラム前後でまにあう。
このような薬剤でリウマチ炎症や疼痛がおおよそ鎮静されたら、その後は抗炎症作用は弱く遅効性であつても、特効作用があり長期間にわたつて抗リウマチ作用を示すクロロキンや金製剤の適量を併用し、次第に置換して長い目でリウマチ活動性の抑圧に努めるのがよい。もちろんRAの性質上、しばしば再燃があつたり、疼痛に耐えられないこともあるので、その場合はアスピリンや比較的抗炎症作用のつよい前記薬剤を適宜間歇的に挿入するとよい。」「――大切なことは、患者個人ごとにリウマチ活動性を評価して、その適応薬剤と耐薬性を見きわめ、計画的に併用したり、置換したり、各抗リウマチ剤の特徴を十分活用して長期にわたり辛抱づよく病勢をコントロールすることである。」とされている。
(三四) 昭和四八年刊行の“AMA DRUG EVALUATIONS”第二版には、「抗リウマチ剤」として、次のような記載がある。すなわち、「リウマチ性疾患治療の目標は、疼痛と炎症を軽減し、関節の可動性を維持し、変形を防止することにある。可能な限り、第一次療法は、疾患の基礎となる原因(たとえば感染、代謝異常、アレルギー、その他の全身的あるいは局所的疾患)の治療に向けられるべきであるが、関節疾患の多くの原因は知られていないし、あるいは特異療法に反応するものではない。」「抗リウマチ剤として使用される薬剤には、非ステロイド系抗炎症剤(たとえばアスピリン、フエニールブタゾン〔Azolid, Butazolidin〕、オキシフエンブタゾン〔Oxalid, Tandearil〕、インドメサシン〔Indocin〕)、穏和鎮痛剤、副腎皮質ステロイド、作用不明な抗リウマチ剤(たとえば金製剤、クロロキン〔Aralen〕、ヒドロキシクロロキン〔Plaquenil〕)、免疫抑制剤および尿酸排泄剤がある。」「活動性の慢性関節リウマチの薬物療法には、サリチル酸塩(アスピリンなど)の使用が含まれる。サリチル酸塩は中毒量まで投与した後、服用しうる最大量まで減量する。アスピリンは主として抗炎症効果を目的として用いるので、腱鞘炎が存続する限り、規則正しく十分な治療量を用いるべきである。
アスピリンは穏和な鎮痛剤でもあり、また酵素抑制効果もあつて、その治療的価値が高まつている。アスピリンによつて、軽症で、機能障害のない患者では九〇パーセント以上で疼痛とこわばりが緩解するし、他覚的な改善も認められる。少数(一〇パーセント)では反応がみられないし、またアスピリンの服用ができない者もある。これらの患者やアスピリンで十分にコントロールされない多数の関節障害を有する中等症の場合には、他の療法が必要である。しかし、アスピリンの抗炎症量を服用しうる患者では、他の薬剤をも必要としてもアスピリンの服用を持続すべきである。
アスピリンを使用すれば、通常、より毒性の強い抗炎症剤の処方量を少なくすることができる。
フエニールブタゾンおよびオキシフエンブタゾンは、鎮痛および抗炎症作用を有し、ある患者ではアスピリンよりも有効である。さらに他の鎮痛剤、鎮静剤、抗不安剤および抗うつ剤も患者の気分を和らげる。慢性関節リウマチの治療に、抗マラリア剤であるクロロキンおよびヒドロキシクロロキンを使用することは、議論のあるところで、その使用は毒性、特に永続性の失明に至りうる非可逆性の網膜症を生じる性質のために、厳しく制限される。小児での使用は避けるべきである。クロロキンおよびヒドロキシクロロキンは作用が遅く、有意な改善をみるには通常三ないし六ヵ月を要するが、排泄がゆるやかなため中止後でもある期間効果が残ろう。多くの臨床家は最大使用期間を一年としている。眼障害の大部分の症例は、より長期の使用に際し起つているが、薬剤中止後に障害があらわれることがある。
一ヵ所あるいは数ヵ所の関節が侵されているときには、コルチコステロイドの関節内注入によつて疼痛の一時的緩解がえられる。使用する製剤によつて、二週ないし四ヵ月間、腱鞘炎のコントロールが可能なことがある。注射後はコルチコステロイドの効果を高め、軟骨変性の機会を少なくするため、関節の安静を保つ、ときには安静を最良に保つため二~三週間副木をあてる。
中等度ないし重症の場合の、他の治療剤には、金製剤(アウロチオグルコース〔Solganal〕、金チオマリン酸ナトリウム〔Myo-chrysine〕)や、副腎皮質ステロイドの全身投与および、治験中の種々の薬剤がある。この後者に属する薬剤には、いくつかの免疫抑制剤(たとえばシクロホスフアミド〔Cytoxan〕、クロラムプシル〔Leukeran〕、アザチオプリン〔Imuran〕)、ペニシラミン、ヒスチジン、ジメチルスルフオキサイド、放射性金、アントラニル酸塩(メフエナム酸、フルフエナム酸)およびイブプロフエンがある。」と述べ、それぞれの薬剤について詳細な評価と説明をしているが、抗マラリア剤であるクロロキン製剤の眼への毒性については、「眼への毒性は、抗マラリア剤による最も重い併発症である。複視と調節不全は、用量に関連し、可逆性である。角膜の点状混濁によるかすみ眼が、長期使用に際し生じることがあるが、クロロキンを中止すると角膜混濁をおこす薬物沈着は消失する。重篤な網膜変化は、まれにおこる。網膜症は、投薬中止後も進行する視覚障害をしばしば生じ、失明にいたるかもしれない。網膜症は色素沈着に影響するもののようで、色素脱失は黄斑部に始まる。網膜の顆粒性増加と浮腫が最初の所見である。後期の変化としては、網膜血管の狭細化、視神経萎縮とびまん性の色素脱失がある。皮膚、毛髪およびまゆ毛の色素変化は、網膜損傷の開始を示すかもしれない。定期的な眼科検査(例えば、視野、色覚、網膜、角膜検査)を、治療中は三ヵ月間隔で、またできれば治療の翌年中は、おこなうべきである。眼底に変化がみられたら、直ちに投薬を中止すべきである。網膜症は用量関連性のようである。従つて慢性関節リウマチの治療には、一日二五〇ミリグラムを超えて使用すべきではない。ただし、より少ない用量で網膜損傷の起つたことはある。もしこの用量で疾病のコントロールが不満足のときは、他の治療法を考慮すべきである。」と述べている。
(三五) 昭和四五年一〇月発行の「デア・インターニスト」第一五巻第一〇号では、キールのクリスチヤン・アルブレヒト大学第二外科中央眼科部のW. Böテマトーデス(LED)、抗リウマチ剤療法における眼障害等について述べ、まず、「R. Schoenが「リウマチ疾患の臨床」(一九七〇)の序文に書いているように、「単純明快なリウマチの概念は見当らず、またこの概念に入れられる疾患の大部分の真の原因が現在未知であるために、一般にリウマチという概念に含まれる疾患」の分類は「そもそも困難な企てである。」リウマチ疾患の一般衆知の分類は存在しないので、われわれは次のように一方では結合組織の炎症性全身罹患に含まれるものと、他方では実質的に眼の変化をもたらしうる疾患について、明らかにしようと思う。」とした後、「抗リウマチ剤療法における眼障害」として、「この関係の薬剤のあるものは、ある条件下において、視器官の病理学的変化を起こす。多年月にわたり全身的にグルココルチコステロイドの大量または中程度の量を投与するとき、それらは白内障および/または緑内障を誘発させるであろう。」
「他の眼障害がクロロキンによつて起こりうる。既に治療の初期に角膜上皮に沈着がみられることは稀でない。患者がそもそもこれによつて支障があると感じる場合には、患者は眩輝感の増大と共に眼前閃光、かすみ目、色視を訴える。細隙灯によつて非常に特徴的な渦巻き状および線状の上皮の灰色化をみとめることができる。この沈着は、クロロキン療法を中止すると直ちに自然に回復するが、時には治療を継続していても回復する。角膜の後遺障害は知られていない。
クロロキン網膜症は実質的により重篤である。網膜におけるこの物質の沈着によつて特に光受容体が障害を受ける。その結果、色覚、暗順応の異常、視野の狭窄、そして最後に視力の低下を伴う黄斑部の障害が発生する。角膜におけると同様に両側性の障害が原則である。一旦発生した障害は、実際上非可逆でしかも投薬の中止後も進行することもある。視野の狭窄化は初めは傍および周中心性で、多くは輪状を呈しそのため初期にはしばしば自覚的発見を逸するものである。漸次周辺および網膜中心に進行して視野の狭窄は次第に大きくなつてゆく。
疾病経過の比較的後期に初めて、典型的な黄斑部の色素沈着(「ブルズ・アイ」――)が検眼鏡により認められる。網膜線維の変性の進展に次いで乳頭の萎縮がみられる。このような進行をできるだけ早く発見しなければならない。それにもかかわらず、クロロキン網膜症の早期診断は困難である。検眼鏡によりみとめられる症候は後になつて初めて現われる。網膜電図は光受容体の機能低下を早期に示唆するのではあるが、視力視野の悪化は何年も後になることがある。この機能についての早期かつ規則的なコントロールの実施によつてその進行を最もよく監視することができる。疑わしい低下が現われたならば直ちに、治療継続の問題をきびしく再検討すべきである。しかしながら、クロロキン療法の適応を直ちに出来るだけ厳しく設定し、網膜症の可能性を考慮することが好ましい。クロロキンによる重大な障害の頻度は、全体としては比較的小さいものであろうが、しかし本療法の必須ではない使用は眼科医の立場からすべて断念させるべきである。その頻度を数的に表示することは殆ど困難である。なぜならば個々の例における投与期間と投与量は殆ど比較ができないからである。一日二五〇ミリグラム以上を何年も使用した患者は危険があるようである。時おり比較的短期間の投与および少量の投与でもクロロキンによる障害がみられることがある。機能低下を伴つた網膜症が発生するような普遍的かつ規制的な「危険」用量は提示することができない(Bö
金剤療法を採用する場合には、投与総量(一・五グラム以上)に関連して、角膜の金沈着が発生する。」。
(三六) 既に触れたとおり、昭和五一年七月二三日付け「医薬品再評価結果――その九」中の「クロロキン製剤評価結果」には、各クロロキン製剤についての「各適応に対する評価判定」として、オロチン酸クロロキン、リン酸クロロキン、硫酸ヒドロキシクロロキンのいずれについても、慢性関節リウマチについては有効であることが実証されているとしているが、他方本剤を慢性関節リウマチに使用する場合は、「本剤は他の薬剤が無効な場合にのみ使用すること」と記述している。
(三七) 昭和五一年八月刊行の「リユーマトロジー・アンド・リハビリテーシヨン(ダグラス・ウールフ編)」の二三五ページ以下におけるA・J・ポパート「クロロキン:ア・レビユー」と題する記載の中には、慢性関節リウマチ治療におけるクロロキンの有効性と毒性、網膜症、その当時のリウマチ専門家五〇名の知見等について、次のように述べられている。すなわち、「一致した意見として、CQまたはHCQは、軽症または中程度に重いRAの患者の大部分に、特に二年以内の継続の場合、金剤投与時にみられるような改善が期待できよう。しかし、金剤でしばしばみられる継続的な寛解傾向は稀であつて治療中止後三ヵ月以内に再発を起こすことが常である。」
「一、持続性の活動的疾患においては、X線所見の進行を伴つている。
二、自然寛解においてはX線所見の進行の停止がみられ、びらんの治癒がみられる。
三、ある薬剤(プレドニソロンまたはサイクロフオスフアマイド)による改善においても、同様のX線所見の改善がみられる。
四、金剤およびクロロキンの作用は比較的弱く緩徐ではあるが、軽症または進行のおそい慢性関節リウマチでは、部分的または完全寛解が得られるであろう。
五、治験をこのような患者に限つた場合には、X線所見もその他の基準でと同じく、有効性がみられるであろう。」
「網膜症
本件は、実際面では、CQの唯一の重篤あるいは危険な毒性効果である。この問題を取扱つた多くの報告から若干の結論が引き出される。
(a) 網膜毒性はメラニン含有組織における薬剤の蓄積と関係がある。
(b) それはHCQではCQに比べると稀である、しかしHCQは効果が劣る。
(c) それは、投与期間、投与総量よりも、一定の許容一日量を超過することの方により関係が深い。体重一ポンドにつきCQ二ミリグラム、ならびに体重一ポンド当りHCQ三・五ミリグラムの用量が最大値と提唱されている。これは一〇ストーンのヒトに対しCQ約二八〇ミリグラム、HCQ四九〇ミリグラムに相当する。
(d) 低投与量および投与の定期的中断を行なえば、発症率は非常に小さい。眼底異常の解釈は甚だ主観的なものであり、同一の観察者においてさえこの解釈は変りうるものである。CQの投与を受けない患者の二―五パーセントに色素性黄斑部変化がみられよう。
(e) 定期的眼検査および視野測定(特に赤色視野に対し)は望ましいことではあるが実施は困難である。電気生理学的検査はその網膜症予知における価値は不確かである。
(f) 網膜症は、メラニン分解に関与しているライソゾームの長引いた安定化が原因かも知れない、これによつて色素蓄積が増大し、二次的に網膜細胞の変性を招く。CQによつてメラニンの正常な光吸収作用が阻害されることも網膜症の原因となるであろう。日光を防禦することはそれ故に理論的かつ有効な手段であろう。
一〇年間にわたり約一〇〇〇例を扱つたわれわれの経験における唯一の症例は次の通りである。血清学的にそれと証明された五八歳の慢性関節リウマチの婦人はCQの毎日二五〇ミリグラムづつ一〇ヵ月間の投与を受け、左眼に中心暗点が発生した。眼科医は「ブルズ・アイ黄斑症」と報告したが、さらに蛍光血管造影法をふくむ検査を実施した後に、眼科医は「追加実施した検査およびのこ病変の性質に鑑み、私としてはこれがCQに特異的なものであるとすることは多少ちゆうちよする」と報告した。この問題は未解決に残されている。
クロロキンに関する現在の意見
無作為に選んだ五〇名のリウマチ専門家に最近郵送により質問を送つたところ、その殆ど一〇〇パーセントの回答を得、著者は此に深謝したい。質問の結果は次のように要約されるであろう。
(i) その使用・約一二パーセントはCQを使用したことがない。五五パーセントは時折すなわち一年間に最大一〇名の患者にCQを使用した。三三パーセントはクロロキンをしばしばすなわち一年間に一〇〇名以上の患者に使用した。
(ii) 大部分の使用者(約八〇パーセント)は定期的眼検査を通則としていたが、大規模使用者の内若干のものは、それが不可能であるとしてルーチンに眼検査を行なわなかつた。
(iii) 網膜症の報告はこの疾患の診断の不確定さを反映している。少数の小規模使用者は、「網膜症の可能性のある」数症例を報告しているが、しかし全体的には、多年にわたりCQを何百人もの患者に使用してきた医師らの経験から判断すれば、「視覚低下を伴う確実な網膜症」の発症率は極端に少いもののようである。すなわちおおよそ五〇〇〇症例のうちで約二〇件が報告されたが、臨床的な視覚障害をこうむつた例は殆どないようである。前述の投与量の範囲内で間欠投与方式が常に採られたが、しかしこのことは追跡診療を怠つた患者については例外である。これらの患者には危険が最も大きい。
(iv) 有効性 二〇パーセントはその経験が乏しいため意見を述べることができなかつた。五パーセント(それはすべて小規模使用者であるが)は有用でないと考えた。七五パーセントはCQが有用であると考えたが、金剤ほど強力ではないと考えた。数人の大規模使用者は約四〇パーセントの患者、特に再発生リウマチ患者がかなりかまたは非常な恩恵を受けたと論評した。
(v) 適応は金剤の適応と殆ど同一のようである。しかし大多数の例では、CQは金剤やペニシラミンが無効のとき、または重篤な毒性がみられたときにのみ使用されている。軽症または初期の慢性関節リウマチにおいて、安静、アスピリン、新しい非ステロイド抗炎症剤が症状を抑制するのに不適当とみとめられたときにCQは甚だ頻繁に用いられている。CQは通常単独で(但し鎮痛剤は除く)使用される。しかしCQはかなりしばしばステロイドと併用されているが、金剤、ペニシラミンと併用されることは殆どない。
(vi) 治療期間は非常にちがいがある。数人の大規模使用者は、患者が本剤によく反応することを知つて、適当な保護のもとに多少とも期限を切らずに投薬する傾向がみられる。」と述べている。
(三八) 昭和五二年刊行の“AMA DRUG EVALUATIONS”第三版には抗リウマチ剤及び抗マラリア剤について、次のような記述がある。
すなわち、同書は、「リウマチ性疾患治療の主要目標は、症状の治療あるいは基礎となる原因(たとえば感染、代謝異常、アレルギー)の改善である。もしこのことが可能でないなら、その目標は疼痛と炎症の軽減、関節の可動性の維持、および変形の防止にある。」「リウマチ性疾患に使用される薬剤の種類としては、非ステロイド系抗炎症剤、鎮痛剤、副腎皮質ステロイド、金剤、抗マラリア剤および免疫抑制剤がある。」と述べ、慢性関節リウマチについて、「この関節症は最も一般的な慢性炎症性リウマチ疾患である。本症は関節構造内およびその周辺の炎症性変化を主たる特徴とする全身性疾患である。臨床上の主症状は、関節の朝のこわばり、運動時の疼痛、通常対称性の多くの関節の圧痛または腫脹、皮下結節および典型的なレントゲン像の変化である。」「慢性関節リウマチの適切な管理は的確な診断にかかつている。」「治療効果は、病気が自然に寛解したり、再燃したりするので評価することが困難である。適切な治療には長期の療養と患者の協力および意欲が必要であり、疾患の重篤度あるいは段階により決定される。
本疾患の初期段階では、多くの患者において、基本的な保存療法プログラムにより望ましい目標に到達しうるであろう。このプログラムには安静期間、運動、理学療法、適正な栄養、極端な気候はさけること、感情的心理的要因への配慮、必要に応じた整形外科的補助およびサリチル酸塩の投与が含まれる。しかし症状や徴候を軽減させたり、肢体不自由の進行を遅らせはできるが、疾患の過程は多くの場合かえることができない。治療ではめつたに治癒しない。病状を定期的に再評価し、それに応じて治療法を修正しなければならない。」としたうえ、サリチル酸塩を第一の基本的な薬剤とし、あるいは場合によつてはより新しい非ステロイド性抗炎症剤を勧め、アスピリンに加えての穏和な鎮痛剤あるいは強力な鎮痛剤の使用による痛みの軽減について述べ、アスピリンに追加される抗炎症剤としてインドメサシン、フエニールブタゾン、オキシフエンブタゾンを挙げ、「もし活動性慢性関節リウマチの臨床経過において、数ヵ月間非ステロイド性抗リウマチ剤を含む基本プログラムを施したのち、十分な改善が得られないなら、金剤の使用を考えてみるべきである。」とし、また、「抗マラリア剤の、クロロキンとヒドロキシクロロキン〔Plaquenil〕は本疾患に効果があるかもしれない。後者の方が一般的に使われている。それらの使用は、変りやすく一定しない効果と過量投与に伴う視覚障害の可能性のために議論のあるところである。これら薬剤は有益な効果がみられるまでに三ないし六ヵ月間投与しなければならない。治療期間よりも服用量がこれら薬剤の毒性に関係するもつとも重要な要因であることが現在はつきりしている。少量では長期間毒性効果なしに投与することができる。しかし、眼科的検査は少くとも六ヵ月間隔で行なうことを推奨する。過剰用量が投与されると、網膜障害が投薬中止後でさえ出現し、または進行するかもしれない。もし低用量のスケジユールでは満足な反応が得られないなら、他の種類の薬剤を選択すべきである。」といつている。次いで同書は、副腎皮質ステロイドについて触れ、「全身性副腎皮質ステロイド剤は顕著に機能を改善し、疼痛を軽減し、炎症をコントロールするが、関節破壊の進行は続こう。しかし、副腎皮質ステロイドの有効性は、その多くの副作用によつて限定される。そこでこの薬剤は、他の抗リウマチ剤に反応しない中等度に重篤で急速に進行する慢性関節リウマチ患者、重い肢体不自由もしくは就労不能のおそれのある患者、および重篤な全身性の疾患のためにとつておくべきである。プレドニソンとプレドニソロンは最も普通に、全身的に使用されている。症状と徴候を改善する最小服用量が使用さるべきである。完全な寛解は得られない。多くの患者では副腎皮質ステロイドは徐々に離脱することができる。他の患者は、職業や家事を遂行し、また自分の身のまわりのことをするために、少量の維持量が必要である。
重篤な患者になんらかの効果があるとして使用されてきた他の薬剤として、免疫抑制剤とキレート剤、ペニシラミンがある。しかし、多くの潜在的な重篤な副作用があるので、これら薬剤は在来の治療法に反応しない進行した疾患の患者のために保留しておくべきであるし、その使用は試験的なものであつて一般的に使用すべきものでないと考えるべきである。」としている。
同書は、さらに、抗マラリア剤の慢性関節リウマチとエリテマトーデスの治療のための使用における眼毒性について、次のように述べている。「眼毒性は抗マラリア剤によつて惹起される最も重篤な併発症である。網膜症は服用量と関連性があると思われる。長期にわたる低服用量におけるよりも、短期間の場合でも服用量が大であるほうが危険は大きい。重篤な網膜変化は稀にしか生じないが、薬が中止された後でも、視覚の進行性の障害、場合によつては失明に至るかもしれない。網膜症は色素沈着に影響するものと思われる。色素脱失は黄斑部に生じ、網膜の増大した顆粒と浮腫が網膜症の最も初期の所見である。規則的な眼科学的検査(たとえば視野、色覚検査、網膜及び角膜像)は治療中少くとも六ヵ月間隔で実施すべきである。投薬は眼底変化の最初の徴候で中止されるべきである。」
第四クロロキン製剤の腎毒性
原告らは、クロロキン製剤は腎毒性を有し、腎疾患を増悪させたと主張している。
<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
すなわち、昭和二三年に、動物実験において、クロロキンによりラツトの心臓筋肉線維、肝臓、脾臓、膵臓に障害が発生するほか、腎臓にも、環状腎尿細管の肥大化、腎曲管上皮に非第一鉄化合物性、非脂肪性の色素が存在し、軽度から中程度の脂肪分の増加が認められた旨の報告が現れ、昭和四七年には、光学及び電子顕微鏡的観察で、ラツトの腎髄質細胞にクロロキンによつて「生理学的退行性変性」が引き起こされ、その変性の初期段階(八時間以内)で発生する自食性空胞では、細胞質の小部分が分離するにつれその構造は消失し、自食性空胞が徐々に骨髄様体の様相を呈する残余体に変化して行く旨の報告がなされ、やがて同四九年以後ニユージーランドマウスの近位尿細管部にみられた脂肪変性及びミエリン体の散在は、腎毒性を示唆するように思われる、もしくは腎機能に影響を及ぼしている旨の報告が現れているが、これらの報告は、いずれもラツトまたはマウス等の動物についてのものであり、クロロキンがヒトの腎組織に対しても何らかの好ましくない影響を及ぼすことを推測させるものと一応いえなくもないかも知れないけれど、ヒトに対する腎毒性を確認するに足りる医学、病理学上の根拠とするにはなお十分ではない。もつとも、<証拠略>に後記第五節に説示したところを総合すると、我国におけるク網膜症報告によれば、その罹患者の基礎疾患は、慢性腎炎が六〇パーセント以上を占め、圧倒的に多いこと、疫学的にみて、腎機能中程度障害例にク網膜症発症ひん度が高く、かつ、重症なものが多く、腎障害の程度と網膜症のひん度、重症度は、ある程度平行している可能性があること、少なくとも、特に腎機能不良の症例では、網膜症発病のきわめて早期の段階でこれを発見してクロロキン投薬を中止しても、網膜症が高度に進行し、その進行、悪化も著明とみる余地があること、右のように慢性腎炎の罹患者にク網膜症が多い理由は明らかでないが、クロロキンそのものの体内蓄積傾向に加えて、もともと腎機能が低下しているためにクロロキンの排泄量も健康体より少なく、したがつて腎疾患を有する者に対しクロロキン製剤を用いればその体内蓄積量が増え、他の疾患の患者でクロロキン製剤の投与を受けた者に比し、ク網膜症に罹患する危険性が大となる可能性もないではないとみられることが認められる。
また、<証拠略>によれば、昭和四九年には、R・J・デスニツクほかにより「試験管内での研究の結果クロロキンが培養角膜の正常リソゾーム機能を変化させることが判明し、さらにはクロロキン起因の角膜症がα―ガラクトシダーゼ活性の減少とその基質であるセラミドトキヘキソシド(CTH)の蓄積によつて発生する可能性があることが判明した。」旨報告され、昭和五六年以後には、デ・グルートほかによる「ヒト皮膚線維芽細胞をクロロキン又は塩化アンモニウムの存在下で培養する時、塩基(クロロキン塩化アンモニウム)の存在しない状態で培養した細胞に比べてリソゾーム加水分解酵素の細胞内量の減少及びそれに伴う細胞外活性の増加がみられる。」旨の報告及びD・J・ダミコらによる「さまざまのリソゾーム障害が人の角膜や結膜をおかす。このような障害は、フアブリ病におけるセラミドトリヘキソシダーゼ欠損のように、リソゾーム内の特定の酵素の先天的異常に由来するものであろう。さて又、リソゾームの機能障害は薬剤誘発脂質蓄積をともなう薬剤投与の結果でも発生する可能性がある。クロロキン、アミオダロン、アモジアキン、ベノキン、チロロン及びゲンタマイシンは脂質蓄積誘発薬剤で、人の角膜及び結膜に害を及ぼすことが証明されている。フアブリ病と薬剤誘発脂質症との類似点は、角膜上皮内の沈着――これはしばしば放射状ないし渦状を呈する――と透過電子顕微鏡で調べた場合に見られる角膜及び結膜組織内におけるリソゾーム内脂肪の異常封入体の存在とである。以上の著明な類似からリソゾーム性機能障害は、薬剤誘発脂質蓄積の既知の或いは潜在的毒性の一因子として考えられることとなる。」との報告及びE・O・ガハ(NGAHA)による「蛋白や特定の酵素の尿への排泄に関するリン酸クロロキンの慢性投与の作用が雄ラツトについて調べられた。尿量、尿蛋白量ともに増加した。アルカリ・フオスフアターゼ活性は一二時間後に著明に上昇した。乳酸脱水素酵素(LDH)とグルタミン酸脱水素酵素(GDH)活性は、軽度上昇する程度だつた。ラツトにクロロキンを慢性投与すると、腎の再吸収能に障害を与えたり、膜に結合しているある種の酵素の性状に変化を与えたり、腎細胞の種々のオルガネラ(核、ミトコンドリア、リソゾーム等細胞小器管の総称)の膜透過性を変えたりする可能性があることを以上の観察結果は示している。」旨の報告がそれぞれなされていることが認められる。
右のデスニツクらの報告は、右<証拠略>によれば、「試験管内での研究」によるものであるうえ、ク網膜症の発症機序に関する研究であることが認められるから、右の報告からヒトの生体あるいはク網膜症についてもそれと全く同様であるというわけにはいかず、原告ら主張のように、腎毒性がクロロキン製剤によつて惹起されるものとするには足りないものである。
また、右のデ・グルートらの報告は、右<証拠略>によれば、死者の皮膚から分離培養された線維芽細胞株を使用してなされたものであることが認められるが、右の報告から直ちにヒトの生体の腎臓に対し、細胞内のガラクトシダーゼ活性をクロロキンが阻害することにより、原告ら主張のようなフアブリ病類似の機序の下に、ヒトへの腎毒性がもたらされるものとするには足りない。
さらに、ダミコらの報告は、右<証拠略>によれば、クロロキン製剤が角膜及び結膜に障害を発生させることに関する研究であつて、クロロキンの投与により角膜上皮細胞と網膜神経節細胞に封入体が産生される、としているほか、腎臓も封入体を保有することが明らかとなつた、とも記述しているが、腎臓の封入体とクロロキン製剤との関係は必ずしも明らかではないことが認められるから、腎臓ないしは腎組織に対して、クロロキン製剤が、α―ガラクトシダーゼ欠損によるリピドーシスの結果としての障害を発生させるとするに足りるものではない。
次にガハの報告は、右<証拠略>によれば、一七〇グラム~二〇〇グラムの体重のアルビノ(白色)種一〇匹の雄ラツトによる一個の実験結果であることが認められるから、末だヒトの場合にも、右と同様であるとするわけにはいかないものである。
他方、<証拠略>によれば、昭和四八年六月の上田泰ほかの「薬剤による腎障害」と題する論文には、クロロキン製剤が腎毒性を有する薬剤である旨の記述のないこと、昭和四九年一月の吉利和ほか監訳のマーチン「薬の副作用と臨床」なる著書中の「9有害薬物反応――腎毒性」の項にも、クロロキン製剤が腎毒性なるものを有する旨の記述はないこと、先天性のα―ガラクトシダーゼ欠損症であるフアブリ病は、要するに先天性脂質代謝異常症であるが、α―ガラクトシダーゼ欠損の結果として、皮膚及び粘膜のほか神経系の病変及びガラクトシダーゼ欠損に基づく分解障害による脂質の進行性異常蓄積(リピドーシス)などを惹起すること、しかるに原告患者らがクロロキン製剤を服用した結果、フアブリ病あるいはフアブリ病類似の病変を示したとはみられないこと、フアブリ病に関する若干の文献、すなわち飯田静夫「フアブリ病の生化学的研究」、五島雄一郎ほか監訳「スタンバリー先天性代謝異常2そのメカニズム」、山村雄一監修「先天性代謝病、免疫病ハンドブツク」、山村雄一ほか責任編集の「現代皮膚科学大系19B代謝・内分泌異常症IIビタミン・栄養障害性皮膚疾患」、武内重五郎編「全身疾患に伴う腎病変」中には、クロロキン製剤の投与によりフアブリ病類似の機序によつて腎病変を生ずる趣旨の記載はないことが認められる。
そのうえ、前記のとおり、クロロキン製剤を服用した者のうちのク網膜症発症者は一パーセント程度との報告があることからすれば、少なくとも原告患者ら八七名の一〇〇倍に相当する八、八〇〇人のクロロキン製剤服用者があつたことになる一方、クロロキン製剤の販売量が、<証拠略>によれば、昭和四四年から同四八年にかけて合計三万八、二〇四キログラムを超える大量であつたことからみれば、その一人当たりの右の間の服用量を五〇〇グラムとみても、七万六、〇〇〇人を越えるクロロキン製剤服用者があつたことになるほか、本件の原告患者らのうち一四名は腎臓疾患の治療のためではなく、てんかん、エリテマトーデスもしくはリウマチの治療のためにクロロキン製剤を服用したことが明らかであるが、右の一四名のクロロキン製剤の服用者その他の多数のクロロキン製剤の服用者について、原告らの主張するようなフアブリ病類似の腎病変の発症があつたとすべき証拠は全くない。しかも<証拠略>によれば、クロロキン製剤服用に関係する副作用が世上に喧伝されるにいたつてから今日まで長い年月が経過しているのにかかわらず、原告ら主張のようなクロロキン製剤服用に基づく腎障害の発症に関し、少なくともヒトについての臨床段階における医学的報告が今日までになされたとの証拠もない。とすれば、前記デスニツクらの報告等若干の文献は、いずれも未だ実験報告の域を出るものではなく、原告ら主張のように、クロロキン製剤が腎毒性なるものを有するとするに足りないものというほかはない。その他原告らの全立証によるも、右の点を肯認するに足りない。
したがつて、クロロキン製剤に原告らの主張するとおりの腎毒性なるものが存するものとすることは、到底できないところである。
第五結論
以上に認定説示したところによれば、腎炎等の腎疾患をはじめてんかん、エリテマトーデス、慢性関節リウマチ等のリウマチ疾患はいずれもその発症機序ははつきりせず、それらの罹患者もエリテマトーデスについては明らかではないが、そのほかの疾患では数の多い、しかも古くからの難病であるところ、クロロキン製剤は右の各疾患に対して対症療法的に有効であつたことは明らかであり、他方本件の原告患者らにおいてクロロキン製剤をそれぞれの原疾患治療のために服用した当時から昭和五一年の前記再評価でその有用性が否定されるにいたるまで、少なくとも臨床の現場においては、右疾患治療のために有効とされる薬剤はほかにもないわけではなく、第一選択剤とされるべきものとしてのステロイド剤等副腎皮質ホルモン関係の製剤その他があつたとはいえ、クロロキン製剤の重篤な副作用である網膜症の発症率がきわめて低くこれについての知見も十分明確といい難く、したがつて結局は、右の各疾患に対し、クロロキン製剤はなお有用性を肯定できる薬剤として、その使用に当つては種々の注意、配慮を必要とする旨の留保や指摘はありながらも、使用が是認されていたものというべきである。
第五節被告製薬会社の責任
第一薬局方収載医薬品の安全性に対する公的保証の有無及びその適応の範囲
一 薬局方収載医薬品の安全性に対する公的保証の有無
旧法三〇条一項は、厚生大臣は、「医薬品の強度、品質及び純度の適正」をはかるために、薬事審議会の意見を聞いて、日本薬局方、国民医薬品集またはこれらの追補(すなわち「公定書」、同法二条八項)を発行し、公布しなければならないと定め、同条三項で、公定書に収められた医薬品は、その強度、品質及び純度が公定書に定める基準に適合するものでなければ、これを販売等してはならないと定めている。
現行法も同様の規定を置いている。すなわち、厚生大臣は、「医薬品の性状及び品質の適正」をはかるため、中央薬事審議会の意見を聞いて、日本薬局方を定め、これを公示する(同法四一条一項)ものとし、日本薬局方に収められている医薬品であつて、その性状または品質が日本薬局方で定める基準に適合しないものの販売等を禁止している(同法五六条一号)。そして、現行法は、旧法によつて発行され公布された日本薬局方と国民医薬品集を現行法上の日本薬局方とみなし(同法附則八条)、かつ、国民医薬品集を廃止して、日本薬局方に一本化している。
<証拠略>によれば、国民医薬品集は、医薬品の急速な発達に応ずるため日本薬局方を補足する目的で旧法の下で設けられたもので、日本薬局方と表裏一体の関係にあつたこと、そもそも日本薬局方が制定されるにいたつたのは、有効な医薬品は純良な品質を保有するものであることが不可欠であるところから、一般に治療上用いるに必要な強度、純度及び品質の基準を定め、これを法的に強制することを目的としていたこと、昭和三〇年の第二改正国民医薬品集には、薬局方に収載予定の医薬品、薬局方から削除されたものでなお市場性大なる医薬品及び薬局方収載に準じ重要な医薬品が収載されたが、その際、まだ日本薬局方に収載されていないが、国際薬局方(IP)、英国薬局方(BP)、米国薬局方(USP)等に収載されている品目であつて繁用されているものは、これを殆ど収載する方針がとられたため、リン酸クロロキンも右国民医薬品集に収載されたこと、リン酸クロロキンの項には、性状、確認試験、純度試法、乾燥減量、貯法及び、常用量(一回〇・二五グラム、一日〇・五グラム、なお常用量とは、普通に用いられる成人の薬用量のことであり、薬用量とは薬効を呈する量、すなわち治療上用いる量を意味する。)がそれぞれ記載されており、その後もリン酸クロロキンが第七及び第八改正日本薬局方に引き続き収載されているが、その記載の内容は、いずれも右と同一であることが認められる。
以上の薬事法の規定及び日本薬局方制定の趣旨から明らかなとおり、旧法の公定書及び現行法の日本薬局方(以下単に「薬局方」という。)は、その収載医薬品の性状、品質の基準のみを定めたものにすぎない。したがつて、その基準に適合した医薬品は、通常その常用量を用いれば治療に効果があることを前提として、性状、品質の面では安全であり、欠陥がないということ、すなわち、その面では不良品でないということが保証されているといえるけれども、当該医薬品に治療上目的とした効果以外の好ましくない効果、つまり副作用があるか否か、あるとすればそれはどういう副作用なのか、という面での安全性について薬局方は一切関知していないのであるから、一部被告らが主張するように、薬局方収載医薬品なるがゆえに副作用の面での安全性が公的に保証されているなどとは決していえないのである。このことは、前記のとおり、再評価の際に、薬局方収載医薬品もその対象とされたことにかんがみても明らかである。
もつとも、<証拠略>によれば、薬局方収載医薬品の有効性はともかくとして、その副作用の有無という安全性について、薬事法上、薬局方収載外医薬品の製造承認の際の厚生大臣の安全性確保義務の存在を当然の前提とし、これと比較のうえ、薬局方収載医薬品の製造につき、これを厚生大臣の承認を要する事項から除外し、各種試験資料の提出を不用としたのは、「局方収載品が主として繁用されている医薬品であり、すでに安全性、有効性などについて経験的に周知のものとの考え方が基本的に存在するのだろう。」との見解の存することが認められるが、なるほど繁用されている医薬品であれば、経験上その安全性(例えば、副作用の有無、種類、程度等)について周知な面も多くなるであろうが、そのことのゆえにその製造が厚生大臣の承認を要する事項から除外されてよいものともいい難いから、この点は右除外の理由とはならないのである。
いずれにせよ、薬局方収載の医薬品であるからといつて、副作用の面での安全性が公的に保証されているわけではないのであるから、薬局方収載の有無は医薬品を製造し、輸入し、販売する製薬会社の後記安全性確保義務の内容、程度等にいささかの影響も及ぼすものではない。
二 薬局方収載医薬品の適応の範囲と被告製薬会社によるクロロキン製剤の輸入、製造、販売
既に認定したとおり、薬局方自体はその収載医薬品の適応(効能、効果)について何ら触れていない。しかし、薬局方の性質、目的に照らせば、厚生大臣は、薬局方に収載するからには、当然当該医薬品につきある特定の適応を念頭に置いていたはずである。そして、第一節第一で述べた、クロロキン製剤に関する争いのない事実に<証拠略>によれば、厚生大臣が第二改正国民医薬品集にリン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠を収載した当時念頭に置いていたものと考えられる適応は、マラリアは当然として、それ以外はせいぜいエリテマトーデス、アメーバ症位のものであつたことが認められる(もつとも厚生省の「伝染病及び食中毒統計概況年計分」によると、我国におけるマラリア患者数は、昭和二一年は二万八二一〇名で、その後減少し、昭和二八年は一六八名、昭和二九年三三七名、昭和三〇年六六名にすぎず、その後昭和三一年の四七名をピークにさらに激減し、以後年間二〇名前後―ただし昭和四八年は四二名―であることが認められる。)。
ところで、薬事法上、薬局方収載医薬品の製造業(輸入販売業)の登録(旧法二六条一項、二八条)または許可(現行法一二条、二二条一項)を受けた者は、その医薬品の適応に関しては、これを規制する条文がないから、厚生大臣の法的な規制を全く受けないで、自由に適応を変更したり、追加したりすることができる。
他方、薬局方収載外の医薬品の製造(輸入販売)の許可(旧法二六条三項、二八条)または承認(現行法一四条一項、二三条)を受けた者が、許可または、承認された適応(効能、効果)を変更したり、許可または承認外の適応を追加する場合には、これについて厚生大臣の許可(旧法施行規則二三条、二四条、二六条)または承認(現行法一四条二項)を受けることを要する。
右のように、適応(効能、効果)の変更、追加に関する法的規制については、薬局方収載医薬品とそうでない医薬品との間で差異がある。
さて、前記のとおり、被告製薬会社が、クロロキン製剤の販売をはじめたのは、被告吉富が昭和三〇年九月にレゾヒンIをドイツ・バイエル社から輸入して被告武田に売り渡し、同被告において右日時以降これを一手に国内において販売したのを例外として、その他の製薬会社の製造し、販売するクロロキン製剤については、最も早いものでも、昭和三五年一月からのことであつた。すなわち、右レゾヒンIについては、その発売当初は、マラリアと急性・慢性エリテマトーデス(後に亜急性・慢性エリテマトーデスに変更)とされ、昭和三三年八月慢性関節リウマチ、腎炎等が、昭和三六年四月にはてんかんがその適応に加えられた。また、被告吉富は、これも前記のとおり、昭和三五年一月以降ドイツ・バイエル社から輸入したリン酸クロロキンの原末を使用してエレストールを製造して、これをすべて被告武田に売り渡し、同被告においてこれらをそれ以降一手に国内において販売してきたが、その適応は、リウマチ熱(急性関節リウマチ)、リウマチ様関節炎とされていた。さらに、被告吉富は、昭和三五年一二月以降前記の輸入されたリン酸クロロキン原末を使用してレゾヒンIIの製造を開始し、前同様これをすべて被告武田に売り渡し、同被告がこれを右日時以降国内において一手に販売してきた。レゾヒンIIの適応は、マラリア、亜急性・慢性エリテマトーデス、慢性関節リウマチ、腎炎等であつたが、その後てんかんも適応に加えられた。そして被告住友は、昭和三六年一二月キニロンの製造を開始し、これをすべて被告稲畑に売り渡し、同被告がこれを一手に国内で販売してきたし、被告小野は、昭和三六年一月からその製造するキドラを、被告科研は、昭和三八年三月からその製造するCQCをそれぞれ販売してきたのである。
第二医薬品の危険性
一 化学合成物資の医薬品としての特質
人類は、有史以前から、疾病の治療、予防のために呪術、祈とう等の迷信ないし宗教的手段に頼る以外に、動植物の一部分及びそれから抽出した有効成分並びに鉱物の粉末その他の無機物質を医薬品として利用してきた。それらの中には薬効のないものや人体に有害な副作用をもつものも少なくなかつたと想像されるが、幾世代、幾世紀にわたる使用経験から、有害無益なものは次第に排除され、姿を消すにいたつた。そのため、右の経緯を経た結果として、昔から現在まで利用されている医薬品の類は、その有効性に疑わしいものはあつても、従来の使用態様の範囲内においては、その安全性は、いわば歴史による検証を経たものとして、ほぼ確立しているものといつて差し支えない。
ところが、近代に入り化学の発達に伴い、医薬品の精製方法が進歩し、有効成分の分析により化学構造式が決定され、原材料から、より純粋な形で有効成分が抽出され供給されるようになるとともに、その薬理作用についても研究が進み、極量も次第に明らかにされるにいたつたが、今世紀になると多くの有機化合物について人工的な合成が可能となり、天然自然界に存する物質と化学構造式を同じくする合成物質が大量、かつ、比較的安価に供給されるようになつた。
そればかりでなく、現代では、天然自然界には存在しない新規な化学物質(クロロキンもその一例である。)が次々と合成され、その物質の薬理作用が研究されており、薬効を有することが発見された化学物質については、先を争つて医薬品としての製法特許や物質特許が出願され、これと並行してその工業化、製品化がはかられているのが現状である。
以上は、裁判所に顕著なところであるが、右のようにして化学的に合成された物質は、それが新規物質である場合には、医薬品として使用した場合の副作用について人類は全く未経験であり、また、従来知られていた物質であつても、天然自然に産出するものと異なり医薬品として全く純粋な、換言すれば濃厚な形で、しかも比較的安価に供給されるため、従来の経験により安定性の確かめられた用法・用量を超えて過度に人体に対して用いられるおそれがあることは見やすい道理である。
医薬品の人体に対する副作用は、次の世代に対する影響をも考慮するとき、これを見極めるためには、一世代を三〇年とみてもこれを超える程の使用開始後の年月を要するであろう。この点において化学合成物質は、今後予想される使用態様の下での安全性につき長年にわたるいわば「歴史の検証」を経ていないものが殆どであり、未知の危険をはらんでいるものといつても過言ではないのである。
しかしながら、未知の副作用の一般的な危険が否定できないことのゆえをもつて、現に薬効の認められる化学合成物質の医薬品としての使用を断念するのでは、医学及び薬学の進歩は期待できないこともまた自明であろう。医薬品の有用性はその有効性と副作用等による有害性の比較衡量の上で決定されるものであり、右の有効性、有害性はその時々における医学及び薬学の最高水準に照らして判定されるべきものであるから、化学合成物質が一般的に未知の副作用の危険性を帯有しているということは、それだけでは当該物質の医薬品としての有用性を否定する根拠とはなりえない。
二 医薬品の危険性についての留意事項
<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
1 病気の治療や予防に用いられる医薬品たる化学合成物質は、本来、生体の、ある組織器管に対し特異的に作用するからこそ薬効が生ずるのである。したがつて、それはそもそも生体にとつて歓迎されない異物であり、その医薬品が目的とする効果である有効性とその効果以外の副作用等の有害性とを相伴うもので、両者は表裏の関係にあつて、“両刃の剣”のようなものであり、選び方、使い方、使う量を誤れば、毒でしかなくなる。
このような危険物を、人工的、科学的に使用して人体に活かすのが医薬品である。どうしても医療に必要とするだけの有用性が大きければ、そのもつ有害性をわきまえて使用し、有害性を発現させることなく、いかに使うかが重要となる。
2 医薬品は、その開発段階において十分注意して動物実験、臨床実験を行つても、これを現実に人体に投与した際の副作用の発現を未然に防止し得ない場合があり得る。もちろん、一般には薬用量を守つて使用されている限り副作用は問題にならないですむように配慮されてはいるが、それにもかかわらず、完全にその副作用を防止することはできない。それは、毒性を調べる段階で、生体のすべての枢要な器管や機能に対する化学物質の影響の評価が、生体の複雑さのゆえに、その一部もしくは全部を欠落する可能性が常にあり、動物実験では、種差、株差の存在が副作用の予知を困難ならしめ(医薬品を人体に与えたときに起こり得る副作用を一〇〇パーセント予知することのできる動物実験の体系は未だ存在しない。)、また、現実に使用する患者には個体差があることなどによる。すばらしい薬効のみで、副作用の全くない医薬品を人類は未だ手に握つていない。
さらに、医薬品は、一般には副作用を発生することが知られている量より格段に少ない安全な領域で日常薬用量が定められ、投与期間についても医薬品の使用目的によつて常識的な配慮がなされているが、現実においては、広く医薬品が使用される場合、常識的に要請される使い方と著しくもしくは多少とも異なつた使い方がなされ、それによつて大、小の副作用が発生する可能性が常に存在している。
3 視覚神経系は、人の感覚器として最も重要なものであり、種々の異なつた組織が入り組んだ複雑な構造をもつていて、網膜と脳とは近縁であること、多くの自律神経末端が分布していること、血管が豊富に分布していること、体表にあつて調べ易く、敏感な感覚器官であること等の理由から、古来多くの医薬品の副作用が報告されてきたが、視覚神経系に作用を及ぼす医薬品は決して少なくないので、特に注意を要するところである。
第三被告製薬会社の注意義務
一 総説
医薬品の製造または輸入を業とする者は、人の病気の予防、治療に供する目的とはいつても、その反面、前記のような本質的に人の身体、健康に有害な危険が顕在もしくは内在する化学物質たる医薬品を製造し、輸入し、ひいてはこれを販売して当然利潤を得ているのであるから、その製造、販売等に伴う法的責任は非常に重いものであるといわざるを得ず、薬事法の諸規定を遵守しなければならないのは無論のこと、その時々の最高の医学、薬学等の学問技術水準に依拠して、医薬品の最終使用者である医師や患者らを含む一般国民に対し、その本来の使用目的(治療効果)以外の働き、作用による危険を未然に防止するよう努めなければならない注意義務があり、その注意義務の内容も医薬品の開発、製造段階から販売、使用後の段階までにわたる広汎なものであると解せられる。
二 副作用の防止の点を中心にした被告製薬会社の注意義務の具体的内容
1 製造、販売開始までの間の注意義務
まず、開発段階では、目的とする化学物質とその類似周辺物質につき、少なくとも内外の文献の収集、調査、検討を行うとともに、さらに十分な前臨床試験、臨床試験を実施し、医薬品としての有用性はもちろん、その安全性を確認し、もつて副作用の有無、程度等を予め知り尽くしておくようにする義務がある。この段階で既に重篤な副作用が必然であることが疑う余地なく判明したならば、これを製造、販売してはならないのは当然である。また、副作用のあることが疑われるときは、その有無を明確につきとめ、かつ、その内容をも把握しておかなければならない。けだし、そうでなくては、当該化学物質が果して医薬品としての有用性を有するものか否かを確定し得ないであろうからである。
そして、副作用が存在することが明らかな場合はもちろん、その存在が疑われるにもかかわらず、有用性の見地からする医学上の必要性があるとして、ある化学物質を、医薬品として、製造し、輸入し、これを販売しようとするのであるならば、少なくとも自らにおいて事前に、右の副作用の詳細な内容、すなわちその種類、程度、ひん度、重篤性等をできるだけ正確に、そして回避できるか否か、もし回避できる可能性があるならば、その手段、方法等を掌握したうえ、当該医薬品の最終使用者である医師や患者らを含む一般国民に対し、これを正確、十分に伝達する体制を整えておくべきものである。この場合、先行する同種の化学物質が、医薬品として、既に数年程度にわたつて使用され、それについての重篤な副作用の症例報告等を見聞しないことは、必ずしも当該医薬品もしくは同種の医薬品を製造し、輸入し、販売しようとする後発の者が右の義務を軽減され、もしくはこれを負わないものとされるべき理由とはならないのである。
2 製造、販売開始後における注意義務
次に、開発から製造までの間の調査研究や各種試験では予知できず、臨床使用の段階で判明する副作用が常に十分あり得る。したがつて、製薬業者は、安全、かつ、有用との認識の下に医薬品の販売を開始した後も、その副作用について継続して調査をする義務がある。長年の使用経験中に重篤な副作用の症例が現れなかつたとの事情があつても、このことにより安全性が定着したとの先入観にとらわれて、右の継続的調査義務を怠ることはゆるされない。要するに、医薬品が販売され、使用されているうちは右の副作用調査義務は常時存在する。その間、製薬業者は、当該医薬品に関する医学、薬学その他関連科学分野における内外の文献、報告等の資料を調査して副作用情報を常時収集、検討するよう努めなければならず、収集、調査、検討の対象となる文献、報告等の資料の範囲は、当該医薬品の適応分野(例えば、内科、外科、皮膚科、整形外科、精神科等)に限らず、眼科領域にも及ぶと解せられる。このことは、前記のとおり、医薬品の眼に対する副作用も決して少なくなく、古来その副作用が文献に記述されてきたことに照らしても当然であるばかりでなく、特に本件にあつては、前記のとおり、クロロキンが眼に対しよくない影響を及ぼすものとして早くからその副作用に関する研究が行われていたものであつて、このような副作用研究の存在は、我国におけるクロロキン製剤の製造、輸入、販売の当初以前から外国文献において明らかであつた以上、右のように解して防げはないのである。
それゆえ、眼科領域の文献までも調査することは合理的にみて期待できなかつたという趣旨の一部の被告製薬会社の主張は、到底採用することができない。
このように、製薬会社には副作用の継続的な調査等の義務があるが、販売後になつて、当初知られていなかつた副作用情報を入手したときは、速やかにこれに対処すべく、関係文献等の収集、調査、検討に着手するとともに、副作用の発生を回避するために可能な限りの措置を講ずべき義務を負うにいたる。
すなわち、右の副作用情報とは、当該医薬品によつて特定の副作用が発生するという因果関係を疑わせる一応の理由があるものであれば足り、製薬業者は、このような情報を得たならば、漫然他社による副作用の症例報告とか基礎医学的実験報告の蓄積を待つているのではなく、直ちに自らが、あるいは他の研究機関等に依頼して、その時点までの臨床上の諸報告、内外の文献を精査することはもちろん、必要に応じ動物実験、当該医薬品服用者の病歴及び追跡調査等を実施して、医薬品と副作用の因果関係の有無、副作用の程度等の解明、確認に着手すべきであり、場合によつては、例えば報告された副作用が人の生命や身体、健康に重大な危険を及ぼす種類のものであれば、右の解明、確認に先立つて、とりあえず一時的に当該医薬品の出荷販売の停止措置を講ずることが要請されることもある。
そして、このような解明、確認のための調査、研究等の結果、その医薬品と特定の副作用との因果関係が医学、薬学その他関連科学上合理的根拠をもつて完全に払しよくされない限り、重篤度、発生ひん度、可逆性か否か等の当該副作用の特質とその医薬品の治療、予防上の必要度等を比較衡量したうえ、警告にとどめるか、適応の一部を廃するか、あるいは全面的な製造、輸入、販売を停止し、さらには流通している医薬品を回収するか、等その情況に応じていずれかの措置を講ずる義務がある。
以上のように、当裁判所は、製薬業者は当該医薬品との因果関係を疑うに足りる相当な理由のある副作用情報を得たときには直ちに右因果関係の有無の検討に着手すべきであり、かつ、その疑いが医学等の見地から完全に払しよくされない限り、結果回避措置に踏み切るべきであると解するのであるが、製薬業者は、確かに一面では医薬品の供給によつて人の生命、健康の維持、増進に貢献していることは否めないけれども、反面では本質的に人の生命、健康に危害を及ぼす危険をはらむ化学物質を医薬品として商品化すべく製造し、輸入し、販売することにより利益を挙げることを事業目的としているうえ、その商品たる医薬品に宿命的に多かれ少なかれ存在する副作用を事前または事後に知り得る施設と能力を有する(逆にいえばそのような施設及び能力を有しない者は、医薬品を製造したり販売したりする資格はないというべきであろう。)のに対し、当該医薬品を投与され服用する側の一般国民は、製薬業者からの情報を信頼する以外に安全性を確認するすべがなく、自らが副作用を知り防衛するなどということは期待し得べくもないのが通常であつて、このような両者の立場や能力の相違にかんがみ、そして何よりも人の生命、健康の大切さを考えるならば、製薬業者の医薬品の製造販売上の注意義務については前記のように解するのが相当と考えられるのである。
ところで、現今あるいはまた本件原告患者らがクロロキン製剤を服用していた頃に製造し、輸入し、販売されていた医薬品の数量、種類は膨大であり、これを医学的研究あるいは臨床において患者である一般国民に対し投与している医師の数も多数であり、その専門は区々に細分化され、その経験、知見の質及び量も多種多様であるばかりでなく、ことの当否は別として、開業医の標傍する診療科目は必ずしもその専門科目に限定されているわけではないうえ、診療に従事する医師は、診察治療の求めがあつた場合は、正当な事由がなければこれを拒んではならないとされている(医師法一九条一項)。そうしてみると、医師がその診療する患者の範囲を極度に限定し、その使用する医薬品もごく少数に限定すればよい、といつてみても、いわゆる国民皆保険下における医学の進歩と一般国民の寿命の伸びに伴う高齢化あるいは生活水準の向上に併行する健康への関心度の高まりが周知のこととなつている今日の我国においては、不可能事に属することといわなければならない。すなわち、右のように当該医薬品を投与され服用する側の一般国民ばかりでなく、これを投与し服用させる側にある、いわゆる開業医を中心とした一般臨床医にとつても、膨大な種類と数の医薬品に関する各種の情報は、製薬会社からのものを信頼する以外にその安全性を確認するすべを有しないのが通常といえよう。
以上に対比し、製薬会社は、多数にのぼるとはいつても、その製造し、輸入し、販売する医薬品の数は、各社当たり自ずから限定されるうえ、前記のような正確で十分な医薬品情報を現に入手し、あるいは将来も入手し得る用意もないのに、ある化学物質を医薬品と称し、漫然と国民一般の生命、健康の維持、増進に役立たせるとして、利益を挙げる目的の下に、製造し、輸入し、販売することが是認されるべきいわれはないのである。
被告吉富及び同小野は、医薬品の副作用の疑いが動物実験や病理学的、生化学的な検討など基礎医学的研究によつて科学的根拠をもつて合理的に推認されるものと評価された段階で、初めて製薬業者はこれに対処する法的義務を負うと主張しているが、これでは遅きに失することが明らかであり、むしろ右のような疑いが科学的根拠をもつて否定されない以上は、直ちに結果回避措置を講ずべき義務が生ずるものというべきである。
三 輸入業者及び販売元業者の注意義務
以上の説示は医薬品の製造販売業者に典型的に当てはまることであるが、自ら医薬品の製造を行わない輸入販売業者にも等しく妥当するといえる。このことは、薬事法が医薬品についての各種許可・承認に関し製造販売業者と輸入販売業者とを同等に取り扱つていることからみても明らかであろう。
ただ、輸入業者は医薬品の開発、製造の過程に関与するものではないから、この点で注意義務の内容にやや異なるところがあるにすぎない。すなわち、輸入業者は、輸入販売の開始に先立ち、輸出製造元に対し当該医薬品の開発過程における必要資料の開示を求め、物質自体についての科学的資料や前臨床試験及び臨床試験結果等の資料を自己の責任で収集、調査、検討し、さらに自らが内外の文献についての収集、調査、検討や試験などをも実施して、その有効性及び副作用の有無、程度等を確認する義務もあるというべきである。
次に、被告武田が同吉富の輸入し(レゾヒン)、または製造し(エレストール)たこれらクロロキン製剤を、また被告稲畑が同住友の製造したキニロンを、それぞれ国内で一手に販売していたことは、前記のとおり争いのないところであるが、被告武田は、医薬品の開発、製造に何ら関与しない販売業者には、その保管、管理面での責任はあつても、医薬品の安全性に関する責任はないと主張する。しかしながら、<証拠略>によれば、被告武田と同稲畑とは、ともに右各医薬品のいわゆる販売元として、我国における同商品の流通根源に位置し、そもそも右被告両名の各販売活動なしには、同商品である右各医薬品は、その出発点において流通経路に乗ることができず、かくては、製造業者としては同各医薬品を製造したことの意味を実質的に喪失するとともに、最終消費者としては、これを一切入手できない事態に逢着するのであり、右被告両名は、製造者と消費者との中間に位置する単なる卸小売業者とは全く異質の存在として、まさに製造業者自身が自ら当然に予定し、通常ならば自らが行うはずの販売活動の面を当該製造業者の外において、これと密着した販売元として担当しているものであることが認められるから、右被告両名は、いずれも、まさに製造業者に等しいか少なくともこれに準ずる立場にある者といわなければならない。そして、民事上製造業者に対し医薬品の安全性確保のための種々の注意義務が課せられるのは、製造業者がただその製造、開発の過程に関与するからではなくて(このことは、輸入販売業者にも前記義務が課せられることにかんがみても明らかである。)、前記のとおり、医薬品という、常にそれ自体が副作用という生命、身体、健康に対する危険性を包蔵する特殊な商品を販売して利潤を挙げている者と、それを使用する、あるいは使用せざるを得ない最終利用者である医師ないしは一般国民との立場、利害等の相違や安全性確保能力の有無等を考慮した結果に基づく衡平の見地に立脚するものなのである。この見地からみる限り、販売元である右被告両名は、薬事行政上の規制において、製造業者や輸入販売業者との間に相違するところがあつても、その負うべき民事上の注意義務の程度、内容において、製造業者や輸入販売業者と少しも違わないというべきであり、医薬品を、いわば出発点に位置して国内の流通に置くという点では、右被告両名も輸入販売業者と実質的に同等である。したがつて、右被告両名は、輸入販売業者の前記注意義務と同じ内容の安全性確保義務を負うものというべきである。
<証拠略>は、販売元としての販売業者の法的責任の有無には何ら触れていないものであつて、その責任を否定する趣旨のものではない。
なお、被告吉富、同武田は、レゾヒン、エレストールを含むバイエル医薬品の学術宣伝、情報収集等の事務は昭和二九年八月頃以降被告吉富の一部門であるバイエル薬品部が、昭和三七年七月以降はバイエル薬品会社がそれぞれ行つてきたと主張する。
しかし、医薬品の安全性に関する前記注意義務は、当該医薬品の製造(輸入販売)業者及び販売元としての販売業者の各自が負つている義務であつて、その義務の一部である副作用情報の収集活動を自己の都合上第三者に対し委託すること(すなわち、バイエル薬品部は被告吉富の企業内の一部門であるから、同被告にとつては特にいうべきことはないが、被告武田との関係では同被告は右事務を被告吉富に委ねたことになり、また、昭和三七年七月以降にあつては、被告吉富も同武田もその各右事務をバイエル薬品会社に委託したことになる。)は、何ら差し支えないことであるといえようが、対最終使用者との関係においては、右委託の事実をもつて法律上自己の責任が解除されるものとすべきいわれはないし、バイエル薬品部(つまり被告吉富)及びバイエル薬品会社の情報収集活動等は、それぞれ、被告武田の義務に属する事務、あるいは被告吉富及び同武田の義務に属する事務の各履行補助者としての活動にすぎないものである。それゆえ、これら委託関係者間の内部関係は別として、対最終使用者との関係では、当該医薬品の副作用情報収集義務の履行の有無とか副作用の知、不知といつた責任要件に含まれる主観的、客観的事項は、右被告両名を中心に考えれば足りるものといわなければならない。
第四被告製薬会社のク網膜症の予見
一 動物実験によるク網膜症の予見可能性
被告吉富が昭和三〇年から同三三年にかけて、レゾヒンにつきエリテマトーデス、慢性関節リウマチのような長期の治療を要する疾患及び腎炎をその適応に加えて発売した際に慢性毒性試験を行わなかつたことは、原告らと被告吉富、同武田との間で争いがなく、その余の当事者間においては、<証拠略>によりこれを認めることができる。
しかしながら、前記のとおり、ある医薬品を人に投与した場合に起こり得る副作用を動物実験によつて一〇〇パーセント予知することはできない。
そして、<証拠略>によれば、昭和三六年以前に、臨床使用に先立つて長期の動物試験を行う必要があるという意見を少なくとも公表した者はなく、医薬品に対する安全性への認識は副作用による犠牲の代価として得られたもので、その結果として毒性試験の重要性が認識され、かつ、実施されるにいたつた(長期毒性試験の意義の第一は、医薬品が人体に連続して与えられたときに、もし有害な影響が生ずるとすれば、それはどういうものかを予知せしめることにある。)こと、厚生省当局も、昭和三七年以降、新医薬品製造承認申請の際には、長期間連用されるものは必ず慢性毒性資料も考慮すべきであるとするようになり、さらに昭和四一年以降、遅くとも後記の「医薬品の製造承認等に関する基本方針について」が発出された頃までには、毒性に関する資料については、急性毒性資料のみでなく、慢性毒性資料も考慮すべきで、後者についてはその試験のもつ意味からみて、単にある一定量のみの試験だけでなく、でき得る限り投与量を段階的にとり、期間も少なくとも三か月、必要と認める場合には六か月以上継続すべきであり、これら毒性試験において、異常と思われる所見が得られた場合にはさらに精密な観察とそれに対する考察が加えられていなければならない、とするにいたつたことが認められる。
右事実によれば、現実の問題として(したがつて製薬会社の義務の有無とは無関係であるが)、我国で動物による長期毒性試験の重要性が認識されるようになつたのは昭和三七年以降であつたというべきである。
ところで、<証拠略>を総合すると次の事実を認めることができる。
すなわち、仮に現在の時点でクロロキン製剤が開発され安全性が検討されたとしても、ク網膜症を動物実験で予知し得たかを考えると悲観的にならざるを得ない、という見解があり、外国では、ホツブスらが昭和三四年に、意図的に動物にク網膜症を発症させようと試みて成功せず、その後同三九年になつて成功したが、その成功した者のうちの一人は、同四二年になつて、動物にク網膜症を発症させることは概してきわめて困難であると述べていること、及び医薬品の効能、効果の有無についてのいわゆる二重盲検法(ダブル・ブラインド・テスト)は、今日でこそ、一般にもきわめて当然の薬効判定法として受けとられているけれども、これが実際に普及定着して採用されているといつてよい状況となつたのは、実にようやく昭和四五年頃になつてのことであつたことが認められる。
したがつて、被告吉富、同武田(ばかりでなく他の被告製薬会社のいずれについても同様であるが)に対し、レゾヒンの適応にエリテマトーデス、慢性関節リウマチのような長期の治療を要する疾患や腎炎を加えて、同被告らがこれを販売した昭和三〇年ないし同三三年頃の段階で、動物実験によつて右各疾患の治療に見合う期間の慢性毒性試験を行うべきことを期待することは不可能であつたとみるべく、また仮に同被告らが右動物実験を行つたとしても、その実験結果からク網膜症の発症を予知することはできなかつたものと考えざるを得ない。そして、また二重盲検法によつた効能、効果の有無についての判定結果を、右の当時において、各製薬会社に要求しても無理であつたとせざるを得ない。
二 外国文献による被告製薬会社のク網膜症に対する予見可能性
ところで、前記のとおり、外国では、クロロキン製剤について、腎炎等の腎疾患はその適応とされていなかつたし、被告製薬会社は医薬品の製造、輸入の後、販売開始まで及びそれ以降においても、それぞれ、前記の注意義務を負うべきものである。そして、これも前記のとおり、昭和三三年八月すなわち被告吉富がレゾヒンIの適応に腎炎を加えた時点より以前の外国文献によれば、クロロキン製剤は、本来抗マラリア剤として開発されたものの、エリテマトーデス等の皮膚疾患の治療に用いられるに及んで、その長期、大量の服用がもたらす可能性のある、重篤な結果すなわち失明にいたるかも知れない眼障害は早くから注目されており、昭和三四年一〇月の「ランセツト」誌上にホツブスらの論文とフルドの書簡が発表されるよりはるか以前の時点、すなわち昭和二三年五月において、アルビングは、クロロキン製剤によるマラリアの抑制、治療においても比較的多量の使用で眼に副作用の発生することを報告し、次いで昭和三二年においてはクロロキン製剤による皮膚疾患治療において、亜急性エリテマトーデスの二人の患者にクロロキンは重篤な眼底変化を引き起こすことが懸念されたが、これは証明されなかつたこと、しかし、この患者の双方に視野の重篤な狭窄が引き起こされたことが報告され、右報告当時長期にわたつて毎日一定量のクロロキンを服用している患者に対しては視野検査がなされていることも明らかにされており、さらに昭和三二年の我国文献111においては、同年に前記昭和二三年のアルビングの報告が紹介されたが、昭和三三年六月発行の「ランセツト」誌上で、ホツブスとカルナンは、クロロキン製剤がこれを服用した患者の視力を次第に失わせていくかも知れないことを示唆するのと併せて、クロロキン製剤によるとみられる眼の変化の進行と服用量との関係は明らかでないとしていたのである。ところで、昭和三四年一〇月のランセツト誌上におけるホツブスらの論文とフルドの書簡は、少なくともクロロキン製剤の長期大量投与による治療によつて、まれにではあるが、角膜障害のみならず、不可逆性の重篤な網膜障害の発生をみるにいたることを殆ど疑う余地なく明らかにしたのであるが、他方、クロロキン製剤の服用量、服用期間と右の網膜障害の発症との関係は、なお必ずしも明らかではなく、マラリア治療の場合のようなきわめて少量、短期間の服用の場合は別として、それ以外の用法・用量によるクロロキン製剤を用いての治療にあつては、右ク網膜症発症の危険との関係では安全であると必ずしもいいきれない状況となつていたのである。
しかも、既に昭和三二年の我国文献111においても、昭和三一年(一九五六年)までの多数の外国文献がレゾヒンの慢性エリテマトーデスに対する効果に関する研究論文として引用されているのである。したがつて被告製薬会社が右の昭和三三年六月の「ランセツト」誌上におけるホツブスとカルナンの報告を入手すれば(昭和三二年の我国文献111が右の時点までに被告製薬会社において入手可能であつたことはいうまでもない。)前記のようなクロロキン製剤の服用に伴う眼障害の問題状況を容易に知り得たであろう。
右の背景の下に、一九五九年(昭和三四年)一〇月にいたつて前記のランセツト誌上には、ホツブスの論文とそれに続くフルドの書簡が掲載され、ここにクロロキン製剤による網膜症の発症が明らかとなつたというべきであるが、右雑誌の入手に要する時間的余裕を考慮に入れても、被告製薬会社は、同三五年一月頃には、右ランセツトを入手し検討することにより、クロロキン製剤の連用による網膜症の発症を予見することは可能であつたと認められ、それ以後、年を追うごとに、その予見は容易になつていつたものということができる。
三 被告製薬会社が少なくとも現実にク網膜症を予見した時期
前記のとおり被告製薬会社は、いずれも前記の各注意義務を尽くしていたならば、クロロキン製剤の少なくとも長期連用によるク網膜症の発症を昭和三五年一月の時点で予見することが可能であつたのであるが、右被告製薬会社において右の義務を尽くしたことを認めるべき証拠はないから、被告製薬会社において右の注意義務に違反したことは明らかであつて、特段の事情のない限り、右義務に違反したためクロロキン製剤の服用によるク網膜症の発症を予見し得なかつたものというべきである。
したがつて、被告製薬会社が現実にク網膜症を予見した時期を確定することは必ずしも必要ではないが、被告製薬会社のうちには、ついにクロロキン製剤の服用によるク網膜症の発症の可能性を知らなかつたと主張するものがあるので、以下この点について検討する。
1 被告吉富は、昭和三六年初頭までにバイエル薬品部がドイツ・バイエル社から外国文献1、2及び10を入手し、昭和三七年一一月にはバイエル薬品会社が大木らの症例報告(日本文献8)を入手したことを自認している。また、被告武田、同吉富及びドイツ・バイエル社との三者間基本契約に基づき、被告吉富のドイツ・バイエル社から輸入する薬品を被告武田が国内で一手販売する関係にあつた旨の同被告の<証拠略>に照らせば、反証のない限り、ドイツ・バイエル社から被告吉富にもたらされる医薬品情報は、ただちに同武田にも伝達されたものと推認される。すなわち、被告吉富の輸入しもしくは製造したクロロキン製剤を一手に販売しており、その当時以前から自らも製薬を行つていた屈指の大手製薬企業であることが<証拠略>に照らして明らかな被告武田が、輸入、製造元である被告吉富の入手した前記のクロロキン製剤に関する重要な情報を終始知らなかつたとは到底考えられないのである。さらに被告住友及び同稲畑も昭和三六年一二月のキニロン発売当時主に外国文献2、7、10及び11を検討したことを認めている。
したがつて、右各被告製薬会社の代表者は、クロロキン製剤を長期連用するとクロロキン網膜症が発症する場合があることを、右各日時頃、現実に認識していたものと推認することができる。
ところで、被告小野は、キドラ発売の昭和三六年一月頃はむろんのこと、同四二年三月までク網膜症は知らなかつたといい、また被告科研もCQC発売の昭和三八年三月当時これを知らなかつたと主張している。
しかしながら、既述したところから明らかなとおり、昭和三八年三月までには、我国の国内でも既にク網膜症の報告があり、海外では相当数のク網膜症に関する文献が現れていたのであるし、昭和四〇年以降にいたつては内外にク網膜症に関する多数の文献等が蓄積されているのである。こういう中にあつて、リン酸クロロキンと類似化合物であるオロチン酸クロロキン(キドラ)、コンドロイチン硫酸クロロキン(CQC)等の製剤の製造会社が昭和三八年三月当時あるいは昭和四二年までク網膜症を知らなかつたなどとは到底認め難いところである。
2 <証拠略>によれば、被告科研は、次のような内容のCQCの広告を次の雑誌に掲載したことが認められる。
(一) 広告内容
本品はクロロキン塩基とコンドロイチン硫酸とを化学的に結合させたものでそれぞれの単独投与にまさる相乗効果が期待される。
非常に毒性が弱いので大量・長期投与に適す。従来のクロロキン製剤では相当高率に副作用(主として胃障害、稀に神経障害、網膜障害)が現われるが、CQCでは稀に軽度の一過性胃障害を認めるに過ぎない。
効果はやや遅効性であるが適確に現われる。長期投与が望ましい。
(二) 掲載雑誌
(1) 「日本腎臓学会誌」第五巻第二号(昭和三八年四月)及び第四号(同年一〇月)並びに第六巻第一号(昭和三九年四月前後)から第一一巻第六号(昭和四四年一一月)までの各号
(2) 「リウマチ」第四巻第三号(昭和三八年九月)及び第四号(昭和三九年二月)、第五巻第一号(同年一〇月)及び第三・第四合併号(昭和四〇年三月)、第六巻第一号(同年八月)第二号(同年一二月)附録号(昭和四一年四月)及び第四号(同年一一月)、第七巻第二号ないし第四号(昭和四二年)、第八巻第一号ないし第四号(昭和四三年)、第九巻第一号ないし第四号(昭和四四年)並びに第一〇巻第一号(昭和四五年五月)及び第二号(同年七月)
(3) 「診療」第一七巻第二号(昭和三九年二月)、第四号(同年四月)、第六号(同年六月)及び第八号(同年八月)
(4) 「日本整形外科学会雑誌」第三七巻第一号ないし第三号、第五号、第八号、第九号及び第一二号(昭和三八年)、第三八巻第一号、第三号、第五号、第七号及び第九号(昭和三九年)、第三九巻第一号、第三号、第五号、第七号及び第一二号(昭和四〇年)、第四〇巻第一号、第三号、第五号、第七号及び第一一号ないし一三号(昭和四一年)、第四一巻第一号ないし第九号(昭和四二年)、第四二巻第一号ないし第一二号(昭和四三年)、第四三巻第一号ないし第一二号(昭和四四年)及び第四四巻第一号ないし第五号(昭和四五年)
(5) 「皮膚科の臨床」第一〇巻第一四号(昭和四三年)、第一一巻第二号ないし第一二号(昭和四四年)及び第一二巻第二号、第四号及び第七号(昭和四五年)
(6) 「臨床整形外科」第三巻第五号ないし第一二号(昭和四三年)、第四巻第一号ないし第一二号(昭和四三年)及び第五巻第一号ないし第七号(昭和四五年、第七号は七月)
(7) 「臨床皮膚泌尿器科」第一九巻第一〇号ないし第一二号(昭和四〇年)及び第二〇巻第一号ないし第一二号(昭和四一年)
(8) 「臨床皮膚科」第二一巻第一号ないし第三号、第六号、第一二号及び第一三号(昭和四二年)、第二二巻第一号ないし第一二号(昭和四三年)、第二三巻第一号ないし第一二号(昭和四四年)並びに第二四巻第一号ないし第一二号(昭和四五年)
このように被告科研は、右の各医学雑誌に昭和三八年三月CQCを発売して以降昭和四五年の秋頃まで約七年間の長きにわたつて(なお、それ以後も右の各雑誌にCQCの広告を出してはいるが、前記内容部分は削除されている。)、自社のCQC以外のクロロキン製剤には副作用としてまれに網膜障害が現れる旨の広告宣伝をしてきたのである。したがつて、被告科研の首脳部がCQCの発売当時に少なくともCQC以外のクロロキン製剤によつては網膜障害が発生し得ることを認識していたと認めざるを得ないのは当然といえよう。この点に関し、同被告は、要するに「網膜障害」の内容を知り、かつ、十分に検討した上での表現ではなく、安易にこの言葉を使つたのだと主張しているが、当時の文献等の集積状況、<証拠略>によつて認められる同被告の企業規模(昭和二五年一〇月三〇日設立され、資本金は昭和三四年当時金九、八〇〇万円、昭和四〇年当時金三億六、七五〇万円)や文献、資料の設備、収集能力及び同被告が後記医薬品安全性委員会の委員であつたこと等にかんがみると、右主張は到底採用できない。そもそも高度の科学水準にある医薬品を自ら開発、製造する能力を有する製薬業者が、医学専門雑誌(したがつて、その読者は、当然、医学、薬学関係の学者、研究者及び臨床医師、薬剤師等の専門家であることが予想される。)に広告を掲載するに当たつて、右のように重要な、広告で強調したい点において、医学用語を意味もなく安易に使用し、それを七年間にわたつて続けたということは、全く信じ得ないことである。
なお、右広告内容に関連して、被告科研は、CQCにつき、肝、腎の保護の機能があり、それ自体腎疾患に対して有効性のあるコンドロイチン硫酸をクロロキンと結合させたことにより、クロロキンの毒性を緩和し、その副作用を防止するに足りるもので、その点で他社製品と異なるものである旨主張するが、本件全証拠によつても、両者の結合による治療効果の増強はともかくとして、それによりク網膜症という重篤な副作用を防止するに足りると信ずべき十分な根拠があつたものとは認められず、右主張も採用することができない。
3 また、前掲の各証拠によれば、CQCの右内容の広告が載つていた「日本腎臓学会誌」の第六巻第一号ないし第七号、「臨床皮膚泌尿器科」第一九巻第一〇号ないし第二〇巻第一号、「リウマチ」第六巻附録号に被告小野がキドラの広告を掲載していたことが認められる。一般に製薬業者としては、当然自社製品と競合する他社製品の広告に関心を抱くはずであるから、右の科研の広告の存在の事実からも、被告小野の代表者は、遅くとも昭和三九年四月頃には、クロロキン製剤により網膜障害が現れることを知つていたものと推認することができる。
4 次に、<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 東京医薬品工業協会(いわゆる東薬工)の機関誌である「東薬工会報」(会員への連絡、情報の交換、海外主要国の薬事事情や関係資料をも収集、整理して会員等に供する目的で刊行されているもの。)の第八八号(昭和三五年七月)に「ランセツト」(一九五九年(昭和三四年)発行の第二巻。なお、外国文献10及び11も同年発行の「ランセツト」第二巻に掲載されている。)に掲載されたカーズリーらのヒドロキシクロロキンによる関節炎の治療効果に関する報告が紹介されていて、副作用については要旨次のような記載がある。すなわち「本剤で治療を行つた四〇コースの中、八名の患者は若干の中毒症状を呈した。主な中毒症状は、消化不良、嘔吐、めまい、頭痛、視覚障害である。目のかすみ、暈輪はわずかに八名に現れただけであつたが、角膜混濁は三二名中一四名に見られた。……しかし、角膜混濁に対しては、十分注意しなくてはならないと警告している。」
(二) ところで、サリドマイド事件を契機に世界各国で医薬品の安全性確保が問題となつて、その安全対策がとられ、アメリカではハンフリー上院議員を中心として上院で医薬品の問題が討議されたり、我国でもその対策の一環として中央薬事審議会に医薬品安全対策特別部会が設けられるなどしたが、製薬業界でも自主的に、医薬品の安全性対策に関する意見の交換、海外における関係資料の収集や海外の同種機関との連絡を行う目的で、東薬工、大阪医薬品協会(いわゆる大薬協、被告製薬会社はすべて同協会の会員である。)の各委員からなる東西合同の「医薬品安全性委員会」が設けられ、大薬協側からは被告武田、同吉富、同小野及び同住友もその委員となり、昭和三九年五月一五日の第六回委員会からは被告科研も大薬協側の委員に加わつて、昭和三八年六月二〇日の第一回を最初に、以後およそ二か月おきに委員会が開催され(なお、同委員会は、昭和三九年九月一五日の第八回以降は東薬工、大薬協の上部団体である日本製薬団体連合会、すなわち日薬連の下部組織として運営されるようになつた。)、その時々の、内外の副作用情報の報告、FDA等海外機関の特定の医薬品に対する副作用警告やその規制の動向等の報告、関係資料の配付、これら報告に関する検討、さらには我国の医薬品安全性対策や薬務行政の動向に関する意見の交換、厚生省当局に対する要望のとりまとめ等広範な活動を行つてきた。
そして、厚生省当局は、右安全性委員会発足の当初から毎回必ず公務として、その懇談会(安全性委員会そのものではない。)に、時には薬務局長、大概は薬務局製薬課長や同課の事務官、技官が出席し、医薬品の各種情報交換、薬務行政上の措置の連絡等の場としてこれを利用していた。
(三) 昭和四〇年一月二一日開催の第一〇回安全性委員会において、同会の福地信一郎委員長は、「昨年一〇月頃にハンフリー上院議員から送付されてきたアメリカ上院における医薬品問題についてのレポートを見ると、多数の医薬品の安全性問題が取り上げられている。」旨の説明報告をしたが、同会には、被告吉富からは田坂元祐取締役外二名、同武田からは遠藤武男医薬事業部学術部長、梶原彊生物研究所第二研究部長、同住友からは山岡静三郎医薬事業部副事業部長兼技術部長、同小野からは亀谷英造常務取締役生産部長、オロチン酸クロロキンの製法の発明者で、当時研究室次長の山本勝美、同科研からは枝常がそれぞれ委員として出席していた。
そして、アメリカ合衆国議会上院における「政府活動調査委員会行政改革国際機構小委員会」議長ヒユバート・H・ハンフリーの一九六三年(昭和三八年)第八八回議会の聴聞記録第三部には、FDAが一九五五年(昭和三〇年)に着手した文献調査と病院診療所からの収集を主とする医薬品副作用報告計画(ARRP)のことが述べられており、その第五部には、NINDB(国立神経疾患失明研究所)のク網膜症の症例報告、FDAがアラーレンにつきウインスロツプに対し行つた行政的規制の経過、ウインスロツプが一九六三年(昭和三八年)一月作成し医家向けに発送した警告書、いわゆるデアー・ドクター・レター(なお、ウインスロツプが同年一月作成の原告ら主張の右医家向け警告書を全米の医師等に発送したことは、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、その余の当事者間においては<証拠略>によりこれを認めることができる。)が載つているほか、ク網膜症に関する、例えばその早期発見法や発症機序に関する「メデイカル・レター」一九六二年(昭和三七年)一二月二一日号、「JAMA」の一九六三年(同三八年)六月八日号及び同年七月二〇日号等が証拠資料ととして示されているとともに、米国国立医学図書館が一九六四年(昭和三九年)三月三日付けで作成したク網膜症に関する文献表(そこには、外国文献2、3、4、8、9、11、14、15、16、19、21、22、23、24、25、27、28、29、30、33、36、37、40、42、57、前記のカーズリーの報告や日本文献1、8等も登載されている。)が添付され、そして、右第三部は昭和三八年四月五日に、右第五部は昭和三九年一一月一一日に、いずれも昭和三一年九月五日の日米間の「公の刊行物の交換に関する取極」(交換公文)によつて日本の国立国会図書館が米国から受領している。
(四) そして、ウインスロツプが前記レターを発送するまでの経緯のあらましは以下のとおりである。
クロロキン製剤アラーレンの製造業者ウインスロツプは、一九五九年(昭和三四年)五月二二日のFDAの、アラーレンの製品説明書にリン酸クロロキンによつて角膜症が発症する事実を記載せよとの勧告に基づき、同年六月一二日外国文献3、5、6、7、前記カーズリーの報告等を引用して右説明書の改訂をFDAに申請し、かつ、その承認を得て、同年一一月作成の説明書にその旨並びに暈輪が発生したなら定期的眼検査をし、その症状によつては投与量を減少しまたは投薬を停止すべきである旨記載した。
次いでウインスロツプは、一九六〇年(昭和三五年)五月一八日FDAに対しアラーレン(リン酸クロロキン)、プラキニール(硫酸ヒドロキシクロロキン)につき、眼障害を記載した文書をその二つ折り、説明書の中にそう入することを約し、そのそう入文書の原案において、角膜症(外国文献5、6、7、を引用)のほか、アラーレンについて、「網膜血管の反応が、おそらく特異体質に関連しており、そしてキニジン、サリチル酸塩、その他のある物質で観察されるものに匹敵するのであろうが、エリテマトーデスあるいは関節炎の治療のために最低三年九か月、毎日一〇〇~六〇〇ミリグラムを服用していた三人の患者で発生したと報告された(外国文献10引用)。黄斑部の病変と狭細化した網膜血管及びそれらが引き起こす暗点視と視野欠損は投薬を中止すると進行を停止した。もし暈輪、ピント合せの困難、あるいは霧視が発生したら、定期的に眼を検査すべきである。……今日まで、何らかの角膜あるいは網膜変化が、プラキニールだけを服用していた患者において発生したとは報告されていない。」と記述したのであつたが、FDAは、同年六月三日ウインスロツプに対し、ホツブスらの右論文は、「角膜変化がヒドロキシクロロキン(プラキニール)だけを服用した患者では未だかつて報告されたことはない。」との右記述に反するもので、右記述は適切な改訂が必要であると注意、指摘したうえ、これら薬剤の安全なる処方を確保するため、上記重要情報を医師に伝達すべき諸措置が直ちにとられねばならないと信ずると通告した。ウインスロツプは、FDAに右指摘点の誤りを認め、遺憾の意を表し、かような経過を経て、アラーレンの製品カード、二つ折りには右原案と大体同文の記載がなされたが、一部が、例えば、「黄斑部病変と狭細化した網膜血管とそれらによる暗点視と視野欠損は明らかに非可逆的であつたが、治療の中止で進行を止めた。今日まで何らかの網膜変化がプラキニール……だけを服用していた患者に発生したことは報告されていない。しかしながら、更に臨床上の経験を積めば、そのような副作用がどのような4―アミノキノリン化合物でもまれには起こることを示し得るかも知れない。」というように記載を訂正、追加した(この訂正追加記載は、前記のホツプスらの論文と対比して読むと、その内容に忠実に従つていることが明らかであつて、このことからも、昭和三五年の時点で既に右論文の学問的価値はもはや否定したり、無視したりすることのできないものであつたことが十分にうかがえるであろう。)。
その後、一九六二年(昭和三七年)八月二日FDAとウインスロツプとの間でアラーレンの説明書改訂の話し合いがもたれ、ウインスロツプは、同年八月八日FDAの提案に沿つた添付文書、製品カードと製品説明書の原文と網膜毒性についての公刊された報告類をFDAに提出したが、原文の網膜障害に関する記載は次のとおりであつた。すなわち「網膜変化は網膜血管の狭細化、黄斑部病変(浮腫領域、萎縮、異常な色素沈着)、乳頭の蒼白、網膜色素沈着からなり、多分特異体質あるいはその他の未知の要因によるであろうが、長期クロロキン治療(通常は二年あるいはそれ以上)中に発生するまれなものとして報告されている。それらの大部分は非可逆的であるとみられている。これらの合併症は、キニーネ、キニジン、サリチル酸やいくつかのその他の物質で観察されるものと比較可能であり、その薬剤の直接的な毒作用とは思われない。なぜなら数人の患者は六年以上にわたつて網膜変化の進展を伴わず五〇〇グラム(二五〇ミリグラムを二、〇〇〇錠)程服用したからである。夜盲症と視野欠損を伴う暗点視の他覚的な症状は、例えば単語が消えることによる読書困難、対象が半分しか見えないこと、もやのかかつた視力と眼前の霧をもたらした。視野欠損は、ほとんど常に二年あるいはそれ以上の間治療をした患者でのみ発生したし、網膜症を伴つていたが、網膜(眼底鏡的な)変化を伴わない暗点視の三症例が報告されており、一年あるいはおそらくそれ以下の治療の後である一人を含んでいる。これらの症例は、この薬剤に長期治療中に初期変化を検出するための定期的な視野検査を勧めるべきことを強調している。現在にいたるまでプラキニールだけを服用している患者に網膜変化または異常な視野変化が発生したことは報告されていない。しかしながら、より臨床的な経験を積めば、そのような副作用が4―アミノキノリン化合物のどのようなものでもまれには発生することが示されているかも知れない。どのような抗マラリア化合物によるものでも長期治療が考えられたら、最初と定期的な眼科学的な検査(細隙灯、眼底、視野検査を含む)を勧める。角膜変化が発生したなら(それは可逆的であると考えられ、時としては治療を継続してさえ消えて行く。)、薬剤を中止することの利益を、各々の症例において治療の継続から生じ得る治療上の有益とを比較考量すべきである(時としては重篤な再発が中止後にある。)。視野あるいは網膜変化の証拠がある時は、薬剤の投与は即時中止すべきである。」というかなり詳細な改訂原文であつた。
それにもかかわらず、FDAは、同年一〇月五日ウインスロツプに対し次のように改訂するよう案を示した。すなわち、それは、
(1) 右原文中で、網膜症については特異体質だけでなく、総投与量並びに直接的毒作用にもおそらく関係するものとして記述さるべきである。この毒作用が「通常二年以上」(の投与)後生ずるという点は、数か月から数年以内にも発生すると変えられるべきである。網膜障害の内容についても完全に記述し、「網膜血管」の狭細ではなく、「網膜細動脈」の狭細とし、また、単に「乳頭の蒼白」というだけでなく、斑点状の網膜色素沈着、視神経萎縮を含めるべきである。
(2) 視野欠損は、中心周囲型と輪状型とがあり、位置としては典型的には側頭部に出現する。これは視力喪失と同様、投薬中止後も進行していく可能性があるということが強調されなければならない。視野欠損は「大部分は非可逆」という代わりに、「実際上非可逆」と記述さるべきである。単に「望ましい」ということではなく、当初の基準と最小限専門家による検眼鏡検査、細隙灯検査、視野検査を含む三か月ごとの完全な眼検査の「必要性」が明確に強調されなければならない。
(3) プラキニールも網膜病変、視野変化、失明を惹起し、あるいは増悪させることがあることが認められるべきである。「現在にいたるまでプラキニールだけを服用している患者に網膜変化または異常な視野変化が発生したことは報告されていない。」という文章はもはや正しくない、等々の厳しい、かつ、きめ細かな勧告案であつた。
かくして、ウインスロツプは、同年一一月二三日FDAに対し、アラーレンの製品解説書、添付文書、製品カードを改訂し、FDAの右勧告指示に全面的に従つて、網膜に副作用が発生するという警告を強調して記載した旨伝え、同時に改訂済みの右解説書を添え状(つまりドクター・レター)と同封して全米の一般開業医、専門家、整骨医を含む約二三万二〇〇〇人の実務家に対し郵送するとして、右添え状の文案を提出したが、これに対してもFDAは、同年一二月一二日ウインスロップに右文書と封筒にそれが何であるかわかるように「薬品警告」と記し、併せてその文書の目的がリン酸クロロキンの眼に与える影響に関する危険性を医家に警告することにあることをはつきり示しているように冒頭部分を書き直すべきであること、貴社が勧めている眼科的検査の重要性を強調すべきであることを勧告した。
およそ以上のような経緯を経て、ウインスロップは前記デアー・ドクター・レターを発送したのであつた。
(五) その後昭和四〇年五月一八日、前記医薬品安全性委員会の第一二回委員会が開かれたが、同委員会の懇談会に出席した薬務局製薬課長豊田勤治(昭和三九年八月から昭和四二年九月まで同地位にあり、昭和四五年一一月から薬務局参事官、昭和四八年八月から昭和五〇年四月まで薬務局審議官)は、昭和三九年九月頃以降リウマチ治療のためにレゾヒンを買薬して服用していたところ、昭和四〇年四月頃医薬品安全性委員会の委員長である福地信一郎から同年三月に開催された日本リウマチ学会で不可逆性のク網膜症の症例報告があつたとして、その報告の抄録を受け取つたので、自分の視力が同年一月頃から急に衰えたのもレゾヒンのせいかも知れないと思い、その服用を止めた。そして同課長は、右懇談会の席上、ク網膜症の症例報告のあつたことと自己の右体験を述べ、かような医薬品を一般薬局で自由に手に入れることができてよいものか否か、この安全性を今一番確かめる必要があるか否か薬務当局も考慮中であり、企業側でも情報があつたら当局に知らせてほしい旨述べた。
そして、同日の委員会には、被告吉富(田坂ほか二名)、同武田(遠藤、梶原)、同住友(山岡ほか一名)、同小野(亀谷、山本)及び同科研(森川)の委員がいずれも出席した。
また、昭和四〇年七月八日の第一三回委員会、あるいは遅くとも同年九月二一日開催の第一四回委員会(出席者前同)で、「資料三八」としてFDAのARRB(副作用報告係)月報(一九六四年(昭和三九年)六月)が出席委員に配布され、同書には、リン酸クロロキン“アラーレン”の副作用として、黄斑部変性及び網膜周辺部の変性一例、網膜の黄斑部変性一例が記載されていた。
なお、第一四回委員会には、被告吉富(難波、中川)、同武田(遠藤)、同住友(谷川ほか二名)、同小野(亀谷、山本)及び同科研(舟木広研究所長ほか一名)の委員がいずれも出席した。
さらに、昭和四一年一一月九日開催の第二一回委員会では、「資料八五」として、高杉益充ほか「新薬の副作用に関する資料」、月刊薬事第八巻第一〇号(昭和四一年一〇月)が配付されたが、同委員会には、被告吉富(田坂ほか一名)、同武田(遠藤、梶原ほか二名)、同住友(石川、今井)、同小野(山本)、同科研(枝常)の委員が出席していた。そして右の資料には、クロロキン製剤とその副作用について、ク角膜症、ク網膜症のほか種々の眼障害等も記載されていた。
以上の認定事実によれば、被告製薬会社は、その自主的な組織である医薬品安全性委員会の活動をとおしても、昭和四一年末までに何度もク網膜症を知る機会があつたのであり、その機会にク網膜症の情報が自社の出席委員を通じて最高首脳部に伝達されたものとみるのが自然である。したがつて、昭和四二年三月までク網膜症のことを知らなかつたとの被告小野の主張は、採用するに由ないものといわざるをえない。
5 むしろ、<証拠略>によれば、被告小野は、昭和三五年一月三〇日オロトン酸(オロチン酸と同じ。)クロロキンの、同年三月二七日グルクロン酸クロロキンの、また昭和三六年五月一一日クロロキンペクチン酸塩の各製法特許の出願をし(前二者の発明者は山本勝美、後者のそれは同じく被告小野の研究員である郡誠二)、それぞれ認められて登録されたのであるが、その願書に添付した「発明の詳細な説明」において、いずれも要するに、クロロキンの副作用(食欲減退、船酔症状等と記してある。)の除去を目的として新しい化合物の合成に成功した旨記述してきたこと、山本は、オロチン酸クロロキンの合成研究に先立ち、出発原料の物理化学的性質を当時のケミカル・アブストラクト等で調べたことが認められるところ、被告小野がこのように特許出願の段階でクロロキンの副作用除去を強調している以上、その各合成研究、開発の際に、クロロキンの副作用につきかなり調査したはずであるが、これをいかに控え目にみても、クロロキンペクチン酸塩についての特許出願時までには、山本が調べたというケミカル・アブストラクト位は参照していたであろうと思われ、したがつて、右特許出願時、すなわち昭和三六年五月までには、同書の一九六〇年(昭和三五年)八月二五日号を調査したものと推測されるが、そこにはホツブスらの論文(外国文献10)も引用されているのである。
そして、被告小野の最高首脳部は、自社の研究部員の発明につき会社として特許出願を行うべきか否かの決裁をする際に当然当該発明の内容につき主務者の報告を求めるであろうから、その際ク網膜症の存在について認識する機会が十分にあつたものと推認することができる。
以上の事実に照らせば、被告小野の代表者においても、昭和三六年五月頃には、クロロキン製剤の前記のような短期、少量以外の服用によつてク網膜症が発生する可能性のあることを認識していたものといわなければならない。
<証拠略>中右認定に沿わない部分は採用しない。
第五クロロキン製剤による眼障害に対する被告製薬会社の措置及び同製剤に対する公的規制措置
一 厚生大臣及び厚生省当局がクロロキン製剤に対してとつた規制措置
1 厚生大臣は、昭和四二年三月一七日現行法施行規則の一部を改正して、クロロキン、ヒドロキシクロロキン、それら塩類及びそれらの製剤を劇薬に指定する(省令第八号)とともに、昭和三六年厚生省告示第一七号の一部を改正し、クロロキン、その誘導体、それら塩類及びそれらを含有する製剤を要指示医薬品に指定し(告示第九六号)、これを同年四月一七日から適用した(ただし、同年九月一七日までは現行法五〇条九号の規定は適用しないものとした。)。
2 その後、昭和四四年一二月二三日厚生省薬務局長は、各都道府県知事にあてて、クロロキン、その誘導体またはそれら塩類を含む製剤につき、「本剤の連用により、角膜障害、網膜障害等の眼障害が、……あらわれることがあるので、観察を十分行ない、異常が認められた場合には投与を中止すること。なおすでに網膜障害のある患者に対しては本剤を投与しないこと。すでに肝障害又は重篤な腎障害のある患者に対し本剤を用いる必要がある場合には、慎重に投与すること。……」等の使用上の注意事項を定めたうえ、医薬品製造業者、輸入販売業者、薬局及び医薬品販売業者等を指導し、その周知徹底をはかるよう通知した(薬発第九九九号)。
(以上1、2の事実は、原告らと被告製薬会社及び同国との間に争いがなく、その余の当事者間においては<証拠略>によりこれを認めることができる。)
3 <証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
厚生大臣は、昭和三七年以降我国においてもク網膜症の症例報告が増加してきた(厚生大臣の認識件数は、昭和三七年一件、昭和三八年四件、昭和三九年二件、昭和四〇年九件、昭和四一年八件の合計二四件)ので、放置しておいてはこれが増大するとの認識に立ち、クロロキン製剤を劇薬、要指示薬とすべく、遅くとも昭和四二年の初め頃にその準備に着手し、クロロキン製剤を、慢性毒性の強いもの、すなわち、長期連続投与した場合機能または組織に障害を与えるおそれのあるもの(劇薬指定基準第二)として、具体的には重篤な網膜障害を伴うとの理由で、劇薬に指定するとともに、使用期間中に医学的検査がなければ危険を生じやすいもの(要指示薬基準第二)として、要指示薬とした。このことは、薬事公報(昭和四二年三月二一日)に掲載され、かつ、薬事局長から各都道府県知事あてに通知(同年三月二七日薬発第二〇五号)された。また前記「使用上の注意事項」については、既に昭和四四年五月一六日の段階において関係メーカー間の折衝で製薬会社側の一応の文案ができていて、その後、医薬品安全性委員会と厚生省側との検討により定められ、これが、後記のとおり被告製薬会社の各能書等にも記載されたのみならず、昭和四五年二月二一日発行の「日本医事新報」に、スルフアミン製剤等の使用上の注意事項(2)IVとして掲載された。
二 能書等の添付文書と眼障害、特にク網膜症の警告の記載
1 レゾヒン及びエレストール
(一) レゾヒンの能書
(1) レゾヒンIの昭和三〇年九月発売以降昭和四二年七月までの能書、レゾヒンIIの昭和三五年一〇月発売から昭和三七年一月までの能書には、いずれも副作用として眼障害の記載はない。
(2) レゾヒンIIの昭和三七年二月以降昭和四二年五月までの能書に、「本剤は腸溶性のため胃障害はほとんど見られないが、体質によつてはまれに下痢などの胃障害または眩暈、頭重、悪心、眼精疲労様症状などの神経症状も連用時には見られることがある。しかし、概して一過性で一時休薬することにより、数日以内に消失することが多い。」との記載がある。
(3) 昭和四二年八月以降のレゾヒンI及び同年六月以降のレゾヒンIIの各能書になつて、初めて「長期連用の際まれに見られる眼障害(角膜症、ごくまれに網膜症)を早期発見するため、三~六ヵ月おきに眼科的検査を行うことがのぞましい。」と記載された。
(4) 昭和四五年五月以降の能書(I、II共通)の用法・用量の項に、「なお、本剤の連用による角膜障害、網膜障害等の眼障害を防止するため、本剤を長期連用する場合には、三~六ヵ月おきに眼科的検査を行うことが望ましい。」と記載され、そして使用上の注意として、前記昭和四四年一二月の厚生省薬務局長通知にある使用上の注意事項と同一の記載がなされた。
(5) 昭和四八年二月以降の能書(I・II共通)になつてからは、さらに眼障害の予防の具体的方法が記載されるようになつた。
(二) レゾヒンの二つ折り
(1) レゾヒンIIの昭和三六年七月以降の二つ折りに前記(一)の(2)と同一の記載がある。
また、昭和三九年九月以降のレゾヒン(I・II共通)の二つ折りには、「長期連用中に、かすみ目、強い眼精疲労などの症状があらわれたならば、精密な眼科検査を行なうことが望ましい。かかる症状は、特別に治療を施さなくとも、通常は、休薬によつて消退する。」と記載されている。
(2) 昭和四〇年六月以降の二つ折り(I・II共通)には、副作用として、「レゾヒンを長期間投与する際にクロロキン剤に共通して、角膜沈着(ごくまれに網膜沈着)が人により生じ、眼精疲労、まぶしさ、かすみ目などの症状を伴う。これらは通常治療中止後四~八週間で消退する。眼症状を早期に発見するため、長期連用者には三~六ヵ月おきに眼科的検診を行なうことが望ましい。」と記載されるとともに、使用上の注意として、「長期連用の際、時として見られる眼障害(角膜症、まれに網膜症)を早期発見するため、三~六ヵ月おきに眼科的検査を行なうことがのぞましい。」と書かれている。
(3) そして、昭和四五年二月以降の二つ折り(I・II共通)には、右(2)の副作用の記載のほか、前記昭和四四年一二月の厚生省薬務局長通知の使用上の注意事項と同一記載が加わる。
(三) エレストールの能書と二つ折り
(1) 昭和三五年一月発売から昭和四五年八月までの能書に眼障害の記載はない。
(2) ただ、昭和四四年七月以降の二つ折りには、「本剤は本来、長期連用する性質のものではないが、連用の場合、人によりクロロキン剤に共通にみられる角膜障害、網膜障害等の眼障害がみられることがある。従つて観察を十分行ない、異常が認められる場合は投与を中止すること。」と記載されている。
(3) 昭和四五年九月以降の能書と昭和四六年一月以降の二つ折りには、レゾヒンの能書(4)と同一の記載がなされた。
(以上(一)ないし(三)の事実は、原告らと被告吉富及び同武田との間で争いがなく、その余の当事者間においては<証拠略>によりこれを認めることができる。)
(四) ところで、<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
前記レゾヒンの昭和四八年二月以降の能書に記載された眼障害予防の具体的方法とは、次のとおりである。
「1)本剤の連用により、眼障害〔角膜表層の混濁(可逆性)、網膜変性(非可逆性)〕があらわれることがあるので、次のような注意をはらい、視力障害の早期発見に努めること。
(1) 本剤の投与に際しては、次の点を患者に十分徹底させること、
ア、本剤の投与により、ときに視力障害があらわれること、
イ、この視力障害は、早期に発見し投与を中止すれば、可逆的であること、
ウ、この視力障害は、新聞を片目ずつ一定の距離で毎朝読むことによつて早期に発見できること、
エ、視力の異常に気づいたときは、直ちに主治医に申し出ること、
(2) 本剤の投与開始前に、あらかじめ少なくとも視力検査及び外眼部検査を実施すること。開始前の検査で異常が認められた場合には、適当な処置を講じたのち、本剤を投与すること。投与中は定期的に眼の検査を行ない、異常が認められた場合には、投与を中止し精密な検査を行なうこと。
なお、簡便な眼の検査としては、次のような方法がある。
ア、試視力表を用いる視力検査
イ、指を用いる視野狭窄検査
ウ、中心暗点計による検査
エ、外眼部の視診
オ、眼底検査
カ、色盲表による検査
2) 視力障害は本剤の投与中止後においてもあらわれることがあるので、引き続き観察を行なうことが望ましい。
3) 本剤を腎機能障害のある患者に対して用いる場合には、排泄遅延がおこることがあるので、とくに視力障害に注意すること。」
なお、レゾヒンの昭和四五年三月以降の二つ折り(I・II共通)には、「眼障害」として独立の項が設けられ、「本剤による角膜障害は、ほとんど視力障害を伴わず、又、投与中止により自然に消退する可逆性変化であるといわれている。主な自覚症状は虹視(裸電球の周りに虹が見えると訴えるもの)、霧視(眼がかすむと訴えるもの)などであるが、約半数にはこれらの自覚症状があらわれてこない。
網膜障害の発生率は低率であるが、網膜障害は大体において不可逆的と考えられている。しかし最近の見解によると、早期に発見すれば変化は可逆的であり、投与中止により回復する望みがあるといわれている。
網膜症状の初発症状として一般に広く認められているものは、黄斑部の変化および視野における傍中心暗点である。その他ERG、EOG、色覚検査などが早期診断に有効であるという報告もある。
角膜・網膜症状を早期に発見するため、長期連用の際には、三~六ヵ月毎に眼科的検査を行なうことがのぞましい。
検査の結果、異常が発見されたならば直ちに投与を中止すること。」と記載されていた。
2 キニロン
(一) 昭和三六年一二月の発売から昭和四二年二月までの能書に、「…かなりの用量を一年以上連用すると、視力障害…があらわれることがあります。これらの副作用は一般に治療継続と共に減少することが多く、また副作用が生じても使用継続することが出来る場合が多いので、就寝前に服用するとか…などである程度防ぐことができます。しかし本剤は医師の指導で服用することが望ましい。」と記載されている。
(二) 昭和四二年三月以降昭和四五年二月までの能書には、「…また稀に視力障害が…あらわれることがありますが、多くは大量に一年以上長期連用した場合にみられるものです。…これらの場合は用量を減ずるか、休薬することにより大部分は容易に消失します。」とある。
(三) 昭和四五年三月以降の能書に、右(二)のほか、前記昭和四四年一二月の厚生省薬務局長通知の使用上の注意事項と同一の記載がなされた。
(以上一ないし三の事実は、原告らと被告住友及び同稲畑との間で争いがなく、その余の当事者間においては、弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。)
3 キドラ
(一) 昭和三六年一月の発売以来昭和四二年四月までの能書等に眼障害の記載はない。
(二) 昭和四二年五月以降の能書に、「また、本剤を長期に使用する際に定期的に眼症状の検査を行なうことが望ましい。」とのみ記載された。
なお、同年七月以降の製品説明書にも「本剤を長期にわたり使用する際には、定期的に眼科的検査を行なうようにして下さい。」とある。
(三) 昭和四五年三月以降の能書及び同年八月以降の製品説明書に、使用上の注意として、前記昭和四四年一二月の厚生省薬務局長通知の使用上の注意事項と同一の記載がされるにいたつた。
(四) そして、昭和四七年五月以降の能書には、右(三)の使用上の注意のほか、後記「クロロキン製剤使用時の視力検査実施に関する注意事項」(以下「視力検査実施事項」という。)と同一の記載が加わつた。
(以上(一)ないし(四)の事実は、原告らと被告小野との間で争いがなく、その余の当事者間においては、<証拠略>によりこれを認めることができる。)
4 CQC
(一) 昭和三八年三月の発売から昭和四五年五月までの能書には、眼障害の記載はない。
(二) 昭和四五年六月以降の能書には、使用上の注意として、前記昭和四四年一二月の厚生省局長通知の使用上の注意事項と同一の記載がなされた。
(三) 昭和四七年九月以降の能書には、右使用上の注意のほかに、後記の「視力検査実施事項」と同一の記載が加わつた。
(以上(一)ないし(三)の事実は、原告らと被告科研との間で争いがなく、その余の当事者間においては、<証拠略>によりこれを認めることができる。)
三 被告製薬会社らの「クロロキン含有製剤についてのご連絡」と題する文書の配布
<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
前記厚生省薬務局長通知に基づき薬事関係者に対する行政指導が行われ、その後中央薬事審議会医薬品安全対策特別部会の会長名をもつて、昭和四七年二月五日各モニター病院に対しクロロキン製剤の副作用を同年三月一五日までに報告するよう依頼したところ、この間に一四件のク網膜症が報告されたので、厚生省当局は、中央薬事審議会の副作用調査会に諮つて、次のような「視力検査実施事項」を定めた。しかし、同調査会の委員であつた中島章は、右注意事項でク網膜症を完全に防止できるとは思つていなかつたが、少なくとも副作用を念頭に入れずに漫然使用することを防ぐという点で意味があり、かつ、何もしないよりは良いと考えていた。次いでクロロキン製剤を製造販売している被告吉富、同小野及び同科研ほか一二社(バイエル薬品会社を含む。)に対する行政指導により、右各社連名の、右「視力検査実施事項」を記載した「クロロキン含有製剤についてのご連絡」と題する昭和四七年四月付けの文書一二万通を作成させ、これを各社の関係医療機関等に送付させるとともに、同月二〇日発行の「日医ニユース」に、「―医家に謹告―」なる見出しの下に右文書の内容を掲載させたことが認められる。
「視力検査実施事項」の内容は次のとおりである。
1 本剤の連用により、眼障害〔角膜表層の混濁(可逆性)、網膜変性(非可逆生)〕が現れることがあるので、用法・用量に注意し、次の(1)の要領による検査を投与前および投与中定期的に実施し、視力障害の早期発見に努めること。もし異常が認められた場合には、直ちに投与を中止し、適当な措置を講ずること。
(1) 眼の検査には次の方法がある。
ア、試視力表を用いる視力検査
イ、指を用いる視野狭窄テスト
ウ、中心暗点計によるテスト
エ、外眼部の視診
オ、眼底検査
カ、色票による判別テスト
なお、視力検査は投与前から必ず実施し、その他の検査についても、できるだけ実施することが望ましい。
(2) 本剤の投与中は、以上の検査に加えて患者に毎朝新聞を一定の距離で片眼ずつ見させて、視力の異常に注意させること。
2 視力障害は本剤の投与中止後においても現れることがあるので、引続き観察を行うことが望ましい。
3 本剤を腎機能障害のある患者に対して用いる場合には、排せつ遅延が起こることがあるので、特に視力障害に注意すること。
第六被告製薬会社の前記各処置に対する評価とその注意義務違反の具体的内容
一 ク網膜症の発症に対する被告製薬会社の寄与
前記認定のとおり、クロロキン製剤の適応とする疾患はいずれも難病というに妨げなく、これらに対する対症療法としての治療薬も種々存在したが、いずれも特異的なものではなかつた。そしてクロロキン製剤はこれらに対する有用性を有するものともみられる状況にあつたが、しかし、それとともに、昭和三五年一月頃にはクロロキン製剤による副作用としてク網膜症発症の危険性の予見が可能であつた。
他方ク網膜症は、要するに、失明またはこれに近い状態にいたる不可逆性、かつ、進行性の重篤な網膜障害であり、しかも、クロロキン製剤の服用量、服用期間と右の網膜障害の発症とのいわゆるドース・レスポンス関係は、必ずしも明らかではなかつた。すなわち、マラリア治療のようなきわめて少量、短期間の投与の場合は別として、それ以外の用法・用量によるクロロキン製剤を用いての治療については、右網膜障害発症の危険との関係では安全であるとは到底いいきれない状況で、その服用量、服用期間と発症との相関関係については明らかでなく、そのうえ、ひとたび発症すると、投薬を中止しても進行することが多く、眼の自覚症状なしに突如発症することもあり、また、服用をやめた後になつて初めて発症することもある。早期に、すなわち網膜の変性(眼底、視力、視野等の異常)が現れるより前に、眼の異常を発見し投薬を中止すれば、可逆的な例もあるが、その早期発見の確実な検査方法は未だなく、この障害に対する治療方法もみいだされてはいない。クロロキン製剤を使用しながら、なおかつク網膜症の発症を完全に予防しまたは回避する唯一の方法としては、右のようにマラリア治療程度の短期間、少量の服用にとどめる以外に適切な医学的手段はなく、クロロキン製剤を長期に連用すれば、人によつては、その服用の前後もしくは服用中に十分適切な眼科的検査をしてもク網膜症の発症を防止することができない。すなわち、長期に連用するからには、ク網膜症は不可避的に発症する可能性があるのであつて、いいかえれば、クロロキン製剤は、これを長期連用する限り、その発症の危険性が常時存在していたのである。ク網膜症は、右のようなクロロキン製剤の服用に伴う重篤な副作用である。
もつとも、以上のことについては、昭和三五年一月の段階において、すべてが明らかになつていたというわけではないが、少なくとも昭和三三年六月までの外国文献によつて既に、クロロキン製剤を長期、大量に服用した場合には、眼障害発生の可能性があると疑うに足りる状況にあつたものということができ、その後の昭和三四年一〇月の「ランセツト」誌上におけるホツブスらの論文とフルドの書簡には、ク網膜症は明らかに不可逆性の視覚障害をきたし、時に失明にまでいたるおそれがあるかも知れない網膜症疾患であり、黄斑部障害、網膜血管の狭窄化とそれが引き起こす暗点及び視野欠損が特徴であつて、体質が関係しているかも知れないが、クロロキン化合物の使用量と重症度とはある程度の関連性を示しているところから、長期大量にわたる治療をしないことが賢明で、定期的な眼科検査を行つてコントロールすべき旨が指摘されていたのである。そしてその後にわたる内外の多数の研究が前記のように集積された結果として、前記の知見が得られるにいたつたものである。
右のとおり、被告製薬会社は、ク網膜症の発症の危険を予見した時点において、それが不可逆的で、かつ、往々にして重篤な結果をもたらすことをも当然認識し得たのであるが、当時、その発症の頻度は必ずしも高いものではなく、長期大量投与の場合が問題であると考えられていたうえ、その対応とする疾患の唯一の薬剤ではないにもせよ、相当の効果はあつたのであるから、昭和三五年二月頃から同四六年末(前記再評価の前であり、かつ、後記のとおりク網膜症についての前記の知見が臨床医学の実践における医療水準を形成するにいたつたものとみられる時期)頃までの間において、クロロキン製剤の有効性と副作用とを衡量した場合、副作用に十分注意しつつこれを用いるならば、有用な薬剤たり得るとすることも無理からぬところであつたということができる。そうすると、被告製薬会社が、ク網膜症の発症の危険性を予見しまたは予見し得た時点で、直ちにクロロキン製剤の製造、販売を全面的に中止しまたは既に販売された薬剤を回収すべき義務が生じたとはいえないし、また、その適応から腎炎その他の腎疾患、慢性関節リウマチ等のリウマチ疾患、エリテマトーデス、てんかん等を削除すべきであり、またはこれらの疾患を適応として販売してはならない義務があつたと直ちにいうこともできない。
ところで、右の各疾患の治療の場合には、前記のようなその疾患の性質からして、必然的に長期にわたらざるを得ず、クロロキン製剤で右の各疾患の治療効果を期待するからには、わざわざ長期連用を勧めるまでもなく、その投与が長期化し、服薬量も大量化することが臨床上まず当然に予想されていた事態であるといえ、現実にも原告患者らの服薬はいずれもきわめて長期にわたつている。したがつて事前に正確、かつ、十分な警告や指示のない限り、右のような慢性疾患の治療に従事する医師が、クロロキン製剤の投与を長期間継続することは、当然予想されることであり、まして、製薬業者からもたらされる能書その他により長期連用を勧められ、あるいはそれを否定する趣旨の記載が能書等にもない状況であれば、その臨床上の使用は、安易に長期化することをまぬがれない。なお、能書等において、継続投与の必要性が慢性関節リウマチ、エリテマトーデスのみについて述べられていても、他のリウマチ疾患あるいは的確な治療剤のない難病である腎炎その他の腎疾患やてんかん等の慢性的な疾患についても、同様であると受け取られるであろう。そしてそれは同時にその当時の臨床医学の実践における医療水準の形成とも無縁ではない。それゆえ、たとえ前記再評価以前の知見において、クロロキン製剤の前記各疾患に対する有用性が否定できなかつたとしても、その副作用であるク網膜症が重篤、かつ、不可逆的なものであることにかんがみ、被告製薬会社は、特に長期大量投与を防ぐ見地から、その時々の最高の科学水準に基づいて、副作用に関する最大限の正確、かつ、十分な情報とこれに則つた警告、指示を医師及び患者その他の一般国民に逐次可及的速やかに与えなければならないものというべきである。
ところが、<証拠略>を総合すると、被告小野、同科研は、その当初の能書等でキドラ、CQCの長期連用を勧め(この点は、原告らと右被告両名間で争いがなく、その余の当事者間では弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。)、被告小野は、能書上では昭和四七年四月まで、製品説明書では一貫して、疾患の性質上、長期連用が望ましい旨記載し、また、前記のとおり、広告においても長期連用して差し支えない旨を述べ、被告科研は、昭和四五年六月までの能書、パンフレツトで長期継続投与が望ましいと記載し、かつ、前記のとおり、広告においても長期投与が望ましい旨を述べていたことが認められるのである。
そして、<証拠略>によると、レゾヒンやキニロン等の能書には、直接連用を勧めるような文言の記載はないが、キニロンの能書及びパンフレツトには、「本剤は遅効性であり、継続服用を必要とすることが多く、時として胃腸障害のために継続困難なことが少なくありませんから、その欠点を補うため、『キニロン錠』は、腸溶性の糖衣錠になつています。しかも、胃腸障害もきわめて少なく、連用による充分な治療効果が期待できます。」と冒頭に記され、その用法・用量欄では、リウマチ様関節炎については継続投与の必要を、エリテマトーデスについては一か年またはそれ以上の継続投与で再発を防止することがそれぞれ記述されていたし、また、レゾヒンについても、その能書には、関節リウマチに関し、その長期投与によつて本質的な治療効果が期待できるとして、継続投与の必要が述べられており、そして、エレストールについては、確かに、レゾヒンの効果発現が比較的遅いため、その効果発現までの期間(投与後数週間)を速効性のエレストールで補うことを目的として、リウマチ熱、リウマチ様関節炎の治療に用い、治療開始後、通常四~八週間を経て、自覚症状が消退し、他覚症状にも改善の兆しがみられたら、徐々に減量し、レゾヒン単独療法(その長期療法あるいは長期投与可能で再発率の少ないレゾヒン単独療法と表現している。)に移行するとし、エレストールそのものの長期連用は予定していなかつたともみられなくはないが、その反面、レゾヒンの長期療法への移行を勧めるとともに、前記のエレストールの能書、二つ折りにおける眼障害の記載のごとく、エレストールの連用の場合も予期していて、全くこれを禁じていたわけではない。
要するに、被告製薬会社が提供していた右の情報による限り、クロロキン製剤を用いて右の各疾患に当たり、その効果を挙げるためには、その投与、服用は当然長期化するものと予想されており、したがつて、このこととクロロキンの薬理作用、すなわち前記のような排せつの緩徐性と体内蓄積性を併せ考えると、その長期投与、服用により大量のクロロキンが体内に残存することになるのは明らかであり、ましてや、腎疾患のゆえに排せつ能力の乏しくなつている患者の場合においては、ますますその体内蓄積傾向を強めることになつたはずである。そうすると、治療上の効果の面で長期連用が必要であつたとしても、やはりこれを勧めることによつて、ク網膜症の発症の危険を増加させることとなつたことは到底否定できない。
二 次に、以上認定説示したところに照らして、製薬会社の義務と予見可能性、回避可能性及び結果回避のためにこうずべき措置について考察する。
前記のとおり、製薬会社としては、その製造し、輸入して、その最終使用者たる医師、患者その他の一般国民に対して販売する医薬品については、それらが医師、患者その他の一般国民によつて使用される以前に、当該医薬品の効能、効果はもちろん、副作用をも含めて、自らの管理のもとに、厳格にして十分な、内外文献の収集、調査、検討をはじめとする諸般の試験等を実施し、できる限り広範で正確、かつ、十分な情報を確認、は握しておくべきものであるとともに、いやしくもその有用性について、客観的にみて、疑問があるかも知れないとみられるような医薬品が医師、患者または一般国民によつて使用されることのないようにすべきが原則である。
しかし、その有効性等の見地から被告製薬会社が、副作用の危険を冒して、クロロキン製剤の製造、販売を始め、さらにこれを継続する以上、しかも特にその副作用が重篤であると疑われるときは、自らその有用性が否定される可能性をも念頭におきながら、右の副作用についての調査、研究を尽くしたうえ、医師、患者その他の一般国民に対して正確、かつ、十分な副作用情報を逐次可及的速やかに提供して、その使用を誤りなからしめ、もつて副作用の発生を防止する義務を負うのであつて、具体的には、起こり得る副作用の性質、程度、特徴、症状、発現のひん度、検知方法、発症後の対処方法等を能書等の文書に詳細に記載し、さらにはその他の的確な方法例えば日刊新聞紙上への公告等をもつてこれを伝達すべきであつた。特に、クロロキン製剤の投与量とク網膜症発症との間の量的関係は明確にされていないとはいえ、長期大量投与がク網膜症発症の危険性を増大させることは明らかであつたし、慢性疾患への投薬はともすれば長期化しがちであることからすれば、右の副作用情報においては、長期連用、過剰投与を厳しく戒しめるべきであり、その警告、指示は、正確、十分な情報に則つてできる限り念入りになされるべきであつたといわなければならない。
なお、能書等に用法・用量が定められていても、それは薬剤が有効に作用する標準的な量等を示すものであり、他面臨床的な使用は、医師が個別具体的な状況に応じて、裁量をもつて決定していくのであつて、用法・用量はその目安を示すにすぎないともいえるから、特に慢性疾患に用いる薬剤については、副作用の警告が伴つていなければ、製薬会社の指示を超えた大量投与を招きかねないのであつて、用法・用量の指示は、それだけでは大量長期投与の防止にはならず、副作用対策の意味をもち得ないのである。まして、一般の国民による買薬使用が可能なときは、右の点についての製薬会社の周到、かつ、丁寧な指示がなされるべきはあまりにも当然のことといわなければならない。
三 被告製薬会社のなすべき措置
そこで、被告製薬会社は、ク網膜症発症の危険性の予見が可能であつた昭和三五年一月頃以降、またその後その発症の危険性についての詳細を逐次に認識するに応じて、その製造、輸入または販売するクロロキン製剤につき、次のような措置を講ずべき義務があつたと解すべきである。
すなわち、医師、患者らその他のクロロキン製剤を投与しもしくは服用する可能性のある一般国民に対し、まず第一に、
(一) 人によつては、長期連用するとク網膜症に罹患するおそれがあること、
(二) ク網膜症の重大性、すなわち、同症は失明または失明に近い状態にいたる重篤、かつ、不可逆の眼障害で、発症すれば治療の方法が未だないこと、
を警告し、その発症の危険性と重篤性を十分に認識させ、それにもかかわらず、医師には治療の必要上やむを得ず投与するか否か、また患者に対し右投与について所要の説明をするかどうかの点を、また患者にはその危険を受容するか否かを、各自熟慮、決定する機会を与え、さらに、投与、服用が疾患の治療上やむを得ないと判断される場合であつても、
(三) 不必要、かつ、漫然たる長期大量の投与、服用は絶対避けるべきこと、
また、それと併せて、
(四) 服用の前後を問わず、定期的な専門家による眼科検査を必ず行うこと、
(五) 何らかの眼の異常を自覚し、または検査で異常が発見された場合(角膜の異常が生じた段階でも)、直ちに投与、服用を中止すべきこと、
等を的確に指示し、この警告、指示を法定の添付文書である能書に記載するのは当然のこと、その他適切な手段方法で医師及び患者らに確実に伝達すべきであつた。そしてこれらのクロロキン製剤に関する諸般の情報が、被告製薬会社から、右のように正確、かつ、十分に、医師、患者その他の一般国民に対して、提供されていたならば、本件の各原告患者らの治療に当たる医師あるいは原告患者らは、それぞれの原疾患の程度がいかに重くても、また、医師が当該疾患の治療のために使用する医薬品の選択に当たつて広い裁量を有するとの立場をとるにしても、クロロキン製剤を使用しての治療を受けたり、施したりするにいたらなかつたか、たとえこれをするとしてもその長期連用を避ける等してク網膜症の発症を防止できたものと推認される。なぜなら、前記のとおり、クロロキン製剤が、対応とする各疾患に対する他の選択可能な薬剤(例えば、アスピリンやステロイド製剤)の数は少なくなく、しかもこれらに対比して、クロロキン製剤の有する副作用については、その内容の詳細において未だ明らかでない点が多く、副作用が発生した場合のその重篤さにおいては異なるところがないにしても、ク網膜症は、一たび発症したからには、その治療法はないうえ、不可逆、かつ、進行性で遂には失明あるいはこれに近い状態になることが避けられないばかりでなく、<証拠略>によれば、クロロキン製剤に関する副作用についての知見が、厚生省当局の行政指導による能書ないしは二つ折りの記載事項の改訂や、ク網膜症についての研究報告が増加し、その情報が医師、患者その他の一般国民に対して浸透するにつれて、クロロキン製剤の販売量(したがつて当然のことながらその使用量も)が急減していることが明らかであるところをみれば、臨床にたずさわる医師あるいは患者らが、前記各疾患の治療のためにするクロロキン製剤の使用を、ク網膜症のような重篤な副作用にもかかわらず、いわば絶対的に必要としたものではなかつたことを推知することができるからである。
したがつて、被告製薬会社が、前記(一)ないし(五)のとおり副作用とクロロキン製剤の服用についての警告、指示をすべき義務を尽くしていなかつた場合に、ク網膜症が発症したときには、可能な手段を尽くしてもなお障害の発生を防ぎ得なかつたであろうという特段の事情が存在することが明らかにされない限り、義務違反と結果発生との間に因果関係を認めるのを相当とする。のみならず、本件において原告患者らにつき右の因果関係の存することは後記のとおり明らかである。
しかるに、被告製薬会社は、さきに述べたところを除けば、それ以上には、自らの注意義務を自覚してクロロキン製剤の副作用について、これを回避するため前記警告、指示の措置を自らとらなかつたものであつて、被告製薬会社がわずかに行つた前記認定のような能書あるいは二つ折りへの記載あるいは「クロロキン含有製剤についてのご連絡」と題する文書の配布ないしは「―医家に謹告―」なる見出しの下における「日医ニユース」なるものへの掲載も、前記認定のとおり、厚生省当局の行政指導によるものであつたばかりでなく、医師、患者その他の一般国民に対するものとしては、不十分、不正確、かつ、不徹底でしかも時期を失したものであつたというほかはない。
四 さて、後記個別損害認定一覧表記載のとおり、患者である原告らのうち、最も早い時期にクロロキン製剤の服用をはじめたのは、寺田貞雄60(昭和三四年春から、エリテマトーデス治療のため、レゾヒンIを服用)であり、次いで亡谷原須美子27(昭和三四年一〇月から、多発性関節リウマチ治療のため、レゾヒンIを服用)、続いて上原義明75(昭和三五年二月二四日からエリテマトーデス治療のため、レゾヒンIを服用)、土生清水68(昭和三五年四月頃から、慢性腎炎治療のため、レゾヒンIIを服用)、笹木富士子5(昭和三五年七月一三日から、慢性エリテマトーデス治療のため、レゾヒンIを服用)であつたのであつて、その余の、患者である原告らは、それ以後すなわち昭和三六年以後になつてから、それぞれのクロロキン製剤を服用しはじめたのである。このようにして、原告患者らは、被告製薬会社が、その尽くすべき前記注意義務を尽くすことなく、かつ、前記の措置をとらないまま、クロロキン製剤を前記各適応を目的として、それぞれ、製造し、輸入し、販売し続けたため、後記個別損害認定一覧表記載のとおり、クロロキン製剤を服用し続ける結果となり、ク網膜症に罹患したものというべきである。
ここで、クロロキン製剤がエリテマトーデス及び関節リウマチに対して有用性があることが国際的には一般に肯定されていることに関連して検討を加えておくこととする。
原告患者らのうち、エリテマトーデスの治療のためクロロキン製剤を服用した者及び関節リウマチの治療のためクロロキン製剤を服用した者は、前者は個別損害認定一覧表笹木富士子5、高橋壽美子21、畔上とつき37、藤井虎之助44、寺田貞雄60及び上原義明75、後者は同表亡谷原須美子27、梅村武子30、坂井秀子59、小栗セツ74、豊永キヌ76、加藤志づゑ78及び亡中谷清子84の各原告患者らであり、右原告患者らがエリテマトーデスまたは関節リウマチの治療のため服用したクロロキン製剤は、レゾヒン、エレストールまたはキドラに限られている。そしてキドラ服用者は個別損害認定一覧表藤井虎之助44及び加藤志づゑ78の二名のみで、その服用を開始した時期は、昭和三八年三月以降であり、被告製薬会社は前記のとおり、昭和三五年一月頃、クロロキン製剤服用によるク網膜症の発症の可能性及びその症状の不可逆性、重篤性を予見し得たのであるから、クロロキン製剤の有用性を考慮しても、昭和三五年二月には、前記警告、指示等の措置をとるべきものであつたといわなければならない。
そうすれば、昭和三五年一月以前に既にクロロキン製剤であるレゾヒンIの服用をはじめていた原告寺田貞雄60(エリテマトーデスのため、同年春から)及び亡谷原須美子27(多発性関節リウマチのため、昭和三四年一〇月から)のうち、右の寺田貞雄60は、個別損害認定一覧表のとおり、昭和三五年二月以降も長期間にわたり大量のレゾヒンIを服用していること及び同原告の眼については、昭和三七年頃から夜盲を生じてはいるが、それ以前の眼障害を訴えた形跡のないこと、また、亡谷原須美子27は、個別損害認定一覧表のとおり、昭和三五年二月以降も長期間にわたり大量のレゾヒンI及びIIを服用していること及び同人の眼については昭和三六年春頃複視等の症状があつたが、それ以前の眼障害を訴えた形跡のないことからみると、右両名については、昭和三五年二月以後にク網膜症の発症をみたものでそれ以前に既に同人らがク網膜症に罹患していたものとすることはできず、この点を肯認する十分な証拠もないから、結局右両名は、昭和三五年一月以前にも右のレゾヒンを服用していたことがあつたからといつて、それがためにク網膜症の発症をみたものとするに足りず、むしろその翌月以後におけるレゾヒンIまたは同I、IIの服用によつてク網膜症に罹患するにいたつたものと推認するのが相当である。
五 次に、前記のとおりのレゾヒン、エレストール、キドラ、キニロン、CQCの能書の記載がいかに不十分、かつ、不徹底で、しかも時期を失したものであつたかは明らかといわなければならない。
1 まず、レゾヒンについていえば、「網膜障害」(または「網膜症」)という文言がはじめて使用されたのは、昭和四〇年六月以降の二つ折り(レゾヒンI・II共通)においてであり、法定の添付文章である能書に、早期発見のため三~六か月おきに眼検査を行うのが望ましいとの記載とともに右の文言が現れるのは、昭和四二年六月以降(レゾヒンII)及び八月以降(同I)においてである。しかも「不可逆」性が記述されたのは、さらにずつと後の、能書上では昭和四八年二月以降、二つ折りでも昭和四五年三月以降であつた(ともにI・II共通)。
レゾヒンIIの昭和三七年二月以降の能書及びI・IIに共通の昭和三九年九月以降の二つ折りには、確かに「眼精疲労様症状」あるいは「強い眼精疲労」なる記載はあつたが、これらの文言から重篤、かつ、不可逆な網膜障害を読み取ることは到底できないし、しかも前者の場合、「眼精疲労様症状」は神経症状の一例として掲げられているとみられ、また後者にあつては、「強い眼精疲労」などの症状が現れたならば「精密な眼科的検査」を行うことが望ましいと記述しながら、それに続いて、「かかる症状は、特別に治療を施さなくとも、通常は、休薬によつて消退する」とも併記され、通常は一過性であることがむしろ強調されていて、折角の「精密な眼科的検査」も影が薄れてしまつている。
そして、これら能書、二つ折りにつき一貫していえることは、眼科検査の必要性が強く要求されていないで望ましいという弱い表現に終わつていて、網膜障害の重大さ、恐ろしさが読む側に少しも伝わつてこない点である。
もつとも、前記昭和四五年三月以降の二つ折りには、ク網膜症の症状、特徴がやや具体的に記述されているが、もしこれがク網膜症の警告として何らかの意味があつたと仮定しても、個別障害認定一覧表記載のとおり、原告笹木富士子5は、昭和三六年六月まででレゾヒンI及びレゾヒン注射液の服用、投与を受けることをやめ、亡岡本功13は昭和四四年一月一四日から同四六年七月二一日までレゾヒンを服用し(それまではキドラとCQCの投与を受けていた。)、亡小村晴輝20は昭和四四年二月一九日から昭和四八年四月一五日まで(約六四〇日間の休薬期間を含む。)及び同年七月一七日から六〇日間レゾヒンIIを服用し、原告高橋壽美子21は昭和四三年二月二七日から同四六年四月六日までレゾヒンIIを服用し、同横山晴光24は昭和三六年五月二三日から同三八年八月四日の間にわたつてレゾヒンIを服用し、亡谷原須美子27は昭和三四年一〇月から同三六年一月までレゾヒンIを、同三六年二月から同三九年六月までレゾヒンIIをそれぞれ服用し、原告梅村武子30は、昭和三八年三月一五日から同四一年一月二〇日にわたつてレゾヒンIを服用し、同伊藤保33は、昭和四三年四月から同四六年四月一五日の間レゾヒンIIを服用し、同畔上さつき37は、昭和三六年一二月から同三九年七月の間にレゾヒンIを服用し、同八木照子38は、昭和四二年一一月から同四四年七月二五日の間にわたつてレゾヒンIIを服用し、亡國丸武彦39は、昭和三六年三月一三日から同三七年一月四日の間にわたつてレゾヒンIIを服用(その後同三七年一月二〇日から同四三年八月五日の間にわたりキドラ及びCQCを服用)し、原告藤井虎之助44は、昭和四〇年六月二五日から昭和四一年五月一三日までの間及び同年六月三〇日から同四二年一二月一〇日までの間レゾヒンIを服用(右の間昭和四一年二月二日から同年五月四日までの間はキドラを服用)し、亡山村巌56は、昭和四三年一一月六日から同四六年三月六日の間にわたりレゾヒンIIを服用(昭和三九年三月から昭和四三年九月二〇日の間にわたつてはエルコクイン及びCQCを服用)し、原告坂井秀子59は、昭和三八年四月二四日から同四一年一〇月一九日にわたりレゾヒンIを服用(その後同年一〇月二〇日から同年一一月二四日までエルコクインを服用)し、同寺田貞雄60は、昭和三四年春から同三九年一二月一五日の間にわたりレゾヒンIを服用し、同西村卓也62は昭和三七年七月八日から同三九年一一月一一日の間にわたりレゾヒンを服用し、同土生清水68は、昭和三五年四月頃から同四三年六月二三日までの間にわたりレゾヒンIIを服用し、同上原義明75は、昭和三五年二月二四日から同三六年一月一二日までの間にわたりレゾヒンIを、また、同三七年六月中旬頃から同四一年一二月末頃の間にわたつてはレゾヒンIIをそれぞれ服用したのであるが、右の各原告患者らはいずれも、昭和四五年三月までに、既にレゾヒンIないしIIの服用を終わつていたか、一年以上にわたるその服用をしていたものであつて、右の警告も既にその時期を失し、右原告患者らのク網膜症を予防するものとしては役立たなかつたものと考えられる。
2 次いでエレストールであるが、「網膜障害」なる文言は、昭和四四年七月以降の二つ折りにはじめて記載され、「従つて観察を十分行ない、異常が認められる場合は投与を中止すること」と併記され、能書に同趣旨の記載がなされたのは、昭和四五年九月以降である。
そして、<証拠略>によれば、その能書、二つ折りには遂に一度も「不可逆」という文言あるいは眼科的検査の必要性が記載されるにいたつていない。また、右能書及び二つ折りの記載もク網膜症の警告としては具体性に欠け、十分なものではない。したがつて、右記載の警告は、右の程度では、エレストールを服用した原告小栗セツ74、同豊永キヌ子76、同加藤志づゑ78、亡中谷清子84に対して十分ではなかつたものといわなければならない(なお、右原告豊永キヌ子、同加藤志づゑ、亡中谷清子は、既に昭和四四年七月までに、三年以上にもわたるエレストールの服用をしていたものである。)。
3 次にキドラについてみるに、その能書上に「網膜障害」という文言が載つたのは昭和四五年三月以降であり(ただし、不可逆性である旨の記載はない。)、それ以前、すなわち昭和四二年五月以降の能書には、「また、本剤を長期に使用する際に定期的に眼症状の検査を行なうことが望ましい。」と記載されている(同年七月以降の製品説明書にも同趣旨の記載がある。)のみである。ところで、<証拠略>によれば、右の文章は、副作用についての説明欄にではなく、従前の用法・用量欄の中に、ただ一行か二行、同一活字を用い、人の眼につくような工夫もなく挿入されたもので、その記載方法の不適切さはいうに及ばず、突如かような一節が加わつても、その文面自体からは何ゆえに定期的な眼症状の検査が必要なのか、「眼症状」とは一体何か、直ちに理解しかねるものであつて、右の文章は全体としてク網膜症を警告する趣旨のものとしてはきわめて不十分とのそしりをまぬがれないのである。
したがつて、昭和四五年二月までにキドラの服用を終えていた原告横沢軍四郎1、亡小林節子2、原告橋本ハルコ7、亡小椙一雄11、同岡本功13、原告荒瀬アツ子14、同木村忠16、同柿山球代17、同阿部清八18、同石原義雄22、同山本徳則25、同篠原多美子31、同関矢光治34、同木下かつ子36、亡國丸武彦39、原告流谷武義43、同藤井虎之助44、亡香西日出男45、原告金久隆志47、亡栄真良48、原告上田清子51、亡田原清52、原告戸坂重義55、亡岩本スミ子61、原告平塚久夫63、同野中和三64、同大山治男65、亡吉田稔66、原告高山哲夫67、同藤井一良77、同加藤志づゑ78、同檜木トシ79、同岡田文子83、同丸山進85、については、右の警告は何ら役に立たなかつたものであり、昭和四五年三月以後にわたりキドラを服用した者のうち亡鈴木秀雄6、原告安食スエ子8、同日下昭子10、同菅原靖夫15、同木村光男23、同川北文太26、同森山清恵28、亡梅村正雄29、原告三牧龍春32、同岩崎幸子35、同木下邦夫40、同山口ちよみ41、同岩崎春喜42、同山岡絹枝49、同藤井寛子50、亡坂元一利53、原告沖本イヅ子54、同東暢祐57、同入部三雄58、亡高橋清澄69、原告中村好廣70、亡人見安子71、同桑門新緑72、原告高崎千鶴子80、同福田ヲトク81、同白岩多美子82、同和田清正86、亡松本栄87については、それまでに既に短くとも六か月以上の間、一日当たり少なくとも三錠のキドラの服用をしてきたものであるから、右警告は、不十分、不徹底、かつ、不正確であるとともにその意義も薄く、昭和四四年一〇月からキドラを服用した原告山形他見子73、昭和四五年四月九日からキドラを服用した原告篁尚88、に対しては、なお、不十分、不徹底、かつ、不正確な警告であつたということとならざるを得ない(「網膜変性(不可逆性)があらわれることがある……」との記載は、昭和四七年五月以降の能書にいたつてはじめてみられるようになつた。)。
4 さらに、キニロンの能書における記載は、前記認定のとおりであつて、いうところの「視力障害」の内容は明らかでなく、しかも大部分は可逆的であると受け取られる趣旨の記載となつていて不可逆である旨の記載はなく、不正確、かつ、不十分、不徹底でわかりにくいものといわざるを得ないところであるから、昭和二年七月一日から同年一二月三一日にわたつてキニロンを服用した亡坂元一利53及び昭和四二年一月から同四三年六月にわたつてキニロンを服用した檜木トシ79に対して、右の能書の記載は警告としてきわめて不十分、不正確、不徹底なものであつたというべきである。
5 次にCQCについては、昭和四五年六月以降の能書に昭和四四年一二月二三日付け厚生省薬務局長通知における使用上の注意事項と同一の記載がなされたため、角膜障害及び網膜障害等の眼障害に関する記載がなされることとなつたのであるが(右通知と同一の記載を被告製薬会社がしたからといつて、民事上、ク網膜症の発症防止の観点からなすべき警告義務を尽くしたものとするに足りないものである。)、網膜障害が不可逆性のものであること及び視力検査の実施に関する注意事項については全く触れられていないなど不十分、不徹底、かつ、不正確であるといわざるを得ないところ、原告横沢軍四郎1、亡岡本功13、同國丸武彦39、原告木下邦夫40、亡山村巌56、原告丸山進85は、いずれも右の昭和四五年六月までにCQC服用を終わつていたもので、右の能書における使用上の注意事項の記載は役に立たなかつたものであるし、原告田中和夫3、同寺島久夫12、同天野育太郎19、同森山清恵28、同木下かつ子36、同岩崎春喜42、亡人見安子71は昭和四五年五月までに既に短くとも五か月以上の間、一日当たり少なくとも三錠のCQCの服用をしてきたものであるから、右警告は、不十分、不徹底、かつ、不正確であるとともにその意義が薄く、また昭和四五年七月三〇日から同四六年一〇月までCQCを服用した清水桃子9及び昭和四五年六月二日から同四七年五月七日にわたつてCQCを服用した原告奥田豊臣46に対しては、右の能書の記載は警告として不十分、不徹底、かつ、不正確なものであつたというべきである。
6 ところで、例えば、被告住友及び同稲畑は、医薬品の製造または輸入販売業者の行なうべき副作用の警告、指示義務に関し、前記昭和四五年三月以前の能書の記載は、ク網膜症の警告として十分なものであつたとし、その理由として、要するに<1>「眼障害」といえば、専門の眼科医による眼科検査を当然期待している趣旨であり、<2>当時既に臨床経験の多いクロロキン製剤についていはさまざまな情報が存在し、医師も相当の知識をもつている状況にあつたからである旨主張している。
しかし、まず<1>についていえば、確かにクロロキン製剤の適応領域は内科等であつて、直接には眼科と無関係であるから、眼科医の検査を期待していたものと読めなくもないが、そもそもその検査を当然に期待しているように能書に記載されていたかといえば決してそうではない。内科医、整形外科医等に対し、「ク網膜症」それ自体の症例等を示して、「不可逆性」その他その重篤性を示唆し、検査の必要性を強調して述べていたならそうもいえるであろうが、単に「眼障害」あるいは「視力障害」といつたような抽象的表現では、(しかも、キニロン以外の能書等にみられるように「眼科的検査が望ましい」という表現では)、当然眼検査を期待した記載とは到底読めないであろう。
次に<2>の点であるが、一般的にいつて、通常の医師であるならば、その時々の医学、薬学の様々な知識を右の製薬業社等からの情報のみならず、他の情報源(例えば、論文、雑誌、学会等)からも得るであろう。しかし、そうであるからといつて、右の製薬業社等に課されている、自らが利益を得るために製造し、輸入し、販売する商品としての医薬品についての副作用予防の見地からする安全性確保義務それ自体には、何ら影響はないものである。右製薬業社等は、医師が他の情報源から知識を得ているであろうとの期待、予測を口実として自己の右義務の履行をまぬがれることはゆるされないところであつて、それにかかわりなく、自らは自らの義務を十分に履行すべきであり、副作用の警告等も、まず薬事法が添付を義務づけている能書に正確、かつ、十分に、しかもわかりやすく記載し、さらにそれ以上に右警告等が医師、患者及びその他の一般国民に対して正確に、徹底して伝達がされるよう努めるべきものである。
また、右警告の記載方法についても、通常の医師なら知つているはずだとして、抽象化、簡略化し、もつてまわつた表現を用いるべきものではない。なぜならば、本来右製薬業社等が副作用の警告、指示義務を負うのは、窮極的には、もつぱらその医薬品を服用、使用する医学、薬学の知識のない患者その他の一般国民の生命、身体、健康をその副作用の危険から防止することにあることはいうまでもないからである。したがつて、例えば、クロロキン製剤のような医療用医薬品にあつては、患者の服用には医師の投与行為が先行、介在するのが普通であろうが、医療用医薬品でなければ、あるいは医療用医薬品であつても要指示薬でなければいわゆる素人療法として患者本人が買薬服用する場合もまれではないであろうし、また、その時代の臨床医学の実践における医療水準にある知識、経験を修得している医師であつてもその有する知識、経験の具体的内容は多種多様であるから、正確で十分な情報が徹底して伝達されることを旨としてなされるのでなければ副作用防止に万全を期することができないものというべきである。
7 以上のとおりであるから、医薬品を製造し、輸入し、販売する者としての被告製薬会社は製造、輸入、販売を開始するまでの間の注意義務に違反すると同時に、製造、輸入、販売を開始した後における注意義務にも違反したものであることは明らかである。そして、被告製薬会社において右の義務のすべてを尽くしていたならば、原告患者らは、それぞれクロロキン製剤の投与を受け、あるいは自らこれを購入して服用することなく、また、これを服用しても短期、少量にとどまつた蓋然性が高く、原告患者らにおいてク網膜症に罹患することがなかつたものと容易に推認することができる。
六 故意、過失
1 企業活動による加害行為と法人自体の故意、過失
原告らは、主位的には、製薬会社の企業活動は、これに関与する人員も多く、職務分掌も複雑、かつ、専門化しており、活動全体の過程で多数人の協同による意思決定が作用するから、このような企業活動の結果第三者に損害を与えた場合には、不法行為法の分野にあつてはむしろ企業構成員の不法行為を媒介としてではなく、当該企業活動それ自体を不法行為として捉えて、民法七〇九条により直接法人に不法行為責任を認めるべきである旨主張する。
確かに、法人が社会的に実在しているとみる以上法人それ自体が不法行為の主体となり得ると考えることは自然な面があるし、また、企業構成員のうちだれに故意、過失があつたかを容易に知り得ないような場合に右の考えが被害の救済に便利な面があることは否定できない。
しかし、これを肯定するには様々な理論上の問題点を克服しなければならない。まず、法人の代表機関の故意、過失とは別個に法人自体の故意、過失というものが存在し得るか否かが問題となる。また、法人に民法七〇九条により直接不法行為責任を認める場合、同条に基づく損害賠償責任と民法四四条一項に基づく責任及び民法七一五条に基づく責任との相互関係いかんが訴訟物の異同とともに問題となる。さらに、法人の規模の大小により法人自体が民法七〇九条による責任を負う場合と負わない場合とが考えられるが、その限界を画する基準が明確でない。そのほか、実践的な見地からみても、企業活動に伴う加害行為が代表取締役の故意、過失によるものか、あるいは被用者の故意、過失によるものかを識別することの困難な事例がそれ程しばしばあるとは考えられないし、被用者の故意、過失を問題とする場合には、氏名まで逐一特定する必要はなく、例えば会社の事業のいかなる部門を担当する者であるかを特定すれば足りるというような解釈も可能であるから、代表者または被用者のいずれに故意、過失があるかを特定しないで不法行為に基づく法人の損害賠償責任を肯定することを許容せざるを得ないような切実な実務上の必要性があるとはいい難いということもある。
これを要するに、被告製薬会社のような法人の不法行為責任は、当該法人がいかに企業規模が大きくて社会的、外見的にはいかにも実在の人間のように活動しているかにみえても、それは結局のところ機関の存在を不可決としており、具体的、法律的には右機関を通じて活動するほかないものであるとともに、立法論としては兎も角、我国の民法における法人の不法行為に関する実定法の体系上は、法人の不法行為については、民法四四条ないしは同法七一五条によつてこれをみるほかなく、同法七〇九条によつてこれをみるべきものではないというべきであり、不法行為の主観的構成要素である故意または過失とは自然人の精神的容態であり、法人の不法行為法上の故意、過失とは、具体的には、法人の機関、株式会社においては代表取締役の故意、過失を意味するのであり、代表取締役が職務を行うにつき故意または過失により他人に損害を加えたときは、商法二六一条三項、七八条二項の準用する民法四四条一項の規定により会社が損害賠償責任を負い、代表取締役以外の企業構成員が会社業務の執行につき故意または過失により他人に損害を加えたときは、民法七一五条一項の規定により会社が損害賠償責任を負うこととなり、右各損害賠償責任はその発生要件及び効果を異にしているというべきである(訴訟法上も法人に対する民法四四条に基づく請求と民法七一五条に基づく請求とは訴訟物を異にするものと解されている。最高裁判所第二小法廷昭和三一年七月二〇日判決、民集一〇巻八号一〇五九頁参照。)。
以上のとおりであるから、原告らの主位的主張は到底採用することができない。しかし、本件において、原告らは、被告製薬会社の不法行為責任につき代表取締役の職務執行についての故意、過失と被用者の会社業務執行についての故意、過失とを予備的に主張しているので、次に、項を改めてこれらの者の故意、過失の有無について順次検討する。
2 医薬品の製造業者または輸入販売業者に要求される医薬品の安全性確保義務の履行責任者
医薬品の安全性確保のため右の製薬業者等に要求される注意義務の内容については前記のとおりであるが、右製薬業者等が株式会社である場合には、会社の企業活動を通じて右の注意義務を履行すべき第一次責任を負う者は企業運営の最高責任者である代表取締役である。会社がこれから製造し、輸入し、販売しようとする医薬品または現に製造し、輸入し、販売しつつある医薬品についての副作用情報の収集、調査、検討及び予見される副作用と当該医薬品の有効性との対比等専門的分野にわたる事項の検討については、代表取締役が直接その衝に当たらず、その業務を専門家による補佐機関に分掌させることを妨げないけれども、補佐機関を利用する場合には、企業の全能力を挙げて調査、検討を行い、いささかでも有効性や副作用に関係のある情報等は漏れなく会社首脳部にまで到達するような社内組織の整備及び執務態勢の維持管理が不可欠であり、他人まかせにすることはゆるされない。そして、企業の全能力を挙げて右の収集、調査、検討を実施したとすれば当然副作用の有無及びその程度等を予見し得たのに、代表取締役がこれを予見しなかつたときは、代表取締役において前記のような社内組織の整備及び執務態勢の維持管理を怠らなかつた事実を証明しない限り、代表取締役には、右予見しなかつたことにつき、過失があるものと推定するのが相当である(右の怠らなかつた事実が証明されたときにはじめて被用者の会社業務執行についての故意、過失が問題となるであろう。)。また、副作用が予見される場合の結果回避措置のの内容は、具体的には、例えば製品の出荷、販売の暫定的または永久的停止、能書及び二つ折り等の改訂による副作用の警告、全国規模の日刊新聞紙への公告掲載のように、会社の業務執行の重要部分にかかわる問題であつて、結果回避措置は代表取締役の行為を通じて実現される性質のものであるから、副作用を予見したのに適切な結果回避措置が講ぜられなかつたときは、特段の事情のない限り、代表取締役には右の回避義務の不履行につきすくなくとも過失があるものとみるのが相当であり、何らかの事情により代表取締役に過失の認められない場合においてのみ、被用者の故意、過失の有無を問題にすれば足りるものと解すべきである。
3 故意責任
原告らは、被告製薬会社には故意責任があると主張する。確かに、前記のとおり、昭和三五年一月頃被告製薬会社の各代表者は、いずれも、なすべき情報収集、調査、検討の義務を尽くさなかつたためにク網膜症の発症し得ることを予見、認識せず、その後月日の経過とともにク網膜症の発症を予見、認識するにいたつたものであるが、しかし、既に述べた医薬品の特質にかんがみれば、単に右のような副作用を認識しながら薬の製造、販売、輸入を続けていたというだけでその故意責任を肯定することはできず、結果発生を意図していたか、少なくとも結果発生を容認しながらこれをしたり、あるいは副作用の回避措置等に十分な対策を講ずる等をしていなかつたことが必要であると解さなければならない。
しかるところ、被告製薬会社の各代表者において、その服用者に対するク網膜症発症を意図して、殊更にクロロキン製剤を製造、輸入、販売し、または、殊更にその対応の治療のためのクロロキン製剤の服用に伴う副作用であるク網膜症に関する情報を正確、かつ、十分に徹底して伝達する等の前記認定の措置を講じなかつたことを認めるに足りる証拠はないし、また、前記のように、クロロキン製剤の服用によるク網膜症の発生率は必ずしも高いとはいえない反面、それぞれの疾患に対するある範囲での右製剤の有効性が肯定され、またその有効性も再評価によつてそれが否定されるまではなお右の各疾患に対して存在するものといえないではなく、しかも被告製薬会社は不正確、不十分、かつ、不徹底で時期を失するものであつたとはいえ、一応は前記のような警告の措置をとつてもいること及びその内容に照らすと、被告製薬会社の各代表者は、ク網膜症発症の危険性があることを予見、認識していたとしても、さらに進んで右の各代表者において右発症を容認しながら、クロロキン製剤の製造、輸入、販売を続けたり、あるいは、副作用の調査、研究、情報収集、その回避措置等につき十分な措置を講じなかつたものとすることはできず、その他原告らの全立証あるいは本件全証拠によるも、右の点を認めるに十分ではない。また、右の作為または不作為が被告製薬会社の被用者の故意に起因するものであることを認めるに足りる証拠もない。
4 過失責任
前記のとおり、被告製薬会社の各代表者は、クロロキン製剤によりク網膜症が発症する危険性があることを予見することができ、また時の経過とともに実際に予見していたのに、これについての情報の収集、調査、検討を怠り、また、同剤の使用者に対する正確、かつ、十分な副作用情報の徹底した伝達を怠つたものである。そして、前記認定の同症についての知見の状況、被告製薬会社の対応、原告患者らの同剤服用の時期等を総合すると、被告製薬会社が、その時々における最高の科学水準に基づく正確にして十分、かつ、徹底した副作用情報の提供、伝達をしていたならば、原告患者らのク網膜症の発症を防止し得たものと認められる。
右のような被告製薬会社の義務の不履行についてはクロロキン製剤が腎炎その他の腎疾患及びてんかんに対して有効な面があつたほか有用とみる余地のあつたことやエリテマトーデス、関節リウマチに対する有用性の国際的承認の事実があること、クロロキン製剤の投与が原則的には(後には絶対的に)医師によつて行なわれるものであつたことを考慮しても、副作用予防の見地からする高度な医薬品安全確保義務を負う被告製薬会社の各代表者に職務執行上の過失があつたと評価しなければならない。そして、その過失は、前記3の故意責任で述べた諸事情、すなわち、ク網膜症の発症率、クロロキン製剤の有効性、有用性、被告製薬会社のとつた警告措置等に照らすと、故意に準ずるような重過失であるとはいい難く、それは通常の過失であつたと認めるのを相当とする。
以上までに説示したところによれば、被告製薬会社の各代表者の職務を行うについての過失によつて原告患者らがク網膜症に罹患したものと認められるから、被告製薬会社は、商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条一項に基づき、損害賠償責任を負うものというべきである。
第七被告製薬会社の責任相互の関係
一 医薬品の製造業者または輸入販売業者の責任と総販売元業者の責任
被告吉富は、前記の過失により、その輸入または製造したレゾヒン及びエレストールについて、エリテマトーデス、関節リウマチ、腎炎その他腎疾患及びてんかんの治療のための服用に関し、正確で十分、かつ、徹底した副作用の警告、指示等の措置をせず、これらを被告武田に売り渡し、被告武田も同じく過失により右各措置をこうずることなくこれらを国内で一手に販売し、よつて原告患者らのうちレゾヒン及びエレストールを服用した者をク網膜症に罹患せしめたのであるから、右両者の過失ある所為は、共同不法行為に該当することが明らかである。
このことは、キニロンを製造した被告住友とそれを一手に国内に販売した被告稲畑の責任相互の関係にも同じく妥当する。
二 複数の製剤服用による罹患と関係被告製薬会社の責任相互の関係
次に、原告患者らの中には、被告製薬会社の同一でないクロロキン製剤すなわち製造、輸入、販売した被告製薬会社が異なつている同剤を同時または時を異にして服用した結果ク網膜症に罹患した者がある。これらの患者がそれぞれ服用したクロロキン製剤の関係被告製薬会社の責任相互の関係も、やはり共同不法行為となり、その結果に対し、右の被告製薬会社等は、不真正連帯責任を負うと解される。なぜならば、右患者らは、右の各被告製薬会社の前記過失により本来こうずべき措置のこうぜられていない製剤を同時または異時に服用することによつてク網膜症に罹患したのであり、右各被告製薬会社は、全く同一あるいは類似適応の疾病の治療薬として各クロロキン製剤を製造、販売していたからには、人によつては他社製造、販売のクロロキン製剤を同時に、あるいは時を異にして服用することのあり得ることを当然予見し得たであろうからである。
そしてまた、単独ではク網膜症を発症させる蓋然性が低いと思われる程度の少量のクロロキン製剤を服用した原告患者らについても、右のような他社の同剤をも併せ服用して結局ク網膜症に罹患した場合には、当該少量のクロロキン製剤を製造、輸入、販売した被告製薬会社も右の責任をまぬがれるものではない(なお36の原告木下についてはCQCのほかキドラを服用したが、キドラの服用は同人のク網膜症の発症の原因とは認められない。)。
第八被告医師及び同医療機関の責任と被告製薬会社の責任との関係
医師の過失の介在による被告製薬会社の責任の消長につき被告製薬会社は、本件の原告患者らの一部の者は、その各治療行為に関与した各医師の漫然長期にわたるクロロキン製剤の投与、いわば医師の同製剤の濫用という投薬上の過失が原因となつてク網膜症に罹患したのであるから、被告製薬会社には右罹患について責任がない旨を主張している。
しかし、仮にクロロキン製剤の投与の際もしくは投与中に同被告ら主張のような過失が右の各医師にあり、原告患者らの一部の者がク網膜症に罹患したとしても、右投薬上の過失のゆえに、直ちに被告製薬会社の責任が否定されるものではない。すなわち、被告製薬会社の義務違反がなお存続していて、それと原告患者らのク網膜症罹患との間に相当因果関係がある限りは、被告製薬会社が責任を免れ得ないのは当然であるところ、被告製薬会社が履行すべきであつた義務の内容は先に詳述したとおりであり、これらはク網膜症の発症を回避する手段としてクロロキン製剤が医師または患者により誤用、濫用されることを防止することをも目的とするものであるのは当然であるから、被告製薬会社の右義務の不履行と原告患者らのク網膜症罹患との間に医師の同製剤の濫用という投薬上の過失が介在したとしても、医師の右過失の介在は、被告製薬会社の義務違反と結果発生との間の因果関係を中断するものでなく、被告製薬会社がその責任を免れ得ないものであることはきわめて明らかである。
以上のとおりであるから、被告医師及び同医療機関経営者が、その各対応する原告らに対してそれぞれ右の過失のゆえに損害賠償の責任を負うものとしても、右の過失は、いずれも被告医師あるいは同医療機関経営者の関係医師の独自固有の投薬行為における過失であり、右の医師あるいは同医療機関経営者の責任は、それぞれ右の医師の過失ある投薬行為に起因してその対応する原告らに対し負うものであつて、右の医師の各投薬行為と被告製薬会社の違法な不作為との間に共同加功の関係は全くなく、ただ、たまたま賠償すべき損害の範囲が重複しているものとみられるにすぎないのであるから、両者の行為は、不真正連帯の関係にたつ共同不法行為を構成するものと解すべきである。
第六節 被告国の責任(医療機関設置者としての責任を除く。)
第一被告国の反射的利益論について
被告国は、国民の薬事法により受ける利益はいわゆる反射的利益にすぎないと主張するので検討する。
薬事法(旧法と現行法―昭和五四年法律第五六号による改正前のもの―とで大差はないと考えられるので、以下、現行法を中心に述べる。)は、憲法二五条一項の生存権保証規定を承けてさらにこれを発展させた同条二項の「国は、すべての生活部面について……公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」とする国の政治的責務の実現のために制定された法律の一つである。
ところで、薬事法は、右の「公衆衛生の向上及び増進」を達成するための法技術的手段として、直接個々の国民の衛生を対象とせず、「医薬品……に関する事項を規制し、その適性をはかる……」(一条)と規定しているように、医薬品という物質を中心としてその取り扱う関係業者等に対する各種規制(取締り)を通じて、公衆衛生、すなわち国民の生命、健康の維持、増進をはかるという建前を採用している。そして、その主要な取締規制である薬局方収載外医薬品の製造承認(一四条)、医薬品製造業、輸入販売業の許可(一二条、二二条。なお旧法の薬局方収載医薬品の製造業、輸入販売業の登録((二六条一項、二八条))。)、薬局開設の許可(五条)及び販売業の許可(二六条、二八条、三〇条、三五条)等は、いずれも、いわゆる講学上の「許可」に該当し、一般的な禁止の解除と解せられる。したがつて、薬事法は、基本的には警察取締法規としての性格を有しているものとみるべきである。しかも、その取締規制は、憲法二二条一項の定める職業選択、職業活動の自由保障の要請とのかねあい上、薬事法七五条の規定からうかがえるように、消極的な取締りを念頭に置いているというべきである。
薬事法の性格が右のようなものであるとすれば、同法の定めるところにより厚生大臣の行う薬事行政も、基本的には消極的な警察取締作用と観念し位置付けざるを得ない。しかし、その作用の窮極的な目的は、あくまでも国民の生命、身体及び健康に対する危険を防止し、その維持、増進をはかることにあるし、真の意味での国民の生命、身体及び健康の維持、増進は、社会を構成する個々の国民のそれなしにはあり得ないのであつて、両者はいわば表裏一体の関係にあり、両者あいまつて初めて公衆衛生の向上、増進が全うされると解せられるうえ、厚生大臣の承認、許可等の法的規制を受け、そして現に薬事法上の種々の規制(例えば、販売方法の制限―三七条、医薬品の取扱規制―五〇条ないし五八条、九四条、広告方法の制限―六六条ないし六八条、行政庁による監督―六九条ないし七七条等)の下に流通している医薬品を使用する者は、抽象的な「国民」一般ではなく、まさしく国民個々人でしかあり得ないから、薬事法に基づく医薬品の適正な規制によつて個々の国民の受ける利益は、医薬品の適正規制の結果によるものとはいいながら、単なる反射的な利益にすぎないものということはできない。そして、右に述べた個々の国民の生命、身体、健康が、そもそも、国家賠償法上保護される法的利益に当たることはいうまでもないところであるから、厚生大臣が前記の規制を行うについて、故意または過失により違法に国民の生命、身体、健康を害して国民に損害を与えた場合には、国は、国家賠償法一条によつて右の損害を賠償する義務がある。
第二クロロキン製剤の製造・輸入販売等の許可・承認等について
一 厚生大臣は、燐酸クロロキン及び燐酸クロロキン錠を国民医薬品集や日本薬局方に収載、公示し、レゾヒンIにつき被告吉富を輸入販売業として登録し、同三四年、レゾヒンIIにつき同被告に製造業登録品目として登録し、エレストールの製造を許可し、同三五年キドラの製造を許可し、同三六年、CQCの製造を承認し、キニロンにつき被告住友を製造業として登録した。
また、レゾヒンIは、当初マラリアとエリテマトーデスを適応としていたが、昭和三三年慢性関節リウマチ、腎炎を、同三六年にはてんかんを適応に加え、レゾヒンIIは、当初、マラリア、エリテマトーデス、慢性関節リウマチ、腎炎を適応としたが、後に、てんかんを適応に加え、キドラは、当初、腎炎、ネフローゼ、同症候群、リウマチ性関節炎を効能としたが、後に妊娠腎、リウマチ関節炎、気管支喘息、エリテマトーデス、てんかん等につき効能追加の承認を得、CQCは、当初、腎炎、ネフローゼを効能としたが、後に、関節ロイマチスの効能追加の承認を得た。
(以上の各事実は第一節第一、二で述べたところである。)。
二 原告らは、厚生大臣が右のようにクロロキン製剤の製造の許可・承認等をしたことは、昭和三五年以前においては過失により、同三六年以降においては故意(第一次的)または過失(予備的)により、原告患者らをク網膜症に罹患させたことにほかならない旨主張するので、検討する。
1 薬事法は、医薬品の製造、販売等につき、厚生大臣に大きな役割りを課し、種々の権限を与えている。例えば、医薬品の製造(一二条)、販売(二四条)、輸入販売(二二条)を営業するには厚生大臣の許可を要するとし、厚生大臣は医薬品として用いるのに適している物質(原薬たる医薬品等)を日本薬局方に収載、公示するものとし(四一条)、薬局方外の物質による医薬品を製造しようとする場合には厚生大臣の承認を要するとし(一四条)、厚生大臣は許可・承認には条件を付することができるとする(七九条)等々である。
2 しかし、薬品営業竝薬品取扱規則(明治二二年法律第一〇号)、売薬法(大正三年法律第一四号)、昭和一八年薬事法、同二三年薬事法等我国の薬事立法は、一貫して、医薬品の性状、品質の適正確保、つまり、粗悪不良医薬品の規制、さらにいえば、医薬品まがいの物の排除を主目的として立法されており、正規の医薬品についてその副作用からの安全性の確保ということは、予期しないか少なくとも主目的としてはいなかつたのであつて、薬事法も同様な考えに沿つて立法されているのであるから、前記のように、薬事法が厚生大臣に役割りを課し、権限を与えているのも、医薬品の性状、品質の適正をはかるためであつて、前記副作用からの安全性を確保するためではない。したがつて、薬事法には、医薬品の安全性の確保に関する明文の定めはなく、右安全性に関して厚生大臣に、具体的に義務、責任を課したり、権限を与える旨の明文の定めもないのである(この点、新法の一条には「この法律は、医薬品の……安全性を確保することを目的とする。」とあり、同一四条二項には、製造・承認につき、厚生大臣は「……副作用等を審査して行う。」とある。)。
3 かく、薬事法上、医薬品の副作用からの安全性に関する厚生大臣の権限、義務、責任等についての明文の規定はないのであるが、このことから直ちに、薬事法は厚生大臣が右安全性について無関心であつてよいとしているということはできない。なぜならば、医薬品は本来生体にとつては異物であり、その目的とする効能、効果は副作用による危険の発生を伴うことが多い。むしろ必然的ともいえるのであり、例えば、医薬品の製造の承認に当たつて、厚生大臣が、用法・用量・効果・効能等を審査するときには、同時に副作用による危険を知ることが多いのであり、いかに審査の主目的が医薬品の性状、品質の適正をはかることにあるとしても、危険な副作用のあることを無視してその医薬品の製造を承認するというようなことを窮極的には国民の衛生、健康の増進をはかることを趣旨とする薬事法がゆるしているとは到底考えられないからである。現に、厚生省は、製造承認申請の際に申請者に提出を義務付けている臨床実験に関する資料については、「申請品目が実際に応用されて如何なる効果、あるいは如何なる副作用を示すかを明らかにするもので効果判定に際して重要な資料である。」としているし、(<証拠略>)、後述するように、厚生大臣は、副作用を理由に、鎮痛消炎剤や経口避妊薬の製造の承認を保留し、また、<証拠略>によれば、昭和四〇年以降厚生大臣は製薬会社数社から申請のあつたクロロキン製剤の新薬の承認や適応追加の申請を危険な副作用の発生を考慮して、審査、承認を留保していたのである。
4 もつとも、先に述べたような薬事法の消極的な警察取締法規性並びに同法が医薬品それ自体の安全性の確保に関する厚生大臣の具体的な権限、義務、責任を明文をもつて規定していないこと、医薬品の製造承認申請が数多くなされること、厚生大臣の限られた審査能力、一方、製造業者の調査、研究の高度な能力等(いずれも当裁判所に顕著である。)にかんがみると、薬事法は、医薬品の安全性の確保について第一次的にはこれを製造・販売する製薬業者に委ねているのであつて、厚生大臣に対し、特定の医薬品を日本薬局方に収載し、またはその製造の承認を行うに当たり、自ら積極的に資料を収集して当該医薬品の一般に知られていない副作用の有無、程度等を調査する義務を課しているとはいえず、ただ申請の際に申請者が自らの責任と誠意において自主的に提出した基礎実験、臨床実験に関する資料に基づき、それによつて当該医薬品の有効性、副作用の有無等を、そして最終的には有用性を審査し、承認の可否を決すれば足りるとしているものと解せられる。しかし、右の限度ではなお、厚生大臣に安全性の有無に関し審査する義務はあるといわなければならないし、そのために、厚生大臣には、少なくとも承認申請についての審査に必要な限度で、安全性の確認及び確保のための調査権限(例えば、安全性に疑義がある場合、申請者に釈明を求め、必要な実験資料等の提出や追加を促したり、命じたりする権限)が当然付与されているものと解すべきである。
5 右のような見地に立つて、本件各クロロキン製剤の製造・輸入販売等の許可・承認等についてみると、右許可・承認のなされた当時、同剤によるク網膜症の発症の危険が一般に知られていたとはいえないし(この点既述のところから明らかである。)、各製薬会社からの製造の申請等に関する資料にその点が明らかにされていたことを認めるに足りる証拠はなく、かえつて、<証拠略>によると、そのようなことは明らかにされていなかつたと認められるのであるから、厚生大臣が副作用であるク網膜症の危険に特に配慮することなく、右の許可・承認をしたことを非難することはできないといわなければならない。
なお、厚生大臣が燐酸クロロキン、燐酸クロロキン錠を国民医薬品集や日本薬局方に収載、公示し、昭和四六年の第八改正日本薬局方にいたるまでその収載、公示を続けたことは、前記のとおりであるが、当時認められていた医薬品原薬としての前記有効性、有用性にかんがみると、これを非難することはできない。
三 次に、原告らは、厚生大臣は、クロロキン製剤の製造・輸入販売の許可・承認後においても、その副作用を追跡、調査し、副作用が判明した場合には、製造・輸入販売の中止を命じたり、製品の回収を指示したり、許可・承認事項の取消しをしたり、要指示薬、劇毒薬指定による販売規制をしたり、添付文書に記載すべき使用上の注意事項や用法・用量を改めさせる等適切な行政的措置をとるべきであつたのに、これを怠たり、そのため原告患者らをク網膜症に罹患させた旨主張するので検討する。
1 薬事法には、薬局方収載後または製造・販売等の許可・承認後の副作用の調査、あるいは副作用が判明した後の対応に関する厚生大臣の権限、義務等について規定するところはない。(この点は、新法の一四条の二、三、七四条の二等と比較対照すると明らかである。)。このことと、前記、薬事法の沿革、同法の消極的取締法規である性質、医薬品の製造・販売に関する責任、特にその安全性の確保についての責任は、第一次的には製薬会社にあるとしている薬事法の予定する基本的構造、右安全性の調査に関する厚生大臣の能力、製薬会社の能力等にかんがみると、薬事法は、副作用の調査や副作用が判明したときの対応については、製薬会社の処置にまち、厚生大臣が自ら積極的に規制措置をとることを予定して同大臣にこれにつき、権限を与えたり、義務を課したり、責任を負わせてはいないと解するほかない。
2 しかし、前記医薬品の特質(副作用を伴うことが多く、しかも、後日になつて判明することが少なくない。)、同薬事法の立法された趣旨(国民の生命、身体、健康の向上、増進)、厚生省設置法に基づく同省設置の趣旨、目的(公衆衛生の向上及び増進をはかることを任務とする。)等を総合して考察すると、医薬品の副作用が後日になつて判明した場合において、その副作用のために、国民の生命、身体、健康の侵害される危険が顕在、切迫化し、これを回避するには厚生大臣による直接の規制、介入をまつほか、方途が他に全くないような特別の緊急事態が発生したときには、法文にその規定はなくても、この事態に対処するため厚生大臣に、当該医薬品について、これを薬局方から削除するとか、製造の許可・承認の全部または一部を取り消す等の特別、異例の権限が生ずるとともに、同時にそれが、厚生大臣の関係国民に対する義務ともなるといい得よう。
しかし、本件においては、厚生大臣に右のような権限、義務が生じたものとはいえない(ただし、後に行政指導に関連して述べるような場合につき、そこで述べるような範囲の権限、義務については別である。)。
すなわち、本件についてみると、確かに被告製薬会社に前記の過失があり、そのため原告患者らにク網膜症を発症させるにいたつたのであるが、被告製薬会社は前記のように故意によつてこれをしたものではなく、同会社はその医薬品の安全性の調査や確保について、なお、十分な能力を有していたのであり、これと前記、クロロキン製剤についての当時認められていた有効性、有用性、後記ク網膜症の発症状況等を総合して考えると、被告製薬会社に前記の過失のあつたことを顧慮しても、未だ、薬事法の、医薬品の安全性の確保についての責任、義務は第一次的には製薬会社にこれを負わせている基本的な構造をくつがえして厚生大臣が、直接的に、規制、介入するほか事態を回避する方途が全くなかつたとは到底いえないのである。むしろ、厚生大臣としては、前記特別、異例の権限を行使するまでもなく、被告製薬会社の自主的対応とせいぜいこれに加えて従来から厚生大臣ないし厚生省当局がしてきたような指導、勧告(この点後記)もしくは薬事法上ゆるされている措置(例えば要指示薬指定)等によつて右副作用の発症による前記危険の回避をできるとしてよかつたというべきである。
したがつて、厚生大臣に前記権限、義務が生じていたとはいえないのである。
3 薬事法上医薬品の安全性確保の第一次的責任は製薬会社にあるが、それにもかかわらず、厚生大臣は、従来から終始、右安全性の確保に配慮し、多くの対策をとつてきている。これを概観すると次のとおりである。
<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) いわゆるサリドマイド事件は、世界的に薬害に対する関心を高めるにいたつた。我国においても、厚生省が昭和三七年六月からサリドマイドの対策を検討してきたが、その結果他の医薬品についても安全性に心配が生じた。そこで厚生大臣は、同三八年三月中央薬事審議会に対し医薬品の安全性確保の方策について諮問し、同年三月八日、その意見に基づき医薬品の安全性確保のための専門部会である「医薬品安全対策特別部会」が中央薬事審議会に設置されその部会で新医薬品については胎児への副作用も考慮すること、新医薬品以外の医薬品については、その副作用に関する情報の収集、評価を行つて対策を検討するとともに、諸外国との連絡を密にすること等が審議答申された。
この答申を受けて、厚生省では、同年四月以降原則としてすべての新医薬品の承認に当たつて、従来の基礎実験資料に加え、当該医薬品の胎児に及ぼす影響を考慮するために、一定の基準による動物実験成績を申請者に提出させることにした(昭和三八年四月三日厚生省薬務局長通知、同四〇年五月二八日同局製薬課長通知)。
(二) 厚生省の当時の内部組織、機構をみると、薬務局の製薬課が医薬品(生物学的製剤及び衛生材料は除く。)の製造業の許可及び製造の承認の事務を、同局企画課が医薬品の輸入販売業の許可及び輸入の承認の事務を、同局監視課が不良または不正表示の医薬品や医薬品の広告等の取締に関する事務をそれぞれ所掌していた(厚生省組織令((昭和二七年政令第三八八号))参照)。そして、昭和三八年以降、医薬品の安全対策に関する事務は、事実上薬務局製薬課が中心となつて掌握してきた。かくして、昭和三八年には各種医薬品安全対策費の予算を計上し、同四〇年度予算として、国立衛生試験所に毒性研究所の新規施設費約七〇〇〇万円、製薬課に医薬品の副作用調査費一一〇万円等が認められるにいたつた。
ところで、右厚生省組織令は昭和四六年に一部改正され、薬務局製薬課は製薬第一課と製薬第二課に分かれ、製薬第二課が「医薬品の効能、効果及び副作用に関する調査を行なう」(同令三五条の三)と定められた。さらに昭和四八年にも同令の一部改正があつて、製薬第一課が「審査課」と、製薬第二課が「安全課」と各改称され、安全課が「医薬品の効能、効果、性能及び安全性に関する調査を行なう。」(同令三五条の二)と定められた。
(三) 昭和四一年一二月には、増大する医薬品の副作用について対処するため、医薬品安全対策特別部会の下部組織として、「副作用調査会」が設置され、同調査会で、後記の副作用モニターによつて収集された情報を評価するのみでなく、WHOや諸外国からの通報等従来のルートによる情報も含め、医薬品の安全性に関する全般的な問題が審議されることになつた。
かくして、同年一二月一六日に開かれた右調査会の第一回会議で、医薬品副作用調査の実施等について検討がなされ、その審議などを経て、WHOの昭和四〇年五月二〇日の決議を受け入れ、同四二年三月から我国でも国内における副作用モニター制度が実施される運びとなつた。
さらに同年九月、厚生省は、いわゆる「医薬品の製造承認等に関する基本方針」を定め(同年九月一三日厚生省薬務局長通知)、これによつて新医薬品の製造承認申請の際に添付する必要のある資料内容の強化とその細部にわたる明確化をはかるとともに、新医薬品について、その製造承認を得た者は、現行法七九条の条件としてその後二年間当該医薬品の使用の結果生じたとみられる副作用に関する情報の収集とその報告を義務付けることとなつた(なお、右期間は、その後改められ、昭和四六年六月以降は三年間となつた)。
(四) 以上の組織、制度面での改革で医薬品の安全性に対処するかたわら、厚生省は、昭和四二年ごろまでに、個々の医薬品の安全性についても、関係業者等を指導、勧告するため以下のような措置を講じた。
(1) 薬務局長は、昭和二六年六月二六日、グアノフラシン点眼剤の副作用(まつ毛及び眼瞼皮膚の白変)の発生を断つ必要があると認め、関係業者に右点眼剤の製造中止、製品回収を指示するとともに、一般人、医師等に対しても注意喚起の措置をとるよう各都道府県知事あてに通知した。
(2) 医務局長及び薬務局長は、昭和三一年八月二八日、ペニシリン製剤の副作用(シヨツク死)の防止につき必要な注意事項を定めて、これを関係業者等に指導するよう各知事あてに通知した。
(3) 薬務局長は、昭和四〇年二月二〇日、アンプル入りかぜ薬(ピリン系製剤)の服用者の死亡事故が続発したため、各知事にあてて、その関係業者に対し、アンプル入り医薬品等の使用に当たつては特に副作用による事故防止のため表示、能書等の添付文書にアレルギー体質者がこれを服用しないよう赤字等でわかりやすく記載すること等の措置をとることの指導を、薬局及び販売業者に対し、一般消費者に販売するに当たつては特にアレルギー体質の有無、添付文書の熟読、用法・用量の厳守等の使用上の注意事項を十分解説して販売することの指導をそれぞれ行い、かつ、一般消費者に対する広報活動をするよう通知した。しかし、それでも死亡事故が続いたので、薬務局長は、同年二月二三日各知事にあてて、同剤につき明確な学問的結論が出るまでの間、社会不安を除去する緊急処置として、製薬業者に対し同剤の一般消費者への販売を自粛することに協力方を指導するよう通知し、同時に同日付けで東京医薬品工業協会にも同旨のことを申し入れ、さらに同年三月一日各知事及び右協会あてに、右自粛方を要望したにもかかわらず実効がないこと、この際その趣旨を再確認して製品の回収及び返品を配慮されたい旨通知した。
そこで、関係業者は協議の結果同年三月三日右要望に協力することになり、同年三月九日、日本製薬団体連合会の名義で厚生大臣に対し右回収に伴う経済的損失の救済等を要望した。
そして、厚生省は、同年五月七日中央薬事審議会の意見に基づき、アンプル入りかぜ薬の製造、販売を禁止する措置をとつた。
(4) 薬務局長は、昭和四〇年一一月九日、各知事にあてて、前期のアンプル入りかぜ薬と類似成分のアンプル入り解熱剤(身体が弱つている時に服用するとシヨツク死する危険性がある。)につき、関係業者に対しその製造を直ちに中止すること、市販中の同剤は昭和四一年三月まで売つてもよいが、この場合、かぜの際の解熱剤に用いてはならない旨の注意書を添付すること、昭和四一年三月以降は速やかに同剤を回収することを指導するよう通知した。
(5) 薬務局長は、昭和四〇年一一月一八日、メクリジン、クロルサイクリジン、サイクリジン及びその塩類を含有するすべての製剤(船酔い止めの薬品)について、WHOの医薬品情報No.5(動物実験の結果で催奇形作用のあることが判明し、FDAは、同剤を妊娠または妊娠可能な婦人が服用すると胎児に有害な作用を及ぼす危険性があるとして、医師の監督がなければ使用してはならない旨の警告を発したという情報)に基づき、各知事にあてて、同剤の容器もしく被包または添付文書に、使用上の注意として「妊娠又は妊娠の可能性のある婦人は、この薬の服用については必ず医師と相談すること」という事項を明確に記載すること、既に出荷されている当該医薬品については、速やかに、その販売に当たつては右注意事項を記載した文書を伴わせて交付できるよう措置することを製造業者等に指導し、また販売業者にも販売の際には同旨の注意を行うことを指導するよう通知した。
(6) 厚生省は、精神科の医師等から甲状腺製剤(シロキシン製剤で、本来は甲状腺治療薬であるが、これをやせ薬として使用)の副作用として頭痛、めまいのほかに重篤な精神分裂や躁うつが発症する旨の情報を入手したので、検討の結果、厚生大臣は、昭和四一年二月一二日乾燥甲状腺、ヨウ化カゼイン、ヨウ化チロジン、ヨウ化チロニン、ヨウ化レシチン及びそれら誘導体、塩類の製剤を要指示薬に指定し、薬務局長は、同年三月二日各知事あてに関係業者をして次のような使用上の注意事項を記載させるよう指導されたい旨通知した。すなわち、<1>心悸亢進、脈搏増加、不眠、発汗、頭痛、めまい等の副作用が生ずることがある。使用期間中にこれらの徴候が現れた場合は、甲状腺機能が異常に亢進しているおそれがあるので、医師に相談すること、なお連用すると離人症状、精神分裂症状態、躁うつ症等重篤な障害を起こすことがある。<2>高令者、動脈硬化症、腎炎、糖尿病には禁忌である。
(7) 厚生省は、昭和四〇年九月ごろ、眼科医等からナフアゾリン及び塩酸フエニレフリンを含有する点眼剤によつて二次充血の副作用が多く発生している旨の情報を入手した。そこで薬務局長は、専門家の意見に基づき、昭和四一年三月一二日調剤専用及びそれ以外の各点眼剤の配伍基準量等を定めるとともに、各知事にあてて、ナフアゾリンまたはその塩類を含有する点眼剤の容器もしくは直接の被包または添付文書等に「(1)本品は過度の使用によりかえつて充血を招くおそれがあるので、定められた用法を厳守するとともに長期連用は避けること。(2)数日間使用しても症状の改善がみられない場合は、使用を中止して医師に相談すること。」という使用上の注意事項を記載すること、既に製造(輸入)された点眼剤で、在庫中のもの及び出荷されたものについての添付文書等に記載すべき注意事項については、当該点眼剤の交付の際に所定の事項を記載した文書を同時に交付する方法でも妨げないこと等を関係業者に指導するよう通知した。
なお、右使用上の注意事項について、日本製薬団体連合会は、同年三月二二日厚生省に対し、「本剤は規定の用量で十分効果があり、過度の使用はまれに充血を招くことがありますから、定められた用法をよく守つてご使用下さい、なお、暫く続けてご使用になつても、もし充血が去らないような場合には、点眼を一時中止して、医師又は薬剤師にご相談下さい。」という注意書で差し支えない旨了解願いたいと要望したが、薬務局長は翌日右の「まれに」の表現は不適当として右要望を受け入れなかつた。
(8) その後、昭和四三年五月にクロラムフエニコール等の抗生物質の副作用問題が生じ、薬務局長は、同年八月一四日、右につき使用上の注意事項を定め関係業者を指導するよう各知事あてに通知したが、これを契機として、厚生省は、医薬品の使用上の注意事項を整備する必要を感じ、医薬品全般についてその適正な注意事項を添付文書等に記載させるべく検討を開始した。
なお、その後においても、厚生省は個々の医薬品に対する製造中止等の指導を行つている(例えば、昭和四四年七月のアミノ塩化第二水銀の製造中止、同年一〇月ポリビニルピロリドンの使用禁止、同四五年五月のキシリツト及び同年九月のキノホルムの使用禁止など)。
(五) また、承認段階でも、副作用を理由に厚生大臣が決裁を保留していた医薬品もあつた。
すなわち、昭和四〇年一一月当時製薬会社数社からDMSO(ジメチルサルフオキサイド、鎮痛消炎剤)の承認申請がされていたが、米国における動物実験でその副作用として視力障害を発症する旨の報告があり、この報告をもとにFDAがその臨床実験を中止するよう指示したとの情報をFDAから得たので、厚生省では右数社に対し慎重に実験を行うよう指示し、厚生大臣はその承認をしなかつたところ、右関係会社でも実験を中止した。
さらに厚生大臣は、その当時既に承認申請がされていた経口避妊薬に対する決裁を長期間留保していたが、それは副作用として視力障害のほかに血栓症が起こるおそれがあるためであり、いまだその承認をしていない。
以上(一)から(五)まで事実が認められるところ、医薬品の安全性対策に関する厚生省における組織、制度の充実、発展は、薬事法及び厚生省設置法の目的、趣旨に沿うし、厚生省が現実に行つてきた各種医薬品に対する措置は、その多くは明文の根拠規定に基づかないいわゆる行政指導に属するが、厚生大臣も、医薬品の安全性対策のためにこのような指導勧告をなし得ることを認識して実行してきたものであり、かつ、右の行政指導が相応の成果をあげてきたことは顕著な事実である。
4(一) 薬事法には医薬品の安全性の確保についての厚生大臣の権限、義務を定めた規定はないのであるが、厚生大臣は、一面において、国民の生命、身体の安全をはかり、公衆衛生の維持、増進に努め、そのために必要かつ適切な行政措置をなすべき一般的責務を負い、他面において、医事・薬務行政を所管し、製薬業者に対する各種の許認可権限を有するのであるから、個別の根拠規定の有無にかかわらず、製薬会社の行う医薬品の製造、販売に関し随時指導、勧告をなし得る立場にある。我国において、このようないわゆる行政指導は、一般に、法律上の強制力はなくとも、多くの場合に事実上受け入れられ、その趣旨に則つた結果が実現されていることは、顕著な事実である。
そして、右のいわゆる行政指導は原則として行政庁の裁量に委ねられているばかりでなく、このような法令上直接の根拠規定を欠く指導、勧告は、製薬業者の営業の自由等とのかねあいから、慎重、かつ、控え目になされるべきであつて、行政権力が正当な理由なく妄りに私人の行為に容喙し掣肘を加えることは厳に戒しめられるべきことであるから、行政指導をなさないことが厚生大臣の義務の懈怠となることは原則としてはないというべきであるが、しかし、医薬品に関し国民の健康に被害を及ぼす危険性が顕著となり、同様な場合に、従来の例によれば厚生大臣は適切な指導、勧告をしてきており、同種の措置をとることが当然期待されるようなときに、それにもかかわらず厚生大臣が何らの対策をとらず、放置しておくことは、前記のような厚生大臣の国民の健康保持の目的のために適切な行政措置をなすべき責務にもとるものであつて、状況如何によつては、厚生大臣が製薬業者に対し被害回避のため必要最少限度の指導、勧告をなすとかその他適切な行政措置をとることが、例外的に、その権限ないしは国民に対する義務ともなり、それを怠るときは損害賠償義務を負うこととなるものというべきである。
(二) そこで、クロロキン製剤の安全性に関する厚生省の対応、対策をみる。
(1) 本件訴訟の第一事件が提起された昭和五〇年にいたるまでの間に厚生省がクロロキン製剤に対してとつた措置は、先に説示したとおり、(1)昭和四二年三月一七日の劇薬、要指示薬指定(ただし適用は同年四月一七日からで、現行法五〇条九号の記載義務は同年九月一七日まで免除。)、(2)昭和四四年一二月二三日の使用上の注意事項に関する薬務局長通知(その注意事項は製薬会社側の医薬品安全性委員会と厚生省との検討のうえで定められた。)及び(3)昭和四七年四月の「視力検査実施事項」の定めであつた。
(2) また、<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
昭和四〇年五月以降にも、クロロキン製剤の新薬の承認や適応症追加の申請が数社から出されていたが、ク網膜症が判明したため、厚生省当局はその審査及び承認を保留していた。そして、豊田製薬課長は、昭和四二年三月二四日開催の第二三回医薬品安全性委員会の懇談会にも出席し、同所でク網膜症に言及し、クロロキン製剤の劇薬、要指示薬指定にも触れるとともに、申請されているクロロキン製剤については目下審査中であると述べた(もつとも、その後新たな承認がなされた形跡はない。)。
また豊田課長は、同年七月二一日開催の同委員会懇談会でも、特にク網膜症に注意するよう意見を述べ、「リン酸クロロキンの含有製剤として、リウマチの事後療法剤として、プレドニソロン(副腎皮質ホルモン剤)との合剤(エレストールのこと)があります。リン酸クロロキンとして二五〇mgを連続投与し、リウマチには相当期間服用する場合があります。そうするとこの網膜障害が起こる可能性も考えられることです。これについての副作用調査票での報告はもう少し研究調査してから報告するとのことであり、まだ報告がきておりません。こういつた合剤の場合であつても、能書の注意事項としてもつと積極的に、注意事項を記載していただいた方がよいと思います。注意事項の記載といつた問題については、今後業界がもつと積極的にやるべきであつて、こうやれ、ああやれと指示を受ける前に実施していただければ、当委員会の活発な活動も表面に現れてくるのではないかと思います。注意事項の記載については、いまだに『どうも書きたくない』といつた気持のメーカーもおられるように思いますが、医師、薬剤師に対し注意事項を積極的に啓蒙すべきであり……」と発言した。
そして、その後昭和四四年一二月に前記薬務局長通知が出された。
(三) 右厚生省の対策、対応については、ク網膜症の重篤な眼障害であることや、前記認定のような、被告製薬会社が副作用の警告を怠つていた経過に照らすと、いささか緩慢、かつ、不徹底なものであつたとの批判は避け難いし、FDAのウインスロツプに対する厳しい指導、勧告に比較すると、いつそうその感は否定し難いのである。
しかし、既に度々述べたように、医薬品の副作用回避の義務は、第一に、医薬品を製造、輸入、販売する製薬会社にあり、厚生大臣のこの点における役割は後見的、補充的なものであつて、厚生大臣が副作用の発生を認識した時に直ちに積極的な対策を講ずることが要求されるわけではなく、製薬会社が必要な措置を講じないで放置し、製薬会社の自主的な措置をもはや期待し得ず、国民の健康保持の見地から看過し得ない事態が生じていることが明らかになつたときに初めて、厚生大臣が適切な措置をとるべきものであり、そのとるべき措置も、むしろ控え目なものであるべきである。
この見地から本件についてみるに、クロロキン製剤による網膜症の発生について、豊田課長が昭和四〇年五月ごろに既に知つていたことは、同月一八日の医薬品安全性委員会の懇談会の席上での同課長の発言から明らかであるが、厚生大臣が、その時点で直ちに迅速な対処を要するような重大な事態が生じている事実を認識していたものとは認められず、その後のク網膜症症例報告の増加に応じて、まず行つた劇薬、要指示医薬品の指定は、法律上の根拠に基づく処分であり、限られた範囲ではあるが、クロロキン製剤の濫用を防止する効果を期待し得るものであつて、適切な措置であつたと評価される。次いで、昭和四二年七月には、業界の自主的組織である医薬品安全性委員会の懇談会の席上での非公式の発言ではあるが、同課長が、製薬業者の委員らに対し、製薬業者が自発的、積極的にクロロキンによる網膜障害についての警告を能書に記載するよう要望したのであり、このような要望は、前記の厚生大臣の役割に適うものということができる。そして、その後、製薬会社側の作成した文案に基づいて医薬品安全性委員会と厚生省側とが検討したうえ、前記使用上の注意事項に関する薬務局長通知にいたつたのであり、それまでの経過が緩慢であつたこと、右通知の内容がク網膜症の重篤性、不可逆性を徹底させるにはなお不十分なものであつたこと、また右通知の後「視力検査実施事項」の配布にいたるまでに二年余を費やしたこと等、厚生省側の対応も必ずしも満足し得るものではなかつたとはいえ、右に述べたように、製薬会社が自発的、積極的に副作用回避の措置をとる義務があり、厚生大臣としてはそれに対し、後見的補充的に対処すれば足り、自ら十全の措置をとることまで要求されるものではないこと、さらに、既にみたとおり、クロロキン製剤は、関節リウマチ、エリテマトーデスに対しては国際的にその有用性が認められ、腎疾患に対しても、少なくとも蛋白尿改善の限度では効果が認められ、前記再評価以前においては、副作用の存在にかかわらず、その有用性を認め得ないものではなく、てんかんについてもこれを附加薬としては有効である旨の報告が存し、有用性も否定しきれない状況にあつたもので、臨床の現場では大量に使用されていたこと、クロロキン製剤によるク網膜症の発症率は高くないとされていたこと(既述)、その発症の情況も<証拠略>及び上来認定した事実並びに<証拠略>によると、昭和三九年中までの我国でのク網膜症の症例報告数は七件、その後同四〇年に九件、同四一年に八件(以上の合計は二四件、年平均は八件)であつたこと、(なお、その後、昭和四七年三月一五日までに一四件の報告があり、以上までの合計は三八件、年平均では四~五件程度であり、そのことが当時までの我国における医学文献上明らかにされていた。)同様、前記証拠によつて認められる。我国におけるクロロキン製剤の年間販売量は、昭和四四年に約一万一、八〇〇キログラム、昭和四五年に一万〇、六四一キログラム、昭和四六年に八、八一六キログラム、昭和四七年に四、九四七キログラム、昭和四八年に二、〇〇〇キログラムであって、昭和四四年以降逐年減少していたこと、ク網膜症は重篤な障害であるに相違ないものの生命それ自体に直接影響するものと疑うべき証拠はなかつたこと等の情況があつたのであり、これらのことを総合して考えると、右薬務局長通知までの間、製薬会社の積極的対処を期待して、経過を見守るということも、あながち怠慢とはいえず、また、右通知についても、これを契機として、製薬会社の副作用調査と自主的対策がいつそう進み、臨床医師もク網膜症に関する認識を深め得るであろうことを期待し得ないではなかつたと考えられるので、通知の内容が不十分であつたこと、また、その後直ちに次の措置にも移らなかつたり、他の措置をとらなかつたことをもつて厚生大臣を非難することは相当でない。
これを要するに以上いずれの観点からするも、原告患者らのク網膜症の罹患について、厚生大臣が、国民の健康の維持、増進をはかるべき責務を怠り、国民の期待に反して、当然なされるべき副作用回避措置を怠つていたものと評価することはできず、注意義務に反したとは認めるに足りないというべきである。
四 厚生大臣の故意・過失
厚生大臣が、ク網膜症の存在を認識していたにとどまらず、その発生を認容しながら、作為に出なかつたという事実を認めるに足りる証拠はない。また、右に判断したところによれば、厚生大臣に同症回避措置を怠る等職務上の義務違反があつたとはいえないから、その過失も認めるに足りないというほかはない。
したがつて、被告国は、原告患者らのク網膜症罹患について国家賠償法に基づく損害賠償義務を負うものではなく、原告らの被告国に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当である。
第七節 被告医師及び同医療機関経営者の責任
第一医療水準と医師の注意義務
現代の医薬品は、人工的に合成された化学物質である場合が多く、人体にとつては本来異物であつて、その病変・病理現象を抑制、治癒させる方向に働くことがある一方、有害な侵襲をももたらす危険をはらんでいる。そこで製薬業者は、できる限り病変等を治癒させる効力が強く、しかも人体への有害な影響すなわち副作用の少ない医薬品を求めて、開発、製造を続けるのであるが、疾病が重大であり、かつ、他により優れた治療方法が確立されていない場合には、たとえ相当重大な副作用の危険を伴う医薬品ではあつても、その治療効果の面からこれを提供することが適当であると認められるときには、それが製造、販売されて、医師、患者に提供されることを是認せざるを得ない。
また、医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保すべきものであつて(医師法一条)、その診察、治療をするに当たつては、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求される(最高裁第一小法廷昭和三六年二月一六日判決・民集一五巻二号二四四頁参照)のであるが、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。すなわち医師としては右の水準における最善を尽くさなければならない。したがつて、医師が診療を行うに当たり、右基準に則つた注意義務を怠つて、その診療する患者の生命、身体若しくは健康に害を加えるに至つたときは、過失があるものとして、民法七〇九条の規定に基づき、その被つた損害を賠償する責に任じなければならない。しかし、医師の行つた診療がその当時の右の水準に照らして最善を尽くしたものと認められる場合においては、当該医師は右基準による注意義務に違反したものということはできないから、右の責任はないものというべきである。
ところで、右にいう診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準とは、問題とされる診療行為がなされた時期において、当該診療行為をした医師の専門分野、当該医師が置かれた社会的、地理的環境等を考慮して具体的に判断されるべきものであり、かつ、この場合の診療行為のよるべき医学理論は、当該診療行為に関する医学理論のうち、臨床医学の現場において、種々の医学的実践、追試を経たうえその有用性が確認されたものに基づくべきものである。したがつて、一部の研究者が研究の成果として新たに発表した知見、理論、技術等であつて、未だ臨床医学の現場での効果と副作用、危険性と安全性等についての安定した知見、技術が確認されたとはいえないもの、そしてそのゆえにいまだ臨床医学の現場における実践に定着するまでにいたつていない理論ないし知見等は、右にいう臨床医学の実践における医療水準には達していないものというべきである。それゆえ、医師がその診療する相手方に対して、右の水準に達していないいわば新知見ないしは新学説ともいうべき理論ないしは技術によつて診療を行わなかつたからといつて、その医師において前記注意義務を怠つたものとすることはできない。
もつとも、医師は、その地位及び職責にかんがみ、多くの研究報告、成書等によつて、その学問的知見を深めるとともに、臨床にもたずさわることによつて、その経験を蓄積、深化させることを不断に要求されて当然であるし、患者の診療にたずさわる場合には、自己の有する最高の医学的知識と経験に従つてこれに当たるべきものである。しかし、このことは、医師一般が、未だ、臨床医学の実践における医療水準としての医学的知見等にまで達しているとはいえない特殊あるいは高度の医学的知見等に基づく診療を行わなかつたがために、前記の義務に違反したものとされあるいはそのために民事上の法的責任を問われることを必ずしも意味するわけではない。他方また、右のように臨床医学の実践における医療水準としての医学的知見等にまで達していない特殊あるいは高度の医学的知見等を十分に修得している医師が、患者の同意のもとに、これによつて診療を行うことも法律上ゆるされないわけのものではなく、それは当該医師の裁量に属するところである。そして、例えば大学医学部付属病院の医師のように常に高度の医学的知見及び医療技術あるいは医薬品、医療設備、機器等に豊富に接触している医師以外の一般の開業医その他の医師からみれば特殊ないし高度であつても、当該医学部付属病院の医師からすれば必ずしもそうではなく、同病院内での診療の現場においては既に臨床医学の実践における医療水準を形成するにいたつているものとみられる医学的知見ないしは医療技術もあろうが、このような場合の当該大学医学部付属病院に所属して診療に従事する医師についての注意義務の程度は、右の病院内での医療水準に基づき判断されるべきである。けだし、大学は学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする(学校教育法五二条)が、このような大学に置かれる医学部は、医学の理論的、技術的研究の最先端を行くのが常であり、その付属病院は、右の最先端の理論的、技術的研究を実践の場に移して臨床医学の現場における実践的医療水準を高めるための研究と実践を行うものであるからである。もちろん多くの病院の中には大学医学部に附属しなくとも臨床医学の現場における高い実践的医療水準を維持しているものもあるであろうし、大学医学部に附属する病院であつても例外的に未だ必ずしも高い実践的医療水準を保持するにいたつているとはいえないものも中にはあるかも知れない。しかし、右のような特段の事情のない限り、一般的にいえば、大学医学部附属病院の実践的医療水準は、大学医学部の前記のような使命と、内、外の最近の知見、技術に接する機会の多い大学医学部と密接している(大学医学部の教授以下の研究者は同時に医学部附属病院の臨床医を兼ねているのが通常であろう。)ことにかんがみ、右のような高い実践的医療水準を保持しているのが一般であるとみて妨げはないものと考えられる。
ところで、臨床医療の現場における個々の治療に当たり、医師が医薬品を用いる場合においてもどのような薬剤をどのような方法で投与するかは、医師が、患者の具体的状況に応じ、副作用にも注意を払いつつ、決定して行くべきものであり、その限度において、医薬品の使用は医師の裁量に委ねられているということができるが、右の裁量もまた医療の現場における実践的医療水準に照らして是認できる範囲内にあるものでなければならない。したがつて医師は、常日頃、右の医療水準に照らし、医薬品の有する科学的性質のみならず、薬効の程度、範囲、さらには副作用の有無、種類、内容などを十分に認識把握していなければならないことはもちろん、投薬の際、また投薬中にも、製薬会社側からの情報の有無に捉らわれることなく、常にその時々の右医療水準に照らして自ら右の諸点を調査確認しつつ医療行為にたずさわる義務がある。
そして医師が右のような医療水準の是認する裁量のもとに正しい判断をなし得るためには、各薬剤について、効果、用法、用量、さらに副作用についての情報等が、誤りなく、なるべく詳細に伝えられていることが必要であり、そのような知識、情報は、各医師においても、一般薬理書、論文、学会報告、その他の文献あるいは同僚医師の知見等から広くこれを収集するよう不断の努力を尽くすことがもとより望ましいことではあるが、臨床医師が、膨大な種類の医薬品の全てについて、正確にして十分な知識を自らの力で獲得することは、通常期待し得ないところであつて、医師としては、当該薬剤に付せられた製薬業者からの情報すなわち能書、二つ折り等を直接のよりどころとするほかはないことになる。そしてまた、一般的にいつて、製薬業者は、副作用に関する知識・情報を収集する能力において、臨床に携わる医師にも優るものであること、製薬業者は、医薬品を製造、販売することにより利益を得ることを目的とするものであること、副作用がきわめて重大な身体被害を発生させる場合があり得ること、したがつて、製薬業者はその製造、販売する医薬品による副作用の防止のために極力努力すべき法的義務を負つていること、すなわち、製薬業者は、医薬品の開発、製造に当たつては、十分な文献調査、実験、研究等をして、その有効性はもとより、安全性をも確認し、副作用の有無、程度等を予め知悉したうえ、副作用の存在するにもかかわらず、有用性があるものと認めて、ある医薬品につき、その製造、販売をすることとした場合には、副作用の種類、程度、発生の蓋然性の程度、さらには副作用防止、回避の方法等を医師、患者に伝達する方策を講じるべき義務を負うばかりでなく、製造、販売を開始した後にも、その副作用について反覆継続して調査すべきであり、たとえ相当長期間の使用で重大な副作用の症例が現れなかつた場合でも、右継続調査義務が軽減されるものではないこと、そして、当該医薬品が販売され実用に供されている間は、副作用調査義務は存続し、その間、製薬業者は、当該医薬品に関する医学、薬学その他関連科学分野における内外の文献、報告等の資料を調査して副作用情報を常時収集するよう努めなければならず、このような調査によつて、販売後、当初知られていなかつたかあるいは当初予想されたよりも重大な副作用情報を入手したときは、速やかにこれに対処すべく調査検討に着手し、副作用の発生を回避する可能な限りの措置を講ずべきであること、また、当該医薬品の即時の製造、販売の中止、既に流通している医薬品の回収措置がとられないような場合にも、医薬品を使用する臨床医師及び一般国民に対しては、起こり得べき副作用の種類、性質、発生の蓋然性、その検知方法、予防手段の有無、回避方法等について能う限り詳細な最高水準の情報を提供すべき義務を負うものであること、特に慢性疾患を適応とする医薬品については、当然長期間にわたる使用が予想されるものであるから、長期連用が副作用の危険を増大させると考えられる場合には、効果と副作用の徴候とを注意深く見守りつつ投与し、一定期間に効果をあげえないときは、投薬を打切るようにその注意をうながし、漫然長期連用されることのないよう厳重な警告を発すべきであることは、当然のところである。
このように、医薬品は、その時々の最高の学問的水準に基づいて製造されあるいは改良されて行くものであるが、そのような学問的水準に属する知識、情報を最も良く収集し得るのは、当該医薬品を製造販売する製薬業者である。したがつて、医薬品が臨床の医師によつて適切に使用されるためには、製薬業者は、医薬品の効果及び副作用に関する的確な情報を誤りなく医師に提供しなければならないこともいうまでもない。
この意味において、製薬会社から提供される能書、二つ折り等の文書のうち、少なくとも法定の添付文書に記載された特定の医薬品に関する情報、資料は、それが臨床医学の実践における医療水準そのものを意味するものとは必ずしもいえず、またそれだけが右医療水準の全部であるとはいいきれない場合があるにしても、右医療水準が奈辺にあるかをみるうえで重視すべきものといわなければならない。したがつて、医師は、少なくとも右の添付文書に記載された医薬品情報については、平常からこれに接するよう自ら努め、これを十分に理解したうえで、当該医薬品を用いる治療に当たるべきものであり、製薬会社の側から添付文書による新たな情報の提供がなされた旨の情報の提供がなければ添付文書の改訂がなされたことすら知らないなどということがあつてはならず、まして禁忌とされている場合であるのに医師としてこれに気付かずあるいはこれを無視して当該医薬品を投与服用させるようなことをしてはならないのが原則であることはいうまでもない。
かくして、個々の患者の病状や生体の各条件すなわち、性別、年令、個体条件、生活条件、過去の病歴、生体機能、薬品処理能力、投与禁忌、受療条件等を考慮したうえ、ある医薬品が患者の疾病の治療にとつて有益、かつ、必要と決定した場合であつても、当該医薬品の投与により、特に注意すべき重篤な例えばク網膜症のような副作用を発生する危険があるときは、医師は、手術のときと同じく、投与に先立つて、一般的には必ず、特定の場合(例えば病状、患者の心理等々に照らして特段の配慮が不可欠とされるような場合)にはその裁量により、患者に対し治療の目的、内容、効果とともにその副作用の危険性等の情報を十分に説明開示し、その危険を受容するか否かの諾否を求める義務がある。そしてこの義務は、右の医薬品の有用性が肯定されるからといつて軽減され免除されるべきものではない。また、右の説明開示は、少なくとも副作用が重篤なものであるときには、そして副作用発生の危険性が高い場合にあつてはもちろん、その危険性が必ずしも高いとはいえない場合であつてもその危険性が存する限りは、患者の右諾否を得る前提として必要であるばかりでなく、医師が結果回避措置を講ずるための一つの判断資料として、医学、薬学の知識のない患者に当該医薬品による副作用の徴候を自発的に訴えさせるためにも(その医薬品によつてある副作用が生じうることを具体的に説明されていないときには、患者にはある身体的な異常の自覚が果たして右医薬品に起因するものか否か分からないのが普通であろうから、その医薬品による異常をいち早く医師に訴える機会を与えるためにも)必要なはずである。
そして、患者の危険受容の同意を得た場合であつても、もとより漫然と長期にわたり投与することがあつてはならず、治療経過を観察診断しながら適宜用量、期間等を調節し、副作用を発現させることなく治療目的(治癒)を達成するよう努力すべきものである。
第二亡山村巌のク網膜症罹患と医療機関設置者としての被告国の責任
さて、亡山村巌が被告国の設置している神戸大学医学部附属病院において、同被告の被用者である同病院勤務の日和佐一良医師から腎疾患の治療のため昭和三九年三月から昭和四一年六月一七日までエルコクイン(訴外塩野義製薬株式会社の製剤である硫酸ヒドロキシクロロキン錠)一日三~四錠、同年六月一八日から昭和四二年一月六日までCQC一日六錠、同年一月七日から同年六月二日まで及び同年七月二三日から同年九月三〇日までCQC一日九錠、同年一〇月一日から昭和四三年九月二〇日までCQC一日六錠、同年一一月六日から昭和四五年五月二九日まで及び同年一〇月一二日から昭和四六年三月六日までレゾヒン一日三錠の各投与を受けてこれを服用したことは、関係原告らと被告国との間で争いがなく、個別損害認定一覧表56掲記の証拠によると、次の事実を認めることができる。
1 亡山村巌は、昭和三九年一月一六日同病院第二内科で慢性腎炎と診断され、同年三月から五月二九日まで入院し、昭和四七年七月まで週に一度程通院して腎炎の治療を受けてきた。
そして、その間、第二内科で主に日和佐一良医師から前記の期間、同表に記載のとおり、クロロキン製剤を投与されたのであるが、日和佐医師は、右投与を開始した当時クロロキンにより角膜障害の発生し得ることは知つていたが、網膜障害の可能性については認識していなかつた(<証拠略>によると、同医師は昭和四五年一月に、前記昭和四四年一二月の薬務局長通知を見て初めて知つたことが認められる。)。
したがつて、同医師はクロロキン製剤の投与前及び投与中に亡山村巌に対し、その服用により網膜障害が発生する場合もあり得ることを説明開示していなかつた。もつとも同医師は角膜障害の副作用については右のとおり知つていたから、昭和四一年七月二五日以降は投与中に眼症状及び自覚症状について絶えず問診をし、必要に応じて眼科の受診を指示した。
2 亡山村巌は、昭和四五年一二月ごろその妻の原告山村伊都子に「暗い所が見えにくい。」とか「夜盲かな。」などと話していた。そして昭和四六年一月ごろには電話台につまずいたり、階段を踏みはずしたりするようになつた。
亡山村巌は昭和四六年一月六日日和佐医師に眼がチカチカする旨訴えたが、これは二週間程で消失した。その後再び同年三月六日同医師に同様の訴えをしたので、同医師は、同人に対し同病院の眼科の受診を指示して受診させたところ、眼科からク網膜症の可能性を示唆されたので、同人に対するクロロキン製剤の投薬を中止した。
他方、このころの亡山村巌の病状はといえば、同表に認定するとおり、昭和三九年五月二九日までは入院したものの、その後は通院しており、昭和四五年には、「主婦の店ダイエー」(現在のダイエー)に三ノ宮地区長として勤務していたのであつて、昭和四五年一二月ごろ夜盲を生じたというのであるから、少なくとも同三九年ごろの慢性腎炎の病状としてみれば、さほど重篤、深刻な状況にはなかつたものと推認される。
右のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
ところで、日和佐医師が亡山村巌に対してクロロキン製剤の投与を開始した右昭和三九年三月の時点までには、既に外国文献としては1から39まで(<証拠略>)がみられる一方、我国内においても既に1から8まで(<証拠略>)が発表され、その中には、ランセツトやJAMAなど著名な医学雑誌に掲載された論文が含まれていたのであるから、同医師の所属し、かつ、クロロキン製剤が腎炎に有効である趣旨の論文を既に昭和三三年六月に発表して以来学会での前記論争の端緒を開いた辻教授の属する神戸大学医学部第二内科においては、クロロキン製剤の有効性に関する問題とならんでその副作用としてのク網膜症発症の可能性に関する知見が臨床医学の実践における医療水準を形成するにいたつており、もはやクロロキン製剤の服用に伴うク網膜症発症の危険性を認識することが可能であつたと推認される。
右のような昭和三九年三月当時のク網膜症に関する知見の状況、亡山村巌の病状のほか、それまでの学会での議論、外国において腎炎治療のためにクロロキン製剤を使用している国はないこと、アメリカにおいては、アラーレンが、前記認定のように、昭和三四年から昭和三八年一月にかけての検討を経ていたことからすれば、同大学医学部第二内科に所属する日和佐医師としては、自らがいわば臨床の現場において、一定の患者にクロロキン製剤を投与する以上、その効果とともに副作用発生の有無、程度をも十分適確、かつ、慎重に把握するのに努めるばかりでなく、内外のクロロキン製剤に関する研究報告等の文献をも収集研究し得た(同大学病院第二内科としては、当然それらについての研究、調査を自ら行うべきものであつたのである。)ものというべきである。
以上述べたところのほか、<証拠略>を総合すると、日和佐一良医師らの勤務していた被告国の設置する神戸大学附属病院の医療環境、研究体制、診療については、講座(第二内科)と医局とが表裏一体の関係になつて教授の指導監督の下に一応自主的に独立運営されており、教育、診療及び研究も行われていたことが明らかなのであるから、既に昭和三九年三月当時までにおける神戸大学医学部第二内科における臨床医学の実践における医療水準としては、当時の患者である亡山村巌の慢性腎炎の治療にクロロキン製剤が使用されるときはク網膜症が発症する危険性が伴うことを予知し得たものであつて、日和佐医師が同人に対しクロロキン製剤を使用するのであれば、同人に対して、現に同人が罹患している腎疾患の病状とこれに対するクロロキン製剤の有する効果について説明する一方、同科が我国ではじめてクロロキン製剤の腎炎に対する効果に着目したものであること、その腎炎に対する有効性については議論があること及びクロロキン製剤については外国及び我国の文献上、副作用特に重篤な眼障害を惹起する可能性があるかも知れないと報告されていることを告げて、クロロキン製剤の服用につき、同人の意思を確認するべきであつたものといわなければならない。
そしてこの場合、同人にクロロキン製剤を投与した日和佐医師の個人的認識ないしは医学的知識の程度がク網膜症にまではいたつていなかつたことは、同科の臨床医学の実践における医療水準が前記の程度に達していたものとする妨げとはならない。
被告国は、亡山村巌の腎炎の治療上クロロキン製剤の投与がどうしても必要であつたと主張する。しかし、これによるク網膜症罹患の危険を受け入れるか否かの最終的な選択については、治療上の必要性とは別に患者本人の自由な意思決定にゆだねられるべきものであり、医師としては、治療上の必要性からこれを患者において受容することが最善であると考えるときには、患者がこれを受容するよう、その知識、経験に照らして、慎重ではあつても十分な説得を行うべきではあるが、それにしても右の最終的な選択は医師にではなく、患者によつてなされなければならないのである。患者の生命を守るためには同製剤の投与が必要不可欠であつたから、その失明もやむをえないものとは、亡山村巌の当時の病状をみれば、到底考えられないところである。<証拠略>によると、一般に医師は処方した薬についての毒作用や危険を患者には話をしない場合が多いことがうかがわれないでもなく、また病状が重篤で致命的であるような場合には、これについての説明を患者あるいは家族に行うべきか否かを決定することは、医師に対し困難な判断を要求することとなり、当該患者の診療に当たる医師の裁量にするというべき場合もないではない。しかし、これも場合によるのであつて、前記認定の事情のもとにおける亡山村巌に対するクロロキン製剤の投与の場合にあつては、重篤な副作用であるク網膜症については、患者の危険受容の承認を得るための説明がなされるべきであつた、といわなければならない。確かに日和佐医師は、必要に応じ眼症状を問診したり、眼科検査を指示したりしているが、患者に対しあらかじめ右のような副作用が生じ得ることを知らせていたときと、そうでないときとでは、患者の自己の眼に対する日ごろの注意の程度、異常を感じた場合の医師に対する訴え方、医師の指示に対する反応等もおのずと違つてくるはずであり、あらかじめ副作用の説明をしていた場合には、患者本人の自己防衛意思も加わつて、かえつて結果発生の回避の一助となることも否定できないと思われる。
以上によれば、そもそも日和佐医師としては、患者亡山村巌に対しては、少なくとも、昭和三九年三月当時においてクロロキン製剤を用いて慢性腎炎の治療を行うからには、その所属する神戸大学医学部附属病院第二内科におけるクロロキン製剤の腎炎に対する有効性の知見にあわせてこれについての医学上の議論あるいは副作用の発症についての概略を同人に告げ、特に、クロロキン製剤の服用に伴い重篤な網膜症の生ずるおそれがあることを説明し、その服用による腎炎に対する治療効果と対比考慮して服用を継続するか、又はこれを拒絶するかについて、同人の意思を確認し、その受容の返答を得ておくべき義務があつたものである。そして、前記認定の事実関係のもとにおいては、日和佐医師においては、右の義務を尽くすことが可能であつたものと推認されるにかかわらず、同医師が右の点の配慮を行つたことを認めるに足りる証拠はなく、かえつて当時同医師はクロロキン製剤の副作用であるク網膜症についての知見を有することがなかつたのであるから、同医師は同大医学部附属病院第二内科の臨床医学の実践における医療水準に従つた医療上の知識が十分でなく、そのため漫然右義務を右の患者亡山村巌に対して果たすことなく、クロロキン製剤を投与して治療を続けたため、同人のク網膜症の発症をみる結果を招来したものというほかはなく、同医師は右の点において同人に対する診療に当たり、少なくとも過失があつたものといわなければならない。
そして前記のような亡山村巌の病状及びクロロキン製剤の腎疾患に対する効果、その副作用等々を総合してみれば、同医師としては、同人に対しクロロキン製剤を投与しないのがむしろ最善であつたというべきであるが、もしそれにもかかわらず、これを投与する必要があるとして、亡山村巌に対し、前記の説明を尽くしていたならば、同人は、クロロキン製剤を服用することに同意しなかつたものと推認できる。
したがつて被告国は、民法七一五条に基づき、右日和佐医師の亡山村巌に対するクロロキン製剤の投与により、同人にク網膜症の発症をみたために被つた同人に損害を賠償する義務がある。
第三一般の医療水準と医師の責任
次に大学医学部の附属病院についてはともかく、一般の内科、整形外科、精神科の領域での臨床医学の実践における医療水準として、クロロキン製剤の服用により、重篤な副作用としてのク網膜症が発症する危険があるとの医学的知見が定着した時期について検討する。
なる程、前記認定のとおり、昭和三九年三月までにおいてすら、内外の多数の文献がクロロキン製剤の服用とその副作用としてのク網膜症の発症を問題として論じ、昭和四二年には、日本文献46(最新医学)及び同116(内科)のような文献が存在し、かつ、同年三月一七日には厚生大臣による劇薬、要指示薬の指定とその薬事公報への掲載がなされたことのほか、<証拠略>によれば、家庭向け医学書である「家庭の医学百科シリーズ8」(昭和四三年六月一〇日発行)には、クロロキン製剤の服用に伴う副作用としての網膜障害についての記載があつたうえ、<証拠略>によれば、「リウマチ入門」(昭和四〇年九月刊)にもある種の抗マラリヤ剤の服用による稀な網膜疾患についての記載がなされていたことが認められること等からみれば、同剤の服用による副作用としての網膜障害の発症が医学上の知見として医学界に存在していたことは疑いがないであろう。
しかし、他方前記認定の事実関係と<証拠略>、前記クロロキン製剤の販売実績等のほか、<証拠略>によれば、今日にいたるも腎疾患における蛋白尿の改善にクロロキン製剤は有効であるとされ、昭和四七年当時にもなおこれを評価する内科医の意見は強く、臨床の現場において、一般の医師によつて同剤がまだ大量に使用されていたこと、クロロキン製剤の服用による網膜障害についての製薬各社の情報の提供は甚だ不正確、不十分であつたこと、同剤の服用量とク網膜症の発症との相関関係が今日にいたるもなお十分明らかとはいえず、まして右の当時には未だ明らかでない点も多かつたこと、昭和四七年三月ごろまでの我国におけるク網膜症発生の報告は合計三、四〇件にとどまつたこと、クロロキン製剤の服用による副作用としてのク網膜症の重篤性、なかんずくその進行性、不可逆性についての医学的知見も十分でなく、「家庭の医学百科シリーズ8」のような家庭向け医学書に右のような記載があるからといつて必ずしもその記載内容が臨床医学の実践における医療水準を形成していたとはいい難いこと、一方厚生大臣の劇薬要指示薬指定も、薬剤を直接取扱う一般の薬店、薬局や薬剤師あるいは一般の薬店から買薬する一般の消費者にとつては兎も角、当該薬剤を投与して治療に当たる医師自身の立場からすれば、これまで多くの臨床医師によつて大量に使用されてきた薬剤である以上、右の指定がされたからといつてこのこと自体に対し格別重要な意味を感じ取らなかつたとしても無理はない面があるとも考えられること、前記のとおり、日和佐医師がク網膜症について知つたのは、昭和四五年一月のことであり、後記のとおり、被告武内が原告菅原靖夫の眼の異常がクロロキンによるものかも知れないと知らされたのは昭和四六年九月であつたこと、藤田医師がク網膜症を認識したのは昭和四六年七月であつたこと、冲中内科書においてクロロキン製剤による副作用としてのク網膜症発症の危険についてはじめて記述されたのは昭和四六年刊行の第四一版であること、<証拠略>によれば、同年一〇月一四日の朝日新聞の紙上に「クロロキン剤で中毒」なる見出しで、クロロキン製剤の長期服用とク網膜症発症に関する、四段にわたる一三糎四方以上の記事が、ク網膜症とその不可逆性、進行性について触れた吉川太刀夫医師の話及び厚生省製薬第一課長による「クロロキンについては、以前から、使用中に少しでも目の障害が現れたら投薬を中止すること、クロロキンによる目の障害のある患者には服用させないこと、など使用上の注意書を添えるよう薬品メーカーに伝えてあるが、四四年一二月、この注意書を統一するように指導した。」等の談話と一緒に掲載されたこと、右新聞記事をみてはじめて被告の佐藤医師はク網膜症を知つたこと、昭和四七年に入つて前記のいわゆるドクター・レターの発送及び同年四月二〇日発行の「日医ニユース」への右文書の内容の掲載がなされたこと等の各事実が明らかであるほか、<証拠略>をも併せて考えると、クロロキン製剤の服用により、不可逆性、進行性であることの多い重篤な副作用としてのク網膜症を発症する危険があるとの右新聞の報ずるような内容の医学的知見は、遅くとも昭和四六年一二月末のころには、既に臨床医学の実践における医療水準を形成するにいたつていたものと認めるのが相当であるが、昭和四二年末、あるいは昭和四六年一二月末以前のころには、未だ右の医療水準を形成するにいたつてはいなかつたものといわなければならない。したがつて、昭和四七年以降は、一般の開業医ではあつても、その医師としての通常の注意を用いて診療に当たつている限り、クロロキン製剤の長期の投与によるク網膜症発症の危険があることを知つていたかあるいは少なくとも容易に知り得た状況にあつたものであつて、もしこれを知らないならば直ちにこれを知るべきものであつたのであり、あるいはこれを知つていたのであれば、これを知りながらクロロキン製剤を服用させるに当たつての患者に対する前記所要の説明を特段の理由もなく行わないようなことをしてはならないのであつて、昭和四七年以降は、右の措置に出ないままその患者に対するクロロキン製剤の投与、服用をさせた医師については右の点において過失の責めをまぬがれないものというべきである。
ところでク網膜症は前記認定のとおり、その服用量と発症との関係について必ずしも明らかでないものがある。しかし、極めて短期間少量の服用によつてはその発症をみないとされていること、他方薬物の服用に伴う副作用は、一般的には、長期間大量の服用の度に対応して発現の危険を増すものであつて、ク網膜症の場合もその例外とは考えられないことを思えば、クロロキン製剤の服用期間の長短、服用量の多少がク網膜症の発症との因果関係の存否を考えるに当たつての重要な考量要素の一つであることは当然である。また、眼科検査その他の眼科領域での検査あるいは自覚によつて眼障害あるいは眼の異常が発見されたときにおいて、それがク網膜症による症状の発現であるときは、もはやク網膜症としては、不可逆的で進行性を有しているところから、既にほどこすべき手はなく、クロロキン製剤の投与中止を右の段階で行つてみても意味はないものとみられること、ク網膜症の発現端緒としての眼障害あるいは眼の異常は、必ずしもク網膜症に特有の特異症状を示すとは限らないものであること、ク網膜症以外にも網膜の疾患は少なくなく、またク網膜症との鑑別を要する眼疾患も存在すること、網膜にク網膜症以外の疾患はある者にクロロキン製剤の投与がなされることは、前記認定のとおり、能書においては禁忌とされているが、しかしク網膜症の発症に促進的に作用するか否か、何の関係もないものかどうか等は本件全証拠を検討してもなお必ずしも明らかでなく、さらにはク網膜症の発症に必ずク角膜症が前提的に発症をみているものではなく、両症は一応関係のない別個独立のクロロキン製剤服用に伴う副作用であるとみられること等々にかんがみると、クロロキン製剤の能書あるいは二つ折りないしは厚生省薬務局長通知に示めされている眼科検査はク網膜症の発症を予防阻止するためには無力であつたというほかないから、これらにいう眼科検査等を行わなかつたことをもつて、クロロキン製剤を投与して患者の治療に当たつた医師の過失をいうこともできず、またこれらの検査を行わなかつたことのゆえに結果発生すなわちク網膜症の発症を招いたということもできず、あるいはク網膜症以外の網膜疾患があつた、あるいは眼の異常が眼科検査あるいは患者の自覚によつて認められた者に対するクロロキン製剤の投与であるから、そのゆえにク網膜症の発症を招いたものということもできないのである。
これを要するに、クロロキン製剤を投与して患者の治療に当たつた医師の責任が問われるのは、臨床医学の実践における医療水準として、クロロキン製剤の投与特にその長期大量の投与は、その重篤な副作用であるク網膜症を発症させるおそれがあるとの医学的知見が定着しているにもかかわらず、これを知らずに漫然クロロキン製剤を長期大量に投与する治療を続けたか、あるいは知つている場合には患者にこれを投与するに当たり、患者の病状その他の状況に応じ、あらかじめ所要の説明をして患者の承諾を得たうえでクロロキン製剤の投与をすべきであるにかかわらず、右の説明をして患者の承諾を得ることを怠つてクロロキン製剤を投与した場合である。
第四個々の患者について
さて、本件の原告患者らのうち、クロロキン製剤の投与による治療に関して、医師の責任が問われている患者の原疾患は、腎疾患(清水桃子9、寺島久夫12、菅原靖夫15、川北文太26、三牧龍春32、岩崎幸子35、木下かつ子36、木下邦夫40、岩崎春喜42、奥田豊臣46、亡山村巌56、亡高橋清澄69、以上12名)、てんかん(亡小村晴輝)及びリウマチ(小栗セツ74、豊永キヌ子76)であるところ、亡山村巌以外の右原告患者ら及び亡小村晴輝、同高橋清澄のクロロキン製剤の服用状況及び各自が眼の異常を自覚した時期等についてみると、次のとおりである。
一 はじめに原告三牧龍春、同菅原靖夫、同木下邦夫、同清水桃子及び亡高橋清澄についてみることにする。
(被告珠洲市関係)
原告三牧龍春が被告珠洲市の開設、経営する珠洲市総合病院において、同被告の被用者である同病院勤務の中浜俊次医師から腎疾患の治療のため昭和四四年一月三一日以降同四六年一〇月ごろまでキドラ一日当たり三錠ないし六錠の投与を受けてこれを服用した事実は、関係原告らと被告珠洲市との間で争いがなく、個別損害認定一覧表32掲記の証拠と<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
1 原告三牧龍春は、腎炎の治療のため同病院に昭和四四年一月三一日から同年七月三一日まで入院し、退院後も昭和四六年末まで二週間に一度位の割合で通院し、その間主治医である中浜俊次医師から前記のようにキドラを昭和四四年一月三一日から同年二月二四日まで一日三錠、同月二五日から同年一二月三一日まで一日六錠、昭和四五年七月一三日から昭和四六年一〇月一五日まで一日六錠それぞれ投与されて服用した。
2 中浜医師は、同原告に対しキドラの副作用等を全く説明することなく、その投与をしていたが、同原告は、入院中の昭和四四年五月ごろに虹視、複視を自覚し、その旨中浜医師に訴え、同医師の指示で右病院の眼科で診察を受けたが原因が分からず、その後同眼科の紹介で金沢大学医学部附属病院眼科で診察を受け、「外直筋麻痺」と診断された。
3 しかし、その後も同原告の前記の目の異常が続いていたところ、同原告は、それが薬の副作用とは思いもよらず、腎炎の食餌療法のせいだと考えていたため、そのことを中浜医師に訴えることはせず、同医師も以後眼科の検査を指示することがなかつた。
以上のように認められ、右認定に反する証拠はない。
(被告武内関係)
原告菅原靖夫が武内医院において、医師である被告武内から腎疾患の治療のため昭和四一年四月二二日以降同四六年九月に至るまでの期間キドラ一日当たり三錠の処方を受けた事実は関係原告らと被告武内との間で争いがなく、右事実と個別損害認定一覧表15掲記の証拠及び<証拠略>とによれば、次の事実を認めることができる。
1 原告菅原靖夫は、ネフローゼのため昭和三一年ごろから各所の病院に入、通院してその治療を受けてきたが、昭和四一年四月二二日以降はその治療のために被告武内の経営する武内医院に通院するようになり、同被告から右同日以降昭和四六年九月二五日までの間に約一〇〇回にわたりキドラ一日三錠の処方せんの交付を受け、その処方せんで吉田薬局において処方してもらい、合計三五〇〇~三六〇〇錠を服用した。
2 ところで、同原告は、同被告からキドラの副作用等の説明を一切受けていなかつたが、昭和四三年ごろ薄暗い所で物が見えにくくなり、さらに昭和四四年ごろからかすんで物が良く見えず、眼が疲労しやすい等の症状が現れるようになつた。
他方、同被告は、昭和四二年五月のキドラの能書改訂までは、キドラの服用で眼障害の発症しうることを知らなかつたが、右改訂された能書を見て、同年六月からおおむね二か月に一度被告武内自らが電気精密検眼鏡を用いて同原告の眼底検査を行つてきたところ、異常を認めなかつた。そしてその後、昭和四五年一月一九日同原告が眼の疲れを訴えたので、同被告は八木橋眼科に紹介したが、その診断では眼底にほとんど変化はないということであつた。しかし、同原告は週一回程度右眼科で診療を受け、さらに同四六年七月からは二本松眼科医院に通院していたところ、被告武内は同年九月九日に右医院から、原告菅原靖夫の眼底変化がクロロキンによるものであるかも知れないから投与を中止するよう連絡を受けた。
以上のように認められ、一審における原告菅原靖夫本人の供述中右認定に反する部分及び<証拠略>中被告武内が眼検査をせず投与を続けたとの趣旨の記載部分は、<証拠略>及び<証拠略>と対比して採用せず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
(被告日赤関係)
原告木下邦夫が被告日赤の開設、経営する京都第一赤十字病院において、同被告の被用者である同病院勤務の藤田裕医師から腎疾患の治療のため昭和四三年三月一五日から同四六年七月六日までキドラ一日六錠の投与を受けてこれを服用したことは、関係原告らと被告日赤との間で争いがなく、個別損害認定一覧表40掲記の証拠と<証拠略>によれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆えすべき証拠はない。
1 原告木下邦夫は、昭和四二年四月(当時高校三年生)以降急性腎炎のため治療を受けていたが、経過がはかばかしくなく、同年九月六日以降は松江市立病院に入院又は通院して治療を受け、その間同年一一月二〇日から昭和四三年二月一七日までCQCを一日九錠投与されて服用した。
その後、右病院の紹介で、同年二月二〇日から国立大田病院に通院し、同日から同年三月一四日までキドラを一日三錠投与され服用した。
しかし経過が思わしくないため、京都第一赤十字病院に同年三月一五日から八月一六日まで入院し(入院時、軽ないし中度の慢性腎炎と診断された。)、その後は時々通院して治療を受け、その間右のように藤田裕医師からキドラの投与を受けた。
2 しかし、同原告は、藤田医師はもちろん、その他の医師からも、キドラやCQCの副作用の説明は受けていなかつた。
3 同原告は、入院中の昭和四三年五月ごろ眼に異常を感じ、このことを藤田医師に訴え、眼科で検査を受けたところ、眼底に異常はなく、近視であつて眼鏡により矯正可能と診断された。しかしその後、昭和四五年一〇月ごろにテニスをしているとき、球がある方向、ある角度に来ると見えにくいことを感じたが、気のせいかと思い医師に訴えることはしなかつた。昭和四六年五月には視野に異常を感じるようになつたものの、そのうちに治ると思つていたところ、全く良くならなかつたので同年九月藤田医師に訴え、同病院の眼科で診察してもらつた結果、左眼に中心視野欠損があることが判明した。
(被告朝倉関係)
原告清水桃子が被告朝倉の開設、経営する赤羽中央病院において、同被告の被用者である同病院勤務の仙波邦博医師から腎疾患の治療のため昭和四五年七月三〇日から同四六年一〇月までCQC一日当たり六錠の投与を受けてこれを服用した事実は、同原告と被告朝倉との間で争いがなく(同原告が主張している昭和四二年ごろから同四五年七月二九日までの投薬事実が認められないことは個別損害認定一覧表9で判断したとおりである。)同表9掲記の証拠によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右すべき証拠はない。
1 原告清水桃子は、昭和三五年一月ごろから腎炎を患い、各所の病院で治療を受けてきたが。昭和四一年一月二七日以降赤羽中央病院に通院するようになり、仙波邦博医師から前期の期間CQCの投与を受けたものである。
2 ところが、仙波医師は、右投与中クロロキン製剤の服用により網膜症の発現することを全く知らなかつたため、同原告に対しその説明もしていないところ、同原告は、右投与中の昭和四五年に霧視、暗点を自覚していたが、CQCの服用で眼障害が生ずるとは思いもよらなかつたため、仙波医師にこれを訴えることをしなかつた。
3 同原告には、CQC服用前から高度近視による網脈絡膜萎縮があつた。
ところで、右のとおり、同原告にはCQCの投与前から右認定のような網膜に異常があつたのであるから、同原告に対するCQCの投与をしてはならない旨右投与当時のCQCの能書には使用上の注意として記載されていたのにその投与がされたのであるから、仙波医師は右の使用上の注意にしたがわなかつたものであるが、同医師の右投与当時の臨床医学の実践における医療水準が前記認定のとおりであつたのであるうえ、右のような網膜の異常とク網膜症の発症との関係を明らかにする証拠は何もないのであるから、同原告のク網膜症罹患について、同医師に過失があるとすることはできない。
(被告佐藤関係)
亡高橋清澄が、いずれも腎疾患の治療のため、旭化成健保組合病院において昭和四〇年七月五日から同四四年三月一二日までの間、被告佐藤の経営する佐藤医院において昭和四四年三月一二日から同四六年一一月一五日までの間、いずれもキドラ一日三錠の投与を受けてこれを服用したこと、右のうち、旭化成健保組合病院における昭和四三年五月三一日までの投薬は当時同病院に勤務医であつた被告佐藤がしたもの、佐藤医院における投薬は院長の同被告自信がしたものであることは、関係原告らと同被告との間で争いがなく、右争いのない事実と個別損害認定一覧表69掲記の証拠、<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
1 亡高橋清澄は、昭和三九年三月急性腎炎で伊井病院に入院し(なお、一か月後に慢性腎炎と診断された。)、同年五月から六月の間キドラ一日三錠を投与されて服用し、同年七月旭化成健康保険組合病院(岡富病院)に転院し、当時同病院に勤務していた被告佐藤の治療を受けたが、経過が思わしくなかつたため昭和四〇年四月大川病院に転院して同年七月まで同病院に入院し、その間に同年五月から七月までキドラを一日三錠投与されて服用した。
2 そして再び昭和四〇年七月二日から同四四年三月八日まで旭化成健康保険組合病院(恒富病院)に入院し、被告佐藤及び他の医師から同四〇年七月五日以降同四四年三月一二日までキドラを一日三錠投与されて服用したが、被告佐藤は同四三年五月三一日他の病院に転勤したので、同被告が自らの責任で右期間中にキドラを投与したのは、同四〇年七月五日から右転勤日までである。
亡高橋清澄は、右退院後昭和四四年三月一二日以降、当時被告佐藤が開業していた佐藤医院に通院するようになり、前記のように同被告から同四六年一一月一五日までキドラを一日三錠投与されて服用した。
3 同人は、伊井病院や大川病院の医師及び被告佐藤のいずれからも、キドラの副作用等の説明は受けていなかつた。むしろ被告佐藤は、同人に対するキドラの投与中ク網膜症のことを知らず、キドラにより眼障害が生ずる旨の前記昭和四六年一〇月一四日付けの新聞報道を人づてに聞き知り、初めて右の事実を知つたものである。
4 他方、亡高橋清澄は、昭和四四年三月ごろ視力が減退し、同年四月ごろからは夜間の歩行が困難となり、同四五年九月ごろ中心視野が消失した。そして、同年三月二七日初めて視力の異常を被告佐藤に訴えたが、この時同被告の紹介した高尾眼科での診断は特発性夜盲というものであつた。以上の事実が認められ、<証拠略>の記載中右認定に反する部分(特に、昭和三九年七月から同四〇年四月まで前記岡富病院で被告佐藤からキドラの投与を受けた旨の部分)は、前記<証拠略>及び被告佐藤京本人の供述と対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
以上に認定の各事実関係によれば、右の各原告及び亡高橋清澄はいずれもクロロキン製剤を昭和四六年一一月一五日までにすべて服用してしまつているのあつて、前記認定のとおり、クロロキン製剤の服用とク網膜症の発症に関する臨床医学の実践における医療水準がいまだに形成されるに至つていなかつた時期にそれぞれその原疾患の治療を受けていた医師からクロロキン製剤の投与をされ、かつ、右の医療水準の形成された時点以後においてはもはやクロロキン製剤の投与を受けていなかつたものであるから、右のクロロキン製剤の投与をした医師についてその注意義務違反をいう余地はなく、また右の投与医師の所属していた医療機関の経営者について民事上の責任を論ずることもできないものといわなければならない。
したがつて、被告珠洲市は原告三牧龍春の、被告武内は原告菅原靖夫の、被告日赤は原告木下邦夫の、被告朝倉は原告清水桃子の、被告佐藤は亡高橋清澄のそれぞれク網膜症罹患による各損害を賠償する義務はないものというべきである。
二 そこで次に昭和四七年に入つてからもクロロキン製剤を服用し続けていた原告らのうち原告奥田豊臣、同寺島久夫、同川北文太、同岩崎春喜及び亡小村晴輝についてみることにする。
(被告高知市関係)
原告奥田豊臣が被告高知市の開設、経営する高知市立市民病院において、同被告の被用者である同病院勤務の菅野泰医師から腎疾患の治療のためCQCを昭和四五年六月二日から同月二九日まで一日九錠、同月三〇日から昭和四六年五月一〇日まで一日一二錠、同月一一日から昭和四七年二月二八日まで一日九錠、同月二九日から同年五月七日まで一日六錠それぞれ投与されて服用したことは、関係原告らと被告高知市との間で争いがなく、個別損害認定一覧表46掲記の証拠と<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
1 原告奥田豊臣は慢性腎炎の治療のため同病院に昭和四五年四月一五日から同四七年四月二八日まで入院し、その後は通院して、その間主治医である菅野泰医師から前記のようにCQCの投与を受けたのであるが、入院当初の所見は尿毒症に近い重症であつた。
2 昭和四六年一一月二一日同原告に眼瞼結膜貧血様の症状が出現し、同年一二月八日右眼瞼結膜(球血膜)の充血をみた際、眼科の受診をさせたところ、フリクテン性結膜炎と診断され、その時同時に眼底検査も併せ行つたが、角膜混濁や網膜症の所見は認められなかつた。
3 同原告は、退院間近の昭和四七年四月ごろに差明や薄暗い所で物が見えにくいなどの目の異常(右の角膜炎とは全く違う症状)を自覚したが、菅野医師に対しそのことを強く訴えることなく退院し、自ら進んで同年五・六月ごろ岡宗眼科医院で検査してもらつたものの原因が分からず、そして右異常が顕著になつたので、通院受診時の同年六月二〇日と七月四日菅野医師に訴え、同医師の指示紹介で市民病院の眼科の診断を受けるに至つた。
4 菅野医師は、原告奥田(入院時二九才)自身に対しては、CQCの投与に先立ち、さらにはその投与中にもCQCの眼に対する副作用等の説明を全くせず(前記<証拠略>すなわち菅野医師の供述書には、CQC投与前母親に対してはその説明をした旨の記載があるが、原告奥田豊臣本人は母親である原告奥田壽美恵からその旨を聞いていないと供述しており、かつ、右供述書自体からも少なくとも原告奥田豊臣に対しては菅野医師が直接に右説明をしていなかつたことは明らかである。)、したがつて、眼の異常を感じたなら伝えるよう指示してもいなかつた。
右のように認められ、他に右認定を左右する証拠はない。
(被告私学共済関係)
原告寺島久夫が被告私学共済の開設、経営する私立学校教職員共済組合下谷病院において、同被告の被用者である同病院勤務の佐藤重幸医師から、腎疾患の治療のため、昭和四四年一二月二三日から同四七年三月二三日までCQC一日当たり三錠の投与を受けてこれを服用した事実は、関係原告らと被告私学共済との間で争いがなく(原告らが主張している昭和三八年から同四四年一二月二二日までの投薬事実が認められないことは、個別損害認定一覧表12中で判断したとおりである。)、同表12掲記の証拠によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右すべき証拠はない。
1 原告寺島久夫は、急性腎炎のため同病院に昭和三六年六月一七日から同年一〇月まで入院し、その後も二週間に一回づつ通院して治療を受けてきたところ、途中から担当医となつた佐藤重幸医師から前記のように昭和四四年一二月二三日以降キドラの投与を受けるに至つたのであるが、右通院中は血圧と尿の検査をされたのみであり、血液検査も年に一、二度受ける程度であつた。
2 同原告は、佐藤医師からCQCの副作用等の説明を受けていなかつたところ、昭和四五年一〇月ごろ左眼にかすかな異常を感じ始め、同年一二月左眼に輪状のちらつきを自覚し、同四六年七月ごろには右眼にも同様の症状が現れた。昭和四六年五月ごろ、同原告は、左眼の異常を佐藤医師に訴えたが、同医師は薬とは関係がないから安心して服用せよといつたのみで、眼科の検査も指示せず、依然CQCの投与を続けていた。
(被告田中関係)
原告川北文太が被告田中の開設、経営する田中病院において、同被告の被用者である同病院勤務の尾関久医師及び山崎茂郎医師から腎疾患の治療のため昭和三九年一二月二一日から同四三年四月一日まで、同四四年一〇月三日から同四六年二月一二日まで、同年七月二〇日から同年一〇月一七日まで及び同年一一月一五日から同四七年五月二二日まで、いずれもキドラ一日三錠の投与を受けてこれを服用したことは、関係原告らと被告田中との間で争いがなく、個別損害認定一覧表26掲記の証拠によれば、原告川北文太は、腎炎のため昭和三九年一一月から四〇日程他の病院に通院し治療を受けたが、病状に変化がなかつたため、田中病院に昭和三九年一二月二一日から昭和四〇年七月一〇日まで入院し、以後は昭和四七年五月二二日まで一週間から二週間に一度の割合で同病院に通院して治療を受け、その間担当医(昭和四二年八月まで尾関医師、同年九月一日以降山崎医師)から前記のとおりキドラの投与を受けたのであるが、右通院中は、その都度検査をするというわけではなく、しても尿検査のみで、ただ薬をもらつてくるだけのことが多く、また右両医師は、キドラの副作用等について同原告に対し全く説明などしていなかつたこと、ところが、同原告は、同年四月ごろから視力が低下しはじめ、同四五年ごろ夜盲が始まり、同四六年一〇月ごろ電燈の下で新聞を読むと小さな活字がぼやけて見えるようになつたので、そのころ山崎医師に対し、「新聞の字が読みにくくなつた。」と訴えたが、相手にされず、引き続き投薬を受けているうち、同四七年に至り柱時計の文字も見えなくなつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(被告岩森関係)
亡小村晴輝が被告岩森の経営する和光医院において、医師である同被告からてんかんの治療のため昭和四五年一月三〇日から同四八年四月一五日までの間(若干の休薬期間を含む。)レゾヒン一日四錠の投与を受けてこれを服用したことは、関係原告らと被告岩森との間で争いがなく、個別損害認定一覧表20掲記の証拠と<証拠略>によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
1 亡小村晴輝は、昭和四四年一月(当時中学二年生)からてんかんの発作がひんぱんになつたので、和光医院に診察を受けに行つたが、被告岩森が内科と小児科を専門の診療科目としていたため、同被告の母校である昭和大学医学部附属病院神経科を紹介され、同年一月二七日以降同大学附属病院に入、通院して治療を受け、その間昭和四四年二月一九日から昭和四五年一月までレゾヒンIIの投与を受けて服用した(その詳細は、個別損害認定一覧表20の「クロロキン製剤の服用状況」欄記載のとおりである。)。
2 ところが、右大学病院への通院に片道一時間半もかかるため、亡小村晴輝の父である原告小村信次が被告岩森に対し薬を処方して欲しいと依頼し、結局同被告は、亡小村晴輝が三か月おきに右大学病院で検査を受けること、投薬は同病院の処方せんにより行うという条件で同人の診療を引受け、前記のように、昭和四五年一月三〇日から同四八年四月一五日までの間、途中に合計約六四〇日の休薬期間をはさんでレゾヒンIIを一日四錠投与し、同人はこれを服用した。
3 原告訴訟承継人小村信次は、右大学病院においても、また被告からもレゾヒンの副作用等の説明は何ら受けていなかつた。そして、亡小村晴輝は、昭和四八年四月ごろ視力低下、視野欠損を自覚し、同年秋ごろから右眼障害は急激に悪化した。
右のとおり、右の各原告及び亡小村晴輝はいずれも昭和四七年に入つてからもクロロキン製剤の投与を受けているけれども、右の投与を受けた期間は、昭和四六年一二月末までのクロロキン製剤の投与を受けた期間に比して著しく短いかかなり短いことが計算上明らかであるから、右の各原告及び亡小村晴輝にあつては、いずれもその投与期間と投与量及び眼の異常が自覚された時期、その程度、状況からすると、昭和四六年末までのクロロキン製剤の投与によりク網膜症の発症をみたものと推認するのが相当である。
なお、被告岩森の亡小村晴輝に対する治療の場合について付言するに、一開業医にすぎない同被告ではあつても、同被告が亡小村晴輝の診療を引き受け、そして実際に診療行為を行う(なお、医師法二〇条参照)からには、医師としての投薬上の注意義務を遵守しなければならないのは当然であつて、自ら治療にたずさわる以上は、あくまでも自己の医師としての責任において薬の種類及び用法、用量の選択を行うべきものであり、他の大学の処方せんあるいは他の医師の治療方針の如きは、自己の診療の際の参考資料としての意義を有するにとどまり、それ以上に出るものではないのであるから、大学病院の処方せんにより投薬したから責任はないなどとは到底いえない。
そして、個別損害認定一覧表20の「クロロキン製剤の服用状況」欄で認定したところによると、亡小村晴輝は、被告岩森による投与の開始直前の約一年間昭和大学附属病院においてレゾヒンIIを服用し、さらに同被告による投与の終了後眼障害が発症した後も約六〇日間永井病院でレゾヒンIIの投与を受けているが、同人のク網膜症の発症については、右昭和大学附属病院におけるレゾヒンIIの投与及び昭和四六年一二月末までの和光病院における被告岩森によるレゾヒンIIの投与が一体となつてその原因をなしているものと考えられ、被告岩森による昭和四七年以後の投与が右結果の発生にどの程度寄与したかは明らかでない。もつとも被告岩森は、昭和四七年以後は、医師としてク網膜症を予見することは十分可能であつたのに、レゾヒンの服用に伴うク網膜症発症の危険を亡小村晴輝またはその保護者に説明して同人らから右危険の受容の承諾を得る措置を講じることなく昭和四八年まで投与を継続しているのであるが、同被告が昭和四七年になつて亡小村晴輝に対するレゾヒンIIの投与を中止したとしても、もはや同人のク網膜症の発症を回避し得なかつたものと考えられる。
また原告奥田豊臣については、<証拠略>によれば、入院中次第に症状が快方に向かい、昭和四五年一〇月ごろからは時折り外出できるようになり、以後外出の回数も増え、同室の患者らとゲームを楽しむような状態になつたことが認められるけれども、この当時の臨床医学の実践における医療水準が前記のとおりであつたことに照らせば、同原告に対して、菅野医師がCQCによる網膜障害等についての説明をしないでクロロキン製剤を投与したことは必ずしも非難されるべきものであつたとはいえず、右の当時以後の同原告の同剤投与を避け得る必然性もなかつたものとみざるを得ない。したがつて、昭和四七年当初に至つて、同原告に対するCQCの投与が中止されるに至つたとしても、同原告は既に昭和四五年六月から長期間大量のCQCを服用していたから、昭和四六年一二月末までの服用期間、服用量からすれば、もはや同原告のク網膜症罹患を回避できなかつたものというべきである。
(被告微風会関係)
原告岩崎春喜が被告微風会の開設、経営する微風会浜寺病院において、同被告の被用者である同病院勤務の樋口悟郎医師から腎疾患の治療のため昭和四四年六月二八日から同四六年秋ごろまで個別損害認定一覧表42の「クロロキン製剤の服用状況」欄記載のとおりキドラ及びCQCの投与を受けてこれを服用した事実は、関係原告らと被告微風会との間で争いがなく、同表42掲記の証拠によれば、次の事実を認めることができる。
1 原告岩崎春喜は、慢性腎炎のため昭和四四年六月二三日から自分が非常勤職員として勤務していた前記病院に通院して治療を受け、主治医の樋口悟郎医師から前記期間中キドラとCQCを同時に、またはキドラを単独でそれぞれ投与されて服用したのであるが、樋口医師は、クロロキン製剤の服用により網膜症の発現することを知らなかつたため(同人は昭和四六年一〇月一四日の新聞報道で初めて知つた。)、同原告に対しそのことを説明していなかつた。
2 同原告は、昭和四五年一一月ごろから光視、羞明、複視等を自覚するようになり、樋口医師に訴え、同月二七日眼底検査を受けたが、その後も樋口医師に対し眼の異常を訴えたものの、時折眼底検査をするのみで、何らの指示も処置もしなかつた。
以上のように認められ、他に右認定を左右する証拠はない。
ところで、<証拠略>の樋口医師の供述書によれば、同原告に昭和四五年一一月二七日の眼底検査の結果、網膜に異常があり腎炎性網膜炎を疑わせる所見であつたことが認められるから、昭和四四年一二月二三日の厚生省薬務局長通知とその後の被告製薬会社の能書における前記「使用上の注意事項」からも明らかなとおり、既に網膜障害のある患者に対しクロロキン製剤を投与することは禁忌とされているのであるから、そもそも特段の事情もなく同原告に同製剤を投与服用させるようなことがあつてはならなかつたのであり、右「使用上の注意事項」は昭和四五年二月二一日発行の「日本医事新報」に掲載されたほか、同年三月以降のキドラの能書及び同年六月以降のCQCの能書にも同じ内容の記載がされたのであるから、樋口医師としては同年一一月ごろの眼底検査の結果により、その時点以降のクロロキン製剤の投与を原則的には中止すべきであつたのである。
しかしながら、同原告は右の昭和四五年一一月当時までに既に大量長期にわたるクロロキン製剤の投与を受けてこれを服用していたものであり、右の時点以後の服用の期間及び服用の量は右に比してはるかに短かく少ないこと及び右の眼の異常の発現時期をも考えると、同原告のク網膜症の発症は、右の時点で同剤の投与、服用を中止してもこれを防ぎ得なかつたものとみざるを得ない。
なお、右の時点以前において樋口医師は、同原告に対してキドラ及びCQCの両剤を投与し、その量も三錠と六錠あるいは三錠と九錠というように多く、右のような薬剤投与が望ましくない方法であることは一般的には当然というべきであるものの、医師の投薬に関する裁量を逸脱したものとまでいいきるべき資料もないので、これを必ずしも不当とするわけにはいかないのである。
以上によれば、原告奥田豊臣、同寺島久夫、同川北文太、同岩崎春喜及び亡小村晴輝らに対するクロロキン製剤の投与については、投与した医師あるいは投与した医師の勤務する医療機関に対する民事上の責任を問うことはできないものといわざるを得ない。
三 続いて原告小栗セツ、同豊永キヌ子、同木下かつ子、同岩崎幸子について検討する。
(亡松谷関係)
原告小栗セツが亡松谷太郎の経営する松谷医院において、医師である亡松谷太郎からリウマチの治療のため昭和四四年一〇月から同四九年九月まで(ただし、同四五年八月一三日から同年一二月二四日までの間を除く。)エレストールを一日六錠投与されて服用したことは関係原告らと松谷訴訟承継人との間で争いがなく、個別損害認定一覧表74掲記の証拠によれば、原告小栗セツは、多発性関節リウマチのため松谷医院に通院して治療を受け、前記の期間松谷医師からエレストールの投与を受けたほか、同月一四日から同年一二月二四日までの間同医師の処方せんによらないで自ら薬局からエレストールを購入して服用したのであるが、当時同医師からエレストールの副作用等の説明を受けていなかつたところから、昭和四九年三月ごろ霧視を、同年九月頃夜盲をそれぞれ自覚するようになつたにもかかわらず、薬のため眼が悪くなるとは夢にも思わなかつため右の異常を同医師に訴え出ず、同月三〇日に初めて同医師に眼の異常を告げた結果眼科の受診を勧められたことが認められる。なお、原告らが主張している昭和四一年九月から同四四年九月までのエレストールの投薬の事実が認められないことは個別損害認定一覧表74の「付加説明」欄で判断したとおりであり、他に前記の認定を左右するに足りる証拠はない。
(被告国際親善関係)
原告豊永キヌ子が被告国際親善の開設、経営する国際親善病院において、同被告の被用者である同病院勤務の樋口良雄医師からリウマチの治療のため昭和四一年三月二二日から同五〇年二月四日までの間、その途中に若干の休薬期間をはさんでエレストール一日六錠の投与を受けてこれを服用したことは、関係原告らと被告国際親善との間で争いがなく、個別損害認定一覧表76掲記の証拠によれば、原告豊永キヌ子は、リウマチのため昭和三八年夏ごろから国際親善病院で治療を受け、樋口良雄医師から前記の期間エレストールの投与を受け、合計一万四五七四錠を服用したのであるが、同医師は右投与期間中同原告に対しエレストールの副作用等の説明などは何ら行わず、他方、同原告は、昭和四九年六月ごろから視力低下等の自覚症状があつたが、エレストールの服薬が原因とは思わなかつたので、樋口医師に眼の異常を訴えなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(被告三屋関係)
原告木下かつ子が被告三屋の経営する三屋病院において、医師である同被告から腎疾患の治療のため昭和四六年一〇月二一日から同四八年三月四日までCQC一日九錠の投与を受けてこれを服用したことは、関係原告らと被告三屋との間で争いがなく、個別損害認定一覧表36掲記の証拠と<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。
1 原告木下かつ子は、疲れやすく脚にむくみが出たので、昭和三八年一一月六日被告三屋の診察を受け、同被告の紹介で東京女子医大(附属病院)に赴き受診したところ、同月一五日腎炎と診断され、直ちに入院して治療を受けたが、経過がよく自宅療養が可能となつたので、昭和三九年六月一九日退院した。この間同三八年一一月一九日から同三九年六月一九日まで、一日にキドラ三錠とCQC九錠を投与され、合計六一九錠を服用した。
2 ところが、七年後の昭和四六年一〇月になつて再び疲労と脚部浮腫の症状が出現したので、同月二一日被告三屋の診察を受けたところ、慢性腎炎と診断され、以後昭和四八年二月二六日まで三屋医院に通院して治療を受け、同被告から前記のとおりCQCを投与されて合計二九三四錠を服用した。
3 同原告は、東京女子医大でも、また被告三屋からも、CQCやキドラの副作用について全く説明など受けていなかつた。
しかし、東京女子医大でCQCとキドラを服用していた間及び服用を終えてから被告三屋のもとで投与が再開されるまで約七年余の間も、同原告は眼の異常を自覚したことはなかつた。そして同原告は、同被告の処方でCQCを服用中、昭和四七年末ごろ色覚の異常、同四八年二月ごろ視力低下と夜盲を自覚したが、当時は極めて軽度のものであつたため、その異常がCQCによるものとは思い至らず、したがつて同被告に対しても右異常を訴えることはせず、そのまま同年三月他に転医した際に偶然CQCの服用をやめるようになつた。
右のように認められ、右認定に反する証拠はない。
右事実によると、被告三屋によるCQCの投与については、同被告に責任があつたことは否定できないものというべきである。すなわち、同原告のク網膜症の発症は昭和四七年に入つてからも投与された大量長期間にわたるクロロキン製剤の服用によるものと推定されるところ、同被告がCQCの投与を開始した昭和四六年一〇月の時点からみると、同年には、既に冲中内科書にクロロキン製剤による網膜障害の記載がなされるにいたつていたばかりかCQCの能書(昭和四五年六月改訂のもの)には、昭和四四年一二月二三日付け厚生省薬務局長通知の「使用上の注意事項」と同一内容の記載があつたし、CQCの投与開始から約六か月後の同四七年四月には、製薬会社一六社連名の「クロロキン含有製剤についてのご連絡」と題する文書が全国各地の医家に配布されており、CQCの服用がク網膜症の危険を伴うことは、もはや医師の常識となつていたものというべきにもかかわらず、昭和四七年になつても同被告は原告木下かつ子に対しCQCの右副作用について何らの説明もせず、昭和四八年にいたるまで長時間にわたり漫然と投与を継続していたものである。この点につき<証拠略>中には、CQCの能書を遵守して投与したとの記載があるけれども、右記載は前記認定に供した証拠と対比して採用しがたい。
また、数年前に東京女子医大で同原告がCQCの投与を受けていたことがあつたからといつて、一たん服薬を断つて数年を経た後もなお医師である同被告が同原告に対してCQCを漫然投与してよいわけのものでないことも当然というべきである。
(被告谷藤関係)
原告岩崎幸子が被告谷藤の経営する谷藤病院において、医師である同被告から腎疾患の治療のため昭和三八年一〇月七日から同三九年二月五日までと昭和四六年一二月二二日から、同四七年一二月二一日までの間個別損害認定一覧表35の「クロロキン製剤の服用状況」欄記載のとおりキドラ一日三錠又は六錠の投与を受けてこれを服用したことは、関係原告と被告谷藤との間で争いがなく、同表35掲記の証拠によれば、原告岩崎幸子は、急性腎炎のため昭和三〇年夏ごろから同四八年三月まで谷藤病院に入院または通院して被告谷藤の治療を受け、その間同被告から前記のようにキドラの投与を受けたのであるが、同被告は、右投薬に当たり同原告に対しキドラの副作用等の説明を一切せず、昭和三九年春に同原告が霧視、羞明等を自覚した際(この症状はその後しばらくして消失した。)、その旨同原告から訴えられたが、栄養失調を理由として放置し、また昭和四七年春にも同原告に同様の自覚症状があつたためその旨同原告から訴えられたのに、前回の時と同じ理由を述べて取り合わなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
右の事実によれば、昭和三八年から同三九年にかけてのキドラの投薬については、その当時一般の開業医がクロロキン製剤の服用による網膜症の発症を予測することは困難であつたと考えられるので、同被告に過失の責めを問うことはできないが、昭和四六年一二月二二日以降昭和四七年一二月二一日までの間の投薬のうち、昭和四七年以降における同被告の投薬について同被告に過失のあることは従来他の被告医師又は医療機関経営者の責任についての判断において説示したところから明らかである。
とすれば、原告岩崎幸子は被告谷藤の投薬上の過失によりク網膜症に罹患したというべきである。
右の各事実関係によれば、右の各原告については、いずれも昭和四七年以降のクロロキン製剤の服用期間がかなり長いか著しく長いことが明らかであるほかその服用がよりク網膜症の発症に直接的とみられるところ、クロロキン製剤の服用量とク網膜症の発症との間に量的あるいは服用期間との関係には明らかでないものがあるけれども、数週間程度の服用からの発症は我国ではみられておらず、外国の報告例では一年以上、塩基にして一〇〇グラム以上の服用による発症が多いとされていること及び右各原告において眼の異常を自覚した時点及びその内容が前記認定のとおりであることを対比して考えると、右の各原告患者らのク網膜症の発症については、昭和四七年以後におけるクロロキン製剤の服用が、同原告らのク網膜症の発症の原因となつているものと推認するのが相当である一方右の期間の服用がなければク網膜症発症の蓋然性は低かつたものと推認される。そして右各原告らに対しクロロキン製剤を投与してこれを服用させた各医師が昭和四七年以後その当時の臨床医学の実践における医療水準に照らして前示の措置を採つたことを認めるに足りる証拠はなく、また、右の措置を採らなかつたことについて、少なくともその罹患していたリウマチ等の疾患が致命的であつた等のこれを止むを得なかつたものとすべき特段の事情の存在を窺うに足りる事実関係を認めるに十分な証拠も存しないところ右各原告の病状等とク網膜症の重篤さからすれば、右の医師において右の措置を採つていたならば、右各原告らはクロロキン製剤の投与を受けてこれを服用することがなかつたものであり、したがつて右各原告らのク網膜症の発症についてもこれを避け得たものと推認される。そうすると右のとおりクロロキン製剤を投与した各医師または医療機関経営者は、それぞれ、その対応する原告らに対して、前記の過失により同各原告がそれぞれ被つた損害を賠償する義務がある。
四 医師の過失の介在と被告製薬会社の責任
被告製薬会社は、本件の原告患者らの一部の者は、その各治療行為に関与した各医師の漫然長期にわたるクロロキン製剤の投与等による過失が原因となつてク網膜症に罹患したのであるから、被告製薬会社には右罹患について責任がない旨の主張をしている。
しかし、右の各医師にクロロキン製剤の投与の際もしくは投与中の過失があつて(前記のとおり一部の医師らには過失があると認められる。)、そのために原告ら患者の一部の者がク網膜症に罹患した場合であつても、右投薬上の過失のゆえに、直ちに被告製薬会社の責任が否定されるものではない。すなわち、被告製薬会社の義務違反がなお存続していて、それと原告患者のク網膜症罹患との間に相当因果関係がある限りは、被告製薬会社は責任を免れ得ないのは当然であるところ、被告製薬会社が履行すべきであつた結果発生回避義務の内容は前記のとおりであり、これらはク網膜症の発症を回避することを目的としていたのであるから、被告製薬会社の右義務の不履行と原告ら患者のク網膜症罹患との間における医師の過失が介在したとしても、それが被告製薬会社の義務違反と結果発生との間の因果関係を中断するものでないことは極めて明らかである(なお、被告国の義務違反は前記のとおり認められない。)。
また、原告患者らの中にはクロロキン製剤を昭和四二年三月一七日の要指示薬指定後にも買薬して服用した者が三名(原告小栗セツー個別損害認定一覧表74、昭和四五年八月一四日から同年一二月二四日までエレストール、同高崎千鶴子―同表80、昭和四一年四月から昭和四四年八月までキドラ、亡中谷清子―同表84、昭和三九年九月から昭和四七年七月までエレストール)おり、右三名が医師の処方せんで買薬したことを認める証拠はない。このことは、薬局開設者等の薬事法違反(現行法四九条)の所為を窺わせるところではあるが、原告小栗セツが買薬服用したのは松谷医師による昭和四四年一〇月から昭和四九年九月までのエレストール投与中の前記期間にすぎず、したがつてこの買薬の事実のみをあえて問題視する必要はないし、原告高崎千鶴子については、慢性腎炎の治療を目的に、また亡中谷清子の場合、既にリウマチ治療のために昭和三七年八月から昭和三七年九月まで医師の投与でエレストールを服用し、その後も引き続き要指示薬指定の昭和四二年三月までこれを買薬服用していたのてあるが、被告製薬会社において前記の措置を採つていたならば通常買薬して服用するようなことはなかつたはずであるといえるのであるから、薬局開設者に過失があつたとしても、被告製薬会社がその責任を免れることはできない。
第五結論
以上のとおりであるから、亡山村巌の相続人である原告山村伊都子、同山村千惠、同山村章の被告国に対する請求、原告小栗セツの松谷承継人に対する請求、原告岩崎幸子の被告谷藤に対する請求、原告木下かつ子の被告三屋に対する請求、原告豊永キヌ子の被告国際親善に対する請求、はいずれも理由があるが、原告寺島久夫、同菅原靖夫、亡小村晴輝の一審での訴訟承継人小村信治、同小村富美枝、原告川北文太、同三牧龍春、同木下邦夫、同岩崎春喜、同奥田豊臣、同清水桃子、亡高橋清澄の相続人である原告高橋清助、同高橋タツエらの関係医師若しくは医療機関経営者を被告とした各請求は、いずれもその余の点を考えるまでもなく失当である。
なお、前期のところによりその各対応する原告らに対して損害賠償の責任を負う被告医師あるいは同医療機関経営者の右の責任と被告製薬会社の責任との関係については、不真正連帯の関係に立つものと解すべきである。(なお、医師らの責任が認められた右各場合において、その損害評価基準日には既に医師らの責任が生じていたことは明らかである。)
第八節 損害
一 はじめに
原告患者らは、いずれも各人の原疾患の治療のため、少なくとも約一年、長きは一〇年を超える期間にもわたつてクロロキン製剤を服用した結果、ク網膜症に罹患したものである。しかも、各人につき個別損害認定一覧表で認定するところによれば、同症による眼障害の程度は、完全失明もしくはこれに準ずるものまたはかなり高度の視力低下及び視野欠損を伴うものである。そして、右眼障害のため原告患者らは、労働能力の全部または一部を喪失し、かつ、社会生活、家庭生活上種々の不自由、不便、不利益を被り、重度の眼障害に罹患した者は日常の起居飲食等に必要な基本的動作を、その程度の差こそあれ他人の介護なしでは十分に行うことができないなど、物心両面にわたり少なからぬ損害を被つたものとみられる。以上は、前記認定の事実関係に照らして明らかなところである。
そこで次に原告患者らの被つた損害額を算定するに当たつて、これに関する二、三の問題につき、あらかじめ当裁判所の考えを述べておくこととする。
そもそも、交通事故に起因し被害者が被つた人的損害(慰謝料を含む。)を算定するに当たり、簡易、迅速、公平を旨として、いわゆる損害の定額化ないしは損害算定基準設定の試みが既に十余年前からなされており、今日まで種々の角度からする修正、批判が加えられてきていることは、当裁判所に顕著である。しかし、右の試みにおける定額化あるいは基準設定なるものは、交通事故の場合における右の損害算定の場合であつても、少なくとも訴訟でその額が争われている以上、これを参考とするにとどめるべきであつて、個々の具体的事案における損害賠償額の算定に当たり、形式的、一般的、画一的に、裁判所はもちろん当事者のいずれをも羈束すべき性質のものであり得ないことは事柄の性質上きわめて当然のことといわなければならない。したがつて、本件においても、右による定額ないしは基準額については、それが当裁判所に顕著である限度において、これを本件における原告患者らに関する損害額の算定に当たり、参考とすることを妨げられる理由はない。しかし、本件がいわゆる交通事故に起因する被害者の損害額の算定を行う事案ではないことはいうまでもないから、これを交通事故における損害額算定の場合と同一に論ずるべきものでないことも多言を要しない。けだし、交通事故における損害賠償額の算定は、自動車交通の急速な普及と発展に伴つて、交通事故が不可避ともいえる程の様相を呈して、不断に、しかも大量に、かつ、長年にわたつて発生し続けている現代社会の現実のもとに、いわゆる自賠責保険のほか、各種の任意保険の逐次の充実成長による加入者増及び交通事故におけるいわゆる被害者、加害者間の互換性の度合がきわめて高い点なども勘案してなされているものであるからである。当裁判所は、以上の各見地から、本件においては、各原告患者ら(あるいは各原告、以下本節において同じ。)ごとに、個別、具体的に、認定する事実関係その他本件証拠によつて認められる諸般の事情を彼此勘案したうえ、しかし同時に右原告患者ら相互間及び全体的見地からする公平と均衡をもできるだけ保つように配慮するのと併せて、交通事故の場合を含む各種損害賠償の事例をも念頭におきながら、本件における損害額の認定を行うものである。
また、我国法によれば、不法行為に基づく損害賠償は、加害者に対し、被害者が被つた損害の全額を賠償させるべきである、とはされていないのであつて、法律上賠償すべきは、右の全額のうち、当該損害を発生させる原因となつた不法行為と相当因果関係の範囲内にある額に限られ(最高裁判所第一小法廷昭和四八年六月七日判決民集二七巻六号六六一頁参照。)、しかもそれは当該不法行為において現実に発生したものであるべきである(最高裁判所第二小法廷昭和四二年一一月一〇日判決民集二一巻九号二三五二頁参照。)。そして、何をもつて、右の相当因果関係内にある額とするかは、社会通念その他諸般の事情を考慮して裁判所がこれを定めるのである。
したがつて、後に述べるとおり、原告患者らに対する慰謝料の算定に当たつても、既に公知となつている社会事情や国際事情の推移はもちろん、証拠によつて認められる多種多様の事実関係を詳細、十分に、かつ、具体的、多角的に考慮することは当然であるし(それらのうち、当裁判所が重要と考える点については詳細な説明をするが、考慮したすべての点について必ずしもこのような説明を行い個別具体的にこれを示すことはしない。)、また、当裁判所が原告患者らの逸失利益を算定するに当たつても、例えば退職の日等のある日が属する年の翌年一月一日から起算し、労働能力喪失の程度の変化につき、変化の生じた日が属する年の翌年一月一日からそのランクが変わつたものとし、若干の労働能力の低下、喪失についてはこれを考慮せず、その介護費の算定に当たり両眼〇・〇二(〇・〇二Pを含む。以下同じ。)の視力を超える原告患者らについてはこれを付与すべきものとはせず、また両眼視力〇・〇二以下の者についてはこれを付与することとするが、その起算日は翌年一月一日からとし、また、当初は両眼について〇・〇二を超える視力を有していた者が、ある日から両眼について〇・〇二以下の視力を有するにすぎないこととなつた場合も、この者に対する介護費付与の起算日は右の日の属する年の翌年一月一日からとし、あるいは、昭和六一年一二月三一日までの積算が可能ないわゆる逸失利益及び介護費についてこれを毎年ごとに算出して積算(いずれも毎年ごとに一万円未満は切捨て)し、右の積算額のみならず、認定する損害額(ただし弁護士費用を除く。)に対してはすべて後記のいわゆる損害評価基準日から法定利率による遅延損害金を付加することとして、右の積算額についてはいわゆる中間利息の控除を行わず、右基準日はすべてある年の一月一日とする等種々の配慮を行つているのも、本件において当裁判所が認定する諸般の事情等に照らして、本件における損害額の算定についてはそのように配慮することを相当と認めたからにほかならない。
さらに右のような観点からすれば、訴訟追行を弁護士に委任した場合の弁護士費用については、原告患者らが具体的に支払うこととした額や一定の基準による計算額とはかかわりなく、当該事案の難易、請求額、認容額その他諸般の事情を斟酌して当裁判所が相当と認める額の範囲のものに限り、当該不法行為と相当因果関係に立つ損害とすべきであり(最高裁判所第一小法廷昭和四四年二月二七日判決民集二三巻二号四四一頁)、また、慰謝料についても、被害の程度はもとより、当事者双方の社会的地位、職業、資産、加害の動機及び態様、被害者の年齢、職業、学歴等諸般の事情を参酌すべきであることはむしろ当然の事柄(最高裁判所第二小法廷昭和四〇年二月五日判決裁判集民事七七巻三二一頁参照。)といわなければならない。なお、弁護士費用についての遅延損害金は、それぞれの被告に対する訴状送達の翌日からとする。
二 いわゆる「制裁的慰謝料論」と本件慰謝料について
原告らは、本件のように被告製薬会社や同国が故意・重過失で原告患者らをク網膜症に罹患させた事案にあつては、右被告らが原告患者らに対し支払うべき慰謝料の額は懲罰、制裁の意味も含めて民事交通訴訟における慰謝料額の三倍位が相当であると主張する。
しかし、前記のとおり、被告製薬会社に故意・重過失が認められず、また、被告国の責任も認められないのであるから、原告らの右主張はその点において既に失当であるが、以下、右「制裁的慰謝料論」について述べる。
不法行為により被害者の被つた精神的損害に対する慰謝料の算定に当たつては、他の諸般の事情とともに加害行為の態様(加害者が故意でしたか、過失か、その過失、悪性の程度等)が斟酌されるが、それはその態様の如何によつて被害感情、被害者の受ける精神的苦痛の程度に差異があるのが通常であり、これが慰謝料額に反映されるべきであるからである。
原告ら主張の「制裁的慰謝料論」は、本件では、加害行為の態様を右のように斟酌して慰謝料額を定めるだけでは足りず、被害者の受けた損害の十全な回復と加害行為の再発防止(薬害の再発防止)のため、懲罰的、制裁的に高額の慰謝料を定めるべきであるというものである。
しかしながら、我国の民法における不法行為による損害についての損害賠償制度は、不法行為によつて被つた被害者の損害を加害者に賠償させることのみを目的としているのであり、そのためには、加害行為の態様を前記の範囲で斟酌することで必要、かつ、十分であり、これを超えて加害者に懲罰、制裁を課するとか、不法行為の再発防止を図るとか、そのため慰謝料額を高額のものとすることなどは、右制度の予想しないところであつて、ゆるされないのである。この理は、原告らが巨大薬害訴訟であるという本件にあつても、何ら変わるところはない。
したがつて、原告らの右主張は採用しない。
そこで、当裁判所は、原告患者らの個々の慰謝料の算定に当たつては、加害者及び被害者の社会的地位及び財産状態、被害、苦痛の程度、将来の苦痛の有無、程度、現在及び過去に被つた苦痛の有無、程度のほか、加害者側の侵害の態様(被告製薬会社の過失は前記認定のとおり、重過失に当たるものとはいえない。)等について前段に認定した各般の事実関係あるいはク網膜症が不可逆性、進行性の眼障害であること、その他本件各証拠によつて認定できる諸般の事情一切、特に原告患者らのある者が一般的、抽象的には、その職務に就いて収入を維持しつつクロロキン製剤の服用による眼障害の悪化に堪えてきたものとみられること、家族や勤務先の上司、同僚、部下の多かれ少なかれの精神的、物質的援助や配慮を得、特に配偶者その他の家族の助力の大きかつたであろうこと、眼障害のゆえに日常生活上はもとより職務を果たす上でも精神的、物質的負担が大なり小なり存したであろうこと等の事情等もこれを考慮して、当審口頭弁論終結当時までに既に死亡した原告患者らと、右当時に生存している原告患者らとにこれを分け、具体的には、後に述べるようにそのランクを区分して認定する。
三 原告らのいわゆる「インフレ算入論」について
なるほど、<証拠略>によれば、我国においては、今後も当分の間は物価、特に消費者物価は多少なりとも上昇し続けるかも知れないことが認められなくはない。
しかし、そうであるとしても、原告らの右主張は採用できない。その理由は次のとおりである。
我国の裁判実務は、不法行為による損害の認定に当たつて、一般に、将来の逸失利益等を損害とみるとともに、その額の算定としては、右逸失利益等の積算額から民事法定利率年五パーセントによる中間利息を控除して現在価額を算出している。
原告らは、右のように将来の逸失利益を損害とみることも、中間利益を年五パーセントとみることも、将来の予測にほかならず、これが行われる以上、同じ期間同じ確率をもつて予測されるインフレによる物価の上昇やインフレ及び労働の生産性の向上による賃金の上昇も勘案されるのでなければ公平な損害の認定とはいえないとし、その上昇率は控え目にみて年一〇パーセント、最低でも年五パーセントと見込まれるから、少なくとも、右年五パーセントによる中間利息の控除は行うべきではない旨主張し、経済学説、アメリカの裁判例等を引用し、さらに、本件における被害はク網膜症という重症の永続的身体損傷であり、これに対する賠償金は生活補償の意味をも有するから特にインフレによる右上昇の考慮は看過されるべきではない、と主張する。よつて、以下検討する。
1 我国の裁判実務が、不法行為による損害の認定に当たり、本来は予測にしかすぎない将来の逸失利益等をも敢えて認定して損害を算定し、他の損害と一括して一挙に賠償させることとしているのは、主として、それが被害者の救済のためきわめて適切、有効であるからであり、また、いわゆる簡易生命表、各種賃金センサス等の資料が既にかなり整備されており、これらの利用により、将来の逸失利益等について、裁判手続として負担に堪えない程の困難なしに、しかも裁判上の事実認定というに足りる程度の高度の蓋然性をもつて、予測することが可能であるからであり、その際いわゆる「控え目」な認定を心掛ければ、不当に高額な認定となるおそれも少ないからである。
2 原告らは、将来の賃金や物価の上昇についても高度の蓋然性のある予測が可能であるとし、その根拠として、他の先進資本主義国におけると同様に、我国においては、巨大企業による市場の寡占化、労働組合の発達、完全雇用、総需要調整等の政府の経済・財政政策、さらには労働の生産性の向上等により、物価や賃金の持続的上昇は必至であるとともにその率は右社会的、経済的構造や戦後今日まで長期的には平均年五パーセントを下回らなかつたことに照らすと今後もその上昇率は同様と見込まれるからである、と主張する。
<証拠略>によれば、原告らの右主張は、主として経済学者である右川口弘や濱田宏一の学説ないし見解に基づくものであること及び他にも物価、賃金の持続的上昇を予測しその上昇率を同様にみる学者等が存することが認められる上、戦後、今日までの右上昇率の状況がおおむね原告ら主張のとおりであることは明らかである。
しかし、物価や賃金の上昇の構造ないし原因についての右川口らの分析、説明は、傾聴すべきものではあるが、これをもつて右原因についてのすべてを解明し尽くしたものとはいえず、ひつきよう一個の学説ないし経済モデルにすぎないというべきであるばかりでなく、そこにおいて原因とされている諸要因が将来にわたつて不変であるとの蓋然性が高いとまではいえないから、右のような証拠によつて原告らの主張を肯定することはできない。また、戦後から今日にいたるまでの物価、賃金等の上昇率が原告ら主張のようであるからといつて今後もそうであるとは、事柄が経済予測であることにかんがみると、到底いえないのである。
思うに、経済の動向に関わる要因は無数に近いのであるから、経済予測はきわめて難しく、世に行われているいわゆる経済予測は、一般的傾向についての短期的なものであつても必ずしも一致しないのであり、まして、具体的な事項についての遠い将来にわたつての予測で、万人に肯認されるようなものはないのである。ゆるやかな意味での経済予測ですら右のようであるから、遠い将来にわたつての物価、賃金の上昇率について、裁判上の事実認定といえる程の高い蓋然性をもつた予測をするには、現在その資料も整つておらず、方法も確立されておらず、至難、不可能に近いというほかはない。このことは、予測する事項を「右上昇率は最低平均年五パーセントと予測される。」というように限定してみても同様である。
原告らは、将来の逸失利益、中間利息の予測が可能である以上同じ確率で右上昇率の予測も可能であるというが、しかし、例えば、被害者の現在の賃金が将来も同額で続くであろうと予測することと過去のインフレによる賃金の上昇率が将来も同様に続くであろうと予測することとは、蓋然性の程度の点において到底同一とはいえないのであるから、被害者の現在の賃金と生命表あるいは広く認められている稼働可能年数等に基づきその将来の所得を認定することがゆるされるからといつて、過去のインフレ上昇率や個々の経済学説、経済モデル等により将来の右上昇率やこれによる賃金の上昇の予測もゆるされるというわけにはいかない(なお、昇給規程による賃金の上昇は別である。)し、中間利息の点については次に述べる。
3 民法は、特約のない限り、金銭債務の利率を年五分と法定し、これに基づく損害賠償の請求については実損額の証明を要しないとし、反面不可抗力も抗弁にならないとしている。民法がこのように定めているのは、元来金銭の運用方法には人により無限に近い態様があり得、したがつてその運用益も個々に差異があるのであるが、個々の場合ごとに、金銭をいくらに運用できたか、将来いくらに運用できるであろうか、というようなことを明らかにすることは煩に堪えないし、殆ど不可能であるから、法定利率を定め、一切の個別事情を捨象してこれを過去においても将来においても運用益とみることを相当としているからである。そして、その利率を年五パーセントとしているのは、それが経済の実勢に沿つているからというよりは、むしろ、現在の社会、経済状況のもとにおいて、長期的、平均的にみて年五パーセントとするのを相当とするからである。したがつて、それは単なる経済の実勢に基づく事実的な推定的な数値というよりはより規範的な意味をもつものである。
金銭の運用益についての民法の定めが右のようなものであるとすれば、将来の逸失利益等の積算から中間利息を控除して現在価額を算出するに当たつても右の年五分の利率によるべきであるし、年五分の定めの趣旨が上記のようなところにある以上、社会、経済状況に激変があつて右利率によることが著しく不合理となつた場合、例えば物価や賃金が年に何百倍、何千倍にも上昇するいわゆる超インフレ状態となつた場合等は別として、多少の経済変動があつたとか、まして変動が予測されるとかいうようなことによつてその適用を左右することはできないといわざるを得ない。なお、現在超インフレ状態が到来していないことはいうまでもないし将来そのような状態となる予測もない。
4 以上のとおりであつて、将来における物価、賃金等の上昇率の認定の至難性、年五分による中間利息控除の意味に照らすと、原告ら主張の「インフレ算入論」をとつて中間利息の控除をしない等は到底これをすることはできないというほかない。なお、この点に関する<証拠略>(濱田鑑定書)の見解は採用しない。
四 遅延損害金について
原告らは、本件における損害賠償金に対する遅延損害金の率は、被告製薬会社に対しては年六パーセントの商事法定利率により、その余の被告らに対しては年五パーセントによるべきであり、しかも、その計算はいずれの被告に対しても(年別)複利で計算されるべき旨主張するが、被告製薬会社が原告らに対して本件損害賠償債務を負担しその債務の履行をすることを、いかなる意味においても商行為ないしは商事債務とみることはできないし、不法行為による損害賠償債務の遅延損害金について、いかなる時点からにせよ、複利で計算するようなことは、法律上の根拠もないし相当でもなく、ひつきよう原告らの右主張は、いずれもすべて独自の主張であつて、当裁判所の到底採用できないところである。
五 損害評価基準日について
既に述べたように、ク網膜症が不可逆性、進行性の疾患であり、明らかな他覚、自覚症状の現れた段階では既に改善の見込みはないばかりか、その後は病状の悪化がほぼ確実であること、しかし、暫時の間、多少のゆれはあり得るから右症状の現れた段階よりかなり期間をおいてみるべきであること、その他既述の諸般の事情、後記個別損害認定一覧表において認める諸事実並びに<証拠略>に照らすと、ク網膜症に起因する視力ないし視野の異常が医師により確認されたことがその診断書またはこれに類する客観証拠によつて認められる日(後記個別損害認定一覧表中の「眼障害の発症及びその後の病状経過」欄中に認定するところの視力ないし視野の経年的記載のうち、視力については、矯正視力にある程度の低下があることがその旨の医師の診断書またはこれに類する客観証拠によつて明らかとなつた日、従前の視力の検査結果が証拠により確認される場合はこれとの関連で低下を考えるべきである。)の属する年の翌年の一月一日を加害行為の成立した日であり、その日をもつてこれによる損害の評価をすべき基準日であると認めるのを相当とし、同日を損害評価基準日ということとする。(ただし、亡松本栄87については柳川盲学校に入学した昭和四三年四月の翌年である同四四年一月一日をもつて損害評価基準日と認める。)そして、右損害評価基準日現在で原告らの被つた損害額の確定、すなわち、既に生じまたは将来生ずることの確実な財産上及び精神上の損害の金銭的評価を行い、これに対する遅延損害金はこの日から起算することとする(ただし、弁護士費用については別とする。)。なお、一般に、右損害評価基準日に損害の算定が直ちに可能であるとは限らず、むしろ、その後になつてはじめてこれが可能となることがあるが、特に本件においては、ク網膜症が進行性の疾患であるためこのことは著しく、多くの場合、損害の算定は右の損害評価基準日より後になつてはじめて可能となる。そして、損害を算定することが可能となつた右の時点を、本節においては、原則として「損害算定の時(期)」、「損害の算定をすべき日(時)」、等ということとするが、それぞれの文脈に応じて、「現実損害発生の時点」、「現実の損害を生じた」等々ということもあるが、このことは、損害評価基準日が損害の発生の日であることを否定したり、損害の発生日が右損害評価基準日と別にあることをいう趣旨ではない。
ところで、ク網膜症が進行性の疾患であることからすると、いわゆる症状固定時になつてはじめて損害の算定が可能となるのであり、当審口頭弁論終結時までに症状固定になつていない者については、それ以後においても病状の進行悪化が予想される者もあるから、右症状固定時を明らかにしたうえ、損害の算定を行うべきであるが、右口頭弁論終結時以後の悪化は予想にとどまり、原告患者らについて、個々にその具体的悪化の内容程度を口頭弁論終結の時点であらかじめこれを正確に予想できない以上、右口頭弁論終結時における原告患者らの病状に従つて算定を行うほかはない。
原告らは、右の点についていわゆるマルコフモデル、視能率の低下等による予測が可能であると主張するが、右主張は以下のとおりいずれも採用できない。
すなわち、まず、マルコフモデルによる視力低下による予測についてみるに、<証拠略>によれば、原告らが右にいういわゆるマルコフモデルは、要するに数理統計モデルの一つであり、現在までに、循環器疾患などの長期予後予測に適用されているが、このモデルが慢性疾患の予後予測に関し高い有用性を持つかは多種の疾患について検討を重ねるなかで判断されるであろうとして、なお事例の積み重ねが必要である、との留保を伴つていることが認められる。したがつて、原告らの主張するマルコフモデルによる原告患者らの視力障害ないしは眼障害に関する将来予測なるものも、右のマルコフモデルに関する一適用の試論というべきものにすぎないわけである。そして、本件における原告患者らの場合に右のマルコフモデルによる将来予測が適合するものであるとするに十分な証明はなされていない(もつとも、<証拠略>によれば、一つの試みとして、ある研究者らがクロロキン製剤による中毒性網膜症患者の視力経過を事例に、マルコフモデルの将来予測に関する有用性について検討を加え、右の研究者らとしては、ク網膜症患者八七名のクロロキン製剤服用中止後の矯正視力経過が、時間依存性のないマルコフモデルによく適合すると述べるとともに、同モデルがこの種の慢性疾患の予後予測に有用な数理統計モデルであることを示唆した、と結論する論文が存するが、右の論文の結論が果して、その論述中にある多くの仮定の当否を含め、結論として、ク網膜症の将来予測に関し、右の研究者らが右に主張するようにマルコフモデルによく適合することが的確、かつ、客観的に証明されているといいきるには、なお、今後の事例集積による検証が必要であるものと認められる。)。
また、視能率による視力低下ないし視覚障害の予測についての主張も、原告ら主張の視能率に依拠することが後記のとおり相当でないので、これをとり得ないものである。
したがつて、原告患者らのク網膜症の予後が、マルコフモデル等によつて、原告ら主張のとおりに予測されるものとすることはできず、他に右の点を首肯するに足りる証拠は存しない。
これを要するに、本件の当番口頭弁論終結日以前において既に死亡している原告患者ら及び既に労働能力を完全に喪失しているものと認められる原告患者らについては、その死亡もしくは労働能力の完全喪失の時点においていわゆる症状固定の状態となるものであることはいうまでもないから、右の各時点で損害の金銭的評価及び算定が可能である。また、右の患者らを除くその余の原告患者らのすべてについて、前記認定の各事実関係に照らせば、その将来においてク網膜症のために全員失明にいたるか失明に近い視力喪失の状況にいたるものとみることができるのであるが、しかし、その時点を確実に予測するに足りる資料はないから、一定の時点に右の原告患者らが失明しもしくは失明に近い状況になると前提して損害の金銭的評価及び算定が可能であるとする原告らの主張は採用できない。
以上のとおりであるから、本件原告患者らのク網膜症による損害額は、逸失利益、介護費については、原則として次に詳述する方法により、また、慰謝料については後に述べるところにより、それぞれ算定することとし、右により算定したその合計額について、既に認定した諸般の事情を考慮して、前記の損害評価基準日から民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を付するものとする。なお、例外的な場合であつて、特段の説明を要するものと認めるときは、後記個別損害認定一覧表中において、相当の説示をすることとした。
したがつて、後記個別損害認定一覧表中に右説示のない限り、右の原則によつて原告患者らの損害算定がなされるものであり、また算定の具体的、個別的な内容は、同表に記載したとおりである。さらに、弁護士費用については、各被告に対する訴状送達の日の翌日から民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を付するものとする。
六 視覚障害と労働能力喪失の程度の認定について
原告らは、視覚障害による労働能力喪失程度の判定に当たつては、従来視力が偏重されてきたが、それは視覚障害の実態に沿うものではないとし、主として川崎医科大学眼科教室筒井純教授の提唱する、両眼の視力能率、眼球運動能率、両眼の視野能率を総合して、視覚障害を定量的に評価されることを試みる視能率によつて判定されるべきであると主張する。
<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、視覚障害による労働能力の喪失については、主として労働災害ないしは学業との関係における研究が進められたが、視力については網膜の中心部が強く周辺部は低下すること、視野の広狭が視覚に重要な関係を有すること、視野の広狭程ではないにしても眼球運動の良否等もこれに関係があることなどの点をも考慮して、早くから右に触れた視能率なる観念が提唱されてきたこと、しかし我国の損害賠償額の算定に関する法律実務なかんずく身体障害にかかわる労働能力の喪失に関しては、労働災害の場合の身体障害、自動車事故の場合の身体障害について、基本的には、自動車損害賠償保障法施行令別表、労働省労働基準局長通牒昭和三二年七月二日基発第五五一号による労働能力喪失率表及び同通達昭和五〇年九月三〇日基発第五六五号労働災害「障害等級認定基準」(以上を併わせて「労働能力喪失表」ともいう。)を一応の参考にし、これに諸般の事情を勘案して、その程度を定める例である(最高裁判所第三小法廷昭和三九年六月二四日判決民集一八巻五号八七五頁参照)こと、前記筒井純教授の右の見解に基づく視能率に関する意見、日本大学医学部眼科教室新谷重夫の見解、アメリカにおける一九四〇年の報告、昭和四一年八月における厚生省年金局の依嘱によつて行われた障害等級調整問題研究会の研究報告等の存すること、昭和五三年当時にあつても、視覚障害と視能率は必ずしも併行しない面もあり、また行動に対して影響する度合もそれぞれの機能障害で異なるので総合するのは問題であり、十分満足すべき結果とはいえず、実用のためにはまだかなりの検討が必要である、とされていること、あるいは筒井教授の提唱する視能率の測定、評価に関する意見は、必ずしも我国ないしは諸外国での学界、実際界における視能率に関する意見と一致しているわけではないとみられること、他方我国ないしは諸外国の学界、実際界において筒井教授の右の意見がどのような評価を受けたものかを知るに十分な資料もないこと、諸外国における各身体障害の労働能力喪失率を比較してみると、各国での右各障害による労働能力の喪失率の見方はさまざまであるが、一部の例外を除き、それ程大きな差異はないこと、ただ我国の喪失率はほぼ全般的に高く、例えば一眼の視力喪失の場合の労働能力喪失率は、日本四五パーセント、西ドイツ二五パーセント、イギリス四〇パーセント、フランス二五~三〇パーセントであつて、他国の平均は三六・五パーセントとなつていることが認められる。
右のとおりであるから、筒井教授の意見もしくは原告ら主張の視能率のみに依拠して、原告患者らの眼障害に基づく労働能力の喪失の程度を定めることは相当でなく、当裁判所は、右に述べた諸般の事実関係とともに、これと併せて個別損害認定一覧表中に認定した原告患者らそれぞれがその眼障害についての診断を受けた時期、その診断の内容、職業、学歴、年齢のほか、日常生活の情況等の諸般の事情あるいは前記筒井教授の意見、新谷重夫の見解、アメリカにおける報告、厚生省年金局の依嘱による研究報告及び実務の現状をも総合勘案したうえ、原告患者ら各自の労働能力喪失の程度については、後記のとおり少なくとも前記損害評価基準日現在または右基準日以後で右の程度がおよそ三五パーセント以上と認められる日の属する年の翌年一月一日からこれを考慮するのを相当と認め、およそ三五パーセント以上四五パーセント前後のものすなわち前記労働能力喪失表の第八級、第九級程度のもの、おおむね七〇パーセント前後のものすなわち前記労働能力喪失表の第五級、第六級、第七級程度のもの、おおむね一〇〇パーセントのものすなわち前記労働能力喪失表の第一級、第二級、第三級、第四級程度のものの三ランクにわけて、それぞれ個別損害認定一覧表に記載のとおり、そのランクに達した日を認定し、その日の属する年の翌年の一月一日から右ランクにより算定することとし、その後そのランクがさらに進行した者については、その進行後のランクにいたつた年の一二月三一日までは従前のランクにより、その翌年の一月一日からは進行後のランクにより逐次算定することとする。
なお、前記労働能力喪失表においても、視野狭窄、眼球運動の低下等についての評価が行われていることは、同表の第九級第三号、第一一級第一号及び第一二級第一号等をみれば明らかであり、しかも視力低下と視野狭窄とが競合した眼障害の場合については、その上位の等級よりさらに一級上の等級に格付けできることとなつているから、同表が眼障害について視力障害だけしか評価していないものとすることはできない。
七 逸失利益の算定と労働能力喪失の程度
不法行為による損害賠償は、当該不法行為と相当因果関係にあると裁判所が認める範囲内において現実に被害者に生じた損害の填補を目的とするものであるから、不法行為により身体に傷害を被つたため永久的に労働能力の全部または一部を喪失した場合の被害者の逸失利益の算定は、事案ごとに具体的事情に即応し、個別的、具体的に前記労働能力喪失の程度のほか収入額を個別に確定してなすべきは当然である。
しかし、前記のとおり、ク網膜症は、進行性、不可逆性の疾患であるから、ク網膜症に罹患すれば、眼障害が進行し、これに伴つて労働能力も次第に低下するわけである。しかし、多少の労働能力の低下は必ずしも直ちにそれに比例した所得の減少をもたらすものではないから、労働能力の喪失による逸失利益の算定については、基本的には労働能力喪失表を一応の参考にし、具体的には労働能力喪失の程度がおよそ三五パーセント以上と認められるようになつた日(個別損害認定一覧表掲記の証拠により、視力及び視野障害その他同表記載の事実関係を総合的に考慮して定める。)の属する年の翌年一月一日から生ずるものとするのが相当である。
ただし、前記のような損害賠償制度の趣旨にかんがみれば、ク網膜症に起因する眼傷害により、原告患者らに相当程度の労働能力喪失が生じたとしても、これによつていかなる場合にも常に直ちに現実の損害が発生したとはいえないのであつて、労働能力喪失の程度なるものは、あくまでも現実に生じた損害を算定するための一つの資料にすぎないものというべきである。したがつて、原告患者らに右の眼障害による労働能力の喪失があつても、その患者にこれによる具体的な収入の減少が現実に発生していると認め得ない場合には、当該患者が労働能力の喪失ないしは低下による収入の減少を回復すべく特別の努力をしているとか、将来の昇給、昇任、転職等に際して不利益な取扱いを受けるおそれがあるものと認められる場合など、労働能力の喪失ないしは低下が被害者にもたらす具体的な経済的不利益の存在を是認するに足りる特段の事情が認められる場合には格別、そうでない限りは、損害が生じたものとは認められない(最高裁判所第三小法廷昭和四四年一二月二三日判決裁判集民事九七号九二一頁、最高裁判所第三小法廷昭和五六年一二月二二日判決民集三五巻九号一三五〇頁参照)ものというべきである。
以上要するに、原告患者らについての逸失利益の算定は、損害評価基準日以後のクロロキン製剤による眼障害に基づく労働能力喪失がおよそ三五パーセント以上となつたことを明確に認定できる日における労働能力喪失の程度を認定したうえ、その日の属する年の翌年一月一日(ただし右の認定できる日がある年の一月一日であるときは同日)から(その後右の喪失率の程度の変動が明確に認定できるときは、その日の属する年の翌年一月一日(同)から)の毎年ごとの逸失利益を昭和六一年一二月三一日まで算定した上(ただし、右の間に死亡した者については死亡の日の属する年の一二月三一日まで。なお、本件においては、ク網膜症のために死亡した原告患者らの存することを認めるべき証拠はない。)順次積算算定し(この算定においては、毎年ごとの分についていわゆる中間利息の控除は行わない。)、次に昭和六二年一月一日以降の逸失利益(右の死亡者については、もちろんこの逸失利益はない。)を算定し(同日以降年五分の割合による中間利息の控除をいわゆるライプニツツ方式を用いて行い、同日現在の現価を算定する。)た上、右両者の合算額をもつて、原告患者らそれぞれの逸失利益とするのが相当である。なお、前記のとおり、右の逸失利益については、損害評価基準日から年五分の割合による遅延損害金を付することとする。
1 有職者である患者らの場合
まず、有職者で前記損害評価基準日ないしはその後に損害の算定をすべき時が来るときにはその日(労働能力の喪失の程度がおよそ三五パーセント以上になつた日)において賃金その他の収入を得ている者についていえば、原告らから、少なくとも前記損害評価基準日または右損害の算定をすべき日の属する年の前年もしくは前々年の賃金もしくは収入がク網膜症に基づく眼障害のために減少した旨期間と数額を示した具体的な主張、立証がなされているときには、これを考慮、検討すべきはもちろんであるが、この点について十分な主張、立証がない原告患者らについては、特段の事情が認められれば格別、そうでない場合は、当該患者がク網膜症に基づく眼障害により最終的に退職し、あるいは廃業する等して収入等を失つたことが確実と認められる日から、その現実の損害発生をみたものとして算定するほかはない(なお、休職の場合に関しては後記のとおりである。)。
そして、本件においては、有職者で収入等を得ている原告患者らについて、右の収入等はク網膜症による減少後の収入等にすぎないものであるとし、ク網膜症による収入等の減少につき期間と数額を示して具体的な主張がされている場合もあるけれども、右主張のとおりのク網膜症による収入等の減少を首肯是認するに十分な証拠は存しない(なお、特段の説示を必要と認めた場合においては個別損害認定一覧表中に触れることとする。)。
また、眼障害による労働能力の喪失があつても特別の努力をする等の特段の事情があるために、収入等の減少を招来することなくその収入等を得ることができていること及び右の特段の事情がどの程度原告患者らの収入等の減少を招来しないことに貢献しているかについては、個別損害認定一覧表(損害額算定表を含む。)において説示するとおり、亡松本栄87の場合においてこれを認めることができるだけで、他の原告患者らについてこれを認めるに足りる証拠は存しない(ただし、抽象的一般的には、眼障害を有する者が、それのなかつた従前同様の労働を続けることには、それなりの労苦を伴うであろうといえなくはないけれども、この点は原告患者らの慰謝料を算定するに当たつて考慮した。)。
したがつて、有職者で収入等のある患者らについては、ク網膜症に基づく眼障害により最終的に退職または廃業する等して確実に収入等を失つたことが認められる日の属する年の翌年一月一日(ただし右の認められた日が一月一日であるときは同日)からその逸失利益の算定をすることとする(なお休職については後記のとおりである。)。もつとも、ク網膜症に起因する眼障害を直接の原因として退職、廃業するにいたつた患者らであつても、その時にはまだおよそ三五パーセント以上の労働能力を喪失するにはいたつていなかつたと認められる場合には、労働能力喪失の程度がおよそ三五パーセント以上になつたと認められる日の属する年の翌年一月一日(同)から同患者に現実の損害が生じたものとして、損害の算定をすべきである。
2 無職者である患者らの場合
家庭の主婦、年少者等の無職者(従前有職者であつたが、結婚あるいは他疾患治療等の目的により、労働能力を喪失するにいたらない段階で退職していたものを含む。)で収入のない者については、有職者の場合の退職時のような現実損害発生の時点を一律に確定することができないのが一般であるから、前記の労働能力喪失表を資料としてこれを算定するほかはなく、これらの者については、前記のとおり、労働能力喪失の程度がおよそ三五パーセント以上に達したと認められる日の属する年の翌年の一月一日(右のように認められた日が一月一日であるときは同日)から、当該労働能力喪失の程度による労働能力喪失のため現実の損害を生ずることとなつたものとするのが相当である。
これら無職者である患者らの逸失利益についても、昭和六一年一二月三一日までの逸失利益については、前記有職者の場合と同様、毎年ごとの額を算定してこれを積算するが、昭和六二年一月一日以後の逸失利益については、同患者らの年間所得見積額に今後の就労可能年数の各年数に対応するライプニツツ係数を乗じて算定(すなわち年五パーセントの割合による中間利息を控除する。)し、右の両者を合算する。
八 収入等の額の確定
原告患者らの逸失利益の算定に当たつてその基礎として用いるべき収入等の額の確定は、少なくとも過去のものについては、各自の現実に得た収入等を十分に勘案してこれをなすべきである。なお、原告患者らのうち前記損害算定の時期に休職中であつた者については、休職によつて、その収入等を失つたか減額されたかの点が主張、立証されていない場合には、休職前と同額の収入等がある者として取り扱うこととする(後に個別損害認定一覧表で説示した者のほか右の点につき主張、立証のなされた者はない。なお、ク網膜症による眼障害に起因する休職に限られることはいうまでもない。)。
また、被害者が家庭の主婦、年少者その他の無収入者である場合には、所得見積額は統計上認められる男女別の労働者の平均賃金によつて算定するほかに方法はなく、また、有職者の場合でも、自営業者であつて毎年の収入額が安定していない等の理由により前記の損害評価基準日ないし損害の算定をすべき時点直前の収入額をもつて将来の所得額を見積る基礎資料とするのが相当でないと認められるときは、無職者と同様に平均賃金に基づいて所得見積額を算定することができるものと解すべきであるけれども、一般的には、有職者については右のような特段の事情のない限り平均賃金をもつて逸失利益算定の基礎資料とすることはゆるされないものと解するのが相当である。けだし、労働能力の全部または一部の喪失による損害の評価は、被害者の具体的な稼得能力を無視しては適正にこれを行うことができず、具体的な稼得能力は各人により様々であつて、労働能力の喪失率が同一であつても、被害者が異なれば損害の算定もおのずから異ならざるを得ないし、被害者に対して従来の収入等の額の主張、立証を要求しても通常の場合は何ら特別の負担を課するものではなく、難きを強いることにはならないからである。
したがつて、前記損害算定の時に有職者として収入等のあつた原告患者らの逸失利益を算定するに当たつては、その具体的収入等の額を知る必要があるのはきわめて当然であるところ、一審は、右の点について、裁判所が右の見地に立つて原告らに対し、原告患者らの中のク網膜症罹患当時有職者であつた者については、収入額を個別具体的に主張、立証するよう勧告したこと、それにもかかわらず、原告らは有職者についても平均賃金額により逸失利益を画一的に算定すべきことを主張して譲らず、右勧告に応じなかつたこと、しかし、原告らの右主張の採用できないことは上来の説示から明らかであり、従来の収入額の具体的主張のない有職者については、ク網膜症に罹患しなかつたとしてもその者の収入は平均賃金額に達しなかつたのではないかとの疑念をぬぐい去ることができないことをそれぞれ判示した後、「このように、収入額について疑問がある場合には、将来の所得見込額の認定はかなり控え目なものとならざるを得ず、強いて平均賃金額に依拠するものとすれば、諸般の事情を参しやくしてその七〇%に当たる金額を基礎として逸失利益を算定するのが相当である。よつて、これら有職者の逸失利益の算定については、男女の別に従い、労働省統計情報部編のいわゆる賃金センサス第一巻第一表(ただし、昭和四五ないし昭和四八年度は第二表)の産業計、企業規模計、男子、女子一般労働者(ただし、昭和四四年度以前は全常用労働者)の学歴計、年齢計平均給与(中略)の七〇%に当たる金額を所得見込額の基礎として算定することとする。」と判定している。
一審の右判示は相当であり、原告患者ら中、損害算定の時に有職者であつた者は、当審においては、一審の右説示の趣旨を念頭におき、その収入等の額を個別具体的に主張、立証すべきものであるところ、原告らは、当審においても第一次的には、本件においては、原告患者らの収入の算定に当たつては、個別具体的な事情を捨象して統計表により画一的に算定すべきである、詳述すると、男子原告患者ら、女子原告患者らにつき、それぞれ前者は男子平均賃金、後者は全労働者平均賃金に基づき、またそれぞれの眼障害にもかかわらず収入を得ている原告患者らについてもその七〇パーセントに相当する額はすべて特別の努力等によるものと認めることにより、男子平均賃金または全労働者平均賃金の額に基づき、すべて一率に逸失利益を算定すべきものである、旨主張するが到底採用できない。
そこで、当審において、原告患者ら中右の主張、立証のあつた者については、右の主張、立証された収入等の額を勘案し、少なくとも前記損害評価基準日現在または右基準日の後で労働能力喪失の程度がおよそ三五パーセント以上と認められるようになつた日の属する年の前年もしくは前々年の賃金もしくは収入を念頭において、また、当審において、なお右の主張、立証のなかつたその余の者については、後記のとおり諸事情を総合して、いずれも賃金センサスに示された男女別の各平均賃金額あるいは男子の場合その三〇パーセントを減じた額を基準として各個別損害認定一覧表に記載のとおり算定するのが相当である。
なお、右のいわゆる賃金センサスの使用は、当該被害者の逸失利益の算定に必要とされるその年間収入額を認定する資料がなく、そのため賃金センサスによるほかないと認められる場合であるとともに、当該被害者の年間収入等の額が控え目にみても賃金センサスにおける年間収入等の額と等しいかこれを超えるがその額を確定する資料がないと認められる場合であることを要するものと解するのを相当とする。
これを本件についてみるに、個別損害認定一覧表において明らかなとおり、男子原告患者らのうちの一部の者は、確かにそのある年の年間所得が当該年の男子平均賃金を超えており、また他の一部の者は右の男子平均賃金を超えないまでも、その年間所得が男子平均賃金からその三〇パーセントを減じた額を超えているものと認められるから、右の両者については、それぞれ右の各認められる額を考慮しつつ個別損害認定一覧表に説示認定したとおり、前者については、同表中において男子平均賃金を超える賃金額が認められるときはその日の属する年の翌年一月一日(ただし右の認定された日が一月一日であるときはその日)から右賃金額により逸失利益を算定するが、右の認められる賃金額が男子平均賃金を超えないこととなつたときは、その日の属する年の翌年一月一日(同)からは、右の男子平均賃金により逸失利益を算定し、また、右の後者については、同表中において男子平均賃金からその三〇パーセントを減じた額を超える賃金額が認められるときはその日の属する年の翌年一月一日(同)から右賃金額により逸失利益を算定するが、右の認められる賃金額が男子平均賃金を超えないこととなつたときはその日の属する年の翌年一月一日(右の超えないこととなつた日が一月一日であるときは同日)からは、右の男子平均賃金により逸失利益を算定するべきである。しかし、その余の男子原告患者らについては、その年間所得を窺知するに足りる具体的な証拠はないところ、同原告患者らの学歴、職歴、経歴、年齢、職種、勤務先の規模、勤務年数等の諸事情、いわゆる賃金センサス中に示された年間所得に関する諸表中の各金額、<証拠略>等を総合して考えると、その年間所得は、男子平均賃金からその三〇パーセントを減じた額を上回るものではないものとみて、個別損害認定一覧表に説示認定したとおり、その逸失利益を算定するのが相当である。
なお、原告らは、いわゆる専業主婦あるいは有職主婦の逸失利益の算定は、男女別の平均賃金によることなく、全労働者の平均賃金によつてこれを行うべきものであると主張するけれども、男子労働者の平均賃金と女子労働者の平均賃金との間に有意の差が存することは、過去における多くの統計表に明らかである以上、この有意の差を無視して主婦の場合についても全労働者の平均賃金によつて逸失利益の算定をすべきものとするのは、現実的ではなく合理的でもない。また、将来男子労働者の賃金と女子労働者の賃金との隔差が縮小する可能性についてもこれを一概に否定し去ることはできないが、それは男子労働者の労働の内容と女子労働者の労働の内容とがおおむね等しく評価できるような状況となつてからのことというべきであるところこのような状況が将来いつの時点にいかにして実現するかを明認するに足りる証拠はないのであつて、未だきわめて不確実であるといわざるを得ないから、このようなきわめて不確実な将来の予測に依拠して現実の逸失利益の算定をすることも相当ではない。さらにいわゆる有職主婦についても主婦が職に就く動機及びその有する職の内容はきわめて多種多様であるのみならず、職に就いているために、いわゆる専業主婦に比して、その主婦としての仕事の程度、内容、時間、密度に差がないとはいえず、したがつて、有職主婦であるからといつて、専業主婦に比して、全体としてみれば、稼得能力が常に必ず高いものとすることはできない。それゆえ、有職主婦であつても、稼得能力においていわゆる専業主婦より高いことの主張、立証がなされている場合には、これを考慮すべきものであるけれども、そうでない以上、有職主婦であることのゆえに、その具体的な稼得能力にかかわりなく、全労働者の平均賃金を基礎として、逸失利益の算定をするのは相当ではない。したがつて、その有する職業におけるある時点での具体的な収入が女子労働者の平均賃金を超えることの証明がなされている有職主婦に限り、当該具体的収入を考慮して、逸失利益の算定を行うべきものである点は、原則的には、男子原告患者らの場合と異らない。
したがつて、個別損害認定一覧表に認定説示したとおり、同表において女子平均賃金を超える賃金額が認められる有職の女子原告患者らについては、右の認められる日の属する年の翌年一月一日(右の認定された日が一月一日であるときはその日)から右賃金額により逸失利益を算定するが、賃金センサスに照らして、右の認定された賃金額が女子平均賃金を超えないこととなつた日の属する年の一月一日(同)からは、右の女子平均賃金により逸失利益を算定するのが相当である。しかし、本件における女子原告患者らは、その年齢、職業等同表記載の個別事情からみて、そのクロロキン製剤の服用による眼障害がなければ、すべて少なくとも主婦となり、あるいは主婦であることによつて、いわゆる専業、兼業を問わず少なくとも賃金センサスにおける女子労働者の平均賃金相当額の収入を得る高度の蓋然性があるものとみられるから、女子原告患者らについては、有職、無職、既婚、未婚を問わず、その逸失利益の算定は、女子労働者の平均賃金によつてこれを行うべきものとするのが相当である。
なお、昭和六一年一二月三一日現在賃金センサスを超える賃金あるいは収入を得ていたと認められる原告患者らについても、男、女を問わず、昭和六二年一月一日以降は、男子である原告患者らにあつては男子平均賃金、女子にあつては女子平均賃金に各相当する収入を得る高度の蓋然性があり、かつ、これを超えるものでもないと認めるのが相当であり、また、以上各原告患者らの逸失利益を算定するに当たつて用いる男子平均賃金及び女子平均賃金の額については、すべて、賃金センサス中における右の各年間賃金額を勘案のうえ、後記A表末尾の賃金表(一万円未満切り捨て)のとおりと認めてこれを算定する。
九 就労可能年数
原告患者らについては、特段の事情の主張、立証がない限り、六七歳に達するまで就労が可能であるとみて端数を切り捨てて年単位で算定する(ただし、昭和六一年一二月三一日までに既に六七歳に達していた原告患者については六七歳に達した日の属する年の一二月三一日まで就労したものとして算定する。また、当審口頭弁論終結の日以前死亡した患者については、この死亡の日の属する年の一二月三一日まで就労したものとして算定する)。なお、被告科研、同住友、同稲畑及び同国は、原告患者らの中の原疾患として腎疾患を有する者については、その就労可能期間の終期を六七歳とみるのは不当である旨主張しているが、右の主張は採用しない。すなわち、原疾患のある原告患者らについては、それぞれ個別損害認定一覧表記載の各事実関係及び本件の<証拠略>によれば、その原疾患の種類、程度は種々であつて差異があるものとみられるほか、医学の進歩、労働環境、労働職種の変化等をも併せて考えると、右の原告患者らが、一般的にも個別的、具体的にも六七歳まで労働可能ではないと予測することは、不可能であり、この点を予測させるに足りる証拠はない。
したがつて、右の原告患者らに対してその労働可能の期間は、前記のとおりとするのが相当であり、これをもつて不合理とまでいうことはできない。なお、後記のように、損害の算定に当たり原疾患を考慮した。
一〇 介護費
介護費は、個別損害認定一覧表中に掲記の証拠に基づき、少なくとも前記損害評価基準日現在の状態でまたは右基準日の後におけるある日から失明もしくはこれに準ずる状態または極端に視力が低下し、かつ、ある程度の視野障害がこれに伴う状態(具体的には、両眼ともその矯正視力が〇・〇二以下となり、かつ、ある程度の視野障害がこれに伴う状態を一応の目やすとする。)となり、原疾患とも相まつて、起居飲食その他日常生活の基本的動作を独力で行うことができず、他人の介助を必要とする状態にいたつたものと認められる原告患者らがある場合の右患者に対して、右のとおり認められた日の属する年の翌年一月一日(右のとおり認められた日が一月一日であるときは同日)から、本件当審口頭弁論終結の日以前に死亡した者に対してはその死亡の日の属する年の一二月三一日まで、また、当審口頭弁論終結の日に生存している者に対しては昭和六二年一月一日現在年齢零歳の者が有する平均余命(いわゆる平均寿命、以下「平均寿命」という。)(一年未満切捨て)、すなわち男子は七四歳、女子は八〇歳(厚生省大臣官房統計調査部編昭和六〇年簡易生命表による。)から昭和六二年一月一日現在の当該原告患者の年齢(一年未満切捨て)を控除した年数の間これを付与する(なお、原告阿部清八については、昭和六二年一二月三一日まで付与するのを相当とする。)。
また、右の付与額の算定に当たつては、当審口頭弁論終結の日以前に死亡した原告患者については、右死亡の日の属する年の一二月三一日までの分につき、それぞれ各年の額を次の介護費表のとおりとするのを相当と認めてこれを積算する(中間利息は控除しない。)が、当審口頭弁論終結の日現在生存している者については、昭和六一年一二月三一日までの各年ごとの分を右の表のとおりとするのを相当と認めてこれを積算し(中間利息は控除しない。)、昭和六二年一月一日以降の分については、同年以降の分を一年間につき金一四六万円と認めるのを相当としたうえ、同日の原告患者ら各自の付与期間に対応するライプニツツ係数を乗じ(年五分の割合による中間利息を控除することとなる。)て算定し、右の両額を合算する。
介護費表(年額)
年
金額
年
金額
40年
18万円
52年
73万円
41年
18万円
53年
73万円
42年
18万円
54年
73万円
43年
18万円
55年
91万円
44年
18万円
56年
91万円
45年
18万円
57年
109万円
46年
18万円
58年
127万円
47年
36万円
59年
127万円
48年
36万円
60年
146万円
49年
54万円
61年
146万円
50年
54万円
61年以降
146万円
51年
54万円
(各年ごとに1万円未満切捨)
なお、原告患者らのうち、現に職を有し、賃金、収入を得ていると認められる者について介護費を付与するか否かは、その具体的眼障害の程度により介護の必要性の有無を考えてこれを決すべきであることはいうまでもないから、原告患者らのうちのある者について逸失利益が認められないのに介護費が認められることは、何ら不合理ではない。
被告科研、同住友、同稲畑及び同国は、原疾患として腎疾患のある患者についても通常人の平均余命を基準として介護費付与の期間を算定するのは不当であると主張する。
思うに、個別損害認定一覧表記載の事実関係及び<証拠略>によれば、右の原疾患のある原告患者らについては、その就労可能期間について述べたのと同様、右患者の罹患している疾患の重篤度は差異があるものとみられるところであるから、右の原告患者らがそれぞれ今後何歳まで生存できるものかを個別的、具体的に予測することは全く不可能であるし、この点を明らかにするに足りる資料もない。
しかし、本件の原告患者らは、いずれも原疾患を有する者であつて、原疾患を有すると否とにかかわりなく統計として示されたいわゆる平均余命に比して、右の原疾患を有する者のみの集団における平均余命が統計上短いものとなるであろうとの一般的疑いは禁じ得ないし、人は一般に老齢になるに伴い、多少とも他人の介護を必要とする状態となることが決して少なくない。したがつて、個々の原告患者においてその平均寿命が何程となるかを確定すべき資料はないけれども、前記のとおり介護費を付与すべき期間は、平均寿命から昭和六二年一月一日現在の当該原告患者の年令(一年未満切捨て)を控除した期間これを付与することとするのが相当である。なお、後記のとおり損害の算定に当たり原疾患を考慮する。
一一 慰謝料
一 原告患者ら(患者各本人)
以上までに認定した各事実、判示したところ、特に原告患者らのク網膜症による眼障害の経過及び程度(ク網膜症罹患後の特に専門医による視力、視野障害等の検査所見を重視し、これらを補うものとして患者の自覚的な実際の見え方の程度、視力・視野障害以外の各種自覚症状等を考慮する。)を基礎とし、後記個別損害認定一覧表中において認定するところのその他の諸事情、すなわち治療期間、家族構成、職業上及び日常生活上の障害の程度並びに原告患者らが眼鏡その他の器具の購入費、眼疾患の治療関係費等重度の眼疾患に通常伴う諸費用の出費を余儀なくされたこと、後記のとおりそのいわゆる家族慰謝料はすべてこれを認めることができないこと、また、介護費について前記判示のとおりであること、原告患者らが眼障害のため、その家族、知人、友人、勤務先の上司、同僚、部下、近隣の人々等々に有形、無形の負担をかけたとして心理的な苦痛を味わつたであろうと推察するに難くないこと、原告患者らのうちのある者は、ク網膜症の発症をみてから既にきわめて長い期間を経過しており、それまでに失明または失明に近い眼障害を被り、あるいは未だ眼障害が右の程度に達していない場合でも、いずれ将来には右の程度の高度の眼障害にいたる高度の蓋然性があること、原告患者らの一部の者は、後記のとおり社会保険給付を受けていること、等々本件にあらわれた諸般の事情を総合考慮して、原告患者らに対する慰謝料については、次の慰謝料表のとおり定めるのが相当である。なお、後記のとおり損害の算定に当たり原疾患を考慮する。
慰謝料表
法律上婚姻して配偶者のある原告患者で現に生存している者
1,500万円
法律上婚姻していない原告患者で現に生存している者
1,300万円
同上の者で、昭和55年1月1日から同62年3月25日までの間に死亡した者
1,200万円
同上の者で、昭和55年1月1日から同62年3月25日までの間に死亡した者
1,000万円
同上の者で、昭和49年1月1日から同54年12月31日までの間に死亡した者
900万円
同上の者で、昭和49年1月1日から同54年12月31日までの間に死亡した者
800万円
昭和48年12月31日以前に死亡した者
600万円
法律上の配偶者の存否は、原則として、損害評価基準日の状態に従う。
なお、既に死亡した患者については、死亡した時期、ク網膜症の発症から死亡までの期間、その間の眼症状、死亡時の我国における慰謝料の一般的水準が考慮されるべきはいうまでもない。
2 家族
家族の慰謝料については、原告患者らの症状の経過及び程度等個別損害認定一覧表中において認定するところの諸般の事情を考慮してみても、原告患者らのクロロキン製剤服用によつて被つた障害は、網膜変性を基盤とする眼障害であつて、両眼視力の低下、視野の狭窄を経て失明にいたるという重篤なものではあるものの、生命それ自体に直接の影響を惹起するものでなく、なお死亡そのものとは比肩し得ないものといわざるを得ないうえ、原告患者ら各本人に対しては、既に認定説示したとおり配偶者の存否等をも考慮してその被つた被害に対し相当と認められる額の逸失利益、介護費のほか慰謝料を加害者から支払わせるべきものとしたことを考えると、原告ら主張の各家族慰謝料は、その請求者と原告患者らとの身分関係について民法七一一条の適用ないしは類推適用を論ずるまでもなく、右の請求者が、原告患者各本人の死亡したときにも比肩し得べき精神上の苦痛を受けたと認めることはできず、原告らの全立証その他本件全証拠によるも右の点を首肯するに足りる事実関係を認めるに足りない。なお、いわゆる未熟児網膜症についての事例にあつては家族慰謝料の付与されていることが多いが、この事実があるからといつて、事情を異にする本件ク網膜症の場合についても家族慰謝料を付与すべき根拠とすることができるものでないことはいうまでもない。
よつて、原告ら主張のいわゆる家族原告からなされている各家族固有の慰謝料の請求は、すべてこれを失当として棄却すべきである。
一二 原疾患の寄与及び寄与率による損害額の減額
被告らは、原告患者らは、全員、腎炎、慢性関節リユウマチ等のきわめて重篤、かつ、不治の病である原疾患に罹患しており、そのため、その中のある者はク網膜症罹患以前に既に労働能力を喪失したり、介護を要した状況にあつたのであり、その余の者も早晩必然的に同様な状況にいたるのであるから、このことを考慮すれば原告患者らには、ク網膜症罹患による損害はないか、あるいは、少なくともその損害は、右原疾患、その症状、影響を十分斟酌して減額されるべきである旨主張し、一方、原告らは、被告らの右主張は、自ら原告患者らの病に乗じ原告ら患者にクロロキン製剤を服用させてク網膜症という重篤な病に罹患させながら、飜つて原疾患を強調して損害の賠償を免れようとするものであつて、正義、人道上ゆるし難い主張である旨述べるので、検討する。
既に述べたような、その各疾患の性質、病態及び後記個別損害認定一覧表に認定する原告患者らの病状及び<証拠略>によると、原告患者らの原疾患はいずれも難病であり、原告患者らについての稼得能力の低下、要保護状態及び精神的苦痛の状況の発生には、原疾患もク網膜症と相まつてかかわつていると認められるのであるから、ク網膜症による損害(逸失利益、介護費、慰謝料を含む。)の発生には原疾患も寄与しているといわざるを得ないのであるが、このような場合には、事柄の性質上並びに衡平上、右損害の算定に当たり、原疾患の病態、程度等を考慮、斟酌して寄与に応じた減額を行うのを相当とする。
既に認定したとおりの各原疾患についての病態、予後等の事実関係に照らして、原疾患の種類及びその個別損害認定一覧表記載の各事実関係から窺知することのできるその病状及び経過、年齢等諸般の状況その他当裁判所が本件において認定した諸般の事実関係及び<証拠略>のほか、前記労働能力喪失表の定めを勘案して、その発生した損害額に対する原疾患の寄与の割合(以下「寄与率」という。)を全体的に控え目にみると、右の寄与率は、エリテマトーデスについては二〇パーセント、てんかんについては二五パーセント、リウマチについては三〇パーセント、腎炎その他の腎疾患については二五パーセント(透析を受ける程度までに病状が進んでいないもの)及び四〇パーセント(透析を受ける程度までに病状が進んでいるもの)とするのが相当である。そして、右の原疾患の寄与については、各患者らの被つた損害のうち弁護士費用を除く全体、すなわち逸失利益、介護費及び慰謝料の合計額につき、各患者らごとに、各疾患に応じて、その寄与率により減額を行う(なお、減額算定後の額につき金一万円未満を切り捨てる。)。
しかし、右の点に関する特段の説示をしない患者については、その疾患の程度その他諸般の事実関係に照らして、疾患が存するにもかかわらず、なお減額を行うことは相当でないと判断したものである。
原告らは、腎疾患のため透析を受けている患者らについても、腎疾患のため労働能力を喪失することなく、社会復帰も可能であるから、当該患者が腎疾患に罹患していることを理由に損害額が減額されるべきではない、旨主張している。
しかし、患者らが罹患している、もしくは罹患したまま死亡した原疾患すなわち腎疾患、てんかん、エリテマトーデス、リウマチはいずれも、既に認定したとおり(第四節)、いわゆる難病であり、そのためその患者はその労働能力の低下を来たし、生活上の種々の不便のほか精神上の苦痛等も受けていることが明らかであり、特にエリテマトーデス及びリウマチについては、クロロキン製剤(錠剤)がその重篤な結果を招来する可能性のある副作用を伴う薬剤であるにもかかわらず、諸外国においても我国においても慢性関節リウマチ及び慢性円板状エリテマトーデスに対する関係でその有用性を肯定されている程の疾患であるうえ、前記認定のとおり、腎疾患は末期の状態すなわち腎不全にいたると必ず透析(または腎移植)以外に処置のない状態となる(いいかえれば透析を受けている腎疾患の患者は、その病状が甚だ悪い状態にあるということになる。)ものである。そしてさらに、<証拠略>によれば、次の各事実を認めることができる。
腎臓障害が進行すると腎臓の働きが低下し、腎機能不全といわれている状態になり、腎機能検査によつて、正常値の四〇~五〇パーセント以下になると腎不全となる。しかし、この段階では自覚症状のないことも多く、日常生活にも大きな支障はないが、食事制限の必要が出てくる。この状態からさらに悪化して腎機能が五~一〇パーセントになると食事療法や薬物療法の効果は期待できなくなり、尿毒症といわれる死の一歩手前の症状となる。
腎臓病による死亡率は戦前はベストテンに入るほど高かつたが、戦後は減少して年間一万人程度になつた。さらに最近では、保存療法の進歩や人工腎臓の出現によつて八〇〇〇人前後になつている。
身体障害者福祉法では、腎臓障害の段階を、腎機能(内因性クレアチニンクリアランス値)が一〇パーセント未満を身体障害等級の一級、一〇パーセント~二〇パーセントを三級、二〇~三〇パーセントを四級と決めており、人工透析療法を受けるものはすべて一級に認定される。このうち四級については、日常生活、食事の管理を行いながら就業することは十分可能であるが、三級の症状になると就労はかなり困難な場合が多い。一級の症状では本来就労は完全に不能であるが、人工腎臓による血液透析治療を受けることによつて、正常者に近い社会復帰が可能となる場合がある。尿毒症患者を救う方法として近年、人工腎臓による血液透析と腎臓移植が広く普及するようになり、このうち人工腎臓による血液透析は既に半世紀以上の歴史をもつているが、臨床的には欧米では一九四〇年(昭和一五年)代、我国では一九六〇年(昭和三三年)代から使用されるようになつた。特に我国では昭和四二年に健康保険が適用されたこと、同四七年に身体障害者福祉法の対象となつて更生医療の給付が適用されるようになつたことから、急速に全国的に普及し、同五三年六月三〇日現在で、人工腎臓設備は一万一六七一台、透析患者は二万五二五〇人となつており、最長生存者は一二年を越えている。腎不全末期で尿毒症状が表われる時期になると、患者は自力で生存することは不可能となり、人工腎臓による血液透析療法で「延命」をはかることになるが、血液透析療法は腎臓病を「治す」のではなく、あくまでも「延命」療法であるから、生涯にわたつて治療を続けなければならない。透析療法が必要と判断された場合、患者は「シヤント」といつて、動脈と静脈を直接つなげる手術を行うが、透析治療はこのシヤントに針を刺し、動脈から出た血液を人工腎臓に送り込み、人工腎臓によつて老廃物を除去され浄化された血液を静脈を通じて送り返す。一回の治療には、その患者の症状や使用される機種によつても異なるが、およそ四時間から六時間を要する。こうした治療によつて腎臓機能低下のために血液中にたまつた老廃物を排泄することができる。本来、人間の腎臓は二四時間働いているが、腎不全患者はこの機能がないため、一週間に二~三回の血液透析によつて機能を代行させるのである。しかし、機械的な血液の浄化には限界があるため、患者は水分、塩分、カリウムなどを中心とした食事の制限が必要となつてくる。この食事管理と透析治療がうまくいく場合、腎不全患者は健常者に近い社会生活を送ることが可能となつてくる。透析導入初期には不均衡症候群といわれる諸症状、頭痛、嘔吐、耳鳴り、血圧低下などの副作用が表われる患者もいるが、透析治療に慣れるにしたがつてこれらの症状も少なくなつていくのが普通である。また、透析患者の合併症として高血圧、心臓肥大、カルシウム異常、貧血などもみられるが、これらの合併症も適正な透析治療と正しい食事管理によつて改善される場合が多い。こうして多くの腎不全患者が透析導入期から一か月ないし二か月で透析にも慣れ、入院透析から通院透析に移行するようになる。最近では、入院期間をなるべき短縮し、一日も早く通院透析に移つて、さらには社会に復帰させるという考え方が一般的になつてきている。透析療法がかつてのように単なる生命の維持という役割から、社会復帰を当然の前提とした手段という考え方に変つてきているわけである。しかし、透析患者の社会復帰にも隘路があり、その最も大きいのが、週二~三回、一回四~六時間の透析治療時間である。このために職場を休むか早退するか遅刻しなければならない。この点については、最近では夜間に透析治療を行う医療機関が増えてきたことで解決の道も開けてきているが、透析患者全体の社会復帰状況をみると、週四日以上の完全社会復帰率は四四・五パーセントで、週二日以上稼働のものは六〇・六パーセントである。全国腎臓病患者連絡協議会の調査(昭和五一年一〇月)でも、四〇・二パーセントが社会復帰しており、男子の場合には五三・二パーセントとなつている。医学的な面からみて、腎不全患者でも充分な透析を行つていれば、ほぼ正常に近い日常生活が送れるが、ある程度の高窒素血症は避けられず、これに不随した糖質、脂質、カルシウムなどの代謝異常、貧血など、正常者に比較して肉体的な予備力の低下、易疲労性などは否定できない。また、心不全、中枢及び末梢神経の異常、肝炎など各種の合併症を起こしやすく、これらの合併症が社会復帰を妨げる要因となる。社会的な面からみて透析患者を職業別に分け、その社会復帰の程度をみると、管理職、自由業、主婦などは比較的社会復帰が良好であるが、筋肉労働者の復帰はかなり困難であり、また一度失職したものが、他の職業に再就職する場合にも障害が多い、とされ(昭和五四年刊行の「人工腎臓」)、また、透析患者の生存率については昭和五二年のデータでは一年生存率が八三・四パーセント、二年が七六・〇パーセント、三年が七二・二パーセント、四年が六七・一パーセント、五年が六〇・五パーセントとなつているとされ(昭和五五年発行の「Medicina」中の「人工透析のあり方と展望」)、現在では長期透析症例の一〇年以上延命は稀ではなくなつたが、その死因の五二パーセントは心血管病変―殊に血管閉塞障害によるとされている(昭和六〇年一月発行「日本臨床」)。
右に認定の事実によれば、人工透析の発達が腎疾患の罹患者一般に対して、画期的な改善・延命をもたらし、社会復帰についても重要な役割を果たすにいたつたことは明らかである。しかし、それにしても、人工透析技術の発展はなお途上にあり、しかも、人工透析そのものに伴う副作用も、改善されつつあるといえ、なお軽いものではないばかりでなく、社会復帰についても完全な域にはまだ程遠い状況にあるものとみるほかはない。
ところで、原告患者らのうち人工透析を受けている者は、必ずしも少なくないが、そのうちには、クロロキン製剤服用前からそうであつたもの、クロロキン製剤服用中からそうなつたもの、ク網膜症の発症をみてから後に人工透析を受けるにいたつたもの等種々あるけれども、人工透析を受けている者がこれを受けていない者に比して、労働能力の低下を来たしており、生活上種々の不便、精神的苦痛等を受けていることは、右に認定のところからみて到底否定しがたいところである。
そればかりでなく、記録によれば、きわめて少数の例外を除き、一審判決の判示した原告患者らの原疾患の状況については、当審記録上、原告患者らの右の病状のその後の推移が明らかでなく、ましてそれらが当審口頭弁論の終結当時にいたるまでに既に治癒し、あるいは著しく軽快したものと認めるに足りる証拠はない。してみると、前記認定のリウマチ、エリテマトーデス、腎疾患、てんかんなる各疾患の性質等にかんがみ、特段の事情のない限り、各原告患者らとも、一般的には、程度の差こそあれ、その後病状は悪化したものとみるほかはなく、前記のとおりの原疾患の寄与による損害額の減額を避けられないところといわなければならない。
もつとも、原告患者らのうちのある者については、人工透析を受けているものの、眼障害がなければ社会復帰は可能である旨記載された診断書もしくは人工透析を受けてはいても十分労働は可能である旨記載された診断書あるいはそれと同旨の医師作成のよる書面等々が証拠として提出されている。しかし、右の各診断書等の記載はいずれも抽象的にすぎて具体性を欠いているので、到底右の認定を左右するに足りるものとすることはできない。
一三 弁護士費用
本件訴訟の規模、性質、立証の難易度、当事者の訴訟活動の状況、認容される金額、その他諸般の事情を勘案すると、本件各被告らの不法行為と相当因果関係のある損害額と認められる弁護士費用の額は、各患者につき認容されるべき金額(患者本人の逸失利益、介護費及び慰謝料すなわち現に生存する原告患者本人については右の額、訴訟提起前に死亡した患者の相続人である原告らについては右の額に関しそれぞれ相続した額、本訴係属中に死亡した元原告についてはその訴訟承継人において承継した額の合計額をいう。)について、金一〇〇〇万円以下の金額に対して一〇パーセント、金一〇〇一万円以上金三〇〇〇万円未満の金額に対しては七・五パーセント、金三〇〇一万円以上金五〇〇〇万円未満の金額に対しては六パーセント、金五〇〇一万円以上の金額に対しては三パーセントを各乗じて算出した金額を合計した金額(金一〇万円未満は切り捨てる。ただし、右の認容されるべき金額が金一〇〇万円未満の場合は金五万円とする。)程度として後に認定するそれぞれの額とするのが相当である。なお、弁護士費用に対する遅延損害金の起算日については既述のとおりである。
一四 中間利息の控除
以上の各損害のうち、昭和六二年一月一日以後に生ずべき逸失利益及び介護費については、前記のとおりライプニツツ式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除して同日の現価に換算し、同日より前に生じた逸失利益または介護費があるときは、それらを積算して加算した金額をもつて関係被告らに賠償を命ずる逸失利益及び介護費の元金額とする。なお、右のうち昭和六二年一月一日以後に生ずべき逸失利益及び介護費についての中間利息の控除計算は、昭和六一年中の逸失利益及び介護費の金額にそれぞれ該当の年別ライプニツツ係数(少数点以下四位未満切捨て)を乗ずる方法によりその現価を算出する(右により算出した額については、いずれも金一万円に満たない部分は切り捨てる。)。
一五 社会保険給付の受給事実を損害額の算定上考慮することの要否
被告科研はその対応する原告患者らの一部の者について、同人らが眼障害を給付事由として障害年金その他の社会保険給付を受けている事実を介護費及び慰謝料の算定に当たつて考慮すべきであると主張し、被告吉富及び同武田も原告寺田貞雄について同じく右事実を逸失利益の算定に当たつて考慮すべきであると主張する。
しかし、各種社会保険制度に基づき廃疾等の給付事由に対して行われる障害年金、廃疾年金等の保険給付は、当該社会保険制度の理念とする相互連帯、相互救済の精神に基づいて給付されるものであり、当該給付事由たる廃疾等が第三者の不法行為によつて生じた場合であつても、右障害年金、廃疾年金等の保険給付は加害者の不法行為によつて被害者が得た利益に該当せず、かえつて、当該給付事由に対して保険事業者が給付を行つた場合には、その給付の価額の限度で保険代位が生じ、受給権者が加害者に対して有する損害賠償請求権が保険事業者に移転する(国民年金法二二条一項、厚生年金保険法四〇条一項、国家公務員共済組合法四八条一項、地方公務員等共済組合法五〇条一項等参照)ものとされていることにかんがみると、仮に右原告患者らが眼障害を給付事由として障害年金等の社会保険給付を受給しているとしても、その事実は、慰謝料の算定に当たつての諸事情の一つとして勘案されるにとどまり、損害額の算定に当たつては原則としてこれを考慮することを要しないものであつて、現実に給付を受けて損害が填補された場合に、その価額の限度において損害賠償請求権の全部または一部移転による喪失(これは、損害額の算定とは別個の問題である。)が生ずるにすぎないのである。そして当裁判所は、右の点についても、諸般の事情の一つとして、原告患者らの慰謝料の算定に当たり、これを勘案したものである。
なお、右被告らの主張を権利の一部喪失の抗弁と善解したとしても、同被告らは前記各原告患者らが現実に受けた社会保険給付について、社会保険の種類、給付の種類、給付の日時、価額等を具体的に主張、立証しないので、右主張は結局排斥を免れないものである(なお、身体障害者手帳の交付については具体的に立証されている場合が多いが、右交付の事実から、当該原告患者らが障害年金を現実に受給した事実を直ちに推認することもできない。)。
一六 原告患者ら等について認定する損害額
以上までに認定説示したところにより、原告患者ら等の損害額は、それぞれ個別損害認定一覧表に添付の損害額算定表のとおり、となるが、右損害額の認定のために用いた証拠はこれまで摘示したもののほか、個別損害認定表一覧表中「以上の認定に供した証拠」の項に摘示するとおりである。
第九節 消滅時効の抗弁に対する判断
第一被告製薬会社、同国の主張について
一 原告横沢軍四郎らが昭和五〇年一二月二二日被告製薬会社、同国らを相手取つていわゆる第一次訴訟を、亡桑門新緑らが昭和五一年一〇月一九日被告製薬会社(被告科研を除く。)、同国らを相手取つていわゆる第二次訴訟をそれぞれ提起し、損害として、いずれも弁護士費用のほか、原告患者ら一人当たり金三〇〇〇万円の慰謝料及び年間金一二〇万円(なお、これらの額はその後拡張された。)の割合による生活費補償並びに慰謝料につき各患者がク網膜症と診断された日から、その余の損害につき各被告に対する訴状送達の日の翌日から各完済にいたるまでの遅延損害金の支払を請求したこと、その後右原告らは右請求を拡張し、一人当たりの慰謝料を増額するとともに、経済的損害を生活費補償なる名目から逸失利益及び介護費に改めたうえ、その請求額を一審判決事実摘示第一節末尾の別紙原告請求金額一覧表記載のとおりとして請求し、また遅延損害金の起算日を各患者本人において視力の相当の低下またはかなりの視野障害の発生した時点まで繰り上げて請求するにいたつたこと、その後当審において、原告らの一部が右の慰謝料額等の損害額の請求を増額拡張したことは、記録上明らかなところである。
二 しかし、本件記録上明らかなとおり、原告らが前記訴え提起時に請求した慰謝料及び生活費補償なる名目の財産上の損害は、いずれもその全体の金額を明示した上でその部分的な一定の割合を請求したものではないから、訴状に「本訴において、とりあえず」その各「一部として」請求する旨記載されていても、それは全部の内の特定された「一部」のみを請求したものとは解せられない。したがつて、前記訴状に記載された請求はいわゆる明示的一部請求に該当するものでないから、右の訴えの提起により客観的に存在する損害賠償請求権全体につき時効中断の効力が生じたものとみるべきである。
そればかりでなく、右各原告らにつき認容されるべき慰謝料の額は前記のとおり患者本人一人当たり最高金一五〇〇万円を超えることがないのであるから、慰謝料中の請求拡張部分に関し時効完成の有無を問題とする実益はない。
三 次に、遅延損害金債権についての消滅時効の抗弁を検討する。
本件遅延損害金債権は不法行為による損害賠償債権の不履行に基づくものであるから、その消滅時効期間は三年である。しかし、既述のように、本件不法行為の態様にも、損害の発生状況にも、複雑、特異なところがあり、少なくても前記各請求拡張の前にも、不法行為や損害発生の各日時がいつであり、その損害賠償債務がいつ履行遅滞になるか、したがつて各遅延損害金債権の消滅時効がいつから進行するか等の諸点が明白であつたとはいえないのである。本件におけるこのような事情にかんがみると、原告患者ら(あるいは原告ら)が、訴え提起の際、訴状送達の日の翌日以降の分のみについての遅延損害金の支払を求め、それより前の分について触れるところがなかつたからといつて、被告ら主張のように、右触れていなかつた分については、訴え提起の時から消滅時効が進行し、三年の経過によつて時効が完成したと解することはできない。よつて、右抗弁は採用しない。
四 以上のとおりであるから、前記被告らの消滅時効の主張は、失当として排斥を免れない。
第二被告吉富及び同武田の消滅時効の主張について
一 原告中谷昭三及び中谷三恵が昭和五二年一〇月四日被告吉富、同武田らを相手取つていわゆる第三次訴訟を提起し、損害として、弁護士費用のほか合計金三〇〇〇万円の慰謝料(亡中谷清子について生じた金三〇〇〇万円の慰謝料請求権を右原告両名が相続で取得)及び右慰謝料に対する亡清子がク網膜症と診断された日から完済にいたるまでの遅延損害金の支払を請求した(生活費補償の請求はしていなかつた。)こと、その後、右原告両名が慰謝料請求額を増額するとともに、亡中谷清子について生じた逸失利益及び介護費の名下に新たに財産上の損害の賠償を求めるにいたつたこと、以上の事実は同原告らと被告吉富及び同武田との間で争いがない。
また、その後当審において、右原告両名が右の慰謝料額等の損害額の請求を増額拡張したことは、記録上明らかなところである。
二 不法行為の被害者の同一の身体傷害から生じた財産上の損害の賠償請求権と精神上の損害の賠償請求権とは訴訟物を異にするものではなく、両者は同一訴訟物の範囲内にあり、一個の身体障害につき慰謝料請求の訴えを提起した場合には、特段の事情のないかぎり訴訟係属の効果及び裁判上の請求に基づく時効中断の効果は財産上の損害その他同一訴訟の範囲内にあるすべての損害の賠償請求権について及ぶものと解するのが相当である。ただ、いわゆる明示的一部請求の場合においては、同一訴訟物の範囲内であつても申立ての対象となつた特定の請求分についてのみ時効中断の効果が生じ、その他の部分については右効果は生じないものと解すべきであるが、明示的一部請求と認められるためには、権利の全体の範囲及びその中における請求部分が特定して主張されていることを要する。しかるに、本件においては、前記原告両名は訴状において亡中谷清子の被つた全損害として精神的損害及び弁護士費用のみを主張しているのであつて、他に逸失利益、介護費等の財産上の損害のあることを訴状中で主張していないのであるから、前記原告両名の訴状における請求を明示的一部請求と認めることはできない。なお、慰謝料の請求拡張部分に関する時効完成の有無を論ずる実益のないことは前記第一において述べたところと同様である。
三 以上の次第であるから、被告吉富及び同武田の消滅時効の主張は失当である。
第一〇節 仮執行の原状回復の申立てについて
仮執行の原状回復に関する被告国の申立てにおける事実関係中、国の右申立てにおける表に記載の「元金」欄及び「執行費用」欄記載の各金員につき強制執行をしたことは被告国と原告(同訴訟承継人を含む。)らとの間に争いがなく、その余の事実については、原告(同)らの明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなす。そして右の事実関係によれば、被告国の右申立中、原告山村伊都子、同山村千恵、同山村章に対する各申立ては、いずれも理由がない(仮執行宣言により右の原告ら三名がそれぞれ取得した金額は、当審における変更後の本案判決により、右の原告ら三名に対し被告国からそれぞれ支払うべきものとされた各金額より少ないから、被告国に対して右の原告ら三名がそれぞれ返還すべき金員はないこととなる。)からその申立てを棄却すべきであるが、その余の右申立ては、別表第三に記載の金額につき理由があるから、被告国の仮執行の原状回復の申立て及び右強制執行の日の翌日である昭和五七年二月三日の翌日から右支払いずみまでの年五分の割合による損害賠償金の請求はこれを認容すべきものである。
第一一節 結び
以上の認定判断の結果によれば、原告もしくは同訴訟承継人らの本訴請求は、別表第一の「一審原告・訴訟承継人」欄記載の各一審原告もしくは同訴訟承継人の同表の「対応一審被告・訴訟承継人」欄記載の各一審被告もしくは同訴訟承継人に対する各請求につき、同表の「認容金額(円)」欄記載の各金員及び同表の「認容金額内訳(円)」欄記載の各金員に対する同表の「遅延損害金起算日」欄記載の各日(弁護士費用に対する遅延損害金の右各起算日が各一審被告に対する訴状送達の翌日であることは記録上明らかである。)から各完済にいたるまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲内で正当であるからこれを認容し、一審原告もしくは同訴訟承継人らの請求中右に認容した部分を除くすべての請求は失当であるからこれを棄却すべきである。
また、一審被告国の民事訴訟法第一九八条二項の申立については、前節で説示したとおり、一審原告山村伊都子、同山村千恵、同山村章に対するものを棄却し、その余をすべて認容すべきである。
よつて、右の趣旨に従い原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、一審被告国の仮執行免脱の申立てを却下することとして主文のとおり判決する。
(裁判官 田尾桃二 仙田富士夫 増井和男)
個別損害認定一覧表等について <略>